沸点の低い先輩「今日はここまでにしようか」
その言葉を聞いた途端、監督生は「終わったぁ〜」と椅子の背もたれに寄りかかって伸びをする。その様を見てロロは呆れた溜息を吐いた。
「少しは取り繕ったりしたら、どうなのかね」
「だって、難しいんですもん。でも、ロロさんが教えてくれるから、続けられるって感じです」
「全く……。君の授業態度は概ね真面目で好感が持てるが、その切り替え様は少々鼻につくぞ」
「まぁまぁ、そんなこと言わずに。ロロさんのお陰で転移魔法についても少しは分かってきましたし、感謝してますよ。こんなにお世話になっちゃって」
交流会以降、監督生は度々ロロに連絡し、転移魔法についての知識を電話越しに教えて貰っていた。お互いの顔が見えるようにビデオ通話にしているので、ロロの持つ本のページを見せて貰ったり、監督生のノートを確認して貰ったりと便利に活用している。最初はビデオ通話に切り替えることにももたついていたロロだったが、最近は監督生より早く切り替えて待っているようになっていた。
「毎日本当にすみません。ロロさんも自分の勉強があるのに……」
「いや、時間を取ること自体はそれ程苦ではない。問題なのは、君の理解力の無さの方だ」
「えー、ひどくないですか〜?」
「酷いのは君の勉強のペースだろう。名門校でちゃんとやっていけているのかね?」
素を現したロロは基本的に毒舌だが、時折優しくもある。監督生は密かに彼のこういうところに好意を抱いていた。
「勉強は大変ですけど、何とか。僕、成績はそんなに悪くないんですよ。……たまーに赤取っちゃうんですけどね」
「はぁ……嘆かわしい」
一刀両断である。流石、ノーブルベルカレッジの生徒会長様は言うことが違うなと監督生は感心した。それに弁解しようと監督生はノートに落としていた目を上げる。
「いや、エーデュースとかグリムみたいに毎回じゃないですよ!?」
「おい、子分! オレ様のことは言うんじゃねぇんだゾ!」
監督生がロロと勉強している間、静かに過ごすように言われていたグリムが聞き捨てならないと怒り出す。読んでいた漫画から顔を上げ、ベッドから監督生の膝の上まで来て抗議するも、監督生に口を塞がれる。
「毎回赤点!? ……信じられない。毎日予習と復習をしていれば、そんな点数になる筈はないだろう」
「ロロさん。この世には『勉強嫌いの学生』という人達が存在するんですよ」
「……何をしに学校に行くんだね? その奇っ怪な連中は」
「ぷはっ……。何って授業サボって遊んだり、昼寝しに行くんだゾ」
そのグリムの一言を聞いた途端、ロロは顔を両手で覆い、その中で「はあぁぁぁぁぁぁ〜……」と今までで最大の溜息を零した。最早零したというより、発したと言っていい。
「学生という立場を分かっていないにも程がある。ユウくん、そんな環境で大丈夫なのだろうか。本当に」
「本当に」の部分に切実なものを感じた監督生は、「ははは」と渇いた笑いを返すしかできなかった。
「それにしても、オマエら、毎日何の勉強してんだ?」
「なんだ、ユウくん。話していなかったのかね」
「いえ、勉強って言うと、途端に興味無くすのがグリムなので。転移魔法についてロロさんに教えて貰ってたんだよ」
そう聞くと、グリムは「ふ〜ん」とやはり興味が無さそうに呟いたが、意外にも少しだけ踏み込んでくる。
「勉強してどうすんだ?」
「元の世界に帰るんだよ。グリム、僕が異世界人だって忘れてただろ」
「そういえば、そうだったな。ま、帰る方法見つかっても、オレ様がここを卒業するまでは居て貰わなくちゃ困るんだゾ」
「? 君とユウくんに何の関係が?」
監督生がグリムと自身の学籍事情について話すと、ロロは「なるほど」と呟いた。同時に「なんて杜撰な……」とも言われたが。
「祭りの時も思ったが、グリムくんは少々マナーに欠けているのではないかね?」
「こ、これでも入学式の時よりはだいぶ良くなったんですよ!? 最近は本当無闇矢鱈に火噴かなくなったし!」
「それは当たり前のことなのでは?」
「うぐぅ……!」
「大丈夫か? 子分。どっか痛ぇのか?」
まるで腹に打撃でも受けたように、苦しげな表情でくの字になる監督生をグリムが心配する。それに「大丈夫」と返して監督生は続けた。
「そ……れは、そうなんです、けど……。グリムは本当、最初は生徒ってより、動物そのものでしたけど……」
「おい」
「それでも、ちょっとずつ学園の中で一緒に学んで、授業だけじゃなくて部活にも行くようになって、集団生活の基本ができるようになってきたんです。僕、これは素直に尊敬すべきことだし、凄いことだと思ってきたんですけど……」
「……すまない。配慮が足りなかったな。そのような経緯があったとは知らなかった」
「魔法士だけでなく、グリムくんに関してもそのような苦労をしていたとは」と呟くロロに、監督生は慌てて付け加える。
「あ、いえ、グリムに関しては大変でしたけど、それ以上に得たものは大きかったので」
「得たもの……?」
「友達、です」
それから監督生はぽつりぽつりとこれまでの学園生活を振り返りながら、ロロに話して聞かせた。マブダチのエース、デュースに始まり、ハーツラビュル、サバナクロー、オクタヴィネル、スカラビア、ポムフィオーレ、イグニハイド、ディアソムニア。全ての寮に友人を作れたり、頼れる先輩達と友好を深められたのは、グリムのお陰と言っても過言ではないと話す監督生の膝の上でグリムがえっへんと胸を張る。
「だから、グリムには感謝してるんです」
「急になんなんだゾ、子分。照れちまうだろ」
照れ隠しに膝から下りるグリムとそれを見送る監督生。電話の向こうにいるロロは黙ってその様を見ていた。両者の間には監督生の言う通り、長らく一緒にいる者同士の信頼感のような雰囲気がある。その様子を見て、何故かロロは気難しそうにハンカチを口に当てて一度目を閉じると、すぐに開けた。
「ユウくん、そろそろ寝た方が良い。夜更かしをすると明日に響く」
ロロに言われてスマホの時刻を確認すると、23時を示していた。どうやら、だいぶ話し込んでしまったらしい。彼の言う通りだと思った監督生は「おわあ」と頓狂な声を上げて大急ぎで明日の支度をし始める。慌てている後ろ姿を見てふっ、と口元に笑みを零しながら、「では、私ももう寝る。おやすみ」と言うロロに監督生も「おやすみなさい」と言って電話を切ろうとしたが、ロロはその間際、「明日そちらは実験科目があるだろう。実験着も忘れずに持って行くのだよ」と言った。
「え? ……わあ、本当だ。ありがとうございます、ロロさん。忘れるとヤバいんですよねぇ」
「今度は爆発しないといいな」
そう言って一方的に電話を切ったロロに監督生は思わず叫んだ。
「いつも爆発してませんって!!」
「うるせぇんだゾ!」
監督生は背後から柔らかなクッションをぶつけられた。
電話を切る瞬間、監督生の間の抜けた顔を思い出し、ロロはくすくすと笑う。そこではた、と我に返り、ぼそりと独り言を虚空に投げた。
「何をやっているんだ、私は」
魔力の無い世界。それを実現させる為に一度は紅蓮の花に身を委ね、全てを葬ろうとしたロロだったが、マレウス率いるナイトレイブンカレッジ生に阻止された。それ以降、マレウス・ドラコニアによって受けた屈辱を晴らそうと、監督生に近づいた筈だ。決して彼と仲良くしようなどと思って、あんな提案をした訳ではない。
「なのに……」
なんだ、この胸焼けのような感覚はとロロは顔を顰めた。じりじりと胸の中で燻る、表現し難い感情に、苛立ちが募る。マレウスに対する憎しみと怒りで情緒が不安定になっているのだろうか。
「……ちっ」
このまま起きていては、苛立ちが募るばかりで体に障る。思い立ったロロはその感情を振り切るように椅子から立ち上がり、就寝する準備を始めた。
「思ったんですけど……」
「なんだね?」
いつものように転移魔法の勉強中、監督生が何気なく独り言のように呟いた。
「僕が勉強しても、魔法使えないからあんまり意味無いのでは?」
「今更気付いたのかね。最初から分かっていたことだろう」
「いや、でも、だったらロロさんはなんで何も言ってくれなかったんですか」
「知識は私から教わって、そちらで誰かに頼れば良かろうと思ったのだよ。何分、高度な魔法だから、寮長クラスでないと発動すらしないだろうがな」
「それこそ、マレウス・ドラコニアにでも頼れば良かろう」とふい、とそっぽを向いて言うロロに、監督生は無表情のまま、そっと言ってみた。
「もしかして、なんか拗ねてます?」
「……は? 何を言っている」
不愉快そうに眉を顰めるロロ。怒り出したので、監督生はどこか冷静に「あ、図星なんだな」と思った。
「ん〜……何か分かんないですけど、僕に原因があったら、ごめんなさい」
「…………『何か分からない』? 原因不明のまま、謝られる方が不愉快だと、卿は思わないのかね? 全く不誠実だと……! 不愉快だ! もう卿など知らん!」
「え、ロロさ……」
ブチッ、と一方的に電話を切ったロロは、そのまま振りかぶるようにしてスマホを壁へ向かって投げようとしたが、夜だということもあるので、仕方なくベッドにぽんと比較的優しく投げた。スマホが本格的に壊れては困ると思ったせいもある。
「全く……! 何なんだ、あの態度は!」
ロロ自身、自分がどうしてこんなに腹を立てているのか、よく分からない。分からないから余計に苛立つ。胸の辺りがムカムカするまま、監督生に当たってしまった。生徒会長らしくない、子供のような振る舞いをしてしまったと後悔したが、今更監督生に謝ることは意地でもできなかった。
「悪いのは、私なのか?」
監督生からしてみれば、いきなり怒り出して電話を切られたのだ。さぞかし訳が分からないよという状況だろう。しかし、それでもロロは監督生が失礼な態度を取ったから、私は悪くないと思い込んだ。
出し抜けにスマホに着信が来て、その音にロロはぎくりとした。最初は無視を決め込もうとしたが、ずっと鳴り続ける聖歌のメロディーが煩く、表示された名前だけでも確認しようとすごすごとスマホを取りに行った。
手に取って見ると、画面には監督生の名前。出ようかどうしようか少し迷い、少し怒りが収まってきたお陰で「ふん。出てやらんでもない」という気分になり、応対しようとロロは画面に指を滑らせようとした。
ところで電話は切れた。
「……はぁあっ?」
折角こっちが出てやろうというのに、切るとは何事だと理不尽極まりない思いを抱えるロロだったが、すぐに気持ちを切り替えようと深呼吸をする。
「……まぁ、また電話してくるだろう」
そう自分に言い聞かせて、ロロはさっさと入浴を済ませようと準備をする。いつもより少し遅く、ベッドの上に放置したスマホを気にしながら。
「何故来ない」
あれから一時間程、ゆっくりと入浴をして今日の分の予習復習をし、後は日課の読書をして寝る体勢に入っても、監督生からの電話は来なかった。良いのか、このままでは転移魔法について何も進まないが、本当に良いのかとここにいない監督生に頭の中で詰め寄ってみるも、脳内の彼にすら曖昧な笑いで誤魔化される。思えば、監督生には幾度もあの笑いで誤魔化されることが多かったように思う。マレウスに関する情報も当たり障りの無いものばかりな上、どうでもいい情報ばかりがロロの脳内のメモ帳に増えていく始末。氷菓とガーゴイルが好きとか廃墟巡りが趣味とか、そんな情報だ。
「あー、くだらない」
マレウスのことを考えると、更に怒りが湧いてくる。日課の読書にも身が入らず、ロロは布団の上に本を投げ出した。何故電話が来ないのか。それを考えても、同じようにイライラする。
「もう私は知らん! ユウくんなぞ知らん!」
あまりに苛立ちが酷くなったロロは、自暴自棄的に荒々しく部屋を消灯し、布団を頭まで被って不貞寝を決め込んだ。