魔王雑貨店 東方では火焔魔神が人の手によって造られ、空では長らく不在であった鳥の王が玉座に戻った、と形の良い唇が紡いだ。
だが、それらは遠い遠い場所での出来事であり、この町に直接なにかしらの影響を及ぼす事柄ではない。
くあ、と隠すことなく豪快に大口を開けたどこかだらしない印象を受ける目の前の男に、蜂蜜色の髪を持った優男は優雅にカップを傾けつつ苦笑する。
「全く興味ありません、て顔ですね」
「ないない。まぁ、情報としてありがたく聞いておくけど、おまえ本当に耳が早いよなぁ」
欠伸の名残か、むにゃむにゃ、と不明瞭な呟きを漏らした後、ぺら、と手元の帳面を捲りながら、売値がどうの卸値がどうのと、ブツブツ、と口内で漏らしつつ、ガリガリ、となにやら書き付けていく黒髪の男の傍らで、もぞもぞ、ごそごそ、と蠢く小さな影を視界の隅に捉えつつ、優男は見る者を魅了するには充分過ぎるほどの笑みを浮かべて見せた。
「天使のネットワーク、舐めて貰っちゃあ困ります」
ふふ、と目を細める男に、ちら、と目をやり、黒髪の男は嫌そうに眉を寄せる。天使の象徴とも言える輝く頭上の輪と背後を彩る純白の翼は現在、そこにはない。
以前、魔族が人に擬態するようなものか? と問うてみれば、嘘か誠か、ただの目眩ましですよ、と涼しい顔で返された。
空とは違い障害物の多い地上では、背中のあれは確かに大荷物であろう。それでも天気の良い日には教会の尖塔に立ち、町を一望しながら大きく広げている姿を何度か目にしている。
「で? なんで天使様は毎日、俺の店で油売ってるワケ?」
「だって、貴方が居るせいで暇なんです」
包み隠さず笑顔でズバリ言い切った天使に、知るか、と短く返し、再び手元の帳面に目を落とす。
「魔王様が直接『ごちーん』ってやったせいで、ここいらの魔族のおとなしいことと言ったら。他の地域の天使達に狡い狡い言われて大変なんですよ」
「魔王じゃねぇっつの」
「でも、いずれはそうなるんでしょう?」
「なんねぇよ」
えー? と心底意外そうな声を上げられ、黒髪の店主は半眼で目の前の天使を見やった。
「昔、ひいじいさんが今の魔王に喧嘩売って見事に負けて、一族郎党追放喰らった身だぞ。それを今更『魔王やれ』ってムシが良すぎんだろ」
冗談じゃねぇ、と帳面を顔の前で、ひらひら、振って見せる魔王候補に、天使はつまらなそうな眼差しを向け、唇を尖らせる。
「それでこんな片田舎で雑貨屋とか、酔狂ですよね」
「うるせ。おまえが飲んでるその茶、ここいらじゃ手に入らないんだから、ちょっとはありがたく思えよ」
町を取り囲むように存在する深い森のせいで、商隊もなかなか訪れない町である。
しかも森の奥には魔界に通じる扉があると人々はまことしやかに囁きかわしており、その言葉を裏付けるように魔族、魔物は頻繁に姿を現し、この町の住人にとっては余り嬉しくない隣人であった。
それでも表立って悪さをするまではいかず、常駐している守護天使の存在もあってか被害らしい被害もなかった為、人々はそれなりに平穏な日々を送っていたのだが、数年前に状況は、ガラリ、と一変することとなる。
この、やる気のない雑貨屋兼何でも屋の黒髪の男に、次期魔王として白羽の矢が立ったせいである。
それを受け調子づいたか、人々を蹂躙し支配せんと大胆にも昼日中に町へと姿を現した魔族相手に自警団と守護天使も奮闘したがいかんせん、数でも力でも圧倒され防衛ラインはどんどん下がり、とうとう最終防衛ラインである教会前の広場まで撤退という有様であった。
頼みの守護天使は満身創痍で、剣を一振りするたびに鮮血と純白の羽根が舞った。その先には絶望しか見えなくなったその時、それまで沈黙を守っていた魔王候補が姿を現したのだった。
更に絶望の色に塗り潰された人々の顔を一瞥し、黒髪の男は口をへの字にひん曲げたまま、折れた翼を物ともせず果敢に剣を振るう守護天使と相対する周辺魔族を統べている一本角の元へと歩み寄った。
誰しもが天使の羽根が無惨にも散る様を思い描き、魔王候補が味方であると信じて疑わぬ一本角が喜色を浮かべた刹那、あろうことか黒髪の男は魔族を素手で『ごちーん』と一発ぶん殴ったのだ。
「商売の邪魔したら、容赦なくぶん殴るから覚えとけ」
一体なにが巻き起こったのか瞬時に把握できなかった天使の目の前で、一本角を一撃で地に沈めた男が口にしたのはとても単純な、だが非常にわかりやすい一言であった。
「いや、もう殴ってますから……」
守護天使の気の抜けたツッコミをもって、この戦いは幕を閉じたのであった。
それ以来、彼の目の届く範囲は平和そのものである。
「あなたが魔王になってくれれば、今以上にラクできそうなのに」
「この腐れ天使が」
「ンなこたぁどうでもいいんだよ! 一体いつになったら俺を元に戻すんだこの野郎!!」
だんっ! と乱暴に木皿を卓に叩きつけるように置き会話に割り込んできた物体に、天使は嫌味なほどに綺麗な笑みを向ける。
「そんな態度じゃ一生無理なんじゃないですか」
先程から店主の傍で蠢いていたモノの正体は、犬とも狸ともつかぬ二足歩行の不細工なぬいぐるみであった。非常に残念な外見からは想像も付かないドスの利いた声に、だが背筋を震わせる者は残念ながら此処には居なかった。
そもそもぬいぐるみが喋っている時点でおかしいのだが、二人が気にした様子はこれっぽっちもなく、そのぬいぐるみが運んできた菓子を涼しい顔で摘んでいる。
「元に戻したらおまえ、また悪さするだろ。だからダメ」
殴って昏倒させた後、騒動の主犯であった一本角から魂を引っこ抜き、手近に転がっていたぬいぐるみに押し込め、今に至る。
雑用係欲しかったんだよな、と言ってのけた魔王候補を一本角は間髪入れずに殴りつけたが、綿が詰まった柔らかな手ではダメージなど与えられるはずもなく。
それを見越して器にぬいぐるみを選んだのであれば感心の一つもしてやるが、そんなワケないな、とこの点に関しては天使と一本角の見解は一致していた。
「手足の綿を抜いて達磨にしてしまえば、少しはおとなしくなるかな」
自慢の翼を折られたことを根に持っているのか、物騒なことを口にしたとは俄に信じがたい、にこにこ、と朗らかな天使に、一本角は負けじと声を張る。
「このクソ天使が。その翼、今度は折るだけじゃ済まさねぇぞ! 羽根を全部毟った後にもいで手羽先にして食ってやるから覚悟しやがれ!!」
「えげつなさは魔族並みだな、おい」
天使の発言に、げんなり、とした顔を見せる店主に、一本角は「もっと言ってやれ!」と勢いづき、天使は天使で「ウィットに富んだジョークじゃないか」と悪びれた様子もない。
これはなにを言っても無駄と諦めたか暫し放置するも、ふたりが同時に息継ぎをした空白の時を狙い、するり、と言葉を滑り込ませる。
「そんなに言い合いたいなら邪魔が入らないように、いーい場所にふたりっきりで缶詰にしてやるから、遠慮無く言えよ」
ぼりぼり、と呑気に焼き菓子を囓りつつ、さらり、と宣言した魔王候補を無言で凝視した後、天使もぬいぐるみもどちらからともなく目を逸らすと、黙って焼き菓子に手を伸ばした。
本人にやる気はなく、昼行灯の呼び声が高かろうとも、魔王候補に選ばれた男なのだ。その力を身をもって知った一本角と、その身に潜ませた複数の契約獣を専ら商売道具にしかしていないことを知っている天使は、なんだかんだでこの男には敵わないとわかっている。
「……あ、缶詰で思い出した」
店内が静かになったことで脳内も落ち着いたか、菓子を摘む手を止めた店主は足元から、ひょい、となにかを拾い上げた。
「ほれ、頼まれてた桃缶」
勝手にお茶のお代わりをティーポットから注いでいた天使に向かって、ずい、と円筒形の物を差し出す。
「ありがとうございます。それじゃ、私はこれで」
ぱぁっ、と顔を輝かせ、そそくさ、と立ち上がった天使に、店主は軽く首を傾げた。
「桃の実くらいすぐに取ってこれるのに、なんでわざわざ缶詰?」
「病気のお見舞いには桃缶なのでしょう?」
問いに問いで返す天使は至って真面目で、なぜそのようなことを聞かれるのかわからない、と顔に書いてある。
「……それも天使のネットワークで得た情報か」
「えぇ。なんでもわかりますよ」
にこにこ、と自信満々に言い切った天使にそれ以上の言葉を返す気にならず、店主は、ゆるゆる、と気怠げに手を振って優男の背を見送った。
「あんな莫迦に手こずったのか、俺は」
ぽそり、と直ぐ傍で漏らされた嘆きに「どんまい」と口先だけのエールを送り、次期魔王候補は溜まりに溜まったツケの代金を忘れず帳面に記入したのだった。
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2010.09.23
ケーキを頂いたので一緒に食べましょう、とにこやかにバスケットを掲げて見せる天使には最早なにを言っても無駄であると諦めているのか、店主は帳面から一瞬だけ顔を上げ無言でカウンター端へと移動する。
カウンターには商品であるのかガラクタであるのか判然としない物が雑然と置かれているが、カウンター端は既に天使とお茶をする場所として確立されており、フロア側には彼専用のスツールまで置いてある。
「先日の桃缶のお礼だとのことですので、貴方にもお裾分けです」
「見舞いに持って行ったのにその礼っておかしくね?」
棚に並んだ量り売りの紅茶葉の缶を辿る店主の指先は、うろうろ、と迷い、その後ろ姿を見やりつつ天使は、バスケットから綺麗に切り分けられたケーキを、そうっ、と取り出す。
「前に頂いた、あのお花の入ったヤツがいいですね」
「生憎と品切れだ」
天使の希望を受け流し、選ぶのも面倒になったか最終的には目を瞑って引き抜いた缶を手に、店主は奥へと引っ込んだ。
「お手伝いの彼はどうしたんです?」
「あ? あー、ちょっと使いに出してる」
カチャカチャ、と茶器の鳴る音に天使は「それは残念」と小さく漏らす。この店の雑用係は中身の気性とは裏腹に、紅茶を入れる腕は一級品であった。
「でも珍しいですね。貴方が自分で行かないなんて」
「だってめんどくせーんだもんよ。マンドレイク抜く準備すんの」
「確かに、あの悲鳴は聞きたくないですね」
トレイにティーポットとカップを乗せて戻ってきた店主に、天使は戯けたように軽く肩を竦めてみせる。
「それにしても貴方、ほんとやる気ないですよねぇ」
「失礼なこと言うな。こうしてマンドレイク仕入れたり真面目に商売してるじゃねぇか」
心底、心外だ、と唇をへの字に引き結んだ店主に、違う違う、と天使は顔の前で手を、ひらひら、と振り相手の言葉を否定した。
「そっちじゃないです。魔王候補に挙がってから何年経ちましたっけ?」
「またその話かよ。ならねっつってんだろ」
思い出したようにその話を持ち出してくる天使に、店主は隠すことなく眉根を寄せる。そのせいで一時期は町の者ともギクシャクしたが、今はどうにか以前と変わらぬ関係まで持ち直したのだ。それには目の前のこの天使の口添えもあり感謝しているが、なにを考えているのか腹の底は見えず、心の片隅では警戒しているのが現状だ。
「うーん、そろそろ来るんじゃないかと思っているんですが」
「なにがだよ」
話の繋がりが見えず店主はやや警戒した面持ちで天使に言葉を返すも、彼は彼で「ほら、アレですよ。アレアレ」と言うばかりで明確に告げてはこない。
ヒントが全くなくこれでは謎かけにもならない。苛立つ以前に面倒くささが先立ち、店主は問うことを止めケーキに手を伸ばす。だが、乗ってこないことをさして気にした様子もなく天使は、にっこり、と無駄に良い笑顔を浮かべて見せた。
「アレと言ったら、ライバルですよ」
その言葉を待っていたわけではないであろうが、同時に、ばーんッ! と勢い良く店の扉が開かれ、その衝撃で棚の商品が、カタカタ、と揺れた。天使が振り返る間もなく戸口から一足飛びにカウンターまで一直線に突っ込んできたそれは、見事なまでの不意打ちであった。
だがしかし、闖入者は微塵の躊躇もなくカウンター内から突き出された拳に自ら突っ込む羽目となり、ぎゃふっ、と珍妙な声と共に真っ直ぐ戸口へと逆戻りする。
そこでようやっと振り返った天使の目に映ったのは、尻餅をつき両の掌で鼻を押さえるように覆う年の頃は十五、六といった少女であった。
「おや、大丈夫ですか。女性相手にヒドイことしますね」
だが、スツールに腰掛けたまま近寄って助け起こそうとはしない天使に、店主は「おまえ結構、薄情だよな」と漏らす。
「なに言ってるんですか。貴方のげんこつ食らって鼻血ひとつ出さないんですよ。そんな得体の知れない相手に不用意に近づくほど、私は愚かではありません」
獲物を持った天使が苦戦した魔族を、拳骨一発で昏倒させた過去を持つ男である。その時と比べれば拳に乗せた魔力は少なめであったとしても、常人ならば正面から拳骨を叩き込まれた時点で鼻骨骨折は確実だ。
「まぁ、賢明な判断だわな」
「でも、いきなり襲ってきたからと言って、女性をグーで殴るのは感心しませんね」
「それなら問題ねぇよ。だってコイツ女じゃねぇし」
心底イヤそうに眉間に深いしわを刻み、未だ座り込んだまま喉奥で唸っている相手を眇めた目で見やる。
「そうなんですか?」
「油断してると掘られるぞ」
「それは御免被ります」
「ちょっと! なに好き勝手言ってるのよ!! こっちにだって選ぶ権利があるんだからね!?」
店主と天使のやり取りに割って入った声は少女そのもので、怒りに顔を真っ赤にしているがその造作は人形のように愛らしく整っており、どこからどう見ても女の子である。
「つまりは、貴方のお眼鏡に適えば掘るんですね」
「笑顔でズレたこと言うなよ」
にこにこ、と揚げ足を取り明らかにこの状況を楽しんでいる天使に店主が力無くツッコミを入れれば、そのやり取りすらも癪に障ったか少女のこめかみに青筋が浮かんだ。
「腐れ天使なんかに用はないわよッ!」
「おや、お目当てはコチラですか」
相も変わらず、にこにこにこにこ、と笑みを貼り付けたまま天使が店主を指し示すも、その手は店主によって下げられ「話進まないからおまえちょっと黙れ」と疲れ切った懇願が口端から漏れ出たのだった。
「まぁ、冗談はさておき。お知り合いですか? うまく隠してますが、こちらも魔族ですよね」
未だ、フーフー、と毛を逆立てた猫のように肩を怒らせている少女を見やり天使が首を緩く傾ければ、店主は心底嫌そうに眉間にしわを寄せる。
「お前が言うところの『ライバル』ってヤツだ」
「あぁ、やっと来ましたか」
予想通りです、と胸の前で手を打ち鳴らした天使の声音に軽さ以外のなにかを感じたか、店主は探るように、じっ、と髪の色と同じ金色の瞳を見据える。それだけでなにを問われているか理解したか、天使はカウンターに肘を突き緩やかに指を組むとその上に顎を乗せ、ゆうるり、と目を細めた。
「魔王候補があちこちでガチンコ勝負してるって話が流れてきてたんですよ」
ご自慢のネットワークってやつか、と口には出さず店主は無言で額を押さえる。
「容姿までは聞いてなかったので些か驚きましたが」
あ、ケーキ食べます? と呑気に問いかけてきた天使を、未だ戸口付近で座り込んでいた少女は射殺さんばかりに睨み据えるも、相手の緩い空気に脱力したか、がっくり、と肩を落としたのだった。
すっかり渋くなってしまった紅茶を入れ直し、店主はカウンターの内側、天使と少女はカウンターの外に肩を並べて座っているという和やかとは言えぬ空気の中、天使は隣の少女を頭の天辺から爪先まで、しげしげ、と眺めた後、ゆうるり、と口を開いた。
「黒髪ツインテールにゴスロリ、と。まぁ、ある意味わかりやすい出で立ちですよね」
「うっさいわね。そういうアンタこそなにそのスーツ。ご丁寧に手袋までしちゃって、まるで執事じゃない。天使ならずるずる長いよくわかんない白い布でも捲いてればいいのよ」
安い挑発に易々と乗ってしまった少女を、ちらり、と見やり、店主は今にも、あーあ、と言い出しそうな呆れ顔だ。面倒臭いからとっとと帰って欲しいと思っているが、そう簡単にいかないこともわかっている為、できるだけ穏便にお引き取り願うにはどうすればいいか思案中でもある。
「考え事も結構ですが、まずは紹介していただけませんか?」
お知り合いなのでしょう? と優雅にカップを取り上げつつ僅かに首を傾げた天使に、店主は、あー、と口内で不明瞭な呻きを上げてから、つい、と視線を少女に滑らせる。
「今の魔王の嫁さんの妹の子供。で、大雑把に言うとバフォメット系な」
「あぁ、だから『女性ではない』と」
バフォメットは山羊の頭をした女性体に男根が付いた姿で知られている。なるほどなるほど、と頷いて天使は爽やかな笑顔で「ふたなりなんですね」と言い放った。
「ちょっそんな下世話な言い方しないでよ! 信じられないなにこの天使!! ほんとに天使なの!?」
幸いにも紅茶を噴出することはなかったが気管に入りかけたか、けふっ、と小さく噎せてから少女は叩きつけるようにカップをソーサーへ戻すと、隣の天使に向かって、ガーッ! と噛みつく勢いで捲し立てる。
「それに関しては俺もちょっと自信がない」
現在、この場には居ない一本角との日々のやり取りを思い返し、店主は、はは、と力無く笑う。この天使ときたらお綺麗な顔に似合わず、とにかくえげつないことをなんでもない顔で、さらり、とのたまうのだ。もしかしたら性根はそこいらの魔族より質が悪いかも知れない。
「失礼ですね。こんなに天使らしい天使もいないでしょうに」
涼しい顔で言葉を返してくる天使に店主は「見た目だけは、な」と胸中で呟くに留め、やはり笑うしかないのだった。
奇襲に失敗し正面からやり合うのは得策ではないとの思いからか、おとなしく天使と肩を並べている少女に店主は改めて顔を向ける。
「用件はまぁ、見当ついてるが、一応聞いておく。なにしに来たんだ?」
「さっきの腐れ天使の話聞いてたでしょ」
「腐れとは失敬ですね」
ははは、と爽やかな笑みを浮かべたまま軽くツッコミを入れてくる天使を無視し、少女は胸の前で腕を組むと無駄にふんぞり返った。
「めんどくせーからそっちの不戦勝でいい。だから帰れ」
おめでとーはいお疲れ様ー、と抑揚無く一本調子で口にしながら、ぱちぱち、と手を叩く店主のその手を、少女は身を乗り出して、べしり、と盛大に叩き落とす。
「莫迦にするのも大概にしなさいよ! ほんっと昔っからアンタってばそんな調子で!! そんなんでよくもまぁ叔父様に喧嘩売ったわよね!?」
「いや、あれはひいじいさんが暇潰しにだなぁ……」
「それはそれは豪毅な」
本気か皮肉か言葉を差し挟み先を促してくる天使を一瞥し、店主は、はー、と深く息を吐く。
「基本的に俺ンとこの家系は面倒臭がりが多くてさ、ンなめんどくさいことやめろって言ったんだけど、なまじっか強いもんだから聞かなくてよー。姉貴は面白そうだっつってひいじいさんに加勢するし、散々だった」
思い出したくもない、と頭を抱える店主に「それはそれは災難でしたね」と天使は労いの言葉を掛けてから空になったカップに紅茶を注ぐ。
「それで、ご家族はどうされたのです? 一緒に追放されたのでしょう?」
「おまえ、ここぞとばかりに聞き出そうとすんなよ」
「だって気になるじゃないですか。むしろ今まで聞かなかったことを褒めていただきたいくらいです」
すっごく我慢してたんですよ? と自慢にもならないことをのたまう天使のカップを取り上げ、店主は、ぐい、と一気に中身を飲み干した。
「ご自慢のネットワークとやらですぐわかるんじゃねーの?」
「個人的なことで使うわけにはいきません」
店主の行動など歯牙にも掛けず、共有すべき情報とそうでないものがあるのだと目を細める天使に、黙って二人の会話を聞いていた少女が僅かに眉を顰める。
「貴方だって気になるでしょう? 反旗を翻した者達が今どうしているのか」
不意に話を振られ一瞬、言葉に詰まるも、少女は余裕たっぷりに鼻で笑ってみせた。
「別に。負け犬に興味はないわ」
「間違ってないけどちょっとはオブラートに包めよ、この野郎」
ひくり、とこめかみを引きつらせつつ店主が苦い声を発すれば、少女は更に、はン、と鼻で笑い、
「そう言われて悔しかったら私と勝負……」
「しない。めんどくさい」
「ちょっとぉッ!?」
そんなヘタな挑発に乗るか、と店主が半眼でぼやけば、少女は、ぐぅ、と喉奥で呻くしかない。
「なんで、もー辞退する、やんねぇって何年も言ってんのに候補から外れないんだよ。いいかげん外せよなぁ」
あーもー、と心底だるそうに吐き出す店主に、天使があっさりと「それは無理ですね」と言い放つ。
「は?」
「貴方にその気はなくとも血縁が大それた事やらかしちゃったワケですし、なんだかんだで監視しておきたい、あわよくば始末したいと、私だったら思いますけどねぇ」
「おまえの思考、本当に天使とは思えない物騒さだな」
まるで明日の天気の話をするかのような気軽さで、とんでもないことを言ってのける天使に、店主は心底げんなりとした顔を向ける。
「なに言ってるんですか。だって貴方、膨大な魔力に物を言わせていくつも契約獣持ってるじゃないですか。あちらさんにしてみれば充分、脅威だと思いますが?」
「え、なにそれ!? あっちに居たときは一体しか持ってなかったじゃない!? っていうかそれ以前に魔界以外には契約獣がいないのに一体どこで手に入れたって言うのよ!?」
ガタンッ、とスツールを倒す勢いで立ち上がった少女の反応に、店主は恨めしげに天使を上目に睨め付けた。
「……貰ったんだよ。じいさんとか親父とか他にも、もういらねって言うから」
隠したところでどうにもならないと諦めたか、素直に口を割った店主に少女は「信じらんない……」と呆然と呟く。
「何体持ってんのよ」
「私が知っている限りでは、三体はいますねぇ」
「はぁッ!? なにそれ!?」
契約獣は自身の魔力を食わせて身の内に住まわせる。契約獣の能力を使おうが使うまいが常に魔力を消費する上、上位の契約獣になればなるほど消費魔力も多くなるため、その数にも限界がある。
「ちなみに全部上位種ですよ」
「なにそれ!? このクソチート!」
「なにそれなにそれ、うっせーよ」
なにか聞く度に、キャンキャン、と声を上げる少女に、耳に指を突っ込むゼスチャーを見せて店主は嘆息混じりに言葉を押し出す。
「もーほんとに俺やる気ねぇから。おまえから叔父さんに言ってくれよ。俺はここでフツーに商売していたいだけで……」
「決めた」
店主の言葉を遮り、少女が凜とした声を発した。そのなにかを固く決意した瞳に、店主の第六感が警鐘を鳴らす。聞いてはいけない、と。
だが、耳を塞ぐよりも少女の形の良い唇が言葉を紡ぐ方が先であった。
「アンタがやる気になるまで帰らないからね」
「……はい?」
胸を張って成された居候宣言に、店主は力無く聞き返すしかなかった。
「良かったじゃないですか。性格と下半身はさておき、可愛らしい看板娘がタダで手に入ったんですよ」
「いらねぇし!」
「でも掘られないように気をつけてくださいね」
不意に真顔で忠告してくる天使に「笑えない冗談だなぁ」と店主が拳を震わせるも、それを聞いた少女は、はっ、となにか閃いたか、にたり、と唇が弧を描く。
「美味しく頂くのもアリねぇ」
「やめろ、おいやめろ。その言い方、誤解を生むからやめろ」
「おや、こういうちょっと野暮ったいのがお好みですか」
「おまえらマジふざけんな……」
わかってやっているふたりにムキになればなるほど面白がられるだけであると、店主は諦めたように、がくり、と項垂れたのだった。
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2010.10.22
2013.10.22加筆修正