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    【鋼】憂える火焔魔人汝がもし望むのならば、その名を呼ぶがいい
    汝がもし欲するのならば、受け入れるがいい
    焔を纏いしその者は、七日で世界を焼き尽くす


     カウンターを挟んでさし向かいに立つ男にフュリーが「紹介料がコレで、えーと仲介料もかかりますから、合計でこうなりますね」と、パチパチ、と算盤で弾き出した額を示す。それを見た男は驚きのあまり、一瞬、固まった。
    「ちょ、ちょっと待ってくれよ! そりゃいくらなんでも高いんじゃねぇか?」
     はっ、と夢から醒めたように気を取り直すと、男は身を乗り出して、ずいっ、とフュリーに詰め寄る。だが、人相の宜しくない男に言い募られても、フュリーは僅かに首を傾げ、
    「そう言われましてもランクと日数を考えると、どうしてもこれ以上は下げられないんですよ」
     と眉を八の字に寄せ、心底困ったように苦笑するだけである。そんな彼を与し易しと見て取ったか、男は更に、それこそ息もかからんという位置まで、ずいっ、と身を乗り出すと「なぁ、兄ちゃん」と脅すような低い声を出した。
    「こっちが下手に出てるうちにいい返事をした方が、お互いのためだと思わねぇか?」
    「はぁ、僕としては提示額をお支払い頂ければ言うことないんですが」
     動じた様子もなく、けろり、と言い返すフュリーの後ろから、不意に「そーそー。なんだったら奥で話する?」と第三者の声がした。
    「困るんだよねー。コッチは善良な一般市民用の受付で、アンタみたいなのはアッチだっつーの」
     ハボックが剣呑な笑みを浮かべつつ、銜え煙草を、ぷらぷら、させながら、クイッ、と親指で奥を指し示せば、薄く開いた扉の隙間から、じっ、と様子を窺うようなファルマンの糸目がそこにあった。まさかこうなるとは思ってもいなかったのか、ガタイの良いハボックが現れた時点で男は顔面蒼白である。
    「一名様ご案内だ」
     ハボックの言葉を受け進み出たファルマンは、無表情のまま男の腕を取り、有無を言わさず奥へと引きずっていったのだった。
    「全く、ヨソと一緒にされたら困るっつーの」
    「見ない顔ですから、この街に来たばかりなんじゃないですか。それじゃわかりませんよ」
     ファルマンと共に男が消えた扉を見やりながら、呆れたように零すハボックにフュリーが言葉を返す。その返答になにを思ったのか、ハボックはしばし相手の顔を凝視した後、深々と溜め息をついた。
    「……そうだよなぁ。いかにもカモって下さいと言わんばかりのこんな人の良さそうな受付、ヨソじゃ置かないよなぁ。あのおっさんが調子乗っちゃったのも仕方ないか」
    「カモって……」
     ハボックの言い様にフュリーは苦笑するしかない。


     仮にも此処は盗賊ギルドである。盗賊と言えば闇の稼業。普通、ひっそりと人目に付かぬよう地下に潜っているものだ。だが、此処――東方ギルドは違った。
     現在のギルドマスターの意向で、冒険者のみならず一般人にも門扉が開かれているのである。その為、一般人用と裏のお仕事用に窓口が分けられており、一般人用は犬探しから人探し、屋根の修理や荷物持ちといった所謂『なんでも屋』で、訪れる者も老若男女様々である。そんなところに強面のお兄さんを置いては、依頼者はビビって即座に回れ右してしまうだろう。そうならないために比較的温厚そうなフュリーが、一般窓口を受け持っているのであった。
    「暗殺やらなんやら、そんな高額な仕事が、ほいほい、飛び込んでくるわけがないだろう? それに、有事の際には一般の方々の協力が不可欠だからな」
     というのがギルドマスターの言い分である。
     持ち込まれる依頼遂行以外にもキチンと収入源はあるので詭弁と言えば詭弁だが、確かに一般人を味方につけておけば、有利なことには違いない。情報はどこから得られるかわからないのだから。
     そして、東方ギルドは治安維持にも一役買っていた。闇から闇へ流れる品は麻薬が定番品だが、麻薬の類は一切許していない。密売や闇取引などがあろうものなら、どこで情報を得るのか的確に現場を押さえ、鮮やかな手際で没収していく。当然、ブローカーには制裁付だ。
    「殺しはいいが薬はダメだ」
     とはギルドマスターの弁。世間一般では殺しもダメなのだが、敢えてそのことに触れる者はここにはいない。
     街への人の流入にも目を光らせており、厄介事を引き起こしそうな者には先手を打つ。かといって憲兵と仲が良いかというと、それはそれで別の話である。
     このような地道な努力が実り、現在はオープンな盗賊ギルドとして街の者との関係も良好である。ただしオープンなのは目に見える極一部のみなのだが。


     受付でふたりが溜め息をついたり苦笑いをしている頃、隣接しているギルド直営の故買屋の扉をくぐった者が居た。
     輝く金の髪を後ろで一本の三つ編みにした、まだ少年と言っていい顔立ちの客を目に留めた瞬間、店番をしていた者はなにを感じ取ったのか僅かに眉を寄せたが、瞬き一つしない間に愛想の良い笑みを浮かべて見せた。その笑みが少々、胡散臭く見えるのが玉に瑕であるが。
    「いらっしゃい」
    「ここ、買い取りもやってるんだろ?」
    「えぇ、生活雑貨からいわく付きの品まで、なんでも扱ってますとも」
     こちらを訪れるのは大半が冒険者である。迷宮や遺跡、旅の途中で手に入れた武器や防具、装飾品などを路銀の足しにと売りに来るのだ。中には魔力の付与された物もあり、この店ではそれらの鑑定もできるので、冒険者間では重宝されている。
     店番は柔らかな物腰ではあるが、その眼だけは油断無く光っている。このテの商売をやっている以上、相手が子供とは言え初対面の者に気を許すのは、愚か者のすることである。それがわかっているのか少年は眇めた目で鼻を鳴らしてから、背負ってきた袋を、どさり、と降ろした。
    「じゃあ頼むわ」
     がしゃがしゃ、と乱雑にカウンターへ置かれる刀剣類、装飾品類を前に、店員が、すっ、と眼を細める。正確には袋から品物を取り出している、客の手を見て、だ。
    『籠手……いや、違うな。鋼の義手か。呪いの匂いも少々……ふむ……。そう言えば近場に巣くっていた山賊のアジトが半壊したと報告があったな』
     顎に手をやって、小さく頷いてからおもむろに口を開く。
    「一人旅かね?」
     この世界、あれこれ詮索するのはマナー違反である。不躾な言葉に少年はあからさまに、むっ、とした口調で「関係ねぇだろ」と返せば、無礼を働いた男はあっさりと頭を下げた。
    「まぁ、そうだな。うん。すまなかった」
     そう言ってからずれたターバンを巻き直し、ルーペ片手に片っ端から鑑定を始める。大半はルーペすら使わずに一瞥くれただけで終わらせているのだが。
    「どういう基準で分けてんだ、これ?」
     乱雑に積み上げられていた一つの山がいくつかの山に分けられたのだが、ろくすっぽ調べずに分けられたのが不安になったのか、少年は聞かずにはいられないようだ。
    「ガラクタ、それなりに良質なもの、魔力付与されてるもの、だ」
    「見ただけでわかるのかよ」
    「あぁ、わかるよ」
     短刀の刀身に刻まれた文字とも文様ともつかぬものを、ルーペで子細に調べながら言い切った店員のあまりにも堂々とした様に、客は口を噤むしかない。詐欺紛いのことをすればその噂は、あっという間に冒険者間に広まるからだ。人の噂ほど恐ろしいものはない。
    「私にはね、わかるんだよ」
     重ねられた意味深な言葉の真意を問うことが出来ず、居心地悪そうに少年は足を踏み変えた。
     真剣な面持ちでルーペを覗き込んでいる店員をしばらく、じっ、と見ていたが、ややあって少年が口を開いた。
    「なぁ、『賢者の石』の情報、なにかない?」
    「情報が欲しければ隣で情報料を払って……と言いたいところだが」
     懐にルーペをしまい込みながら顔を上げた店員は、対面にいる少年の顔を見て薄く笑う。
    「なかなかのモノを持ってきてくれたからな」
     そう言うと卓上のベルを一叩きした。ティーン、と店内に響いた音が消えぬ間に、奥の扉から一人の女性が姿を現す。
    「お呼びですか?」
    「しばらく店番を頼む」
    「マスターはどちらへ?」
    「うん? ちょっと隣にね」
    「わかりました」
     きっちりと結い上げられた髪が物語るように、女性は非常にキビキビとした動作で鑑定済みの品物を手際よく片付け始めた。
    「そっちのガラクタは叩き売って構わん。場所ばかり取るから……あぁ、確か憲兵が訓練用に刀剣を欲しがっていたな」
    「では、検品後、納品の手はずを整えます。どうせ『使えるか、使えないか』だけしか見ていないのでしょうから」
     全く持ってその通りであるがいつものことなのか、彼は悪びれた様子もなく、サラリ、と「では、頼むよ」と告げると、カウンター前でふたりのやり取りを黙って見ていた少年の肩を、ぽん、と叩いてから「着いて来なさい」と踵を返した。


     店主に連れられて少年は薄暗い廊下を行く。これが店とギルドを繋ぐ通路であることは、容易に想像が付いた。
     辺りを窺うように視線を走らせている少年に気づかれないよう、店主は薄く笑みを浮かべる。
    『用心深いことだ』
     いざというときのための脱出経路を模索しているのだろう。表からならいざ知らず、裏からひっそり通されては、彼がここに居ることに誰も気づかない。このまま奥で始末されようものなら、自力で逃げるしかないのである。そのような最悪の場合を想定して動ける辺り、この少年は相当場数を踏んでいると想像できた。
    「名前は?」
     振り返りもせず店主は問いかける。
    「……エルリック」
    「ほぅ、エルリック兄弟の片割れか。なるほど。私は……ロイと、そう呼んでくれ」
    「いきなりファーストネームかよ……」
     名を聞いてなにかを確信した響きを含むその声音も気になったが、いい年した大人がファーストネームしか告げないという現実に、少年――エドワードは脱力した。ツッコミの声も弱々しい少年を無視し、黒髪の店主は手近な扉を、ゴツゴツ、とノックした。
    「ファルマン、ファルマンは居るか」
    「おりますが、お客さんのお相手をしています」
    「客?」
     ピクリ、と眉を上げ、ロイは客が居るというにも関わらず、遠慮なく扉を開け放った。室内を一瞥し、ファルマンの向かいに座っている男を一瞬で品定めしたか、興味なさそうに視線を反らすと、ファルマンに立つよう身振りで示す。
    「そんなヤツはブレダにでも任せろ。お前は私と来い」
    「ブレダに…ですか?」
    「そうだ。行くぞ」
     受付でのやり取りを知るはずのないロイだが、その判断は正しいとファルマンは素直に席を立った。取り残された男が文句でも言おうとしたのか口を開きかけたが、扉が閉まる寸前に垣間見えたロイの眼差しに射竦められたのか、その動きが止まった。
     男以上に驚いたのはエドワードである。客を客とも思わぬ扱いに「ここ大丈夫なのかよ……」と、先を行くロイの背を見つめて僅かに眉を寄せるも、口にすることはしない。下手なことを言って情報が得られなくなるのは、真っ平御免であるからだ。
     ちなみに部屋に残された男は、後程現れたブレダに、ぺいっ、とつまみ出されたのだった。


     別室へと向かう途中、牛乳瓶片手に弱り切った顔をしたハボックと行き会った。
    「どうしました?」
    「どうもこうも……厄介な依頼持ってこられて、あっちで奮闘中だ」
     声を掛けてきたファルマンにハボックが、くぃ、と首で指し示した扉の先は一般用の受付で。「またですか?」と低く唸ったファルマンにハボックは「今度は悪気がないからタチ悪い」と零し、盛大に溜め息をついた。
    「厄介とはどういうことだ?」
     揉め事は困る、と言外に告げるロイに、ハボックは更にげんなりした様子で説明を始めた。
    「猫の飼い主探しなんスよ。ペット探しなら今までも請け負いましたがね、飼い主探しとなると、見つかるまでウチで世話しなきゃならんでしょ? 見つかるとも限らないし、その間の費用も莫迦にならないから無理だって言ったんですがね。なんでも『自分は旅の途中で飼い主を探してあげられないからどうしても』って、引き下がってくれなくて」
    「で、その牛乳はなんだ」
    「その猫が腹すせて、ミーミー、うっさいんですよ」
     ぶっきらぼうな口調ではあるが本気でそう思っているわけではないのは、その細められた目を見れば一目瞭然で。動物好きなフュリーも「可哀想だから」とでも言ったに違いない。
    「なぁ、その猫持ってきたのってどんなヤツだ?」
     大人達の会話を黙って聞いていたエドワードだが、その中でなにか引っかかる単語があったのか、非常に渋い顔でハボックに問いかける。
    「どんなって、デカイ鎧の……」
     それだけ聞けばエドワードには充分だった。
    「アルーッ!」
     吼えながら、ダッ、と走り出し、周りが止める間もなく扉を、バンッ! と乱暴に開け放つとロビーへと飛び出した。
    「おっまえ、また猫拾ったな!」
    「うわッ、に…兄さんッッ!」
     突然のことに逃げることも叶わず、猫を抱えた大きな鎧はその場に立ち尽くすしかない。
    「行く先々で何度も拾って、その度に周りに迷惑かけて!何度言ったらわかるんだッ!!」
    「で、でも、こんなに小さいのに……」
     しゅん、と項垂れてしまった鎧の腕の中で、仔猫が小さく、みゃぁ、と鳴いた。
     その腕から、すっ、と仔猫を抜き取ったのはロイ。
    「ハボック、さっさと牛乳をやったらどうだ」
    「yes,sir」
     仔猫を抱えて奥へと引っ込んだハボックの背中を、呆然と見送っていたエルリック兄弟にも奥へ来るようにと促し、ロイは再び先に立って歩き出した。
    「君達の噂は聞いているよ。君はアルフォンス君だね」
    「はい」
     薄暗い廊下を進みながら、チラリ、と肩越しに振り返ったロイの目が、鎧の弟を捉え、細められる。
    「呪いの匂いがするな。その中はカラっぽなんじゃないか?」
    「……ッ!」
     鎧に表情はないが明らかに動揺した空気が、ロイに伝わってくる。
    「兄の方も魔力と……僅かに呪いの匂いがする。まぁ、魔力の方はその義手を動かす為に、付与されたものだろうがね」
    「……アンタ、どこまで知ってるんだ……?」
     一気に警戒心の膨れ上がったエドワードに、ロイは飄々とした笑みを返すだけだ。
    「さぁね。あくまでも噂の域を出ていないのは確かかな。でも君達は目立つからな。それにやることがいちいち派手だ」
     彼らの目的は知らずともロイの言葉通り、彼らの行動は行く先々で語り継がれるほどに、派手なものが多いことも事実であった。
    「噂ってなんだよ」
    「手当たり次第に山賊や地下組織のアジトを潰していけば、噂にもなる」
    「手当たり次第ってわけじゃ……」
     勢い良く反論しかけたエドワードの言葉が尻つぼみになる。これ以上喋っては相手の思う壷であると気が付いたようだ。そんな彼に肩を竦めてから、ロイは扉を開いた。中では先に来ていたファルマンが、卓上になにか広げているところであった。
    「さて、『賢者の石』の情報だったな」
     室内に入ったふたりが粗末な椅子に腰を降ろしたのを見届けてから、己自身は立ったままロイが口を開く。
    「ファルマン、なにか聞いているか?」
    「最新の情報は三日前のものになりますが」
     そう言い置いて卓上に広げられた地図を、すっ、と指差した。
    「この街の東にある遺跡に居を構えている山賊の……」
    「あー、それでは空振りだな。そこなら既に彼らが潰してきた」
     ファルマンの隣で地図を覗き込んでいたロイの言葉に、弾かれたようにエドワードが顔を上げた。彼は誰にもそのことは一言も漏らしていなかったにも関わらず、ロイはまるで見てきたかのように言い放ったからだ。
    「先程、持ち込んだ品は戦利品であろう? ん?」
     ぐぅ、と言葉に詰まった兄に代わって弟が「はい」と頷く。
    「『此処まで来て手ぶらで帰れるかーッ!』って大暴れして。まぁ、いつものことなんですけど」
    「余計なこと言うな」
     ぶすくれた表情のまま、エドワードは机に肘を突き、そっぽを向いた。
    「それ以外に情報はないのかね?」
    「ありませんね」
     情報収集能力に長けているファルマンにこう、あっさり、と返されては、ロイにはこれ以上どうしようもない。
    「だ、そうだ」
    「あー、くそ。また手がかりが無くなった」
     一縷の望みをかけていただけに、その落胆ぶりは筆舌に尽くしがたいものがある。さて、これからどうしようか、と身の振り方を考え始めたエドワードに向かって、ロイが声を掛けてきた。
    「君が暴れまくった山賊のアジトだが、どの辺りまで破壊したのかね?」
    「破壊って言うな。根城にしてた建物の極一部がちょっと崩れただけだよ」
     エドワードの反論を聞いているのかいないのか、ロイは顎に手を当て、少々、考え込むように目を眇め、床の一点を凝視している。
    「どうだろう? ちょっと仕事をしないか?」
    「はぁ?」
     唐突なロイの言葉にエドワードは「ナニ言い出すんだ、この人は」と言わんばかりの声と表情で返す。
    「君が破壊した……もとい、ちょっと壊してしまった山賊のアジトは、未調査の古代遺跡なんだ。調査する前に奴らが住み着いてしまってね。どうしたものかと思っていたんだよ」
    「つまりは、その遺跡を調べて来いと、そういうことか?」
    「いや、調べるのは私だよ。手伝い兼、護衛として着いてきて欲しい」
     ただの遺跡探索ならいいかと思っていたエドワードだったが、ロイも来ると聞いてあからさまに嫌そうな顔をした。
    「故買屋のアンタ連れて遺跡探索~? どう考えても足手まといなんだけど」
     その台詞に何故かファルマンが「ひ…っ!」と小さく息を飲んだが、エドワードは気が付いていない。
    「まぁ、そう言ってくれるな。護衛の仕事はしたことあるだろう?」
     エドワードの「足手まとい」発言を、サラリ、と流し、ロイは、はっはっはっ、と笑った。
    「それに私の仕事の手伝いをしている間に『賢者の石』の情報も集まるだろうし、もしかしたら遺跡内部で発見……なんてこともありうるわけだ」
     口調そのものは軽いものであったが、その目は一瞬、エドワードを探るように細められた。この少年がここでどう出るか、それを試しているのだと気づいたファルマンは、他の者に気づかれないよう、そっ、と溜め息を逃がした。
    「遺跡で見つけたらくれるのかよ?」
     物怖じすることなく、ズバリ、言ってきたエドワードに、ファルマンはあんぐりと口を開け、ロイは愉快そうに、だが満足そうに、くつくつ、と喉を鳴らした。
    「いくらなんでも仕事の報酬としては破格すぎるな。『ユニコーンの角』以上に希少価値が高いことは知っているだろう? そうだな、多少、勉強はしてあげることにしよう」
    「見つからなかったら、ちゃんと別の報酬くれよな」
    「わかった、わかった。しっかり働いてくれたまえよ」
     交渉成立だ、とロイが、ぽん、と手を打ったのと、今の今まで黙っていたアルフォンスが「あ」と声を上げたのはほぼ同時だった。
    「そう言えば紹介状を書いて貰っていたんです」
     ごそ、と腰のポーチを探る弟を見てやっと思い出したのか、エドワードも「あ」と声を上げた。
    「これなんですけど……」
     そう言って差し出されたのは、無造作に折り畳まれた、メモとしか言い様のない紙切れ。世間一般でいうものとは明らかにかけ離れたそれに、差し出した本人が一番戸惑っているのがその声音から、ヒシヒシ、と伝わってくる。だが、誰からのモノか見当が付いているのか、ロイは訝ることなくそれを受け取った。突き返されることを覚悟していたアルフォンスは、安堵の息をつきつつ、隣の兄を見て「えへへ」と笑った。
     ファルマンと共にその紹介状を一通り検分した後、ロイは「ふむ」と一声漏らし、兄弟に向かって頭を巡らせた。
    「ヒューズはなんと言っていた?」
    「え? えーと……」
     唐突なロイの問いかけにアルフォンスは即座に返答できず、その時のことを思い出そうとしているのか、僅かに顔を上方へ向けている。
    「『ギルドマスターに渡せば、いいように取り計らってくれるだろうよ。そうそう。ウチのエリシアちゃんだけどな……』」
    「いや、いい。わかった」
     口調をしっかり真似て、その時の台詞を再現し始めたエドワードを、ロイは、げんなり、といった様相で遮った。
    「間違いないですね」
    「あぁ」
     ファルマンに、こっそり、と耳打ちされ、ロイは僅かに頷いてみせる。メモには日付とヒューズの署名、そして簡単に「もてなしてやれ」とだけ書かれていたのだった。形式張った書面では偽造されやすい、というのがヒューズの言い分である。
    「どういった経緯でヤツと関わったかは知らないが、紹介された以上、力になってやらんとな」
     ヒューズはここ東方から中央へと、家族旅行と見せかけて(彼からすれば家族旅行が本命であろうが)情報収集に赴いているギルドマスターの腹心の一人である。ちなみに三日前に送られてきた賢者の石の情報も、彼からの報である。
    「宿の手配は済んでいるのかね?」
    「いえ、まだですが。あ、あの、それ……ギルドマスターに見せなくていいんですか?」
     もっともな質問をぶつけられ、ロイとファルマンは数回、目を瞬かせ、お互い顔を見合わせた後、ロイが胡散臭い笑顔と共に口を開いた。
    「大丈夫、君達はなにも心配することはない」
     なにか言いたげなファルマンそっちのけで、はっはっはっ、と無駄に愛想が良いロイに突っ込む勇気は、エドワードもアルフォンスも持ち合わせてはいなかった。
     話も一段落つき、「では部屋の手配を……」と言いかけたロイの口を遮ったのは、軽いノックの音。一呼吸後に顔を見せたのは先程、ロイと店番を代わった女性であった。
    「よろしいですか?」
    「うん? どうかしたか」
    「マスターに連絡が入っております」
    「そうか。ではファルマン、ふたりを貴賓室へ……あ、いや、ホークアイ、君に頼もうか」
     ホークアイに向けていた顔をファルマンへ向けたかと思いきや、即座にホークアイへと戻し指示を変更する。急なことであるにも関わらず、ホークアイは静かに「わかりました」と応えると室内へ足を踏み入れた。
    「ファルマンは私と来い」
    「はい」
     テキパキ、と事を進めていく姿は非常に有能そうなのだが、エドワードはずっと気になっていることがあった。
    「なぁ、故買屋の主人のクセに、なんでそんなエラそうなんだ、アンタ?」
    「故買屋の……?」
     不思議そうに呟いたホークアイをさりげなく制し、ロイは兄弟に向かって薄く笑って見せる。
    「実際、偉いんだよ」
     確かにとんでもない鑑定能力は有しているようだが、だからといってエドワードの中ではそれが即「偉い」ことには繋がらない。しかし、納得は出来なくともここまで自信たっぷりに返されては、反論どころか阿呆のように口を開けるしかできないのが実状である。
    「では行きましょうか」
     恐らく呆れからであろう、言葉無く固まっているエドワードを見かねたか、案内をしようとホークアイが兄弟を促した声に外からの鐘の音が被った。瞬間、アルフォンスは慌てたように辺りを見回し始めたが、この部屋には窓がないため外の様子は分からない。
    「あ、あの! この鐘は……」
    「時報よ。五つ鳴ったから五時ね」
     いきなり落ち着きの無くなったアルフォンスに「どうしたの?」と問う前に、視界の隅でエドワードも、そわそわ、し始めたことに気付き、ホークアイは思わず眉を寄せる。
    「この街の日没って何時ですか?」
    「そうね、六時くらいかしら?」
    「そ、そうですか!」
    「じゃ、早いトコ、貴賓室とやらに案内してもらおっかなー! 急に旅の疲れが出て大変だ!!」
     不自然極まりない行動ではあったがロイ達がそれを言及する間もなく、エドワードはホークアイの背を押すようにして、逃げるようにとっとと退室したのだった。
    「……なんだと思う?」
    「さぁ? 人には触れられたくない秘密が、ひとつやふたつはありますからねぇ」
     残されたふたりは閉じられた扉を見ながら、それぞれ零し、同時に肩を竦めた。


     通信室に来たロイは、背後にファルマンを立たせたまま鏡の前に腰掛けると、そこに映っている自分ではない男に話しかけた。
    「エルリック兄弟が来たぞ」
    「だろうと思って、こうして連絡入れたワケよ」
     ヒューズが、かかか、と笑うのに合わせて彼の姿が、ぐらぐら、と揺れる。どうやら向こうは固定された鏡ではなく、手鏡を使っているようだ。このまま揺れた画面を見せられては気分が悪くなりそうだと、ロイは軽く瞼を伏せると短く嘆息した。
    「お前、彼らにも『賢者の石』の情報、流したな?」
     まったくお前ってヤツは、とぼやいたロイに向かってヒューズは、ニヤリ、と口角を上げて見せる。
    「あの山賊共にまで手が回らないと、いつもぼやいてたろ?」
    「そんなことだろうと思ったがな。それより、なにか目新しい情報はないのか?」
    「あぁ、今度の競売に『ユニコーンの角』と『猿の手』が出るぞ」
    「猿の手ぇッ? そんなリスクのデカイモノに金が出せるか!」
     ぎょっ、とした面持ちで大口開けて「却下だ、却下ッ!」と語気を荒げるロイの反応など予測済みであったか、ヒューズは、しれっ、と言葉を続けた。
    「そう言うだろうと思った。とりあえず角だけ落として来るが、一応予算の方を聞いておこうと思ってな」
    「愚問だな」
    「……だな」
     ロイは、ふん、とふんぞり返って、にやり、と笑い、ヒューズも片眉を上げる。有益であると判断したモノには、いくらでも注ぎ込むのがロイのやり方である。逆に無益なモノには、ビタ一文払わないのだが。
    「他にも面白そうなモノがあったら落として構わんぞ」
     ヒューズは掘り出し物を競り落としてくるのが非常に巧みである。それ故に己では行けない遠方の競売には、必ずヒューズを行かせるのだ。
    「仰せのままに、マスター。そうそう、それはさておき、ウチのエリシアちゃんだけどな……」
    「魔力が勿体ないから切るぞ」
     相手の返答を聞かず、ロイは一方的にスイッチを切った。
    「通信機も転送機も、そろそろ充電が必要だな」
    「そうですね。では明日にでも魔術師ギルドへ行ってきましょう」
    「あぁ、頼む」
     古代遺跡で発見された魔導機は便利であるが、現在の魔術師ギルドの技術では、複製も作れないのが現状である。かろうじて動力だけは判明しているので、壊れない限り使い続けることは可能であるが。
    「では私は戻るが、なにかあったら呼んでくれ」
    「わかりました……」
     席をファルマンに譲りロイは扉へ向かいかけたが、相手のなにか言いたげな様子に気付き、その足を止めた。
    「どうした?」
     ロイに促されるもファルマンは、なかなか口を開こうとはしない。ロイもある程度は黙って待つが、それ以上は時間の無駄だと背を向けることを重々承知しているファルマンは、暫し逡巡した後、ようやっとその重たい口を開いた。
    「遺跡調査の件ですが、本当にあの子とふたりだけで行かれるのですか?」
    「あぁ。内部がどのような状況かわからないからな。まずは下見といったところだ」
    「ですが……貴方になにかあったら……」
    「心配には及ばん」
     大丈夫だとそう言い切れる確証はなにひとつとしてないのだが、だからといって他の者に任せるのは、ロイの性に合わない。
    「通常の罠の解除、回避は皆出来るが、魔法が絡むとサッパリだろう? その為に高い金を払って何人も冒険者を雇うのも莫迦らしいからな」
     この話はこれでお終いだと言うように、ロイは手を、ひらひら、させ、踵を返した。


     ロイとエドワードが遺跡調査を始めて三日が経った頃、東方ギルドにはある噂が流れていた。
    「ぜ、絶対、オバケですよ~」
    「遙か蓬莱国には『座敷わらし』という、こどもの物の怪が居るそうですよ」
    「うわぁーんっ! やっぱりオバケなんじゃないですかー!!」
     通信室の隅っこで珈琲片手に頭を突き合わせて、ぼそぼそ、やっているのは、フュリーにファルマン、ハボックである。
    「あー、『座敷わらし』って確か、居るとその家が栄えるって言われてたよなぁ?」
     そのハボックの台詞に半泣きだったフュリーが、恐る恐る、といった体で相手を窺い見る。
    「こわくないオバケなんですか……?」
    「さぁなぁ?」
    「ひーん!」
     顔面蒼白で、ぶるぶる、震えているフュリーが少々気の毒になったのか、ファルマンが軽くハボックを窘める。
    「それくらいにして差し上げたらいかがです?」
    「んだよ、物の怪って言い出したのはお前だろうに」
    「物の怪?」
     予期せぬ第三者の声に三人は、それこそ飛び上がらんばかりに驚き、珈琲を零しかけた。ぎぎっ、と音がしそうな固い動きで振り返れば、そこには少々、砂や埃にまみれたロイの姿があった。
    「お、お帰りなさいマスター。今日は随分と早かったっスね」
    「あぁ、興味深いモノが手に入ったからな。ちょっと解読してみたかったので切り上げてきた」
     そう言ってロイは手にしていた書物を軽く掲げて見せた。保存状態は良好とは言い難いが、読む分には差し支えない程度の傷みである。
    「それで、物の怪とはなんのことだ?」
    「あ、あぁ、その、二、三日前から出るんスよ」
    「こどものオバケです~」
    「何人も目撃しておりまして、現在、ちょっとした噂になってます」
    「オバケぇ~?」
     明らかに信じていない口調で反芻した途端、ものすごい勢いでフュリーに「僕も足音聞いてるんですッ!」と縋らんばかりに詰め寄られ、ロイは「わかった、わかった!」と居住まいを正した。
    「目撃者の話をまとめると、金髪の少年ということです。初めはあの子、エドワードかと思ったのですが、よくよく聞いてみると短髪だということで、彼ではないと判明してます」
    「いつも貴賓室の辺りで居なくなるらしいんス。あそこ、今は改装して貴賓室になってるけど、元は拷問部屋じゃないですか。なもんだから噂に尾鰭がついて、収集つかなくなりそうスよ」
     ロイは何度も「くだらん」と口をついて出そうになったが、三人の余りにも真剣な様子に、話が進むにつれ笑い飛ばすわけにはいかないと悟ったのだった。
    「コレと言った被害は出ていないのだろう?」
    「出てませんが、皆気味悪がってですね……」
     ファルマンの視線の先を辿れば、なるほど。一番こわがって仕事にならないのは言わずもがな。
     はぁ、と嘆息し、ロイは半眼で三人を見回した。
    「出るのは夜なのだろう? だったら昼間くらいは働け」
     もっともな指摘を受け、三人はこれ以上何か言われる前に、いそいそ、と仕事に戻ったのだった。
     まったく、と漏らしつつロイは通信室を後にし、エドワードの居る貴賓室へと向かう。コツコツ、とノックをし、待つこと暫し。
    「はい?」
     それに応えたのはアルフォンスだった。開かれた扉の隙間から素早く室内を探れば兄の姿はなく、ベッド脇には彼の装備が脱ぎ散らかされたままになっている。
    「エドワード君は……あぁ、風呂か」
     僅かに聞こえる水音にロイが確認するようにアルフォンスを見上げれば、「そうです」と肯定の言葉が返された。
    「明日の調査は休みだと伝えてくれ。ゆっくり身体を休めるといい」
    「わかりました」
     伝えるべき事を伝え、背を向けたロイが不意に振り返った。
    「ここ数日、夜中に怪しい足音などは聞いていないかい?」
    「足音……? いいえ?」
    「そうか、ならいい」
     理由も言われずにそのようなことを聞かれれば、誰でも不安になるもので。ご多分に漏れずアルフォンスも一気に不安が高まったのだが、鎧では困惑の表情すら作れず、ロイも気づかないまま歩き去ってしまったのだった。
    「アル? どうした?」
     タオルで頭を、わしゃわしゃ、と掻き回しながら部屋に戻って来たエドワードが、入り口に立ち尽くしているアルフォンスに気付き、訝しげな声を上げた。
    「あ、うん。今ロイさんが来て、明日の調査はお休みだって」
    「そか。なんかイイモン見つけたらしくて、気味が悪いくらい上機嫌だったもんな」
     その時のことを思い出したのか、眉間にしわを寄せて、ぶるり、と身震いして見せた兄に苦笑しつつ、アルフォンスは「ねぇ、兄さん」と窺うような声を出した。
    「夜中に怪しい足音なんか聞いたことある?」
    「足音ぉ? いや、気が付かなかったなぁ。なんかあったのか?」
    「ロイさんに聞かれたんだ」
    「なんだ、スパイでも潜入したか? 物騒だなぁ。出るときは気を付けろよ、アル」
     衣服を身につけながらエドワードは未だ入り口に立ったままの弟に一声掛けると、そのまま、ばったり、とベッドに倒れ込み、三秒も経たないウチに穏やかな寝息を立て始めた。
    「はいはい、わかってますよーだ」
     布団も掛けずに眠ってしまった兄に「お腹壊しても知らないからね」とぼやきながら、そっ、と布団を掛けてやると、アルフォンスは壁際に座り込み、胸パーツを外しながら黙って鐘が六つ鳴るのを待つのだった。


     ランプの炎が、ゆらり、と揺れ、ロイは、はっ、と顔を上げた。卓上に置かれた懐中時計を開き、時刻を確認すれば、当の昔に日付変更線を越えていた。
    「いかん、もうこんな時間か」
     そういえば二時間ほど前に巡回のホークアイに「もう遅いですよ」と声を掛けられた憶えがあるが、その時は生返事を返しただけで、そのまま遺跡から持ち帰った書物に没頭し、今に至るというわけだ。
     ぐー、と伸びをし、コキコキ、と首を鳴らす。「いい加減、休むか」と書物を閉じたのと、廊下に人の気配を感じたのはほぼ同時であった。しかも感じ取ったのは気配だけではない。
    『この匂い……?』
     そっ、と机の引き出しから『暗視』の付与された指輪を取り出し、指にはめる。明かりを落としてから発動言語を口中で唱え、音もなく月の光の届かない薄暗い廊下へと滑り出た。
     耳を澄ませば微かに足音が聞こえる。それも大人の重たい足音ではない。
     こどもだ。
     壁に身を寄せ、すぅっ、と息を吐く。気配を殺し、闇と同化するように心を鎮めていく。
     この建物には至る所に隠し通路があるのだが、目に見える階段は一カ所しかない。そこから来たのならば、戻るにはもう一度此処を通るしかないのだ。
     最上階である此処にはロイの私室と本の詰まった書庫の他、物置と化した部屋がいくつかあるだけだ。私室以外には鍵がかかっているため中には入れず、すぐに引き返してくることは容易に想像できた。ただし、噂通り人間ではないのなら、鍵など役には立たないであろうが。
     曲がり角の向こうから小さな足音が近づいてくる。思い出したようにその音が止まるのは、壁に掛けられた絵画を見ているのか、それとも窓の外を眺めているのか。
     間合いを計るため、ロイは無言でカウントを取り始める。
    『……7…6…5……』
     ひたひた、と最小限の足音がロイの耳に届く。
    『…4…3……』
     ひょこり、と曲がり角から現れた小さな影。短い金髪が背後からの月光に照らされ、鈍く光る。
    『2…1……0』
     ロイのカウントが終わるのと、少年がなにかに気づいたのか、弾かれたように顔を上げたのは同時であった。
     目の前を横切った少年の口を素早く塞ぎ、右腕を背後に捻り上げた状態で、薄く開いた扉の隙間から私室へ滑り込み、扉を背にする。一瞬のことに硬直していた少年の身体が、ここにきてやっと事態を把握したのか、ガタガタ、と震え出す。
     がっちり、と押さえ込まれ振り返ることも、声を出すこともできない少年を見下ろし、ロイは眉を寄せた。
    「こどもが一体どこから、と思っていたのだが……どういうことか説明して貰えるのかな? アルフォンス君?」
     彼を拘束していた腕を解いた途端、アルフォンスはその場に、へたり、と座り込んでしまった。しかも身体の震えは未だおさまっておらず、それどころか大粒の涙を、ぼろぼろ、零しながらしゃくりあげている状態である。これにはさすがのロイも面食らってしまい、無駄にオタオタしつつハンカチを探す始末だ。
    「す、すまなかった。そんなに驚かせてしまったかい?」
     わしゃわしゃ、と乱暴にアルフォンスの顔を拭いながらロイが侘びれば、アルフォンスはつっかえつっかえ、声を押し出した。
    「こ……殺され…るかと思……た」
     捕らえられる刹那、仰ぎ見たロイの表情は、昼間の彼とはまるで別人で……
     そこにあったのは暗殺者の顔であった。
    「……すまなかったね」
     苦いものを口に含んだような表情でそう言うと、ロイはアルフォンスが立ち上がるのに手を貸し、小さなソファへと座らせた。
    「今、なにか温かいモノを作らせるから待っていなさい」
     伝声管の蓋を開け、調理場にいる者に「ホットミルクをひとつ。大至急だ」と告げ、即座に蓋を閉じる。立ったついでに再びランプに明かりを灯してから、未だ鼻を、ぐすぐす、言わせているアルフォンスの正面に座り、ロイはもう一度「すまなかった」と頭を下げた。
    「いえ、勝手に歩き回っていた僕がいけないんです」
     ずび…、と鼻を一啜りし、「ごめんなさい」と俯いたアルフォンスだが、落ち着き無く、ちらちら、とロイを窺っている。
    「あの、どうして僕がアルフォンスだってわかったんですか?」
    「それは……」
     ロイの言葉を遮ったのは、静かな駆動音だった。壁に取り付けられた小さなエレベーターが上ってきたのである。がこん、と扉を開ければカップがひとつ、ちょこん、と鎮座ましましていた。
    「熱いから気を付けたまえ」
     アルフォンスがカップに口を付ける前に促せば、こくん、と小さく頭が振られた。
    「どうしてわかったか、だったね」
    「はい」
     ずずっ、とホットミルクを啜りながら、再度アルフォンスの頭が、こくん、と振られる。
    「同じ呪いの匂いがした」
     大半のことには動じない自信を持っていたロイだが、正直、コレにはさすがに度肝を抜かれた。まさか、鎧から生身へと変身するわけではないだろうが、現状を把握するには情報が少なすぎる。そんなロイの表情から彼がなにを気にかけているのか察したか、アルフォンスは精一杯の明るい声を出して説明を始めた。
    「呪いを受けてるってバレてるんじゃ、隠しても仕方ないですよね。僕の魂は夜明けから日没までは鎧に、日没から夜明けまでは生身の身体に戻るんです。だから、ロイさんに『カラっぽなんじゃないか』って言われたときは、凄く吃驚しました。でも、正確にはカラっぽじゃないんですよ」
     えへへ、と悪戯っぽく笑うアルフォンス。
    「鎧の中に、僕の身体がいつも入ってるんです。野宿の時は問題ないんですけど、街に泊まった時は、宿の人に見つからないようにするのが大変で。食事も兄さんが外で買ってきたのを、部屋で食べるんです」
    「それは……また難儀だな」
    「でも、身体動かさないと筋肉が衰えちゃうでしょ? だから、夜中にこっそり」
     ばつの悪い顔でカップを傾け、再度アルフォンスが困り眉で、えへへ、と笑う。
    「なるほど。そういうことか」
     ここなら普通の宿屋に比べれば、他人と遭遇する確率は確かに低い。そのせいで警戒心が弛んでしまったのだろう。上階へ行けば行くほど人が少なくなるのも、気が弛んだ要因のようだ。
     この少年が出歩くのを禁じる権利は、ロイにはない。だが、今持ち上がっているオバケ騒動を考えると、放って置くわけにも行かない。
    「ふむ……どうしたものかな」
     我知らず零れたロイの呟きに、アルフォンスは瞬時に緊張した面持ちになった。僅かに肩を震わせた彼を視界の隅で確認したロイは、「安心したまえ。君をどうこうしようってわけじゃない」と付け加えた。
    「ただね、困ったことになっているんだ」
    「困ったこと……ですか?」
     怪訝そうに首を傾げたアルフォンスに今の状況を語って聞かせれば、少年は責任を感じてか、しゅん、と項垂れてしまった。
    「かと言って、私には君を束縛する権利はない。でも、騒動が続くのは避けたい。わかるね?」
    「はい」
     普段見せる胡散臭い笑みとは違った柔らかな微笑を浮かべ、ロイはアルフォンスの顔を覗き込んだ。
    「そこでだ。私のお願いを聞いてもらえないだろうか?」
    「なんでしょうか」
    「君がどうしてその呪いを受けたのかは聞かない。だが、信頼の置ける者、数名に君のことを話す。その代わり君が自由に動けるよう、取り計らってあげよう。どうだろうか?」
     お願いと言うより交換条件であるが、強制するつもりはないので、ロイは敢えてお願いと言ったのだった。
     勿論、アルフォンスは拒否することもできる。だが、ここで突っぱねてなにかあった際に詮索されて困るのは、アルフォンス自身とその兄であるエドワードだ。ここは事を荒立てず、内々に処理してくれると言うロイの言葉に甘えるのが得策である。
     エドワードは渋い顔をするだろう。だが、アルフォンスがこの姿で自由に動けるようになれば、彼への負担も減るのは明かだ。
    「わかりました。そうして頂けると僕も…兄さんも助かります」
    「でも、お兄さんはきっと嫌な顔をするだろうね」
     私は嫌われているようだし? と戯けて肩を竦めて見せたロイがおかしくて、アルフォンスは、あはは、と声を出して笑った。
    「うん、やはり笑っている方がいいな」
     不意に伸ばされた手がアルフォンスの髪を、くしゃり、と撫でた。大きな、温かい手に暫し身を委ねていたアルフォンスだったが、ふと、重要なことに気が付いて、まじまじ、とロイの顔を見やった。
    「ロイさんてもしかして、ここの……」
    「詮索はナシだよ」
     しっ、と自分の唇の前に人さし指を立てるロイの仕草は子供のようであるにも関わらず、何故かそれが妙に似合っているなと、アルフォンスは目を細めた。
    「あの、不思議だったんですけど、なんでロイさんは僕の呪いのこと、わかったんですか?」
    「私にはね、わかるんだよ」
     答えになっていない答えを、しれっ、と口にし、ロイは再度、アルフォンスの髪を撫でた。
    「もう一つ聞いていいですか?」
    「うん?」
     心地よさ半分、照れ臭さ半分な面持ちで、アルフォンスはロイを上目で見やった。
    「なんでこんなに良くしてくれるんですか?」
     縁もゆかりもない一介の冒険者風情に、この破格の待遇はなんなのだろう。あの紹介状がここまでの効力を発揮するとは、到底思えない。だとしたらこれは、ロイ個人の好意に寄るものであるとしか考えつかないのだ。
    「こどもはそんなこと、気にするもんじゃない」
     だが、遠回しに返答を拒否され、アルフォンスはそれ以上なにも言えず、黙ってロイの手の感触を追うしかなかった。
     翌日、ギルドマスター直々のお達しにより、オバケ騒動は幕を閉じ、アルフォンスも自由にギルド内を歩けるようになった。エドワードは詳しい経緯を教えてくれない弟に解せないモノを感じながらも、アルフォンスがのびのびとしている姿を見るのはどれくらい振りであろうかと振り返った後、今の状況を受け入れることにしたのだった。


     弟のことはギルドの人間に任せ、エドワードはロイと共に今日も遺跡調査である。かなり奥まで進んだのだが、これといっためぼしいモノは一向に出てこないクセに罠だけは豊富で。その罠の解除は全てロイが行うとしても、その数には正直、辟易していた。
    「いい加減、うんざりしてきた……」
    「まぁ、そう言うな。この数の罠があったからこそ、山賊に荒らされていないのだからな」
     不幸中の幸いだ、と言われてしまってはこれ以上、文句を言うわけにもいかず、エドワードは渋々、口を閉ざした。
    「それでもいくつかは作動した形跡があるな」
     前方の通路の一部を染めているモノを一瞥し、ロイは天井を仰ぎ見た。だが、ここの天井は他所より高く作られているのか、ランタンの明かりが上まで届かない。
     背後で焦れているエドワードなど歯牙にもかけず、色ガラスがあちらこちらに組み込まれた石畳を入念にチェックし、次いで左右の壁に触れ、僅かな違いも見落とすまいと、指先に意識を集中させる。
     端から見れば、ただ壁を撫でているだけにしか思えないのだが、ロイの指先は確実に相違を捉えていた。
    「ここか」
     壁石の一部を、ぐっ、と押し込んでから横にスライドさせれば、その奥にはレバーが隠されていた。腕を伸ばし、そのレバーを、がこん、と手前に引けば、壁の裏から天井にかけて、なにかが、かちゃん、と音を立てた。
    「これでいい。行くぞ」
     なにがいいのかわからないエドワードは、首を捻り捻りロイの後を着いていく。
    「なぁ、さっきの仕掛け、なんだったんだ?」
    「吊り天井だ。色ガラスを決まった順番に踏んでいかないと、ぺしゃんこか、あるいは串刺しだな」
     あっさり、と恐ろしいことを言い放ち、ロイは、スタスタ、と進んでいく。山賊を蹴散らした後、その勢いに乗って遺跡奥まで突き進まなくて良かったと、エドワードは本気で胸を撫で下ろした。
     通路を抜けた先は、直径十メートル程の円形のホールになっていた。正面は扉のない通路に続いており、右手、左手の壁にはそれぞれ、ふたつずつ扉があった。
    「ようやく玄関に到達といったところか」
     皮肉たっぷりに呟いて、ロイは右側手前の扉に掛けられたプレートを指でなぞった。大股に歩を進め、全ての扉のプレートを確認し、元の場所へ戻ってくると直ぐさま仕事にかかった。施錠されただけの扉を難なく開き、中へと踏み込む。
     この部屋にはいくつかの机と、扉付の本棚が並んでいるだけであった。幾重にも積もった埃を舞い上げないよう、慎重に机に寄り掛かると、エドワードは溜め息をついた。
    「ここってさぁ、遺跡と言うより罠迷宮(トラップダンジョン)って気がすんだけど」
    「なかなか鋭いな」
    「なぬッ?」
     何気なく零した呟きに返されたロイの言葉に、エドワードは軽く目を剥いた。
    「どうやらここは、主に『罠』を研究していたところのようだ」
    「てことは……つまり……」
    「仕掛けられた『罠』自体がお宝ってことだ」
     がこん、と本棚の仕掛けを解除しながら、あっさり、と告げたロイに、エドワードは開いた口が塞がらない。
    「勿論、研究内容はそれだけではないが、罠研究チームが一番力を持っていたようだ」
     棚に収められた書類と思しき束を、斜め読みしたロイが、ふむ、と漏らした。
    「まぁ、探せばなにかしらはあるだろうがな。当時は宝ではなくとも、今は宝になり得るモノがな」
     ギルドにある通信機や転送機は、こういった遺跡から出てきたのである。ロイの第一目的は、今は失われた技術によって作られた古代の道具なのだ。
    「あー、もー! 休憩ッ!! 休憩しようぜ」
    「君が仕切るな」
     呆れたように言いつつもロイは、寄り掛かっていた机に行儀悪く腰掛けたエドワードの正面に、同じように静かに腰を降ろした。
    「ついでだから食事もしておくか」
     バックパックから包みを取り出し、ひとつをエドワードに放る。中はパンと干し肉という味気ないものだが、遊びに来ているわけではないので贅沢は言えない。
     特に会話もなく、ふたりは自分のペースで、もぐもぐ、と咀嚼を続けていたが、不意にエドワードが囓っていたパンを降ろした。もごもご、となにか言いにくそうに数度、口を動かした後、やっと声を出した。
    「アルのことだけどさ……アンタが口添えしてくれたんだって? ギルドマスターに」
    『あぁ、そういうことになっているのか』
     アルフォンスはエドワードに本当のことを言っていないらしい。口止めしたわけではないのだが、ロイに合わせてくれているようだ。
    「あんなに楽しそうなアル、久しぶりだよ」
     机に置かれたランタンの芯が、ジジッ、と音を立てた。どこからともなく入り込んだ僅かな風に揺らめく炎が、エドワードの顔を、ゆらゆら、と不安定に照らし出す。
    「賢者の石が手に入れば、必ず元に戻れるのか?」
     ロイの包み隠さぬ問いにエドワードは苦しそうに顔を歪め、ゆるゆる、と頭を振った。
    「わかんねぇ。大司祭が言うには石の力を借りれば、もしかしたら……って。でも、僅かでも可能性があるのなら、俺は諦めたくない」
    「なにがあった?」
     言いたくなければ聞き流せ、とロイの態度は告げている。
    「……よくある話だよ」
     会って数日しか経っていない上に、得体が知れず胡散臭いこの男に話す気になったのは、兄弟が呪いを受けていることを承知の上で、普通に接してくれることも理由のひとつであるが、弟の身を案じてくれているというのが、エドワードの中では大きい。
     また告白することによって、背負っているモノを、少しでいいから軽くしたかったというのも事実であった。
    「アルは司祭見習いでさ、神殿に通ってたんだ。その神殿が『神を造る』とか言ってるカルト集団に襲われて、何人も誘拐された。その中にアルも居たんだよ」
     その話はロイも耳にしたことがあった。しかも事件の首謀者は取り逃がしてしまい、現在その首に懸賞金がかけられているのだが、どこに潜ったのか未だ捕まっていないのだ。
    「助けに行って、俺はこの様だ」
     ギチッ、と握りしめられた鋼の拳が硬質な音を立てる。自嘲と悲哀のない交ぜになった悲痛な表情で己の拳を見つめ、エドワードは悔しそうに唇を噛んだ。
     幾多の魔法陣と幾多の屍の山。
     怒号と剣戟の中、眠るように横たわる弟。
     闇司祭に触れられ、腐れていく己の腕。
    「取り返したと思ったのに……遅かったんだ。俺は後一歩が間に合わなかった」
    「神……ね」
     ロイの苦々しい呟きに、エドワードは怪訝そうに顔を上げた。ふ、と瞼を伏せ、心ここにあらずなロイのその様子に、声を掛けることが躊躇われる。
    「懲りない輩だ」
     そう吐き捨てるとロイは、何事もなかったような顔で立ち上がった。
    「ちょっと待てよ! アンタなにか知ってるのか?」
    「なに、昔からそのテの輩は絶えないと言うことだ」
     噛みつくように問いを投げかけてきたエドワードの勢いを、さらり、と受け流し、ロイは「休憩終了だ。行くぞ」と、さっさと歩き出した。
    「なんだよ、くそー。ホントに得体が知れないってか、ワケわかんねぇ」
     食べかけのパンをバックパックに放り込み、机に置かれたままのランタンを拾い上げ、扉をくぐったロイの背を小走りに追う。
     思わせぶりなことを言っておきながら、肝心なところははぐらかす。そんなロイの態度はエドワードからすれば煮え切らず、非常にイライラするのだ。
    「明かりも持たないで先に行くなよ。危ないだろ」
    「おぉ、すまん、すまん」
     隣に並んで文句の一つも言ってやれば、それすらも、さらり、とかわされ、エドワードは更に剣呑な目つきになる。そんな彼に気づいているのかいないのか、ロイはランタンをエドワードの手から自分の手に移動させると、少々高い位置から周囲をぐるり照らした。
    「他の研究室も気にはなるが、先にどれだけの広さがあるのかを調べておこうか」
     そう言って、入ってきた通路の正面に位置する、闇へと続く通路に向かって躊躇無く歩き出す。ほどなくしてT字路へと行き当たった。
    「さて、どちらへ行ったものか」
    「どうせ調べるなら、どっち行っても同じなんじゃねぇの?」
    「違いないな」
     通路の大きさはどちらも大差ない。そう言いつつもロイはしゃがみ込み、子細に床や壁を調べ始める。
    「今度は落とし穴でもあるのか?」
     すっ、と立ち上がったロイが、暗い通路の先を見据える。
    「いや……行こうか」
     通路自体に仕掛けはないと判断したか、ロイは左の通路に向かって歩き出す。何かあったらその時はその時、と考えている節のあるエドワードには、ロイの慎重さは少々もどかしいが、逆に見習うべきであるとも理解し始めている。
     しばらく無言で進んでいたロイが、不意に足を止めた。くるり、と振り返りあからさまに眉を寄せる。
    「マズイな」
     そう呟くと、ごそ、とバックパックから松明を取り出し、ランタンの火を移すと無造作に通路に転がした。明かりが増えたことにより暗闇は遠のき、視界が広がる。
     一体、なにがマズイのか。だが、なにが? と問いかける必要はなかった。背後からなにかが蠢く気配と異臭が漂ってきたからだ。ずるり、べちゃり、と嫌悪感をそそる音と共に聞こえてくるのは、荒い息づかい。到底、人のモノとは思えぬそれに、エドワードは硬い表情でロイを見上げた。
    「ひょっとしなくてもアレかなぁ……斬ってもダメな動く死体?」
    「だな」
     あっさり、と肯定され、エドワードは、がっくり、と肩を落とした。鼻の曲がりそうな腐臭に眩暈がする。
    「仕方ない。ここは俺が時間稼ぐから、アンタは逃げろ」
    「では、そうさせてもらおうか」
    「って! ホントに逃げるのかよッ!!」
     諦めて腰の剣を抜いたエドワードだが、ロイの返答に構えることも忘れ、がーッ! と怒鳴り散らす。
    「なんだ、逃げろと言ったり、逃げるなと言ったり。一体、どうしろと言うのかね?」
    「もっと、こう、なんつーの? 葛藤とかないワケ?」
    「ただの故買屋にナニを期待してるのかね? 君は」
     わざとらしく『故買屋』の部分を強調され、エドワードは、ぐぅ、と言葉に詰まった。
    「無駄口叩いてるヒマはないぞ」
     明かりの輪の中に、異形のモノが足を踏み入れる。それは一体だけではなかった。幅五メートル程の通路を塞ぐように群を成し、じり、と近づいてくるのは四つ足の獣。
    「おぉ、珍しい。アニマルゾンビだ」
    「感心してる場合かッ!」
     場違いにも程がある呑気な声を上げたロイに、エドワードが即座に突っ込むも、腐肉の、ぼたり、と落下する音に、嫌悪感丸出しで顔を歪める。
    「あぁ、くそっ! どうにでもなれってんだ!!」
     エドワードがヤケっぱちに叫び、手にした剣でひっぱたくように、先頭のアニマルゾンビの頭を吹っ飛ばした。壁に叩き付けられた頭蓋骨が砕ける音も凄惨であるが、それ以上に腐肉と腐汁が飛び散る様が凄まじい。むわっ、と増した腐臭を気にかける余裕もなく、次々と襲ってくる元狼を薙ぎ払い、蹴り飛ばしていく。
     エドワードの振り回す剣に当たらないよう、ロイは僅かに身を引きつつ、その奮闘振りを見つめる。鋼の腕で直に殴りつけるのには、さすがに眉を寄せたが。
    『ふむ。私の出る幕はなさそうだ』
     呑気に傍観していたロイだが、次から次へと現れ、一向に減る気配のない狼たちに、さすがに顔色が変わってくる。
     しかも悪いことは重なるもので、狼たちの背後に白いモノが、ちらちら、と見え始めた。
    「なんか違うの出てきたーッ!」
     エドワードもその姿を確認したらしく、剣を振り回しながら、ぎゃー! と叫ぶ。
    「うーん、向こうに地下墳墓でもあったかな」
    「あったかな、じゃねーッ!」
     カシャカシャ、と自身の骨を鳴らし、迫り来るスケルトンを前に分が悪いと悟ったか、ロイはエドワードの腕を取って走り出した。
    「逃げるぞ!」
    「もっと早く言えーッ!」
     振り返っている暇があったら足を動かせと言わんばかりに、必死の形相で通路を爆走するエドワードの背後で、不意に、ぼんっ、と小爆発が起こった。
    「な、なんだ、今の……」
     驚きのあまりエドワードが踏鞴を踏めば、彼よりも半歩後ろでロイは足を止めていた。
    「ん? んー……どうやら罠があったらしいな」
     背後に気を取られていたのか、反応が一瞬遅れたロイだったが、エドワードの問いかけに、はっはっはっ、と笑いながら空恐ろしい返答を返す。そんな彼の背中を、エドワードは容赦なく蹴り飛ばした。
    「あったらしいな、じゃねーよ! ヘタすりゃ俺達がこんがり黒焦げだったんだぞッ!!」
    「なんだ、そんなことか。いいではないか。アンデッド共は全滅! 我々は無事!! 棚からぼた餅、運も実力のうち! 一体なにが不満だというのだ」
     畳みかけるように勢いだけでモノを言うロイに、エドワードは呆れてモノが言えない。
    「さっきまでの慎重さは何処行った……」
    「小さいことを気にしてたら大物にはなれないぞ」
    「小さい言うなッ!」
    「いつ新手が来るとも限らん。先を急ごう」
     明らかに違うところに反応したエドワードの怒声など、これっぽっちも気にした様子もなく、ロイは真面目な声音で告げると先に立って歩き出した。おとなしく着いて来るエドワードが少々、憔悴した面持ちで口を開いた。
    「この先、オーガーやらトロールなんかが出てきたら、アンタ護れる自信ないんだけど……」
     雑魚でも束になると厄介だという事は、先程実証済みである。そして、オーガーやトロールは雑魚ではない。それらが二体も出れば、確実に死が近くなる。
    「安心したまえよ。そんなモノは出ない」
    「なんで言い切れるんだよ」
     だが、幾度も死線を目の当たりにしてきたエドワードの危惧を、ロイはあっさりと一蹴した。
    「此処には餌がない」
    「あ……」
     生きている以上、なにかを食する必要があるのは、モンスターも同じ事で。ここのように外界から遮断された遺跡内部には、生き物は居ないことになる。
    「そのかわり、アンデッドはごろごろしていそうだがな」
     続けられたロイの有り難くない言葉に、エドワードは更に憔悴した表情になった。
    「こんなことならアルも連れてくるんだった」
    「そう言えば司祭見習いだったな」
     司祭ならば『死人払い』の呪文が使える。見習いでは高位アンデッドには効果はないであろうが、先程現れたアニマルゾンビやスケルトン程度にならば、充分通用する。
     今になってエドワードは、この遺跡調査を甘く見ていたことを悟った。なにが起こるかわからないというのに、治療師のひとりも連れてこないと言うのは、余りにも迂闊すぎた。
    「なぁ、一旦、引き返して、充分な装備と人を揃えてから……」
     エドワードの提案など耳に入っていないのか、ロイは返事もせずランタンを前方へ掲げた。
    「扉だ。これまでのものと装飾が異なるな」
     そう唇に乗せ、足早に扉に近づく。
    「ちょ…ッ!」
     人の話を聞かない大人に憤慨しつつ、エドワードはその背を追った。
     実際に扉を前にしてみれば、装飾だとロイが思ったものは、一面に刻まれた古代文字であった。
    『汝がもし望むのならば、その名を呼ぶがいい。
     汝がもし欲するのならば、受け入れるがいい。
     天から堕とされしその者は、七日で世界を闇に鎮める』
     ここまで黙読し、ロイは僅かに眉を寄せた。『名を呼べ』と記されているのだが、その肝心の名が、どこにも刻まれていないのだ。
    「……ふむ」
     暫し、考えるように顎を撫でていたロイだが、ランタンを床に置き、扉に仕掛けがないか探り始めた。
    「お、おい、本当に開けるのかよ。なんか怪しくね?」
     古代文字の読めないエドワードにも、扉に刻まれた不穏な内容は、本能の部分にしっかりと伝わっているらしい。
    「物理的な罠も、魔法の罠もない。まぁ、中になにがあるかは神のみぞ知る、だが」
     それを調べるのが仕事だ、と言うや否や、ロイが無造作に開け放った扉の向こうは、先程通り抜けてきたホールと同程度の空間。
     一歩、足を踏み入れた瞬間、ロイの首筋に、ちりっ、とした感触が走った。同時に腹の底から、熱いものが湧き上がってくるような錯覚に囚われる。
     胸をざわつかせるものの正体がわからないまま、油断無く辺りに視線を走らせつつ、ロイは部屋のほぼ中央に描かれた魔法陣に近づいて行く。
     陣に刻まれた名を読み取り、ロイは忌々しげに舌打ちした。
    『ルシフェル……天から堕とされし……ね。確かにコイツなら七日もあれば充分だろうさ』
     彼の手にしたランタンの明かりに照らされたそれを目にした瞬間、エドワードは息を飲んだ。
    「どうした?」
    「似てる……」
     唇を戦慄かせ、エドワードは呆然とした面持ちで、ふらり、と部屋に踏み込んだ。
    「アルが居た部屋にあった魔法陣に……似てるんだ。なんなんだよ、これ……」
    「召喚陣だ。然るべき手順を踏めば、人外の力を意のままにすることも可能だ」
     感情の見えない声で淡々と説明するロイの脇をすり抜け、エドワードは壁に刻まれた古代文字を、目を皿のようにして見つめる。
    「なぁ……アンタ読めるんだろ? なんて……なんて書いてあるんだよ」
    「これには君の弟を元に戻す方法は記されていない」
     僅かな躊躇いもなく事実を言い切ったロイに、エドワードは反射的に掴みかかった。
    「どんな些細なことでもいいんだ! なんでもいいから知りたいんだよッ!!」
     藁にも縋る思いとはこういうことか。ロイは漆黒の瞳で、今にも泣き出しそうな少年を見下ろす。ややあってから掠れた声がその唇から漏れた。
    「……『神』を人の身に降ろす方法だ」
    「降ろ…す?」
    「生きた人間の身体を『神』にくれてやるということだ」
     それがどういうことなのか瞬時に理解したエドワードは、引き攣れた悲鳴を喉の奥で必死に押し殺した。
    「底知れぬ力を持った『神』を『ただの人間』という器に押し込めるんだ。十人中八人はそれに耐えられず確実に死に、一人は気が触れる。だが、それを承知で今でも『神』を造ろうとする者が……」
     背後から忍び寄る気配に、ぞわり、と肌が粟立った。得も言われぬ悪寒に言葉途中で、ばっ! と振り返れば、そこには緑色のガス体が揺らめいていた。
     ひしひし、と伝わってくるのは凶悪なまでの攻撃欲。
    「いかん! エドワード…ッ!!」
     一目見てそれがなにであるか理解したロイは、未だ己の服を掴んだままのエドワードを、乱暴に突き飛ばした。その一瞬の隙を突き、ロイの左腕がガス体に包み込まれる。
    「ぐぅ……ッ!」
     まるで強酸に焼かれるような痛みに、たまらず呻き声が口をついて出る。衣服はボロボロに溶かされ、徐々にその下の皮膚も容赦なく溶かされていく。
     突然のことになにが巻き起こったのか理解できず、呆然と座り込んだエドワードに向かって、ロイは「逃げろッ!」と怒鳴った。
    「逃げろ! お前の手には負えないッ!!」
     ガス体を振り解き、距離を置いたロイは、エドワードを庇うようにその場に踏み止まる。
     力無く垂れ下がったロイの焼け爛れた腕を目の当たりにし、エドワードは、はっ、と我に返った。慌てて立ち上がり、腰の剣を抜き放つ。
    「逃げろって言われて、はいそーですか、ってワケにいくか! 俺はアンタの護衛だぞ!! 丸腰のアンタ置いて逃げられるかよ!」
    「アレには武器は通用しないんだ! 巻き込まれたくなかったらとっとと逃げろ!!」
    「巻き……?」
     ロイの言葉の意味がわからず、一瞬、思考も動きも止まったエドワードの目の前で、ガス体がふたりを飲み込もうと大きく広がった。
     実際は瞬き一つするかしないかといった一瞬の出来事なのだが、エドワードの目にはまるで、スローモーションのようにガス体が迫り来る。
     目を閉じることも出来ず、恐怖すらも忘れ、エドワードは現実をその目に映す。
    「――…ッ!」
     ロイの口から『音』としか言い様のない『声』が迸った刹那――
     焔が弾けた。
     圧倒的な熱量。
     空気さえも震撼させる絶対的な力。
     やや遅れてやってきた強烈な熱風に煽られ、マントや髪が激しくはためく。両腕で顔面をガードしたエドワードは、ちかちか、する目を何度も瞬かせ、恐る恐るロイを仰ぎ見た。
    「なんだよ…今の……」
     ロイが答える前に、こつん、と小石がエドワードの頭を打った。そして、どこからともなく聞こえてくる、低い地鳴り。徐々に地鳴りが大きくなるにつれ、ぱらぱら、と天井から降る砂や小石が増えてくる。
    「ヤバイんじゃね……?」
    「そのようだ」
     お互い顔を見合わせ、ひきつった笑みを浮かべると、どちらともなく回れ右をし、出口に向かって一目散に駆け出した。その後を追いかけるように、どかん、どごん、がらがらがらっ、と天井だけに留まらず壁までもが崩れだし、通路そのものが埋まっていく。もうもうと立ちこめる砂煙の中、崩壊する遺跡から間一髪飛び出し、命からがら脱出に成功したふたりは、その場に、ばったり、と倒れ伏した。
    「な…なんで、こーなるの……」
     ぜーはー、と荒い息をつきながら夕焼け空を見上げつつ、エドワードがぼやく。その隣ではロイも同じように空を見上げて呼吸を整えている。
    「お前がとっとと逃げないからだ」
    「なんだよ、それ……」
    「私一人ならどうとでもできたんだ」
     よっこいしょ、と起き上がったロイは痛めた左腕に乱暴に布を巻き付けると、未だ地面とお友達のエドワードを軽く蹴り、「帰るぞ」と促した。


     ロイとエドワードがギルドへ戻って来たときには既に、遺跡崩壊の報せはギルド内に知れ渡っていた。
    「うむ。さすがだな」と、ひとりご満悦のロイは、ホークアイに施療院へ引きずられて行き、エドワードはロイが戻るまで部屋で待機するよう言い渡され、おとなしくそれに従った。言われるまでもなく、心身共にボロボロで早く休みたかったのだ。
     命は拾ったが、肝心なモノは得られなかった。そのことがエドワードの心に影を落とす。
     重たい足を引きずり、部屋へと戻ったエドワードを迎えたのは、冬眠から目覚めたばかりの熊のように、室内を、ウロウロ、徘徊している生身の弟の姿であった。
    「なにしてんだ、アル……?」
    「兄さんッ! あぁ、良かった。どこも怪我してない?大丈夫?」
    「あぁ、俺はどこも」
     薄汚れた顔で無理に、にかっ、と笑って見せれば、アルフォンスは心底安心したように、はぁー…、と肩から力を抜いた。
    「お風呂、入るでしょ? 用意しておいたから」
     装備を外すのを手伝いながら「無事で良かった」と繰り返すアルフォンスに、エドワードは「ごめんな」と、ぽつり、呟く。
    「兄さん?」
    「いつになったら、俺、お前を元に戻してやれるんだろうな」
     弟の優しさが、今は辛い。
    「僕は兄さんが無茶して、怪我する方が嫌だよ」
     悔しそうに拳を震わせる兄の義手を取り、アルフォンスは柔らかな手で、そっ、と包み込んだ。
    「また無茶苦茶な使い方したでしょ? ちゃんと整備しないと動かなくなっちゃうよ」
    「あー……そういやアニマルゾンビ、殴ったりしたなぁ」
    「ぞん……」
     その一言でアルフォンスの表情が固まったかと思いきや、問答無用で浴室へと蹴り込まれた。
    「最低でも三回は熱湯かけてよねッ! 食中毒起こしたらシャレにならないんだから!!」
    「わーった、わかったって!」
     ヘンにしんみりされるよりはこの方がいいと、エドワードは苦笑しつつ、頭からお湯を被った。
     ごしごし、と身体を洗いながら、部屋に居るアルフォンスに聞こえるように、大声で今日のことを話してやる。なんだかんだで生きて帰ってこられたからこそ、笑い話に出来るのだ。
     そして意外なことに弟は、あのガス体のことを知っていた。
    「それ『ガス・クラウド』だよ。魔法構造物でさ、物理的な攻撃はほとんど効かないんだ。気体は剣じゃ斬れないからね」
    「よく知ってたなぁ」
    「兄さんが遺跡に行ってる間、いろいろな本、見せて貰ったんだ。知識は多いに越したことはないって、言われてさ」
     誰に、とは言わなかったが、兄にはわかったようで、おもしろくなさそうに鼻を鳴らした。
    「それで、どうやってガス・クラウドを倒したの?」
    「いや、それが俺にもよくわかんないんだ。アイツがなにかしたのは確かなんだけど」
    「ふぅーん……魔力付与されたアイテムでも持ってたのかな?」
    「あー、そうかもな」
     そうとでも考えなければ、あの焔の説明がつかない。焔の発生源は、地面に落ちたランタンではなかったのだから。
     虚空に現れた焔が一瞬にして、ガス・クラウドを焼き尽くし、消滅させたのだ。
    「でもそのせいで危うく生き埋めだ。もっと考えて使えっつーの」
     ぶちぶち、と文句を垂れ流す兄に、ははは…、と苦笑しつつ、アルフォンスはなにか考えるように僅かに首を傾げたのだった。


     翌日、兄弟はハボックの案内で、ギルドマスターの元へと向かった。緊張しているのか、エドワードの表情はやや硬い。
    「やっとご対面か」
    「なにか情報貰えるといいね」
    「その前にあの故買屋の護衛代、しっかり貰わないとな」
     背後で繰り広げられている会話を耳したハボックは、呆れたように目線を上に向け、紫煙と共に、ふー、と溜め息を吐き出した。
    「あー、まぁ、そのなんだ。なるべく穏便にな」
     目的の扉を前にそう告げると、エドワードに問い返す暇を与えず、ハボックは、こんこん、とノックをし「お連れしました」と声を掛けてから扉を開けた。
    「ご苦労。下がっていいぞ、ハボック」
    「はっ」
     ふたりに入るよう促してからハボックは頭を下げ、ギルドマスターの言葉に従い退室した。
    「まぁ、かけたまえ」
     ソファを指し示し、にこにこ、と胡散臭い笑みを浮かべているのは……
    「どーいうことだーッ!」
    「あ、やっぱり」
     頭を抱えて絶叫したエドワードとは対照的に、アルフォンスは、あっさり、と頷いた。
    「なんだ、本当に気が付いていなかったのか」
     ターバンを取り去ったロイが、呆れたようにエドワードを見やった。
    「ほらほら、座りたまえ。これでは落ち着いて話もできないではないか」
    「だれ…っ、誰のせいだと……ッ!」
     ビシィッ! とロイに指を突きつけて怒鳴る兄を「まぁまぁ」と宥めて、アルフォンスはなんとかソファに腰を降ろす。
    「さて、まずは護衛代だが……」
     そう言ってロイは、足元から、ひょい、となにかを拾い上げた。
    「コレでチャラということにしないかね?」
     ロイの膝で小さな毛玉が、みゃぁ、と鳴いた。
    「飼ってくれるんですか?」
     ガシャッ、と派手な音を立て、アルフォンスが身を乗り出す。
    「あぁ」
    「わぁ! ありがとうございます!!」
    「ちょっ、ちょっと待て!」
     当の本人そっちのけで着々と進んでいく話に、エドワードは待ったをかけるも、アルフォンスはすっかりその気で、ここで拒否しようものなら一生恨まれ兼ねない雰囲気である。
     あーうー、と呻いているエドワードを、くくっ、と喉の奥で笑い、ロイは己の懐を探った。
    「勿論、それだけじゃない。ほれ」
     ぞんざいに放り投げられたカードを慌てて受け取れば、そこにはエドワードの名が刻まれており、その下にはロイの名も刻まれている。しかも、ど真ん中には東方ギルドの紋入りだ。
    「なんだコレ?」
    「手形、だな。それさえ見せれば東部の各ギルドで、タダで情報を引き出せる」
    「マジ? すっげー……」
     エドワードに説明しながら、アルフォンスにも同じ物を渡す。破格の報酬であるが、エドワードもアルフォンスもそのことには気が付いていない。
    「そして、情報だが、残念なことになにも入ってきていない」
    「そうですか……」
     落胆の色を隠せないアルフォンスの声に、ロイは悼むような眼差しを向ける。それがただの同情であったのなら、エドワードは憤慨したであろう。だが、ロイのそれは明らかに異なっていた。
     力になれず心底悔やんでいる、彼の目にはそう見えたのだ。
    「しばらく滞在して、情報が入るのを待っていても構わないが?」
    「いや、俺達は俺達で情報集めるよ」
    「そうか」
     今までにない穏やかな態度で応じられ、エドワードは少々、居心地が悪いのか、もぞ、と座り直した。
    「なぁ、聞きたいことあんだけど」
    「なにかな?」
    「種明かししてくれよ。遺跡でのアレ」
     アレ、と言われても、ピン、とこないのか、ロイは考え込むように「んー?」と眉を寄せ天井を睨んでいる。
    「遺跡崩壊の原因。そのせいで死にそうになったんだから、教えてくれたっていいだろ」
    「秘密だ」
    「即答かよッ!」
     ガーッ! と吼えるエドワードを後目に、ロイはゆったりとソファの背にもたれると、にやり、と人の悪い笑みを見せた。
    「秘密があった方が、魅力的だろう?」
    「言ってろ」
     ロイのふざけた返答に脱力したのか肩を落とし、半眼で相手を眺めながらエドワードは「なにかアイテム使ったんなら、それもくんないかなぁ、て思ったんだけどなぁ」と、さらり、ととんでもないことを口にした。当然、隣にいたアルフォンスは、兄の発言に慌てふためく。
    「にっ兄さん、それはさすがに厚かましいよ!」
    「アイテム? アイテムか。ふむ……」
     だが、言われた当の本人は、なんでもないことのように復唱し、再度、ごそ、と懐を漁った。
    「なら、これをやろう」
     ぽん、と無造作に放り投げられた小さな物を、反応の遅れた兄の代わりに、あわあわ、と慌てふためきながら弟がキャッチすれば、意地の悪い大人は「ナイスキャッチ」と、にんまり、と笑った。
    「なんですか、コレ?」
     両の掌を、恐る恐る、開いたアルフォンスが首を傾げながら問う。
    「『着火』の付与された指輪だよ。野営の時に便利だろう?」
     確かに火打ち石で地道に、カチカチ、やることを考えれば、重宝すること間違いなしである。
    「可燃物が対象なら確実に火が着くから、取り扱いには充分気をつけたまえよ」
     普通の『着火』はマッチの火程度の火力しかないのだが、どうやらこの指輪に付与されている『着火』は特別なようだ。
     ロイは詳しく説明していないが、要は相手を火ダルマにすることも可能なのだ。使いようによっては、とてつもなくえげつない武器となる。
     レベル別の発動言語を教えて貰い、「それじゃ、そろそろ……」と立ち上がったエドワードをロイは片手を上げて制した。何事かと目を丸くする彼の目の前に置かれたのは、大きさの異なった革袋がふたつ。
    「アイテムの買い取り金だ。今更で申し訳ないが、なんだかんだで渡しそびれていたからな」
     大きめの革袋には銀貨が、小さな革袋には宝石がいくつか入っていた。
     中身を覗いて絶句する兄弟に「全部銀貨にしてしまっては嵩張ると思ってね。勝手に石で用意させてもらったよ」と、ロイは、さらり、と言い放った。
    「こ……こんなに?」
     文字通り、ギギギ、と鎧を軋ませて、アルフォンスが上擦った声と共にロイを見やる。
    「いくつか魔力付与されたモノがあったからね。ただ、そこから情報料を天引きするつもりだったんだが、あの時点で結局、有益な情報はなかった訳だし。そうなると支払わないわけにもいかないだろう?」
     こっちもフトコロが痛いよ、と言葉とは裏腹に、全く痛くなさそうな顔で言われては、アルフォンスも苦笑するしかない。
    「ありがたく貰っておくぜ」
     腰の小袋に銀貨を数枚落とし、残りはどうするのかとロイが見守る中、エドワードはおもむろにアルフォンスの胸パーツを、がっぱり、と外し、その中へと放り込んだのだった。
    「ほほぅ、中はそうなっているのか」
     鎧内部を覆っているクッション材には、生身のアルフォンスが、きっちり、と収まるように、巧い具合に窪みが作られ、その上、身体は部分的にベルトで固定されていた。これなら移動の際に、身体をあちらこちらにぶつけることもないだろう。
    「大切なモノは全部この中だ」
     今は魂の抜けたアルフォンスの頭を、ぽん、と軽く叩いて、エドワードは少し寂しそうに笑った。
    「じゃあ、そろそろ行くよ」
     パーツを元の位置に固定し終えたエドワードが、改めてロイに向き直り、別れの握手を交わす。
    「まぁ、いろいろあったけど、ありがとな」
    「良い旅を」
     ロイの、親が子に向けるような柔らかな眼差しがこそばゆく、エドワードは照れ隠しのように、ぎゅぅっ、と思いっきり彼の手を握った後、乱暴に振り解く。そして、なにか言われる前に、くるり、と踵を返すと、さっさと退室してしまった。
    「兄さんたら……」
     残されたアルフォンスが溜め息混じりに呟けば、ロイは「君もいろいろと大変だな」と笑った。
    「この子に会いに、またおいで」
     自分の足にすり寄っている仔猫を目で示し、ロイはアルフォンスにも握手を求める。
    「狡い言い方ですね。そう言われたら断れないじゃないですか」
    「大人は狡い生き物なのだよ」
     鎧の大きな手を握り、ロイは食えない笑みを浮かべて見せた。


    「随分と肩入れされるのですね」
     ふたりが退室した後、訪れたホークアイの言葉に、ロイは、ニヤリ、と笑って見せる。
    「迷える子羊に愛の手だ。……いや、同病相憐む、といったところか」
     ふ、と瞼を伏せたロイにホークアイは、すっ、と探るような眼差しを向けた。
    「わざとですね?」
    「うん? なにがだい?」
     そらとぼけるロイに、ホークアイの眼差しが更にきつくなる。
    「わざと崩壊させましたね?」
     問いかけではあったが、その口調は確信の響きを持っていた。言い逃れは出来ないと悟ったか、ロイは表情を改め、じっ、と彼女を見つめる。
    「あんなモノが残っているから、愚か者が夢を見る」
     人よりも時の流れが緩やかになってしまった男の、空虚な呟き。時折見せる老成しきった表情に、ホークアイは彼の苦悩を垣間見る。
    「神など、造れるわけがないのにな。全くもって、愚かしい……」
     十人中八人は死に、一人は気が触れる。
     では、残りの一人は……
     ロイの過去を僅かではあるが知っているホークアイは、秀麗な眉を顰めた。
    「そんな顔をしては美人が台無しだ」
     たった今まで浮かべていた神妙な表情は形を潜め、普段通りの食えない笑みがロイの面に張り付いている。
    「まぁ、この身体も悪くはないよ」
     むしろ重宝している、と焔の魔神であり、ロイ・マスタングでもある男は、飄々と言い放ったのだった。
    「それを聞いて安心しました。随分と感傷的になっておられるように見受けられましたから、このまま行方をくらますのではないかと……」
    「まだ根に持っていたのか……」
     ホークアイの言葉に、ロイがあからさまに眉を寄せる。もう何年も前の話になるが、ある日突然、ロイが姿を消したことがあった。一週間後には、ひょっこり、となに喰わぬ顔で戻ってきたが、どこでなにをしていたかを誰が問おうが「すまん、すまん」と笑うばかりで、決して口を割らなかった。
    「貴方がおられなくても、業務自体に差し支えはありませんが……」
     優秀な腹心は一旦言葉を切り、その眼差しで言葉以上のものを伝えようとする。
    「確かな情報を掴んだら、次は私も同行致します」
    「それでは業務が滞ってしまうだろう?」
    「知ったことではありません」
     きっぱり、と言い切った彼女の視線をその身に受けたまま、ロイは窓辺に寄り外を眺める。
    「他人の復讐に手を貸すのは莫迦げている」
    「莫迦げているかどうかは、私自身が決めます」
     ホークアイの腹は既に決まっているのだと。その決意を覆すことはできないと悟ったロイは、ゆっくり、と振り返ると彼女の目を見据え、はっきり、と告げた。
    「ならば、着いてこい。お前の骨は私が拾ってやる」
    「仰せのままに。my master」
     絶対の忠誠心を見せたホークアイに、ロイは一瞬、苦しげに顔を歪め、僅かに瞼を伏せた。
    「では、親愛なるマスター。お店の方へお越し下さい」
    「は?」
     それまでのしっとりとした空気は幻かと思わせるくらい、ホークアイの変わり身は素晴らしかった。
    「鑑定する品が溜まっております。それから、競り落とした角も届いております。一緒に送られてきたご家族の写真はどうなさいますか?」
    「ヤツの机に放り込んでおけッ! まったく、毎回毎回あの男は……」
     ブツブツ、と文句を言いつつ頭にターバンを巻き付けるロイに手を貸しながら、ホークアイはほんの少し過去を思い返し、僅かに微笑んだ。
     初めて出会ったのは何年前になるか。
     ギルドに義理を通さぬ奴隷商人の競売会場に殴り込んできたロイは、今と少しも変わらない。ホークアイはその当時、少女と言って差し支えのない年齢だったというのに。
     逃げ惑う人々の向こう、焔の中心に立つ彼の姿に、浮世離れしたその光景に、目が釘付けになった。
     恐ろしくはなかった。
    「着いてくるか?」と差し伸べられた手。
     この瞬間、チェンジリングとして忌み嫌われ、既に戻る場所のなかった彼女の、生きる道が決まったのだ。
     普通の人間に比べれば長命なハーフエルフでも、彼の人に一生着いていくのは、無理なことだとわかっていたが、この命尽きるまで傍に居ようと、固く誓ったのだった。
    「ヒューズはいつ帰ってくると言っていた?」
    「二、三日中には戻ると。土産は『猿の手』とのことです」
    「あの阿呆……」
    「『兎の足』もあるそうですよ」
    「それだけで充分だろうが……」
     心底、ぐったり、した声を出したロイの頭を、ホークアイは相手に気づかれないよう、慈しみを込めて、そっ、と撫でた。


     再び旅に出た兄弟が、東方ギルドマスターの二つ名が『火焔魔人』であることを知るのは、まだ先のことである。

    ::::::::::

    2004.07.07
    茶田智吉 Link Message Mute
    2020/01/17 8:22:08

    【鋼】憂える火焔魔人

    #鋼の錬金術師 #ロイ・マスタング #エドワード・エルリック #アルフォンス・エルリック #パラレル ##鋼 ##同人誌再録
    2004.07.19発行の同人誌再録。
    『賢者の石』の情報を求めて旅をしているエルリック兄弟が訪れた東方盗賊ギルドで、ひょんなことからギルドが運営する故買屋の主人の護衛をすることになったエドワード。
    アルフォンスは人に言えない秘密があり、故買屋の主人であるロイにもなにやら秘密があるようで……
    といったファンタジー風パラレル。
    (約3万字)

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