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    財ユウ+女子 「財前くんは 5」

     答案用紙が回収されると、教室中に解放的な空気が溢れた。私と同じように、この専門科目のテストが最後、今から夏休み、という人は多いようで、その表情は皆一様に明るかった。
    「おつかれ!」
     同じ科目を履修していた友達が私の席までやってくるのに、荷物をカバンにしまい込みながら「お疲れ様」と返す。いつも一緒にいる友達の一人で、学部もサークルも第二外国語のクラスも同じだから、入学した頃から仲良くしてくれていて、財前くんのこともいつも相談に乗ってくれる。男の子からも女の子からも「えっちゃん」と呼ばれている。
    「どうしたの?なんか暗い顔してない?」
     大学生になって初めて迎える夏休み。サークルの合宿や友達との旅行、高校生の頃にはなかった夏のイベントがめいっぱい詰め込まれた宝石箱を開くドキドキを胸に、教室を軽い足取りで出ていく同学年の生徒たちが何だか眩しい。
    「う、緊張かな?」
     私も『初めての』夏を楽しみにしている一人には違いなくて、でも、その前に一つやろうとしていることがあって、それが終わるまでは夏休みを明るい気持ちでは迎えられない。
    「緊張?」
     そのやり残していることが終わって、今この瞬間にある緊張が解けても、別の意味で明るい気持ちにはなれないかもしれない。そのことが、また気持ちを重たくさせた。
    「実は、今日、財前くんと会うの」
     ハアと、溜息と一緒に吐き出す。私が、夏休みの前にやり残していること。
    「マジで?!ついに告白するの?!」
     えっちゃんが大きな声を出すのに、慌ててその口を手で覆う。
    「しないよ!」
    「しないの?!」
     財前くんに告白をしよう、とまでは考えていなかったけれども、花火大会に誘う時点で、私の彼に対する好意は明らかで、えっちゃんの驚きは間違っていない。
    「……し、しないけど、」
     事情をしどろもどろ話せば、えっちゃんは「それほぼ告白だよ」と驚いた顔のまま眉根を寄せた。
    「そ、そうだよね」
     その反応に、これから自分がしようとしていることを実感して、無意識に溜息が零れた。
    「なに溜息吐いてるの、今から会うんでしょ!」
     励ますよう、えっちゃんが両手を伸ばし私の肩にそれをトンと乗せた。
    「うん、」
    「ハネザワ可愛いから大丈夫!髪の毛と化粧とちゃんとチェックしてから行きなね、って財前くんも今日来てるの?」
     驚いた表情から一変、今度は真剣な顔つきになったえっちゃんが、私の肩を強く揺する。
    「ううん、財前くんは昨日でテストは終わって、今日から夏休みだよ」
     第二外国語の発表が終わった日、二人で大学の近くにあるカフェに行った。夏休み前に会えるのはこれが最後になるかもしれないとそう思って、私から声をかけた。財前くんは甘いものが好きなようで、私と同じようにケーキセットを注文していた。その時に、テストのこととか、夏休みの予定を色々と聞いた。
    「なんだかんだで財前くんと上手くいってるよね、ハネザワ」
     えっちゃんが言うのに、「いまだに彼女がいるかどうかは聞けていないんだけどね」と苦笑いを浮かべる。二人きりでカフェに行ったのに、花火大会のことも、彼女のことも、何も言えず聞けずじまい。
    「まあ、そこは聞きづらさあるよね……って、あれ?財前くん、今日は休みって、じゃあ、どこで会うの?」
     えっちゃんが首を傾げる。
    「あ、えと、私のバイト先の近くで。というか、財前くんが住んでるのがその近くで、」
    「そうだったんだ、すごい偶然じゃん!てか、財前くんは家からわざわざ出てきてくれるってこと?」
    「来てくれるというより、私の押しかけというか……。二人で課題やってた時に財前くんからCDを借りたんだけど、それを返したいからって半ば無理やり呼び出しちゃって」
     本当に、無理やり。財前くんが私のバイト先の近くに住んでいることは知っていたから、アルバイトの時に返したいって、上手とは言えない理由を並べたメッセージを昨日の夜に送った。何度も作り直して読み直したメッセージの送信ボタンはなかなか押せなくて、押した瞬間、「どうしよう」と一人呟いた。ベッドに沈み込み、送ると同時に込み上げてきた後悔と緊張にじっと固まっていたら、手の中の携帯がぶるぶると震えた。
     夏休み終わってからでもええけど、ガッコ終わるの何時?
     送ってから一分くらいで届いた返信に大きく息を吐き出して、テストが終わる時間を送った。そこからは、二人で課題をしていた頃と同じテンポで、待ち合わせの時間も場所も決まっていった。財前くんは、こういったやりとりの返信が早い。
    「やっぱり、結構いい感じなんじゃないの?」
     綺麗にマニキュアが塗られた指先を顎に当てながら、えっちゃんが言うのに、「わかんない、彼女いるかもしれないし」と肩を落とす。
     花火大会に行きませんか?
     そう誘った時、財前くんはどんな顔をするのかな。困った顔をするのかな。
    「彼女なあ……、モテるんだろうけど」
     えっちゃんが難しい顔で唸っていると、その後ろから元気な声が聞こえてきた。
    「おつかれ!二人もこれでテスト終わり?」
     親しい様子でえっちゃんの肩に自らの両手を置く男の子と目が合って、軽く会釈する。
     同じ教室でテストを受けていた男の子、私はこれしか同じ授業を取っていないから、あまり面識がないけれども、えっちゃんはこの男の子と仲が良い。えっちゃんはテニスサークルと掛け持ちで広告研究会というサークルに入っていて、そこで出会ったと前に聞いた。
    「うわ、ビックリした」
     その肩をびくんと跳ねさせ、後ろを確認したえっちゃんが「脅かせないでよ」と文句を言うのに、その男の子は悪びれた様子もなく「ごめんごめん」と両手を顔の前で合わせた。
    「ところで、これから何人か誘って夏休み前の景気づけ行こうと思ってるんだけど二人もどう?」
     にこにこと笑顔のまま、私とえっちゃんの顔を交互に見つめてくる。
    「ああ、ハネザワは用事あるんだって。私は空いてるけど、誰が来るの?知らない人ばっかだったら行かない」
    「え、ハネザワさんはダメなの?」
     残念そうに眉根を下げる男の子に、「ごめんね」と謝る。
    「その態度はあからさま過ぎない?ハネザワ目当てなのがバレバレ」
     私も行くのやめようかな。そう言って白けた表情を作るえっちゃんに、男の子が「えっちゃんは行こうよ」と慌てた様子で取り繕う。すると、「あ、そういえば」と、えっちゃんが何か思い出したように口を開いた。
    「そういえば?」
     男の子が首を傾げる。
    「アンタ、簿記研究うんちゃらとサークル掛け持ちしてるよね、財前くんって知ってる?」
     えっちゃんが尋ねるのに、男の子の方を見る。そうだったんだ。少し、驚きながら。
    「ああ、財前?ざいぜんひかる?」
     男の子に聞かれて、えっちゃんと二人揃って頷く。
    「ハア、アイツもモテるなあ。昨日も同じこと聞かれた」
    「え、誰に?」
     えっちゃんが、すかさず聞き返す。
    「別の専門で同じ授業取ってる子たち。テストの打ち上げしようって誘ったら、簿記なんちゃらに入ってるんだよね?財前くんと知り合い?って」
     やっぱり、財前くんは人気があるんだ。
    「で、呼んだの?」
     面白くなさそうな様子で話す男の子に、えっちゃんが質問を重ねた。
    「一応呼んだよ、断られたけど」
    「なんで?」
     なんでかなって私の気持ちを代弁するみたく、えっちゃんが、その誘いを財前くんが断った理由を尋ねた。入学してから三か月の間に二度開催されたニガイの集まりにも二度とも参加していたし、サークルの人やバイト先の人との会合にもそこそこ顔を出しているような印象もある。財前くんは、多分、付き合いが悪いわけじゃないんだと思う。だから、その理由が気になった。
    「なんだっけか、そうだ、同居人が風邪引いてるっつってた」
    「同居人?そういやルームシェアしてるって言ってたっけ?」
     えっちゃんが私を見るのに、首を縦に振る。
     ユウジ先輩。
     まだ春の名残が色濃く残っていた時期に見た、財前くんの携帯の画面に表示された名前が、ふと頭に浮かんだ。ユウジ先輩という人が財前くんの同居人さんなのかは分からないけれども、その人からの電話を受けた時、財前くんの表情が柔いだことを思い出す。
     冴えない築二十年の冴えないマンションで男二人暮らしや。そう話していた顔が、もう懐かしい。
    「面倒見いいんだね、意外」
    「同居人という名の彼女じゃねーの?男の先輩と二人暮らしっつってるけど、彼女と同棲してる説もあるし」
     冗談めかして男の子が言う。
    「……わざわざ嘘吐く理由がないでしょ」
     そう返しながら、えっちゃんが私の方をチラと見る。私も、財前くんは意味のない嘘を吐くような人ではないと思う。でも、この男の子が言うように、何か事情があって、彼女と一緒に暮らしていることを隠したくて、みんなには男の先輩と暮らしていると言っているだけなのかもしれない。
     私が、まだ、それを知らないだけで。
    「ハネザワ、」
     そうとは気づかれぬよう、えっちゃんが私の腕を軽く揺すってくる。それに、大丈夫だよって答える代わりに、そっと頷いた。
    「そんで?財前がどうしたの?」
     男の子が首を傾げて聞いてくるのに、えっちゃんが「大体分かったから大丈夫」と、今日のテストのことを話し出して、それで、財前くんの話は終わった。




     



     太陽の光を燦燦と纏う夏の青空を見上げ、溜息を吐く。
     午後三時の駅前は夏休みを迎えた子供や学生たちの姿が普段よりも多くあった。
     財前くんとの待ち合わせ場所にした、バイト先の最寄駅。腕時計に目を落とせば、約束の時間まで十分くらいあった。南口改札と書かれた看板の前に立ち財前くんを待っていれば、手の中の携帯が不意に震えた。届いたのはえっちゃんからの「がんばれ!」のメッセージだった。 
    「うん、がんばる……」
     ここにいない友達からの励ましに、そっと決意する。
     教室での話もあって、昨日よりも気持ちはもっと臆病になっていた。花火大会に誘うのはやめておこうって、学校からここに来るまでの間に何度も何度も思った。
     でも。
     きっと、私は財前くんのことをこれからもずっと好きだから、いつかは彼の気持ちを知らないといけないし、それに、知りたいと思う。ちゃんと聞かなければ、一生わからない。
     携帯に目線を落とし、えっちゃんからのメッセージをもう一度読む。
    「ふう、」
     それに勇気をもらって前を向く。
    「ハネザワさん、」
     と、同時に、目の前に財前くんが現れたから、ビックリして、「わあ!」って声が出た。
    「そんな驚くような登場の仕方やなかったやろ」
     私の反応に、財前くんも驚いたように一瞬だけ目を丸くしたけど、すぐに、いつも通りのポーカーフェイスに戻った。
    「ごめんね、ちょっと考え事してたから」
     慌てて言い訳を口にすれば、財前くんは「驚き方おもろいな」と笑って言った。頬が、一気に熱くなる。それを隠そうと両手で頬を抑えたら、「誉め言葉やで」と財前くんが口の端を吊り上げる。
    「あ、あの、これを……」
     カバンの中から、財前くんから借りたCDが入った袋を取り出す。お礼のつもりで、小さなお菓子も袋の中に入れておいた。
    「お礼も入れてあるので、もしよかった食べてください。その、大したものじゃないけど」
     前に和菓子が好きだと話していたから、地元にある和菓子屋さんで探した一口サイズの羊羹を二つ。散々悩んで、小倉味と抹茶味を一つずつ買った。
    「ん?羊羹? そんな気いつかわんでもええのに」
     CDの袋の中を覗きながら、そこに入れておいた小さな羊羹に気づいた財前くんが言う。
    「小さいし、二つだし……、ほんのお礼です……、あ、でも、近所の和菓子屋さんの羊羹なんだけど、すっごく美味しいの。なので、よかったら同居している先輩さんと食べてください……」
     最後の方だけ、声が小さくなる。お礼なんて大げさだったかもしれない。一人、勝手に気まずくなって視線を落とす
    「……ほなら、有り難くいただきます」
     すると、財前くんが言った。その声に顔を上げると、優しく笑う顔があった。愛想はよくなくて、あんまり笑わない人だけど、笑った時の顔はとびきり素敵だった。意地悪な笑い方と、優しい笑い方。どっちも好きだなって思う。好きって気持ちが、その顔を見ただけで溢れ出す。
     こんな風に誰かのことを想うのは、その笑った顔を見るだけで気持ちが満たされるような恋は、今までしたことがなかった。この人のことが心から好きなんだと、顔を見るたび、声を聞くたび実感する。
    「まだ時間あるなら、なんか冷たいもんでも飲んでく?って、何か言おうとした?」
     バスロータリーの向こうに見える、チェーン展開している喫茶店の看板を指差しながら財前くんが言う。
    「え?あ、ううん、なんでもない」
     思いがけない言葉に、自分が言おうとしていたことが全部頭から飛んでいく。
    「わざわざ来てもらったし、なんか奢るわ」
     あと羊羹のお礼。そう言って財前くんがロータリーを囲う歩道を歩き出すのに、私も慌てて歩き出す。駅の庇から一歩外に出ただけで、強い日差しがジリジリと肌を焼く。
     カバンから日傘を出そうか迷ったけれども、結局それは取り出さず、財前くんの隣に並んだ。
    「今日、暑いね」
     一分も歩いていないのに、額に汗がじわりと滲む。
    「三十五度やって、今日の最高気温」
     そう返す財前くんのこめかみを汗が伝い落ちていくのが見えた。暑い中わざわざここまで来てくれたことを改めて実感して、嬉しい気持ちと申し訳ない気持ちが半分ずつ、心を埋めた。
    「っちゅーか、ここでよかった?」
     お店まであと十メートルほどの距離まで来たところで財前くんが聞いてくるのに、「うん」と大きく頷く。二人で課題をやっていた時は、キャンパスの近くにあるスターバックスで飲み物を買ったな。そんなことを思い出しながら、冷たい空気を漂わせるガラス扉の前に立つ。財前くんが、自動では開かないその扉をそっと押してくれた。
     時間帯の割に、店内には適度に空いていた。すぐに店員さんがやって来て、四人用のソファ席へと案内してくれた。
    「財前くんは、夏休みは大阪には帰らないんだよね」
     メニューを眺める財前くんに尋ねる。
     臆病な気持ちが邪魔をして、花火を見に行きませんか?と、すぐには言葉に出来なかった。
    「ん?」
     ドリンクのページをじっと眺めていた財前君が、チラと目線だけを上げた。
    「東京に、ずっといるのかなあと思って。旅行に行ったりしないの?」
    「うん、ずっとこっちやで。四月に出てきたばっかやし、大阪戻ってもやることないし、とりあえず金貯めたいからバイトめっちゃ入れた」
     お金を貯めて、来年から再来年か、イギリスに行きたいのだと、前に話してくれたことを思い出す。
    「そうだ、イギリス旅行に行くんだよね」
    「ま、来年になったら気ぃ変わっとるかもしれへんけど」
     財前くんが肩を竦めるのに、首を傾げる。
    「財前くんが?」
    「いや、あっちが」
     テーブルの上に置いた携帯電話を手に取りながら、財前くんが言う。
    「あっち?」
     反対側に、首を傾ける。
    「一緒に行く予定の人、同居人」
    「あ、同居人さんと行くんだ」
     彼女とか、恋人とか。何か探ろうという意図はなかったけれども、そういう答えが出てこなかったことにホッとする。
    「仲良しなんだね」
     私には、一緒に旅行に行けるほど親しい先輩はいないから、ちょっと羨ましいなって思う。財前くんは「仲良しっちゅーか」と、何か考えるよう視線を斜めに向けて「まあ仲良しやな」と、手に持っていた携帯電話を元の位置に置いた。財前くんと私の間に、聞いたことのないジャズが流れていく。
    「七月二十日って、バイト入ってる?」
     夏の午後の景色を映す窓を一度見て、それから財前くんに聞いた。
    「いや、その日は休み」
     財前くんの答えに、テーブルの下、スカートの布をぎゅっと握る。
    「じゃあ、あの、」
     あの、の後が続かない。言わないとと思うのに、言葉が詰まる。数秒か、数十秒か。しばらくの沈黙のあと、「あのさ、」と、先に口を開いたのは財前くんだった。
    「俺がルームシェアしてる人って中学の頃の先輩なんやけど、」
     財前くんは、どうして同居人さんのことを私に話そうとしているんだろう。何を、話そうとしているんだろう。そう思いながら、「うん」と頷く。

    「財前?!」

     それと同時、財前くんが話すのを遮るよう、後ろの席に案内されてきた人が、大きな声を上げた。ビックリして、思わず声がした方を振り向くと、綺麗に染められた金髪が印象的な背の高い男の人が立っていた。
    「あ……」
     金髪の人の、すぐ後ろに立っていた人と目が合う。財前くんと同じくらいの背格好をした男の人。ティーシャツと黒い細身のズボンという、ごく普通の、特に奇抜なところはないファッションなのに、センスがすごくいいことが分かる着こなしをするその人を、私は知っている。
    「ほんまに財前やん。ちょうどお前の話してて、」
     髪の毛の色と同じくらい明るい表情を財前くんに向けるその人が後ろをチラを見て、「なあ、ユウジ」と声をかけた。
     その名前に、ピンとくる。
     私は、その人の下の名前を知らなかった。一つ年上の、美大に通う、お洒落で、気さくで話しやすいバイト先の先輩。バイト先では常に苗字で呼ばれていたから、出勤表も名札も全て苗字で書いてあったから、名前を知る機会がなかった。

     一氏ユウジ。

     私はその時、一氏さんの名前を初めて知った。
    「一氏、さん?」
     驚きに、目を見開く。
    「え?知り合い?」
     金髪の人が一氏さんと私とを交互に見るのに、一氏さんが何も言わず頷いた。
     普段、あまり驚いた顔なんて見せない、財前くんとは少し種類が違うけど、感情が表情にあまり出るタイプではない一氏さんが、呆然と、そんな言葉が一番しっくりくるような表情でこちらを見ていた。
    「謙也さんと、ユウジ先輩」
     その視線の先。財前くんが、そこにいた。
    「……」
     目が合うと、一氏さんはすぐに視線を逸らした。それに、財前くんが小さく溜息を吐いたのが分かった。どこか動揺しているようにも見える一氏さんとは対照的に、財前くんは落ち着いていた。
    「え、もしかして、財前の彼女?」
     金髪の人、謙也さん、と呼ばれていた人が楽しげに、口元に手を遣りながら財前くんに尋ねる。その問いかけが恥ずかしくて、思わず俯いた。
    「……ちゃいます。同じガッコで、第二外国語のクラスが一緒のハネザワさん、貸してたCD届けに来てくれたんや」
     財前くんはと言えば、やっぱり普段通り。まるで動かず喋らずな一氏さんと、『謙也さん』という人に、私のことを紹介してくれた。
     赤くなった頬っぺたをそのままに顔を上げて、ペコリと頭を下げる。
    「おお、そうなんや。てっきり彼女かと……って、俺は忍足謙也って言うんや。財前は中学の頃にテニス部で一緒やったんや、俺らが先輩で、コイツが後輩」
     俺ら。と、呆然とした様子で後ろに立っている一氏さんを親指で指差して、忍足さんが言う。
    「ついでに言うと、俺の同居人の先輩っちゅーのが、この人、ヒトウジユウジ先輩」
     それに財前くんが、淡々と付け加えてくれた。
    「あ、はい、」
     気づいたばかりの事実を改めて話され、改めて実感する。一氏さんが、『ユウジ先輩』だったんだ。こんな近くにいたなんて。不思議な感覚だった。
    「……ユウジ先輩、帰る?」
     すると、私たちのやり取りを俯き黙ったまま聞いていた一氏さんに、財前くんが声をかけた。
    「帰る?なんで?」
     財前くんの問いかけの意味が分からなかったのは私だけではないようで、忍足さんも頭にハテナを浮かべていた。
    「あー……、ここんとこ調子悪いんすわ、この人」
     財前くんが言うのに、教室で交わした友人達との会話を思い出した。同居人が風邪を引いてるからと言って、飲み会を断った財前くんの話。パズルのピースのよう、聞いた話や起きた出来事が繋がっていく。
    「そうだったんですね……」
     そうだとすれば、財前くんが言う通り早く帰った方がいい。忍足さんも同じことを思ったみたいで、「ちゃんと医者とか行ったん?」と一氏さんの方を向いた。
    「……ハネザワさん、コイツと知り合いやった?」
     でも、一氏さんは財前くんや忍足さんの問いかけに答えることはせず、私に向かって口を開いた。その瞳には、「もしかして」という疑問の色が浮かんでいた。一氏さんには、何度も話したことがある、私の好きな人。
    「はい」
     財前くんが、あなたの後輩が、私の大好きな人です。そう答えるよう、ゆっくりとはっきりと頷いた。
    「そうなんや……」
     一氏さんの視線が、そっと、床に落ちていく。
    「んん?ユウジとハネザワさんも知り合いなんやろ?」
     忍足さんが首を傾げる。
    「はい、バイト先が同じなんです」
    「すごいなそれ、めっちゃ偶然やん」
     忍足さんが興奮した様子で言う。
    「……ユウジ先輩」
     中学時代の先輩と一緒に盛り上がろうという気はないようで、財前くんの意識はすぐに一氏さんへと戻っていった。
    「先輩、帰る?」
     それから、もう一度尋ねた。
    「なんで?」
     数秒の後、一氏さんが勢いよく顔を上げた。俯き黙り込んでいたとは思えないくらいに明るい表情だった。それは私がいつも見ている、『一氏さん』の顔だった。
    「……」
     なにかのスイッチが入ったかのよう、急に元気になった一氏さんに、財前くんは眉根を寄せた。
    「心配性やなあ、財前くん。俺めっちゃ元気やで。テストも終わったし、ストレスないし、具合悪くなる理由もないし」
    「ユウジ、ほんまかあ?」
     謙也さんが確認するのに、「ほんまやって、世間の狭さに驚いただけや」と顔の前でヒラヒラと手を振って応えている。
    「ユウジ先輩、」
    「ほな、邪魔してしもたな、俺らはこっちで飯食うから、どうぞごゆっくり」
     財前くんが再び声をかけるのを、まるで聞こえなかったかのよう、口早にそう言うと、一氏さんはとっとと座席に腰を落ち着けてしまった。
     一氏さんと、財前くんと、私と。三人を順番に見た謙也さんは、結局、一氏さんに合わせることを選んだようで、私と財前くんに「っちゅーわけで、今度ゆっくりな」とだけ、困ったような笑顔で言って、そのまま一氏さんの向かい側に座った。

    「ハア……」
     なんやねん。今度は、私にもはっきりと聞こえるよう、財前くんが溜息を吐いた。
    「財前くん……?」
    「ああ、ごめん。気にせんといて。注文、決まった?」
    「……うん、決まってるよ」
     そう答えると、財前くんはテーブルに設置されていた呼出ボタンを押した。
    「一氏さん、まだ体調悪いの?」
     心配になって、財前くんに尋ねる。
    「……ええんとちゃう?知らんけど」
     そう続ける財前くんの口調の、そこに滲む呆れは、これまで聞いたことがない類のものだった。
    「そっか」
     本当に大丈夫?とか、一緒に帰った方がいいんじゃない?とか。私が口を出す話じゃない気がして、もうそれ以上は何も言わなかった。
    「お待たせしました、ご注文はお決まりでしょうか?」
     店員の人が席までやって来る。財前くんが「どれ?」と聞いてくるのに、オーダー用の機械を持った店員さんに冷たいロイヤルミルクティーを注文した。
    「俺はアイスのカフェオレを」
     財前くんが注文をする後ろから、忍足さんの話し声だけが聞こえてくる。一氏さんの声は、ほとんど聞こえてこない。二人の会話を覆うよう、聞き心地のいいジャズが耳を撫でていった。「かしこまりました」と、丁寧なお辞儀をして去っていく店員さんの背中を見つめたまま、無意識に一氏さんの声を探してしまう。
     帰り道、私の話を沢山聞いてくれた。がんばりやって、応援してくれた。その時の、一氏さんの声が頭の中で蘇る。それに背中を押されるよう、口を開く。

     財前くんは、好きな人がいますか?

     もし、いなかったら。
     七月二十日、私と花火を見に行きませんか?


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    2019/09/16 22:48:06

    財ユウ+女子 「財前くんは 5」

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    財前くんに恋する女の子とユウジ先輩と付き合っている財前くんのお話。

    #財ユウ

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