どうしよう いつからだろう。気づけば目で主を追っている。
昼下がり、遠征部隊を迎えている彼女が近くにいる。それだけで気もそぞろになり、畑仕事の手を休めてしまう。目が合うかもしれない。そう思うと心臓の鼓動が速まり、必要以上に緊張してしまう。恥ずかしいような、でもこっちを見て欲しいような、相反する自分の気持ちに戸惑う。こんなの初めてだ。人型を与えられるまで体験したことが無いなんて当たり前だが、こんなにも苦しいものなのか。長年、恋愛に関する祈祷にも数多く触れてきたからこの感情が何を指すものかなんてすぐに分かった。私は主に恋をしている。
「ど、どうすればいいんだろう……」
誰にともなく小さく呟く。自覚してからまともに彼女の顔を見れないし、ろくに話もできない。このままでは任務に差し支える。いや、それよりも――
〝私がもう保ちそうにない!〟
これ以上、彼女と共にいるのは危険な気がする。何かが溢れてどうにかなってしまいそうだ。彼女と手を繋ぐことを考えるだけで顔の熱がいつまでも引かない。ずっとこのままの状態が続いたら私はどうなってしまうんだ!
「で、僕のところに来たってわけ?」
「乙女なの?」とにっかり青江はにやついた笑みを浮かべて言った。夕食後に訪れた私の話を肴に酒まで出してくる始末だ。私だってできれば君のところになんて来たくなかったよ。
青江君とは別段、仲が悪いという訳ではないが、こういった相談をする時は別だ。高確率でからかわれるのでできれば知られたくなかったが、いざ誰かに相談しようとなると彼くらいしか思いつかなかった。なんとなく彼は俗世慣れしてそうだし。
「それにしても、よりによって主か。君も大胆というか、怖いもの知らずというか」
「それは重々承知しているよ。でも、もうどうしようもないんだ。最悪の場合、主の毒で死んでもいいとすら思っている」
顕現された当初は到底信じられなかったが、主はばじりすくの化身だという。見た目は普通の女性だが、切れ長の金目と長い白髪は確かに蛇を思わせる。彼女曰く、首には邪視の目があり、その目に見つめられると途端に相手の命を奪ってしまうという。更に言えば、彼女は全身から多種多様な猛毒を出せるらしい。普段は『目』を隠す為、首にかばあをしているということだ。
「そう思ってる時点で君の恋心は相当だねぇ」
「うう……。お恥ずかしながら、だよ」
「なら、やることは一つさ」と青江君は頷いた。訊き返すと、彼は告白しに行けと言う。いや、急過ぎないかい?
「いや、ま、まだその段階ではないというか……」
「え? じゃあ、いつ告白する気でいるのかな? 百年後? それとも千年後かい?」
「くぅっ……!」
この昆布頭め! 好き放題言ってくれる!
「ヤるだけヤって来なよ。……告白のことだからね? 結果がどちらにしても、君の気持ちは晴れるだろう?」
要は当たって砕けろと言いたいようだ。いや、本当に砕けてしまったら多分、私自身も砕けてしまうと思うよ。それこそ私が切った石みたいに。そうなってしまったら君はどう責任を取ってくれるのかな?
「骨くらいは拾ってあげるよ」
君、確実に私が砕ける前提で話してるよね。……告白、かぁ。試しに明日主に告白することを想像してみた。
「……了承をもらえる気がしないよ!」
「いや、それは知らないよ」
「どうしよう、青江君! 主に拒絶されたら! 告白したことによって気まずい空気に支配されてその後、疎遠になってしまったら! そうなってしまったら、私はもう神殿に引きこもるしかない! 反省と後悔の祈祷を延々続けることになってしまうよ!」
「戦おうよ、歴史修正主義者と。引きこもんないでよ。……後、反省と後悔の祈祷ってなに? ちょっと気になる」
その後も散々悪い想像をし続け、気が付いた時には青江君の部屋で酒瓶を抱いたまま朝を迎えるという御神刀としては問題な失態を犯してしまった。結局、何も解決していないじゃないか。
二日酔いで痛む頭を押さえながら、風呂に入り、告白しようかどうしようか迷っているとのぼせそうになったので、慌てて上がる。一度頭をはっきりさせないとだめだ。そう思い、朝の清々しい空気を感じながら神殿へ足を向けた時だった。
「あ、るじ……」
「……おはよう、石切丸。これから祈祷か?」
眠そうな目を擦りながら珍しく主が起きてきた。青江君の導きかな? 脳裏に妖精の羽根が生えた青江君がでてきたので、その想像を直ちに空の彼方へ追いやった。友人とはいえ、ちょっと気持ちが悪い。
しっかりと返事をできたか怪しいが、早起きなんて珍しいねなどと白々しい返しをすると主はゆったりとした動きで縁側に座り、隣を軽く叩く。彼女が話をしたい時の合図だ。
緊張と興奮で今はすぐにこの場から逃げてしまいたいのだけれど。縁側に座る主とわたわたする私。しかし、時すでに遅し。彼女の誘いを断るのは気が引ける。
肚を括っておそるおそる彼女の隣に腰掛けると、彼女は欠伸と伸びをする。自然と胸が強調され、視線を奪われかけるが、慌てて俯いてやり過ごす。平常心、平常心……。
「祈祷に行くのに止めてごめんな?」
「い、いや、大丈夫だよ」
まだ夜が明けてそう経っていない。祈祷の時間には充分に間に合う。言葉を交わしてから何とも言えない微妙な空気が流れる。それに反して私の心臓の鼓動はばくばくと激しくなるばかりだ。赤面してしまっていないか物凄く気になる。立ち去ってしまいたいような、まだもう少しここにいたいような。落ち着かない状態が続き、居たたまれなくなってきた頃、不意に主が口を開いた。
「なんかこうしてお前と話すのも久しぶりだな」
「そ……そう、だね」
「ここのところ、私ずっと避けられてたからな」
「そう……かな?」
「石切丸さ」
「何だい?」
「私のこと好きだろ?」
「うん……はっ!?」
極めて自然に投げかけられた疑問にするりと答えてしまってから、頓狂な声を出してしまった。しかも、裏返ってしまったし。恥ずかしいな。
驚いて彼女の方を見ると、じっとりと細められた金目とかち合う。その目は確信に満ちていた。彼女がこちらに身を乗り出してくる。その目から感情を読み取ることは難しい。
「顔赤いぞ」
思わず頬に手をやって温度を確認する。それを見た彼女は心底おかしそうに笑った。あ、可愛い。ちらりと覗いた二又の舌先にどきりとする。
「そっかぁ。好きかぁ。……私もだぞ、石切丸」
「あ、そうなんだ。……ってええっ!?」
第二の爆弾にまた声が裏返る。今日の私は格好悪いところばかり見せてしまっているな。
「ははは。まさか、両想いだったとはな。今まで散々悩んだ時間は何だったんだという話だ」
「あ、主も悩んでいたのかい?」
「ああ。お前をいつ私のものにしようかとな」
ああ、彼女は肉食系というやつだったのか。妙に冷静な部分で私は漠然とそう思った。ここまでずっと彼女に翻弄されてばかりだったが、私だって男だ。これからは男として彼女を支えつつ、主導権を――
「という訳で、石切丸。これで晴れて私達も恋仲ということになったな。今夜、私の部屋に来い」
……今主は何と言ったのかな? 「今夜、部屋に来い」だって? 色々と早くないかなっ!?
「え!? えっ!? あの、主、節度を……」
「じゃあ、待ってるからな」
突然のことに頭が混乱し過ぎて意味の分からないことを口走ってしまったが、主は特に気にした様子もなく、言うだけ言うとさっさと自室へ戻って行ってしまった。
朝から夜のお誘いを受けてしまった。どうしよう。