シンフォニアまとめ「見つめて触れて名前を呼んで」
(ロイド、コレット)
太陽の少年に名前を呼ばれると、生きていると感じることが出来た。
コレットはスキップしながらロイドの家までの道を辿っていく。
コレットはロイドが大好きで、それは隠しているわけではないけれど、きっと彼には伝わっている。そして彼も自分のことを好いてくれていることがわかる。お互いにそれがどんな類のものに分類されるのかはわからないけれど、なによりも大切な人であることにかわらない。
コレットがあと少しで彼の家につく、というとき、また彼女の悪いくせで勢いづいた体はちょっと宙を浮いてつんのめった、が、倒れる音はしない。
「コレット」
目の前が真っ赤になっていて、あの声が聞こえる。まっすぐ自分を見る鳶色の瞳と髪。
「そんなに急がなくてもいいだろ。また転びそうになって」
普段は年齢差なんて感じないほど彼は子どもなのに、こういうときはちゃんとお兄さんだ。えへー、と笑うと結局つられてロイドも笑った。
「ロイド」
「なに?」
「ロイド」
「だから、なんだよ」
至近距離で名前を呼ばれて恥ずかしいのか、ロイドはぶっきらぼうに言う。コレットはそんな彼も愛しくて、小さなわがままを言う。
「ね。名前を呼んで」
今の私のように。
「この囁きは限定モノ」
(ロイド、クラトス/ゼロスルート)
本当に少しだけ、ロイドたちが帰ってきた。最後の戦いへと向かう途中に体調を崩したということで、自宅療養をリフィルから言いつけられたという。実際、彼は疲れていた。
クラトスはロイドと向かい合って、ダイクの入れたお茶を飲んでいる。なにかと会話をしたがるロイドも今日は大人しい。体調不良というのは本当のようだった。むしろ精神的な疲れだろうが、彼がそれを意識しているとも思えず、クラトスは鈍感な息子の体に同情した。
彼の魂は強くとも、それについていくのは肉体の側だ。無理をしているのだろう、と思った。
「なあ」
「なんだ」
短い問いかけに短く答える。ロイドは家の中なのでグローブを外して珍しく素肌が出ている手を、頭の後ろで組んでいた。
「夕飯何にしようか」
まるで家族のような会話(本当の親子なのだが)にクラトスは不意を突かれる。クラトスも療養中の身。あまり刺激をあたえるものではないが、なんだか激しく動揺してしまった。そういえばロイドと食事を取るのも久しぶりかもしれない。
「父さんの好きなもの、作ってやるぜ」
笑ったロイドは照れくさそうで、それでもどこか嬉しそうだった。
「トマトが入っていなければ、なんでもいい」
自分のほうが子どもみたいな言い方だと思いながら、クラトスは自然と持ち上がりそうな口角を一生懸命押さえようとしていたが、すでに自信がなかった。
めったに聞けないロイドの「父さん」は、一番のクスリなのだ。ロイドにとっても、少しでも、効果があればいいのに。
「愛すべきイカサマ師」
(しいな、ゼロス)
「本当はロイドに殺されたかったんだろ?」
しいなが小さくつぶやくのを拾って、それにはどうやら答えなければいけない状況らしい。ゼロスは嘆息をついて、後ろの女を見た。
「なにがいいたい」
あのときからずいぶん自分は怒りっぽくなったし、笑うようになったし、きっと、自然だ。あれだけの醜態をさらしたわけだし、みっともなくも仲間に戻りたいと泣きついたのだから、もう捨てるものなどないような気持ちだったけど、やっぱりまだまだ隠したい気持ちが山ほどある。どれだけ自分は他人に関わりながら関わらない生き方をしてきたのだと、自分で呆れるほどに。
「本当は、裏切るとか信じるとか、関係なくて、ロイドに殺されたかったんだろ?」
しいなが忍びだということをすっかり忘れていたが(普段の彼女があまりにもドジだからだ)、こういうときに自分の感覚を正確に読み取るとき、ゼロスが思うには、相手も同じ気持ちを知らなければ、きっと想像することすら出来ないだろう。この女も、結局同属なんだ。
「殺されたかったな。アイツの手で、アイツが苦しんでくれるなら、俺は殺されてよかった」
「よかったな。ロイドがもっと、残酷で」
「どっちにしたって、問題だったんだから」
生きろ、というその言葉が、一番の毒であることを知っていながらにいい続けたロイドと、最後にはそれによってそれを選んでしまったゼロス。そのやりとりを知っているしいな。
「お前こそ、ロイドに選ばれたかっただろうに」
「私は選ばれない。代わりに、ずっとアイツを見ているんだ」
彼女の目は、まさに慈悲の目。影に生きる自分たちのような人間は、最後は太陽に近づけずロウが溶けて翼がもげるように、傍にも寄れないのを、体で知っているから、見ていることを、選択する。
「世界にたった二人だけ」
(セレス、ゼロス)
兄と一緒に暮らし始めてしばらく経つ。実際彼はほとんど家にいなくて、前とあまり生活は変わらずひとりぽっちの気がしたけれど、それでも彼が必ず自分の待つこの家に帰ってくるという保証があるだけで、ずいぶん心穏やかに過ごすことが出来るようになった。
お互いにすれ違っていたなんて今なら笑えるけれど、長い間お互いに真実はそれしかなかった。
兄は、妹は、相手を嫌いである。いやむしろ、憎んですらいる、と。
昨日兄から届いた香水をつけて、セレスは微笑んだ。あの人がどんな顔をしてこれを買ったのかしら? と微笑ましくなった。女性へのプレゼントは手馴れているだろうけれど、妹へのプレゼントには頭を悩ませているらしい、ことを彼の仲間たちが教えてくれた。ああ、あなたはそんなに私のことを知らなかったのね。
そして私も貴方を誤解し続けていた。
大人っぽい香りはまだ少し早そうだけど、彼が私をどう扱ってくれているのかわかったような気がして、嬉しくなる。
「よう。不良のお兄様がお帰りだぞー」
「お兄様!!」
外が少しにぎやかだから、きっと仲間の人たちも一緒なんだ。それでも嬉しくて兄に飛びついた。
「おかえりなさい!」
「……ただいま。セレス」
兄妹である証ともいえる同じ赤髪が、風に揺れた。
「叶わないはずの夢だった」
(ロイド、ゼロス)
うるせー! 生きろ! と怒鳴られた上にぶん殴られてゼロスは現状を把握することが出来なくなった。
ロイドはさも当然という顔をしている。アイツわざと左手で殴りやがった。いってえ。それは、一体、利き手が右だからという譲歩なのか、いやしかしロイドは二刀流だし器用だしほとんど両手利き状態じゃないのだろうか。それともエクスフィアがあるからか。
とりあえずゼロスは殴られた頬を押さえながら、リアルに出てきそうな涙を堪えながらいった。
「親父にも殴られたことないのに!」
「死んでるだろうが」
意外と突っ込ませれば冷静だったロイドは、ゼロスに向かって、今度は同じ位置にかがんであの大天使様と同じ造りの顔を不恰好に歪ませて、本当に人間らしく困ったように、でもいとおしそうに。
「俺と一緒に生きよう。ゼロス。俺は、お前に生きててほしい」
殴られるよりも、イタイと悲鳴を上げたのは、過去の「生まれてこなければ」と告げられた自分だった。
「同じ空の下で」
(ジーニアス、ロイド/クラトスルートED後)
その赤い姿はどこでも見つけやすくて、自分はずっと彼の後を追っていただけなのだと、ようやく気がついた。
ずっと一緒にいる、と誓ったのがつい昨日のようだけど、いろんなことがたくさんあって、あまり背は伸びなかったけど、きっとボクも成長したという自負くらいはあるが、いざ彼との別れがあるのかと思うと、及び腰になるあたり、あの彼一人を行かせるために涙を流したときと同じでどれだけ彼が特別なのかと思い知らされた。
「ジーニアス。そんなに落ち込むなよ」
前方を歩いていたロイドはお兄さんぶって苦笑いの笑顔で振り返った。両手を腰にやって、ジーニアスを見下ろす。でも、ロイドのそれはほかの大人のように威圧感がなくて、ジーニアスはロイドに見られるのは好きだった。
「別に、落ち込んでるわけじゃ、ないよ」
「嘘付け。俺を見ながらそういうことはいうんだな」
確かにボクはロイドを見ていない。ロイドを見れない。もうロイドとこうしていられる時間が少ないのに、ボクは余計にロイドといられない。
ロイドが「ううん」なんてうなるようにしていて、ようやくボクは顔を上げる。すこしだけ上へ。ロイドの顔が見える位置までは。
「あのさあ、そんなに大げさなことじゃないと思うんだ」
ボクの悩みが簡単なことのようにいった。
「出発の日がちょっとお前と先生が先なだけで、たまたま行き先が反対方向なだけで、俺もお前たちも目的のない旅なのは一緒だろ?
忘れたのかよ。俺たちは世界を一つにしたんだぜ?
もう、いつでも会えるんだ。
いつでも会いにいくよ」
また、地面を見た。目の前がかすんでみえる。
明日、ボクと姉さんは先に旅立つことになった。テセアラ組と一緒に、王への謁見をするために、先に行く。
ロイドはしばらくはユアンたちとエクスフィアの始末をつけてシルヴァラントの復興の手伝いをコレットとやってから、クラトスさんを送って旅立つそうだ。ボクと姉さんの旅には終わりは無い。
そしてボクとロイドたちの時間は流れ方が違う。だからこそ、離れることが怖い。でも、怖がってもいられないんだ。
あの日、ボクたちの旅は突然始まったけど、終わりだって意外と予測しない方向に終わって、また新しい始まりはやっぱり突然のように感じた。
それでも、ずっとロイドはロイドのままで、ボクの欲しい言葉を必ずくれて、ボクを信じ続けてくれて、だからボクはロイドを信じ続けた。
だから、今も、ボクはロイドのいうことはどんなに突拍子がなくても、おかしくても、理論的でなくても、不可能でも、信じる。
「俺たち、親友だろ?」
「うん」
ボクは、最後だと決めて、ロイドに抱きついた。いつか、ロイドの終わりが来るだろう。そのときにはきっと見届けてあげたい。ボクは仲間たちのことを、絶対に忘れない。
ボクが生きている限りは、彼らのことをなかったことにはしない。誰にも認められなかったヒーローは、最初から、最後までボクのヒーローであり続けた。
ヒーローは少し遠慮がちにボクの頭を撫でた。
「前方をゆく」
(ゼロス、ロイド)
赤いな~、と人事のように前を歩くロイドの背中を見ている。
ロイドは相変わらずバカみたいに愛想を振りまきながら隣のジーニアスとしゃべくっていて、ジーニアスの突っ込みに自分も一緒に笑っていた。ロイドのもう一方の脇をいつも通りにコレットが心底嬉しそうにその位置をキープしていた。
ゼロスはそれもまたいつものように最後尾を飾る。
とはいってもそう何十人といるわけではないので彼らのにぎやかな会話はこっちにまで聞こえてくるし、自分が入れる話題ならズカズカ入っていく。ゼロスが入るとしいなが加わってくるし、しいなが入るとついゼロスは口を滑らせてしまいがちだが、大体自分たちはいつもこのシルヴァラント組に振り回されているのだと感じる。
目の前をいく囚人と怪力少女は大体しゃべることはないので、ゼロスはいつもこの位置から前の三人を見ていると、また置いていかれている、と感じるのだ。
そう感じていないと、この旅は苦痛だから、そうしている。
常に距離をもって、常に離れて、いつだって加担はしないで。
それでもコレットの笑みはゼロスすら微笑ませる。本当の意味での天使は、彼女しかいないと思う。
ジーニアスをからかうのは楽しいし、なによりこの子どもの瞳に映る自分を見るのが嫌いだ。まるで鏡を見るようで。
ロイドの赤は、自分の綺麗な部分を吸い取られたようで、自分の紅がしつこく感じた。
ロイドの赤は、世界を変える力すらあるようで、誰かの決意を揺るがせて、なにかを決定する背中を押して、ゼロスはあの赤に目の前を覆われると、なにも考えずにロイドについていきたかった。
彼の光に当てられると、逃げ場を失うようで、近づくだけで、恐ろしいのだ。本当は。
突然目の前の世界が回転して、ハッと意識をロイドを考える思考からゆり戻すと、戻したはずなのに目の前にロイドがいた。
「ゼロス!! 昼飯お前はご飯ものがいいよな!」
言われたことの意味がわからなくて、まぬけな声を出して、ロイドの少し低い頭をガシっとつかんでしいなにたずねる。
「で、なにごと?」
「アンタもぼんやりしてんじゃないよ。次の街での食事の話さね。ジーニアスがパスタで、コレットがパン。あたしとロイドはご飯もの」
「なんだよ、すでにロイドくんたちの優位じゃねーか。じゃあ、俺はコレットちゃんに加担しようかな」
「ずるいよゼロス!! 人じゃなくて、自分の食べたいものに正直になりなよね!」
ゼロスが何か言うと、案外すぐに突っかかってくるジーニアスが思わず可愛く、いじわるが笑顔を向けると、子どもらしいほっぺたを膨らませて姉が微笑ましそうにそれを突く。うははは、と額を押さえられているロイドが笑っている。
結局、また、自分はこの赤に負けて、笑ってしまった。
「やっぱり、俺様もご飯ものがいいな!」
「もういないことが」
(ロイド、クラトス)
フラノールで、クラトスに会った。
なにも、あんな、なにもなかったかのように話しかけてくるとは思っておらず、ロイドはたじろいでしまった自分を情けないと思う。
しかし、よく考えてみると、自分だって普通にあいつに話しかけて「なにしてるんだ」もなにもないだろう、なんて、真っ白い雪を踏みつけながら考えていた。
街はすぐそこで、門だって見えている。散歩してくる、と言っていつもは一人でなら出ないはずの街の外に行き、まるで図ったようにクラトスは現れた。日常的に肌を出さない格好で仲間うちでも厚着の部類に入るであろうロイドでも、指先は震えていて、紅い手袋を外しても手のひらはきっと赤い。街に戻ろうと思っても、きっと情けない顔をしているから、なんとなく戻りにくくて、無意味にウロウロしている。
なぜ、アイツは俺に構うのだ。
裏切ったのはあいつなのに。なにかというと助けるような言葉をいって。そのくせあーだこーだとケチをつける。
そんなに気になるなら、俺たちを裏切らないで、こっちで俺のことでも見張ってればよかったんだ。
「バーカ。馬鹿。ばかだ」
クラトスは敵だ。
今でも、アイツが目の前に現れると、憎くて悔しくて、ずるいと思う。
強い。クラトスは強い。なにもかも我流だった自分の剣の幅を広げてくれたのも、戦い方の指南をしたのも、旅の心得を教えてくれたのも、相手を認めるということを教えてくれたのも、すべてクラトスだ。
それは自分の基礎になってしまって、もう崩すことも出来ない。だからこそ、悔しい。自分のやることなすこと、全部アイツのもっているものの延長じゃないか。ちくしょう、ちくしょう、俺はアイツの真似をしているだけじゃないのか。そんな風にはなりたくない。
俺は誰かを裏切りたくない。
アイツを、裏切りたくない。
悔しくて、敵わなかったことが悔しくて、今度あったら次こそアイツの膝をつかせてやる、と思いながら、勝ったらあいつはいよいよ俺を認めるだろうか、と望んでいる。
本当は、殺してしまうほど強くならなければきっと敵わないともわかっている。
寒い街の門をくぐると、目の前の宿屋から、寒そうな肩を抱いてゼロスが出て来たところだった。真っ赤な服が白い雪にいつも以上に目立つのでロイドが帰ってきたのをすぐに見つけてゼロスは突然不機嫌そうな顔でロイドを見た。ロイドはなぜ不機嫌そうなのかわからずに寄ってくるゼロスを見ている。
「ロイドくん、どうしたの」
「いや、お前がどうしたの」
珍しく他人に干渉してくる神子を変なものでも見るような眼で返すと、不機嫌なまなざしは疑いに変わった。
「おめーみたいなわかりやすい人間が、俺様にシラきろうったって無駄だぜ。おら、てめー体冷えまくりじゃねーか。部屋もどんぞ」
「お前用あって出てきたんだろ。いいよ、一人で帰るから」
「うるさい。情けないツラしやがって。黙ってついてこい」
そしてグイと腕を引かれて、抵抗する気力のないロイドは大人しい。それを確認するとゼロスは気持ち悪いものを見ている目で「ほらみろ」とつぶやいた。
ロイドはただ、そんなに情けない顔をしてるのだろうか、と少し顔が青くなるのがわかっただけだ。
部屋に入ると、ジーニアスがこちらに気づく。ゼロスが飲み物をもらってくる、といって下に行くと、心配そうな顔をして寄ってきた。
「ロイド、どうしたの?」
「なんだよ、ジーニアスまで」
「え、だって、ロイド。あ、すごい、体冷えてる。どんだけ外いたんだよ、まったくもー」
そして自分がさっきまでくるまっていた毛布をロイドの上に被せた。頭からそれを引っ掛けられて、顔を出すとリフィルが帰ってきたところで、後ろにゼロスがいて人数分のカップをもっている。リフィルにいわれてジーニアスが名残惜しそうに残りの仲間を呼びに行った。しっかりと姉にマフラーをまかれてモコモコした格好で。
「ロイド。大丈夫?」
「やだな、先生まで。おれ、なんともないよ」
そういうと、ロイドはジーニアスが自分に与えた毛布をしっかりと握っていることに気づいた。
「仕方のない子ね」
ため息をついた教師に、ロイドはわけもわからずに申し訳なさが募る。ゼロスは黙ったまま、カップを無造作に突き出す。ビクッとしてロイドはそれを受け取った。
「そうやって、無意識なのが、性質悪いっての」
そして、彼にしては優しく普段のイタズラでない頭の撫で方をした。
あの男が、たった一度だけ、頭を撫でたことがあった。
修行といって、稽古をつけてくれたこと数回。
「お前は、強くなるな」
そして、一度だけ、ぐしゃりと、撫でたというよりも、頭を押さえるように。なれていないことをする人間が不器用な手つきで、自分に触れたのがわかった。
ふいに、また、あの悔しさが集まってくる。もらったカップの中身を見つめて、湯気が目に沁みる。
「俺は、アイツを、殺せるくらい、強くなりたい」
「アイツ」というのが誰なのか、今までのロイドを見ていればわからなくもない。またあのストーカーが現れたか、というゼロスの吐き捨てるような言い方をリフィルは十代の生徒をしかるのと同じ口調でしかって、ゼロスは小さな嘆息をもらす。クラトスに会うと反射的にテンションの下がるロイドはもう知っている。ロイドの不調はクラトス絡みだ。勝手にゼロスはそう思っている。
正直な思いは体にも現れて、コップの塩分を増やしたけれど、ゼロスの慣れている撫で方とリフィルに抱かれた肩から、もうあの男はここにはいないと改めて感じて、悔しさよりも悲しさが初めて増したのだった。
「残光」
(ゼロス/救いの塔後)
長い茶番劇を終え、今足を地面につけた。
あの高い塔から、再び全員一緒に戻ってこれたのは奇跡ともいえるが、仕組まれていたことのようで、どこからどこまで自分が関与して意識していたものなのかすでに曖昧になってしまっていた。
ゼロスは、自分の選択をすでに後悔はしていないが、これからのことを考えると死にたいくらい気が重かった。いっそもとの構想どうり死んでおけばよかったと、少し思っていた。いつもと違う仲間の疲れきった空気と、自分に対する若干のよそよそしさを目の当たりにして、ゼロスはまた死にたくなった。
前方をジーニアスが歩いている。助け出したとき、気丈な少年は、震え泣き、ぐしゃぐしゃな顔で彼の親友の名を呪文のように唱えていたのだ。あまりの弱弱しさに、ゼロスは封印を壊す手が一瞬遅れて、リフィルの悲鳴に慌ててもう少年へと迫る壁を力任せにぶち壊した。
ゼロスが仲間と一緒にいるのを見て、聡いジーニアスは状況を察したようだった。それでも、いつもなら、いうべき言葉を知っているのに、彼は違う言葉を吐き捨てた。
「ロイドだけは、嘘でも裏切らないで」
そしてしっかりと、初めて、ハーフエルフと人間は抱きしめあったのだ。ゼロスはひどく後悔した。
少年を妹に重ねて、あまりに憐れな様子は修道院からほとんど出たことのないセレスのようで、不憫で憐憫で居た堪れなくて、夢中で助けたくなるのに、自分には助けてやれないことを知っているゼロスはジーニアスのやわらかい髪をぐしゃりと撫でただけで、抱きつくその身体をそっと離した。
「ロイドを、助けにいくぞ」
そのとき、ジーニアスの瞳は親友の瞳と似ていた。
「今度は、間違えないで。今度、ロイドを裏切ったら、僕はお前を赦さない」
ゼロスは思った。
この子どもに殺されても、いいかもしれない、と。
そんなジーニアスは、疲れきった足取りでいつものあの子ども特有のポテポテした感じが一切しない。一気に年をとってしまったようだ。
すでに仲間たちのほとんどは、塔を降りて、ロイドの周りに集まってきている。列の一番最後はゼロスで、ジーニアスが今その輪に入ろうとしていたところで、ゼロスの足は止まっていた。階段を下りてすぐのところで、ゼロスは動かない。ジーニアスは振り返る。
「ゼロス……?」
まだなにかあるのかという不審な目で、ジーニアスはゼロスを見た。
ゼロスの顔色は優れない。いままでの彼らしくない、暗い所作にいやなものを見た気がした。
「俺さまは、このまま、いっしょに行って、いいのか?」
それは、当然とも思える言葉だが、誰もいいださなかったもので、本人の口から言われると、無駄に他人をイラつかせる類のものだった。
「お前が、そういうこと、いうなよ!!!」
突然背後で始まったジーニアスの絶叫に、一同は緊張感を募らせた。
ロイドは、ジーニアスの傍に、ゆっくりと近寄った。
「信じろよ!! 僕たちを、信じろよ!!!
確かにゼロスは裏切ったよ。僕たちを裏切ったよ! でも、帰ってきて、帰ってきたのに、そんなこといわないでよ。
僕は、すくなくとも、僕は、みんなで居たい。
もう、これ以上、嫌だよ、離れるのも、裏切られるのも、信じられないのも信じてもらえないのも!!」
優しく、ロイドの手がジーニアスの肩をつかんだ。ジーニアスはロイドに抱きついて、また、どうしようもないどこにも向けようがない感情をまだ持て余しているようだった。それを受け取るように、ロイドはジーニアスを抱きしめた。
すぐにリフィルが来て、ジーニアスを引き受ける。ロイドがゼロスへと向かい、なんとなく、空気がまた変わったとゼロスは直感する。
ロイドの疲れている顔を見るのになれてなくて、自分のせいなのに他人のせいにしたがる自分にゼロスは軽く失望した。
コイツだって、ただのガキんちょなのに、結局自分も、コイツに色んなもの背負わせて、あの大天使様となんら変わりないということなのか。そう突きつけられている気がした。
「ゼロス」
「おう」
と返事をしたときにはロイドはすでにゼロスの目の前に居て、左の裏拳を顔面にかました。
ひっ! という悲鳴が聞こえたはずだが、それはしいなだったかコレットか。ロイドの表情は変わらなくて、吹っ飛ぶほど強く殴られたのにゼロスは冷静だった。マジで痛い。絶対口の中が切れている。口の中に唾液が溜まっているから吐いたらやっぱり赤かった。
ああ、まだ、俺は、人間のままだ。
「ゼロス、俺、怒ってるんだ」
「そうだろうな」
「お前、まだわかってなさそうだし」
「なにが」
「俺が何に怒ってるのか」
グイ、と胸元を掴まれ、ロイドと顔を付き合わせる羽目になった。鳶色の瞳は揺るがなくて、ああやっぱりこの瞳に見つめられると思考は常に中断せざるを得ない。
「俺は単にお前が裏切ったことを怒ってるんじゃない」
「お前が、結局ずっと最終的には、自分が死ぬことを選んでいたのを、俺は怒っているんだ」
言われて、ハッとした。
改めて鳶色を見ると、その目が薄くゆれていた。ああ、我慢していたんだ。幼馴染がさらわれて、仲間に裏切られて、父だと突然言われた裏切り者の元仲間にはキチンと話をしてもらえなくてやっぱり置いてけぼりをくらっている。
怒って当然だ。ロイドは怒るべきなのだ。世界に対して彼が怒っても、世界の誰も彼を批判する資格なんてないくらい、ロイドが怒ることは当然のことなのだ。
なのに、ロイドは結局ずっと、ゼロスの行為を責めていた。
それも、根本的に違うところで。
「お前な、死んだらおしまいなんだよ。お前が死んだら、セレスはどうするんだよ。お前を待ってるんだろ? あの子は。置いていくなよ。誰も置いていくなよ。お前は仲間と思ってなかったかもしれないけど、俺たちはお前の仲間なんだよ。
死にたがるなよ。
死んで終わりだとか、思ってるなよ。
なにも終わらないよ。お前に関わった人間が誰一人いなくなってお前の人生初めて終わるんだよ。ふざけんな。
最初から死ぬ気だったんだろ? 俺に殺されたかったんだろ?」
言われたすべてに否定を出来ない。詰まってままでいると、殴られた頬が痛み始めてきた。
「だからな、ゼロス。俺は、お前を絶対に殺さない。
俺はお前を絶対に死なせない。
お前が世界を憎んでても別にかまわない。俺のことじゃない。どうだっていい。
でもな、お前が俺の仲間である限り、死なせない。勝手に死なれてたまるもんか。
信じられないなら、なにも信じなくていい。
なにも信じられなくていい。
それなら、ゼロス。俺だけを信じろ。
俺だけは信じろ。俺は、絶対に、お前を裏切らない。
俺だけを見ていろゼロス」
その鳶色は、今度は揺らがなかった。
その色に突き刺されたようで、ゼロスは脱力する。胸が痛いのだ。なんという、言葉。なんという止めだ。そんなことを言われては。
「すっげー、プロポーズ。俺様惚れそう」
そういいながら、ロイドに腕を引かれ立ち上がらせられて、初めて他人の前で泣きそうになった。
死ねばいいのに、といわれ続けてきた自分。
生きている理由もわからず、他人に利用される自分。
求められているのは「神子」であって、ゼロス・ワイルダーという「人間」ではなかった。
この力はたまたま持って生まれたものだが、それを妬まれ疎まれ羨望の眼差しを受け、そして隔離された。
目の前で死んだ母親。
必要とされていなかった自分。
この世の中にいらないと捨てられているのに、抜け殻の「神子」という様式美を纏わせられ、舞台へと上げられる。
生きろ、と。
生きて欲しいと、これほどに、率直に言われたのは、初めてだ。
そして、なにより、ロイドは、本当に、きっと、いや絶対に、自分を、裏切らない。
自分よりも、低いその肩に、顔を押し付けて、殴られた頬の痛みに堪えた。
それは、もしかして、歓びだったのかもしれないけれど。