イラストを魅せる。護る。究極のイラストSNS。

GALLERIA[ギャレリア]は創作活動を支援する豊富な機能を揃えた創作SNSです。

  • 1 / 1
    しおり
    1 / 1
    しおり
    われらが友の嘆き0.

    「みぁーう」
     子猫のような鳴き声がする。とある森の奥にある木の根本でごそごそと何かが動いている。下生えの間からひょこりと顔を出したのは、メガロレオンの子供だった。猫のような頭部、長い胴に三対の足と一対の翼、太く長い尾。本来樹上で暮らすメガロレオンであるが、なにかの拍子に落下してしまったらしい。
     そこへ何かが近付いてくる気配がする。子メガロレオンは素早く草の間に身を伏せると緑に同化するように姿を消した。……メガロレオン最大の特徴はこの透化能力である。警戒心も強い彼らはこの能力もあって非常に見つけにくく、人に飼い慣らされることはほとんどない。
     そのすぐ近くまでやって来たのは人間の男で、なにかを探しているようだった。遠眼鏡のようなもの──二つの筒が横に連なった形のそれは、妙な魔術の気配をまとっていた──を目に当てたり離したりしながら周囲を見回していたその男は、とある一点を見てにんまりと笑う。子メガロレオンがうずくまっている場所だ。
     男はそっと網を取り出した。そこからも、おかしな魔術の気配がした。




    1.

     エレイーネ王国、フィエル騎士団に所属する蒼騎士であるバーニー・リドフォールは、上司からの呼び出しを受け会議室にいた。
    「幻獣を違法に取り扱っているらしい組織が発見された。蒼騎士の友である彼らを不当に虐げるものを許しておくわけにはいかない、我々が対応する」
     バーニーは胸を痛めると同時にもやもやとした不快感──それは怒りとも憎悪とも言い切れない、曖昧でどろりとした──を覚え、短く相槌を打つだけにとどめた。
    「バーニー・リドフォール、貴君にこの件を任せることとなった。組織の実情を調べ、場合によってはその場で取り押さえるのだ」
    「私一人でですか?」
    「いや、その道に詳しい者がサポートとしてつく。黒騎士を一名派遣してもらうことになった、君の兄のサイモン・リドフォールだ」
     兄の名を聞いたバーニーはどこか安心したように眉を下げたが、すぐに表情を引き締める。兄がいるなら百人力ではあるが、兄がいるなら無様な姿を見せるわけにはいかない。
    「このあと念のため顔合わせをしてくれ。まあ、兄弟だから心配はいらないと思うが」


     移動しながらバーニーは渡された資料に目を通していた。
     幻獣を違法に取り扱っていると目されているその組織は表向きは普通の合法的な幻獣関係の物品を扱う商店で、蒼騎士の中にも利用している者が数名いたという。それもまた問題ではあったのだがそれについては別の部署が対処するだろうからここでは触れないことにする。
     ともあれ、これは由々しき問題であり、速やかな解決が求められる。バーニーは一層気を引き締めると資料を抱き足を進めた。
     ……黒騎士の訓練場は敷地内でも端のほうにあり、用のある者以外は近寄りづらい空気がある。バーニーは足早にその訓練場を通りすぎると、指定された場所へと向かった。
     部屋にはまだ相手は来ておらず、バーニーは椅子に座って手持ち無沙汰そうにする。……黒騎士としての兄との任務は初めてかもしれない、などと考えながら部屋を見回した。べつだん蒼騎士管轄の建物と様子は変わらないが、落ち着かないのは緊張のせいだろうか。大きな体を小さな椅子の上でもて余していたバーニーは、不意に聞こえてきた声に顔を上げた。
    「……いいですか、相手は蒼騎士です、黒騎士のつもりで無茶させないで下さい」
    「わぁかってるよ、大体お前の弟なら俺にとっても弟分みたいなもんなんだから、きっちりサポートするってば」
    「図々しいですよ、弟どころか息子ほどの年でしょう」
     なにやら騒がしい。ノックもなしに扉が開き部屋へ入ってきた声の主は二人、片方はバーニーの兄であるサイモン・リドフォールで、もう片方は知人ではあるもののそこまで付き合いがあるわけではない男……ヘルムート・チェルハだった。サイモンはなにやら道具箱のようなものと紙包みを持っている。バーニーの前まで来た二人はやり取りを中断し、ヘルムートが先に口を開く。
    「バーニー、連絡が間に合わなくて悪いな。今回の相方は俺になった。お前の兄貴は病欠だ」
    「えっ」
     バーニーが不安げに瞳を揺らしたのを見て、ヘルムートはぱちくりと瞬きをしてから隣を見上げた。
    「お前言ってないのか。ほら」
    「あっ、」
     サイモンの両手が荷物で塞がっているのをいいことに、ヘルムートが無造作にそのシャツを捲り上げる。サイモンの胴にはきつく包帯が巻かれていた。
    「兄様、どうされたんですかそれ!」
    「ヘルムート卿!」
     非難するようなサイモンの呼び掛けを無視してヘルムートは肩を竦める。
    「こいつはまったく悪くないしヘマもしてないんだがな、鋏の使い方も知らない人間に使われるとどんなによく切れる鋏だってこうなる……まったく、ろくに黒騎士の扱い方も知らない癖に将を名乗れるんだから世も末だ」
     刺のある声はヘルムートにしては珍しく、バーニーが困ったように眉を下げているのに気付くとすぐに改められいつもの落ち着いた声になる。
    「もう癒術師に塞いでもらってるから心配はいらないぞ、ただ完調じゃない人間を任務に出すわけにはいかないからなぁ。今回はおじさんで我慢してくれ」
    「それは構いませんが……兄様、本当に大丈夫ですか?」
     サラダに芋虫でも混ざっていたときのような顔をしていたサイモンは、弟の心配げな顔を見て少し態度を軟化させた。
    「……ああ、ヘルムート卿の言った通りだ。もう傷は塞がっているし、仕事も出来る。ただ万一があってはいけないからな、今回はヘルムート卿にお任せした」
     そう言うとサイモンは持っていた荷物を机に置き、捲れたままだったシャツを下ろした。それに視線をやったバーニーに、ああ、と呟く。
    「資料は見たか?」
    「はい」
    「そうか。じゃあ今回の任務については大体わかっているな。俺……じゃない、お前たちは彼らの本拠地に潜入しなければならない。……掃討が目的ではないから過激な手段はとれない」
     ちらりと横目にヘルムートを見たサイモンは、相手がおどけるように眉を上げたのを見て小さく息を吐く。それから改めてバーニーへと視線を戻し、机の上の紙包みを開いた。そこには薄い布とも紙とも付かないものが何枚かあり、その一枚一枚に蜥蜴の意匠が書き込まれていた。その隣に置いてある道具箱のようなものを開けると、刷毛やら薬瓶のようなものが並んでいる。
    「これは……?」
    「死体から剥がした皮膚に墨をいれたものだ」
     横からそう口を挟んだヘルムートの言葉に、ひゅ、と息を飲んだバーニーを見てサイモンが溜め息を吐く。
    「ヘルムート卿、弟が信じてしまうのでやめて下さい」
    「はは、豚の皮だよ安心しろ」
     皮を一枚つまみ上げたサイモンは、バーニーにそれを示しながら説明を続ける。
    「あいつらは入れ墨で身分を確認する。……とはいえ俺たちはこのためだけに入れ墨をいれるわけにもいかないからな、これを使うんだ」
     サイモンは手招きをして近くに呼び寄せたバーニーに腕捲りをさせると、前腕に刷毛で透明な液体を塗りつけた。その上に皮を乗せ、手のひらでぐっと全体を圧迫する。しばらくしてから手を離すと、皮の上からまた透明な液体を塗り、更に染料のようなもので地肌と皮との境目を滲ませていく。
     ……バーニーの前腕に蜥蜴の入れ墨が浮かび上がるまで、そう時間はかからなかった。
     まじまじとそれを見ているバーニーをよそに、サイモンはヘルムートへ向き直るとその前腕に同じ細工を施していく。自分の腕からヘルムートの腕に視線を移したバーニーは、不思議そうに口を開いた。
    「変装魔術の方が楽なのでは?」
    「今回はあまり魔術には頼れないんだ、バーニー」
     手を動かしながら答えたサイモンの言葉を、ヘルムートが引き継ぐ。
    「相手が対策を取っている可能性が高いからなあ。変装魔術だと幻術計や魔術探知センス・マジックで一発だ。そういう時は結局技術がものを言うんだよ」
    「なるほど……」
    「当日は髪も染めよう、俺もお前も色が入りやすい髪質だ」
     己の腕にも蜥蜴が浮かび上がったのを見て、ヘルムートは頷く。皺もよれもない、自然な仕上がりだ。
    「こういうのはお前の方が得意だな。当日もお前がやってくれ」
    「わかりました」
     袖を下ろし、偽物の入れ墨を隠す。バーニーにもそうするよう促し、道具を片付けるサイモンの代わりにヘルムートが話を進める。
    「このまま普通に生活して、……ああ、悪いが風呂は我慢してくれ……時間による劣化具合を確かめないといけないからまた明日見せてもらう。体質や体調によって多少のぶれが出るんでな、糊の調整なんかをしないといけない」
    「わかりました」
     なんとなく違和感を覚えるような感じがして前腕を気にするバーニーに、ヘルムートが小さく笑う。
    「俺たちからの用はこれで終わりだ。お前の方から何かあるか?」
    「いえ、今のところは」
    「そうか。なにか思い付いたことがあったら、ちょっとしたことでもすぐに言いに来るんだぞ」
     軽くバーニーの肩を叩く仕草は気安く、己の子供ほどの年頃をしている後輩を気遣う良い先輩に見える。ヘルムート・チェルハは黒騎士ではあるが他の部署の騎士とも親交があり、友人も多く、面倒見のいい気質である。それをバーニーも知っており、ほっとしたような顔で頷いた。
     それから少し話をした後二人とは別れることになったバーニーが戻ろうとすると、サイモンが少し考え込むような仕草をしたまま近付いてきた。
    「……バニー、業務終了後でいいから俺の部屋に来い」
    「? はい」
     そして己の兄から告げられた言葉に、バーニーは不思議そうな顔をしながらも頷いた。


     そして夕刻、バーニーは兄サイモンの部屋にいた。……先日掃除をしたばかりだというのに散らかり始めている気がする。バーニーには椅子をすすめ、己はベッドに腰掛けてからサイモンは小さく息を吐いた。
    「お前をわざわざ呼びつけたのは他でもない、……ヘルムート卿の扱いについて話しておきたかったからだ」
     サイモンは頭痛でも堪えるように目を閉じ、こめかみを指で揉んだ。
    「今回はあくまでお前のサポートだし、相手は市民だから、無茶はしないと思うんだが……一応な」
     バーニーは怪訝そうに眉を寄せ、軽く首を傾げる。
    「ヘルムート様は熟練の黒騎士でしょう? 落ち着いた方ですし、私がどうこうするようなことは……」
    「いや、まあ……念のためだ。スムーズに任務を遂行するためにも相互理解は必要だろう」
     サイモンが指を一本立てて、バーニーを見る。その表情は真剣だ。思わず姿勢を正したバーニーに、サイモンは静かに説明を始めた。
    「まず……」




    2.

     サイモンから受けた説明を思い返しながら、バーニーはちらりと隣を見た。鎧でも礼服でもなくごく普通の商売人が着るようなシンプルな服装のヘルムートは、騎士には見えない。
     件の組織が拠点にしている倉庫のひとつへ向かっている二人は、ヘルムートが支部に所属する商人、バーニーがその小間使いという設定で変装していた。また、ヘルムートの髪はくすんだカーマイン、バーニーの髪はダークブラウンに染められていた。
    「バーニー」
    「はいっ」
     不意に呼ばれて返事をした声が裏返り、バーニーは咳払いをひとつした。ヘルムートは少しだけ口角を上げてから言葉を続ける。
    「あくまで俺はサポートでこの任務はお前の任務だからな。何をどうするかはお前が判断するんだぞ」
    「はい」
     真剣な面持ちでバーニーが頷いたところで、目的地である倉庫が見えてくる。かなり大きい。その入り口の手前には見張りがいるだろう小屋があり、二人はそこへと近付いた。窓が開き、勘の鈍そうなぼんやりした顔立ちの男が二人を見る。
    「なんだ?」
    「商品のチェックに」
     ヘルムートが偽造した発注書と腕の入れ墨を見せると、男はざっと確認しただけで頷いた。それからバーニーの方を見る。
    「そっちは?」
    「ああ、まだ見習いなんだ。目を肥えさせておこうと思ってね」
    「ふうん」
     バーニーの腕を確認させないように遮っても、男はさして興味なさそうに頷き、ひらりと片手を振った。
    「いいぞ、通れ」
    「ああ、ご苦労さま」
     そして二人は倉庫の入り口から堂々と中へと入った。思ったよりあっさりと成功した潜入にバーニーはほっと息を吐き、隣を見る。丁度ヘルムートもバーニーを見ていて、その暗い葡萄酒色の目にどこか居心地の悪さを感じたバーニーは視線を逸らした。
    「さて、と。手分けするわけにもいかないし、手早く行くぞ」
    「はい。……すみません、私のせいで」
     バーニーは前腕を袖の上からさすった。彼の体に糊が合わず、偽入れ墨の長時間接着は無理だと判断されたため今彼の腕には偽入れ墨が入ってはいない。そのため単独で行動して万一入れ墨の確認を求められてはいけないため、常にヘルムートと行動せざるをえなくなっていた。
    「体質はどうしようもないだろう。まあ、どっちにしろ単独行動させるつもりはあんまりなかったし、気にするな。……それで、どうする? どこから調べるか……」
     ここは倉庫と言っても内部はほとんど普通の建物と変わらない様子だった。壁に貼られていた建物内の地図には、部屋の大きさや形と番号だけが書いてあり、何がそこにあるかまでは書いていない。
     バーニーの頭に兄サイモンの声が響く。
     ──ヘルムート卿はとにかく行動に移すのが早いから、なにか気にかかることがあれば早めに指摘するようにしろ。
    「……」
     地図を見ているヘルムートは落ち着いていて勝手に動きそうな様子はなく、兄の言葉との落差にバーニーは少し困惑した。が、ヘルムートが怪訝そうにこちらを見てきたため気を取り直し、地図の一点を指差す。
    「ここからにしましょう。日当たりはあまり良すぎない方が部屋の温度を一定に保ちやすいですから、生体の保管に向いてる」
    「よし、わかった」
     ヘルムートは素直に頷くと歩き出す。バーニーも早足にその後へ続いた。廊下を歩くヘルムートは堂々としていて、まだどこか恐る恐るといった風なバーニーの背を軽く叩く。
    「俺たちは正面から堂々と入ってきた客だ、おどおどしている方が目立つぞ」
     目的の部屋に到着してもあくまで自然な様子でドアを開いて中に入る。厚いカーテンの引かれた室内は薄暗くて視界が悪く、だが、妙な気配があることははっきりとわかった。……生き物の息遣いに似た、湿った空気。
    「……当たりか?」
     呟くヘルムートをよそに焦った様子で部屋の奥へ進んだバーニーは、棚に並んでいる箱に手を這わせる。小さな穴が空いているのは空気穴だろうか。また別の箱には物々しく鎖がかけられており、また別の箱は人間一人が入れるほど大きかった。
    「中を確認したいですね……」
    「少し見せてみろ」
     服の隠しから道具を取り出し、バーニーと入れ替わりに箱の前へ立つヘルムート。慎重に──また閉じられるように──蓋を抉じ開け、またバーニーと入れ替わる。中を確認したバーニーはゆるく頭を振った。
    「カリュウモドキの卵です。……これは合法ですね」
     それから他の箱も確認していくも禁制品は見付からず、二人は顔を見合わせた。この組織が違法に幻獣を扱っているという情報は確かなものである、もっと厳重に守られている場所にそういったものは保管されているのかもしれない。
    「まあ、そうすぐには見付からないか。次だ、次」
     部屋の入り口へと戻りかけたヘルムートは足を止め、扉に身を寄せる。舌打ちをひとつ。
    「……人が来る」
     そう呟いてヘルムートはバーニーの腕を掴んで物陰に引っ張り込んだ。少しして、灯りを持った何者かが部屋に入ってくる。若い男だ、腕に抱えられる程度の包みのようなものを持っている。その包みを机の上で開くと、大きな卵が数個出てきた。……ぐっとバーニーが唇を噛んだのがヘルムートにはわかった。この距離では確証は持てないが、恐らく、メガロレオンの卵だ。色合い、大きさ、独特の艶めき。今にも飛び出しそうになるのを我慢しているバーニーを、ヘルムートがちらりと見やる。
     そのとき、男が小さく声をあげ、続いて何かが割れるような音がした。卵がひとつ床へ落下したのだ。目を見開いたバーニーの視線の先で、男は嘆くでもなく舌打ちをした。それは、せいぜい買ったばかりの菓子を地面に落とした程度の落胆のニュアンスしか含んでいなかった。
     ヘルムートの腕が空を掴む。バーニーが物陰から飛び出していく方が早かった。狩りをする獣のような形相で男へと襲いかかったバーニーは、そのまま相手を殴り倒して馬乗りになった。
     続いてヘルムートも飛び出したが、バーニーを止めるのではなく、部屋の外に誰もいないか確認してから扉を閉めて内側から鍵をかけ、それから急ぐでもなく落ち着いた足取りで戻ってきた。
     もうその頃には、男の意識はほぼないようだった。鼻が折れたのか顔の下半分が血で濡れている。バーニーはなにかを口の中で言いながら男を殴打し続けている。その表情はどこか熱に浮かされているようにも見える。
    「バーニー」
     ヘルムートは静かに呼び掛けながらバーニーの手を取ろうとしたが、その程度では彼の暴走──と呼んで差し支えないだろう、その厳しすぎる折檻!──は止まらない。ほんのわずかに眉を寄せてから、今度は強くバーニーの腕を掴む。
    「バーニー!」
     びくり、と肩が跳ねた。バーニーは男の胸ぐらから手を離し──男は呻きながら床へ崩れ落ち動かない──、色を失った顔でヘルムートを見た。怯えとも焦りともつかないその表情を覗くヘルムートは咎めるような顔をしていて、バーニーは己の獣性を指摘されあげつらわれる覚悟をした。だが。
    後にしろ
     ヘルムートが口にした言葉はそれだけだった。いきすぎた暴力を諫めることも、慈悲や寛容を説くこともなく、意識のない男を手際よく拘束して物陰へと押し込んだ。
    「……ヘルムート様、」
     おずおずと呼ぶバーニーの声に戻ってきたヘルムートは、不安げに手遊びしていたバーニーの手を見て眉を下げる。
    「ああ、素手で人間の顔なんか殴るから……顔を殴るのにはこつがいるんだ」
     手の甲に細かな傷が出来ている。痛まないか、と尋ね、大丈夫です、と答えられればヘルムートはそれ以上は追求しなかった。
    「次からは蹴るといい。ただ、蹴りは力が入りやすいから八割くらいを意識した方がいいな」
    「は、はい」
     バーニーは何かを持て余すような気持ちで頷き、ヘルムートという男についての印象を変えなければならないのではと感じていた。穏やかで、面倒見が良くて、優しい……そんな人間が暴力を咎めるでもなく「後にしろ」とだけ言い、あまつさえ「次からは蹴るといい」などと言い放つだろうか。脳裏をよぎったひやりとした予感を追おうとしたバーニーだったが、その思考は不意に中断させられた。
    「ぴゃぁ……」
     奇妙な鳴き声のような音。それに大きな反応をしたのはバーニーの方で、勢いよく振り返りその鳴き声の元を探す。床に転がったままの卵からその声が聞こえることに気付くと、急いで近寄り床へしゃがみ込むと卵の割れ目から中を覗く。もぞもぞと何かが動いている。
    「どうしたバーニー」
    「まだ雛が生きています!」
     殻の中から雛が這い出てくるのを見たバーニーは慌てた様子で腰のポーチを探ってハンカチを引っ張り出すと、卵ごと雛を隠すように被せた。そして不思議そうな顔でそれを見ていたヘルムートに説明する。
    「メガロレオンは卵から孵って最初に見たものについていく習性があります。刷り込みですね。……私たちにそうなってしまっては困るので」
     連れ帰って、親代わりになるような他の動物と引き合わせないと、と呟くバーニーをヘルムートは困ったような顔で眺める。それから言いづらそうに口を開いた。
    「でもなあ、バーニー。今さら出直すわけにもいかないぞ。もう一度同じ方法で潜入は出来ないだろうし、このメガロレオンの卵と雛だけじゃあ証拠としては弱い。お前だってわかってる筈だ」
    「……」
     そう、メガロレオンの卵および雛の取引は禁じられてはいるが、上級幻獣のそれでもない限りそこまで重い罪ではない。組織ごと潰すには威力が足りないだろう。バーニーはなにか言いたげに口を開き、結局何も言わずに閉じたが、ハンカチで包んだ卵と雛を手放そうとはしない。ヘルムートはくしゃりと頭を掻いてから膝を折りバーニーと視線を合わせた。
    「言いたいことがあるなら言え」
     ヘルムートの声は静かで、特に圧力をかけるようなそれではなかったが、バーニーはびくりと体を強張らせた。それからおずおずと口を開く。
    「……この子は、放っておけません。早く適切な環境に連れて行かないと、衰弱死してしまいます」
    「そうか。……じゃあそいつを連れたままさっさと調査を済ませるしかないなあ」
     なんてことない風に言われたヘルムートの言葉に、バーニーは驚いたように顔を上げた。その顔を見てヘルムートは心外そうに瞬きをした。
    「なんだ、置いていけって言うとでも思ったか? 最初にも言ったが俺は今回サポートだ、方針はお前が決めるんだよ」
     立ち上がったヘルムートは部屋の扉へ近付き外の気配を探る。それからそっと鍵を開けて廊下を確認し、軽く頷くと振り返った。
    「行くぞ、バーニー。急がないとな」
    「……はい!」
     バーニーはメガロレオンの雛を包んだハンカチをそっと懐に隠しながら、その後へと続いた。




    3.

     倉庫の捜査を──時折物陰でメガロレオンの雛の様子を確認しながら──続けていた二人は、間取り図に書いてある部屋は一通り見て回ってしまい少し焦っていた。雛も弱りつつあり、バーニーは時折何かを訴えるような顔でヘルムートを見た。
    「ううん」
     人気の無い空き部屋らしき場所で雛の様子を見ているバーニーの後ろで、ヘルムートはこめかみを親指で撫でるようにしながら思案している。
    「バーニー、例えばどういった場所が生体の保管に向くんだ?」
    「そうですね……先ほど言ったように、部屋の環境を一定に保ちやすい場所……確かどこかの国では水中に飼育室を作ったと聞いたことがありますね」
    「そりゃすごいな」
     だがここにそこまでするような魔術設備があるようには思えないなあ、と笑いながら言ったヘルムートははたと手を下ろした。葡萄酒に似た色の目が宙を泳ぐ。不意に黙り込んだヘルムートを不思議に思ったのか振り向いたバーニーに、ほとんど独り言のようなトーンの声が聞こえた。
    「……水中は無理でも地中ならどうだ? ここに来るまで地下収納らしきものはいくつかあった……どれもたいしたものは入ってなかったが……たしか一つだけ空のところがあったな……」
     雛をハンカチに包みなおしてまた懐へ入れたバーニーへ、ヘルムートが改めて話しかける。
    「バーニー、心当たりを思い出した。そっちへ向かうぞ」
    「はい」
     部屋を出た二人は一度調べたある部屋へと戻った。その隅に地下収納の扉がある。先ほどは外から中を確認しただけで、特に異常はないように見えたため次へと向かった。急いでいたので仕方なかったが、改めて確認すると空っぽの地下収納の中にあまり埃が積もっていないのは不自然にも見えた。
     指を鳴らしたヘルムートはその指先から小さな火の粉をはらはらと収納の中へと降らせる。特に燃え上がったり引火したりするような様子はない。
    「誰か来ないか見ててくれ、来たらとりあえずここを閉めてお前はその辺に隠れろ」
    「はい」
     するりと地下へと降りたヘルムートは収納スペース内をくまなく調べる。指先に灯した炎で壁際を照らしたり、床に手を這わせたりしているうちに何かを見付けたらしく、少しその気配が慌ただしくなる。しばらく間を置いたあと、壁面の一部を奥へと押し込むとそれがスライドし、更に地下へと続く穴と梯子が現れた。
    「バーニー」
     軽い確認だけ済ませて一旦地下から上がったヘルムートは後輩を呼び寄せ、状況を説明する。どうやらこの地下にもう一つ空きスペースが存在していること、人の気配はないように思うが絶対とは言い切れないこと、そして、自分ではなく相手に降りてほしいこと。……こういった状況では一人見張りに残しておくべきである。そして今回の場合残るべきはヘルムートだった。中に何かがあったとして、それがどういったものなのか、違法なのかどうかなどはバーニーにしか判断できない。
    「一人で行けるか、バーニー」
    「大丈夫です」
     バーニーは少し緊張した面持ちではあったが頷き、その顔をじっと見てからヘルムートも頷いた。懐から小さな水晶柱のようなものを取り出すと、ぐっと握り込む。……水晶の中にゆらりと火が浮かび上がった。マナを封じるための触媒だ。本来は魔導騎士が備品としてストックしているものだが──乾燥地帯で水魔法を行使する際など、事前にこれに水マナを封じておくことによって補助になったりする──、マナを封じることによってぼんやりと光るこれを灯り代わりにするためなどに黒騎士も持ち歩いていることが多い。
    「少しならこれで十分灯りになるだろう」
    「ありがとうございます」
     それを受け取って口に咥え、慎重に梯子を下りていくバーニーの姿はすぐに闇へと紛れてヘルムートからは視認できなくなった。
     ……地下の空気はひんやりとしていた。黴臭さは感じられず、きちんと管理されている空間に思えた。通路は人間複数人がすれ違える程度の広さで、バーニーは降りてすぐ目の前にあった扉を慎重に調べると押し開けた。
     中は薄暗く、咥えていた水晶を手に持ち替えて翳すようにしながら中を見回す。並んだ棚と箱や水槽……生き物の気配。バーニーの背筋がざわつく。手近な棚へ歩み寄って箱に触れると思いのほか重たい感覚があり、中に隙間なく何かが満たされているようだった。蓋はきっちりと閉ざされており中を見ることは出来ず、バーニーはそれから手を離して部屋の奥へと進んだ。
     大きな水槽があった。中でなにか影が動いている。バーニーは慎重に近付いて灯りをそれに近付け、中の様子を窺った。ぬるりと光る鱗が見えて、目を懲らす。もぞりと懐で雛が動いたため、一旦灯りを咥えて雛を取り出したところで急に部屋の扉が開かれ強い灯りが差し込んできた。
    「!」
     口から水晶柱が落下し、床にぶつかって高い音をたてる。振り返りながら立ち上がったバーニーは、部屋の入り口に複数人の男が立ってこちらを睨め付けているのを見た。見付かってしまった、という焦りと同時に、ヘルムートはどうした?という動揺がバーニーの背に冷や汗を伝わせた。
    「予定にない来客があったというからまさかと思ったら、こんな奥まで鼠が来ていたとは」
     ぱしゃり、とバーニーの背後の水槽で何かが泳ぐ音がするが確認する余裕はない。目の前で喋っている男が恐らくリーダー格で、それ以外の男たちはその手下なのだろうが、いずれもしっかりと武器を装備している。
    「……ここにあるものは何ですか。普通に取引できるものではないでしょう」
     どう切り抜けるか思案しながらバーニーはなるべく会話を引き延ばすべく口を開いたが、彼はそもそもそういった手練手管が得意なタイプの騎士ではない。そういったことは恐らく兄のサイモンの方が得意だ。
     男はバーニーの言葉には答えずに笑ってみせた。一人に対してこちらは複数人、優位は揺るがないと思っているのだろう。
    「見なかったことにして帰りなさい。そうすれば手荒なまねはしない」
     ここで帰るわけにはいかない。この物々しい雰囲気からしてここでけしからぬことが行われていることは明白であり、ここにその証拠があるのも確実だ。だが、力尽くで押し通るには少しばかり人数差がありすぎる。
     打開策を考えていたバーニーは、ふと視界の端にあるものを見付けて思わずそれをまじまじと見詰めそうになったが、なんとか耐えて素知らぬ顔をした。……これはチャンスだろうか。縋って良いものだろうか。
     ──何をどうするかはお前が判断するんだぞ。
     低い声が脳裏を過る。バーニーは唾を飲んだ。……そしてそっとメガロレオンの雛を脇のテーブルに置くと、男たちを真っ直ぐ見た。
    「いいえ。貴方がたには正当な裁きをうけてもらいます」
     男たちが顔を見合わせ、呆れたように──馬鹿にするように──笑う。
    「勇ましいのは結構だが、お前を帰すつもりはないぞ」
    「卵一つで金貨十枚は下らないんだ、人が死んだっておかしくないよなあ?」
     リーダー格の目配せで男たちが剣や棍棒の類いを取り出す。バーニーはそれを見るとちらりと男たちの背後を確認した。そこに何があるか、男たちは気付いていない。
     そして、バーニーが隠し持っていた剣を抜き放つのと同時に、ヘルムートが男たちの背後から襲いかかり瞬く間に一人の意識を刈り取り床へ転がした。
    「!?」
     突然の新手に浮き足立った男たちが、騎士たちの相手になる筈もない。
     ヘルムートは素手ではあったが、武器の有無による間合いの差をものともせず、相手の懐へ飛び込むと手品のように剣を取り上げ己が持つ……のではなく、背後の壁へと突き立てたり床と家具の隙間へ蹴り飛ばしたりしていた。敵の刃に身を晒しながら己は素手であり続けるというのはいっそ狂気すら感じられるが、ヘルムートの目に狂気の色はない──ただしそれは正気を保障するものでもないが──。
     一方のバーニーは安定した動きで敵の攻撃をいなし、多少の時間こそ要してはいるが確実に相手を無力化している。本来の彼の得物は弓ではあるが、騎士である以上一通りの武器の扱いは叩き込まれている。彼は「リドフォール」でもあるのだ、その道のプロでもない相手に引けを取る筈がない。また一人敵を打ち倒して一瞬それを見下ろした目は薄雲のある空に似ていたが、どこかひりつくような熱を帯びているようにも見えた。
     瞬く間に戦況は決し、意識を失って伸びている男たちの中で縮こまっているリーダー格にバーニーが剣を突き付けた。
    「さあ、ご同行願います」
     男はなにかしら言い訳をしようとしたが、結局諦めたのか項垂れて両手を挙げた。


     その後騎士団の調査が入り、その倉庫の地下からは禁制品が大量に発見された。組織は解体され、そこに所属していた商人たちにも厳しい罰が科せられることとなった。取り扱われていた卵や生体の類いは騎士団によって適切に回収され、専門機関に任せられたり騎士団で引き受けたりすることとなった。
     ……件のメガロレオンの雛は一旦騎士団の幻獣を世話している飼育員に預けることになり、任務を終えた直後の二人は蒼騎士管轄の敷地内にある厩舎裏手の飼育小屋にいた。出迎えた飼育員には既に連絡が行っており、彼女は快く雛を受け取り、責任を持って親離れまで育てると二人に約束した。
    「ではお願いします」
     二人がその場を立ち去ろうとした、そのとき。
    「ぴゃぁ!」
     ハンカチの中からメガロレオンの雛が飛び出した。まだ飛行能力は高くない上に弱っているため、ふらふらと高度を下げるとヘルムートの足へしがみつく。
    「ぴゅうぅ」
     ヘルムートは困惑しながら足を止め、それを見たバーニーは少し焦った様子で呟いた。
    「まさか、もう刷り込みされて……?」
    「どうするんだこれ、俺は蒼騎士じゃあないんだぞ」
     そのまま足をよじ登ってくる雛を振り払うことも出来ずに固まっているヘルムートに、バーニーは申し訳なさそうな顔を向けた。その顔にヘルムートは嫌な予感を覚えるが、走って退散することも出来ない。
    「ヘルムート様、申し訳ありませんが、その雛を少しお任せすることは……勿論私もお手伝いしますし、一月ほどもすれば親から離しても大丈夫になりますので!」
    「ええ……」
     肩まで到達した雛はくるると喉を鳴らしながらヘルムートの顔に頭を押し付ける。それを見たバーニーは少し力の抜けた笑みを浮かべ、それからヘルムートの目を見る。いつもは重たい前髪の影で曇り空のような色をしている碧眼に、一瞬、晴れ間が見えた。
    「お願いします、ヘルムート様」
     その青い目をどこかで見たことがある気がして、ああこれは逆らえない、とヘルムートは長い溜め息を吐いた。


     それから一月ほどの間、とある黒騎士がメガロレオンの雛を連れ歩いているところが騎士団内で目撃されたとかされなかったとか。
    新矢 晋 Link Message Mute
    2019/08/18 0:14:34

    われらが友の嘆き

    #小説 #Twitter企画 ##企画_オルナイ
    密売組織を取り締まる騎士たちの話。

    ヘルムート@自キャラ
    バーニー@つむさん
    サイモン@うるいさん

    more...
    Love ステキと思ったらハートを送ろう!ログイン不要です。ログインするとハートをカスタマイズできます。
    200 reply
    転載
    NG
    クレジット非表示
    NG
    商用利用
    NG
    改変
    NG
    ライセンス改変
    NG
    保存閲覧
    OK
    URLの共有
    OK
    模写・トレース
    NG
  • CONNECT この作品とコネクトしている作品