【始春】いつもと同じように 大晦日、年内最後の音楽番組の出演が終わった。
最低限の身支度を整えて慌ただしく会場から寮へと戻るべく車に乗り込む。
懸念していた渋滞につかまることもなくほぼ予定通りに到着した。
全員で「おやすみなさい」と「良いお年を」と挨拶を交わす。
明日も生放送の出演を控えているメンバーは早々に部屋へと戻っていき、余裕がある者は共有ルームへと集まったまま。
賑やかな共有ルームを抜けて自室へ向かおうとした始に、春が鞄を手渡した。
朝、出がけに準備しておいた鞄をいつの間にか持ってきている春に苦笑する。
「そこまで急いでいるわけじゃないんだが」
「明日から別の忙しさが待っているんだから、少しでも早いほうがいいでしょ」
これから実家に戻らなくてはならない始の都合にあわせてメイクも落とさず、髪もセットしたままで戻ってきたのだから言い返せない。
受け取る始に、下まで見送るよと春が歩き出す。
「それじゃあ、また後でね、始。良いお年を」
隼がこたつの中から手を振った。
今年は招かれる側だからゆっくりでいいというのもあるが、春ひとりに見送りさせようという気遣いなのだろう。
小さく頷き、共有ルームに残った面々と言葉を交わした始はドアを開けて待つ春を追った。
「お迎えはもう来てるよ」
「……なんでおまえに連絡がいくんだ……」
「始が逃げる可能性は潰したいからじゃないかな」
スマートフォンを揺らす春に始は渋面を作る。
「ちゃんと出ているだろ」
「ここしばらくはね。数年おとなしくしていたから今年あたりからあやしいっておばさんは思っているんじゃない?」
笑う春の背中を叩くのと1階に降りたのは同時だった。
「痛い!」
「じゃあな」
「はい、いってらっしゃい」
見送る春の声はやわらかい。
数年前までは今生の別れのような顔をしていたくせに、いまやすっかり落ち着いている。
「二日の夕方には帰る」
「了解です。俺もそれくらいには帰ってくるよ」
帰る場所はここなのだと、お互いに理解しあっているから、始も春も安心できるのだ。
視線と指先だけを交わらせ、寮の前で待つ車に始は乗り込む。
「良いお年を」
「始も、良いお年を。おじさんとおばさんによろしくね」
「ああ。そっちもな」
手を振り、車が動き出す。
車が道を曲がるまで春は手を振り続けてくれていた。