そして、深く沈む 後編 喉がきゅうと絞まるような感覚を監督生は覚えた。ここは慎重に答えなければならない。一つ間違えば、どんな目に遭わされるか分からない。この三人との時間を乗り切れば、もうここへは二度と帰って来ることはなくなる。この時間だけだ。この時間だけ。そう思うと、この『誓い』とやらも、そんな重大な意味を持っているようには思えなかった。この場を乗り切るためには、信用を勝ち得るしかない。そう判断して監督生はその言葉を口にした。
「誓、います。先輩達から……絶対逃げません。逃げませんから……!」
無言の圧力がただただ恐ろしくて、自然と涙が滲む。そんな彼女の様子に、暫くお互いに目配せした後、三人は満足そうに微笑んだ。
「良かったですね、アズール。稚魚さんは僕らのことが本当に好きなようで」
「当然です。稚魚さんには少々簡単過ぎましたねぇ」
「稚魚ちゃん、泣かないで~。ごめんね、怖かった?」
フロイドに頭を撫でられて、監督生はほっと安堵の息を吐く。何とかこの場をやり過ごせたことに対してだったが、彼らは何を勘違いしたのか、自分達の威圧感に泣き出してしまったのだと思ったらしく、思い思いに慰められた。温かさの感じられない抱擁。髪を撫でる手。慈しむように見える目つき。全てが彼女にとって疑わしいものに見えた。言葉と行動がちぐはぐで、愛情の欠片も感じられない。ただただ不気味で恐ろしかった。
それからはどうやり過ごしたのか、あまり覚えていない。とにかく当たり障りの無い返答、彼らに気に入られるような回答を心がけながら頭の中では逃げ出すことだけを考えていた。夜も更け、密かにニコラのことが心配になってきた頃、漸く三人は学園へ戻ることにしたらしい。監督生をベッドまで送り届けると、三人はそれぞれおやすみのキスをする。
「じゃあねぇ~、稚魚ちゃん」
「では、また明日。僕らの稚魚さん」
「今度はあなたの誕生日にお会いしましょうね」
手を振り、ばたんと閉じた扉を暫くじっと見る。少し遠くで玄関の扉が閉まる音を聞くと、彼女は動き出した。まず、ベッドの下に隠しておいた海藻を引きずり出して毛布を掛け、ティアラを頭が来る位置に乗せて身代わりを作る。ネックレスを外し、ベッドサイドに押し込んで指輪を外そうとした。
「くっ……」
不思議なことにその指輪はどんなに力を込めても外れない。魔法がかかっているのか、何をしても外れなかった。嫌な気配を感じたものの、外れないのであれば仕方ない。監督生は指輪だけそのままに、身一つで逃げ出すことにした。間もなく、ニコラが小さな声で呼びかけてきた。
「お姉ちゃん、来たよ-」
吹き抜けに目を向けると、可愛らしい笑顔を振りまいているニコラがいた。もうここに戻ることは無い。持って行く物も無い。この指輪以外は。そう思い、監督生はニコラに少し離れているように伝えると吹き抜けの格子を掴み、力任せに押し込んだ。ばきりと乾いた音を立てて格子が外れる。できた隙間に体を滑り込ませて、彼女はやっと外に出ることができた。
「やったね! お姉ちゃん!」
「うん、ニコラのお陰だよ。ありがとう」
「ううん。お姉ちゃんが頑張ったからだよ! 早く行こう。僕の家はこっち!」
久しぶりに感じる純粋な優しさに少し和やかになる心を感じながら、できるだけ格子を元通りにして監督生はニコラの後について行く。
夜の海は静かだった。外に出れば、もっと様々な魚がいると思っていたのだが、夜中のせいかあまりその姿は無い。
「何だかちょっと怖いね」
「夜だから、みんな寝てるんだよ。起こさないように行こう」
灯りになるものは無いのかと問うも、ニコラは首を振った。灯りを持てば、獰猛な魚に見付かってしまうからだ。
「大丈夫。ゆっくり泳ぐからお姉ちゃんはついて来て」
そう言うと、ニコラはなるべく珊瑚礁や岩の隙間を縫うようにしてゆっくり泳いで行く。そうして、進んでいると急にニコラが止まった。
「どうしたの……?」
「しっ」
こちらを振り返ったニコラは人差し指を口の前に持って来て、合図を送る。彼の合図の通りにすると、ニコラはこの先を指した。今彼女らがいる場所は丁度岩同士の間隔が狭く、陰になっている。この先は珊瑚礁の少ない場所だ。目を凝らしてみると、暗闇の中で何かが動いていた。それも一匹や二匹ではない。正確な数は分からないが、複数の気配があった。監督生にはそれが何なのか分からなくて視線だけで問う。
「あれはネムリブカっていう……サメだよ」
小声で返された回答に監督生は思わず、声を上げそうになり、慌てて口を塞いだ。
「サメ……? 夜中なのに」
彼女の中の鮫のイメージは昼間に水面から飛び上がる姿か、映画に出てくるような有り得ない巨大な姿だ。夜に活動する鮫がいるなど、彼女にとってはあまり馴染みが無い。
「あいつらは昼間は岩陰で寝てるんだけど、夜になるとああやって出てくるんだ。いつもは一匹とか二匹しか見ないのに。今日はみんなお腹を空かせているみたい」
言い終わった瞬間、彼女らの目の前を音も無く一匹のネムリブカが通り過ぎて行く。咄嗟に息を止めてじっとしていたお陰か、見付かることは無かった。一瞬だけ見えた猫のような目がきょろりと動くのを見た。
「ここにいるのは危ないから、反対側から回ろう」
「危ないの? だって、さっきこっちに気付いていないみたいだったけど……」
「岩陰にいるのは危ないんだ。あいつらはそういうところにいる魚を襲うから」
そう言っているうちに、岩の向こうで大量の泡と砂煙が立った。見ると、何匹かのネムリブカが珊瑚礁に頭を突っ込んで暴れているようだった。
「なに、してるの……?」
「……魚を食べてるんだよ。反対側から行こう。あいつらは珊瑚礁から離れることは無いから、珊瑚礁を離れるまではなるべく音を立てないでね」
ネムリブカ達に勘付かれないよう、ゆっくり静かに岩陰に隠れながら進む。がしょがしょと珊瑚礁を食い砕く音だけが響く中、もう少しで出られるという時だった。
「ひっ……!」
出し抜けに岩陰からネムリブカがぬうと現れた。
「逃げて!!」
ぶるっと尾鰭を震わせたかと思うと、物凄い速さで向かってくるネムリブカをぎりぎりで躱し、二人は必死に岩とネムリブカの間を急いで通り過ぎる。珊瑚礁を離れることには成功したが、まだ背後から数匹のネムリブカが追って来る。この先は珊瑚礁も大きな岩も無い。広々とした砂地が広がっている。二人はお互い離れないように、しかし、無我夢中で泳いだ。
どのくらい泳いだのか、いつの間にかネムリブカ達は諦めたらしい。後ろを見ても、あいつらの影は一つも無くなっていた。一段落したところで、二人して安堵の溜め息を吐く。
「怖かったね……」
「お姉ちゃん、大丈夫? ケガしてない?」
「うん、大丈夫。ニコラは?」
「僕も大丈夫」
「……ねぇ、ニコラ。あなたの家ってまだ着かないの? 毎日こんな遠いところから通ってたなんて、大変じゃなかった?」
「平気だよ、このくらい。それに、僕の家はもう近くなんだ。次の珊瑚礁の中にあるよ」
言っている間にも、微かに珊瑚礁の影が見えてきた。あの中に彼の家があるらしい。厭に背の高い珊瑚礁だ。一見、隙間の無い岩壁に見える。
「どこから入るの?」
「こっちだよ」
ニコラについて壁に沿って泳いで行くと、急に彼の姿が消えた。驚き、慌てて彼のいた場所に行っても影も形も無い。
「お姉ちゃん」
後ろからニコラの声がして、そちらへ振り向くと暗くて殆ど見えないが、確かに彼がいた。どうやらここが入り口らしい。恐らく、外側の岩壁と中の岩壁が重なって繋がった岩壁に見えるのだろう。所謂、錯視の効果を生んでいるのだ。ここなら、簡単には見付からなさそうと思いながら、監督生はニコラと共に奥へ入って行った。
中は丸くくり抜かれていて、同じような壁がもう一枚立っている。その周りをまた回ると、今度は広い場所に出た。そこは色とりどりの珊瑚やイソギンチャク達の群生地で、ふよふよと漂う小さなクラゲ達が、微かに光を放ちながら泳いでいた。あの家の周辺とは違う幻想的な光景に、監督生は感嘆の声を漏らした。
「綺麗……」
「でしょ? お姉ちゃんに見せたかったんだ。今は夜だから、そんなに魚はいないけど、昼間はもっと綺麗なんだ。ここはね、僕のおじいちゃんのおじいちゃんの、そのまたおじいちゃんが作った秘密の場所なんだって。だから、見付かりにくいし、何よりこの奥には僕の家があるから簡単には近づけないよ」
「ニコラの家って、そんなに凄い家なの?」
「うん。ほら、あそこに見えるでしょ?」
漸く緊張が解け、嬉々として彼の指す先を見ると、そこには巨大で背の高いイソギンチャクが生えていた。確かに毒を持っているイソギンチャクの中なら安全だ。
「でも、私イソギンチャクの中を通ったことなんて無いよ」
「大丈夫。おじいちゃんにはもう言ってあるから、僕が先に行って開けてもらうよ」
二人はイソギンチャクの前まで一緒に行くと、監督生に待っているように言ったニコラは一人でイソギンチャクを掻き分けて行ってしまった。
彼を待っている間、周りの景色を楽しんでいた監督生は、ふとまたあの指輪が気になった。左手の薬指に嵌められた指輪は、小さな石が一つだけ付いている至ってシンプルな物だ。もう一度外してみようと指輪を摘まんで引っ張ってみたが、やはり外れない。赤くなってしまった薬指を見て、監督生は少し不安を覚えていた。この指輪はアズールから贈られた物だ。何か仕掛けがあるのではないかと思ったが、魔力を持っていない彼女にはただの指輪にしか見えない。
そうこうしているうちに、イソギンチャクの間からニコラが顔を覗かせて声を掛けてきた。触手が左右に避けられ、彼女でも充分通れそうな空間ができている。ニコラが進む度にイソギンチャクは道を作り、一度も刺されずに彼女は通り抜けることができた。その先はまた少し広い岩場になっており、奥に鮮やかな珊瑚とイソギンチャクでできた小さな家が建っていた。珊瑚礁をプレート状にしたものを何枚か重ねているような形状で、その表面には背の低いイソギンチャクが生えていた。
「なんか、凄いね」
「でしょ? 早く入って入って。もうベッドも用意してあるんだ」
さっきまでの緊張した面持ちとは打って変わって、ニコラは年相応の無邪気な表情をして家の中へ招く。彼の祖父とはどんな人魚だろうかと少し緊張しながら、監督生は玄関を潜った。
「お邪魔しまーす」
「ただいまー、おじいちゃん」
「お帰り、ニコラ。ああ、そっちが前に言ってたお嬢さんかな? どうも、ニコラが世話になったね」
「あ、いいえ。私の方こそ、ニコラ君には随分お世話になったので」
祖父というには、いくらか若いように見えた。かといってニコラくらいの子供を持つ父親というには、少し年が行き過ぎているようにも見える。何か複雑な事情があるのだろうと思った監督生は、その疑問を口にすることはしなかった。
「ああ、そうだ。ほら、そんなとこにいつまでもいないで、こっちに来なさい。えっと、夕飯は食べたんだっけ? ニコラ、体は磨いたか?」
ニコラの祖父は忙しなく泳ぎながら、手招きをする。背後でニコラが玄関扉の鍵を閉める音を聞きながら、監督生は手近な椅子に促されて座った。
「磨いたよ」
「それから、えっと、なんだ。ここに来るまでに何か無かったか? ケガとかしてないか?」
「もう、おじいちゃん。大丈夫だよ。もう遅いし、お姉ちゃんも疲れてるから寝ようよ。ごめんね、お姉ちゃん。話聞いてもらうの、明日でもいい?」
「うん、そうだね。あの、こんな遅くにお邪魔してしまって、その上、早々に申し訳ないんですが……」
「いいよ、全然。じゃあ、ニコラ。ベッドに案内してあげなさい。おじいちゃんはリビングで寝るから」
「うん、分かった」
眠そうに目を擦っているニコラに奥へ案内され、ワカメの暖簾を潜って寝室に入る。二つあるうちの一つにニコラが寝転がり、監督生はもう一つのベッドに横になる。昨日と同じような作りのベッドなのに、驚く程安心感を覚えるのはここが閉ざされていない場所だからか、自由だと実感しているからか。久しく訪れる心からの安らぎを覚えながら、監督生は眠りに就いた。
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翌朝になって、フロイドは我が家に帰って来た。今日も愛しい稚魚に会えるのかと思うと、胸が弾む思いだ。今日もこの家から出ようとまた愚かなことをしているのかと思うと、面白くて仕方ない。しかし、そろそろ彼としてもそれを止めるだけでは飽きてきた。稚魚も退屈してくるだろうし、何か新しい遊びは無いものか。暫く玄関の前で考えていたが、すぐに思い付いたらしく、不気味な笑みを浮かべた。
「あは。良いこと思い付いた」
玄関の鍵を開け、リビングに続く扉を開けて早速その『面白いこと』を実行しようと、真っ直ぐ寝室へ急ぐ。ノックもせずに扉を勢い良く開けて稚魚を呼ぶ。
「ちーぎょちゃん♡ 遊ぼぉ~」
稚魚の為に彼らが作ってやった吹き抜けからは薄暗い光が差し込み、昼間でも暗い部屋を少しは明るく照らしている。稚魚の気が滅入らないようにというアズールの気遣いだ。しかし、いつもならもう起きている筈の彼女は、まだ夢の中らしい。珍しいなと思いながらも、最初から自分には関係無いと思っているフロイドは、ベッドに近づき、脅かそうと毛布を引っ張り剥がした。だが、彼の眼前に晒されたのは彼女の可愛らしい寝顔ではなく、紐で括られた昆布の束だった。
「は?」
いない。もしかして、かくれんぼでもしているのかと彼女が隠れられそうな場所を手当たり次第に開けて確認するも、影も形も無い。ご丁寧に身代わりに括り付けてあったティアラを手に取る。それは昨日自分が彼女に贈った物だ。最悪の事態が頭を過る。逃げられた。フロイドは頭に血が上るのをどこか冷静に感じていた。驚愕と唖然から遅れてやって来た怒りと憎しみが沸々と湧き上がる。あんなに可愛がってやったのに。あんなに愛してやったのに。あんなに大切にしてやっていたのに。あの小エビは逃げやがった。オレらを裏切りやがった。力任せに壁を拳で叩き、怒りを鎮めようとするが、あまり効果は無い。
「あ゛~~~~!!!!! ふっざけんなよぉ、あの小エビぃ……ッ!!!!」
必ず見つけ出して酷い目に遭わせてやると思っていると、ぱらりと上から何か細かいものが落ちてきた。髪に付いたそれをうざったそうに頭を振って払い除ける。見ると、それは見覚えの無い白い粉だった。見上げた先には珊瑚の吹き抜け。左右で違う色の目をよく凝らしながら、フロイドは吹き抜けに近寄った。遠くからではよく分からなかったが、近くで観察すると何か違和感がある。ジェイドと共にこの吹き抜けを造った時のことを思い出すと、すぐに違和感の正体が分かった。縁の一部に何かで所々削られたような幾つもの傷が付いていた。泳げない筈の小エビがこんなところまで辿り着ける訳が無い。でも、もし泳げることを隠していたとしたら? 思えば、昨日は何となく様子がおかしかった。どこがどうという訳ではないせいですぐに忘れていたが、今思えばあいつは何かを隠していたのではないか。だとすれば――
試しに傷が付いている縁の格子を掴み、そのまま上に押し込むと驚く程簡単に外れてしまった。ここだ。間違いなく、あの稚魚はここから抜け出して元に戻した。ナメた真似をしやがる。だとしたら、何か刃物のような物を持っていた筈だ。魔法を使えないあの女には道具が必要だ。マジカルペンを取り出すと、フロイドは寝室全体に魔法を掛けて物を一斉に引っ張り出した。そして、その中から見つけた果物ナイフを手に取った。少し刃こぼれしているが、魔法で直してしまえば何の問題も無い。顔が自然に綻ぶ。あの女がバカで助かった。どうせなら、このナイフで痛い目に遭わせてやろう。
「待っててねぇ、小エビちゃん」
そうと決まれば、早速アズールとジェイドにも教えてやろうと、フロイドは家を出た。
●○○●
穏やかな朝を迎え、朝食を食べ終わった後、監督生は何故あの家に囚われていたのか経緯を話した。話を聞き終えたニコラとその祖父マリアンは痛ましい表情で頷いた。
「君の話は分かった。酷い話だね。……うん、乗りかかった船だ。君を助けよう」
「本当ですか!?」
「でも、おじいちゃん。お姉ちゃんをニンゲンに戻すなんてこと、できるの?」
「うーん……おじいちゃんは分からないけど、国立図書館に行けば何か分かるかもしれない」
「国立図書館?」
監督生は何となく以前、忍び込んだことのあるアトランティカ記念博物館のような建物を思い浮かべた。
「可能性があるとしたら、あそこしかない。ニコラ、案内してあげなさい。もし、ここにリーチ兄弟が来ても尾ビレ止めくらいはできるから。念の為、裏口から出るんだ」
「うん。でも、ちょっとだけ準備していい? ここから図書館までちょっと遠いから」
「何でも持って行っていいから、ちゃんと準備して行きなさい。相手はあのリーチ兄弟とアズールだ。いいかい、二人とも。あの三人に出会ったら抵抗しようとしないで、逃げるんだ。何が何でも。分かったね?」
「はい」
「うん、分かった。じゃあ、僕準備してくるね!」
いそいそと寝室に行って準備を始めるニコラ。その間にマリアンと監督生は朝食後の後片付けを始めた。
食器を片付け終わった頃、ニコラの準備も終わっていよいよ出発となった。キッチンの裏口前でマリアンは先程言った注意事項に加え、寄り道はしないようにと付け加える。
「大丈夫だよ、ちゃんと覚えてる」
「そうだな。ドミートリーじゃないんだから、ちゃんと覚えてる。よし、良いぞ。二人とも、くれぐれもお互いはぐれないように。気を付けて行くんだぞ」
「本当に色々ありがとうございました。何もお返しできるものが無くて申し訳ないです」
困り眉の彼女の手をマリアンは両手で握って、にっと笑う。その表情はやはり、どこかニコラに似ていた。
「いいんだよ。私にとって最大のお礼は、君が無事家に帰れることだからね。さぁ、もう行くんだ。君の家族が待ってる」
裏口の鍵を開け、マリアンは二人を送り出す。家の裏にもイソギンチャクが生えていたが、マリアンの魔法で道が開く。
「ニコラはちゃんと体を磨いてから行くんだぞ」
「分かってる! じゃあ、行って来まーす!」
「行ってらっしゃい。気を付けて」
二人が無事イソギンチャクの外へ出て岩壁の向こうへ姿を消したのを見届けると、マリアンは裏口の扉を閉め、鍵を掛ける。それと同時に家の呼び鈴が鳴った。ぎくりと一瞬、体を強張らせながらも平静を取り戻して、玄関へ向かう。
「はいはい。今開けますよ」
玄関に向かいながら、チェストの上に鍵束を置く。その間にも絶えず鳴っている呼び鈴を煩く思いながら、マリアンは玄関扉を開けた。
「はいはい、どちら……様……」
「ねぇねぇ、クマノミおじいちゃん。訊きたいことがあんだけどぉ~」
「ご機嫌よう、マリアンさん。いきなりお邪魔してすみません。こちらに女性の人魚が来ませんでしたか?」
そこにいたのは、例の双子だった。馬鹿な、いくら何でも早すぎる。そう思ったのも束の間、二人のただならぬ雰囲気に押され、つい侵入を許してしまった。ばたん、と無情に閉じられる扉の音に気付いた時には、ウツボの人魚達にどんどん奥へ追い詰められていった。
「や、やあ、リーチ兄弟。珍しいね、君達がここまで訪ねて来るなんて」
「あのさぁ、オレらすげぇ急いでんだよね。だから、訊かれたらすぐ答えてくんねぇ?」
「聞こえていなかったようなので、もう一度訊きましょうか。ここに、女性の人魚が一人来ませんでしたか?」
いつの間にかリビングにまで侵入されてしまった。ついチェストの上に意識が向いてしまいそうだが、マリアンはぐっと堪える。まだニコラ達が出て行って五分も経っていない。今勘付かれるのは、非常にまずい。とにかく時間を稼がなくては。幸い、彼らは悪徳で乱暴者だが、分かりやすく法を犯すような真似はしない。
「ここに? 誰か来たかって? いやいや、いつもと一緒だよ。ニコラだけさ。何だったら、家の中を捜してみるかい?」
「はあ? 誰がそんなめんどくせぇこと――」
「フロイド、その必要は無いようですよ」
何かに気付いたジェイドは迷わず、チェストの上の鍵束を手に取る。その姿にマリアンは無意識に目を見開いた。鍵を調べていたかと思うと、ジェイドはにやりと歯を見せて笑った。
「ふふふ、マリアンさんは嘘が下手ですね。こういった物は最初から隠しておくものですよ」
「なに? 何が言いたい訳? ジェイド」
苛立っている様子のフロイドに、ジェイドは鍵束の中の一つを見せた。それは先程使った裏口の鍵だ。
「この鍵、持ち手にこびり付いていた苔が剥げています。それもつい最近に。いえ、正確に言えば、ついさっき使ったような……。そういえば、マリアンさん。先程からニコラさんの姿が見えませんね。いつもならお客様が来た時には、真っ先に扉を開けるでしょう? 今日はどちらに? いえ、これも違いますね。どこから出て行ったんですか?」
白々しく矢継ぎ早に質問を浴びせながら、ジェイドはどんどんと迫ってくる。まずい、バレた!
「さ、さっきから何の話をしてるのかな? お、女の子なんて見てないし、ニコラはまだ寝てるんだ。はは、ほんとに寝ぼすけな奴で――」
「おや、おかしいですね。僕は『女性の人魚』と言っただけで、『女の子』などと一言も言っていないのですが」
「え、そ、そうだったかな。いや、どこかで……」
「そういうのマジでいいから。ねぇ、こいつ絞めていい?」
「待ちなさい、フロイド。絞めるのなら、もっと楽しい相手が良いと思いますよ。例えば、そうですね。小さなカクレクマノミとか、ね」
「ああ、良いねぇ。それ。じゃあ、代わりにそいつ絞めちゃおうかぁ~」
苛立ち、瞳孔を開くフロイドを制してジェイドはまた笑う。ぎらりと生え揃った歯が覗く様は、マリアンに戦慄を覚えさせるには充分過ぎる。小さなカクレクマノミ。今この流れでこの単語が指している相手は一人しかいない。
「あの子に、ニコラに何をする気だ!」
「何を慌てているんですか? ああ、今の例えがお気に召さなかったのなら、謝ります。申し訳ございませんでした。ですが、このままではフロイドの怒りが収まりそうも無いので。もちろん、僕もですが。なので、こちらの質問に迅速にお答えして頂けませんか?」
「大人を脅すなんて、本当に禄でも無いな。君達」
「いいから早く言えよ。あいつらどこに行った?」
「フロイド、質問は正確に。彼女達は今、どこに向かっているのですか? マリアンさん」
マリアンは逡巡し、遂に観念して教えることにした。この双子はやると言ったら、本当にやるだろうことは容易に想像がつく。何とか少し時間は稼いだ。後は祈るしかない。そんな面持ちで彼は口を開いた。
「国立図書館だ。あの子達は今そこに向かっている」
「ご親切にありがとうございます。それでは、僕らはこれで失礼します。行きますよ、フロイド」
「オッケぇ~」
当然のようにそのまま二人は裏口へ向かい、鍵を開ける。そのまま出て行こうとする二人の背中にマリアンは念を押した。
「本当にあの子には手を出さないんだろうな!」
一度だけ振り返った双子はにんまりと笑う。
「ええ、出しませんよ。“僕らは"ね」
「じゃあねぇ~、クマノミおじいちゃん」
「え? 『僕らは』って、約束が違うじゃないか!」
マリアンは飛び掛かろうとしたが、いつの間に持っていたのかフロイドのマジカルペンが振られ、尾ビレに何か巻き付いたと思うと、すぐ彼は天井近くまで吊り上げられてしまった。
「あはは。干物みたい」
「ふふふ。フロイド、そんなに笑っては可哀想ですよ」
「くそっ、下ろせ! なんて奴らだ、全く!!」
くすくす笑いながら裏口の扉を閉め、鍵を掛けると二人はそのまま国立図書館へ向かって泳いで行った。
一方、その頃。すぐそこまで追っ手が迫っているとも知らない監督生とニコラは、疲れない程度に速く泳いで国立図書館へ向かっていた。ニコラの家を出てから暫くは珊瑚礁や大きな岩は無いらしく、彼も早くこのだだっ広い空間を通り抜けたいようだった。その間、無言でいるのも精神的に良くないと思い、監督生は話題が尽きないよう努める。
「ねぇ、ニコラ。国立図書館ってここからどのくらいかかるの?」
「うーん……だいたい明日のお昼くらいには着くかなぁ。僕も場所は知ってるけど、どのくらいかかるかはよく分かんない。だから、大きい岩を見つけたらそこで休憩しよう」
「そっか……。分かった、ありがとう。人間に戻る方法、あれば良いんだけど……」
「絶対あるよ! 大丈夫! もし、図書館に無くても一緒に探してあげる!」
「ふふ、ありがとう。本当にニコラには助けられてばかりだね」
「困った時はお互い様って言うじゃんか。当たり前のことだよ」
「……ありがとう」
本当に彼らには感謝してもし切れない。自分にもっと余裕があれば、何かお礼をしたいのだが、生憎人間に戻れたら、すぐにでもカレッジへ帰らなければならなくなる。その時は、また改めてここに来よう。密かにそう思い、監督生は前へ進んだ。
ニコラと他愛も無い会話をしながら泳いでいると、前方に薄ら岩の影が見えてきた。
「あ、岩!」
二人同時に喜色を帯びた声を上げて、お互い顔を見合わせてくすくす笑う。もうすっかり仲の良い二人は、どちらからともなくあそこまで競争しようと言い出した。
「負けないからね!」
「僕だって負けないよ! お姉ちゃんに勝つ自信あるもんね」
「あー、言ったなぁ。じゃあ、位置について。よーい……ドン!」
二人同時に泳ぎ出し、岩を目がけて真っ直ぐに泳ぐ。ここまでずっと泳いで来たお陰で、監督生もヒレを使うことにだいぶ慣れていた。お互い全速力で泳いだ結果は、僅差でニコラの勝ちだ。岩に背を預けて息を整えて、別に可笑しいことも無いのに何だか楽しくて二人して笑った。その時だった。
「あ~~~~~~~~~~♡ いたいたぁ、小エビちゃん」
「何やら楽しそうなことをしていますねぇ、小エビさん」
腹の底からぞっとする声が響き、背筋を寒いものが駆け上がる。振り返ると、1メートル程の距離、すぐそこまで双子が迫っていた。
「オレが教えなくても、泳げるようになったんだねぇ。いい子いい子。はは……すっげぇムカつく」
「水臭いですねぇ、泳げるようになったのなら、教えてくれたって良いじゃないですか。楽しかったですか? お散歩は」
突然のことに身動きができない監督生の手を取って、ニコラが引っ張る。
「お姉ちゃん、早く逃げて!」
その声と感触に我に返った監督生は、尾ビレで水を蹴って逃げ出した。その様子に双子はそれぞれ真逆の表情でぞろりと歯を見せて笑う。
「あはは。鬼ごっこするのぉ~? 良いよぉ。オレらが鬼ね~」
「ふふふ。では、十数えてから行きましょうか、フロイド。そうでなくては面白くないですからね。まぁ、逃がしはしないんですが」
「あー、ハンデあげるって感じ? そっちの方が面白そう。じゃあ、そうしよっか」
それから二人はその場で漂い、厭にゆっくりとした口調で数を数え始めた。その不気味な声を背後に聞きながら、二人は必死に逃げる。できれば、入り組んだ場所で撒いてしまいたいところだが、生憎とそんな都合の良い場所は見付からない。もう半分まで数えられた。とにかく身を隠せる場所を探さなければ!
「どうしよう、ニコラ」
「僕に任せて! お姉ちゃんのことは、僕が守るから!」
そうは言うが、周りを見てもただ砂地が広がっているだけで、遮蔽物など何も無い。そうこうしているうちに数え終わったのか、背後から物凄い速さで双子が追いかけて来た。
「ひっ……! 来た……!」
「あははははは! ほらほらぁ、早く逃げないと捕まっちゃうよぉ~! 小エビちゃん!」
「鬼ごっこは始まったばかりですよ。すぐ捕まえてしまっては遊びになりません」
魔法を使うつもりは無いらしく、双子は涼しい顔でどんどん距離を縮めてくる。このままでは遅かれ早かれ捕まってしまう。すると、前を泳いでいたニコラが急に進路を変え、真横に泳いで行く。丁度飛び掛かろうと思い切り水を蹴ったフロイドは、勢い余って大きく迂回することになってしまう。
「ニコラ、どこに行くの!?」
「あっちに隠れられそうなところがあったんだ!」
進む先を見ると、彼の言う通り確かに大きな岩でできた洞穴があった。考える暇も無く、二人はそこに飛び込む。中は暗く、目が慣れないとよく見えないが、細々と道は続いているようだ。行き止まりに行き着かないよう、二人は祈りながら進む。海藻のカーテンを抜け、鉱石のように何重にも重なる石の間を縫って行く。視界は殆ど役に立たないせいで速く泳ぐことはできないが、なるべく音を立てないよう静かに進んで行ける。道が狭いせいか、背後で双子の悪態が聞こえた。体の大きい彼らには不向きな場所のようだ。
「うぇ~、せっま! ジェイドぉ、早く行ってくんねぇ?」
「そうは言いましても、何分こうも狭いと慎重に行かねば頭をぶつけてしまいます。焦ってはいけません、フロイド」
「ちっ、なぁんでこんなとこ入ったかなぁ。あいつら」
一度だけ振り返ると、だいぶ距離は離したが、ちらちらと四つの目が時折、石の隙間から覗く。その光景はまるで静かに獲物に近づく巨大魚のようで、心底恐ろしく背筋に寒いものを感じながら、監督生とニコラは先に進む。重なる石の間を抜けると、道もだいぶ狭くなってくる。硬い岩に覆われた道の先は、外へ通じているようで監督生一人がぎりぎり通れるくらいの穴が開いている。先にニコラを行かせて彼女も後に続いた。何とか穴を通り抜けることに成功し、外へ出られた。そこは背の高い岩の天辺近くで、下に向かっていると思っていたのだが、どうやら上に続く道だったようだ。あの双子は穴を通り抜けられないとは思うが、念の為、彼らがここを通り過ぎて行ってくれることに期待して、二人は岩の下方へ泳いで身を隠そうと考えた。
「でも、あいつらあんな小さな穴通れないよ」
「分からないよ。魔法で壊して出てくるかも……」
「僕達に気付かずに行ってくれたら、良いんだけどね」
「うん、早く隠れよう。ニコラ」
岩の下側は丁度良く隠れられる窪みが一つだけあった。二人で入るには少し狭いが、形振り構っている暇は無い。二人が隠れると同時に上の方で爆発音が響いた。業を煮やしたフロイドが魔法で破壊したのだろう。彼の怒号が降ってくる。
「あ゛~~~~!! うざいうざい!!! あいつら、捕まえたらただじゃおかねぇ!!」
「落ち着きなさい、フロイド。まだそんなに遠くへは行っていない筈です。この辺り一帯を捜しましょう」
「ニコラ、もう少し奥に――」
窪みの入り口近くで外を見張っていたニコラを奥の方へ引っ張ろうと、彼女が手を伸ばした時だった。短い悲鳴と共にニコラは外へ弾き出され、いつの間にか背後から何か柔らかいもので首を絞められる。
「やっと見つけましたよ、監督生さん」
首だけではない。見ると、手首や胴にも同じ触手が巻き付いていた。黒い蛸足が。
「アズール……せんぱ……」
禄に抵抗できないまま両手首を後ろで一つに纏められ、首の蛸足が外された。苦しさからいきなり解放されたせいで噎せ、首だけで背後を見ると、彼女の予想通り、そこには無表情に近い冷酷な表情を浮かべたアズールがいた。
「ここで待っていれば、きっとあなたが来てくれると信じていましたよ。楽しかったでしょうね、僕達に内緒で出かけるのは。でも、それも今日限りで終わりです」
「どうして、ここに……」
「ははは。あなたはまた、分かりきったことを訊く。まぁ、いいでしょう。教えて差し上げます。僕が贈った指輪ですよ。ジェイドのネックレスとフロイドのティアラは何の変哲も無い物ですが、僕が贈った指輪だけは違います。それは僕の魔力を込めた特注品! あなたが今どこにいるのか、魔力を辿れば位置が分かるよう細工しておきました。後は簡単です。僕はここに隠れ、あの二人をけしかけてここに連れて来て貰えばいい。この指輪はあなたの為の物です。どうです? お気に召しましたか?」
人間の手で彼女の左手を撫でて、アズールは自分ごと窪みから彼女を引っ張り出した。双子も近づいてくる。その表情から、見付かってからのことは全て演技だったことを監督生は知った。フロイドの右手にはニコラの手首、もう片方の手にはナイフが握られている。彼女が脱走に使った物だ。そのナイフを彼の細い首に突きつけられる。
「やめてっ、やめてください! フロイド先輩……! その子は何も関係無いんです!」
「やめてって? あはは。小エビちゃん、面白いこと言うねぇ~。やめての前に言うことあんだろ」
「お、ねえ、ちゃん……。大丈夫。僕は、大丈夫だから……」
更にぐっとナイフの切っ先を押し付けられ、苦しさからニコラの声は途切れ途切れになる。自分の身に危険が迫っているのに、それでも彼女を元気づけようとする健気なニコラを思い、監督生は必死に訴えた。その姿にアズール達は眉一つ動かさない。
「小エビさん、何かお忘れでは?」
「え……?」
「ダメだよ、ジェイド。この様子じゃあ、忘れてるって。信じられねーけど」
「監督生さん。あなたは昨日の夜、僕達に立てたものがありましたよね?」
「え、あ……」
昨日の夜。確かに彼女は彼らに立てた。自分は絶対に彼らから逃げないという『誓い』を。全身の血が凍るような心地がした。そして、自分は誓いを立てたその日に裏切ったことを今更ながら理解した。今すぐ謝らなければ、許して貰えないかもしれない。沸き起こる恐怖に突き動かされ、彼女は口を開いた。
「ご、めんなさい……。ごめん、なさい。ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……!」
「今更、後悔しても遅ぇんだよな」
「誓いを破る、ということがどんなに惨いことか。あなたに分かって頂く為にも、お仕置きは必要でしょう? アズール」
「もちろんです。今後一切このようなことが無いよう、あなたには身を持って知って頂かねばなりません」
今更、口先だけでこの三人を騙せるとはとても思えない。それこそ、何かを失う覚悟で次の言葉を紡がねばならない。しかし、失うものはニコラではない。決して。監督生は覚悟を決めた。
「…………お願いです。私はどうなってもいいから、ニコラだけは助けてください。その子はただ私を助けようとしただけなんです。悪いのは全部私です」
「どうなってもいい、ですか。ふふふ。その言葉、決して忘れぬようお願いしますよ。フロイド、離してあげなさい」
「はぁ~い」
あっさり解放されたニコラは、心配そうな顔でそこから動こうとしない。
「お姉ちゃん……」
「ごめんね、ニコラ。私、一緒に行けない……」
「いつまでそこにいるつもりですか? 早くどこへなりと行きなさい」
「離れられないんだったら、手伝ってあげようか?」
そう言うと、フロイドは魔法を放ち、ニコラの目の前で氷の塊を四散させてみせる。それに驚いたニコラは逃げようと藻掻いた。その隙を突き、フロイドは更にナイフを彼の頬ぎりぎりに投げ、追い打ちを掛けるように彼の眼前まで近づき、口で噛み千切る真似をして威嚇した。恐怖で悲鳴を上げ、ニコラは死に物狂いでその場から逃げ出す。その後ろ姿を見送り、監督生は失意に項垂れた。
「フロイド、やり過ぎですよ。ふふ、可哀想に」
「いいじゃん、ケガはさせてないんだから。それより、ジェイド、アズール。小エビちゃんのお仕置き、どうしよっかぁ~?」
もう逃げる気は無いと判断されたのか、手首の拘束を解かれた監督生にフロイドは近づき、まるで恋人にするように彼女を抱き上げる。
「取り敢えず、彼女が泳げると分かったんです。尾ビレを拘束してしまいましょう、アズール」
「んで、今度こそ誰にも見付からない場所に隠そうよ。もう誰にも見せる必要無いよね? アズール」
「ジェイド、フロイド。僕は今回のことで反省しました。彼女をもう僕達以外の誰にも見せてはいけない、と。とっておきの場所を知っています。今度は四人で暮らせるように、二人もそこへ引っ越しましょう。監督生さん。次に逃げたら、分かっていますね?」
目を合わせなくても彼女には分かる。三人がそれぞれぎらりとした、捕食者の瞳で見つめていることに。
「…………はい」
自分を助けようと一生懸命だった彼に思いを馳せながら、監督生は大人しくどこと知れない場所へ連れて行かれる。その後、彼女の姿を見た者は誰一人としていなかった。
了