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    月の晩には二人で歩く 私は戦争に参加していた。最終的に我が国が敗けたらしい。何故伝聞なのかといえば、それは私が終戦を前に死んだからだ。
     同胞達が死んだ異国の戦場で、私もまた、死んだ。……頭を撃ち抜かれたのだ、普通なら即死である。助かる筈が無い。
     だが、私は死に損なった。奇跡的に一命を取り留めた訳では無い。私の左胸からはまるで鼓動が感じられなくなっていた。……私は、死んでいたのだ。
     頭を撃ち抜かれ鼓動が停止してもなお、私は立ち、考えていた。
     共に戦った同胞達が折り重なるように倒れ、敵は引き上げ、動く者の居ない戦場で私は立ち尽くし――何故私が死ねなかったのかを考える。
     ――そう、私は死んではならないのだ。私はこの戦場から帰って、生きて帰って、あの子の元に……。
     そして私は歩き出した。死体を踏み分け、たった一人で歩き出した。


      *  *  *


     それから私が国に帰るまで、五年の歳月を要した。国に着く頃には私の身体は腐敗し、最早人とはかけ離れた姿となっていた。
     あの子をこの腕に抱きたくて、抱き締めたくて――ただそれだけを想ってあの戦場から帰って来たのに。嗚呼、骨が剥き出しになったこの腕では、肉が腐り落ち肋骨がのぞくこの胸では、あの子を抱けない……。


     ――戦争は終わったのだ。
     人々は長きに渡った戦争の終結を受け入れ、傷痕を抱えながら暮らしていた。時が移り行くにつれ傷痕は塞がり、痛み――悼み――は麻痺する。
     あの子もそうだろう。戦で親を失った子供の大半がそうであるようにあの子も、傷を忘れ何事も無く日々を過ごしている……べきなのに。
     腐り果てた己の姿を晒す勇気が無くこっそりあの子の様子を窺う私の目の前で、許し難い行為が始まるなんて。
    「…………」
     あの子は美しく成長していた。艶やかな黒髪は肩の辺りまで真っ直ぐに伸びて、未だ幼げな顔立ちによく似合っていた。
     紅い着物に青い帯、華やかな蝶々のような格好を眺めているだけで私は満足だった。ただ、それだけで。
     だが。
    「……おじさま」
     あの男――終戦直後に死んだ母親の再婚相手――の事をあの子はそう呼んでいた。けれどそれは親しみを込めたものでは無く、何処か他人行儀で冷たい響きを含んでいた。
     一方あの男は妙にあの子に馴れ馴れしく、何かにつけあの子にまとわりついていた。
     その日は、あの男の目が妙な熱をおびていて……嫌な予感がしていたのだ。
    「那美」
     突然、あの男があの子を抱きすくめていた。その息は乱れ、瞳は潤み……私はその意味に気付いてしまった。
    「おじさま、あの、離してください」
     あの子はまだ幼くてその意味もわからずにやんわりと抵抗するのだが、その程度で男が止まるわけも無く、寧ろ煽られるばかり。
     着物の帯を緩められ、裾を割り開かれて漸く今の状況を理解したのか、あの子の抵抗が激しくなった。
    「おじさま、やめてください!」
     足をばたつかせても、両腕を精一杯突っ張っても、あの男は怯まないばかりかいやらしい笑みを唇に乗せあの子に言い放った。
    「あんな子持ちで身体も弱い女をわざわざ嫁にするなんて、不思議に思わなかったのか? ……拒んでも構わないがな、そうしたらお前は路頭に迷う羽目になるぞ」
     ことり、とあの子の手が縁側に落ちた。身体から力が抜け、その顔からは急速に表情が失われてゆく。
     ――そこからの記憶は、私には無い。
     我に返った時には、血で真っ赤に染まったあの男が目の前に倒れていた。私の右手には抜き身のサーベルが握られており、その刀身は血で濡れていた。
     その隣には、やはり血に染まったあの子。外傷は無く、その着物や肌を汚しているのはあの男の血だろう。それが無性に腹立たしかった。
     あの子は悲鳴ひとつあげなかった。否、あげられなかった、と言うのが正しいか。何せ、母親の再婚相手に襲われかけたと思ったら、その相手を突如現れた化け物――身体の一部が腐り落ち白骨の露出した、軍服を着た人型――が斬り殺したのだ。動転しない方がおかしい。
     何も言わずにその場を立ち去ろうとした私の懐から、ひらりと一枚の紙が落ちた。それは私にとってかけがえの無い宝物、戦場へ赴く前に撮られたあの子の写真。まだあどけない表情の童女が笑う姿……。
     その写真は私が拾い上げるより先に、あの子の手の中に移動した。あの子はまじまじと写真を見つめ、それから私を見つめて、唇を開いた。
    「……とうさま?」
     ――その言葉を聞いた瞬間、私は動けなくなった。胸が、もう動いていない筈の心臓が、締め付けられる。
     いっそ化け物と罵られた方が、人殺しと責められた方が楽だったかもしれない。あの子があんなに優しい声で、慈しみさえ込めて私を「父」と呼ぶから……私は。
    「那美……!」
     次の瞬間、私はあの子を抱き上げ、その場から逃げ出していた。


     ――頭がくらくらと煮立てられているように眩暈がした。止まった筈の心臓が跳ねるような気がした。
     剥き出しになった骨がその白い肌を傷付けないよう慎重に、けれど私の腕の中から逃れないよう確りとあの子を抱き締めて……はたと私の頭が冷える。
     ――私とあの男と、何が違うのだろう。未だ幼く、抵抗の仕方も知らない娘を一方的にかどわかすという意味では、私もあの男と同類ではないだろうか。
     何より私は……腐れた化け物なのだ。こんな私と共に居た所で、あの子は幸せにはなれまい。
     漸く己の領分をわきまえた私は、腕から力を抜き、あの子を地面に下ろした。その頭を撫でようとして、骨が露出し血まみれの手が目に入って止めた。
     そして今度こそあの子を置いてその場を去ろうとした私を引き留めたのは、他ならぬあの子の声だった。
    「いかないで、とうさま。……私もつれていって」
     その言葉にやっとの思いで返した私の声は、喉まで腐れたか、醜くかすれて。
    「……今の私は化け物だ、お前と共には居られない」
     己の言葉が己自身を切り裂く。熱を失った身体が、その身体の所々からのぞく骨が、いやがおうにも私を化け物だと証明しているのに……私は未だ「ひと」で在りたかったのだ。
     ――抱き締めてほしかった。愛してほしかった。この腐った身体を、摂理に反した私という存在を、肯定してほしかった。
     そして何より――愛したかった。
     だから。
    「とうさまは化け物かもしれないけれど、とうさま……私はとうさまといっしょがいい」
     あの子がそう言って私の手を――白骨の露出した手を――そっと掴んだ時、私は泣き出しそうになったのだ。愛しい存在が己を否定しなかった安堵と、喜びとで。
     ――じくじくとうずく胸の奥の痛みには気付かないふりをして。
     私は、あの子と――那美と共に在る事を、決めた。


      *  *  *


    「曽根崎、何を見ているんだ?」
    「ああ藤田か、娘の写真だよ。……可愛いだろう?」
     あどけなく笑う童女の写真。それを見た瞬間己の身体に走ったものを、私はうまく説明出来ない。
     ――歯噛みしたくなるようなそれは確かに嫉妬だったが、己には居ない妻子が……家族が居る者に対する嫉妬ではないように思えた。私が羨んだのは、私が欲しかったのは、家族ではなく――写真の中で笑う娘、ただひとりだったのだ。
    「もし俺に何かあったら……藤田、娘となずなの事を頼む」
    「何を言って……俺たちは勝って、生き残って国に帰るんだ」
     曽根崎は頭の良い奴だったから、この戦争が負け戦になる事を予期していたのだろう。一方の私は愚かで、己らが勝つ事を疑ってもいなかった。
     そんな私に笑ってみせた曽根崎の顔に、血まみれの断末魔が重なる。
     ――違う。これは夢だ。私は……。


     第六小隊所属、曽根崎達海(ソネザキタツミ)。同じく、藤田正哉(フジタマサヤ)。両名とも大陸にて戦死。
     曽根崎は背中に銃痕のある遺体を戦場にて発見、藤田は遺体が発見されなかったものの状況から戦死と判断。
     以上をもって、第六小隊は全滅と断定――


      *  *  *


     月夜に佇むのは幼い少女。蝶々のような紅い着物を身に纏う、艶やかな黒髪の少女。
     その傍らに佇むのは若い男。薄汚れた軍服を身に纏い、腰にサーベルを下げた男。
     ひとりは生者、ひとりは死者。あいいれぬ存在である筈のふたりは、寄り添い歩く。互いに秘密を抱えたままに。いつ崩れるかも知れない崖の縁を――ただただ、ふたりで。
    新矢 晋 Link Message Mute
    2020/06/24 0:20:01

    月の晩には二人で歩く

    #小説 #オリジナル #ファンタジー
    なんちゃって戦後日本ファンタジー。
    ゾンビと少女。

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