差出人不明の手紙 ダニエルのユニーク魔法が初めて学園で発動した時、真っ先に狙われたのは自寮長のレオナ・キングスカラーだった。しかし、ラギーの目撃談では、レオナは慌てず騒がず、それどころか、読書の片手間にダニーを負かし、寮生達に言って元に戻させた。ダニーからダニエルに戻って謝罪をしに行った時、彼は世間話でもするかのように、欠伸混じりに言ったのだった。
「ああ、お前のあの姿。なんつーか、あれだな。遊び方を知らねぇガキみてぇだった」
故郷で化け物扱いされた魔法も、レオナにとってはその程度だった。だから、ダニエルもダニーも、忘れていたのかもしれない。自分の所属する学園が如何に特殊な場所だったのかを。
「どうしよう。どうしたの? なんでこうなる?」
実際、ダニーには理解できなかった。ちょっと遊んで欲しかっただけで振った石像は、ロロを壁に叩きつける程の威力を持って吹き飛ばし、彼を怯えさせている。戦いごっこ。彼が大好きな遊びだ。いつもなら、レオナに真っ先に仕掛け、あっさり負けるのが常だ。同級生のラギーにしても、ユニーク魔法で上手いこと避けられるし、後輩のジャックは真っ向から勝負してくれる。良く言えば、ダニーにとって最も良い環境。悪く言えば、ある意味で甘やかされていた環境とも言える。周りにダニーでは勝てない生徒が少なからず居たお陰で、彼は今まで誰のことも傷付けずにいられたが、そのせいで他人に対して手加減をするということができなかった。今回も例に漏れず、今こうして怯えたロロに罵声を浴びせられた。化け物と。
不意に故郷での寂しい気持ちが蘇り、ダニーの胸をいっぱいにする。自分でも、どうしたらいいのか分からないその感情をダニーは、自分を傷付けることで発散しようとした。まるで虫けらのような自分を叩き潰そうとしているかのように。
「消えろ! 消えろ! ピンクの象!!」
いきなり目に涙を溜め、床に頭を打ち付け始めたダニーに、尚更ロロは近付く気になぞなれず、それどころか、なるべく距離を取ろうと、何とか箒を杖代わりにして立ち上がった。何なのだ、こいつは。アズール達はとんでもないものを連れて来たのではないかと思うと同時に、先程の彼らの対応は至極真っ当だったのではないかとさえ、思えてくる。
そこまで考えて、はっとロロは自分が恐ろしくなった。先程、その考えは自ら否定したばかりではないか。大勢で寄ってたかって一人の人間を押さえ付け、無理やり水を飲ませて危うく溺死させてしまうところを、自分は見過ごせなかったから彼を連れて来た。なのに、この様はどういうことだ。
またあの時を繰り返すのか?
炎に飲まれる弟を見ていることしかできなかった自分を。
「…………」
ダニーはいつの間にか、床に頭を打ち付けることを止め、額から血を流しながら、泣きじゃくっている。まるで幼児が欲しい物を買って貰えなかった時のように、床に頬を付けてぐずぐずと鼻をすすっていた。声を掛けようか、どうしようかとロロが考えていると、どこからか陽気な歌が聞こえてきた。
へイ・ディドゥル・ディドゥル 素敵なスター
今宵は騒ごう 祝杯をあげろ
おれときみは友達 何も怖いものなどありゃしない
月明かり浴びて 歌えよ踊れよ
一緒に行こうよ 素敵な夜に
「っと、はい捕まえた!」
歌いながら階段を降りてきたジョットに、ロロもダニーもぽかんとしている。その隙にジョットがダニーにタッチすると、魔法で生み出された縄が巻き付き、ダニーを簀巻きにした。後から降りてきたジェイドの魔法によってまた大量の水を飲まされる。その光景を見ても、ロロは何も言わなかった。否、言えなかった。
「大丈夫ですか? ロロ先輩」
ダニーが水責めに遭っている光景を背後に、監督生が心配そうな顔でロロに駆け寄る。それに半分呆然としたまま答えて、ロロはばつが悪そうに目を逸らした。
「どうしたんだ? ロロのやつ」
「う〜ん……まだちょっと意識が朦朧としてるのかな?」
「……あ、いや、意識ははっきりしている。大丈夫だ」
頭を打っているから医者に診てもらった方が良いと監督生は言って、アズールに先に行っているように言うと、彼は意外にも快く了承した。ロロに肩を貸してグリムに先を歩いてもらう。歩き出す前に落ちていた彼の帽子を見つけた監督生は、丁寧に埃を叩き落としてからロロに渡す。差し出されたそれを受け取り、しっかりと被るのを見届けてから監督生とロロは歩き出した。
「何か違和感があったりしたら、すぐ言ってくださいね」
「ああ、分かった。…………彼はいつもあのような調子なのかね?」
「ダニー先輩ですか? そうですね。ダニエル先輩からダニー先輩になったところを何度か、遠くからは見たことあります。毎回、周りにいた人はいきなり殴られたりしてました」
「ダニーの噂は前に何回か、聞いたことあるんだゾ。ユニーク魔法の制御が利かない奴って」
ユニーク魔法の制御が利かない魔法士。本当にそんな者が存在するのか。そこで少し疑問に思ったロロだったが、一瞬急に頭が痛み、思考は遮断され、足元に気を配る方を優先させた。
「う……」
「ああ、やっと元に戻りましたね。ダニエルさん」
水を飲ませる度にダニーの体は少しずつ小さくなっていき、色も抜け、遂にダニーはダニエルに戻ることができた。しかし、元に戻ることが必ずしも彼にとって良いことばかりではない。その証拠がこれから出揃う筈だ。
「うぅ……いっっったいぃ〜〜〜〜!! 何これ!? 全身痛いんだけど……って、なんで頭から血が出てるのっ!? というか、ここどこ?」
「ここはノーブルベルカレッジの鐘楼で、あなたの全身が痛むのは、恐らく筋肉痛でしょう。飛んだり跳ねたり、泣きながら走ったりと色々しましたからね」
「後、俺が見た時にはなんか、床に頭打ち付けてたな。それも何度も」
「えぇー……マンタちゃんヤバぁ〜」
「うう……。あ、もしかして僕、またみんなのこと殴ったり……した?」
「殴った、というより僕には魔法で勝負を挑んできましたね」
「うぇええっ!? アズール君に!? ご、ごめんね! 僕、なんてお詫びしたら……」
「ああ、その点はご心配なく。ほら、この通り、あなたと契約書を交わしていますので」
アズールが渡した二枚の契約書の文面とミミズが這ったような自分のサインを見て、ダニエルは絶望の叫びを上げた。それを見てジョットが愉快そうに笑う。
「それにしても、まんまと引っかかってくれて面白かったぜ。ダニーのことは心配すんなって。次なった時でも俺らのことはトモダチだと思ってる。アズールの話では、そういうの覚えてるもんなんだろ?」
「ジョット、言葉遣い」
ロランドが注意するも、ジョットは行儀悪くロリポップを咥えたまま、「うるせぇな、監督生ちゃんいねぇんだから、別にいいだろ」と一蹴した。
「そ、そうだけどぉ……」
「ふふふ。ジョットさんも意地悪ですねぇ。ピンクの彼が覚えていられるのは、せいぜい三ヶ月程度だと知っている筈ですのに」
「それ最長ってだけじゃん。ジェイドもアコヤちゃんとおんなじようなことしか言ってねぇよ?」
「何はともあれ、ダニエルさんが戻ってくれて助かりました。ダニエルさん、これからは気を付けてくださいね」
「うん……ほんとにごめんね」
ダニエルも怪我をしているので、万一を考えてアズール達も彼を保健室に送り届けようと、ぞろぞろと階段を降り始めた。
保健医に診てもらった結果、ロロもダニエルも大した怪我ではなく、ロロはぶつけたところが少し痛む程度だった。箒で防御したことと階段の段差によってダニーと少し距離があったお陰だろうという見解だ。――説明を聞いていたダニエルは顔面蒼白でロロに縋り付き、泣きながら謝っていた。それを受けたロロは大変迷惑そうな顔をしていた――ダニエルの額の傷も表面の皮が少し剥けて出血したくらいでガーゼを当ててテーピングという軽い処置で済んだ。何とも丈夫な二人である。
「本当に申し訳ございません! 僕の監督不行き届きです! この中の誰より責任ある立場、寮長であるのにも関わらず、このような事態を招いてしまって、一体どうお詫びすればいいか……!」
保健医の前でロロに深々と頭を下げるアズール。普段の彼を知っていたら、これ見よがしにと思うだろうが、初対面の保健医には気弱な好青年に映ったようだった。
「まぁ、男の子同士で色々あるだろうから、今回は見逃すけれど、次また怪我させるようなことしちゃダメだよ」
「はい! 良かったですね、ダニエルさん。ロロさん。お二人共、大した怪我ではなくて、本当に……!!」
「危うく、僕が全責任を負わされるところでしたよ。冗談じゃない」と瞳の奥で言っているアズールに、ロロは不審の目を向け、ダニエルは未だ目にいっぱい涙を溜めて項垂れた。
「うぅ……助けてティム……」
小声で呟き、首から下げている黒い羽根のペンダントをダニエルは大事そうに握り締めた。
そこに突然、騒々しく入ってきた生徒会副会長と補佐が、ロロを見付けると、一直線に彼の許へ駆け寄って心配し出す。
「会長! 大丈夫ですか!?」
「怪我をされたんですかっ!?」
あわあわと落ち着きの無い二人を保健医が注意し、ロロに目配せする。それを受けたロロは、二人に階段から落ちたと嘘を言った。
「ダニエルくんは私を助けようとして、額を少し切ってしまった。私も彼も傷自体は大したことは無い。心配させてしまって済まなかった」
ごく冷静なロロの様子に漸く落ち着きを取り戻した二人は、「良かったぁ」と同時に零した。
「会長の居場所を訊いて、ここにいるって聞いた時はもう、心配で心配で……」
「でも、本当に良かったです。ダニエルさんも会長を助けてくれて、ありがとうございます!」
「え、ぼ、僕は……」
「ああ、ダニエルくんのお陰だ。それよりお前達、その様子だと私を捜していたようだが?」
「あ、そうでした。さっき1階の教室にこんな物が投げ込まれて……」
副会長が取り出して見せたのは、くしゃくしゃになった一枚の紙と石ころだった。彼の説明によれば、紙で石ころを包んだ物が窓ガラスを割って投げ込まれた、ということだ。
「怪我人は?」
「幸い、空き教室だったので、怪我人はいません。先生が音に気付いて回収して下さったんですが、ちょっと妙な手紙なので、注意喚起として生徒会にも周知しておくようにと」
「妙?」
副会長から手紙を受け取ったロロは、訝しみながらも、目を通す。どうやらそれは抗議文のようだが、最後に確かに妙な一文があった。
お前達の最も大切なものをこの手に
「最も大切なものですか……」
「後ろから覗き込むのはやめたまえ」
いつの間にかロロの背後に立って、一緒に読んでいたアズールが呟く。何気なく発されたその言葉に、アズールとロロはゆっくりと監督生の方を見る。視線を感じた監督生は二人を不思議そうな顔で見つめ返した。二人の見事に息の合った姿に、ジェイドが「んっぶふっ……」と噴き出した。
「何です? ジェイド。急に笑い出して。気持ち悪いですよ」
「す……すみませ……んふふふふふふふふふふふふふ」
「何なんだ、お前」
「アズール、フランム……先輩。この場合の最も大切なものとは、二人のではなく、この学園や生徒達にとって、という意味だと思うのだが……」
口元を手で押さえ、笑いでがくがくと両足を震わせるジェイドを少々引いた目で見つめつつ、サミュエルがそう言うと、二人は暫しの沈黙の後、はっと我に返って、同時に声を荒らげた。
「分かってますよ! そんなこと!」
「分かっている! そんなこと!」
「卿はやっと喋ったと思ったら、そのようなことを……!」と耳まで真っ赤になって怒るロロに、サミュエルは無表情から少しだけ不満気に眉を寄せた。そのまま隣にいたフロイドに目を向け、拗ねたようにぼそりと呟く。
「フロイド。僕は何か間違ったことを言ったか?」
それにフロイドは「ん~」と考えていたかと思うと、たった一言返した。
「イモガイちゃんは悪くねぇと思うけどぉ、タイミングが最悪なんじゃね?」
「何でも正論言やいいってもんじゃないと思う~」と厭に冷静に加えられたアドバイスに、サミュエルは「なるほど」と零し、アズールとロロに向き直った。
「次からはもう少しタイミングというものを考えてみようと思う」
「大きなお世話です!」
「ああ、全くだ!」
反省したというのに再び怒り出した二人に、やはりサミュエルは不満げに眉間に皺を寄せた。