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    S05【異端教団調査要請】クレイン編◆発端◆潜入◆捜索◆救出◆エピローグ◆発端
    こちらの作品を踏まえて

     情勢が不安定になればひとの心は拠り所を求める。それは既存の宗教かもしれないし、愛する誰かかもしれないし、……反社会的だが(だからこそ)魅力的な誘惑かもしれない。
     以前からその兆候はあった。天使が降臨してなお王国は救われぬままで、あまつさえとどめを刺そうとしているのかと疑いたくなるような事件も続いている。不満が、疑念が、恐怖が、救いを求める切実な想いが信仰を生むなら、「それ」が発生したのはごく自然な流れであった。
     ひっそりとそれを信じるだけなら見逃されていたかもしれない。王国民を保護し、悪魔を撃退することに比べれば、それへの対処の優先順位はけして高くはないのだから。だが、実害が出ているとなれば話は別である。また、悪魔とは違って人間は人間だけでも対処できる。潰せそうな病巣から先に潰すのは当然だとも言えた。
     ……クレイン・オールドマンはそう己に言い聞かせ、静かに頭を垂れ伝令の言葉を聞いていた。
    「“ラヴェンダーの涙”の増長が目に余る規模になってきています。彼奴らが何を目的とし、どういった内情の組織なのか調査、その結果如何によっては制圧ないし粛正も辞さないという方針が決定しました。……ファーザー・オールドマンにはこちらで確認された拠点とおぼしきものの調査を担当して頂きたいとのこと」
     差し出された資料を受け取りざっと目を通した後、クレインは頷く。
    「承ったとお伝えしてくれ」
     その後いくらかクレインとやりとりをした後、伝令の少年は休憩もそこそこに馬へと跨がり次の教会へと向かった。伝令ひとつとっても人手不足は深刻であり、一人あたりの担当教会はかなり多いのだ。
     伝令を見送った後、クレインは改めて受け取った資料を読み込み始めた。確認された場所は東区。組織の本拠地は北区とされているから、恐らく末端の支部か何かだろう。謎の建造物とその周辺で怪しげな儀式を行っている集団が目撃されたとのことである。クレイン・オールドマン神父においてはそれらの調査、場合により制圧を行えとのこと。……クレイン向きの仕事である。人間なら人間にも始末出来るのだ。
     ――しかし、東区か、とクレインはぼんやりと憂鬱なような不安なような気持ちになっていた。
     “ラヴェンダーの涙”は悪魔ばかりか天使まで敵視し、贄として捧げているとの報告があがっている。悪魔はさておき、天使は大抵天界にいる筈だからそうそう捕まりはしない筈である、……地上に入り浸っている人間好きの天使か、あるいは、地上で暮らしているような物好きの天使でなければ。そしてクレインは、その物好きをよく知っている。
     任務のついでに顔を出しておこう、その時にしばらく用心するようにと伝えれば良い、と考えたクレインは慣れた様子で旅支度を始めた。


     東区の片隅にある小さな靴工房。その前に立った瞬間、クレインは何故か違和感を覚えたが、その理由を考えるより先に扉に手をかけていた。
    「こんにちは、……チュス?」
     工房に足を踏み入れたクレインはいつもなら迎えてくれる声がしないことに違和感を覚えながら奥の作業部屋を覗き込み、そして、目を細めた。
     机の上に乱雑に散らばった革の端切れや、木型。槌に至っては床に転がっていた。視線の角度を変えて部屋を見渡すべくしゃがみこんだクレインは、ほとんど感情の見えない表情でなにかを考えている。
     ……この工房の主は真っ当な職人である。作業場は一見散らかっているように見えてもきちんと道具や材料は整頓されており、片付けもせず出かけるなどということは考えづらい。なにかが起きたのだと推測は出来るが、最悪の事態を想定するにはまだ材料が不足している。
     ふと、床板の隙間で何かがきらりと光ったのをクレインは見た。引っ張り出してみると、それは聖母の姿を刻んだとおぼしきメダイユであった。何かの拍子にちぎれたらしく、短い紐が結わえ付けられている。刻まれている祈るような横顔は、涙をこぼしているように見えた。
     指の腹で確かめるようにその彫刻を丁寧に撫でたクレインは、最悪の事態が這い寄る足音が聞こえるような心持ちになりながら立ち上がった。正確には、「立ち上がろうとした」。
    「ッ!」
     足に鈍痛が走り思わず膝が折れる。痛みは一瞬で消えたが、そろりと靴の上から足を撫でたクレインの顔からさあっと血の気が引いていった。
    「うそだろう、……そんな」
     クレインとチュスの間では、ごくまれにではあるが聖痕を介して感覚の共有がなされることがあった。大抵の場合それはどちらかが怪我をしたり病に倒れたりなどといった「よくない」出来事が起こったときであり、つまりは、今の痛みはチュスになにか危害が加えられた証拠である。
     ……そう、工房の主であるチュス・レオーネは一見ごく普通の中年男性だが実のところは天使であり、クレインに加護を与えている存在なのだ。
     今このタイミングで天使が一柱姿を消し、現場には涙を流す聖母のメダイユが残され、更にはその天使に何らかの危害が加えられている。最悪の事態を想定するのに十分すぎる材料が揃ってしまった。
     クレインは色を失った顔のまま立ち上がると、囁くように祈りの文句を呟いた。





    ◆潜入
    こちらの作品をふまえて

    「常に正しいおこないをするようにと教えられてきました。正しくないものを裁いてきました。悪魔どころか、きょうだいたちに剣を向けたこともある」
     司祭は黙って男の震える声を聞いていた。長身の、数多の戦場を経験してきたであろう体躯の男である。しかしその体は今はいくらか小さく見え、暗い緑色の目は涙に濡れているようだった。
    「……もう疲れました。俺のような血に汚れた男でも、聖母様は許して下さるでしょうか」
     両手を組み祈るように頭を垂れた男へ、司祭は穏やかな笑みを浮かべた。
    「聖母様はわれわれすべてをあまねくお救いになります。きょうだいよ、私たちは貴方を歓迎します」


     クレインはそっと溜め息を吐いた。先を歩く青年が振り返ったのに、困ったような笑みを返す。……「戦うことに疲れた元武闘派神父」。それが今のクレインの肩書きである。
     “ラヴェンダ─の涙”の拠点のひとつに潜入することに成功したクレインは、案内役の青年に連れられながら建物の内部を歩いていた。思いのほか規模は大きく、“黒聖母”に希望を見出した人々の数──つまるところ人々の抱いてきた絶望の数──を思うと憂鬱になったクレインはまた漏れそうになった溜め息を飲み込んだ。
    「人も多いですから、無理せず少しずつ馴染んでいってください」
     人好きのする笑顔の青年は少し会話しただけでも聡明さがうかがえたし、落ち着いた好青年に見えた。クレインの目は加護によって強化されており、その観察眼に誤りはない。しかしこの青年もここにいる他の人々と同じく、主の光に背を向け別のものを信じている異端者なのだ。
    「ああ、ありがとう。……そうだ、少し気になるものがさっきあったんだが、いいか?」
    「何ですか?」
     青年を連れて廊下を引き返し、ちょうど人気の途絶えた通路へ入る。少しの後、そこから一人だけが帰ってきた。
     青年、ではなく、青年の服──教団員が揃って着ている外套である──を着たクレインである。そのまま堂々とした態度で廊下を進み、すれ違った相手にも軽く会釈をするが特に不審に思われる様子もない。……規模の大きさが仇となっている、所属する人々全員が顔見知りというわけではないのだ。
     異端と言えど宗教施設であることに変わりはなく、空気自体は普通の教会と変わらない。人々が暗い顔でおかしな呪文を呟いていたりもしないし、泣き叫ぶ声が聞こえてきたりもしない。ただ内装のところどころにおかしな点があったり、信仰について問答する人々の交わしている言葉の内容がクレインにとっては大分耳障りだったりするだけだ。
     ──しかし、とクレインは思考する。
     “ラヴェンダ─の涙”が天使や悪魔を贄としているという情報は確かなものだ。となれば、どこかにそれを可能とする何かがある筈である。ひとならざるものを拘束することを可能にする何かが。施設か、道具か、魔術か……あるいはもっと別の。
     怪しまれない程度に建物内を見回るのにはどうしても時間がかかる。クレインの頭の中に出来上がった図面は少しずつ塗り潰され、調べていない場所は減っていくが手がかりは見付からない。ただでさえ工房からここへの移動で時間を食ったというのに、と焦り始めたクレインは、ふと何か違和感を覚えた気がして拠点の隅にある物置で足を止めた。周囲に人気が無いことを確認してから床に手を這わせ、顔を近付ける。
     不自然な埃の途切れがあった。その周辺を注視したクレインは、ノックするように軽く床を叩いた。その叩く位置を少しずつずらし、そして、響きが変わったところで思い切り床を「押し込んだ」。
     そのまま横へスライドさせると、下へ向かう階段が現れる。淀んだ冷たい空気を感じ、クレインは物置に置かれていたランプに火を灯してから慎重に足を進めた。
     この先にあるのが酒の貯蔵庫などであれば何の問題も無い。だがそんな展開にはなるはずも無く、嫌な予感がしたクレインは少し急な階段を降りきったところでランプの火をぎりぎりまで絞った。そしてそっとその空間に足を踏み入れ、光の差さない闇に満たされた場所で何かが動いたのを見た。
     慎重にランプを差し出しその空間を照らしたクレインは、ちらりと見えたものに眉を寄せて一歩近付いた。闇にあってなお白い、翼。
    「! なんてことを! 失礼、今お外しします」
     小走りにそれへ駆け寄ったクレインは、懐からいくつかの工具を取り出した。翼を傷つけぬよう慎重に道具を捩じ込みながら口を開く。
    「火急の事態ですのでこのまま失礼します。……天使様、貴方の他にここへ捕らわれている天使様はいらっしゃいますか?」
    「ああ、いるようだ」
     少し声は掠れていたが存外しっかりとした口調で答えたのは、大きな翼を物々しい拘束具に封じられ、両手を鎖で壁に縫い止められた天使であった。顔の半分ほどを痛々しい傷跡が覆っていたが、それでも穢れぬ誇り高く神聖な姿。光輪のひかりが少し弱々しいのは光力が不足しているからだろうか。
    「では、その、翼が互い違いに生えている天使をご覧になりませんでしたか。あまり天使らしからぬ風貌の……ごく普通の人間の中年男性のような姿をしているのですが」
    「……直接見たわけではないが、あまり光力の強くない、前身は恐らく人間だろう天使の気配がした。ここの人間たちは明日の儀式に使うだの何だのと言っていたが」
     外れた枷が床に落ちて大きな音をたてぬよう受け止めながら、クレインは細く息を吐いた。
    「そうですか……、……外れました、どうぞ」
     天使はゆっくりと翼を伸ばすと、一、二度羽ばたかせてから折り畳んだ。それからクレインを見る眼差しからはまだ警戒の色が拭い切れていない。
    「……感謝する。が、お前は何者だ。ここの人間ではないのか」
    「私が信じるのは天の主ただ一人です。……少しばかり事情があってここへ来たのです、私の……私に加護を与えて下さった天使様が攫われた可能性が高くて、」
     説明をしようとしたクレインの言葉が途切れる。階段を降りてくる足音が聞こえたのだ。数はひとつ、安定していて乱れは無く、異変に気付いた者が見に来たというわけではなさそうだった。クレインはそっとランプを床に置き、身構えた。そして。
    「……ん? おいお前、何をしている!?」
     現れた男が驚愕から立ち直るより前に組み付き、首を締め上げ意識を奪い取る。だらりと力の抜けた相手の体を腕の中に抱えたまま、クレインは静かに祈りの文句を呟いた。
    「主よ、お恵みに感謝します」
     それから彼は、天使の方を見て僅かに笑ったようだった。
    「天使様、翼をおしまいになることは可能ですか? ……主が服を届けて下さいましたよ」





    ◆捜索
     告死天使。死神。人の魂が迷わず旅立てるように導く案内人。彼らが今までとは比べものにならないペースで大量の王国民を死へ導きに来た時期があったことは記憶にも新しい。あれ以来──もしかするともっと昔から──聖職者であるにもかかわらず天使や天界を信用することの出来なくなった人間の数が増えている。
     信仰を捨てる者、別の信仰に目覚める者、あるいはもっと罪深い所業に手を染める者……人間は苦悩せずにはいられない生き物であり、常に前へ進むことだけを選び取れる者はそういない。
     ……クレイン・オールドマンが「そう」か「そうでない」かは、彼自身ですら知らない。


     想像よりも長期間教団に拿捕されていたらしいグレティヴィに最近の王国の情勢を説明していたクレインは、その天使の目線がふわりと自分から逸れ周囲を見回したことに気付いて説明を中断した。
    「……歌が聞こえる」
    「歌?」
     そして不意に呟いたのへ、怪訝そうな眼差しを向ける。
    「賛美歌だろうか……だがどこか、不安になるような……」
    「私には聞こえませんが……」
     少しの間二人は耳を澄ませたが、グレティヴィが聞いたという歌が再び聞こえることはなかった。
     ……教団員から剥ぎ取った衣装で変装したクレインとグレティヴィの二人はまだ教団の拠点内にいた。彼が人間並みに能力を減衰させていることに気付いたクレインはその活力源について問うたが、彼の活力源は聖歌や祈りなどのクレインにも生み出せるものではなく、自然の営み……星のかそけき光である。日は傾き始めてはいるが一番星にはまだ早く、現状ではグレティヴィが活力を得ることは出来ない。それもあってクレインはグレティヴィを守るべき存在として認識し、天使に助力を請うというよりは、自分が天使を守る盾になるという心積もりであった。
     着慣れないであろうカソックの裾を足に絡ませそうにしながら歩くグレティヴィの足取りは遅れがちで、クレインは慎重に彼の様子を気にかけながら廊下を歩いていた。自分よりも大分小柄の彼を気遣い、その歩みは常よりも遅い。
     しらみ潰しに拠点内を調べて回るのには限界がある。クレインは対人調査に方針を切り替えることにし、グレティヴィはクレインの弟ということになった。「引っ込み思案で人見知りの弟」であり「聖職者見習い」。小柄で顔に傷を負っているというのもあってその配役は自然に機能した。そうして基本的に会話はクレインが引き受け、グレティヴィは後ろで俯き加減に佇んでいた。
     クレインは教団員らと言葉を交わし、そしてその「善良」さに気鬱になった。彼らは本当にありふれた人間で、ここはただ救いを求める迷い子の群れなのだ。群れの仲間──この場合は人間──の幸福のために群れ以外のもの──悪魔や天使──を犠牲にしているだけで、彼ら一人一人の性質はけして邪悪ではない。怯え迷う群れが外敵に攻撃的になることを誰が責められるだろう。
     だが、邪悪でないからといって見過ごすわけにもいかない。また、彼らがまた正しい道に戻るよう導く時間もない。
     ──最善を行うことが出来ず、妥協によって剣を取ることは、この世界ではひどくありふれている。俺は何度もそうしてきた。
    「……何をしているんだ?」
     机の上に燭台や杯を並べてひとつひとつ磨いている教団員を見かけたクレインは、思考を一時中断して声をかけた。教団員は見慣れない顔にきょとんとしたが、今日来たばかりなのだと説明すると納得した様子で机の上の道具たちを示した。
    「今夜儀式があるんだよ。以前捕まえた天使は弱らせるのに時間がかかってるんだけど、今回は力の弱い天使を確保出来たからすぐ使えるらしい」
     クレインが小さく息を飲んだのに気付いたのは、隣にいたグレティヴィだけだった。そっと横目に見上げた先のクレインの表情が──愛想笑いを浮かべたまま一瞬固まったそれが──何を意味するものか、判断に迷う。
    「そうか……その儀式というのは俺でも参加できるのかな?」
    「どうだろう、参列するだけなら誰でもできるけど、実際儀式に携わるのはベテランの人が中心だから……」
     司祭様に聞いてみようか、と申し出た教団員に、自分で聞くよ、とクレインは答えた。……そして、そっとグレティヴィに目配せをした。


    「……恐らく今夜の儀式に出されるのが私の探している天使かと」
     人気の無い場所へ移動し、ひそやかに話すクレインとグレティヴィ。表情は硬く、空気はひりひりと痺れるよう。
    「儀式が始まる前に救出しないと……思ったより時間制限が厳しいですね……」
    「自力での脱出は?」
    「正直期待できませんね、彼は天使とはいえ身体能力自体はごく一般的な人間と変わりませんし……飛ぶこともできません」
     クレインは長く息を吐きながら大きな手で顔を覆う。少しの間そのまま動きを止めて、それから前髪をかきあげるように手を後ろへ滑らせた。
    「……グレティヴィ様」
     囁くように出された静かな声は少し掠れていた。明るく輝く若緑色の目がクレインを見上げ、それを見返す目は暗い深緑。
    「今日一日だけでいい。……私にご助力頂けますか」
     その言葉は祈りに似ていた。
     それが善き祈りであるならば、グレティヴィの答えは決まっていた。
    「クレイン・オールドマン、その祈りは確かに聞き届けた。お前の加護天使を助け出すまでは、この天使グレティヴィがお前を守護しよう」





    ◆救出
    こちらと こちらの作品をふまえて

     作戦の打ち合わせを終え、儀式についての情報収集を再開したクレインとグレティヴィ。廊下を移動中の二人の耳に、軽い足音が慌ただしく近付いてくるのが聞こえた。
    「ままぁ!」
     今にも泣き出しそうな子供の声が響き、振り返ったクレインの足元に小さな何かが体当たりしてくる。そしてそのまましがみつきぴぃぴぃと泣き出したそれは、幼い子供だった。
    「……クレイン、お前は女だったのですか」
    「えっ、いや、男ですよ!?」
     戸惑いながらもしゃがみこんでその子供と目を合わせたクレインは、濡れたバーミリオンの輝きに「彼」の面影を見て息を飲んだ。優しくその髪を撫でながら、そっと背後のグレティヴィに囁く。
    「人間の子供に見えますか」
    「いや、……どちらかといえば天使に近い」
     鳥の羽根から作ったようなふわふわの服を着ているその子供の黒い髪は、一部がぴょこりと跳ねておりそこだけが白い。大きな目一杯に涙を溜めたままクレインを見つめてしゃくりあげながら、まま、と繰り返す。
    「お前……もしかして、フィーか?」
    「ん」
     すん、と鼻を啜ってから頷いた子供の頬を指で拭い、その目を覗き込む。深いバーミリオンの瞳は「彼」のものだ。
    「ママいたの? よかっ……ママ……?」
     そこへ子供を追ってきた青年が、クレインを見て困惑したような顔をする。子供を抱き上げながらクレインは苦笑してみせる。
    「この子、気に入った大人は性別問わず『ママ』って呼ぶんだよ。君が見付けてくれたのか?」
    「ああ、うん、迷ってたから。……ママ見付かってよかったね、またね」
     笑顔で手を振ってから立ち去った青年を見送り、ようやく涙の乾いた子供を床に下ろしてからクレインは静かに訊ねた。
    「チュスは、……パパはどうした」
    「パパいたいいたいされて、動けなくなっちゃった……」
     さっとクレインの顔色が変わる。大きな手が子供の肩を掴んだ。
    「怪我をしてるのか!? どれくらいの怪我だ、出血は? 位置は? 頭をぶつけたり骨を折られたりは……!?」
    「ふえ……」
     びく、と肩を跳ねさせてみるみるうちに目に涙を浮かべた子供の姿を見かねて、グレティヴィがクレインを制止する。
    「落ち着きなさい。それでは聞き出せる情報も聞き出せないでしょう」
     グレティヴィが子供に視線を向けると、慣れない人間──天使だが──相手に怯えているのか身を縮めたが、本能的に同質のものであるというのはわかっているのか逃げ出したり泣き出す様子はない。
    「……その目は天使の持ち物ですね? お前の主もこれを見ているのではないですか」
     きょとんと瞬きをした後、子供はもじもじと手遊びをしながら消え入りそうな声で話し始めた。
    「パパも見てる……けど、さっきびりってしたから見てないかも……」
    「……それはどういう?」
    「わかんない……こわいおじさんが、ほんとはこわくなくて、パパのこときれいにしたの。それからどっか行っちゃった……」
     グレティヴィとクレインは顔を見合わせ、それから少し落ち着いたクレインが子供の頭を撫でた。
    「……とにかくパパは無事なんだな」
    「うん……」
    「大丈夫だ、俺たちがちゃんとパパを助けるから」
    「……うん!」
     ようやくほっとした様子で表情を明るくした子供は小さな両手を伸ばして、だっこ!とねだる。苦笑しながらそれを受け入れたクレインを、グレティヴィは少し首を傾げながら見ていた。
    「……パパと、ママ?」
     不思議そうに呟かれた言葉に、クレインは慌てて言い訳を始めた。


     ……日が暮れる。天使を聖母に捧げるという儀式が始まろうとしている。礼拝堂のような部屋には教団員が整列し、しんと静かで張り詰めた空気が流れている。
     儀式への参列は叶ったが直接儀式に関わることは出来なかった。昨日今日来たばかりの人間を宗教的に重要な意味を持つ手続きへ参加させることは考えづらいため、おおむね想定通りである。
     黒衣をまとった聖母像と祭壇、その手前に寝台のようなものがあり、そこに経帷子を着せられた男が横たわっている。意識があるかどうかはクレインのいる位置からは確認できないが、ちらりと見えた顔は探し人のそれに間違いない。クレインは足のつま先で地面を叩き、右手方向を見た。少し離れた場所にいたグレティヴィと目が合う。
     ──間違いありません。
     軽く頷けば意図は伝わったらしく、相手も頷き返す。それを確認してから、クレインは不安げに己を見上げている子供の頭を撫でた後するりと人々の中に紛れ込んだ。
     それから少しして。
     クレインからは少し離れた場所で、真っ白い何かが翻る。……翼だ。人の群れの中から舞い上がったのは、一柱の天使である。脱ぎ捨てられた外套がゆっくりと地面に落ちた頃には、その天使は……グレティヴィは祭壇に肉薄しようとしていた。
    「! いかん、捕まえろ!」
     グレティヴィの手中に一振りの鎌が出現する。身の丈ほどあるそれは死を告げる天使のための武器である。一閃したそれは人間を傷付けることはなかったが、派手に長椅子を切り飛ばした。儀式に参列していた一般教団員たちが悲鳴をあげて逃げ惑う。それに紛れ、クレインは目的の人物が横たわる寝台へと駆け寄った。騒ぎに向けられた顔の色は思っていたよりも良い。
    「チュス、わかりますか」
    「……クレイン君? どうして……」
     常より掠れた声に一瞬だけ痛みに耐えるような顔をしたクレインは、それをすぐに消すと相手を──己の守護天使、チュス・レオーネその人を──安心させるように微笑んだ。
    「少し我慢して下さいね」
     そして羽織っていたマントを被せてからチュスを抱き上げる。こちらを指差し何か言っている様子の教団員もいたが、右往左往する人々に阻まれ追うことは困難だろう。
     途中で子供と合流しその手を引きながら礼拝堂から抜け出す直前、クレインは一度振り返った。鎌を振るうグレティヴィの……「死神」の姿を見る。本来であれば畏怖に震えるべき心臓は静かだ。
     ──行きなさい。
     こちらを見もせずにそう意思を伝えてきたグレティヴィに、
     ──ありがとうございます。
     ただそれだけを告げて、クレインは踵を返し走り去った。
    「……」
     クレインの脱出を確認したグレティヴィは、最後のひと暴れとばかりに翼を羽ばたかせ宙を舞った。聖母像に向かって鎌が振り上げられる。やめろ!と叫ぶ声がする。
     思いの外小さな音だった。
     斜めに両断された聖母像が倒壊した。しんと静まり返る空気。彼らが縋る偶像は破壊され、絶望を癒やすものはもうそこにはない。



    ◆エピローグ
     一台の馬車が中央区に向かっている。“ラヴェンダーの涙”の一拠点を取り仕切っていた司祭を護送しているのだ。荷にもたれ掛かるような姿勢で拘束されているその司祭は反抗の気配もなく静かに俯いて目を閉じており、向かいに座るクレインは黙ってロザリオを手繰っていた。
     クレインがチュスを救出し教団員たちも散り散りになった後、ようやく中央区からの人員が到着した。来る前に伝令を送っておいたのだ。彼らは拠点の調査と教団員の保護を行い──とはいえほとんどが逃げてしまった後だったが──、クレインから経緯の報告を受けた後、馬車をひとつこうして送り出した。
     ……この司祭は教団員が逃げた後も逃げる素振りも見せずに残っていたところを発見され、大人しく投降し拘束された。あの拠点においてまとめ役のようなことをしていたとおぼしき彼は落ち着いた様子で聴取に応じ、一切攻撃的な態度は取らなかった。
     クレインは拠点に潜入する際この司祭と対面しており、その際受けた印象としては「敬虔で聡明で誠実な聖職者」であり、信じるものが違うという一点さえなければその気質はクレインにとって好ましいものだった。ただ、信じるものが違うというその一点が致命的な断絶であった。
    「クレインというのは本名ですか?」
     不意に話しかけられて、クレインは司祭の方を見た。両手を拘束され祈ることも出来ない状態で、司祭は穏やかな表情をしている。
    「……ああ。別にそこで嘘をつく必要はなかったから」
     答えるクレインはどこか緊張したような、落ちつかなげな様子である。疲れているのかもしれない、その声は低く気だるげだ。少し離れた場所で子供を抱いて座っているチュスが、手持ち無沙汰げにクレインと司祭の様子を眺めている。
    「それ以外は嘘だった、と?」
    「当たり前だろう、俺が……主の元から去る日などあるものか」
     ──クレイン・オールドマンは勤勉で敬虔な模範的な信徒である。
     その評はある一面においては事実である。クレインもそうたらんとしている。彼は信仰を捨てない。……捨てられない。それがどれほど苦しくても。
    「では、貴方の告白は本当に純然たる嘘でしたか?」
    「……どういう意味だ」
     司祭は晴れた空のような青い目でクレインを見ている。見透かすような目だ、まるで天使のような……と考えたクレインは己の不敬さに動揺しその思考を無理矢理追い払った。
    「嘘に真実味を持たせるには一片の本当を混ぜると良いと言います。貴方は、『許されたい』と強く思ったことがあるのではないですか?」
     ぴくりとクレインの眉が動く。
    「勿論、誰しも多少なりと許されたいと思うものです。貴方だけではない。ですがあの時……嘆き怯える貴方の目の奥には、痛みが見えました。単なる演技ではない、切実な……」
    「言いがかりはやめろ。俺はお前たちに取り入るためにそれらしいことを言っただけだ」
     ばっさりと相手の言葉を切り捨てるクレインには嘘をついているような様子は見られない。司祭はその澄み切った目をクレインから逸らさず、拘束されたままの手を僅かに動かした。
    「では、貴方はきっと永遠に許されないままなのでしょうね」
     クレインの眼差しが厳しくなる。司祭は静かな、心地よくすらある声で言葉を続けた。熱のない、相手に寄り添うような声。
    「己が必要としているものを認め、求めるからこそ与えられる。自らの欲するものから目を背けていては永遠にそれを手に入れることはできない」
    「お前に説教されるいわれはない」
    「ファーザー……クレイン・オールドマン、貴方は貴方の罪深さを認めなければなりません」
    「……そんなこと、」
     ──知っている。
     思わずこぼしかけて飲み込んだ言葉は胸の辺りでわだかまり、冷たくクレインを凍えさせてゆく。司祭はすべてわかっているかのように穏やかに頷くと、かすかに微笑んだ。拘束され、これから中央区で査問──程度であればいいが──が待っているというのに、その態度はクレインよりもよほど泰然としていた。
    「罪深さを認め、許しを信じなければ。貴方のそれは無知か、傲慢か、それとも両方かはわかりませんが……『信じられない』ことは罪ですよ」
     クレインの体が明確に強張った。はく、と口を動かしなにかを言おうとしたが結局言葉は出てこない。暗い緑の目はゆるゆると司祭から外れ、拳が握られる。
    「ままをいじめないで!」
     そのとき、幼い声が響いた。司祭へと向かって行こうとする子供を慌てて抱き上げたクレインは腕の中でじたばたと暴れるそれに戸惑い、チュスの方を見た。
     鳶色の目が、じっと司祭の方を見ていた。そこにわずかな非難の色を見出だして、クレインはますます困惑を深めた。チュス・レオーネというひとは、けして人当たりが良くはないが、他人に悪意や攻撃的な態度を示すことはほとんどない。それは慈愛というより無関心によるものかもしれなかったが、クレインとしてはどちらでも構わなかった。彼が穏やかな生活を送ってくれるなら、それで。
    「……少し静かにしてくれないか」
     疲れているんだ、と続ける言葉には皮肉めいた響きがある。司祭はぱちぱちと瞬きをすると、すみません、と述べてから素直に黙り込んだ。
    「チュス……、」
    「君もだ、少し休んだ方がいい」
     チュスは手を伸ばし子供を引き取ると、まだむずかるそれをなだめるように背を叩きながら膝の上に抱き上げる。
    「……今日はありがとう。お疲れ様、クレインくん」
     穏やかな声に、……クレインはなぜだか泣きたくなった。
    新矢 晋 Link Message Mute
    2018/09/04 9:55:31

    S05【異端教団調査要請】クレイン編

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    Twitter企画「Trinitatis ad proelium」イベント作品。

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