ただの少年です ただの少年です。
なんていうのは、もうきっと誰の耳にも届かないんだろう。
そういうのも『絶望』と呼ぶんだ。
「ヒカリちゃん」
シンジ湖の水はまだ冷たいだろうに、ジーンズを巻くって足をつけピチャピチャという音を立てながらニコはなんだかぐっちゃぐちゃのサンドイッチを食べていた。ヒカリは大げさにため息をついて不機嫌そうな声を出した。
「やっと、見つけた」
言われてニコは、ふっと眉根を寄せて、頭の帽子の影が濃くなった。
ニコがチャンピオンになってから、テレビ局が彼の故郷や、ナナカマド博士のとこへと押し寄せてきた。当然彼と同じ立場にあるヒカリや、彼のライバルであるサンシにもその手は伸びる。
二人は研究所が全面的に守ってくれて、日常生活が脅かされることもなかったのだけど、その混乱の間にニコはすっかり姿を消してしまった。当初のチャンピオン成り立てのはにかんだ笑顔はすぐに消え、失踪した現チャンピオンのことで世間はまた騒いでいたが、ヒカリはそんな社会に嫌気が差していたのだ。
≪シンオウに天才チャンピオン現る!!≫
≪史上最年少のチャンピオン誕生までの道のり!!≫
≪チャンピオンになるまでの苦悩と栄光! 少年の辿った戦いとは!!≫
彼の母親に会いに行ってみれば、やはり彼の消息はわからないという。
「生きてるでしょ?」
あっさりと言い切った彼女の発言にヒカリは口をあんぐりと開けた。まるで生き写しかのような、ニコと同じ口調で、ニコが目の前にいるみたいだった。
「死んだらもっと早く見つかるものよ。生きてるから、どこかに移動して、なにかを見ているの。
大丈夫よ。ヒカリちゃん。
あの子を心配してくれてありがとうね。でも、絶対、大丈夫」
そして腑に落ちたものだった。そうだ、この人は、夫も、そしてまた息子も、同じように。
それでも生きているのだろう。この人がそう言っている限り、あの最年少のチャンピオンは。
ニコが行きそうな場所を毎日のように探して歩いた。それは当然のことながら彼の道のりを辿ることになり、彼の知り合いと知り合って、あの子はどうしてるかな、なんてみんなと言い合った。
サンシともよく連絡を取ったりしていたけど、やはり彼もニコの母親のように「平気だよ」と言っていた。
「俺のライバルが、そんな簡単にくたばるわけないだろ?」
そういって彼はいつもヒカリのお昼のポテトやらサラダやらをつまみ食いする。
そしてもうひとつ、彼がいつも言っていたのは「アイツの手持ちはいまや最強なんだぜ?」といってまた笑うのだ。
そして、湖を何度も何度も行き来して、そしてある日の気持ちのいい風の日に、シンジ湖でニコと再会した。ニコは少しやせていたけど、手持ちも元気そうで、ニコもヒカリを見て一瞬気まずそうにしたけど、やっぱり笑った。
「見つかっちゃった」
「探したのよ」
「うん。知ってる」
「心配だってしたんだから」
「うん。ごめんね」
「隣、座っていい?」
「いいよ」
そうして、二人で並んで足を湖に沈めた。冷たい水に足をつけていると、頭の先まで冷えてきたようだった。どうして、自分はずっとずっと彼を探していたのか。その理由を思い出した。
「ニコくん」
「なに」
「私に言うこと、ないの?」
ニコは、驚いたようにヒカリを見た。ヒカリはじっとニコを見ている。
少しずつ変わってきている自分たち。その変化はきっと自分たちでは気づかない。でも、嫌でも変化してしまったことだってある。それを共有したかったんじゃないか、とヒカリはいまさらに思った。
だから、ニコを探したのだ。
「ヒカリちゃん」
ニコは、思い出したように、少しはにかんだような表情をした。失踪前のままに。
「僕、チャンピオンになったよ。君には、ちゃんと、言っていなかったね」
「うん」
「ごめんね」
「いいの、ようやく、本人から、聞けたから」
「博士から聞いたとき、ちょっと、ショックだった」
これで、彼との距離が開くような気がして、そしてやっぱりニコは自分の前からいなくなって、空想に描かれた『チャンピオン』だけが歩いていた。それはヒカリが知っているニコとはかけ離れたものばかりだったから余計に置いていかれた気がした。
「でも、いいの。別に。ニコくんだし」
やっぱりニコはまた笑った。
「でも、なんで私ちゃんといわなかったのに、わかったの?」
「だって、君だけだもん。『おめでとう』って言ってくれた記憶がなかったの」
「う」
「ねえ、僕、がんばったんだけど」
靴を履いて、二人手にはそれぞれの飛行ポケモンのボールを持っている。ニコはマフラーを巻きなおしながらヒカリを楽しそうに見ていた。
私だって、最初から言ってくれてたらとっくに言っていたわよ! とヒカリは思った。
だってニコくんが友達だってことは、私の自慢なんだから!!
「おめでとう! ニコくん!!」
「君にほめられたことが、一番うれしいよ」
ああ、チャンピオンになってよかった、なんてふざけた口調で言っている姿は、チャンピオンの面影なんてなくて、やっぱり、ヒカリの知っている、普通の男の子だった。