或る弓兵の話 1※※ご注意※※
・相も変わらず、オリキャラとオリジナル設定の猛攻
・夢ちゃんに対して当たりが強いクジャさん
それでも大丈夫という方は、次ページへどうぞ
あの日から一月が経ち、ルカはバルコニーで見たあの人のことを諦めかけていた。もう一度姿を見たいと思って賓客の間のバルコニーが見える道を通る時には、必ず見上げていたのだが、どうやらそれは叶わぬ夢のようだ。
「メリッサが正しかったのかな……?」
エントランスホールの階段を昇りながら溜め息交じりに落胆していると、階段の上、廊下の奥の辺りから騒がしい声が聞こえてきた。ここはホールというだけあって、声が響きやすい。聞き覚えのある女性の声に興味を持ったルカは、階段を昇りきってそちらへ向かった。
そこにはルカの所属している隊の先輩であるカミラが、誰かに抗議しているところだった。カミラはルカが入隊した頃、何かと親切に教えてくれた先輩で、積極的に剣の稽古を付けてくれた人だ。いつも冷静なカミラが心を乱されている姿など見たことの無いルカは、彼女のあまりの剣幕に驚くと同時に、彼女をそこまで怒らせた相手が気になった。カミラともう一人はちょうど廊下と大扉の境で言い争っているので、もう一人の姿は扉の陰に隠れていて見えない。
「私はあなたの世話係ではありません!」
「へえ。一介の兵士が随分と立派な口を利くものだね。僕が陛下の賓客であると知った上で言っているのかい?」
低く艶のある男の声だ。賓客と聞いてルカは一瞬、バルコニーにいた憧れの麗人を思い浮かべたが、すぐに打ち消す。あの麗人とこの嫌味な男とは全く結び付かない。そもそも性別も違うのだ。推理するまでもない。この男はまた違う賓客であろう。
「う……関係ありません。私はもう我慢ができませんから!」
「なら、代わりの者を寄越してもらえるかい? 幸い、君の代わりなんてここにはいくらでもいることだしねえ」
なんだか雲行きが怪しくなってきた。賓客の態度も尊大で腹が立つのは分かるが、万が一ブラネ女王にこのことが伝わったら、カミラは解雇されてしまうかもしれない。それだけは避けなければと思ったルカは急いで先輩の許に向かった。
「先輩!」
走りながら呼びかけると、カミラも気づいて振り向く。ルカが彼女の前に立つと、ばつの悪そうな表情で黙ってしまった。その様子に疑問を抱くことなく、ルカは仲裁に入ろうとする。
「先輩、落ち着いてください。どうしたんですか? いつもの先輩らしくないですよ」
「ルカ……」
「え……?」
男の方を見て、ルカは驚いた。それもそのはず、今まで尊大な態度でカミラに嫌味を言い放っていた男の姿は、あの麗人そのものだったのだから。あの時はよく見えなかったが、随分と奇抜な恰好をしている青年だ。上着は首回りと肩と両腕、辛うじて胸を隠している程度のもので、腰回りに関しては細い腰をぐるりと巻いている薄布とファウルカップ。足元はニーハイソックスにロングブーツという出で立ちだ。麗人の正体が嫌味な男だったという事実も加わって、彼女の思考能力を著しく削るには十分な威力を持っていた。
「大丈夫よ、ルカ。あなたには関係の無いことだから」
「丁度いいじゃないか。彼女を君の代役に立てよう」
「なっ……! この者は入隊してまだ三年しか――」
「三年もいるんだったら、十分だろう? それとも、アレクサンドリア兵っていうのは補佐もまともにできない無能ばかりなのかい?」
青年のあんまりな言い草に黙ってしまった先輩の姿を見て、些か悔しさを覚えたルカは青年に食ってかかる。一方的に裏切られたという気持ちも少なからずあったため、今の彼女にはまともに考える力は無かった。
「そんなことないです。今の言葉、撤回してください」
「嫌だと言ったら?」
「私が証明します。アレクサンドリア兵は無能なんかじゃないと」
「なら、精々僕に飽きられないように頑張ることだね。女王陛下には僕から言っておこう。君には明日から僕の下で働いてもらうから、そのつもりでね」
冷笑を溢す男はそれだけ言うと、背中を向けて女王の間へ去って行った。男の後ろ姿を睨みつけて、ルカはカミラへ向き直った。彼女は黙ったまま俯いてしまっている。
「ごめんなさい、ルカ」
すっかり落ち込んでしまっているカミラにルカは励ましの言葉を掛ける。あの男の態度からして、彼女が解雇されることは無さそうだ。
「謝らないでください、先輩。私が好きでしたことですから」
「でも……本当にごめんなさい。ルカ。あなたに迷惑をかけるつもりはなかったんだけれど」
「気にしないでください。私、先輩の分まで頑張りますから」
尚も謝る彼女を勇気づけてルカは送り出した。取り敢えずカミラの一件は落着したが、問題は自分のことだ。去り際の先輩の言葉も気になる。彼女は仕事に戻る際、こんなことを言って行った。
「あの方はクジャ様という方で、ブラネ様の贔屓にしていらっしゃる商人よ。彼の下で仕事をするのは凄く大変だと思うけど、挫けずに頑張って。巻き込んでしまってごめんなさい。この恩はきっと返すから」
カミラの言う大変さというものは何となく察しが付く。あの男クジャは見た目からも口調からも分かる通り、我儘で我が強そうだった。それなりに苦労しそうだとは思ったが、大したことは無いだろうとルカは高を括っていた。
夕方頃、兵士の食堂まで顔を見せた双子の宮廷道化師ゾーンとソーンに、明日から賓客の間でクジャの補佐をするように言われ、ノーラとメリッサに質問責めにされた。
「どういうこと? ルカ」
「担当区域変わるなんて話聞いてないよ?」
「えっと、これにはちょっと理由があって……。あの、ちょっと前から来ているブラネ様のお客様、いるじゃない?」
「ああ、ブラネ様の賓客ね。その人がどうしたの?」
席に着いて食事を開始する前に、非常に興味津々といった様子のメリッサは身を乗り出してルカに迫った。本人は急かさないようにと思っているようだが、続きが気になるのか自然と早口になっている。ノーラは少し心配そうな表情でルカを見つめている。
「あの、その人がね。前、二人に話したバルコニーの……」
「ルカの憧れ、麗しのお姉様だったのね!」
「うーん……私、あの後確認してみたけど、お姉さんなんていなかったんだよねぇ」
「まずね、その人、お姉さんじゃなくて、お兄さん、だったの」
「…………んえっ!? どういうこと!?」
混乱し身を引くメリッサと、彼女とは対照的に妙に納得した様子のノーラ。今度はノーラに迫るメリッサに彼女は落ち着かせながら説明する。一月程前からクジャという男が度々城に出入りしているということ。彼に関する噂が流れているようだが、あまり信憑性は無いということ。クジャに関する噂など聞いたことが無かったルカとメリッサは、噂の内容を知りたがった。
「えっと、あくまでも噂だから本気にしないでよ。ルカが言ってた通りすごく綺麗な人みたいだけど、何をしているのか、何の為に城に出入りしているのか分からないんだって。いつも銀色の竜に乗ってここに来る以外は素性もよく分かってないらしいよ。噂ではブラネ様の愛人なんじゃないかって言われてるけど、歳も離れてるみたいだし、ちょっと信憑性が無いなぁって」
「えー!? なにそれー。ルカ、そんなよく分からない人に恋しちゃったのー?」
「そ、そんなんじゃないよ! 恋とかそういうんじゃない!」
「噂なんか信じない方がいいと思うけどね。ルカ、明日からその人のところに勤めるんでしょ? 気を付けなよ。危ないって思ったらすぐ逃げるんだよ?」
「うん、気を遣ってくれてありがとう。ノーラ」
正直、あれほど綺麗な男なら自分なんかには性的な興味など無いだろうと、ルカは思っていた。彼を女性だと思っていた頃の憧れも砕け散った後には何も残っていない。却って清々した気持ちで仕事に臨める。そう思うと、何も気負う必要は無いように思えた。
その日は食事を済ませると、明日に備えて手早く入浴し、床に就いた。しかし、いつもの時間より早いせいか、なかなか寝付けない。その間、ルカはあの男クジャのことを考えていた。異様に背が高く整った顔立ちをしているが、その瞳は鋭く冷たかった。まるで自分以外の全てを拒絶し、見下しているかのような目だった。あの瞳を思い出すと、ルカの頭に純粋な疑問が浮かぶ。
「どうして、あの人は……」
あんな目をするんだろう。ルカはずっと考えながら、とろとろと訪れ始めた微睡みに身を任せた。
翌日、いつもより早く起きたルカはまだ寝ている同僚達を起こさないよう気を付けながら支度をする。今日から彼の許で仕事をするが、その前にカミラからの引継ぎを済ませなければならない。その為、初日だけは早く来るように言われていた。賓客の間まで行くと、既にカミラが扉の前で待っていた。どの程度か分からないが、彼女を待たせてしまったことに変わりはない。
「すみません、遅れました」
「大丈夫。私もさっき来たばかりだから。この時間、クジャ様はまだ寝ているから、あまり大きな音を出さないようにね。取り敢えず、貴方の部屋に案内するわ」
そう言って彼女は賓客の間から一時離れ、隣室への扉を開けた。ルカが不思議に思っていると先に入るよう促され、足を踏み入れる。そこは一人用の個室のようでベッドや執務机等が置いてある、簡素ながらも上品な部屋だった。
「この部屋は補佐官用なの。クジャ様って本当に気まぐれなところがあるから、いつでも対応できるように手配しておいたのよ」
「本当に使っていいんですか?」
「ええ。ここで待機して、お茶を出したり手紙を女王陛下に持って行ったりするのが仕事。だから、自分の荷物は今日のうちに全部移しておいてね」
「はい。でも、こういう仕事って普通は文官の方がするものじゃないですか?」
「そうなんだけどねぇ」
そこでカミラは困ったように笑う。ルカが不思議に思っていると、彼女は徐に口を開いた。
「最初は文官の人がやってたみたいなんだけどね。クジャ様が嫌がったみたい。どうしてかは分からないけど。でも、私が思うにみんなあの方の我儘に耐えられなかったんじゃないかなぁ」
「我儘? それだけですか?」
「いやいや、あの方の我儘を舐めちゃダメよ、ルカ。私の時は『お茶が温い』だの、『便箋が美しくない』だの、『調度品が気に食わない』だの、そりゃまぁ、細かいことを色々言われたもんよ。終いには、こっちにまでケチ付けてくるんだもの。『キミはもうちょっと体型を気にしたらどうだい?』とか! 何よ、あいつ! こっちだって、日々筋肉太りと戦ってるんだからね! ちょっと顔が良いからって人が気にしてることを次から次へと……!!!」
「せ、先輩、声が大きいです! 落ち着いて下さい!」
まだまだ言い足りない様子の彼女を落ち着かせたルカは、これからの仕事に少し不安を感じ始めた。しかし、カミラはそんなことは露知らず、殆ど掴みかかる勢いで彼女の両肩に手を置いた。
「とにかく、ルカ! あんな男に負けちゃダメよ! アレクサンドリアの女は怖いってところを見せてやりなさい!」
「…………はい」
もう今更断れないし、逃げられないとルカは悟った。これからできることは仕事を頑張ることと、先輩の仇を討つことだけだ。具体的に何をして仇を討つのかは全く分からないが。
「話が逸れちゃったね。実際の仕事はもう少ししてから教えるわ。この部屋は自由に使っていいけど、一つだけ覚えていて欲しいことがあるの」
手招きされるまま、ルカは入り口の扉まで行く。扉のすぐ横の壁にはベルが吊り下がっていた。
「これは?」
「呼び鈴よ。クジャ様専用の。ここで仕事したり、休憩したりしてると、このベルが鳴って――」
そこで手本を見せるかのようにベルが鳴った。カランカランという軽やかな音だが、どこか急かされているような気のする鳴り方だ。それを見てカミラはうんざりとでも言うような顔をする。
「噂をすればってやつね。このベルが鳴ったら、クジャ様が用がある時だから、すぐに向かうようにね。遅れると煩いのよ、あの人」
「ほら、駆け足駆け足」とカミラにぐいぐい背中を押されてルカは、部屋を出た。
賓客の間は、隣の部屋と違って広く豪奢だった。入ってすぐの一間の中心には、装飾の施されたテーブルを座り心地の良さそうなソファが囲み、右手の壁際には幾つかの酒が入った高価そうな本棚と大きな鏡が存在を主張している。それらの背景にはバルコニーに続く大きな窓と深緑色のカーテン。シックで落ち着きのある雰囲気の部屋だが、そこに彼、クジャがいるだけでルカ達に緊張感が走る。一庶民であるルカにはたとえ、彼がいなくともこの高級そうな部屋に圧倒されていたが。ルカ達が入室した時、クジャはあの奇抜な衣装を着て、ソファに座っていた。足を組んで読書をしている横顔は逆光で少し暗く見え、銀色の髪と相まって月のような印象を受けた。ルカにはそう思えた。
「クジャ様。どのようなご用件でしょうか?」
クジャの近くまで歩み寄るカミラにルカもついて行く。彼は目だけを上げてこちらを一瞥すると、興味を失ったようにまた文字を追い始める。
「そうだねぇ、手始めにお茶を淹れてもらおうか。そこの新人にやらせなよ」
「畏まりました」
カミラがルカを先程の部屋に連れて行こうとすると、すかさずクジャが言った。
「キミはここに残って、新人一人でやるんだ。お茶の一杯くらい淹れられるだろう」
「それとも、できないのかい?」とでも言いたげな表情に、カミラの心に火が点いた。承知しましたと返事をして、こちらへ振り向く。
「さっきの部屋に給湯室があるから、そこを使って」
良い笑顔で言いつつ、カミラの顔には「かましてやれ」と書いてある。しかし、特にお茶の技術に長けている訳ではないルカは、クジャとカミラという二重のプレッシャーをひしひしと感じながら、部屋に戻るしかなかった。
先程の部屋に戻って給湯室を探すと、簡単に見つかった。入り口から見て右、ベッドサイドテーブルの脇に給湯室への扉があった。開けると、給湯室と言うには非常に狭いスペースの部屋になっている。部屋の両側に戸棚と流しが配置されているので、人一人分の幅しか無い。
ひょいと戸棚を覗き見ると、缶に入った様々な茶葉が置いてあった。どれも可愛らしいデザインで、その上高級そうだ。ダジリンやアムールグレイといったオーソドックスな銘柄からアレクサンドリア・ブレンドなど、ご当地の紅茶缶まである。この中からクジャの好みそうなものを選んで、美味しいお茶を淹れなければならない。お茶については全くの素人であるルカには、缶が並んでいる光景を見ているだけで「かわいいな、綺麗だな」という感想しか浮かばない。どれを選ぼうかなどと考える余裕は無かった。あまり待たせてはいけないと思い、取り敢えず見た目で良さそうなものを選ぶしかない。数ある紅茶缶の中で彼女の目を引いたのは、白い缶に金文字と金色のフレームで装飾されたものだった。表面には「アーシャム」と書いてある。味が濃くミルクティー向けの茶葉だが、ルカはそんなこと知る由も無い。前に他の兵士が淹れていた光景を思い出しながら、見様見真似で淹れてみる。立ち上る湯気に混じって紅茶の香りが鼻孔を擽る。どこか異国を思わせるような、それでいて懐かしい香りにルカは遠い記憶に触れられたような気がした。しかし、それは一瞬のことですぐに霧散してしまう。はっと我に返り、諦めの溜め息を吐いた。
盆にティーカップを乗せ、賓客の間へ慎重に持って行く。溢さないように気を付けながら、扉を開け閉めし、クジャの前にカップを置いた。
「アーシャムか。ふむ……」
「え、すごい。なんで……」
「紅茶の知識なんて、僕みたいな商人には最早常識なんだよ。物を知らない上に、口の利き方がなってないねえ」
「え、あ、も、申し訳ございません!」
思わず零れた独り言を拾われて、ルカは恥ずかしさに顔が熱くなる。クジャはそんな彼女に一切構うことなく、カップを持った。彼はまず香りを楽しんでいるようで、カップを口元に近づけてから飲む、と思われた。しかし、クジャは飲むまでには至らず、カップをテーブルに戻した。
「…………あの」
「やり直し」
「え?」
言われたことが上手く理解できず、聞き返すルカに、クジャは子供に言い聞かせるように愛想笑いを浮かべて言った。
「やり直し、って言ったんだよ。大丈夫かい? 僕の言っている意味、分かるかい?」
言いながらわざわざルカの手にカップを持たせる。その嫌味な行動に、今度は怒りで顔が仄かに熱を持った。
「キミ、この新人に何が良くなかったのか、説明してやってくれないか。フフ、どうやらこのお嬢さんは、よく分かっていないみたいだからねえ」
言うに事欠いて世間知らずのお嬢さん扱いである。怒りと悔しさで顔を赤くしながら、ルカはカミラに促され、もう一度給湯室へ急いだ。カミラと共に給湯室に着くなり、だんっ、と流しにカップをソーサーごと叩き付けるように置く。幸い、力を加減していたので、カップが割れるようなことは無かったが、ルカの怒りは収まらない。
「何ですか、あの言い方!!」
「ね、分かったでしょう? ああいう奴なのよ、クジャ様は」
「私、負けません。あんな人に負けて堪るもんですかっ!」
「そうよ、ルカ! その意気! 私も応援するから、負けちゃダメよ。お茶出し終わったら、他の仕事も引き継ぐから、頑張って」
「はい!」
この怒りと悔しさをバネに頑張ろうと、ルカはいつもより元気良く返事をした。これがルカとクジャ、二人の出会いだった。