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    ハケンの失格 1、5、62021年、春子は演歌歌手という夢を叶えたが、それだけでは生活していけないので昼はS&Fでハケンとして働くことになった。
    しかも場所は前回と同じ営業部。
    面子はほとんど変わらなかったが、里中がいない分、東海林との喧嘩を止めてくれる人がおらず、ふたりの喧嘩はお互いが少し自制しながらもやはり揉める時は揉めていた。

    「おい、とっくり。お前ひよこ鑑定士の資格持ってたよな??」
    「持ってますが何か?」
    「明日千葉の養鶏場に行くんだけどついてきてくれないか?」
    「お断りします!!…と、言いたいところですが業務命令なら仕方ありません」
    「だったら最初から断るなよ、じゃあ明日出勤したらすぐに社用車で出るから、あとこれ資料読んでおけ」
    乱暴な言葉を吐き、東海林は春子の前に養鶏場の資料を置いて休憩所へ向かった。
    そこにはひよこや鶏の写真とともに『太陽のような卵が生まれました』と、書かれている。
    春子は速読で資料を読み込み、その後パソコンで何か資料を作っていた。



    「あいつ、なんであんなに素直じゃないんだろうな…」
    里中がいなくなり、東海林の愚痴を聞くのは浅野と三田が担当することになった。自分たちより年上の二人がいつまでも幼稚な喧嘩ばかりするのを少し羨ましい気持ちで見つつも、お互い素直になればいいのにと呆れている部分もありながら聞いていた。
    「東海林さん、惚れた弱みで強く言い返せないんですよね」
    「だっ…誰がとっくりなんか惚れるかよ!!あいつはどうせ一生働いて金稼いで生きてくだろうし、結婚なんてしたいと思わないからな」
    そう言いながらも顔を赤らめる東海林を二人はクスリと笑ってみていた。
    「そうだ、金で思い出したけど昨日うちの会社の近くにある銀行で強盗があったらしいぞ」
    「ああ、それニュースで見ました!」
    「びっくりしますよね、こんな近くで…」
    「その点うちは食品会社だからな、強盗とかやってくる心配はないけどな」
    東海林は飲みかけのコーヒーを一気に飲み干してカップをゴミ箱に捨てた。
    「でも、もしかしたら冷蔵庫の食料全部奪われるとか…」
    「あるわけないだろ、そもそもセキュリティがしっかりしてるから部外者は入ってこれないんだから」
    「まぁ、そうですよね」
    そう浅野が締めてその話は終了となった。
    三人は休憩を終えて仕事場へ戻って行った。


    その後社員だけの会議があり、12時半に終了した。営業部のメンバーたちは少し遅い昼休憩へと各自向かって行く。夏になったからかお弁当よりも社食や外食することが増え、オフィスは東海林以外誰もいない。
    東海林は明日のために契約内容を調べておこうと昼休み返上で確認作業に当たっていた。
    この養鶏場の視察は黒豆ビスコッティに使用していた卵の業社が廃業になるため、新しい契約先を見つけるためのものだった。
    だから1人よりも春子がいてくれたらいい卵かどうか判断してくれると思い声をかけたのだ。
    でも、普通に誘えばきっと断られると思い、ひよこ鑑定士の資格があるからと理由をつけて春子を誘った。
    (あいつ、賢ちゃんの頼みは素直に引き受けるくせに…)
    やり切れない気持ちが芽生え、ふと春子のデスクを見つめた。


    東海林は誰もいないのを確認して、春子のデスクに向かい、そっと椅子に腰掛ける。
    デスクの上は丁寧に整理されていて、消しゴムのカスひとつ落ちていない。
    東海林は足をのばして春子の残っている温もりに浸る。

    すると、足元に当たっていたものが床に落ちた。春子の鞄だ。


    「やべっ、落としちまった」
    東海林は黒いビジネスバッグを拾い上げると、逆さになっていたせいでホックが外れてある塊が落ちてきた。

    それはゴトッと重い音を響かせ床に転がる。
    紺のビニール袋に包まれたそれは一つではなくいくつかの物が重ねられていることが突き出た角でわかった。
    それは、札束のように見える。


    そこで、ふとさっき話していたことを思い出した。
    (そういえば今朝のニュースで強盗は…1人で現金奪ったとか言ってなかったか?)


    まさか、春子がそんなことするわけない、きっと違うものだ、それを確認するために開けるだけだ。

    そう自分で言い訳しつつ、鼓動を早めながら中を開くとー。







    すると、そこには札束が……。





    では、なかった。


    A5サイズのアルバムが何冊も入っている。
    「写真か…?」
    東海林はついその中身を見てしまう。
    そして1冊だけでなく、2冊目、3冊目と中を確認していった。








    「………なんで俺が…?」



    何冊にも渡るアルバムの中にある数えきれない写真の中、そこにはすべて東海林が写っていた。




    「聞けよ!!」
    東海林は春子に向かって叫んだ。
    春子は足を止めて振り返る。
    同時に夜風が強く吹き、木々がざわめいた。
    「それが人に話す態度ですか?」
    「お前こそ、自分の言いたことだけ言って逃げんなよ」
    2人は一定の距離を保ちながら、言葉で相手を攻めていく。
    「私たちの話を盗み聞きしていたのでしょう?渚さんに話していたことが私の全てです」
    「だったら、俺の言い訳も聞けよ。俺が結婚したのはお前を忘れるためだ!」
    最後の一文に力を込めて東海林は思いの丈を届ける。
    けれど春子は煮え切らない表情で
    「そんなことのために、戸籍にバツを一つ付けたのですか…相手の女性にも失礼では?」
    「わかってるよ、そんなこと。最低な男だって…あれから何度か付き合った人もいたけど、お前のことがいつまでも消えなくて、長くは続かなかったし」
    「長く続かなかったなんて、言い訳です。あなたは私を裏切った。その事実は何年経っても消えません、今も…これからも」
    春子の目から涙が浮かんでいるように見えた、でも薄暗くてよくわからない。ただ震える声が余計にそう見せたのかもしれない。
    そして、東海林はふと昨日話していた会話を思い出した。

    ーあいつ、なんであんなに素直じゃないんだろうな。

    やっと理解った。
    春子が素直になれないのは、心に殻を覆ってしまったのは、紛れもなく自分の浅はかな行動のせいだった。

    東海林が黙っていると、春子は無言のまま部屋に向かってしまった。東海林の足は春子へ向かいたかったのに、誰かに押さえつけられたかのように動かずしばらく佇んでいた。



    そして午前5時、朝焼けが眩しくなる前に春子は目覚めて帰りの準備をする。誰にも気づかれないよう、ひっそりとー。

    そっと玄関の扉を閉めて、駐車場へ向かう。車の鍵は春子が持っていたので、1人で車で帰ろうとしていた。
    日中ならバスや電車など帰る手段がある、しかしこんな早朝では車しか移動手段がないからだ。
    門の前に誇らしげに立っているポプラの木から朝露が垂れていた。田舎だからかやはり空気が澄んでいる。
    こんな自然に囲まれた環境だからこそあんなにいい卵が生まれるのだろう。もう少しゆっくり過ごしたい気持ちはあるものの、やはり早くここから逃げ出したい。
    早くしないと鶏たちも起きて気づかれてしまう。
    春子は足の速度を早めていった。


    「1人で帰るつもりか?」
    後ろから声が聞こえた、振り返らなくても誰の声かわかった。もちろんその声の主は東海林だった。
    「お前の行動なんてお見通しなんだよ、いつも肝心な時に逃げる」
    痛いところを突かれて、春子は再び駐車場へと向かった。

    ところが、門の影から渚が突然飛び出してきた。
    「春子さん、逃さへんで」
    そう言って羽交い締めをし、春子の体を押さえつけた。
    「何をするんです、離してください」
    「私柔道赤帯やねん、そう簡単には離さへんから」
    そう言うと力一杯春子を押さえつける。春子も体力には自信があったが若い上に柔道をやっているという渚には敵わなかった。
    「2人揃ってグルですか?私は仕事があるので早く帰らないといけないんです」
    「今日は昼からの出勤で届出してるからそんなに焦らなくてもいいんだよ」
    「それは社員のあなただからでしょう?私は時給制なのでその分減らされるんです」
    「だったらその分俺が出すから、とりあえず逃げるな」
    東海林は一歩前にでて春子を睨みつけた。
    そして後ろで渚が話に割って入る。
    「私はたまたま早起きしてたら春子さんを見つけただけやから、グルちゃうで」
    「グルじゃないなら離してください」
    「嫌や、せっかくやからうちの卵かけご飯食べて帰ってほしいんやって」
    「確かにこちらの卵は素晴らしいです、でも私にも仕事があるんです」
    「仕事はいいわけやろ?東海林さんの言う通り春子さんは逃げとるんやわ、何を怖がっとん?」
    渚も強気で春子の核心に迫る。東海林も渚からの好意を知りながらも、渚の前で本音を話すのは少し心苦しかった。
    でもこうしていい年したオヤジの恋愛に力を貸してくれているのならば、自分もちゃんと伝えないといけないと思った。

    「昨日の話の続きだけど、お前が全部捨てて名古屋まで来てくれたのに、社長賞を辞退したのは本当に悪かったと思ってる」
    春子は目を逸らして煮え切らない顔をしていた。
    それでも東海林は話を続けた。
    「名古屋で結婚したのも、お前が居なくなって辛かったから…俺が弱かったし馬鹿だったからだと思ってる。まさかお前がまた名古屋に来たなんて知らなかったから…」
    もう13年も前のことを穿り返され、春子は無理矢理殻をハンマーで叩かれているような気分だった。
    今更謝られてもどうしたらいいのかと言わんばかりの顔を春子にされても、東海林は無意識に近づきながら話し続ける。
    「そりゃお前からしたら裏切られたようなもんだよな。あれだけ好きだって言ってた男が短期間で他の女と結婚してんだから。もし俺が逆の立場だったら立ち直れなかったかもしれない。だけど…」



    「それでも俺が今も結婚したいと思うのはお前だ」


    ー俺が本当に結婚したいのはお前だ


    あの日のシーンがフラッシュバックする。
    春子はやっと目線を東海林に向けた。その瞳はあの時と同じ嘘のない真っ直ぐな瞳だった。


    そして、春子を抑える腕が震えていることに気がついた。
    後ろから涙声で、訴える渚がいる。
    「春子さん、羨ましいよ…私やったら喜んで即市役所行くわ…」
    自分の好きな相手が、目の前で他の女へプロポーズをしている。
    渚がまるで、東海林と他の女性と一緒にいるのを見つけた時の自分のように感じた。

    自分はどうしたいのか、どう答えたらいいのか。もう逃げ道はない、春子は今ここで答えを出すことを迫られていた。
    気がつくと朝日が昇り、春子の目の前にいる東海林の髪を照らしていた。
    眩しくて目を細めてしまう、このまま目を閉じてしまいたい衝動にかられていたけれど、こんなに真剣に私と向き合ってくれている東海林からこれ以上逃げている訳にはいかない。


    春子は、覚悟を決めたように強く手を握りしめた。


    「私は…東海林武が……好きです」

    その言葉を伝えると同時に殻が粉々に割れていく音がした。そのかけらが涙腺を刺激して、自然と涙が溢れた。

    「わかってました…本当は、私があなたの側から離れたのがいけないって………だけど、あなたなら私のことをずっと待っていてくれると、過信して、いたんです…」
    涙が止まらなくて、うまく話せない。それでも自分の思いを全て吐き出したかった。
    「私は……怖い、1年前も…あなたが私に何か言おうとしても逃げてしまった……あなたの好きが一時の感情で、結局またうまくいかず……そうなるのが怖かったんです」

    「……とっくり」
    視界が滲んで春子は東海林の表情がよくわからなかった。けれど切なさを呼ぶような声が、余計に涙を誘う。
    「本当は、好きで好きで、ずっと気になっていて……あなたのそばにいたかった。だからまた、あなたの愛する会社へハケンとして来たんです」

    どうして今まで頑なに自分の気持ちを押し殺してきたのだろう。もっと早く素直になっておけば、この人ともっと長い時間共に過ごせたのに。
    春子は気持ちを吐き出せた高揚感と、今までの自分を省みる気持ちでぐちゃぐちゃになっていた。

    すると、押さえつけられていた腕が自由になる。
    「私、朝の手伝いあるからここで失礼するわ。2人ともあとでちゃんと朝ご飯食べに来てや」
    渚も涙で目が真っ赤になっていた、春子は泣き笑いしながら
    「ありがとう、渚さん」
    そう告げると渚はピースサインをして、その場を後にした。

    2人きりになり、先に言葉を発したのは東海林だった。
    「あのさ、春子って…呼んでいいか?」
    春子は1歩、2歩と近づき東海林を抱きしめた。
    「お好きにどうぞ」
    「おい、さっきまでの素直さはどこにいった」
    東海林は春子の背中に手を回す。衣類が朝靄のせいでひんやりとしていたが、すぐに体の温もりが伝わってきた。
    「春子、春子、はーるーこっ」
    「恥ずかしいので、やめてください」
    「何だよ、照れんなよ……もう離さないから、逃げんなよ」
    「……もう逃げられませんが、何か?」
    「…好きだ」


    そして、2人の影が重なった。




    朝食をご馳走になった2人は、卵かけご飯の美味しさに驚愕し、春子はおかわりまでしていた。その後社長に挨拶して養鶏場を後にした。
    帰り際、渚は春子に耳打ちで
    「結婚式には呼んでや」と冷やかしを入れた。
    東海林も春子も、渚の存在に大きな敬意を示していた。
    「きっとなっちゃんは、数年後にはもっといい女になってるだろうな」
    帰りの車の中で東海林は呟いた。
    「そうですね、あなたを好きになる人はみんな素敵な女性ばかりです」
    春子も穏やかな声でハンドルを握りながら言った。
    「それ、お前も含まれてるのか?」
    「…当然です」
    直進の続く信号のない田舎道を走りながら、2人は昨日とは明らかに違う雰囲気で話している。

    「そういえばさ、いきなりなんだけど今度俺の実家に行かないか?うちの母さんも最近体調悪くてさ、ほら名古屋で1度会っただろ?」
    そう言うと、春子は一瞬困惑の表情を見せたがまた笑顔になり
    「そうですね、考えておきます」
    そう答えるに留まった。
    実家へ行くと言うことが結婚の現実味をおびてきたのだろうか。そう東海林は感じ取った。

    すると、春子の方から
    「昨日の夜、落とした写真の件ですが…」
    東海林は話を振られてギクッとした。昨夜春子が落としてしまったアルバムだが、それ以前に自分が見てしまったこと。
    東海林は素直に謝ろうと、一昨日の昼休みにカバンを落としてしまい中を見てしまったことを謝った。
    「そうですね、確かに微妙に位置が違うので怪しいと思っていました」
    思ったよりもあっさり許してくれた。
    それが少し東海林には不満だった、自分の写真を大量に持ち歩いているなんて、知られたら恥ずかしくないのだろうか?
    それとももう両思いだから気にしていないのかもしれない。まぁそんなところもかわいいなと思いながら、東海林はラジオから流れてきたメロディに合わせて口笛を吹いていた。







    東京へ帰り午後から2人で出勤すると、何故かみんな集まり困惑の表情をしていた。
    「どうかしたのか?」
    「東海林課長、お疲れ様です。それが今日、みずき銀行のデリバティブで契約ミスがあったんですけど…金融商品担当が急病で対応できないんです」
    浅野が助け舟を求めるように話しかけてきた。みずき銀行は浅野が担当していたが金融関係についてはほぼ経理部の担当者に任せていた。

    「それなら私が行きます」
    後ろから春子が手を上げて名乗りをあげた。
    確かに、昔銀行員だったのだから金融関係には詳しいだろう。だが1人で行かす訳にもいかない。
    「よし、浅野とは…大前さん2人で話をつけてきてくれ。俺は午前中の仕事も溜まってるから。頼むぞ」
    浅野の肩をポンと叩いて東海林はデスクにカバンを置いた。

    「わかりました、大前さんよろしくお願いします」
    「はい、では行ってきます」

    春子は浅野と共にエレベーターホールへ向かい、すぐ近くのみずき銀行へと向かった。




    東海林は上機嫌で養鶏場への報告書を作成していた。早く終わらせて今日は定時で帰りたい、春子と一緒にいたい気持ちが心を弾ませた。

    春子を銀行へ行かせたその行動が、のちに激しく後悔する事となることも知らずに。




    報告書を作成し経理へ費用の請求を済ませ、一息つこうと給湯室へ入りコーヒーを入れる。
    こうしていつもと変わらない日常を送っていると、春子との関係が今朝変わったばかりだという
    実感がまだ湧かない。
    会社についてすぐ春子も外出し自分も残っていた仕事に追われていたからかもしれないが
    でも、これからきっと少しずつ変わっていけるはず、東海林はそんな希望を持っていた。
    また名古屋の時のように2人の時間をゆっくり過ごして、今度こそ結婚してずっとそばにいたい
    もちろん結婚式もあげたいしハネムーンは海外がいい、子供ももしのぞめるなら…。
    そんな未来を想像していたら知らぬ間に顔がにやけていた。
    こんな風に未来を夢見るなんて、他の女性ではなかった気がする。
    そう考えていたら、ふとあることが頭に浮かぶ。
    そういえば春子は自分に会えない間、恋愛はしていたのだろうか?
    あいつのことだから恋愛には無縁のような気もすると東海林は思ったが
    もしかしたらスペインでイケメン外国人に迫られてそのまま…と
    春子がイケメン外国人と抱き合う姿が脳裏に浮かんだ。
    東海林は首を振り嫌な想像を消した、やっぱり相手が他の男と付き合っているのは嫌だ
    自分はしれっと結婚したり離婚したりしているのに勝手かもしれないが。
    (もしかしたら…あいつもこんな気持ちだったのかな)
    名古屋で自分と元奥さんを見つけた時の春子の気持ちを考えると、また胸が痛くなった。
    けれどもうそんな風に傷つけたりしない、大事に…大事にするんだ。
    コーヒーを飲み干して、また仕事に戻る。壁の時計と目が合うと3時を過ぎていた。
    浅野と春子のデスクを見るが、まだ帰ってきていない。
    対応に時間がかかっているのだろうか?担当の銀行だからと浅野に行かせてしまったが
    トラブルなら先輩の自分が行った方がよかったのかもしれない、もう少ししても帰ってこなければ
    連絡を入れてみよう。

    ちょうどその時、エレベーターからバタバタと駆けてくる足音、そして甲高い声で叫ぶ声が響いた。
    「大変です!!」
    浅野が血相を変えて、戻ってきた。そこに春子の姿はない。
    どこか嫌な予感を抱えながらもその場にいた人間が揃い揃って声をかける。
    「浅野、何があった?」
    東海林も気になり声をかけた。
    浅野は不安を前面に出したような顔で、デスクに手をつき項垂れるように言った。
    「さっき…みずき銀行で話し合いをしていたら、帰り際に銀行強盗と遭遇して…」
    その瞬間、ざわっと動揺が走る。
    「そう言えば、この間も近くで銀行強盗があったんだよね」
    「浅野くんは大丈夫だったの?」
    問いかけが重なり周りも錯乱しているのがわかった。
    「それで……大前さんが犯人と話し合うって、1人中に残ってます」
    春子がいない時点でまさかと思っていたが、浅野の口から吐かれた言葉で嫌な予感が確信になってしまった。
    東海林は目の前にシャッターが降りてきたように真っ暗になった。まさか、春子の身に何かあったらー。
    さっきまでの幸せな想像がガラガラと崩れ落ちる。
    「それで、どうなったんだ!?」
    東海林は浅野の腕を強く掴み訊問すると、浅野は重々しい表情になり
    「まだ中にいます、でも警察も来てるから大丈夫だと思うんですが、犯人が刃物を持ってて……」
    それを聞くなり体は無意識に銀行へと向かっていた。
    後ろから浅野たちもついてきていたがそんなことにも気づかずとにかく夢中で
    春子が無事でいてくれることを信じて駆けていた。

    あの時、春子を行かせなければよかった、正義感の強い春子のことだから自分から1人で何とかすると言い出したのだろう。
    いつだってそうだ、困っている人や窮地に追い込まれている人がいたら助けずにはいられない。
    自分だって春子には何度も助けられた。
    今度は自分が助ける番だー。


    銀行の前には野次馬や警察やすでに報道陣も集まりごった返していた。建物の周りには立ち入り禁止の黄色いテープが張り巡らされている。
    東海林は人混みを掻き分け前へ進むと、警察官が立っていた。東海林は押し詰めるように問いただす。

    「すみません、中の…中にいる女性はどうなっているんてすか?」
    警察官は警備担当のようで中の様子までは分からず
    「いや、それはわかりません」
    それなら自分の目で確かめるしかないと、東海林は建物の中に入ろうとするが、警察官に制止される。
    「ここは立ち入り禁止です、下がってください!!」
    そう言われても東海林は無理矢理黄色いテープを引っ張り
    「中に、中に春子がいるんだ!!助けたいんだよ!!」
    無意識に声を荒げ、押さえつけられている腕を振り解こうと必死で力を振り絞るが
    警察官の力が強くて前に進めない。
    目の前にいるのに何もできない無力さに悔し涙が出そうになり、建物の中にいる春子へ届くようにと
    大声で叫んだ。

    「春子!!何で1人で全部抱え込むんだよ、お前に何かあったら…俺が困るんだよ!!……っ春子ーーーっ!!!」
    東海林は思いの丈を全てぶつけるように絶叫した。



    「はい」


    後ろから冷静すぎる返事が来た。
    この無機質で可愛げのない声はー。
    東海林はゆっくりと体を傾けた。

    「……春子!!」

    中にいると思っていた春子が目の前にいて、東海林は頭の中がパニックになっていた。
    「え??あっちにいるんじゃ…え??」
    指を建物と春子へと交互に指していると、春子がふっと息をついて
    「さっき犯人は自首しました、今は現場検証を行っています。
    私は近くで警察に保護されてこの後事情聴取を受ける予定です」
    「お前…ケガは??ケガはないのか?」
    「ありません、ご心配なく。それでは時間がかかるようなので今日は直帰させてもらいます」
    どう考えていてもさっきまで銀行強盗と一緒にいたとは思えないような冷静さに
    東海林はあっけにとられ、しぼんだ風船のようにへなへなと地面に座り込んだ。
    「あと、勤務中は私の事を春子と呼ばないでください。では失礼します」
    一礼するとそのまま奥のパトカーが集まっていることろへと向かった。

    「はぁ~~~っ、何だよあいつ…!!」
    東海林は頭をわしゃわしゃ掻きながらうなだれる。
    そんな東海林を心配そうに後ろから浅野たちが声を掛ける。
    「あのー、東海林課長、大丈夫ですか?」
    「それより、さっき大前さんの名前連呼してましたけど…」
    「うるせー!大丈夫だよ!!名前なんか呼んでないし!!空耳だ、空耳!!」
    東海林は立ち上がりホコリを払いながら、半ば八つ当たりともとれる
    返事をしていた。
    後で知ることになるが、東海林の少し後ろでテレビの記者が中継をしていたせいで
    東海林の叫びは全国ネットに晒されていた。


    その後、まともに春子と話ができたのは翌日の終業時間だった。
    「犯人は銀行時代の上司でした、つい最近リストラされたようで
    その腹いせに銀行強盗など起こしていたようです」
    エレベータを待ちながら、春子は説明していく。
    「だから1人で…それでも無茶しすぎだろ」
    「昔話に花が咲き、30分も談笑してしまいました」
    「そんなところで花を咲かせるな!!」
    エレベーターが到着し2人は中に入り、東海林がボタンを押す。
    「いい上司だったので…これ以上過ちを犯してほしくなかったんです
    私はとうの昔にリストラされましたが、当時はお世話になった人ですから」
    「…それでもさ、マジでお前に何かあったらどうしようかと思ったんだからな」
    東海林は春子の小さな手に触れた、今までの春子なら払いのけただろう。
    でも今は違う、ゆっくりと握り返した。
    エレベーターは途中で止まることなくそのままの2人を1階へ運んだ。
    扉が開くと春子は手を放し、先に降りた。
    それを追いかけるように、東海林が出ると急に止まった春子にぶつかる。
    「おい、こんなところで…」
    そう言いながら春子の向こうに目線を向けると、セキュリティチェックのところで
    警備員と押し問答している女性が見えた。
    どこかで見た顔…東海林は目を見開きズームアップさせる。
    「ここは関係者以外は入れないんです」
    「私の息子が働いているの!だから関係者でしょう」
    そう言って無理矢理入り込もうとする女性は高齢だが覇気のある声をしている。
    東海林は身に覚えのあるその女性に向かって声をあげた。
    「母さん!?」
    その声に気づいた女性は両手を振り、東海林に向かって
    「サプラーーーイズ!!で来たわよ~~~春子さんも久しぶり~~~」
    陽気な声でふるまうさまが何とも息子に似ている…と春子は心の中で思っていたらしい。
    その後ロビーに出て3人で話をした。
    「母さん、体調悪いって言ってたんじゃないのかよ」
    「そうよ、だから遊びに来るのが遅れちゃって。でも昨日
    春子さんからメールが来ていてもたってもいられなくて新幹線飛び乗っちゃったわ」
    「多佳子さん、遠いところお疲れ様です」
    「おいおい、なんでお前がうちの親とメールしてるんだよ!」
    「私と春子さんメル友なのよ~ほら、名古屋で会った時交換したのよ
    それから時々あんたの事教えてくれて。武あんた春子さんに求婚したんですってね~」
    「多佳子さん、その話は置いといて…」
    「置くな!なんでお前が俺の近況母さんにメールしてんだよ!!」
    春子は話をそらそうと、鞄からあるものを取り出した。
    「先日お約束していた写真です、いつでもお渡しできるよう持ち歩いていました」
    それは、東海林が2度も目にした自分ばかり写っている写真の入ったアルバムだった。
    「えっ!?その写真…!!」
    「ありがとう~まぁこんなに!?集めるの大変だったんじゃない?」
    「いえ、それほど。名古屋の知り合いや旭川の事務所の方にも協力してもらい
    総数561枚の集大成です」
    「どんだけ収集したんだよ!っていうか母さんもそんなもんもらってどうする?」
    「私もこの先いつ死ぬかわからないから、あんたの記録を見届けたかったのよ…」
    東海林の母、多佳子は少し寂し気な瞳で息子を見た。
    「母さん…」
    母親の思いを知り、感動したものの…冷静に考えると
    春子が自分の写真を持っていたのは、自分の母親に渡す為だったのだ。
    今までずっと自分のことが好きだから持っていてくれたのだと思っていたのが
    自分の勘違いだと知り、昨日の帰り道で迂闊なことを言わなくてよかったと
    心のなかでほっとしつつも、少しのがっかり感があった。
    「それより、こんなところで立ち話も何だから…食事でも行きましょう」
    多佳子は2人の肩を叩き先導をたって歩きだす。
    「多佳子さん、近くにフグの美味しいお店が…」
    「とっくり!!お前が食べたいだけだろ!!」
    勝手に話を進める春子についいつものあだ名で呼んでしまう。
    「いいじゃない~春子さんの好きなものもっと知りたいわ、行きましょうよ武」
    自分の母親の事をこんな風に思うと気持ち悪いと思われそうだが
    いくつになってもチャーミングでかわいい母親だ。
    女二人に振り回されっぱなしだが、とりあえず春子にも母親にも聞きたいことがまだまだある。


    「仕方ねえな…行くぞ春子、母さん」
    3人は横並びでロビーを出て店へと歩いて行った。

    ―エピローグー

    ふぐ刺しを目の前に、春子は目を輝かせていた。
    多佳子もお絞りで手を拭きながらにこにことしている。
    東海林一人だけが腑に落ちないような表情をしていた。
    「美味しそう、頂きます~」
    「いただきます」
    「いただきます…の前に、とりあえず説明してくれよ。
    いつから2人でこそこそ連絡取ってたんだ」
    「そんなに頻繁ではありませんが、半年に1回ほど」
    「でも春子さんたら丁寧に書いてくれるから読むのに30分くらいかかって」
    「なげーよ!!」
    「あんたが結婚した時もどこの店に入っていって何時間いたとか
    事細かく送ってくれて…」
    「おまえ尾行してたのかよ!!ストーカーじゃねーか!!」
    「ストーカーだなんて失礼な、あなたがきれいな女性を連れていたので
    怪しいと思い女性を心配して様子をうかがっていただけです」
    「そこは素直に気になって後をつけたって言えよ…」
    「そうよね~この子が結婚しちゃうから春子さんショック受けてたのよね」
    「いえ、そうでは…ありません」
    「何だ、お前顔赤くなってんぞ」
    「うるさい!!」
    春子は照れ隠しなのか、ふぐ刺しを何枚もすくいあげ刺身皿の醤油に浸し
    もぐもぐと食べた。
    「あーあ、俺も食べよっかな。ほら、母さんも」
    「そうね、いただくわ」
    その後しばらく食事をしながら東海林と多佳子が親子団欒の時間を過ごしていた。
    それを春子は微笑ましく見ている。
    ほどなくして今度は鍋が運ばれて来た、春子は多佳子の小皿によそい
    熱いので気を付けてと言いながら手渡す。
    「何だよ、俺にも入れてくれないのか?」
    東海林がわがままな子供に見えて、仕方がないと春子はよそってあげるが
    「お前これ野菜ばっかじゃねーか!」
    「ふぐが食べたいなら自分でとって下さい」
    「お前の皿から取ってやるぞ」
    「はしたないからやめなさい」
    箸を伸ばしてきた東海林の腕を押えて喧嘩している様子を見て、多佳子は笑い声をあげた。
    「面白いわね~2人とも。武も普段女の子には弱いくせに春子さんには強気なのね」
    「こいつはなぁ、俺の事くるくるパーマとか呼ぶしかわいくねぇんだよ」
    「私はそんなことは言っておりません、多佳子さん」
    「嘘をつくな、嘘を!!」
    「あ、そうだ。私も昔の写真持ってきたのよ~じゃーん!!」
    多佳子は鞄から古びたカメラ屋の名前が書かれたアルバムを取り出しページを開く。
    「見て、これが小学生の時の武。まだくるくるパーマじゃなかったのよ~」
    「本当ですね、やっぱり雷に打たれてパーマになったんですか?」
    「母さんまでくるくるパーマとか呼ばないでくれよ」
    そしてもう一枚めくると水遊びでなぜかビキニを着ている写真が出てきた。
    「あらやだ、こんなのも撮ってたのね~」
    「これは…変態ですか???」
    東海林は慌てて手で写真を隠す。
    「姉ちゃんのをふざけて着ただけだよ!!見るな!!」
    「多佳子さん、これ頂けませんか?弱みを握っておきたいので…」
    「いいわよ~ぜひ持ち歩いてて」
    「やめろ、課長がこんな姿になってたとか知られたら会社に行けねぇよ!!」

    約2時間、ふぐ料理店の和室ではこんな会話がずっと飛び交っていた。
    東海林も、春子も、そして多佳子も、早く本当の家族になりたいと思いながら
    アルバムをめくり当時を振り返っていた。


    そう遠くない未来には、また新しい家族がやってくる予定。

    新しいアルバムにはまた写真が刻まれる。


    しゅ Link Message Mute
    2021/01/04 15:21:40

    ハケンの失格 1、5、6

    支部でリレー小説として書いたものです。
    なので最初と最後だけしかありません、ほかの方の作品は支部にあります。

    ほかの方の部分はいつか自分でも書いてみようかと思います。

    #ハケンの品格 #二次創作 #東春

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