オールのサイン ときどき、モアナはマウイに村のことで相談することがある。今日の彼女曰くどうやらマウイの存在を信じていない子供がいるらしい。
「私一人で航海術を考えたと思ってる子もいるの」
モアナはオールをいじりながら、海に入り込んでは放り投げられるヘイヘイを見つめた。
「かっこいいじゃないか。それに信じる信じないは自由さ」
マウイも、ヘイヘイを見つめてそう言った。
「でも、私一人の旅ではなかったことは信じて欲しくて」
悩むモアナに、マウイは旅に使ったオールを見せることを提案した。
彼の提案に対し、モアナはいじっていたオールを裏表ひっくり返して見せる。初めて会ったときに刻んだサインの痕跡は見受けられない。どうやらテ・フィティはオールを新品同様に作り直したようだ。
「どうしたものかしら」
モアナはオールを砂に挿して腕を組んだ。
「簡単なことだ」
マウイは言った。
「もう一度描けばいい。オヤツちゃんも描いて欲しいってさ」
いつの間にかオールをつつき始めたヘイヘイを見てマウイは言った。
「......今度は優しくお願いね?」
モアナはヘイヘイの嘴の無事を祈った。
マウイはヘイヘイの嘴でオールに釣り針のサインを刻んだ。オールにはもう一つサインがあったはずだが、彼の手は止まって動かない。その様子を見てモアナは小首を傾げた。そんな彼女の様子を見て、マウイはもう一つのサインを覚えているか尋ねた。モアナの足が砂浜にもう一つのサインを描いていく。モアナは自分の描いたサインの形が合っているか彼に確認した。
「完璧だな」
マウイは満足気に彼女に言った。そして彼女にある提案をした。
「よかったらそのサインを書いてくれないか?」
「私が?」
驚いたモアナにマウイはヘイヘイとオールを差し出して、こう続けた。
「風と海の神と、海に選ばれし航海士のサインが刻まれたオールだ。しかも、向こう見ずな仲間の嘴による合作だ。みんなこれを見たら信じるだろうさ」
「そんなに上手くいくかしら?」
モアナは迷ったようにヘイヘイの顔を見る。差し出されたヘイヘイの目がモアナを見つめて......いるのだろうか。少なくとも、彼女の方向に首を向けてはいる。嘴に変化はなさそうだ。みんなこれを見たら信じる。モアナの頭の中でマウイの言葉がこだました。
少しして、彼女はマウイからオールとヘイヘイを受け取った。モアナは砂浜にゆっくり腰を下ろしてオールを砂の上に置く。彼女はヘイヘイに謝りながら、恐る恐るオールにサインを刻み始めた。
「できた。ヘイヘイありがとね」
サインを書き終え、モアナはヘイヘイを指で撫でた。ヘイヘイは首を傾げる。
「初めて書いたとは思えないな、俺より上手い」
マウイはしゃがんでモアナのサインを覗き込む。
「あなたは褒めるのが上手いわ」
マウイの褒め言葉にモアナは思わずはにかんだ。
「ところで、このサインって何を描いたものなの?一対の細い釣り針?」
ヘイヘイを砂浜に下ろし、モアナはマウイに尋ねた。
「今度教える」
互いのサインを刻んだオールと、返答に怪訝そうなモアナの顔を見ながら、マウイは初対面のときのようにウインクしてみせた。