火の国のアルフ・ライラ・ワ・ライラ <五>(サスサク)
サクラは王様のお言葉通りに大臣邸で静養することとなりました。
周囲のものはみな口々に、この度の王命はご慈悲の表れだと称えました。王様は本当にサクラを大切にしているのだと言って誉めそやします。
王様は一度こうと決められたことを易々と変えるかたではございません。サクラは二度と後宮から出られない、養家には帰さないと度々言われておりました。
大臣家の者にもそのご命令は伝わっておりましたので、驚きながらも再会を待ちわびるように娘を迎える用意が整えられました。
王様からは準備に使うようにと奴隷や料理人が下賜されました。医師である綱手や、後宮でサクラの身の回りの世話をしていた侍女達も一緒に参ります。
そのうえ王様は、サクラは大臣家ではいつも姉であるいのと同じ部屋で朝から晩まで共に過ごし、一つのベッドで寄り添って眠っていたという話を聞いていたので、大臣家のいのに「よろしく頼む」ようにとお言葉がありました。
あの王様が女性に何かを頼むだなんてとんでもないことです。大臣は平伏して、きっと御心に叶うようにいたしますと答えました。
王命に関わらず、いのは義妹を大切に真心こめて迎えるつもりです。後宮には度々会いに行っておりましたが、再び実家で会うことができるなんて夢のようだと思いました。
実は大臣邸ではある国の王弟殿下の歓待を連日行っていたのですが、その王子は入れ違いのように王宮に招かれて行きました。
王子のおもてなしを取り仕切っていたいのは、今度は妹のためにあれこれと指示を出しました。
賓客には慣れている大臣家ですが、迎えるのは義理の妹であり王様の寵愛する女性であり、外ではいのしか知りませんが今は普通の体ではない状態です。また、サクラが一人ではなく小さな赤ちゃんを連れてくることも、いのはわかっておりました。
サクラの秘密をいのは父にも話してません。王宮には内密にして、よほど父にだけは話してしまおうかと思いましたが、悩んだ末にやめておきました。きっと喜んでくれるでしょうが仕方ありません。
それだけに大臣家で会えるとは望外の喜びです。体の心配はありますが、サクラにしても大臣家にしても、またこの国にとってもサクラの容態が良い方向に進むようにといのは神に祈ります。
いのはあれこれと準備に目を配り、サクラの一行が到着するのを待ちました。
表だっては言われませんが王の大切な女性の里帰りです。大臣もお供の一人として王宮から随行しています。
王宮から大臣家まではそう遠くありませんが、サクラはたくさんの奴隷にかつがれた立派で大きな輿に乗っています。
他にも衣装箱や身の回りの愛用品が運ばれています。重吾は大きな布をまとった格好で、サクラの輿のすぐそばをついて歩いています。
行列は美々しく壮麗で、荷担ぎの奴隷達も皆揃いの衣装をきておりました。そのまま神殿に向かっても恥ずかしくないほどきちんと統制が取れた行列です。神の照覧にも無礼のないようにせよとの王様のご命令でした。
町中から大臣邸の周りまで大勢の見物人が集まりました。皆は輿のなかの人物がどんなひとなのか何もわかりませんが、王宮から高貴な女性が出てこられたのを見て、一目なりともその姿を見たいと騒いでいます。
先頭を行くお触れのものが、御方様は静養のために大臣家に向かわれるゆえ見物人は静かにするようにとの口上を述べました。さらには、騒ぐよりも神にご快癒を祈るよう申します。
見物するもの達は、王宮で敬われるような高貴な女性―きっとたいへんな美女――が早く良くなるようにとこぞってお祈りをするようになりました。そうすればいつか顔を見ることができるかもしれません。
おかげでサクラ達一行は何事もなく静かに大臣邸に入ることができたので、ここに義理の家族の再会が無事果たされました。
「おかえりサクラ」
「おとうさま……!」
いのの父であり、親代わりとなって面倒をみてくれた大臣が変わりのない穏やかな顔でサクラを迎えてくれました。
後宮を出たときもサクラは面に布をつけて頭には厚いベールを深々と被って姿を隠しておりましたので、大臣とは顔を会わせていませんでした。サクラはほろりと涙をこぼしました。
泣き出したサクラを見て大臣は慌てました。そんな二人の様子に侍女や奴隷への指示を終えたいのが声をかけます。
「パパったら久しぶりだからって緊張しないでよ。サクラはうちに静養に来たんだからリラックスしてもらわなくちゃ」
きびきびとした総領娘の指摘に大臣はもっともだとうなずきました。
「ちょっとでこりん、あんたも家に帰っただけで泣かなくてもいいじゃない」
変わらない姉の言葉にサクラは濡れた瞳をくしゃりとした笑顔に変えました。
「なによいのぶた。久しぶりなんだから、ちょっとぐらい感慨にふけったっていいでしょ」
「でこりんは仕方ないわね」
久しぶりに泣き虫になってしまった妹をいのはしっかりと抱きしめます。三人は厚い絨毯に座ってゆっくりと再会を喜びました。
そこにはサクラの大好きなお菓子や果物が用意してあったので、懐かしさとともに手に取りました。
甘くておいしいと笑顔でほうばるサクラの姿に大臣といのは心から安堵しました。
いのは二人きりになるとすぐに大事な話をしました。
サクラの食事や過ごし方について、いのは綱手の指示に従うよう家人に命じてあります。身の回りのことは後宮から連れてきたもの達が務めるので心配はありません。
こっそりと連れてきた赤ん坊をどうするのかと聞くと、大臣には秘密してもらいたいとサクラは頼みました。王様にも話していないのに大臣が知っているのは良くないと言うのです。
ただ、赤ん坊はずいぶん大きくなっているので皆には隠しきれないだろうと言うと、いのは長年大臣家に仕えてきた特に信頼のおけるものに事情を話し、父にも気づかれないように奥向きの扱いを決めました。
サクラは内実的には王様の寵妃なのだから、男は立ち入り禁止。この屋敷の主人たる大臣も用があれば事前に話を通すこと。男手が必要なときはサクラの信頼厚い奴隷の重吾――重吾はずっとサクラのそばにいるので彼に頼めば良いこと。
そして赤ん坊の世話には同じ年頃の乳飲み子がこの屋敷にいれば良いのだといのは言いました。
サクラのそばに仕える侍女を子持ち女にして、いつも赤ん坊がいるようにすれば小さな子供の身の回りの品が出回っていても自然に思われるでしょう。ちょうど良い親子がいるから、無柳を慰める名目でも良いから理由をつけて、すぐに来てもらうよう手配することにしました。
さぁ、これで色々なことがすっかり決まってサクラも赤ん坊も安心です。
ここでも女だけの秘密が守れそうで、サクラはほっとしました。
「ねえサクラ」
サクラの様子を見て、いのはためらいがちに話を切り出しました。
「あんたが決めたことに口出しするのは好きじゃないんだけど、家に帰ってきたんだから、一回だけ聞いてもいい?」
責める口調にならないよう、いのは慎重に話を続けました。
大臣家では常々サクラが王様に非常に大切にされていると聞いていました。
国民へのお触れこそありませんが、王宮のごく一部では、あの美しい王様が東洋の花のように優しく美しい女性をお側に召して、秘蔵の妻として毎夜のように愛されているのだと噂されています。
花のような姿だけでなく賢さまで備えた稀有な女性に魅了された王様は、そのかたを独り占めしたくて、一時はご自分の部屋に閉じ込めて誰にもその姿を見せずにいらしたとも言われているのです。
大臣家のような王宮に親しい高官のなかには、王様は照れておられるのだと言うものもおります。
この噂話は王宮に出入りするもの達だけの公然の秘密でもありました。
あの女嫌いであった王様を射止めるとは不思議な縁であると皆は密やかに言うのです。
大臣は部屋に閉じ込められていると聞いたときは心配したのですが、たいへんな額の持参金をいただき、その後の後宮の賑わいを聞くにつれ、サクラが大事にされていることをいのや信頼厚い家来達と共に喜んでおりました。
大臣達はいつ王様が観念してお披露目をされるのか、それとも意外に独占欲の強い王様は祝典も挙げず国民に告知もせぬまま密やかにサクラを愛されるのか。まさか宰相の大蛇丸の画策で来たものを素直に気に入られたことが口惜しいのかと、楽しく話していたのです。
いずれお子もできるのでは、いやまだお若くあられるのだから気が早いのではと言っていたのにすでに愛らしい女児を産み、今また新たな子を授かっているのだとは、まこと神の思し召しは余人にははかり知れません。
お子が出来たのなら、あの王様が粗略な扱いをなさるわけがありません。きっとお喜びになるし、国にとってもたいへんな慶事です。父の話からいのはそう信じておりましたので、サクラの産んだ赤ちゃんのことを早く皆に話したかったのです。
それをどうしてと、大切な妹に愛情こめて尋ねると、サクラは困った顔をして口ごもりました。
頭が良いのに泣き虫で、頑固でおしゃべりの大好きなサクラが何も言えずにおります。
いのはずっと気になっていたことを思いきって尋ねました。
「もしかして、パパより偉い王宮の誰かに……、嫌がらせされてる、なんてことはないでしょうね……?」
後宮で笑い話とともに聞いた冗談を、いのは改めて問いただしました。
「違うわ! そんなこと……、そうじゃなくて……」
慌てて否定するサクラはそのまま白い顔を曇らせます。いのは大事なことを確認しました。
「本当に、宰相様に何か言われてるわけじゃないのね?」
大臣より偉い王宮の人物と言えば非常に限定されています。サクラは驚いた顔になりましたが、「大丈夫」と言って黙ってしまいました。
こんな態度では信じることができません。
「サクラ、私には本当のことを言って」
いのは真剣に妹を助けるつもりでしたが、サクラは困った顔で「本当に違うの。わたしがわるいの」と言って、こらえきれずに泣いてしまいました。
「サクラ……」
実はサクラが苦手だと言っていた宰相にでも脅迫されていたらどうしようかと思い、それだけは確かめなくてはと考えていたのですが、サクラのこの涙を見るとひとまず危ないことはないようだといのは考えました。
自分の身や周囲に危険なことがあればサクラはこんな風に泣き出したりしません。
特に今は子供がいるのですから、もし心配するようなことがあればサクラはきっと相手と戦おうとするでしょう。
サクラがいのの家に来てから王宮に行ってしまうまで、二人は義理の姉妹で親友で、朝も夜も毎日ずっと一緒に過ごしてきました。
二人の部屋には二つのベッドがありましたが、もともと大きな寝台は女の子二人が並んでも十分な広さがありましたので、王様に言われた通り二人はいつも一緒に眠っていました。喧嘩をすることもありましたが、そんなときこそ夜にはぴたりと寄り添っていたのです。
その大切ないのの可愛い妹のサクラが、いのにさえ理由を話してくれません。
真面目で融通のきかない、何でもできるように見えて少し不器用なところのある妹は、相手を気づかうあまりに自分の気持ちを打ち消してしまうところがありました。
サクラが悲しんだりするのは自分のことでなく決まって相手がいるときでした。
優秀な頭脳で考え過ぎて、自分が孤児であることや国王の子を産んだことについて妙な考えに囚われているのではと思うのですが、強情なサクラは何も言いません。
サクラが王様のことも子供のことも大切に思っていることはわかっています。王宮で国王に愛されるのは外からはわからない苦労もあるでしょう。
泣き虫でいじっぱりのサクラは泣きながら誰かのために無理をするのです。
「わかったわよサクラ……」
妹の震える肩をいのは優しく撫でました。親愛のこもった様子で、いのは困らせるつもりはないのだと謝りました。そして大臣家にいる間は王様のことはいったん忘れて寛ぐように言いました。
「ここではあんたは私の妹で、この可愛い赤ちゃんは私の大事な姪っ子よ。お腹にいる新しい姪か甥っ子が産まれるまでゆっくりしてもいいんだからね」
その場の空気を変えるように、いのは妹の冷たい頬をちょんと突つきました。
サクラは少し微笑んで、幼いころから自分を守ってくれた姉に「ありがとう」と言いました。
サクラは子供のころから慣れ親しんだ大臣家で心安らかな時間を過ごしました。
後宮でのサクラは王の寵妃として大事にされておりましたが、同時に後宮の女主人の役目もあったので、侍女達に指示を出したり皆の安全を守るという責任がありました。
何よりもサクラは立派な王様に対して恥ずかしくないようにしたかったので、どこか気を張っているところがあったのです。
それが大臣家に来ると頼もしい姉がいて、サクラも赤ん坊のこともすべてを取り計らって守ってくれます。
養父の変わらない態度は懐かしく思いましたし、姉のほっそりとした腕に優しく抱(いだ)かれたときは、王様の頼もしさとは別の安らぎに包まれるのを感じました。
サクラには頼れる家族がいることを思い出したのです。
忘れたつもりなんてなかったのに、大臣家に来たおかげで少し気持ちが軽くなったようです。
今まで大人しかった赤ちゃんも母親の気持ちがわかるのか、大臣家に来てから元気な声をあげるようになりました。
舌足らずな声はサクラの胸を甘やかに刺激します。なんだかここに来て、急に大きくなったような気がします。
サクラを励ますような子の成長は心丈夫に感じられて、可愛いだけでなく母親思いの本当に良い子です。
夜のような漆黒の髪にまるく輝く満月のようにふくふくした愛らしい赤ちゃんは大人達をすっかり虜にしています。
いのは赤ちゃんのいる若い母親をたくさん雇うことにしました。なかには住み込みの親子もいます。これで大臣家で赤ちゃんの声が聞こえてもおかしくありません。
大臣にいのは、託児所の練習だと話しました。せっかくだから女性の教育について、後宮ではできないことを試したい、にぎやかなほうがサクラも気が晴れるだろうと説明すると、大臣は笑って許してくれました。
そしてもう一人、赤ちゃんのいる女性が大臣家に度々遊びに来てくれることになりました。いのの幼馴染みである、チョウジの奥さんになったカルイです。
カルイは遠い雷の国からお嫁に来て、サクラの赤ちゃんと同い年の「チョウチョウ」という女の子を産んでいました。
外国から嫁いできたカルイはこの国のことがまだよくわかりません。火の国の歴史や文化についてサクラが簡単に説明すると、カルイは「うちの旦那よりよっぽど物知りだな」と言って、サクラの博識ぶりに驚きました。
それではとサクラが色々説明しようとすると、彼女は固い話は良いと言って子供向けの話をリクエストします。いのが言うには外国人だからではなく、彼女が『こういう性格』なんだそうです。カルイの性格はサクラにも新鮮に感じられて、なるほどチョウジとお似合いかもと思われました。
結局その場にいる母親達のおしゃべりが始まります。大臣家にできた女人専用の離れはとてもにぎやかです。
カルイも新しく雇った侍女たちもサクラのことは偉いひとの奥さんで、身分の高さによる不自由な生活で体調を崩したため、親切ないのを頼って大臣家に静養しに来たのだと説明されました。
また、サクラの夫には政敵がいるためその正体を隠したいとも打ち明けられ、すっかり信じ込んだ彼女達は敵が呪われるよう盛大に文句を言って、サクラには心配するなと励ますのです。
架空の敵には申し訳ないのですが、彼女達が悪鬼払いの言葉を唱えるとサクラの心配の虫が退治されるような気がして、その度にサクラは感謝の言葉を唱えました。
カルイはチョウチョウを連れてサクラと赤ちゃんのところへ気軽に遊びに来てくれます。母親同士の気兼ねなく話すおしゃべりは格段に楽しいものでした。
話題にあがるのはたいていは子供のことです。赤ちゃんは誰もが小さくて可愛らしいのですが、母親が見ればたくさんの個性や美点があって話は尽きません。それぞれ性格も違って、それがまたみんな可愛いらしく見えるのです。
サクラもカルイも召し使いの母親達も皆、我が子が一番可愛いと主張しましたが、サクラの赤ちゃんを見るとその美しさを称えました。
「うちの子も可愛いけど、サクラの赤ちゃんは火の国らしい美人だな」
こんなに愛らしく美しい赤ん坊は見たことがない。どんな者も、男性も女性も、商人も役人も大臣も、信仰心のある神に仕える良い魔神でさえこの子を見たら大好きなってしまうだろう。母親も花のようだが父親は月のように美しい男性なのだろうと冷やかします。サクラは曖昧に微笑みました。
あまり幼いうちから子供が美しい評判が立つと悪い妖魔に眼をつけられてしまいます。
サクラがそう言うとカルイはそんなものかと首を捻りましたが、年嵩の母親がそれも最もだ。サクラの夫が深窓の邸の奥深くに妻子を隠してしまうのも仕方がないと頷きました。
美しい子供は父親の心配の種だが、次の子も楽しみだ。早く体を治して顔を見せてやらないと男は安心できないと皆がサクラに言うのです。
サクラはつい、本当にそうだろうかと聞き返してしまいます。すると皆は男はそういうものだ、子供だけでなく美しい妻は男の心を癒す力があると言います。神に誓って真実だと請け負いました。
やっぱりサクラは曖昧に微笑んで、皆にありがとうとだけ言いました。
いのもここにいる間に存分に可愛がるのだと言って、毎日のように赤ん坊の顔を見にきます。
そして抱き上げる度に重くなったと喜んで、確かにこの子はあの女嫌いだと評判の王様だって、素晴らしく可愛い赤ちゃんだと褒めてくださるだろうと言いました。
「いのったら褒めすぎよ」
赤ん坊のやわらかな髪を愛しげに眺めながら、サクラは事情を知るいのには素直に文句を言いました。
あの王様の血を引く娘はきっと美しく成長するでしょう。それが母として誇らしくも切ない気持ちを呼ぶのです。
「王様の名前まで出したらおそれ多いじゃない。あんたこそ誰か良いひといないの?」
二人きりのときに、サクラはふと軽口を言いました。
「いないこともないわよ――」
「えっ? やだうそっ、どんなひと!?」
すわ乙女の秘密の打ち明け話かとサクラは声を上げました。
「我が国の王様に負けないくらいのイケメン王子様に決まってんでしょ」
「なによそれ、って冗談なの?」
にやりと笑う姉のからかいに、二人はかつてのようにじゃれあいました。
サクラは姉の気遣いに感謝しました。大臣家のおしゃべりは後宮とは一味違う楽しさがありました。
子供たちは大人の心配を知らず仲良く遊んでおり、本当に良い日々をサクラは過ごしています。
医者として滞在している綱手は、サクラだけでなく赤ちゃんと母親達を全員見てくれます。そしてサクラを含めて健康だと太鼓判を押す毎日です。
綱手はここに来てからサクラとお腹の子は順調だと言いました。このまま何も心配せずに過ごすことが一番だ。後宮に戻るより、産まれるまで大臣家にいたほうが良いのではと勧めました。いのはもちろん賛成です。
サクラの好きにして良いが、ここなら出産にも安心で、そのほうが都合が良いだろうといのは笑顔で言うのです。
全くその通りの姉の言葉にサクラはまた笑顔の奥で困りました。
これでは王宮に帰り辛くなります。
本当は王様から離れて大臣家に来てしまうのが不安でした。
あのご命令は王様に嫌われるとまではいかなくとも、サクラの病弱さをうとましく思われたのではないかと感じたのです。
サクラはちっぽけな娘ですから、王宮を出るのが怖かったのですが、皆が王様の威徳を称え、何より王様ご自身の勧めであったので大臣家に静養しに参りました。
確かにサクラの気分は浮上して、体も時間とともに安定しました。いのや大臣家の皆に会えたことは嬉しく楽しいことで、赤ちゃんにもチョウチョウという友達ができたことは素晴らしいことです。
しかしこのまま大臣家にいて、本当に良いのでしょうか。
だってサクラは天涯孤独の娘です。王様の寵愛を受けておりますが、それは王宮にいてこそ守られる話です。王宮を出てしまったら、サクラには赤ん坊とお腹に宿した新しい命、あとは重吾しかおりません。
本当に、これで良いのでしょうか。
サクラは重吾に手紙を届けてくれるよう頼みました。内容なんてありません。単に王様宛のご機嫌伺いです。
王様はこんなときお便りも何もくださらないのでサクラのほうから連絡を取るしかありません。
念のため、サスケには会わないよう注意しました。また、もし会っても自分のことは話さないように。王様が何と言っても見舞いには来ないように伝えて欲しいと頼みました。
無言の重吾に、サクラは大臣家の迷惑になるからと説明しました。
「王様のお気持ちは嬉しいんだけど、ここは後宮じゃなくて大臣家だし、サスケくんみたいなひとが来たら、みんな困るでしょう……? その、サスケくんていつも突然だし……」
重吾は何か言いたげな顔をしていましたが、やはり何も言わずに王宮に向かいました。
そしてその日のうちに重吾は帰ってきたのですが、王様からお返事は何もありませんでした。
「そう……、ありがとう」
王様は真面目で優しく徳の高い君主であられますが、それだけに口は重く、さらに言えば筆不精なおかたです。他ではどうかわかりませんが、サクラに対してはそうでした。
王様はサクラが十の話をしても一言お返事をくだされば良いほうで、あごの角度や引き結んだ唇、瞬き一つしない眼差しだけでサクラにものごとを指示することもありました。
直にお会いしていればともかくお手紙なんて無理に決まっています。予想していたことではありますがサクラは悶々としてその日を過ごしました。
次の日も、またその次の日になっても王様からお便りなんてありません。
その代わり王様から大臣家にぎっしりと重いたくさんの金貨と、甘くて瑞々しくて良い香りのするおいしそうな果実がどっさり送られてきました。このときもサクラへのお言葉は何もありません。大臣への褒美とのことでした。
「きっとあんたに食べさせたいのよ」
いのの目配せにサクラは黙っていましたが、せっかくですから赤ん坊が食べても良いものを選んでカルイを招待することにしました。この贈り物を大勢で味わいたいと思ったのです。
大臣家の皆や綱手とも一緒にたくさんの果物を頬張るのは甘くて優しくて本当に楽しい時間でした。
王様から大臣への褒美という、そのお心をこうして形にしていただいたことは、果肉のやわらかな味わいとともにサクラの心を融かしました。
そして幸いにも、サスケからの見舞いもまたありませんでした。
女ばかりの穏やかな日々、サクラは王様からいただいた果物を大切な赤ちゃんに食べさせながら、王様と子供のことを改めて考えました。
何日も何日も考えた末に、サクラは自分の住まいのある後宮に戻ることに決めました。
できるだけ早く、出産は待たずにです。
理由は簡単でした。サクラは王様にお会いして、可愛い我が子を見ていただきたいのです。もしそれでお咎めがあっても構いません。王様がお怒りになるのは当然のことです。
自分の血を引いた子供が知らぬまに産まれ、新たな子供がサクラの腹で息づいている。
一国の君主として当たり前の婚姻が許されない立場であっても、黙っていて良いことにはなりません。
王様は偉大な支配者で、敵を一刀両断する技量をお持ちのかたです。激情に駆られれば女の細首ぐらい絶ち落とすのは容易いことでしょう。
最初の一太刀さえ免れることができれば助命の余地はありますが、難しい賭です。いえ、王様はまことの優しさをお持ちですから、どんなにお怒りでもサクラと子供の命を取ったりするかたではありません。もしそうなれば、よほど許しがたくお怒りだということです。
王様は子持ち女を死刑にするようなかたではありませんし、罰を受けるにしても、お腹の子を産むことだけは許していただけるようお願いするつもりです。
あのかたはこんな大事を隠していたサクラをお怒りになって二度と顔を見るのもいやだと言われるかもしれませんが、子供の顔だけは一目で良いからお目に入れていただきたい。
そう心に決めるともう居ても立ってもいられなくなってしまいました。
王様が真実お気に召さない場合、サクラは目をかけていただく価値がなくなるので、そこには注意が必要だなと思いました。
サクラは念のため重吾に金貨を与えようと考えました。
大臣が王様からいただいた金貨をそっくりいのにくれたので、二人はサクラのために雇った母親たちに特別な給金をいくらか払いました。その残った分を二人は取っておいたので、サクラはいのと半分にわけた自分の金貨をすべて重吾に託すことにしました。
王様のご不快の念が強ければ重吾に赤ん坊のことだけは頼まなくてはなりません。
サクラはまず重吾に王宮に帰るつもりであり、娘のことと妊娠についても王様にお話するつもりだと話しました。
重吾はほっとした顔をして、サクラの決意を静かに喜んでくれました。もとは王様の軍人奴隷であった重吾にはずっと心配をかけていました。
王様のお咎めの可能性と金貨の話をすると、
「何故そんなことを?」
重吾は金貨など必要ないと言いました。王様を信じて良いと言うのです。
「そうね、重吾が正しいわ……」
その通りです。どうしてサクラは重吾のように出来ないのでしょう。
サクラは心配しなくていいと言う重吾に、無理に頼んで金貨を預かってもらいました。
重吾にとって王様は神のように揺るぎなく自らの上にたつ存在でした。
重吾は「王に命じられたから」サクラを守ってくれるのですが、今やサクラにとって最も信頼のできる奴隷です。
たとえ王様がサクラを切り捨ててもサクラの子供を守ると誓いました。
その言葉が嬉しいから金貨を与えるのだと言うと重吾はさらに困ったのですが、最後はサクラのために折れてくれました。こうした準備をしておかないとサクラが次に進めないからです。
さて、あとは行動しなくてはいけません。
自分一人なら何も望みませんが、王様との子供のためにはサクラがやらなくては何も変わりません。
望むのはわがままだと思っていましたが、自分が傷つくのを恐れる気持ちと、今の幸福を手放すかもしれないことに目をつぶり避けていた気持ちがありました。
重吾のように王を信じるのは勇気が必要でした。
サクラは大臣家の親しい人々、いのと養父、世話をしてくれた女たち、仲良くしてくれたカルイとチョウチョウに別れの挨拶をして、再び後宮に戻りました。
いのと綱手は心配していましたが、カルイやサクラの戻る先を知らない母親達は寂しがりながらも喜んでくれました。
きっとまた元気な顔を見せて欲しい。
養父である大臣に言われたとき、サクラは本当にそうなれるようにと答えました。
しずしずとやって来た行きの行列に比べ、帰りの行列はあっという間に王宮へと戻って行きました。
サクラの輿が後宮に着くと懐かしいもの達が皆帰ってきたことを歓迎しています。
部屋にはたくさんの花が飾られ、色鮮やかな美しい刺繍の布が壁や天井に掛けられています。かごにはおいしそうな果物がきれいに盛りつけてあり、すぐに使えるよう準備されたお茶と菓子の用意がありました。
サクラは後宮に残っていた侍女達に、留守を任せていた労いとして土産の美しい布や装飾品をあげました。そして大臣家についてきた者には特別に給金を渡しました。
せっかく帰ってきたのに、もしかしてもしかしたら、サクラはまた彼らと別れることになるかもしれません。
後宮の最も奥まった場所にあるサクラの自室は変わりません。
王様の部屋と同じ模様の布で飾られたベッドや気持ちの良いクッション、絨毯や座椅子に美々しい調度品の数々をサクラは眺めます。
サクラの可愛い赤ちゃんも一緒です。赤ん坊は大臣家との違いに気づき、サクラにぴたりとくっついてむずがりました。
ここには大臣家にいたような若い母親も小さな赤ん坊もいませんが、サクラはもう大丈夫です。
娘はサクラだけを頼りにして、真っ黒な瞳を涙で濡らしています。
「可愛い子……」
赤ん坊にはまだ名前がありません。そのほうが問題でした。
王様にお会いして、二人の子である娘をお目にかける。
帰ってきたその日は綱手に休むよう言われてしまいましたが、すぐにもお会いできるよう王宮には連絡をしてあります。
サクラは少しばかり緊張しながら床につきました。
その夜、厳重な警備に守られたサクラのもとへ、王様も誰もやってきたりしませんでした。
サクラは次の日もお会いしたい旨を王様にお伝えするよう重吾に頼みました。
重吾はお返事をいただいて帰ってきましたが、帰ってきたばかりで疲れているだろうから、しばらく休んでいるよう王様がお命じになったとのことです。
王様のご慈悲に感じ入りながらも、サクラは威勢を挫かれたような気持ちになりました。
その後もサクラはなかなか王様に会えません。すでに目立ち始めたお腹は順調に大きくなっていきます。
幸いなことに後宮でもサクラの体調は何事もなく、赤ちゃんの様子もサクラの妊娠も安定していると綱手に言われました。
大臣家で過ごしたことで、サクラは改めて後宮の暮らしに感謝することができました。
後宮の自室に入り、その懐かしさにほっとした自分の気持ちにこそ、サクラはとても安心したのです。
部屋は清潔に整えてあり、庭は気持ちの良い美しさで輝き、皆は優しくサクラと赤ちゃんを受け入れてくれます。
大臣家にいたときとは異なる安心感がありました。警備兵に守られた後宮は堅固で優美であり、最初は見惚れるばかりだった調度品も今では愛着があります。
変わりのない後宮にあって、そこで暮らすサクラの心身は別人というほどに変わったのです。
王様はお忙しいと言いますがこれ以上サクラは待てません。
重吾にどうしても王宮に行かなければならないと告げて、準備をします。できるだけきちんと衣服を調えて、今夜は赤ちゃんも一緒です。
重吾に運ばれるのでなくサクラは王宮まで歩いて参りました。
王様にお会いするために。
サクラは部屋の中央に布を広げてかごを置き、宝物を守るようにそっと布でくるみました。
揺りかごにもなる大きなかごは重吾が運んだものです。
自分は敷物のうえに座って王様を待ちます。
上等のベールはサクラの体をすっぽりと覆っていましたし、赤ちゃんは重吾が運んでくれたときから大人しく眠っています。
王様の私室に入るまで誰にも会わず、咎められることもありませんでした。
兵隊を幾人か見かけましたが、サクラ達には何の反応もしません。後宮を守るカカシの配下の兵はサクラを見れば礼をしてくれるのに、王宮は雰囲気も少し違うようでした。
思えばサクラはいつも隠れるように王様のもとへ通っておりました。王宮ではサクラのことは誰も知らないかもしれません。
王様の私室に入ると、サクラはほっと息を吐きました。
最初は何かも恐ろしかった王の部屋。
今も王様への畏敬の念は変わりません。そしてかつては知らなかった愛情がサクラの隅々まで支配しています。
サクラは愛という支配者から自由になるために真実を伝えにきたのですが、自由の代償がなんであるかは神のみがご存知でしょう。
サクラの未来も王様のお気持ちも今はわかりません。
娘だけは守らなくてはいけませんが、そこは王様を信じて良いと思いました。
あとの心残りである香燐とは後宮に戻ってから会えておらず、そのことは非常に残念でしたがサクラの覚悟は決まっています。
王様とは今まで何夜も寄り添って過ごしました。王様と過ごす夜、サクラのすべてが王様のものでした。
サクラはベールを被りゆったりとした衣服を着て体の線を隠しておりますが、王様が少しでも手を伸ばせばふくれた腹に気づかれるでしょう。
サクラの腹を見ればそれが全てです。ただ、娘の紹介だけはサクラの口から言わなくては申し訳ありません。
夜の帳が、砂漠の片隅にある一粒の砂から木々に生い茂る葉の一枚一枚までを群青に染めて、王宮の城壁から立ち上る塔の先端の飾りにまで支配を広げていきました。
ついにその広大な裳裾は、サクラが王を待つ一室さえも音もなく黒く包みます。
古来よりこの世界に君臨する偉大なる夜がサクラのもとで始まったのです。
「長く休みをいただきまして申し訳ございませんでした」
サクラはすぐに頭を垂れて挨拶の口上を述べました。緊張がサクラを襲います。初めてお会いした夜もそうでした。
魔神のように恐ろしい君主。魔神のように美しい統治者。
王様は青い鉄のような膚に夜よりも深い黒眼をして、サクラを無感動に見つめています。王様はサクラの所有者であり、サクラのすべてを支配するかたです。王様に命じられたら何であれ従わなくてはいけません。
サクラはそう知っていてなお王の望まない真実を告げました。
「今夜は王様に謝らなくてはいけないことがございます。ずっと――、王様に逆らっていることがございました」
御前にひれふしたままサクラは申し上げます。
「わたくしは王様のものですのに、昨年王様に黙って王様のお子を産みました。そして今また新たな命を授かり、王様にお話しないまま一人で出産しようと考えておりました。勝手なことをして、申し訳ございません……」
部屋は静かなままです。サクラは続けて申し上げました。
「こちらが、その子でございます……」
よどみなく震えもしない声でサクラは話していましたが、娘のかごを王様の前に差し出す白い指が震えました。
「…………」
恐ろしい沈黙でした。
サクラは床に額を擦り付けるほど頭を下げています。
かごを押したときちらと見上げた王様の表情は何の感情を表しているのかわかりません。
衣擦れの音ひとつしないなか、王様の吐息が聞こえました。
サクラが恐る恐る顔をあげると、王様は先ほどと変わらない姿勢で、揺りかごとサクラのほうを見ているだけです。
王様が何もしようとしなかった初めての夜を思い出し、サクラは前ににじり出ます。もう一度、揺りかごの娘を王様の御前へと押しました。
赤ん坊は王様の部屋に着いてすぐに眼を覚まし、サクラと一緒に部屋のなかを散歩したりしていましたが、今は眠るでもなく揺りかごのなかで大人しくしています。
動かない王様はお怒りではないように思えました。
無言の王様の前でサクラは娘を抱き上げました。そして最大限の勇気を振り絞って、
「ご覧になってください……」
娘の顔を王様にお見せしました。赤ん坊はぱちりと眼を開いて王を見ます。
王様はそれでも何もおっしゃいません。
やはり自分では駄目なのか、サクラの全身がじわりと悲しみを帯びました。
「びやっ、ぅあ゛ーーーー!」
ぶわりと赤ん坊が口を歪ませたかと思うと大きな声で泣き出しました。
サクラはびっくりしてどうしようと思いましたが、王様に「申し訳ありません」と詫びて赤ん坊をなだめました。
「どうしたの赤ちゃん。大丈夫よ可愛い子、ママがついてるから大丈夫。可愛い子、可愛い子……」
必死に声をかけながら、これで王様がご不快になったらどうしようと思い、そのときは自分がしっかりと守らなくては、いっそ王様が怖い命令なんて言い出される前に重吾を呼んで帰ってしまおうかと思いました。
そうだ。それが良いのだと考えて御前を退出しようと王様を振り返ったとき、サクラの頬にはすでに涙の跡がありました。
自分が泣いていることも気づかずサクラは王様に向かって挨拶をしようとしました。
「王様きょうは……」
この挨拶をしたら二度とこのかたに会えなくなる。悲しい予感にサクラは娘に劣らずほろほろと泣き出しました。
のどにつかえながら挨拶をしようとしますが鼻の奥がつんと痛くて言葉がうまく出てきません。赤ん坊も母と一緒にびやびやと泣いています。
無言で母子を見ていた王様は泣いている二人をそっと抱き寄せました。サクラは何が起こっているのかわからず混乱しました。
王様の胸に抱かれて、かえって感情があふれました。涙を流したまま謝罪を繰り返します。
「ごめんなさい、わたしが勝手に、ごめんなさい……」
ぐしゃぐしゃの泣き顔を王様が抱き締めました。
王様はずっと無言でしたが泣き止まないサクラの背をなだめるように包みます。
その固い手の頼もしさにサクラは王様がいかに優しい主人であるのかを思い出し、申し訳なさにまた涙があふれました。
「もうしわけありません……、王様の、だいじな家族を……、わたしなんかがかってにうんで……、おうさまに、ふさわしくないのに……!」
そうです。王様はお優しいから好ましくない自分でもお側に置いてくださったのです。どうして今までそのことを忘れて勝手をしていたのでしょう!
王様は亡くされた家族を何よりも大事に思いサクラなんかと家族になる気はなかったのに、こんな女に子供を産まれても迷惑なだけです。
王様はサクラと結婚する気はないのだと何度も言われました。その想いの底にご自分の家族への深い愛情があることはわかっていました。
サクラはだからこそ王様に家族を持ってもらいたいと考えていましたが、その相手が自分ではないことを知ってました。他ならぬ王様の行動がそれを示していたのだから己の分を弁えて当然です。
それでも妊娠が嬉しくて、産まれた子が可愛くて、王様にも子の愛らしさを知ってもらいたくなりました。
でもサクラなんかが産んだのでは駄目なのです。
子を見せられた王様は今さらサクラを叱責してもどうしようもなく、お優しいから怒ることもできずにいたのにわたしが泣いたりするから慰めてくださる……。
なんということでしょう。もうこれ以上王様のそばにはいられません。
「わたし王宮をでますから、おゆるしください……!」
サクラは王様の腕から逃れて今度こそ退出しようとしました。
「サクラ」
名前を呼ばれてもサクラは謝り続けました。きっと永久の別れです。
「サクラ……!」
王様の手がサクラを捕まえました。赤ん坊ごともう一度、今度は強く抱きしめられます。
「もういい」
王様の言葉にサクラはいよいよ呆れられたのだと思いました。
「申しわけ……」
「違うサクラおまえじゃない」
王様の手が優しくサクラの頬に添えられました。涙でゆがんだサクラの視界いっぱいに困った表情をした王様の顔があります。
「わるいのは俺だ。おまえが謝る必要はない」
なんて王様はお優しいんでしょう。勝手をしたサクラを慰めてくれます。
「いいんです。無理はなさらないでください。わたしは大丈夫ですから」
「サクラ、いいから聞け」
子供を許していただけるなら王宮を出ても生きていけるとサクラは思いました。
「おまえはわるくないと言ったろう。いいから聞くんだ」
涙の奥で新たな覚悟を決めたサクラを王様は強い眼差しで引き留めます。
「俺は幼いころ家族を失い国は敵に奪われそうになった。父の敵も討てず兄の愛した国を守ることもできず、焦った俺はどうしても強くなる必要があった。国にこの身を捧げると誓い、祖国を守るよう神に祈った。そして神の代わりに現れた魔性と契約を交わしたのが俺の愚かさだ。呪いをこの身に受けても構わないと思い、強さを求めた……」
王様は自身の左手を見つめました。青い肌、顔の半ばまで広がる紋様には恐ろしい秘密と悲壮な決意が隠れていたのです。
「今は国も平和になったが過去の過ちをなかったことにする気はない。俺は国以上に大切なものを作らず欲することもしないと決めた。全ての恩恵は国にあれば良い」
王様の告白はサクラが抱いていた予測より寂しく悲しいものでした。
「申し訳ありません。王様の事情も知らずに隠れて子供を……!」
事の深刻さにサクラは震えました。知らぬこととは言え王様の誓いを破らせる真似をしたのです。
「いや、子が出来るようなことをしただろ。そうか……、それで体調がおかしかったのか」
王様は赤ん坊の顔を見て、サクラの腹の辺りをつくづくと眺めました。
「はい。でも、ずっと黙っておりましたから……」
「無事ならいい。許す」
どういうことでしょう。サクラは王様に黙って勝手なことをして、大切な神への誓いを破らせたのに許されるなんて、そんなことが許されて良いとは思えません。
「でも王様」
「サクラ、覚悟もなく騙すように抱いたのはどう考えても俺がわるい。子ができたらと考えることはあったが自らは何もしなかった。おまえは俺の意を汲んで黙っていたんだ。だが俺には……」
サクラの言葉を遮るように懺悔をする王様は、初めての夜のように唇に視線を落とすと流れるように口づけました。久方ぶりの王様の味にサクラは脳みそが痺れるように感じました。
子供も自分も拒絶されていない。そう思うと吸われる舌は甘く快い陶酔をサクラにもたらしました。絡まった布がやわらかく解れていくように、サクラは口づけに酔いしれました。
すると二人の胸のなかの赤ちゃんが驚いたように「びゃん」と声を上げました。
「ああ、ごめんね」
赤ん坊は涙で濡れ濡れと光る真っ黒な眼で両親を見ています。
サクラは落ち着いて娘を抱き直しました。赤ん坊は目元から鼻から口まわりまでを目一杯に濡らしてますが、サクラはもう平気でした。
布で優しく拭いてあげると赤ちゃんはぐずった顔つきながら少し落ち着いてきたようです。
子のむずがる様子を王様は神妙な顔で見つめています。
「俺が恐ろしかろうな」
王様がご自分の姿を気にされるのを初めて聞きました。
サクラは何気ない顔で、
「人見知りをするようになりましたから、慣れるまで少しかかるかもしれません」
と申しました。そして娘には、
「お父様よ」
と教えました。
ごく当たり前の、夢にも考えていなかった言葉をサクラはあっさりと口にしました。
内心の驚きを隠して王様をうかがうと、王様は複雑な顔をしておいででした。照れているようにも見えました。急な娘の存在に戸惑っておられるのだと。
「初めてですから、これからも会ってやってくださいませ」
サクラは改めて王様に申し上げました。
「ああ、これからだ」
王様は真面目な様子でうなずきました。
「明日にも法官を呼んでおまえを正式な妻にする。子供のこともだ。おまえは休んでいればいい。体を大事にしろ」
驚くサクラに王様はきっぱりとした様子で告げられます。
「何か食べるか。それとももう休むか」
王様から久方ぶりに聞く食事の誘いに、サクラは以前と同じ優しさを感じました。懐かしい夜がようやく戻ってきたようです。
しかしサクラは以前と違うので、思いきって今までとは違うことをお願いしました。
「ありがとうございます。王様、僭越ながら、娘を寝かしつけてからでも良いでしょうか」
「寝かしつける?」
「はい、たぶん眠いせいでぐずっているようです」
二人は愛くるしい顔を精一杯気むずかしく曲げた娘の顔を覗きました。
「あーぅ!」
小さな声で何やら主張しておりますが、いまいち覇気がありません。
サクラの胸に顔を押しつけたりいやいやを繰り返す小さな娘を王様は飽きることなく見つめました。
その瞳に慈愛のぬくもりを感じてサクラは娘の髪を優しく優しく撫で付けました。
王様に家族ができました。
きっと明日は三人にとってもっとよい日になるでしょう。
あんなに恐ろしい、身の毛もよだつほど摩可不思議で、どんな書物より予想だにしない出来事が待っていたなんて夢にも思いませんでした。