財ユウ+女子 「財前くんは 1」 財前くんとは、第二外国語のクラスが同じだった。商学部は、私が通う大学の中で一、二を争うマンモス学部だった。そこで同じ第二外国語を選んで、そのクラスが同じになって、更に席まで隣になるだなんて運命を感じてしまう。そう話す時、友人たちはいつも大ゲサだと言って笑った。
「ニガイのクラスで運命まではいかないでしょ」
四限の授業が終わると同時、一気に賑やかになる大学の構内を歩きながら、三限の第二外国語の授業で財前くんとペアになったことを話す。五月の爽やかな風が頬を撫でていく、過ごしやすい日だった。せっかくだから外でお昼を食べようと、各々買った食事を手に、適当な場所を探し歩く。
「だって席も隣なんだよ。今日もすごくかっこよかったなあ、その辺の男子と違ってクールでオシャレで自分の世界がちゃんとある感じ なんだよ、あ、それでね、今日作ったペアで課題作品を調べて月末にプレゼンすることになっちゃって、つまり、私は財前くんとペアなんだけど……」
どうしようと、顔を両手で覆うと、友人達はやれやれと肩を竦めた。
「ねえねえ、財前くんって、ほんとにそんなにかっこいいの?私、学部も違うから見たことないんだよね」
反対隣を並んで歩いていた、やはり同じサークルに所属する、文学部の友人が疑わしそうな目線を送ってきた。
「ああ、それは本当。どうせ盛ってるんだろうと思って見たら、本当にかっこよかった」
認める、と頷く同じ学部の友人に、「でしょ?」と得意げに胸を張り、聞いてきた友人には「すっごくすっごくかっこいいんだよっ」と重ねて言った。
「財前くんって昼休みはどこにいるの?見てみたい」
「ううーん……、食堂か講堂の近くのベンチでお弁当食べてるよ」
「お弁当? コンビニの?」
「多分、違う。お母さんが作ってくれるのかな、よくあるお弁当箱に綺麗におかずが並んでるの……」
「え、大学一年生の男子がお母さんの手作り弁当やばくない?」
すかさず突っ込んでくる友人達に、「そういうところでカッコつけない感じがいいの」と反論してみせれば、「てか、噂をすれば」と、 財前くんを見たことがある友人が、並木道に並ぶベンチの一つをそっと指差した。
「やだっ、うそっ、財前くんだ……」
口元を手で覆い、かっこいい、と思わず漏らしてしまいそうになるのを塞ぐ。
「あれか?!うん、確かに顔がいい」
「ほら、言ったでしょ」
「てか、財前くん今一人じゃない?チャンスだよ」
カフェテリアで買ったサンドイッチが入った紙袋と友人を交互に見て、「え?」と目を丸くさせる。
「ほら!早く!」
「え、えっ、急には無理だよ、心の準備が……」
早く行きなよ、と二人に手を引っ張られるのに逆らい、後ろに重心をかけて抵抗する。
「あっ!こっち見た」
「へっ?!」
驚きに、声が裏返ってしまう。
「ほんとだ、アンタの方見てるよ」
「え、あ……、あ、ざいぜん、くん」
友人の言葉通り、ベンチに座ってお弁当を広げていた財前くんは、私の方を見ていた。
「いってらっしゃ?い!私達は別で食べます」
ドン、と背中を押されて、前につんのめる。
「え?ちょっと、待ってよ」
慌てて振り向いたところでもう遅い。二人は楽しげに笑いながら、「幸運を祈るよ!」とだけ残し、そのまま足早に去って行ってしまった。
「……えと」
財前くんの方を、もう一度、窺い見る。
「……」
目が合うと、財前くんが軽く頭を下げてきた。それに合わせて、ペコリとお辞儀して、顔を上げた時には財前くんはもうこちらを見ていなかった。
ざわざわと、風が木々を揺らしていく音が耳に響く。買ったばかりの、薄黄色の花柄のスカートが風に舞う。広いキャンパスは高校の校舎とは全く異なり、そこに立つ私も、野暮ったい紺色のブレザーとプリーツスカートは身に着けていない。
踏み出す一歩は、羽が生えたように軽いはずだ。
「あのっ」
もう、子供じゃない。
重たい制服を脱ぎ捨て、春風の色をしたスカートやブラウスを身に着け、踊るように入り込んだ大学のキャンパスはどこもかしこも眩しかった。大学一年生になったというだけなのに、着ている服が変わったというだけなのに、私達は妙に大人になった気分で色づき、浮かれ、舞い上がって、何かを急ぐよう友達を探し、恋を探していた。そういう空気に満ちていた。私も、他の新入生も、サークルに入ったり、話を合わせたり、笑顔の裏に一人になるかもしれないっていう緊張感を隠しながら、居場所を探していた。
でも、財前くんは違った。教室にいても、クラスの親睦会の場でも、どこにいても、必要以上に大きな声で笑ったり、楽しそうな表情を作ったりしない。誰もが誰かといようとする中、一人でマイペースに振舞っていた。友達といる時も、一人でいる時も、財前くんは何も変わらない。少しつまらなさそうに、でも時々クラスの友達と話して笑ったり。
一人になることを怖がらない強さに、とても惹かれた。
もっと話したい、もっと色んなことを知りたい。
「あの、えっと、お昼一緒に食べてもいい?」
そう思って、勇気を出して、財前くんがいるベンチの前に立つ。
「……どうぞ」
財前くんはそう言うと、私が座る分のスペースを作るためにか、リュックを反対側にどかしてくれた。
「あ、ありがとう」
そうして、木陰のベンチに二人並んで座ってみたものの、気まずい。そんな気はしていたけど、財前くんはおしゃべりなタイプではないし、ムードメーカーでもない。
隣にいる私を気にするでもなく、彩り豊かなお弁当をパクパクと食べている。
「えと、」
私が喋らないと。そう決意して、口を開く。
「いつも、何聞いてるの?」
リュックのベルトに無造作にかけられていた、財前くんがいつも身に着けているヘッドホンに視線をずらす。
「ああ、洋楽。イギリスのバンド」
でも、すぐに後悔した。
「そ、そうなんだね!私、洋楽は全然分からないや。おすすめとかあったら教えてほしいな」
この話題、失敗だったかもしれない。答えてくれたものの、それ以上を続けられない。そんな、気まずさだけが残る。といっても、気まずいのは私だけで、財前くんは、やっぱりあんまり気にしていない感じでご飯を食べ続けていた。
そうだ、私も、お昼を食べないと。
「ええと、財前くんって大阪出身なんだよね、一人暮らし?」
紙袋からサンドイッチを取り出しながら尋ねる。
「……いや、先輩とルームシェアしてる」
答えが返ってくるまでの数秒に緊張がギリギリまで高まっていく。踏み込み過ぎたかなとか、プライベートのこと聞かれて怒っちゃったかなとか。答えが返ってくると同時、そういう不安から解放されて、思わずホッと息を吐き出した。
「テラスハウスみたいでかっこいいね。私もやってみたいなあ」
音楽よりは話題を広げやすそう。財前くんの返答にそんなことを思う。
「テラスハウスて……。築二十年の冴えないマンションで男二人暮らしやで」
そうそう、財前くん、関西弁なんだよね。ギャップがいいよね。友人たちにも、彼の魅力の一つとして明日話さないとと思う。
「あ、そうだ、ご飯って毎日作ってるの?いつもお弁当だよね」
「ああ、これ?」
手に持ったお弁当箱を、左手に持っていたお箸の先で指す。左利きなのも、財前くんがかっこいいところの一つ。
五月の陽射しを纏う目元を思わずじっと見つめてしまう。男の子なのに睫毛がとても長い。それも、彼の魅力の一つ。
「先輩がついでにって作ってくれるだけ。あの人、弁当持参しとるから。自分じゃ作られへん」
料理も出来ひんし。財前くんが続けるのに、「財前くんの先輩ってすごいね」と感心して漏らす。
「……うん、せやな」
すると、財前くんの表情が不意に柔らかくなった。気のせいじゃない。それは、初夏の空気によく馴染む、その穏やかな笑顔は、私が今まで見たことがないものだった。
「あ、そうだ。財前くんは、サークルって入ってる?」
「うん、簿記研究会」
「え、ボキ?」
予想もしていなかった回答がその口から飛び出してきたから、思わず聞き返してしまった。
「実用的やろ、楽そうやったから」
「そ、そうだね、意外だけど……」
サンドイッチを一口齧る。意外だけど、また一つ好きなところが増えてしまう。
「ハネザワさんは?」
「ええ?!」
質問を返されて、変な声をあげてしまう。サンドイッチを落としそうになって、慌てて持ち直すと、隣からクスクスという笑い声が聞こえてきた。
「サークル、なに?自分も俺に聞いてきたことやろ」
リュックからペットボトルを取り出し、その蓋を開ける。
「え、えーと、私は……、テニスサークルに入ったよ。あ、チャラいな?とか、ベタだなあ?って自分でも思ったんだけど、新歓行ったら 先輩もみんないい人で、けっこう楽しくて……」
言いながら、何でか恥ずかしくなってきてしまう。財前くんのように、自分を持っている人からすれば、テニスサークルに所属する私は馴れ合いが好きなつまらない人間に見えるんだろうな。
「あはは、ベタだよね」
でも、ちゃんとテニスの練習もしてるし、遊び目的のサークルではないんだよ、なんてわざわざ言うのもしつこい気がして、誤魔化し笑いで締めくくってしまう。
財前くんはお茶を一口飲んで、それから「楽しいならええんとちゃう?」と笑顔のまま言った。
「ベタかどうかはよう分からんけど、ええやん、テニス」
「いいのかな?」
思いがけない反応に、感情がついていかない。
「さあ?せやけど、ハネザワさんが楽しいなら楽しいんやろ、合うとこ見つかってよかったやん」
食べ終わったお弁当箱の蓋を閉じる財前くん
が、ポケットから携帯電話を取り出した。
「あ、せや。連絡先。月末の発表の準備せなあかんやろ。日程決めてとっとと片付けよ」
それから、とんでもないことを口にした。
「これ、俺のやから、登録しといて」
普段通りの表情で、コード化された自分の連絡先が表示された携帯電話を差し出してくる財前くんを、じっと見つめてしまう。
「……?」
「えっ、えっ、う、うんっ、はいっ」
まさかの展開に、いよいよ頭が真っ白になった。こんなことがあっていいのかな。好きな人とお昼を食べて、おしゃべりして、それで連絡先を交換して、こんな幸せな日、滅多にない。
「あれ。電話?」
震える手で財前くんの連絡先を読み取るのと同時、画面が切り替わる。
ユウジ先輩
「……登録した?」
表示された名前を確認して耳元に機械を持っていこうとする財前くんが聞いてくるのに、コクリと頷く。
ユウジ先輩。
って、同居している先輩かな。それとも別の誰かかな。
「都合いい日あったら連絡して、俺基本的にバイトは夜勤で入れとるから合わせられると思う」
電話に出るつもりなのだろう、財前くんが早口で言ってくるのに、「うん」と大きく頷く。
課題をやるだけ。分かっているけど、心が躍る。
「今日はありがとう、私、行くね……」
体の中をぴょんぴょん跳ねて口から飛び出していきそうになる気持ちを飲み込んで、立ち上がった。
「うん、また」
左手に持った携帯を耳にあて、空いている右手を軽く上げてくる財前くんに、同じように右手を上げる。そのままくるりと踵を返して、走り出す。
「もしもし……、はは、いきなりなんや?」
背中から、聞いたことのない財前くんの優しげな声が、薫風とともに耳を掠めていく。さっきの柔らかな笑顔と同じ種類のもの。正体の分からないそれは、小さな針のようにチクリと心臓を甘く刺す。この気持ちは一体なんだろう。
ああ、でも。
「新しいこと、たくさん知っちゃったな」
頬が緩んでしまう。
財前くんは、第二外国語のクラスが一緒の男の子。
大阪出身で、イギリスのバンドが好きで、先輩とルームシェアをしていて、左利きで、私の話を聞いてくれて、笑ってくれる。
夏を待つキャンパスの中を走り抜けていく。
財前くんは、優しくてかっこよくて、私が恋する男の子です。