イラストを魅せる。護る。究極のイラストSNS。

GALLERIA[ギャレリア]は創作活動を支援する豊富な機能を揃えた創作SNSです。

  • 1 / 1
    しおり
    1 / 1
    しおり
    ほんとの空 蕎麦を食べる夜新居で明日美とのおしゃべりを楽しんだ百音は、仕事でその日のうちに東京に戻るという明日美を高速バス乗り場まで送り、そのまま足を近所のスーパーに向けた。今日の夜、菅波が気仙沼に帰ってきて、初めて一緒に年末年始を迎える。それは二人が今の関係になってから一度もなかったことで、あらかたの準備を終えていても、あれこれと気になって最後の買い物をしておこう、という気分である。

    百音が東京で仕事をしている時は年末年始は休めなかったし、気仙沼に帰ってきてからはなおさら。菅波も単身者で体よく暦通りの休みを埋める要員枠に収まっていたこともある。先日のクリスマスは6年ぶりに一緒に過ごしたが、実は年末年始はそもそも『ぶり』がなかったのだ、と二人して気づいて、思わず感慨にふけったのは先週の東京の家でのクリスマスである。

    先週に東京で会えて、今週は気仙沼なんて、こんな贅沢いいのかな、とも思うが、あの二年半を乗り越えてやっと結婚できたことを改めて実感するようでもある。菅波は今までの利子だ、というような言い方もするが、そうして周りが理解して支えてくれることがまたありがたい。

    雑煮の材料も大晦日のナメタガレイもそばも実家に持たされているし、元日の昼過ぎにはその実家に行く予定なので、大した食材の買い足しはないな、とスーパーをぶらりとしながら、牛乳たっぷりのカフェオレは一緒に飲みたい、と牛乳をカゴにいれ、卵焼き食べたがるかなと卵を手に取り、といくつか思い付いた買い物を終える。ひとり暮らしをするようになって、食材を買うことのハードルを百音もしみじみと理解している。それでも、百音は実家が近くで諸々の融通が利く方であり、そりゃ先生がまめに自炊するとか、無理だわ、など、今になって別角度の理解が深まることがまた面白い。

    帰宅して、大したこともしないけどとはいえ、と大掃除めいた構えになる。エプロンと大判のハンカチで三角巾を着けて、水回りぐらいは、と支度を整えたところで、ふと組手什のサメ棚にいるサメ太朗と目が合った。先週のクリスマスでは赤い帽子をかぶってなんだか楽しそうだった様子を思い出し、せっかくだし、と
    もう一枚、色違いのハンカチを取り出してサメ太朗にも三角巾を巻いてやる。微妙に長さが足りなくて、手近にあった菅波からのクリスマスプレゼントに使われていたリボンで長さを足す。くるりと三角巾を装着したサメ太朗もご満悦に見えた。

    引越してから数か月のことで、普段より念入りな水回りの掃除をしても一時間足らずで終わり、ぼちぼちと日没の頃合い。サメ太朗とサメ棚の中段・下段の本の並べ替えをするが、手に取った登米時代の気象予報士試験のテキストをふと開けば、自分が書いたメモや菅波が入れた注釈などが懐かしく、膝の上のサメ太朗と一緒にそれを読みふけってしまって時間が過ぎる。これね、先生の図の方が分かりやすかったんだよね、などサメ太朗に思い出話をすると、サメ太朗もうんうんと聞いているような。

    菅波は勤務終わりに終電で気仙沼駅に着く予定なので、23時頃に迎えに行けばいい。のんびりした大掃除風の時間を過ごし、簡単な晩ごはんと風呂を済ませた百音は時間まで来年の気仙沼営業所の事業計画を見返しつつ、こまごまとメモを書く。先日東京で話をした時に菅波から聞いた意見をとりいれたそれを、早く話したい、と壁の時計を見上げては、さっきから5分しか進んでいない時計にじりじりとしつつ。駅に早めに行きたい、とも思うが、百音が車で迎えにいくことを当初渋った菅波が、到着予定時間を越えた頃に迎えに来ること、と頼んできている。それは百音のことを慮ってのこととも分かるので、時間ちょうどまで、おとなしく家で過ごすのだった。

    その代わり、時間ちょうどになれば早速に家をでて。車をロータリーに滑り込ませれば、迎えを待っている数人の中に、ひと際長身の人影が見える。軽くクラクションを鳴らせばすぐにこちらに向かって来る。長躯をかがめて助手席から嬉しそうな顔がのぞきこむのがうれしい。手早く後部座席にキャリーケースを放り込んだ菅波が助手席に乗り込んできて「ただいま」と笑う。「先生、おかえりなさい」と百音も笑って、まずはロータリーから車を出した。

    家に着いて、出る前に再度沸かしておいた風呂に早々に菅波を追い立て、その間に百音がノンカフェインのハーブティーを淹れる。もっとゆっくり浸かればいいのに、といつも百音が笑う早風呂で菅波があがり、せっかく帰ってきてあなたがいるのに、と菅波が口をとがらせるのものいつものことで。ハーブティーで一息ついて、菅波が東京駅の年末の混雑ぶりを語るのを百音が楽しく聞き、百音が室内の正月準備を説明して玉紙と呼ばれる宮城独特の飾り物に菅波が興味深々である。しばらく二人で楽しくもひそやかに話をしながら、ハーブティーがなくなるころにふと沈黙が落ちる。菅波が、空のマグをもつ百音の右手を取って、そっとその薬指の指輪に口づけると、百音はくすぐったく笑ってそっとその手を菅波の頬に添えるのだった。

    翌朝、大晦日の朝は二人で寝坊して過ごし、昼前に活動を開始している。とはいえ、年越しの支度はすでに百音が終えていて、特にするべきことはない。シャークタウンも休業していて、何をしましょうかねぇ、と食後のコーヒーをのんびりと飲むのも、年末年始という感じがする。やっぱり、12月31日にこうして仕事していないことが何だか落ち着かない、と菅波が苦笑し、暦通りってなんだか不思議、と百音も笑う。結局、菅波が来たら話そう、と準備していた来年度の事業計画を百音がひっぱりだし、これ、この間話していたので…と話始めれば、テーブルの上は二人特有の熱を帯び、気づけは陽はすっかり高くなっているのだった。

    その後は、そういえばこの家の周りに何があるのか全然知らないな、と菅波が呟いたのをきっかけに、せっかくだからお散歩しましょう、と外に出ている。近くを流れる川ぞいを二人で手を繋いで歩くが、周りに歩いている人は他になく、周囲にも低層の建物がぽつぽつとならぶ景色は東京の家の近くの川べりとはまた値がって空がより広々としている。「これが本当の空ですねぇ」などと菅波がこぼし、百音が「東京には本当の空はないですから」と笑った。

    東京より早い日没に、もう食べちゃいましょう、と二人で年越しそばの準備にかかる。そばをゆでる百音の隣でネギを刻む菅波の顔が真剣そのもので、思わず百音がその頬をつついてしまう。包丁持ってる時に危ないですよ、と菅波も注意はするが、こうして並んで台所仕事をしていることが楽しいのは事実で。

    永浦水産の牡蠣をたっぷりのせた温かい蕎麦の丼の横に、百音がナメタガレイの煮つけを並べ気仙沼で年末に食べるんですよ、とい説明に、これは初めてだ、と菅波の口許が緩む。こうしてその土地にいなければ経験しない土地の食や飾りが、一緒に年末を迎えられていると感じさせる。初めてです、と興味深げな菅波に、召し上がれ!と百音はニコニコの笑顔である。

    こんなちゃんとした年越し蕎麦食べるのなんかいつ以来だろう、と菅波がそばをたぐりながらしみじみ言う。そうですよね、と百音が辛そうにうなずき、そんなには深刻にならないで、と菅波が苦笑する。病院の職員食堂で蕎麦は出るんですけど、どうものってるかきあげが脂っこくて食指が動かなくて、と笑い話にする様子に、百音もうんうん、と切り替えて楽しく話を聞く。医局にインスタントの蕎麦が備蓄されるのだが、去年はラスト一つを中村先生に食べられてしまって、自分はうどんになったといういかにもな話に、菅波の不憫が増しながら、穏やかな夕食の時間は過ぎるのであった。

    二人で後片付けをして。せっかくだから、星明寺のお参り行きますか?と百音の誘いに菅波が頷く。もう、年末の行事いつぶりだろうっていちいち言うのやめよう、と立ち上がりながら言う菅波に、うん、それがいい、と百音が笑う。会えなかった2年半以前からも、特に年中行事と縁遠かった菅波はやることなすことが新鮮で、それを百音と過ごしていることが何より面映ゆく、そんな様子の菅波を百音も慈しむ。

    星明寺に行けばほどほどの人出で、二人で除夜の鐘の列に並ぶ。行き会う百音の島の知り合いが声をかけてくるので、その度に百音が「夫です」と菅波を紹介し、菅波が頭を下げる。あぁ、お医者さんの!や、東京にいらっしゃるっていう、などと自分の情報が相手に筒抜けで、菅波は登米専従の頃に目の当たりにしたローカル情報ネットワークを思い出すのだった。

    寒さが一段深まった頃合いに、鐘を撞く順番が回ってくる。百音と菅波が鐘楼の石段を上ると、そこには副住職の三生がいた。「先生!おひさしぶりです!おかえりなさい!」人懐っこく挨拶してくる三生に、菅波もにこやかに挨拶をする。こうして、おかえりを言ってくれる人がいる場所があることがなにより温かい。

    三生から五色の撞き紐を渡された百音は「一緒に撞きましょ?」と菅波を見上げる。うんうん、と三生も頷いていて、菅波は撞き紐を持った百音の手に、自分の手を重ねた。よいしょ、と二人で息を合わせて撞木を振れば、江戸時代から受け継がれているという梵鐘の深い響きが心地よい。聞くものは一切の苦を逃れるというその鐘の音を並んで聞く幸福に、二人は来年が良き年であることを手を合わせて祈るのであった。
    ねじねじ Link Message Mute
    2022/12/31 15:01:38

    ほんとの空 蕎麦を食べる夜

    #sgmn

    more...
    作者が共有を許可していません Love ステキと思ったらハートを送ろう!ログイン不要です。ログインするとハートをカスタマイズできます。
    200 reply
    転載
    NG
    クレジット非表示
    NG
    商用利用
    NG
    改変
    NG
    ライセンス改変
    NG
    保存閲覧
    NG
    URLの共有
    NG
    模写・トレース
    NG
  • CONNECT この作品とコネクトしている作品