饗宴 蝋の燃える匂いがする。夜半、大きな広間には沢山の人間が集っており、殺し合いをしていた。
倒れた男に馬乗りになって首を絞めている娘。骨が砕けてぶよぶよになった少女の頭を殴り続けている青年。剣で切り結ぶ者もいれば、無差別に周囲へ攻撃する者もいた。
「ははっ、さあ殺せ! 同族殺しは貴様たちの得意技だろう! 救いなど訪れぬこの場所で、その本性をさらけ出すがいい!」
響いた声は若い男のそれである。広間の奥、一段高くなった場所で人々を嘲笑する青年の頭には立派な角が生えていた。手に持った横笛を先程まで奏でていたその青年は、ひとを惑わし堕落させ魂を食らう悪魔である。
青年は再び笛に唇を寄せ、ひとの身では演奏できない旋律を紡ぐ。その響きが人々を駆り立て、衝動を引き出し、宴を盛り上げる。
悪意が煮詰められていく。
ひとつの箱に押し込められた毒虫たちが喰らいあう。
美しくおぞましい響きは高く低く広間に流れ、満たし、閉ざし、そして……。
突然演奏が止まり、なにか硬いもの同士がぶつかり合う音が響いた。悪魔がその片手に握った笛で何かを弾いた音だ。
「……呼んだ覚えのない客だな」
床に叩き落とされ高い音をたてたそれ――投擲用のナイフだ――をちらりと見てから、悪魔は広間の入り口を見た。
そこにいたのは一人の聖職者であり、蝋燭の灯りの下で緑色の目が炯炯と光っていた。その手には複数本のナイフが構えられ、うち一本はつい先程投げられたばかりだった。
「今すぐその耳障りな笛をやめろ、糞ッたれの悪魔め」
「貴様の仲間たちは気に入っているようだがな。見ろ、本性を解放する快楽は得難く素晴らしいもののようだぞ」
笛の旋律が止まっても、人々の狂乱は続いていた。シャンデリアの揺らめく灯りにきらめく調度品は、血やその他の体液で汚れてしまっている。乱入者である聖職者はその様を見て苦々しげに表情を歪めたが、その憎悪の大半は目前の悪魔に向けられていた。
ひとは本性を飼い慣らし続けることで獣から遠ざかる。理性がひとを作る。それを力ずくで剥ぎ取る行為を、彼は許すわけにはいかなかった。であるがゆえ、彼は悪魔を許せない。
――許してはいけないのだ。
「ほざけ、なら力ずくで幕を引くまでだ」
聖職者が飛び出す。床を一度蹴るたびに一気に距離が縮まり、一瞬で接敵状態に持ち込む。彼が足元に纏う聖なる加護は常に彼の歩みを守っており、いかなる場においても彼の助けとなる。
素早く突き出された左手の袖口から飛び出た短槍のように鋭く磨きあげられた十字架は空を突き、その腕を掴まれ捻り上げられるより先に体を捻って蹴りを放つ。側頭をかすった爪先が、じゅ、と音をたてたのに悪魔がわずかに瞠目した。天使の作った靴を、天使の加護がある人間が使っているのである。それはもう武器に等しかった――おそらく作り手の本意ではないだろうが――。
舌打ちをした悪魔は身を翻したが、逃がすまいと聖職者は外套の内側に手を入れなにかを取り出そうとする。……が、悪魔と聖職者の間に数人の人間が割って入った。まだ理性を取り戻してはいない、旋律の名残に支配されたままの人間である。聖職者が躊躇した隙を見逃すわけもなく、悪魔は軽やかに窓から外へと飛び降りた。
なんとか人々を押し退け窓から身を乗り出した聖職者の目に映ったのは、インクのように黒々とした夜闇だけだった。