陽だまり
ピンポーン、と呼び出し音が鳴って、俺は薄らと意識を捕まえた。……寝ていたのだと気づいたのは、瞼が異様に重く感じたからだ。
アルバイトをしているネットカフェで、昨日は夜番だったので、帰ってきたのは朝の六時すぎだった。それから支度をして寝て……。今は何時かと携帯端末の画面を点灯して確認すれば、なんと昼の一時だという。
ピンポーン、とまた軽やかに呼び出し音が鳴る。
「エレン、起きてる?」
聞こえたのがミカサの声だと認識した俺は、そこでハッと息を吸った。……そうだ、今日はクリスマスで、ミカサと待ち合わせをしていたのだ。今は何時だ、さきほど確認したばかりだというのに改めて確認して、それから待ち合わせは何時だったかと思考を巡らせた。
「わ、わり、今出る。ちょっと待って」
覚束ない足取りで慌てて玄関に向かう。
そうだ、ミカサとの約束は確か夕方の四時だったはず。それを思い出したとほぼ同時に俺は玄関を開いていて、そこに控えめに俺を見ながら立っているミカサの姿を確認した。
「……ごめん、早く準備ができたので、もう来てしまった」
もじもじと申し訳なさそうにしているが、ミカサが待ち合わせの一時間や二時間前に俺のアパートに来るのはいつものことだった。……さすがに三時間も早いのは初めてな気もするが。
「あ、ああ。俺は今起きたところだ、悪い。入って待っててくれるか」
「うん。お邪魔します」
もう何年も通っている俺の部屋に、今日もおずおずと踏み込んでいくミカサ。その背中を見て、よほど今日のクリスマスのお出かけが楽しみだったのだなと納得して、少しむず痒い気持ちになった。
いつもより少しめかし込んでいるだろうか。今日は珍しくスカートを履いて、髪飾りなんかもつけていた。……よく似合っている。
「じゃあ俺、ちょっとシャワー入ってくるわ」
「あ、うん。いってらっしゃい。適当にしとく」
「おう」
そのままミカサは奥の居間に向かい、俺は廊下を曲がって浴室に入った。
まったくミカサは堪え性がないというか、いつも二人で出かけるときは待ち合わせ場所ではなく、俺の家に来るから、そんなに待ちきれなかったのかと毎度尋ねたくなる。……またむず、と鼻先が痒くなった。
シャワーヘッドから流れ出すお湯を浴びて、俺はがしがしと髪の毛を洗っていた。
そこで、ふと思い出したことがある。……書類だ。しまった、出しっぱなしだった。ここ数週間、俺が東奔西走して集めたいくつかの資料を、居間の隅に出しっぱなしにしていたのだ。
別に見られて困るものではないが、今見られるわけにもいかない。
その書類のことを思い出してからというもの、焦りが先に来て、俺は雑に身体を洗って早々にシャワーを出る羽目となった。
部屋着を着て、髪の毛はタオルで乱暴に拭う。ミカサがその書類を見つける前に隠したい一心で、落ち着きなく居間へ向かった。
廊下から見えたミカサは、ほかほかとした陽だまりの中に座っていた。ベランダの窓越し、俺が取り込んだまま山にしていた洗濯物を畳みながら、陽だまりの中で静かに手を動かしている。まるでミカサ本人が、そのほかほかした陽だまりそのものであるかのように。
物思いに耽っているようにも見えるが、少し嬉しそうにしているようにも見えた。
……陽だまりの中にいるミカサは、俺の中の感情を掻き立てた。何かわからない、ただ、独占欲と名前をつけられそうなその感情は、ざわざわとしていて心地がいいばかりではなかった。ミカサに触れていないことがもどかしく感じるような……そんな、ざわつきだった。
「……出たぞ」
「あ、エレン、おかえりなさい」
俺は何も気づかなかったふりをして、ドライヤーを置きっぱなしにしているコンセントの近くに歩み寄る。その側に隠したかった書類はあって、どうやらミカサはそれには見向きもしていなかったのだとわかった。……よかった。
「エレン、お昼食べてないでしょう? 何か作ろうか?」
「あ〜そうだな。……目玉焼きパン食いてえ」
「うん。わかった。キッチン借りる」
「おう」
俺はドライヤーの電源を入れて、ミカサは膝の上に置いていた分の洗濯物をせっせと畳み終えたあと、とたとたとキッチンの方へ走って行った。
……ありがたいことに、ミカサはこうやって俺の世話を焼くことが苦にはならないらしい。俺もミカサのそういう――愛しさが漏れ出すような、そんな温かな眼差しや心遣いは好きで、いつもちらりと盗み見てしまう。
ここから見える横顔でミカサは、やはりどこか嬉しそうな雰囲気を見せていた。
それから俺たちはのんびりと身支度を終えて、当初予定していた午後四時よりも少し早い時間だったが、家を出ることにした。本来約束していた待ち合わせ場所には、ちょうど四時くらいに到着する見込みだ。
人通りの多い繁華街はいつも行くところではないが、ミカサがこの近くの遊歩公園で催されるイルミネーションを毎年楽しみにしているのを知っているので、この日だけは好きなように付き合ってやる。冬も半ば、少しその繁華街の大通りでウィンドウショッピングをすれば、陽はあっという間に傾き始める。
お気に入りのカフェ店で持ち帰りのカフェオレを注文したあと、二人でその遊歩公園に入って行く。まだ陽は暮れ切っておらず、薄暗い中だったが、並木道に飾られている電飾はそれなりに綺麗だった。――この一番奥に、毎年多くの人が楽しみに訪れる特別大きなもみの木がある。俺たちがゆっくりと歩きながら目指しているのもそこだった。
飲み終わったカフェオレの空容器を備えつけのゴミ箱に投入し、寒さを凌ぐために両手を左右それぞれコートのポケットに押し込んだ。さらにわいわいと人で賑わう出店を横切りながら少し歩くと、目当てのもみの木の元に到着する。俺たちは人込みをかき分けて、そのもみの木の前に並んで立つに至った。……やはりまだ少しだけ空には明るさが残っていたが、
「……今年もすげえな」
それをも圧倒する光の粒に一時目を奪われた。……こういう飾りつけをさせられる作業員は大変だな、などとロマンの欠片もないことを考えてしまい、俺はなんて面白みのない男だと苦虫を嚙み潰したような胸中になった。
「うん。今年はピンクの光が多いみたい」
「そうか? ……そうかもな」
だが、そんなことはすぐに気にならなくなる。何の気もない会話をしながら、俺はしつこくミカサの横顔を盗み見ていたからだ。……
というかもはや、観念して〝釘づけ〟になっていたと認めるべきだろう。
少しだけ開いたままの口元が無防備で、薄く塗っているであろうリップが艶めき目に留まる。そんなに気を緩めていて大丈夫かなんて心配したのは、自らの気を逸らすためにほかならない。――当のミカサは、よほど目の前のイルミネーションに気を取られているらしい。確かにすごいが……俺はやはり、隣で輝いている少し暗めの瞳のほうが魅惑的に思えてならなかった。
ちら、とミカサの瞳が俺を見返して、俺は慌てて目前のもみの木を見やった。またむず、と鼻先が痒くなって、緩みそうな頬をなんとか引き締めて見上げた。
「あ、エレン、これ」
すると唐突にミカサが俺の身体に小さな紙袋を寄せる。
「今年はこれにした」
ああ、クリスマスプレゼントか、と理解した俺はそれを受け取りながら、少し照れた様子で渡してくるミカサの表情をまた何度も見てしまった。――何の変哲もない市販の紙袋だが、去年に比べて随分と小さかった。
「おお、ありがとうな。開けていいか?」
「うん」
ポケットから手を出すと、ひんやりと冷たい空気が触れる。けれどその中身が気になっていた俺は、少しかじかんだ指先で、封をしてあった口を開いた。
中から出てきたのは――少し暗めの赤色の毛糸の塊。拾い上げると、それは手袋なのだとわかった。……手編みの手袋だ。
「お、これは手袋か」
しかも、人差し指から小指まで、ちゃんと独立しているタイプの手袋だ。これが手編みとなると、ミカサの費やした時間と気力が伺えて感心する。
「そう。去年はマフラーだったし……でも、さすがに手編みのセーターは嫌かなと思って、今年は手袋にした」
「別に嫌じゃねえが……だけど、これ結構大変だったんじゃねえか」
「うん、まあ。でも楽しかった」
ミカサはそこまで器用というわけでなく、少し不揃いな編み目が反対に味を出していて、まだつけてもいないのにぽかぽかと身体が温まるようだった。そうか今年は俺を想いながら、これを。――まただ、また、むず痒くなって、それに気づかなかったふりをしながら、紙袋を畳んだ。
「そっか……まあ、よかった。さっそく使わせてもらうぞ」
ちょうど手もかじかんでいたことだし、とそれをありがたく受け取りながら、
「……お前の分の手袋は?」
ちらりとミカサの手元を見やる。
聞くまでもなかったが、ミカサは俺と同じように素手でいることに気づいた。
「いいや、ないけど」
「じゃあこれ、こっちはお前がつけろよ」
「え、」
ミカサに左手側の手袋を渡して、
「こっちは俺がつける」
俺が右手側の手袋をつけた。
ミカサは左手側の手袋を受け取るだけ受け取って、それで首を傾げたまま俺の様子を窺っている。何をしようとしているのか理解ができないらしいが、「いいからつけろって」とさらに指示を重ねると、ようやく訝し気にしながら左手に手袋を装着した。
そこに無防備なまま残されたミカサの右手を捉え、
「で、こっちは……これで、いいだろ」
俺の無防備な左手と一緒にコートのポケットに押し込んだ。
ぱちくり、とミカサが大きく瞼を瞬かせるものだから、しかもその澄んだ瞳で俺をじっと見つめて解説を求めるものだから、俺は自分でやったくせに羞恥心に負けて、目を泳がせてしまった。
ミカサは少し肩を竦めながら、
「……エレン、意外とベタなことするときがある」
ぼそりと呟いた。
「う、うるせえ」
「ふふ」
笑われたのも耐えられなくて、俺は慌てて話題を変えようと思考を凝らせた。
そうだ、あれだ、今度は俺の番だと思い出して、手ぶらであることを意識した。……そう、俺は今日、財布以外は何も持たずに家を出ていて、それはつまり、ミカサへのプレゼントも持ち合わせていなかった。
「あ、あ~。俺はその、今日プレゼントねえから」
だから正直にミカサにそう伝えた。けれどもちろん、俺が今日プレゼントを渡せないことには理由があって、
「あ、うん。別にいい。私はこうしてエレンと出かけられれば、」
「いやいや、勘違いするなよ」
それを話そうとしたのに、心を決めきれない内にミカサが自己完結しようとしたので、小さく焦燥を抱いてしまった。
「『今日プレゼントねえ』とは言ったが、『準備してねえ』なんて言ってねえよ」
だからミカサの言葉を遮る形になってしまったのだが、ミカサはまた静かに首を傾げて俺を見返している。それはどういう意味だとその視線が尋ねていて……、俺はぐっと覚悟を決めるように、腹に力を入れた。
「……その、一緒に選びたかったから……」
「選、ぶ……? 何を?」
俺の居間の隅に束ねた資料の数々。ついにこれを言うときがきたのかと思うと、どくどくと鼓動が早くなっていく。ああもう肝心なときに何を狼狽えているんだ俺、と自らを奮い立たせながら、目の前で答えを待っているミカサを見返した。――そうして俺は、意を決して口を開く。
「……部屋を」
ちらりと目が泳いでしまったが、またすぐにミカサに視線を戻す。するとミカサの眉間には、困ったような皺が寄った。
「…………へや?」
どうやら俺が何を言ったのか、その一言では理解できなかったらしい。俺は改めて息を吸い込んで、早鐘のように鳴り響く自身の鼓動を落ち着けようと必死になりながら、今度はしっかりとミカサと瞳を繋げて付け加えた。
「……おう。ミカサ。……そろそろ、一緒に暮らさねえか?」
言った、ついに言ってしまった。
目前にあった瞳はまん丸と見開かれて、かなりの間を開けて「……えっ、」と声がこぼれた。よほど動揺しているらしいとわかったが、その動揺はすぐさま俺にまで伝染してきた。だからなぜか言い訳をしたくなるように心が押されて、俺は一刻も早くミカサに弁明したくなった。
「つまり、その、……一緒に暮らせば、もう三時間も早く俺ん家に来て支度の準備を手伝ってくれる必要もねえし――、」
――いつでもそばにいられるし。
「ミカサが別に嫌ってことなら、ほかのもんでもいいけ、」
「嫌じゃない!」
余りにもミカサからの眼差しが重厚で耐えられなくなった俺が、みっともなく前言撤回しようとしたとき、ミカサが珍しく声を張り上げて身体を乗り出した。
その勢いに驚くのは俺の番で、なんとも簡単に頭の中が真っ白になってしまった。
「い、一緒に、いたい! エレンと!」
一生懸命に見上げてくるミカサの瞳。……やはりそれは目の前のイルミネーションよりよほど燦燦と輝いていて、とても綺麗に見えた。向けてくれる篤い眼差しが、渾身の願いを俺に訴えかけてくる。
――よかった。……ミカサも、俺と同じ気持ちだった。
一気に張っていた糸が解けたように、俺は安堵感で身体すべての強張りが緩んだのを感じた。……もちろんミカサならそう言ってくれるだろうという見当はついてはいたが、それを実際認めてもらうのとでは心持ちが違う。
俺は今日で一番のむず痒さを感じていて、腹の底からくすぐられるような歓喜を押し込んで、
「……そっか。じゃあ、行くぞ」
ミカサの右手をポケットに入れたまま、ゆっくりと一歩を踏み出した。
……恥ずかしい話、居ても立ってもいられなかったのだ。
「今から?」
当然ミカサもこれには意表を突かれたようだったが、
「おう。いくつか不動産屋の目星つけてるから。夕飯はそのあとでいいだろ」
「うん。……うん。それでいい。それがいい」
歩き始めた俺を、今度は反対に後押しするように身体を寄せた。
ミカサの瞳が、頬が、口元が、本当に嬉しそうに綻んでいる。ああ、キスしてえな、なんて身も蓋もないことを思ってしまい、それを誤魔化すために視線を前へ向けて、「おう、よかった」とようやく聞こえる程度の声で呟いた。
「今日決めたい。一緒に暮らす部屋、今日決めたい」
なんとも唐突に、しかも割とまじなトーンでミカサが釘を刺してくるものだから、
「いやいや、しばらく住むんだから慎重に決めようぜ。時間もあんだろ」
俺は急いでそれを回避しようとした。焦って決めたところでいい結果にはならないことのほうが多いことだ。
「……そうだけど」
それを思い出させられたらしいミカサは、少し不貞腐れたように唇を尖らせる。
それがまた何とも言えずに俺の感情を掻き立てて、俺は思わずミカサの頭をわしわしと撫で回してしまった。無造作に見えるように整えられていたのはわかっていたが、この衝動をほかにどうやって発散していいかわからなかった。
当然ミカサからも「わあ」と抗議を零されたが、悪い、としか言いようがない。言わないが。
「……陽がよく当たる部屋がいいなあ」
陽だまりの中で座るミカサを思い出して呟いた。どんなイルミネーションよりも、どんな温もりよりも、俺にとって陽だまりそのもののミカサには、それがぴったりだ。温かい窓辺で、気を許しきった表情で俺を見ているミカサ……想像しただけで、待ち遠しくなった。
「……えへへ、エレン。メリークリスマス」
ポケットの中で繋いだ手がきゅっと握り込まれる。そんなの俺だってやりたいに決まっていて、同じように気持ちを返すよう、俺もポケットの中の手を放すまいと固く握った。
「おう、メリークリスマス、ミカサ」
盗み見たミカサはやはり嬉しそうに、だらしなくその表情を綻ばせていた。
おしまい
あとがき
ご読了ありがとうございます!
いかがでしたでしょうか。
エレミカちゃんのことをより真剣に考える機会があり、そのときからずっと、
イチャラブな現パロエレミカちゃんが書きたくて仕方がありませんでした……!
そのときに思いついたのがこちらです^^
お楽しみいただけていたらいいのですが。
ちなみに、
いつも私の作品に対して熱のこもった素敵で丁寧な感想をくださる方がいらして、
勝手にその方へのクリスマスプレゼントになるといいなと思いながら書きました^^
もちろん自分が描きたかったのが大きな理由ですが、少しでもお心遣いのお返しになれていたら嬉しいです……!
ラブはたくさん込めました♡
エレミカ、現パロで永遠にイチャイチャしててくれ……
何回転生しても、何回でも一緒に魂の旅を続けてくれ……