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    小規模な戦争 遊戯室には小さな本棚があるが、利用者は少ない。ここに来る者は大体歓談やゲームを楽しんでおり、本格的に本を読みたい者は図書室へ行くことが多いからだ。であるから、その本棚の前に置かれていた椅子をヘルムート・チェルハが持っていったところで非難の目で見てくる者はいなかったし、己が座る椅子のすぐそばにそれを置かれてもその青年はなにも言わなかった。
     ジェラルド・バイロン。ヘルムートに比べれば若いが少年を脱して十年以上は経っているこの青年は、本来整った顔をしているのだが、顔に大きく広がる火傷の跡がそれを毀損していた。とはいえ表情や所作は落ち着いていて剣呑さの欠片もなく、傷跡の物々しさの割りには親しみやすい雰囲気を保っていた。
    「ジェラルド」
     ヘルムートが声をかけると、ジェラルドは手元の本から顔を上げ──物好きなことに、彼はここで読書をしていた!──声の主を見た。
    「どっちに賭ける?」
     ヘルムートが顎で示した先では、彼らの後輩たちがチェスを指していた。どちらもまだ若い青年である。
     此方、白の王サイモン・リドフォール。若々しく、「金髪碧眼の美青年」が物語から抜け出てきたような華やかな容姿でありながらも、その表情や眼差しはどこか禁欲的でぴんと張り詰めた危うい空気を纏っている。アイスブルーの目は盤上に向けられていたが、視線に気付いたのか一瞬上げられ、ヘルムートを見ると軽く会釈した。彼は黒騎士であり、ヘルムートの後輩である。
     彼方、黒の王ウォルター・ブラッドフォード。サイモンより少し年上の若者である。獅子や狼にたとえられることもある金色に輝くアーモンド型の目は、機嫌良さげにきらめいている。その目を片方どこかへ落としてきてしまっているのは惜しいが、精悍な顔立ちはその程度では損なわれていない。こちらはヘルムートの存在に気付いてもふいとわずかに顔を背けるくらいで、反応は鈍い。聖騎士であり、ジェラルドの後輩でもある彼は、ヘルムートとは少しばかり相性が悪かった。
    「俺はサイモンに賭ける」
     そう宣言したヘルムートに、ジェラルドは軽く肩をすくめてみせた。唇にはわずかな笑みが乗せられている。
    「奇遇ですね、私もだ」
    「ちょっと先輩!?」
     二人の話を聞いていたらしいウォルターが声をあげ、その向かいでサイモンが小さく吹き出した。憮然とした表情でウォルターは駒をつまんだが、武器を握るときと同じようにその指し手に迷いはない。
    「賭けが成立しないじゃないか、かわいい後輩に賭けてやったらどうだ」
    「勝負に先輩後輩は関係ありませんから」
     ヘルムートはつまらなさそうに鼻を鳴らしてから椅子から腰を上げると後輩たちへ近付き、サイモン側から盤を覗き込んだ。盤面はやや相手側有利に見え、いつの間にかウォルター側から盤を覗いていたジェラルドの方を見ると腹が立つくらい無邪気な仕草で首を傾げられた。
     ヘルムートもジェラルドも、己の後輩を──本人には言おうとしない癖に──高く評価しているタイプである。かわいい後輩、われわれの誇り……程度の差や方向性の違いこそあれ、彼らは彼らの後輩を愛している。ジェラルドの穏やかな海のような青い目も、ヘルムートの葡萄酒のような暗い赤紫色の目も、後輩を見るときは憂鬱な色や剣呑さを減じた。
    「あーあーあー、お前そんなところにビショップを置いて」
    「もう、先輩は黙ってて下さいよ!」
     じゃれるような言い合いをしているジェラルドとウォルターを、サイモンはどこか呆れたような顔で見ている。ヘルムートはこめかみを指で撫でるようにしながらサイモンの横顔を眺め、それから盤上を見た。気を散らしているように見えてウォルターの指し筋にはムラがない。
     恐らくは──ヘルムートが思うに──ジェラルドの影響だろう。ジェラルドはチェスの名手だ。彼と何度も対局しているだろうウォルターはいやがおうにも腕が上がる筈であるし、癖が似てきてもおかしくはない。
     だが、まだその腕はジェラルドには及ばない。少なくともヘルムートが見た限りでは。
     少し後、拮抗している盤面に指されたウォルターの一手を見たヘルムートの眉がぴくりと動く。
     ──悪手。
     ヘルムートはすぐにサイモンの様子を確認した。……ちょうどその手が口元を覆い隠したところだった。感情を隠す、あるいは相手と距離を置くときの仕草である。恐らく悪手に気付いたのだろう、じっと盤面を見ているその目は静かに凪いでいる。
     ジェラルドの方はなにも言わなかったし態度にも出ていないが気付いていない筈がない。駒の配置を見ながら思案しているのはこの先の展開についてだろう。彼なら持ち直すことも可能かもしれないが、果たしてウォルターはどう動くか。
     盤面は徐々にサイモン優勢に傾いていく。先程の悪手が響いていることに気付いたウォルターが立て直しをはかっているが、遅い。サイモンが機嫌良さげに目を細めた。
    「調子が悪いみたいだな、先輩」
     わざとらしく言いながら、白い手が──ひとを殺す手とは思えない白さだ──駒を動かす。
    「チェック」
     ウォルターがぐっと眉を寄せた。逃れる手はなくはないが一時的なものだ。追い回されていたずらに対局が長引くだけ。溜め息を吐くと、両手を引く。
    「投了だ、おれの負け」
     肩を竦めそう言う様は、あまり悔しがっているようには見えない。少しむっとした顔でウォルターを見たサイモンは、自分よりもよほどご機嫌な様子で対局の結果を見ているヘルムートを見上げて瞬きをした。ちょうど灯りが映り込んで、きらきらとアイスブルーがきらめく。
     本当にわかりやすく後輩の勝利を喜んでいる癖に、ヘルムートはサイモンを誉めるような言葉を口にはしない。照れ隠しや遠慮のたぐいではなく、ただその勝利を当然のものだと考えているのだ。「俺の後輩は優秀なので」。
     そうして椅子から立ち上がりチェス盤を片付けようとするサイモンの手を押さえて中断させたヘルムートは、ジェラルドを見て目を細める。笑みというより、なにか悪戯でもする前のような、どこか攻撃的な表情だ。
    「よし、次は俺たちだ」
    「は?」
     ヘルムートは先程までサイモンが座っていた椅子に座ると、ジェラルドに手招きをした。
    「後輩の敵を討ちたくないのか?」
    「それならリドフォールと打つのが筋でしょう」
    「お前、激戦を制した直後の疲れた相手に連続で戦いを挑むほど恥知らずだったかね。先輩たちの優雅な対局を後輩たちに見せてやろうじゃないか」
     駒を初期位置に並べ直しながらもっともらしく述べるヘルムート。ジェラルドはひとつ息を吐いてからウォルターを椅子から追い払うように片手を振ると、空いた椅子に腰かけた。
     駒を並べ終えたヘルムートが、左右の手にひとつずつ駒を握り込んでジェラルドに示す。右を選んでから両手を開かせると右の手中には黒の駒。ジェラルドが黒、つまりヘルムートが白で先手となる。チェスは先行有利のゲームだが、ジェラルドが気にしている様子はない。
     対局を始める前に、ヘルムートが軽く目礼をした。
    「Good Luck.」
     その静かな声に、ジェラルドは初めて彼と対局した時に少し驚いたことを思い出していた。先手後手を決める際にコインや譲り合いではなく自然な所作でトスを行う、対局前には一言挨拶を述べる……その姿が普段の自由人で礼儀を気にしない様とは不釣り合いに感じたからだ。しかし改めて考えてみるとヘルムートという男は態度こそ無神経ではあったが、所作自体に粗雑さはない。そのスマートさは黒騎士という所属のせいだとばかり思っていたが──実際同じ黒騎士であるサイモンの所作も隙がなく滑らかだ──、もしかしたら違うのかもしれない。
     二人の対局はスピーディーな滑り出しだった。
     先程の対局でもそうだったが、「黒騎士」が「白」の駒を操る様子は不似合い……ではなく、馴染んでいた。無駄のない、優雅と呼んでも良い所作は白い駒を扱うにあたって美しくさえあった。ヘルムートの手は見た目の武骨さとは裏腹に、素早くスムーズに駒を運ぶ。
     互角か、ヘルムート優勢。……戦況を分析していたサイモンは、ウォルターが静かに──ジェラルドに口出ししたり、あるいはヘルムートを挑発したりする様子もなく──観戦しているのを不思議な気持ちで眺めた。
    「どうしたウォルター、ずいぶん静かだな」
     それはヘルムートも同じだったらしく、盤上から目を上げないままながらも口を開く。ウォルターはわずかに目を細めた。金色の目は獣のそれに似ている。
    「余裕ですね、先輩ではなくおれに構っていて良いんですか」
    「気になるものは放っておけないたちでね。お前の先輩が負けないように応援しなくていいのか?」
    「ええ。おれが応援するまでもなく先輩は勝つので」
     ふうん、と適当な返事をしてからヘルムートは傍らのサイモンを見上げた。
    「お前はどう思う?」
     不意に水を向けられたサイモンはわずかに首を傾げ、落ち着いた口振りで、
    「今のところはヘルムート卿優勢ですね」
     とだけ答えた。ヘルムートはその答えにどこか不満げな、拗ねるような表情を浮かべて盤上へ視線を落とす。そうじゃなくてさあ、もっとこう可愛げのあること言ってくれたってさあ、などと口の中でもごもごと文句を言っている。サイモンがひとつ溜め息を吐いた。
    「俺は貴方が勝つと思っていますよ、ヘルムート卿」
     その言葉を聞いた瞬間ヘルムートはぱっと顔を明るくし、上機嫌になる。簡単すぎる己の上司に軽い頭痛を感じ、サイモンはこめかみに指を押し当てた。
     盤面は滞りなく進む。ヘルムートは迷いのない手つきで駒を動かし、ジェラルドはそれに対応する形で指していた。消極的なチェスである、大きく戦況が動くことはない。ヘルムートの優勢は変わらない。
     ……変わらない、筈だった。ヘルムートは不意にぞっと背筋が粟立つのを感じた。盤面を見ながらこめかみを指で揉む。今までどうして気付かなかったのか、これは己の優勢などではない。いつの間にひっくり返された?
     静かな海が目の前にある。しかしこの海は一瞬後には牙をむき船を沈めるだろう。ヘルムートの手は盤上で少し迷ったが、長い溜め息を吐いてから下ろされた。
    投了リザイン
     静かな宣言。ジェラルドは息を吐き肩から力を抜いたようだった。さすが先輩!とはしゃいだ声をあげるウォルターの尻に犬の尾の幻影を見てヘルムートは目頭を揉んだ。
    「今日はいけそうな気がしたんだけどなあ」
     残念そうではあるが軽薄な口ぶりで言いながら伸びをするヘルムート。ジェラルドとヘルムートではチェスの腕前はジェラルドの方が格上で、まったく勝てないというわけではないが、大抵ヘルムートがジェラルドに負け越している。今回の結果も妥当とは言えるが、元来負けず嫌いのヘルムートである。口ぶりの軽さのわりには真剣な面持ちで決着した盤面を眺めていた。
     ──悪意が薄い。だから気付かなかったのだ。
     戦略というものは必ず悪意と共にある、それはチェスであっても同じだ。相手を出し抜くための悪意。相手に勝つための悪意。いかにすれば相手が動きにくく、己が動きやすくなるか……適切なタイミングで適切な程度の悪意を行使することこそ人間の知性を研ぎ澄まさせる。ヘルムートはそう考えていた。であるから、ヘルムートはひとの悪意に敏感であろうと努めている。悪意を感じ取れればそこに何かがあることに気付くことが出来るからだ。
     そのヘルムートがジェラルドの勝ち筋に気付けなかったのは、腕前の差もあるが、悪意を感じ取れなかったからというのも大きい。そもそもジェラルド・バイロンという男から悪意を抽出するのは難しく、この男は──特にヘルムートに対しては──そつのない後輩らしい振る舞いが身に付いているし、そうでなくとも己が他人にどう見られるかを適切にコントロールしているのだ。
    「どうかされましたか、チェルハ卿」
     黙って考え込んでいるヘルムートにかけられたジェラルドの語調はいつもと同じようなのんびりとしたもので、なんでもない、と頭を振ったヘルムートはチェス盤の片付けを始めた。サイモンがそれを手伝うべく手を伸ばし、少しも腕がぶつかったり止まったりすることもなく瞬く間に机の上は片付いた。
     ……いつの間にやら夜は更け、部屋にいる人間の数も大分減っていた。サイモンがチェス一式を棚に戻すのを見届けて軽く片手を挙げてからヘルムートは小さく溜め息を吐いた。
    「……にしても、後輩は勝ったのに先輩は負けるってのも格好つかないよなあ」
    「はは、あなたも後輩にはいいところを見せたいんですね」
     面白そうに笑ったジェラルドに、ヘルムートは憮然とした様子で足を組み直した。
    「当たり前だろ、俺は常に完璧でかっこいい先輩でありたいんだよ」
    「「完璧でかっこいい先輩」」
     後輩二人の言葉が揃う。が、ヘルムートがそちらを見た時にはサイモンはすまし顔で眉を持ち上げている。……ウォルターは少しばかり表情が追い付いておらず、慌てて口元を隠した。
    「なにか文句でもあるのか?」
    「いえ、卿の優秀さは十二分に存じておりますとも。なあサイモンくん?」
    「ええ、勿論」
     しばらく二人を見詰めていたヘルムートはそのうち諦めたように鼻から長く息を吐き、よいしょ、とわざとらしい掛け声を言いながら椅子から立ち上がった。それから本棚の前へその椅子を戻しに行く。
    「先輩を立ててくれる後輩を持てて嬉しいよ、まったく」
     椅子を置いて振り返ったヘルムートは眉を下げて笑っていた。気分を害したというよりはどこか諦めたような、それでいて楽しげな、……若者の頃の名残がある笑みだった。
    新矢 晋 Link Message Mute
    2019/08/24 12:32:14

    小規模な戦争

    #小説 #Twitter企画 ##企画_オルナイ
    後輩達の対決と先輩たちの対決@チェス

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