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    しおり
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    しおり
    【BSR】右目が記憶を無くしまして ふるり、と微かに震えた睫毛に、政宗は息を詰めて小十郎の顔を見つめる。次いで、そろり、と持ち上がった瞼の下から現れた黒曜石の瞳に安堵の息を吐いた。
    「大丈夫か、小十郎」
     名を呼べばやや虚ろなままではあるがその眼はしかと政宗の姿を捉え、僅かに首を傾けた。
    「政宗、さま……」
     布団に身を横たえたままどこか不思議そうに政宗の名を呼ぶ小十郎に、政宗は、にぃ、と口角を吊り上げた人の悪い笑みを浮かべて見せる。
    「わけがわからねぇってツラだな」
     くつくつ、と喉奥で低く笑う政宗は、ここぞとばかりに小十郎をからかう気なのだろう。つい先程まで険しい顔付きで拳を固めていた姿を見せてやりたい、と政宗同様、枕元に詰めていた佐助は彼の向かい側で軽く肩を竦める。
     その僅かな衣擦れの音に気づいたか、小十郎は政宗から視線を外し反対側の佐助を見上げた。
    「猿飛殿まで、どうして」
     主を前にして他へ意識を向けるなど珍しいと思った矢先、なにやら聞き慣れない言葉が聞こえた気がした佐助は一瞬動きを止め、まさかそんなわけ、と恐る恐る顔を上げれば、正面の政宗も阿呆のように口を、ぽかん、と開けており、聞き間違いではなかったと知ったのだった。


    「状況を整理しよう」
     脇息に緩く凭れながら煙管を手に、政宗は渋面で佐助と向き合っている。
     わけのわからないことを言い出した小十郎に肝を冷やしつつも、そんなことはおくびにも出さず忍お得意の話術で情報を引き出し、その結果、小十郎にはもう少し休んでいろと言い置いてふたりは席を外したのだ。
     その足で政宗の私室へと向かい、人払いを済ませてからようやっと本題へと入る。
     話は佐助が畑で倒れている小十郎を見つけ、秘かに担いできたところから始まる。
    「そういや、なんでてめぇが小十郎の畑に……」
    「ちょーっと、お野菜分けて貰おうかなー、って」
     政宗の問いを、さらり、と流し、佐助は見たままを報告していく。要約すると『小十郎は猪と一騎打ちをして相討ち』ということなのだが。
    「葱や牛蒡で猪仕留めるとか、ありえないでしょ。まだ鍬で応戦の方が真実味があるわ」
     実際に戦っているところを見たわけではないが、倒れていた小十郎の両手にはしっかりと葱と牛蒡が握られており、少し離れた場所で猪が息絶えていては信じないわけにもいかない。
     え? なに? どういうこと!? とやや血の気の引いた顔で猪の亡骸を横目に見つつ小十郎の生死を確認すれば、こちらは幸いなことに息があった為、どうにか担いで政宗の元へやって来たというわけである。
    「人を呼ぼうかとも思ったんだけど、竜の右目ともあろうお方が猪相手にやられましたなんて、そんなこと周りに知られたら片倉の旦那の沽券に関わるというか、目が覚めたら腹切るとか言い出すんじゃないかとか、まぁ俺様なりに考えたわけで」
     それはあながち間違いではないと政宗は険しい顔を更に険しくし、無言で頷いて見せた。
     外傷らしい外傷はなく、強いて言うならば僅かに腫れた額くらいであろうか。大したことはないと高を括っていたこともあり、目を覚ましてからの小十郎の発言は青天の霹靂であった。
    「で、片倉の旦那は『国主が独眼竜』だってことも、『俺様が他国の忍』だってことも覚えてる」
    「覚えてるってのはちぃとばかし語弊があるがな」
     政宗のことを様付けで呼ぶのはこれまで通りだが、佐助のことを「猿飛殿」と呼んだ時点でかなりおかしなことになっている。当人にひとつひとつ確認した結果、小十郎は名前以外の自身のことのみが、すぽーん、と抜け落ちていたのだった。
     それでも彼の中ではこの状況は破綻していないらしく、「じゃあ、おまえはなんなんだ」との政宗の問いに、初めて異常な状態であると気づいたか蒼白になり、言葉を失った。
     あーもーわけがわからねぇ! と片手で髪を掻き毟る政宗とは対照的に、佐助は落ち着き払っている。こう言ってはなんだが他軍の者である佐助は、小十郎がどうなろうと大して困らないため深刻さが違うのだ。
     それでも同盟国の国主が困っているとなれば見なかったことには出来ず、早期解決に向けて力を貸すことは最早避けられない決定事項である。
     仮に「俺様関係ないし」と甲斐に戻ったとしても、このことを報告しないわけにもいかず、したが最後、あの真っ直ぐすぎる主が黙っているわけがないのだ。
    「一時的な記憶障害だと思うけど、人の口に戸は立てられないからねぇ」
     政宗に絶対の忠誠を誓っている伊達軍とはいえ所詮は人の子。箝口令を敷いたところでどこからともなく噂は流れ、「竜の右目が使い物にならぬ」と外に話が漏れるのは時間の問題だ。
     いつまでも隠し通せる物ではない、と佐助が言外に告げれば、政宗は暫し何事かを思案していたかと思いきや、ぱん、と己の膝を一叩きした。
    「善は急げ、だな」
     そう言うが早いか腰を上げ、文机に着くや、さらさら、と何事かをしたためた後、障子を開け放つと常よりも大きな声で小姓を呼んだ。来るまでにやや時間はかかったが人払いをしていたため仕方のないことであると、急いで来た者を労ってから政宗は書状を託し、それ以外にもなにやら指示を出している。
     それを黙って見ていた佐助は足音が完全に聞こえなくなってから、ようやっと口を開いた。
    「なに企んでるの」
    「人聞きの悪いこと言うなよ。湯治だ、湯治。城から出れば接触する人間は最小限。これなら暫くは小十郎のこと誤魔化せるだろ」
    「とかなんとか言っちゃって、片倉の旦那がお小言言わない間に羽を伸ばそうとか考えてるんじゃないの?」
     冗談めかしてツッコミを入れれば、一瞬ではあったが確かに政宗の目は泳ぎ、図星だったか、と思いはすれど佐助はそれ以上なにも言わなかった。
     ややあって、こほん、と気を取り直すように小さく咳払いをした政宗は当然の顔で「てめぇも来い」と言い放ち、そのあまりの堂々とした態度に佐助は呆れよりも先に感心が立つ。
    「まぁ、乗りかかった舟だから異存はありませんけどー、真田の旦那には報告させて貰いますよ」
     雇われ者ですしー、とわざとらしく言えば、好きにしろ、と横柄に返され、佐助は苦笑と共に肩を竦めたのだった。

    ■   ■   ■

     政宗の選んだ湯治先は隠し湯と言うだけあって知っている者は極僅かで、街道からも外れているためひっそりとしており、更には普段ここを管理している者達は離れにおり、他者に煩わされることなく療養には持ってこいと言える。
    「使うから準備しておけ」との文を出すと同時に出立の支度を着々と済ませ、翌朝には城を出たが急なことにも関わらず、政宗達が到着したときにはなにひとつ不足のない状態で、出迎えた者達に国主は労いの言葉を掛けた後、呼ばぬ限りなにもしなくていいと彼らに告げたのだった。
     到着するや荷解きもそこそこに湯を使うと言い出した政宗に苦笑はすれど、佐助も小十郎も敢えて止めることではないとそのまま政宗を送り出そうとしたのだが、ここで一悶着あった。
    「Hey.小十郎、一緒に来い」
    「滅相も御座いません」
     間髪入れずに返された断りの言葉に政宗は片眉を跳ね上げ、それを黙って見ている佐助は、まぁ当然の結果だよね、と内心で呆れ顔だ。
     記憶が一部欠落している小十郎に『伊達軍の副将であり軍師であり、政宗の右目である』と立場を説明したにはしたのだが、どこか他人事のような顔で聞いており、小十郎からすれば俄には信じ難く実感は湧かないといったところだろう。
     そして、ここで厄介なのが政宗と小十郎の関係だ。
     国主と伊達軍副将という関係だけならば話は簡単なのだが、ここに公には出来ない部分が絡んでくる。
     ふたりは所謂『恋仲』というやつで、小十郎から言わせれば厳密には違うと激しく否定されるであろうが、端から見れば同じことなので細かいことは割愛する。
     さすがにこれを包み隠さず告げては小十郎の許容量を超えるだろうということで、政宗は少々不満顔ではあったが今は黙っていることにしたのだった。
     説明を受けたにも関わらず今の彼は恐らく自分のことを、そこいらの一兵卒と同等か、目を掛けて貰いやや優遇されている程度と思っているに違いない。
     そのような状態で「湯治だ」と連れて来られた挙げ句、国主と湯を共にするなど天地がひっくり返ろうともあり得ないことだ。
     それでも政宗は小十郎と共に行くと言い張り、小十郎は恐れ多いと頑なに拒否をするという、どこまで行っても交わらない不毛な言い合いに発展し、このままでは埒が明かぬと佐助が間に入り、今回は政宗に折れるよう、そっ、と耳打ちをする。
     当然、不満も露わな竜は射殺す勢いで忍を睨み据えるも、なんの為に此処に来たの、とやや強い調子で囁けば、当面の目的を思い出したか、政宗は渋々ではあったがおとなしく引き下がり、その間、終始申し訳なさそうに眉尻を下げていた小十郎はふたりに頭を垂れると、宛がわれた自分の部屋へと下がったのだった。
     むすり、と口をへの字に曲げている政宗に茶を差し出しつつ、大人げない、と佐助は胸中でごちる。
    「仕方ないでしょ。今の右目の旦那はただの一家臣で、お殿様と一緒に湯治ってだけでも腰が退けてるんだから」
     ずっ、と行儀の悪い音を立てて茶を啜る政宗を呆れたように見やり、佐助は緩く息を吐いた。
    「『記憶のない今なら好き勝手出来るぜ、ひゃほーい!』とか思ってないよね? 竜の旦那」
     通常営業の小十郎相手に先の台詞を言えば「お戯れを」とにべもなく返され、下手をすればお小言付きだ。いつもの行いからそれがわからぬ政宗ではないだけに、佐助が疑わしい目を向ければ、返事の代わりか誤魔化しか、再度、ずずずっ、と行儀の悪い音が響き、あぁ図星でしたか、と佐助はツッコむ気力もなくし、鈍く痛むこめかみを指先で軽く押さえたのだった。
    「旦那の欲望を大解放するのはひとまずおいといて、どうすれば片倉の旦那が元に戻るかを考えないと」
     その為に来たんだから、と前向きに話を進めようと佐助が切り出せば、政宗も真剣な顔になり、Hum……、と顎を撫でる。
    「お約束としてはShock療法を挙げたいところだが……」
    「そう簡単に猪と勝負は出来ないでしょ」
     しかも相当の大物だったし、と現場を見た佐助が乾いた笑いと共に漏らせば、「打つ手なしか」と政宗は早々に白旗を揚げ、ごろり、とその場に寝転がってしまった。
    「早ッ! 諦めるの早ッ!!」
    「無理矢理なにかしたところで事態が好転するとは思えねぇ。なら、普段通りに接して自然と思い出すのを待つしかねぇだろ」
    「まぁね。これ以上、混乱させるのは俺様も良くないと思うけど」
     正直、もっと慌てふためき躍起になると思っていただけに、長期戦の構えを見せるとは意外だった、と佐助が軽く目を見張れば、政宗は、ちら、と佐助を見上げ、
    「アイツが本当に俺のことを忘れるわけねぇだろ」
     と自信満々言い切った。
     一体全体その自信はどこから来るのかと呆れる反面、これくらいどっしり構えていてくれた方がコチラも無駄に気を遣わなくてラクですけど、とこの時ばかりは政宗の剛胆さをありがたく思ったのだった。
    「それじゃあ俺様も下がらせてもらうよ」
     これといった打開策がない以上、政宗と共にいる理由はない。一応、客人として扱ってもらえている為、佐助にも個室が宛がわれている。寝そべったまま、ひらひら、と手を振る政宗を残し、熊笹の生い茂った庭を横目に廊下を進みつつ僅かに眉根を寄せる。
    「普段通りねぇ……」
     政宗はともかく、佐助は伊達の人間ではない。小十郎とはこれといった密な関係でもなく、普段通りと言われても逆に困ってしまうのだ。
    「軽く話し相手になるくらいですかねぇ」
     あとは独眼竜の援護射撃くらい? と出来そうなことを考えていたが、ん? と僅かに首を傾げる。
    「普段通りって……いや、まさか、いくら独眼竜でも、ねぇ……」
     不意に湧いた考えを、ははは、と軽く笑い飛ばすも否定しきれず、佐助はひとり廊下で頭を抱える。
     隙あらば小十郎の口を吸おうとする政宗の姿をこれまで何度も見ている身としては、今の小十郎が拒みきれるとは到底思えず、自重してくれ、と願うほかなかった。

    ■   ■   ■

    「政宗様、その、お戯れもほどほどにしていただけぬかと……」
    「An? 俺はいつだって本気だぜ? 小十郎」
     翌朝、柔らかな湯気の上がる朝餉を前に繰り広げられている光景に、早速やりやがったこのやろう、と佐助はしょっぱい顔になる。
     箸で摘んだ焼き魚の身を小十郎の口許へ持っていき、あーん、と促す政宗を、小十郎は案の定拒みきれず、僅かに俯き困ったように眉を八の字に寄せている。
    「おまえの為に丹誠込めて焼いたんだぜ」
    「は、恐悦至極に存じます」
     ちなみにその魚は早朝に「食材調達してこい」との政宗の無茶振りに佐助が応えたもので、捌いて調理したのは確かに政宗だが一番の功労者は佐助といえる。
     小十郎は失礼にならぬよう大真面目にこたえるも、政宗の行動に応じることは出来ず俯いたままだ。
    「Hum……ならおまえが食わせてくれよ」
     あー、と己の口を開いて催促してくる政宗に小十郎は、ひっ、と声にならない悲鳴を上げ、「そっ、そんな恐れ多いこと出来ませぬ……ッ」と見ている方が可哀想になるくらいに、あがががが、と狼狽え、普段ならば有り得ぬその反応を政宗が楽しんでいるのは火を見るよりも明らかだった。
    「そうか。出来ないなら仕方ないよなぁ」
     食べさせるか、食べさせてもらうかふたつにひとつだと、にやにや、と人の悪い笑みを浮かべる政宗に対して佐助は内心で、悪趣味な、とぼやくもその声が外に聞こえるわけもなく、小十郎は観念したか、おずおず、と口を開く。
    「……美味しゅう御座います」
    「そうだろうそうだろう」
     もごもご、と数回咀嚼し、きちんと嚥下してから律儀にも感想を述べる小十郎に、大きく頷きながら政宗は小鉢から里芋の煮付けを摘み上げた。
    「あーん」
     えー、まだやるのー……? と最早ツッコむ気も失せたか、佐助は黙々と白米を胃に落とし込みつつ、朝からコレじゃ先が思いやられる、と目が遠くなったのだった。


     散策ついでに雉でも捕ってくる、と本気か冗談か判断に困ることを政宗が言い出したのは朝餉の直後で、てっきり小十郎に同行を申しつけるかと思いきや、「湯にでも浸かってのんびりしてろ」と先手を打って出て行った。
     これは普段まったく自身を労らない小十郎に対する政宗なりの気遣いか、と佐助は判断するも、今の小十郎からすれば身の丈に合わぬ扱いで逆に恐縮してしまい、可哀想なことにガッチガチになっている。
     普段とは違う意味での気苦労の連発で倒れてしまうのではないかと、見ている方が少々心配になるほどだ。
    「片倉の旦那。そんな緊張しないでもっとラク~にいこうよ。折角のお休みなんだし」
    「そう言われても……私のことでおふたりのお手を煩わせていること自体が大変申し訳なく」
     ぐったり、しているように見えたのは朝餉の席での政宗の「あーん」攻撃のせいではなく、どうやら自己嫌悪に陥っているらしいと気づき、佐助は「記憶が無くても面倒臭い御仁だなぁ」と内心で肩を竦める。
     だが、それよりもしおらしい小十郎を見慣れていないことに加え、常ならば佐助に対して絶対に使われない言葉遣いにゾワゾワと背筋が粟立ち、どうにも尻の据わりが悪く落ち着かないのが正直なところだ。
     いやーもー調子狂うわー、と首筋を撫でさすりつつ、「ここまで来て遠慮したって仕方ないでしょ。独眼竜の言う通り、ひとっ風呂浴びてさっぱりしておいでよ」と軽い口調で促せば、逡巡の色を見せはしたが小十郎は素直に頷くと静かに腰を上げたのだった。


     陽も高い内からこれでは罰が当たる、と小十郎は深い深い溜め息を吐きつつ、湯に沈み込む。
     湯が湧き出ている窪みの傍に庵を建て、温泉そのものにはなるべく手を入れず、周りを僅かに地慣らしした所に踏み石を敷いただけの露天風呂である。頭上に広がる青々とした快晴の空とは正反対に、小十郎の心はどんよりと灰色の厚い雲に覆われている。
     なにか仕事を言い渡されそれに対する労いであれば、後ろめたく思うこともなく素直に受け取れるのだが、これまでのことを一欠片も覚えていない身としては、落ち着かないことこの上ない。
     それに加えて政宗の態度も困惑に拍車を掛けている。洒落っ気があり冗談もよく口にされる方だということはわかっているが、それにしてもからかい方の度が過ぎているのではないだろうか。
     あぁもうわけがわからん、と掬い上げた湯で乱暴に顔を、ばしゃり、とやったその時、背後から、ひたり、と寄ってくる気配に、小十郎は、はっ、と振り返った。殺気や悪意といった類の物は感じなかったが、首筋を、ちりり、と走ったのは紛れもなく警戒のそれだった。
     だが、竹で組まれた衝立の向こうから現れたのは曲者や不審者ではなく、主である政宗であった。
    「ま、さむねさま……」
    「よしよし、ちゃんと言った通りにしてるな」
     Good boy.となにかを含んだような笑みと共に漏らされた言葉の意味はわからなかったが、小十郎は反射的に眉根を寄せ、その様子に政宗は愉快そうに口角を吊り上げる。
    「どうなさいました。なにか火急の用件でも……」
    「いや」
     ざばり、と慌てて湯から立ち上がった小十郎に、ヒュウ、と軽く口笛を吹き、政宗はわざと見せつけるかのように袴の紐に指をかけた。
    「昨日は断られちまったが、一緒に入ろうと思ってよ」
    「なっ……!?」
     そんな恐れ多い! と昨日と同じ言葉を口にして即座に湯から出て行こうとする小十郎の肩を、政宗は上から両の手で、ぐっ、と押さえつける。常ならば不可能な身長差であるが、今は幸いなことに温泉の深さの分だけ小十郎の立つ位置が低くなっている為、なんの苦もなく押し止めることが出来た。
    「そんなつれないこと言うなよ。人目もねぇんだし、無礼講でいいじゃねぇか」
    「いや、しかし」
     小十郎の垂れた前髪の先から雫が、ぽたり、と湯に落ちる様を見やりつつ、政宗は、ごくり、と小さく喉を鳴らす。僅かに目を伏せ戸惑っている姿が初々しく、また同時に妙な色気を醸しており、これが所謂据え膳というやつか! と荒くなりそうな鼻息を必死に抑える。
     これが普段の小十郎であったなら「お戯れが過ぎますぞ」とにべもなく言い放ち、肩を押さえる手も躊躇なく払い除け、涼しい顔で振り返ることなく出て行くのが目に見えている。
     ただ、そんな小十郎がデレる瞬間がまた格別なのだと、それすらも楽しみに感じている政宗であったが、こういう小十郎もCuteだぜ、と認識を改めたのだった。
     内心やに下がっている政宗に気づいた様子もなく、小十郎は困ったように肩に置かれた主の手に、ちら、と目をやるもどうすることも出来ず、己の髪から滴る雫が作る波紋を見つめているだけだ。
     これはもう一押しで陥落か? と政宗は期待に胸を高鳴らせつつ、にやけそうになる口許を、ぐっ、と引き締め、表面上は余裕ぶった意地の悪い笑みを浮かべる。
    「Hey.小十郎。黙ってちゃわかんねぇだろ」
     なぁ、と目を細めて息も掛からんばかりに顔を寄せ、「YesかNoか」とわざと相手の理解できない言語で答えを促せば、小十郎は政宗の思惑通りに顔を上げ「い、えす……?」と不思議そうに異国の言葉を復唱した。
     小十郎からすれば「これはどういう意味か」との問いであったのだろう。だが、そのようなこと百も承知な政宗は敢えて気づかなかったふりをして、本人の意志とは裏腹に発せられた承諾の言葉を都合良く捉えるだけだ。
     相も変わらず物問いたげな顔をしている小十郎の頤を指で軽く持ち上げ、下唇を柔く食む。突然のことに狼狽したか小十郎は身を引きつつ口を開くも、その口から何事かが飛び出す前に追ってきた政宗の舌がねじ込まれ、ひくり、と肩を揺らすや棒立ちになった。
     ぴたり、と小十郎の口を塞ぎ相手の呻きすら飲み込む勢いで、政宗は口内を蹂躙する。互いに目を合わせたままで、それはまるで獣が獲物を喰らうような荒々しい行為だ。互いに目を閉じて、感じるのは互いの熱のみなどという甘さは欠片もない。
     驚愕に見開かれている小十郎の眼を見据えたまま、政宗は、ニィ、と猫のように隻眼を細める。わざと舌を突き出したまま相手の唇を解放すれば、ツッ、と糸を引いた唾液に小十郎は思わず目を逸らした。
    「ご、ご冗談にしては質が悪うございませぬか」
    「An? まだそんなこと言ってんのか。今朝も言ったよなぁ」
     すっ、と小十郎の左頬に掌を添わせ、親指の腹で、やわり、と傷痕をなぞる。
    「俺はいつだって本気だってな」
    「そ、のようなこと……」
     俄には信じられませぬ、と細く漏らした小十郎の言葉に被るようになにかが聞こえた気がして、政宗は怪訝に眉を寄せた。目を伏せたままの小十郎は主のそのような様子には気づかず、政宗が言葉を返して来ぬのは不興を買ったからかと身を固くする。
    「ま、まさむ……」
     これではいけない、と拳を固め意を決して小十郎が顔を上げたのと、第三者の声が届いたのは同時であった。
    「──まー……──さー……」
     やはり空耳ではなかったと、はっ、と顔を上げた政宗が目にしたのは、空から一直線に落下してくる真っ赤な物体だ。
    「むーねーどのぉぉぉぉぉぉーッ!」
     雄々しい叫びと共に温泉のど真ん中へと落下した物体は、どばっしゃぁぁぁぁん! と盛大な音と同時に巨大な水柱をぶち立てた。呆気に取られているふたりの前で高々と上がった湯は、当然のことながら宙へ留まることは出来ず下へと戻る。
     あっ、と思ったときには頭から滝のような湯を浴び、元から裸であった小十郎はまだよいとして、政宗は見るも無惨な濡れ鼠へと変じたのだった。
    「政宗殿ぉぉぉ! 片倉殿の一大事と聞き及び、真田源次郎幸村、馳せ参じた次第にござるッ!!」
    「真田、てめぇ……」
     顔に貼り付いた前髪を上げもせず、ぶるぶる、と肩を震わせている政宗に気づいていないのか、ざばざば、と湯を掻き分け幸村はふたりに近づいてくる。
    「ちょっとちょっと! なんか凄い音したけど大丈夫!?って、旦那!?」
    「おぉ、佐助」
     全身ずぶ濡れでいながら呑気に手を上げて応える幸村に、騒ぎを聞きつけ駆けつけた佐助は目の前の光景に思わず噴き出した。
    「甲冑付けたまま飛び込むとか後先考えずになにしてんの!? うわ、独眼竜もびっしょびしょじゃないの! もー、ついでだからふたり共、そのままひとっ風呂浴びちゃってちょうだい。着替えは俺様が用意するから」
     いいね、と口にするや駄目押しと言わんばかりに、ビシリ、と指先をふたりに突きつけ、佐助は小十郎を促すと揃って露天風呂を後にした。
     残されたふたりはどちらからともなく顔を見合わせ、どこか気まずそうに背を向けると濡れた着物と装具を身から剥がし、湯が半分になってしまった温泉に無言で浸かったのだった。


     手拭いを首に掛け、ほかほか、と湯気が見えそうな幸村を前に、政宗は引き寄せた脇息に凭れ、ぐったり、と肩を落とした。
    「……『報告書』を読んで飛んできた、と」
    「左様にござる」
     確かに佐助は「幸村に報告する」と言っていた。だが、だからといって本当に空を飛んでくるなどと、誰が予想しうると言うのか。
     しかも、遣いに出した佐助の分身が使った大鴉を奪ってそれを足にするなど、型破りにも程がある。
    「相変わらず無茶するんだから」
     はいどーぞ、と佐助が湯呑みと共に団子の乗った皿を並べてやれば、幸村の意識はいとも簡単に目の前のそれらへと移った。呆れ顔の政宗にも同じ物を差し出せば「茶だけでいい」とやんわり断られたが、佐助は嫌な顔ひとつせず政宗の分であった団子を迷いなく幸村の前へと置いたのだった。
     辺りに民家など無いに等しいというのに、幸村の着物を調達するついでに甘味まで持ち帰るとは、つくづく忍ってヤツぁ、と政宗は呆れとも感心ともつかぬ呻きと共に茶を飲み下す。
     むぐむぐ、と暫くはおとなしく団子を食んでいた幸村だが、口を動かしたまま、ちらり、と視線を部屋の隅へと向け、ちょいちょい、と軽く手を翻して佐助を呼んだ。
    「なに?」
    「実を言うとおまえの報告は半信半疑だったのだが、真であったか」
    「あのねぇ、嘘ついたってどうしようもないでしょ」
     常ならば政宗の隣に座す小十郎が、政宗から一番離れた位置である部屋の出入り口前に陣取っている光景は、珍しいを通り越して奇妙、不可解としか言いようがない。
     顔を突き合わせ、ぼそぼそ、と小声で囁き交わしている甲斐のふたりが、一体なにを話しているかなど大凡の見当はついているのか、政宗は特に口を挟む素振りもなくただただ渋面で座しているだけだ。
    「片倉殿」
     おもむろに腰を上げたかと思えば、幸村は静かに床板を踏み小十郎の前へ歩を進めるや、すとん、と正面で腰を下ろし真摯な声で相手の名を呼んだ。
    「先ほどは大変失礼致した。突然の来訪もさることながら休息の場を台無しにしてしまい、誠に誠に申し訳ござらぬ」
     詫びの言葉と共に頭を下げれば、僅かに動揺した気配が感じられ、幸村は顔を上げぬまま怪訝に眉を寄せる。
    「小十郎には詫びて俺には詫びねぇってのはどういった了見だ」
    「まぁまぁ、ウチの旦那。目上の者には礼儀正しいのよ」
     さらり、と涼しい顔での佐助の言葉に政宗の柳眉が跳ね上がるも、その反応は百も承知と言わんばかりに忍は目を細め口端を吊り上げた。
    「アンタのことは『国主』じゃなくて『好敵手』だと思ってるからじゃないのー?」
     公の場では弁えるであろうが年が近いこともあり、幸村の根底にあるのは肩を並べる好敵手なのだと言いたいらしい。
    「それなりに扱って欲しいなら、国主様が一介の武将と同じ土俵になんか立たないでよね」
     片倉の旦那も苦労するねぇ、と隠す気のない佐助の嫌味に政宗がこめかみをひくつかせたその時、
    「真田殿、どうか顔を上げてくださいませぬか」
     と完全に弱り切った小十郎の声が全員の耳に届き、場の空気が凍った。
     驚きの余り佐助を振り返った幸村の表情は、まるで物の怪を目の当たりにしたかのような名状しがたい物で、だがその気持ちはわかる、と佐助は同意するかのように、うんうん、と頷いて見せる。
     あんな柔らかでしおらしい声、聞いたことねぇぞ! と政宗が違うことに意識を持って行かれているのはさておき。自分の発言で空気がおかしなことになったと小十郎も気がついたか、再度「真田殿」と問うように名を呼んだ。
    「そっそれは勘弁してくだされ、片倉殿! なにやら、こう、尻がむずむずしまするッ!!」
     ぬおおぉぉぉ……、と全身全霊で身悶えている幸村にどうしたらよいかわからず、助けを請うように佐助に顔を向けた小十郎に政宗が、ムッ、とするも、目の前のことで手一杯な右目は気づかず、佐助は、仕方ないなぁ、と言わんばかりに軽く肩を竦めた。
    「片倉の旦那、いつも通り『真田』って呼び捨てにしてあげてよ。あ、ついでに俺様のことも呼び捨てにしてちょうだいな」
     やっぱ落ち着かないよねー、と戯ける佐助に、全く持ってその通りだと幸村は何度も力強く頭を上下させる。
    「さぁ片倉殿!」
     さぁ、と促されたところで直ぐさま、「はいわかりました」と順応できるような男ではないのだが、気合いと根性があれば道は切り開けると信じて疑わない幸村が引くはずもなく。
    「さぁ!」
    「さ、なだ……」
     勢いに飲まれたか小十郎が、おずおず、と口を開くも即座に駄目出しがなされる。
    「声が小さいでござる!」
    「さなだ」
    「もっと腹から!」
    「真田」
    「まだまだ! そんなものではござらぬ!!」
    「真田っ」
    「その調子でござる!」
    「真田ぁ!」
    「片倉殿!」
    「真田ぁッ!」
    「片倉殿ぉッ!」
    「真田ぁぁッ!!」
    「かぁたくらぁどのぉぉぉッ!!」
     生真面目さが仇となったか莫迦正直に声を張る小十郎に、ちょっとどこの武田道場よ、と佐助が額を押さえていることなど露知らず、幸村と小十郎の呼び合いは最高潮に達するも、とうとう我慢しきれなくなった政宗の「Shut up!」が響き渡りどうにか簡易武田道場は門を閉じたのだった。

    ■   ■   ■

     助太刀に来たのか引っ掻き回しに来たのか非常に微妙な幸村であったが、信玄仕込みの正面からのぶつかり合いが功を奏したか、数日が経った現在、甲斐のふたりに対する小十郎の態度は元のやや粗野な物に近くなった。
     全体的に見れば良い傾向ではあるのだが、政宗に対してだけは相も変わらず一定の距離を保った状態で、「これが普通の主君と家臣のあるべき姿だよ」と佐助に言われても納得など出来ようはずもなかった。
     つつがなく夕餉を終え、部屋へと戻った小十郎を政宗が訪ねてきたのは、昇りきった月が傾き始めた頃だった。
     このような時間にどうしたのかと心配そうに眉尻を下げる小十郎に向かって、政宗は「灯りが見えたから様子見だ」と軽く笑って見せた。
    「あぁ、お気を遣わせてしまい申し訳ありません」
    「俺が勝手に見に来ただけだ。気にするな」
     ひょい、と室内を覗き込んだ政宗に困惑気味な顔をするも、小十郎はこのまま主を追い返すのも気が引け、そっ、と半歩下がる。
     障子は人ひとりが通れる幅しか開いていなかったが、小十郎が主を迎え入れるように身を引いたため、政宗は遠慮無く室内へと足を踏み入れた。
     小さな灯りの下で開かれていたのは書物で、内容を一瞥した政宗は軽く片眉を上げたが、それについては敢えてなにも触れなかった。
    「どうだ? なにか思い出せそうか」
    「いえ……申し訳ありません」
     色好い返事が出来ないことを心苦しく思っているのか、僅かに目を伏せる小十郎の睫毛が作る影を、じっ、と見つめ、政宗は相手に気づかれぬよう緩く息を吐く。
     小十郎が読んでいたのは兵法書だ。『伊達軍の副将で軍師である』と説明を受けたからか、彼なりにいろいろと記憶を取り戻すために考えているのだろう。
    「なに、焦ることはねぇ。無理だけはするなよ」
    「勿体なきお言葉にございます」
     無駄に畏まる小十郎を制し、政宗は懐から取り出した物を相手に差し出す。
    「これは?」
    「気分転換にちょっと吹いてみろ」
    「笛など小十郎は……」
     ふるふる、と首を横に振る男の手に「いいから」と強引に笛を握らせれば、観念したか小十郎は手中の笛を、じっ、と凝視してから、ゆうるり、と息を吐いた。
    「耳障りかとは思いますが、どうかご容赦を」
     そう言い置いて歌口に唇を寄せる。
     目を閉じ静かに吹き込まれた息がまるで意志を持っているかのように空気を震わせ、変幻自在に高く低く旋律を奏でる。
     室内を満たすその音色に政宗は聞き惚れ、しなやかに動く指に目を奪われる。
     どこかもの悲しく、だが、優しく包み込むような音は紛れもなく、政宗の知っている小十郎の音であった。
     空気に溶けるように最後の音が消え、余韻に浸っていた政宗が「Excellent!」と声を上げれば、はっ、と我に返った小十郎は自分でも信じられぬと言わんばかりに、まじまじ、と笛を見つめる。
    「いいものを聞かせてもらった褒美をやらねぇとな」
    「いえ、そのような……」
     するり、と掌で頬を撫で、意味ありげに親指の腹で下唇を柔く押してやれば、小十郎の喉が、ひくり、と上下した。
    「お、戯れが、過ぎます……」
     どうにか声を絞り出した小十郎の目元には朱がさしており、緊張からか唇も微かに震えている。
    「おまえは『Yes』とだけ言えばいいんだ」
     小十郎、と耳元で低く名を呼べば、派手に小十郎の肩が跳ねた。その初々しい反応に政宗が、くつり、と喉奥で笑えば、いよいよもって堪えられぬとでも言うように小十郎は「これ以上は……どうか後生ですから……」と弱々しく頭を振った。
    「そいつは……」
     聞けねぇなぁ、と続くはずであった政宗の声は、どたどた、と闇夜にけたたましく響く足音に掻き消される。このような無粋な真似をする者はここにはひとりしかおらず、政宗は隠すことなく、チッ、と舌打ちを漏らした。
    「片倉殿!」
     すぱーんッ! と勢い良く障子を開け放ったのは予想通り幸村で、室内を満たしていた濃密な空気になど気づいた様子もなく、走ってきた勢いそのままに飛び込んで来るや「今の笛の音は紛れもなく片倉殿の笛の音! 記憶が戻ったのでござるか!?」と大声で捲し立ててきた。
    「残念ながらNoだ!」
     苛立ちを隠しもせず政宗が吼えるように即答すれば、小十郎は自分が責められていると思ったか、一瞬、くしゃり、と顔を歪ませるや、
    「申し訳ありませぬ」
     と深々と平伏した後、少し風に当たってまいります、と言い訳のように告げ、逃げるように部屋から出て行ってしまった。
    「片倉殿、ひとりでは危のうござる!」
     某がお供しまする、と引っ掻き回した張本人がそれに気づかぬままに小十郎を追って出て行き、やり場のない怒りを抱えた政宗は、うがぁぁぁぁッ! と吼えながら、ごろごろ、と床を転がったのだった。

    ■   ■   ■

     ただ漠然と過ごすより回復の一助となれば、と小さな物ではあるが此処を管理している者が持っている畑を政宗が借り受け小十郎に与えれば、最初こそは戸惑っていたが先日の笛同様、染みついた物は頭ではなく身体が覚えていたようで、誰に教えられることなく雑草をテキパキと抜く姿に政宗は眦を下げた。
     今日も今日とて畑へと繰り出した小十郎はとても良い顔をしていたが、当然のように幸村を誘い、幸村も犬の子のように大はしゃぎで、声すら掛からなかった政宗は陽も高い内からひとり不貞寝というわけである。
    「うっわ、空気重ッ!」
     いい天気だから布団でも干そうかとやってきた佐助が、どんより、とした室内に声を上げれば、大層目付きの悪い竜が転がっており、大体の事情を察したか佐助は障子を開け放ちつつ「お茶でもいれようか」と相手の話を聞く姿勢を見せたのだった。
     茶をいれ、佐助が隠し持っていたとっておきの干し柿をお茶請けに献上すれば、政宗はそれを遠慮無く貪りながら、溜め込んでいた物を吐き出していく。
    「なにをするにも、真田真田真田」
    「うん、そうだね」
     確かに幸村は良い潤滑油になっているが彼の屈託のない性格と気安さ故か、小十郎が必要以上に気を許してしまっているのは佐助も感じていた。それを申し訳なく思っていることもあり政宗の話──というか愚痴に付き合う覚悟を決めたのだった。
     政宗とてここに至るまでになにもしていなかったわけではなく、近辺の散策に小十郎を伴ったり、月を愛でながら共に盃を傾けたりと、どうにか小十郎との距離を縮めるべく涙ぐましい努力をしているのは理解しているつもりだが、佐助はその努力が空回りしているのではないかとも思うのだ。
     政宗と特別な関係であるという下地のない今の小十郎は、いくら言葉で説明しようとも前述通り、自分はそこいらの一兵卒と同等だとの認識のままで、これをどうにかしないことには政宗が親密度を上げようとどれだけ頑張ったところで、成果など出るわけがないのだ。
     一兵卒が国主とサシで酒を飲むなど、光栄を通り越して拷問なのではないだろうか。そう考えると政宗と一線引いた状態の小十郎を責めるわけにもいかない。
    「真田もなにかあれば、片倉殿片倉殿片倉殿」
    「うん、そうだ、ね……?」
     だが、それらを聞きつつ佐助は、ほんの僅かにではあったが生じた違和感に怪訝に眉を寄せた。
     これはもしや、小十郎が幸村とばかり一緒に居るから不機嫌なのではなく、右目と好敵手に揃いも揃ってほったらかしにされて拗ねているだけなのではないだろうか? との疑念が浮かぶ。
     一度そう思ってしまったらそうとしか見えず、佐助は次々と繰り出される政宗の不満に、腹の奥から湧き上がる笑いを抑え込みつつ相槌を打つという、超高難度任務を真顔でこなしたのだった。


     日も中天に差し掛かった頃、昼餉をとりに戻ってきたふたりを風呂へと追い立て、佐助は厨へと立つ。簡単に握り飯でいいだろう、と幸村の分を気持ち大きく握っていれば、待ちきれないのか茶色の頭が、ひょこり、と戸口から様子を窺っている。
     見事なまでの烏の行水に苦笑しつつ、振り返ることなく「ちゃんと頭拭きなよ」と一声掛ければ「うむ」と素直に応じ、わしゃわしゃ、と手荒く手拭いで髪を掻き回しながら幸村は佐助に並んだ。
    「汁物も欲しい?」
    「いや、握り飯だけで充分だ」
     ぐぐぅー、と催促するかのように鳴った腹の虫に、はいはい、と応え、最後のひとつを皿に並べると持っていくよう幸村を促す。
    「独眼竜の分も一緒だからね。ひとりで全部食べないでよ」
    「なっ、わかっている!」
     ふがー! と憤慨する幸村を軽くいなし、佐助はなにか思い出したか、あ、と声を上げた。
    「旦那、食べたらまた外に行くの?」
    「ん? あぁ、沢まで行って魚でも捕ってこようかと思っているが」
     それがどうかしたか、と首を傾げる幸村に佐助は、いやなに、と鼻の頭を掻く。
    「暇を持て余してるみたいだから独眼竜も誘って、どっちが多く捕ってこられるか勝負するといいんじゃないかなぁ、って」
     どうよ? とわざと煽るような言い方をすれば、予想に違わず幸村は瞳を爛々と輝かせたかと思えば、
    「うおぉぉぉぉ! 負けませぬぞ政宗殿ぉぉぉぉッ!!」
     と雄叫びを上げつつ厨を飛び出したのだった。
    「こっちはこれでいいとして……」
     単純な主に素直に感謝しつつ佐助は難しい顔で、コツコツ、とこめかみを指先で叩く。無理せずゆっくりと小十郎の回復を待ちたい政宗の気持ちもわかるが、ふたりはいつまでもこうしていられる身分ではない。
     佐助自身も際限なくふたりに付き合っていられるほど暇ではないのだ。
     政宗と小十郎が恋仲であることは伏せておこうとの話であったが、政宗が既にいろいろとやらかしているため、もう暴露してもいいよね、むしろその方が片倉の旦那も腑に落ちるよね、と佐助が投げやりな気分であるのも事実であった。
     小十郎もそろそろ戻って来る頃だろうと思えば案の定、濡れ髪を無造作に掻き上げただけの小十郎が顔を出した。
    「なにか手伝うか?」
    「いや、握り飯で済ませたから大丈夫。ウチの旦那と独眼竜は先に食べてるよ」
     これが俺様達の分、と皿に並べた物を見せれば、綺麗な三角と俵に小十郎は「巧いものだ」と感心の言葉を口にする。
    「右目の旦那からお褒めの言葉を頂戴すると照れるね」
     はは、と笑う佐助を、きょとん、と見た後、小十郎は小さく、あぁ俺のことか、と漏らした。当たり前のように呼んでしまったが、今の小十郎は竜の右目ではないのだと再認識し、佐助は内心で頭を抱えるもそのようなことはおくびにも出さず、小十郎を促しつつ土間の隅に置いてある簡易な卓前に腰を下ろした。
     暫く他愛のない会話を交わし、皿が空になったところで佐助は俄に表情を引き締めた。
    「片倉の旦那、ちょっと話があるんだけど」
    「なんだ改まって」
     真剣みを帯びた佐助の声音に、小十郎の表情も知らず引き締まる。
    「独眼竜が旦那にいろいろちょっかいかけてきてると思うけど……」
    「あ、あれは、その、質の悪い冗談、だ……」
     佐助の言葉を聞くや僅かに目を伏せ、どこか恥じらうように口籠もる小十郎の姿に佐助は、おや? と片眉を上げる。困惑しているのならまだわかるのだが、この反応は想定外だ。
    「俺の反応を見て楽しんでおられるのだろう」
     自分の形はよくわかっている、とどこか自嘲気味に漏らしたその言葉に、佐助は反射的に額を押さえそうになったが寸でのところで堪えた。
     確かに小十郎は体格も良く、顔の造作は男らしさの際立った精悍な物だ。主の寵愛を受けるには年齢的にも該当しないとの判断は、これといっておかしなことではない。むしろそう考えるのが世間一般的には普通であろう。
    「でも悪い気はしてないんじゃないの?」
     さらり、と軽い調子で聞いてやれば「そんなわけあるか!」と間髪入れず叫ぶように返された。途端に余裕の無くなった小十郎に、これはひょっとしたらひょっとするかも、と佐助は非常に微妙な心持ちになる。
     自身のことはなにひとつ覚えていなくとも、主に対する思いだけは奥深くに根付き、片倉小十郎という男の根幹を作っているのではないかとさえ思えてくる。
     これまで政宗と共に築き上げてきた『片倉小十郎』という外殻が崩れた今の彼は、意図も容易く感情を垂れ流す。
    「混乱させちゃいけないと思って伏せてたんだけど、独眼竜とアンタ、実は恋仲なんだよね」
    「おまえまで俺をからかうのか」
     やめてくれ、と顔を背けてしまった小十郎は深く深く眉間にしわを刻んでおり、そういえば久しく見ていなかったな、と佐助は呑気にもそう思ったのだった。
    「いやいや、からかってなんかいませんって」
    「そんなわけあるか。あの政宗様だぞ? 俺を選ぶ理由がどこにある」
     その政宗様だからアンタを選んだんでしょうが、とはさすがに言えず、佐助は置かれたままの皿に目を落とし指先で縁を辿りながら「じゃあさ」と殊更ゆっくりと言葉を押し出す。
    「独眼竜にそういうお人が居るって話、聞いたことある?」
     年若くして奥州の覇者へと一気に駆け上らんとする政宗に憧れを抱き、懸想する者はそれこそ星の数であろうと、小十郎は本気で思っている。それほどまでに政宗は非常に魅力的で人を惹きつけてやまない愛しい主だ。
     だが、改めて問われ記憶を掘り返してみるも、その点に関しては自分のこと同様、ぽっかり、と穴が開いたかのようになにひとつ思い出すことが出来ず、小十郎は些か困惑気味に佐助を見返す。
    「あの独眼竜に浮いた話ひとつ無いって、奇妙なことだとは思わないかねぇ」
    「それは……」
     奥州を平らげ、天下をも平らげることを第一とし、他は二の次であるから、と真でなくともそれらしいことを言えば、納得するかしないかは別として佐助はこの話を終わらせるだろうことは容易に想像がついた。
    「それ、は……政宗様が……」
     きつく拳を握り言葉を続けようとするも、ぐっ、と喉が詰まり声が出ない。得も言われぬ焦燥感に呼吸は乱れ、掌は、じっとり、と汗ばんでいる。口内もカサカサに渇き、舌が上顎に貼り付く感覚に知らず顔を歪めた。二度、三度と口を開閉した後、諦めたかのように小十郎は顔を伏せ、ゆるり、と頭を左右に振る。
    「まぁ、だからといって独眼竜がしてくること全てを受け入れろってワケじゃないからね。そこんとこ勘違いしちゃ困るよ」
     イヤならぶん殴ってでも拒絶しな、とふざけた助言をしてくる佐助を上目に見やり、小十郎は力無く手を上げることで応えとしそのまま部屋へと戻った。その背を目で追い、佐助は緩く息を吐く。
     これまで共に積み重ねてきた物があるからこそ、小十郎は政宗の無茶にも応え、時には厳しく諫めることも出来たのだ。今の小十郎にはその積み重ねてきた物がない状態で、はたしてどこまで己を貫けるのか。それは佐助にもわからなかった。


     ヒタヒタ、と廊下を進む小十郎の背に「片倉殿」との声が掛かった。振り返ればなにやらいろいろと抱え込んだ幸村がそこにはおり、小十郎は「大荷物だな」と眦を下げる。
    「これから沢まで行くのでござるが、片倉殿も行かれませぬか」
     恐らく着替えであろう剥き出しの着物に加えて魚籠をふたつ持っていることに気づき、小十郎が僅かに片眉を上げれば幸村は「政宗殿も一緒でござる」と嬉々として答え、丁度廊下の角を曲がってきた政宗を振り返り「今、片倉殿もお誘いしているところでござる」と声を上げた。
    「あ、いや、真田。政宗様とふたりで行ってくるといい。すまねぇな」
     着替えは風呂敷に包んで行けよ、と軽く幸村の世話を焼いてから小十郎は政宗と目を合わせぬまま頭を下げ、そのまま振り返ることなく自室へと戻っていった。
    「お疲れでござろうか」
     どことなく覇気のない小十郎の背を見つめたまま幸村が案じるその背後で、政宗は目を眇め唇を引き結んだ。
    「悪ぃな真田。Fishingはまた今度だ」
     追い抜き様に、ぽん、と幸村の肩を叩くや政宗は小十郎の後を大股に追い、ひとり残された幸村は状況が掴めずただ、ぽかん、とその場に立ち尽くすしかなかった。
    「小十郎、入るぜ」
     中からの返答を待つ気などなく、政宗は障子を滑らせ遠慮無く踏み込んでくる。気配を殺すことも足音を控えることもしなかったため、小十郎は政宗が来ることは予想できていたが、まさかいきなり踏み込まれるとは思ってもおらず、中途半端に腰を上げた状態で固まってしまっている。
    「なんてツラしてんだ」
    「政宗様、一体どうされました。真田と沢へ行くと……」
    「あぁ、そいつはCancelだ」
     大股に寄ったかと思えば政宗は小十郎の正面に、どっか、と腰を下ろし、真っ直ぐに相手を見据える。まるで射抜くかのようなその鋭さに怯んだか、小十郎は耐えきれずに、そっ、と目を逸らす。
     常ならばなにがあろうとも決して目を逸らすことなどない小十郎が、居心地が悪いのか居たたまれないのかは定かではないが、主から目を逸らしたのだ。
     本当に今の彼は『片倉小十郎のカタチをした別人』なのだと、政宗は胸の奥に、ぽっかり、と穴が開いてしまったかのような寂しさを覚え、苦く笑んだ。
     小十郎ならばなにがあろうとも自分とのことを忘れるわけがないと、根拠はなかったが本気でそう思っていたのだ。
     自惚れでしかなかったか、と自嘲の笑みを飲み下し、政宗は何食わぬ顔で浮かぬ顔の右目に問いかける。
    「なにかあったのか」
    「いえ、政宗様がお気になされることではありませぬ」
     ふるり、と揺れた睫毛の下では、濡れた瞳が戸惑っている。
    「俺は、おまえを困らせたいわけじゃねぇんだ」
     政宗は相手を驚かせないよう手を伸ばし、着物の上から肩口を指先で、すっ、となぞる。次いで二の腕、胸元、脇腹、反対の肩口、拳の乗せられた膝、腿、と指を滑らせた。
    「政宗様……」
    「これだけじゃねぇ。背中にもまだまだある。おまえに刻まれた傷は全部、俺のためについたものだ」
     政宗の触れたところ全てに傷があるのだと言われ、小十郎は信じ難いものを見る目で政宗を見返す。小十郎自身、全ての傷を把握しているわけではないが、政宗の指が辿っていった箇所には大小の差こそあれ、確かに傷があった。
    「俺の背中を護るおまえが居るから、俺は前だけを向いていられる」
     固く握られた小十郎の拳に触れながら政宗は僅かに距離を詰め、ゆうるり、と唇を開く。
    「俺のことを少しでも好いてくれてるなら、記憶なんか吹っ飛んだままでもいい。これから先も俺の背中をおまえに任せたい」
     真摯な願いに小十郎は咄嗟に言葉が出ず、だが、自分にはそのような大役は務まらぬと、首を横に振る。それでも政宗は尚のこと食い下がり、おまえじゃなきゃ意味がねぇんだ、と言葉だけでなく全身で訴えてくる。
    「おまえじゃなきゃ、ダメなんだ」
     ぐっ、と肩口を両手で掴まれ、瞳を覗き込まれる。決して目を逸らすことを赦さぬ強い眼光に逆らえず、小十郎は驚愕の眼のまま主の竜眼を見つめ、まるで吸い込まれそうだ、とどこか現実とは剥離した部分で思ったのだった。
     主である政宗がここまで思ってくれているというのに自分はどうだ、と小十郎は唇を噛み締め、ぐっ、と下っ腹に力を入れる。信頼もなにもかも失っても文句は言えぬというのに、それでも政宗は不忠を責めることなくなにも覚えていない小十郎でも良いと、そう言ってくれたのだ。
    「小十郎は果報者でございます」
     やんわり、と政宗の手を肩から外し、小十郎は深々と頭を垂れた。それを了承と受け取ったか政宗は安堵の息を吐くやだらしなく後ろ手をつき、ヒヤヒヤしたぜ、と心中を吐露しながら天井を仰いだ。
     だがしかし。
    「そこまで小十郎をお思い下さる政宗様のことを忘れるなど、不忠の極み。ここは腹を切ってお詫びするしかございませぬ」
    「ちょああああ! ちょっと待て小十郎!!」
    「お止めくださいますな!」
     ばっ、と立ち上がり刀を取りに行こうとする小十郎の足にどうにか縋り付き動きを止めようとするも、こうと決めたら梃子でも動かぬ小十郎が聞き入れるわけもなく。
    「落ち着け、落ち着けって小十郎! それじゃ意味がねぇだろうが!?」
    「えぇい、お離し下され!」
    「なんでそんなとこだけいつも通りなんだ!? 刷り込まれてるのか!? なにかあったら切腹は本能に刷り込まれてるのか!?」
     マジ勘弁しろ! と政宗が悲鳴を上げたのと、主を振り払おうと身を捩った小十郎がバランスを崩したのと、けたたましく廊下を疾駆してきた幸村が障子を、すぱーんっ! と開け放ち部屋に踏み込んだのは同時であった。
    「一体何事でござぶはぁッ!!」
     がちーん! と上がった音はよもや人同士がぶつかったとは思えぬ程の硬質さで、幸村は部屋に飛び込んだ勢いそのままに後方へと吹っ飛び、ごろごろ、と庭先まで転げていく。
     一方の小十郎は強打した額を押さえた格好で政宗を巻き込んで天を仰ぐこととなり、いち早く気を取り直した政宗が小十郎の下から這い出し、なにが巻き起こったのかと目を白黒させつつ、庭先で額を押さえて、うぉぉぉぉ……、と呻いている幸村と目の前で伸びている小十郎を交互に見やる。
    「Ah……小十郎の頭突きをモロに喰らっちまったか」
     割れてなきゃいいが、と幸村に同情の眼差しを向けるも、気がかりなのはうんともすんとも言わぬ小十郎の方だ。こいつは下手に動かさない方がいいのか? と気付けに頬を打つのを躊躇っていれば、低い呻きが小十郎の喉奥から漏れた。
     ふるり、と微かに震えた睫毛に、政宗は息を詰めて小十郎の顔を見つめる。次いで、そろり、と持ち上がった瞼の下から現れた黒曜石の瞳に安堵の息を吐いた。
    「大丈夫か、小十郎」
     名を呼べばやや虚ろなままではあるがその眼はしかと政宗の姿を捉え、僅かに首を傾けた。
    「政宗、さま……」
     これはいつぞやの再現か、と政宗が思う間もなく、小十郎は、はっ、と目を見開くや勢い良く身を起こした。
    「猪! 猪はどうなったッ!?」
     起きたと同時のワケのわからないことを叫んだ小十郎に、ぽかーん、となった政宗だが、今にも飛び出しかねない勢いの小十郎の肩を慌てて押さえる。
    「Wait, and wait! 落ち着け小十郎」
    「は、しかし、畑が……」
     真顔で返してきた小十郎の言葉に政宗は目を見張り、「畑が、どうしたって?」と問えば、「小十郎の畑に猪が出たのです。荒らされてはたまらぬと張っていたのですが……」と答えたところでなにかおかしいと気づいたか、不意に小十郎の口が止まった。
     ぐるり、と室内を見回し、城の一室ではないと確信したか、これは一体……、と狐に摘まれたような顔になる。
    「Good jobだ、真田ぁ!」
     ぱんっ、と膝を一叩きし、未だ庭で転がっている幸村に声高に告げ、政宗は素早く立ち上がるや障子を、ぴしゃり、と閉ざした。満足そうな顔で振り返った政宗を見上げる小十郎は困惑顔で、「わけがわからねぇってツラだな」と政宗は、くつくつ、と喉を鳴らす。
    「一体、なにがどうなっているのですか」
    「ま、これからじっくりとっくり教えてやるから覚悟しろ」
     にぃ、と口端を吊り上げた、ある意味見慣れてしまった人の悪い笑みに、小十郎の眉間に隠すことなく深いしわが刻まれる。
     それでも伸びてきた手を好きにさせているのは、自身に覚えがなくともなにか迷惑を掛けたと薄々感づいているからだ。
     するり、と頬の傷を親指の腹でなぞり、掌全体で顔の輪郭を包む。自然に瞼を落とした小十郎に薄く笑み、政宗は相手の下唇を柔く食んだ。ふ……、と漏れた息に更に目を細め、肩に掛けた手に軽く体重をかければ、小十郎の身体は抗うことなく沈み込む。
     胸元を曝き着物を乱しても制止の声は上がらず、政宗は露わになった肌に唇を寄せ、指先でも確かめるように傷をひとつひとつ辿っていく。
    「いつもいつも、よくも飽きもせず……」
     呆れとも感心ともつかぬ吐息混じりの言葉に気を悪くした様子もなく、政宗は一際目立つ脇腹の大きな傷に歯を立ててから、くつり、と喉を震わせた。
    「そりゃ、お前が俺のモンだって証だからな」
    「誠に酔狂なお方だ」
     さらり、と政宗の髪を梳きながら小十郎が眦を下げれば、まるでそれが見えているかのように政宗も上機嫌な猫の子のように目を細めたのだった。

    ■   ■   ■

    「片倉の旦那も元に戻って大団円といきたいところなんですけどねぇ」
     苦り切った顔で口を開く佐助を前に、政宗は脇息に凭れ面倒臭そうに煙管を吹かし、小十郎は「すまねぇ」と頭を垂れたまま微動だにしない。
    「佐助、腹が減った」
    「あー、今ちょっと大事な話をしてるからもう少し待っててちょうだいよ、弁丸様」
     すぐ済むからね、と宥めれば、そうか、と素直に頷き、来たとき同様音も立てずに部屋を出て行った幸村の背中を見送った佐助は、がくり、と肩を落とした。
    「これは……さすがの俺様も予想外でしてね」
    「本当にすまねぇ」
    「ガキの頃の方がおとなしいとか、育て方間違ったんじゃねぇのか」
     庭先に転がっていた幸村を佐助が回収したときには既に『中身は十歳の弁丸』になっていたわけで。
    「目が覚めて開口一番『一気に老けたがどうした』を聞かされた俺様の気持ちわかる? 変化の術の練習でーす、で誤魔化した俺様の気持ちわかる!? ねぇ竜の旦那!?」
    「それは……ご愁傷様だな」
     詰め寄ってきた佐助から顔を背け政宗が投げやりに返せば、隣から間髪入れずに「すまねぇ、本当にすまねぇ」と右目が詫びを入れてくる。
    「とにかく、旦那が元に戻るまで協力してよね」
    「出来る限りのことはする」
     政宗が答える前に小十郎は大きく頷き「そういうことですので」と主に真顔を向ける。
    「この件は小十郎にお任せあれ。政宗様は城へお戻りになられよ」
    「What!? なんの冗談だ小十郎」
    「冗談ではございません。随分とこちらへおりましたから政務も溜まっておりましょう。お戻りください」
    「片倉の旦那が居てくれれば心強いねぇ。よろしく頼むよ」
     畳み掛けるように佐助が言葉を継げば政宗が口を挟む余地はなく、なし崩しに話は纏まってしまったのだった。
    「真田になにか作ってやるか」
    「じゃあ、お願いしちゃおうかな。旦那と仲良くなるには食べ物あげるのが手っ取り早いからねぇ」
     あはは、と本当か冗談かわからぬことを口にする佐助に、任せておけ、と頷いて、小十郎は厨へと向かう。
     にこやかにそれを見送った佐助だが、正面から寄越される剣呑な眼差しに面倒臭そうな顔を隠そうともしない。
    「独眼竜が居ると弁丸様の教育によろしくないから、ほんと、とっとと帰ってよね」
     ここに居たら朝夕問わず右目の旦那とイチャつく気満々なんでしょ、とずばり言い当てられ、政宗は「この猿いつかマジ殺す」と心に誓ったのだった。

    ■   ■   ■

     幸いにも幸村は三日ほどで元に戻り、政宗の緒が切れる前に小十郎は城に戻ったのだが、相も変わらぬガードの硬さに、記憶を失っていた時のしおらしい小十郎をたまに思い出し、政宗は、そっ、と涙するのだった。

    【了】
    茶田智吉 Link Message Mute
    2018/07/30 5:24:36

    【BSR】右目が記憶を無くしまして

    #戦国BASARA #伊達政宗 #片倉小十郎 #真田幸村 #猿飛佐助 #政小 #腐向け ##BASARA ##同人誌再録
    同人誌再録。
    (約2万2千字)

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