財ユウ 「恋はすぐ近く」
おめでとうございますって、そんまんま素直に言おうと決めていた。おめでとうございますって、寝る前、出来るだけ自然に言う練習を何度かして、今朝は鏡の前で「おめでとうございます」ってそう言う時の表情も確認して、通学時間はその瞬間のイメトレもして、準備は完ぺきだった。
それなのに、学校に向かう途中でばったり出くわした謙也さんが、「今日、ユウジの誕生日パーティーするんやけど、財前も来れる?」なんて言ってきたから、思わず「今日誕生日なんすね、ユウジ先輩」と、ユウジ先輩の誕生日なんて知りませんでしたという風を装ってしまった。
それで、俺の計画は全部狂った。
まあ、つまるところ、謙也さんのせいや。
おめでとうございますって、今日くらいは何の捻りもなく言おうと決めていたのに、一度『知らなかった』フリをしてしまったものだから、それを貫かなければならない。結局、なんやかんや捻くれたことを付け加えて、さも知らなかった顔で「おめでとうございます」って言った。さすがに練習を積んで完璧にしただけあって「おめでとうございます」のとこだけは、顔も声も抑揚も完璧だった。余計な前段を付けてしまったことだけが、誕生日なんて知らなかったってフリをしてしまったことだけが、失敗だった。謙也さんのせいやけど。
誕生日パーティーの間に、もう一回くらい、ちゃんと言いたいと思っていたけど、それは叶わなかった。先輩たちが、ユウジ先輩のためにって企画したパーティーだ。主役のユウジ先輩が喜ぶものばかりが用意されていて、そん中でも、小春先輩からのお祝いはユウジ先輩を一際喜ばせていた。感動して泣いたり、小春先輩のネタに床を転げ回って笑って泣いたり、天才やな小春はって嗚咽を漏らしながら泣いていた。そのリアクションのどこまでが本当なのかネタなのかは分からなかったけど、小春先輩がいるという事実が先輩をちょっと周りが引くくらい喜ばせていたのは確かだった。プレゼントと、ネタ見せと。皆がユウジ先輩をお祝いする中、俺はだんまりを貫き通す。紙コップに注がれたオレンジジュースは苦くて、ユウジ先輩が好きだと話していた曲の歌詞にあったように、ミルクでも混ぜたいくらいだった。
失敗したなと、こっそりとため息を吐き、誕生日の日にユウジ先輩が『サービス』で付け直してくれたボタンに何となく触れる。これのお礼をするつもりだった。あの時、俺はしばらくタメやからタメ口でええですよねって、本当にタメ口きいたりしてたんだから、先輩の誕生日を知らなかったわけがない。小春先輩は多分気づいていて、だから俺がユウジ先輩におめでとうを言った時、少し面白そうな目を向けてきた。でも、特になにか言及してくることはなくて、ちょっとホッとした。
財布の中には、「小春先輩と食べてください」って、そう言って渡すため、家の近くのスーパーで買ったハーゲンダッツの引換券。ユウジ先輩があの日指定してきたものだ。それを渡すだけで簡単に喜ばせることが出来たはずなのに、結局、これは俺と甥っ子のおやつとなりそうだ。お礼のタイミングなんてすっかり逸した。
遠山が、青学の一年ルーキーのモノマネをしたからって、俺は青学の新部長のモノマネをしろと無茶ブリをされ(忍足覚えとれよ)、しぶしぶ、いやいや、モノマネがめちゃくちゃ得意な人の前でモノマネをする居た堪れなさを味わいながら、あの蛇のような二年生のモノマネをした。でも、これが意外とウケた。ユウジ先輩はめっちゃ笑って、それから「上手いやん」って褒めてくれた。モノマネが上手いことを褒められたからというよりは、俺がすることで先輩が笑ったことがくすぐったい。俺のモノマネで笑う顔は、ちょっと子供っぽくて、こんな表現をユウジ先輩に使うのはおかしいって思うけど、ちょっと可愛かった。
「……」
そんな風に思ったことに一人恥ずかしくなって、紙コップに残っていたオレンジジュースを飲み干した。さっきよりも少し甘い。アイスの券は渡せなかったけど、まあ、喜ばせられたならよかった。て、ことにしておこう。
「はあ、楽しかったなあ」
帰り道、ユウジ先輩はご機嫌だった。
「小春のあのネタ、めっちゃおもろかったよな、いつからネタ仕込んでたんやろ」
さっき飲んだオレンジジュースみたいなオレンジ色をした空に向かって大きく腕を伸ばしながら先輩が言うのに、「さあ」と首を傾げる。平日の夕暮れ時、仕事帰りの会社員や学生たち、なんやよう分からんけどオバさんの集団やら、人でごった返す梅田を先輩と二人並んで歩く。渡せなかったプレゼントを渡そうとついてきたわけじゃない。好きなバンドの新譜が今日あたり入ってそうだからCD屋に寄りたかっただけだ。たまたまだ。
「俺としたことが全く気付かんかったわ」
慣れた様子で人ごみを掻き分け進んでいくユウジ先輩が、どこか悔しそうに言う。
「先輩のこと驚かそうと思って秘密で準備しとったんやろ」
きっと、いや絶対に。そうなのだと思う。小春先輩だけじゃない、ほかの先輩たちも、ユウジ先輩には内緒で、今日のネタとかプレゼントか用意していたんだと思う。俺もそうだから、よく分かる。
「……っ」
俺の言葉に、先輩はハッと目を丸くして、「小春ぅ」とそこに何かがあるかのよう、突然空気を抱きしめた。突拍子も無い先輩の行動に、近くにいた何人かがこっちを向いた。
「はっずかし」
その視線を鬱陶しく思いながら、先輩に向かって呆れ混じり吐き出す。
「っちゅーか、財前はどこまで行くんや、お前家こっちやないなろ」
今気づいたんかい。心の中で言う。
それは口に出すことなく、ムっとしている先輩に、「欲しいCDがあるんで、」と、しれっと返した。嘘じゃない。
「……なんの?」
尖らせていた口を元に戻した先輩が聞いてくるのに、バンド名を告げる。すると先輩は「俺も、それ好き」と、そのメロディの一節を口笛で吹いた。俺も好きな曲。「ああ、それです」と頷く。
「あれな、ええよな。……俺も寄ってこ」
すると、先輩が思いもかけないことを言い出したから、心臓がしゃっくりしたみたいに変な声が漏れた。
喧騒にまみれた夕方の梅田にあっては、そんな声も簡単に掻き消されてしまう。
「……」
嬉しい。って心が跳ねる。
なんでや。って頭が冷静に突っ込む。
どういう顔をすればいいのか分からなくて、いつもの、ネタを見せられた時みたく、ウエとかゲエって表情を作ってしまった。反射みたいなもんだ。
「なんやその顔はー」
「いや、別に」
リュックのポケットに突っ込んである財布に、何となく、布の上から触れる。もう一回、やり直せるんじゃないかって、そんな期待が指先に募る。
「今日はええもん見つかる気がするんや、行くで」
「行くでって。俺はもともと行くつもりやったんや」
あとは。誕生日を知らなかったと、そう言ってしまったことをどう誤魔化すか、だけだ。でも、CD屋に向かう途中、人より幾らか高い偏差値の頭をフル回転させて考えてみたけど、名案はついに浮かんでこなかった。
そんな状態でCD屋に着いて、玩具屋さんを巡る子供の如く、二人で新譜が並ぶ棚を一通り眺め、ヒットチャートを二人で試聴して、なんてことをし始めたら、今度こそ頭は全く回らなくなった。どうかしてると思いながらも、先輩と二人で店内を物色しながら歩いては、目に付いたアルバムを手に取り、ああでもこうでもと話す時間は好きなものだった。
結局、目当てのCDはまだ置かれていなくて、その代わり、ユウジ先輩が「これめっちゃ好きなやつや」と旧譜の棚で大騒ぎしていた、北欧のバンドのCDを一枚買うことにした。ミニアルバムだということで、収録されているのは五曲くらいだった。このジャケットがめっちゃカッコいいと先輩が目を輝かせて話していた通り、ドギツイ色合わせの背景にぽつんと配置された手書きの動物の組み合わせは、人の目を惹く。単純に、俺とユウジ先輩の好みが似ていただけで、別の人にはそんなに響かない可能性もある。
「やっぱええもん見つけたなあ、さすが誕生日」
「買うんですか?」
俺が手にしたのと同じCDを胸元に抱えながらウキウキとレジに並ぶ先輩に尋ねる。持っているのではないのか。
「円盤は持ってへん、ジャケット好きやから持っておきたい」
前に来た時は置いてなかったんや。そう話しながらCDをレジの台に置く先輩に「ふうん」と、手元のCDを眺めた。ユウジ先輩の誕生日に買ったCD。ユウジ先輩がかっこいいと言っていたジャケット。そういう風に、そういう思い出と一緒にこのCDは棚に置かれることになるんやろうなって、ぼんやりと想像した。
「……千五百六十円になりますー」
レジに立つ店員のやる気のない声が、耳を通り抜けていく。
先輩の部屋には、『生意気な後輩と一緒に買ったCD』としてこれが残るのか。それとも『ただの』CDとして残るのか。
「あっ」
そんなどうでもいいことを考えていれば、先に会計をしていた先輩が大きな声を上げた。
「た、足りひん……」
前にいる先輩が慌てた様子で開いた財布の中身を確認している。逆さにした財布から一円玉が二枚落っこちていくのを拾ってやる。それを渡しながら「足りんって、何が?」と分かり切った質問を投げれば、「五百円しかない」と焦りを帯びた声が返ってきた。
「せや、昨日学祭用の衣装の布を買うたんやった……」
愕然と呟くのを後ろで聞いて、リュックから財布を取り出しておく。千五百六十円。一昨日、小遣いをもらったばかりだから十分に足りる。一応、中身を確認しておいた。
「千円、負けてくれへんのやろうか……」
「CD屋で値切らんといてください」
俺の言葉に何か言い返すでもなく、ユウジ先輩は「せやな……」とガッカリと肩を落とし、「やめときます」って例の店員に小さな声で言った。
らしくない声やなあって思いながら、ハアアと大きく溜息を吐く先輩の隣に並ぶ。
「俺が払うんで、」
先輩の顔が勢いよく俺の方に向けられたのが分かった。ユウジ先輩は、ほんまに、一つ一つのリアクションがうるさい。
「こっちと一緒に、」
一緒にいると目立つしうるさいし恥ずかしい。でも、なんか楽しい。
「ハイ……、二点ですね」
自分が持っていたCDを差し出す俺に、店員は別にどっちでもええけどって、そんな具合にニコリとするでも驚くでもなく、バーコードを読み取った。俺に言われたくないだろうけど、愛想がこれっぽっちもない奴やなって思う。
「袋は一緒でええですか?」
俺が渡した千円札をレジにしまいながら店員が聞いてくる。それに「はい」とニコリともせず返した。やり返したわけじゃない。
「あ、あとで返すな」
感情と抑揚に欠けた「ありがとうございます」と一緒に、同じCDが二枚入った袋を受け取る俺に、先輩が眉を下げて言ってきた。
「ああ……」
別に金を貸したわけやないけど。心の中でそう言って、出口に向かってスタスタ歩いていく。「明日でもええ?」って、隣の先輩が聞いてくるのを受け流し、店を出た。
「はい、」
そこで、買ったばかりのCDを袋から取り出し、そのまま先輩に差し出した。
「へ?」
なに?って、そんな顔で、俺とCDを交互に見る。
「ああ、俺のサインとかつけた方がええです?」
「え、いらんわ」
事態についていけないと困惑しながらも、そこだけはリズムよく即答してくる先輩に、「価値が分からん先輩やな」と憎まれ口を零し、とっとと受け取れとばかり、その胸元に正方形のプラスチックケースをグイと押し付けた。
「これ、あげます」
「へ、あ、え?」
鈍感なのかアホなのか。展開をまるで理解していない先輩の口からはろくな言葉が出てこない。押し付けられたケースを、戸惑いながらも先輩の手が受け取ったことを確認して、自分の手を離す。
「あと、これ」
財布の中から例のギフト券を取り出し、ついでとばかり先輩の手とCDの間に出来た隙間に押し込んだ。
「……な、なに?」
すぐに落ちていきそうになる紙切れを先輩が反対側の手で掴む。
「ハーゲンダッツのタダ券です。たまたま、財布に入っとったんで……、小春先輩と食べてください」
これくらいの嘘は、神様だって許してくれるだろう。たまたまハーゲンダッツのタダ券が入っているとか、そんなアホなことあるかって自分でも思うけど。
「ん?ハーゲンて……」
先輩が、ようやく何か気づいたような顔になる。
「誕生日、おめでとうございます」
やっと、練習通り。
もうこれ以上は大きくならないだろうと思っていた先輩の目が、もう一回り大きく開かれる。そろそろ目玉が飛び出るんやないかってくらいに目を開く先輩に、「変な顔」と思わず噴き出す。
あまりに面白い顔だったから、ついでにポケットから携帯を取り出す。あとで笑い話にしてやろうと思い、シャッターを押した。
「めっちゃ嬉しい……、ありがとう」
カシャってシャッター音が鳴るのと同時、ユウジ先輩が今日一番嬉しそうに笑った。
一番って、それは言い過ぎか。でも、これまで俺に向けられたものの中では一番の笑顔だった。液晶画面に映る、思いがけず撮ってしまった、笑い顔のユウジ先輩にそっと視線を落とす。
いつ、消そうか。消すんやろうか。
そんなことを思いながら、「来年の誕生日、期待してますんで」と顔を上げる。
「う……、あんま高いもんは無理やで」
来年の約束なんて、なんの効力もないなと思いながらも、「楽しみにしときます」と唇の端を上げてみせた。
「怖い顔すんなや」
おーこわ、と自らを抱くよう腕を摩る先輩に、「ほな、俺はこっちなんで」と看板を指差す。何でか名残惜しくなる心を咳払いで誤魔化して、元来た道を辿るよう雑踏の中を歩き出す。
「これ、ほんまにありがとう!」
先輩が言うのに、ペコっと小さく頭を下げる。
「財前!」
そのまま人の波に乗って歩き出そうとすれば、先輩に大きな声で呼ばれた。振り返ると、ユウジ先輩が「おーい」と大きく手を振っていた。
なんです?って、眉根を寄せる。
「まだ時間あるやろ!アイス食べ行こ!」
これ使って!って、先輩が大きな声で続ける。
「……はあ?」
何を言っているんだ。って、思わず俺も大きな声が出た。
「俺、誕生日やで。ちゃんと付き合えや!」
先輩が笑って言う。
「……横暴や」
それから、立ち止まったまま呟く俺の前へと、すたすたと寄ってきた。
「ケーキ食べたやん」
得意げな顔に向かって言うと、「今度は急にアイスが食べたくなったんや」と、俺が渡したギフト券をペラペラと揺らした。
「ほな行くで〜」
俺は小春先輩と食べてくださいって言ったし、一緒に食べたいなんてこれっぽっちも思ってなかったけど。せやけど、今日はユウジ先輩の誕生日やから。
「ま、しゃーないっすわ」
仕方なく、付き合ってあげるだけです。