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    【刀剣】兄弟刀は心配症【兄弟刀は心配症】

     無事に遠征を終え本丸へと帰還した乱が、楽しかったぁ~、と声を弾ませれば、遊びじゃねぇんだぞ、と厚が即座に強い口調で窘め、それに驚いた五虎退が厚の斜め後ろで、ひゃっ、と肩を竦めた。その様子を更に後ろから眺めていた山伏の眦が、ゆうるり、と下がる。
     常ならばここで一声掛け互いの仲を取り持つところだが、庭先で待つ人影に気づいている山伏は口を噤んだままだ。
    「遠征ご苦労さん」
     よぉ、と何気ない調子で片手を上げる薬研は、本丸内ではすっかり見慣れた白衣に眼鏡姿で、自身の言う戦場育ちという来歴に反して非常に静かな印象を見る者に与える。
    「だが、帰還早々ケンカは感心しねぇなぁ」
    「別に、ケンカなんかしてねぇよ」
     なに言ってんだ? と素で首を傾げる厚に倣い、乱も「ケンカじゃないよ」と可愛らしく小首を傾げるもなにか思いついたか、丸くて大きな目を悪戯っぽく細め、ふふ、と小さく笑う。
    「厚ってばすーぐ大きな声出すんだもん。そんなんじゃモテないよ~」
    「んだと、こらぁっ!?」
     反射的に声を荒げる厚に、きゃー! とわざとらしい悲鳴を上げ、軽やかに駆け出した乱と、「待てこの!」とつられて走り出した厚の背中を見送り、薬研は軽く息を吐いた。
    「まったく。ほら、五虎退もいつまでもビクついてないで、手洗っておやつ喰ってこい。歌仙の旦那が用意してくれてるから」
    「はっはい……では失礼します」
     ぺこり、と山伏に頭を下げてから白い毛玉を引き連れていく五虎退に、薬研は再度軽く息を吐いた。
    「騒がしい兄弟ですまないな」
    「なに、仲が良いのは結構なことである」
     お気になさるな、と薬研の背中を二度ほど叩き、山伏は「して、拙僧になにか用があるのではないか?」と先の乱のように小首を傾げて見せる。立派な体躯に加え一本歯の高下駄の分、更に頭が上にあり、薬研の顔を見るためにたまたまそのような仕草になったのだろうが不思議と滑稽さは感じず、薬研は整った面を見上げ「そうだった」と思い出したように小さく呟いた。
    「戻ってきてすぐのところ申し訳ないんだが、ちょっくら頼まれて欲しいことがあってな」
    「ほう。拙僧で良ければなんなりと申されよ。だがその前に荷を置いてきても構わないであろうか?」
     肩に担いでいた袋を示してみせれば、薬研は「おっとそいつはすまなかった」と即座に詫びの言葉を口にし、共に資源置き場へと足を向ける。
    「アンタ山には詳しいだろ? 見つけられる範囲でいいんで薬草を採って来ちゃくれねぇかと思ってな」
     膝をつき袋から出された玉鋼などを箱に仕舞うのを手伝いながら、薬研が頼み事を伝えれば、山伏は軽く片眉を上げてから、はて、と思案するように目線を僅かにそらした。
    「薬ならば主殿が揃えていたと記憶しているが……」
    「んー、大将が持ってきてくれた薬が怪しいモンじゃないってのはわかってるんだが、馴染みのあるモンから徐々に切り替えていこうかと思ってな」
    「なるほど。それも一理ある」
     はっきりと言葉にはしていないが、彼の弟たちは得体の知れない物を怖がって口にすることを拒むと考えているのだろう。確かに半分が透明な楕円形の物体の中に色のついた細かな粒が詰まった「カプセル」というものを初めて目にした時、これは口にして良い物なのだろうか? と、つるり、とした奇っ怪なその手触りから疑ったものだ。
    「あと、買い出しに付き合ってもらえたら助かる。今日は米を買わないとならなくてな」
    「あいわかった。任されよ」
     不平を漏らすことなく二つ返事で快諾する山伏に、ほんとすまねぇな、と薬研は若干苦い笑みを見せた。
     現在、ここに存在している刀はまだまだ少なく、短刀は藤四郎兄弟がそれなりに居るが、打刀は最古参の山姥切国広と歌仙兼定、蜂須賀虎徹の三口で、太刀は山伏と鶯丸しかおらず、鶯丸に至っては日がな一日、庵で茶を嗜んでいる状態だ。大太刀もいるにはいるが現世に疎いため人里に連れ出すには不安が残り、畑当番や馬当番を割り振ってはいるが本丸待機が常になっている。
     そうなると必然的に力仕事は全て山伏が担うこととなり、それに加えて遠征や馬当番も回ってくれば、彼の疲労具合はいかほどかと薬研は心配になる。だが、山伏は薬研の心配をよそに、これも修行、と快活に笑い飛ばすのだ。
    「鶯の旦那がもうちっとやる気出してくれればいいんだがなぁ」
    「なに、あの御仁はあれで良い良い」
     カカカ、と笑う山伏の横顔を、じぃ、と見つめれば、それを問いと捉えたか、ふむ、と小さく頷いてから、ひた、と薬研を見据えた。
    「鶯丸殿が茶を二の次にするような状況は芳しくないと言うことだ」
    「まぁ、そうだな」
     鶯丸の余裕がこの本丸全体の余裕でもあるのだと、言外に告げてくる山伏に同意した薬研は、不意に、ちらり、とそらされた視線で相手がなにか言い淀んでいるのだと気づき、軽く首を傾げる。
    「らしくねぇな。どうかしたかい?」
    「いや、拙僧の兄弟も迷惑を掛けているなと思うたら、薬研殿にどう詫びたものかと考えてしまってな。兄弟は買い出し当番から外してもらっておるのだろう?」
     出自によるものか一癖も二癖もある打刀相手に当番の割り振りなどを相談し、日々の作業を滞りなく巧く回している縁の下の力持ちに向かって山伏は深々と頭を垂れる。
    「あー、まぁ適材適所ってやつだ。人の兄弟を悪く言いたかないが、あれは交渉ごとには向かないからな」
     本丸の者達は彼の人となりを知っており、無愛想なその態度にも慣れたが、頑なに襤褸布を外さぬ山姥切国広の姿は、里の者には奇異に映り不信感も募るだろう。加えてあのぶっきらぼうな物言いだ。諍いの種になるのは火を見るよりも明らかである。
    「せめて布だけでも取ってくれればと思うんだが、そうはいかないのもわかってるしな」
     隠されれば隠されるほどその中身に興味を持たれ、邪推やいらぬ憶測も生むと國廣の最高傑作はわかっているのかいないのか。
    「あいすまぬ」
     心底申し訳なさそうに眉尻を下げる山伏に、なに気にしなさんな、と意識して軽い言葉を投げ、薬研は薄汚れた掌を、ぱんぱん、とはたくと先んじて立ち上がった。
    「堂々と見せてりゃ誰も気にしないのになぁ」
     美術品と名高い山伏を見下ろし、薬研は誰に聞かせるでもなく小さく漏らしたのだった。


     ぎっぎっ、と荷車の上げる軋み音を聞きながら、薬研は荷台の上で買い上げた品を確認した後、本丸に着いてからの手間を減らすべく手早く分類していく。
    「俺だけラクしてすまないな」
    「荷車の進みに合わせて歩くのは難儀であろう?」
     これも修行修行、と快活に笑う山伏だが、荷車を使うようにと頼んだ薬研からすれば少々居心地が悪い。
     見た目が人であっても刀剣男士の身体能力は常人を遙かに上回る。米俵ひとつの重さなど山伏には屁でもないであろうが、それを両の肩に担いで町中を平然と闊歩するのは、さすがに悪目立ちしすぎるというものだ。
     なるべく目立たず波風を立てずにやっていきたいと、この時代にとって自分たちが異物であるとの自覚があるからか、山伏も特に異を唱えることなく薬研の頼みに頷いたのだった。
     本丸へと戻れば山姥切が静かな足取りで近づいてきたが、荷の多さに一瞬歩みを止め、やや間があってから「それが済んでからでいい。あとで少し時間をくれ」と山伏に言い置いて来たとき同様、静かに去っていった。その際、ちら、と荷台に座ったままの薬研を盗み見たことを山伏は気づいていないが、当の薬研はしっかりと目の端にとどめている。
     近侍として審神者からなにか言付かってきたのか、はたまた別の用件か。滅多なことでは感情の起伏を見せない山姥切だが、兄弟刀が絡むと話は別だ。
     今以上に刀剣の数が少なく、今以上に器を作るための資源に余裕がなかった頃、呼び出せる刀の名が書かれた一覧を前にした審神者の「太刀が欲しいがどれがいいかわからん」発言に、共に一覧を見ていた山姥切が「これがいい」と指先で、とん、と突いたのが山伏国広の名であった。
     普段、これといった自己主張をしない山姥切が珍しくも我を通し、審神者も何か思うところがあったかそれを受け入れた。結果から言えばその時は山姥切の願い虚しく、鶯丸が顕現したのだが。
     概念でしかないものを仮の器に降ろし実体化させるその儀式を、審神者自身は「目隠し鬼をしてるカンジ? なんかこうフワフワしてるのをカンを頼りに掴んで引っ張るみたいな?」と納得できるようなできないような説明をして、山姥切が無言で刀の鯉口を切ったのは記憶に新しい。
    「こっちはいいから行ってやんな。おっと、米俵は太郎太刀に運んでもらうから心配無用だぜ」
     山伏が口を開くよりも早く彼の懸念を封じ込めれば、む、と小さく呻いて目元の傷を、かり、と指先でひっかいた。それの意味するところは薬研にはわからないが、すまぬな、と柔く眦を下げた山伏の表情から、いらぬお節介ではなかったと知る。
    「あとこれは手伝ってくれた礼だ。兄弟で食べてくれ」
     差し出された小さな包みを山伏は逡巡することなく受け取り、にかり、と満面の笑みを浮かべた。
    「ありがたく頂戴するとしよう」
    「疲れたときは甘い物だって大将も言ってたからな」
     ほんと助かったぜ、と笑顔で手を振る薬研に「またなにかあったら声を掛けてくだされ」と言い置いて、特に急いだ素振りもなく歩み去る山伏を見送り、その姿が家屋に消えてから、カリ、と軽く後ろ頭を掻く。
    「誰にでも優しい兄貴をもつと大変なのはわかるがなぁ」
     だからといって羨むような妬むような、じっとり、とした目で見られてはたまったものではない。しかもその子供じみた独占欲に山姥切自身は無自覚というのもたちが悪い。薬研は笑みの引いた能面じみた顔で「ほんと色々と拗らせすぎだろ」とぼやいた。


     薬研が寄越した団子を、もりもり、と食らいながら、うんうん、と相槌を打つように上下する頭を、ちら、と上目に見やり、山姥切は直ぐさま手つかずの団子に目を落とす。
     審神者からの言伝は「資源集めに注力するからしばらく山籠もりの許可は出せない」といった旨で、それを聞いた山伏は「あいわかった」とあっさりと頷いた。
     他の者より顕現が遅く練度が低いため、それを補うためにも修行がしたいとの山伏の気持ちは審神者もわかっているが、これから先、刀が更に増えることを考えれば早い内からいろいろと備えておきたいのだ。
    「遠征にもこれまで以上に行ってもらうことになると言っていた。勿論、兄弟だけじゃなく俺も他のヤツらも行くが……」
     それでも体力、持久力を考慮し仕事を割り振るとなれば、必然的に山伏への負担が大きくなることを山姥切は気にしているのだろう。巧く言葉の継げない兄弟刀の頭に、ぽん、と掌を載せ、山伏は、カカカ、と快活に笑った。
    「なに、山に籠もるばかりが修行ではない。人の身でたくさんのことを経験する、これが今の拙僧には大切なことなのである」
     美術品に戻っては自らの意思で動くことすらままならぬからな、と山姥切の目を正面から、ひた、と見つめた後、弟がなにか言う前に載せたままの手で、ガシガシ、と乱暴に布越しの頭を撫で「日々是修行也!」と高らかに告げるや、すっく、と立ち上がった。
    「では拙僧は用があるのでこれにて失礼する」
    「……用、だと?」
     審神者から特に命は受けていないはずだが、と山姥切が怪訝に眉を寄せれば、山伏は障子に手を掛けた状態で肩越しに振り返り、「薬研殿に薬草探しを頼まれていてな。明日から忙しくなるのならば今日の内に済ませておかねばならぬ。おぉそうだ、兄弟も行くか?」とお誘いをかけてきた。
    「いや……俺はいい……」
    「そうか」
     夕餉までには戻る、との言葉を残し出て行った山伏の足音が聞こえなくなったところで、山姥切は広げられた包みに一本残された串団子を手に取った。しばしそれを睨みつけ、くそ、となにに対してか不明瞭な悪態を小さくついてから、がぶり、と乱暴にかぶりついたのだった。

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    2015.04.19
     そろそろ遠征に出ていた者達が戻る頃だろう、と手にしていた書物を閉じ、庭に面した廊下を行く山姥切の耳に入ってきたのは「今回の結果はこうなっています。どうでしょうか」と誰かに報告をしている平野の声だった。
     相手は恐らく資源管理を任されている蜂須賀であろうと当たりをつけ、廊下の角から、そっ、と覗けば案の定。長い髪を高い位置で結った蜂須賀が、帳面片手に平野たちを労っているところであった。
     その中に目当ての人物を見つけた山姥切は、なるべく場の空気を壊さないよう静かに歩みを進め庭先の一団に近づいていく。
    「おぉ、兄弟。今戻ったぞ」
     ゆらり、と現れた白い影にいち早く気づいた山伏が、呵々、と声を上げれば、近侍がわざわざ来るとは何事かと、短刀たちに緊張が走った。だが、それに気づかぬ山姥切は廊下に立ったまま「ちょっといいか」と山伏を軽く手招き他の者には目もくれない。
     もしやなにか自分たちに手落ちがあって山伏が咎められているのでは? とやや離れた場所で固唾を呑んで見守る短刀たちが気の毒になったか、蜂須賀は、やれやれ、と軽く肩を竦めてから「大丈夫だよ」と小さな頭を順繰りに、ぽんぽん、と優しく叩き、中に入って休むよう促した。
    「ですが……」
    「キミ達が気にすることはなにもないよ。近侍殿は彼に審神者からのお願いを伝えているだけだから」
     それでも心配そうに、ちらちら、と山伏と山姥切の様子を窺う前田と秋田の背に掌を添え、蜂須賀はそう言い切った。
    「そうですか。僕たちが居ると話しにくいかもしれませんね。行きましょう」
     資源の入った袋を抱え直した平野が気を利かせて兄弟に声を掛け、率先してその場を立ち去ったことに山姥切は気づいているのか。ちら、と蜂須賀が肩越しに様子を窺えば、山姥切ではなく彼の兄が詫びるように軽く手を挙げて見せたのだった。
     一方、蜂須賀と短刀たちのやり取りには露ほども気づいていない山姥切が山伏に伝えたのは「歌仙の代わりに再度遠征に行って欲しい」との審神者からのお願いであった。
    「戻ってきたばかりなのにすまない」
    「拙僧は一向に構わぬが、歌仙殿はどうされたのだ」
    「畑当番だったんだが具合を悪くしてな。熱射病? とやらで手入れで治るものではないらしい」
     人の身は不便なことが多いな、と眉を寄せた山姥切だが、今は見下ろす高さにある兄の顔をそのまま、じっ、と凝視する。
    「ん? どうした? 拙僧の顔になにかついておるか?」
     はて? と顎を擦る山伏に、そうじゃない、と山姥切は首を横に振り、するり、と日に焼けた頬に指を沿わせた。
    「顔色が良くない。疲れているんじゃないのか」
    「これくらいで音を上げるほど拙僧はヤワではないぞ、と言いたいところであるが、それなりに疲労が溜まってる自覚はある」
     山姥切の手はそのままに、若干、眉を下げた山伏だが、弟刀が口を開くのを遮るかのように、カカカ、といつもの笑い声を上げた。
    「戦闘であればさすがに主殿に掛け合うが、遠征であればさほど問題はなかろう!」
     ばしばし、と肩を叩かれ山姥切はその勢いと威力に喉奥で低く呻く。練度で言えば山伏の方が低いのだが、太刀と打刀の基本性能の差は如何ともしがたく。じんじん、と疼く肩を撫でさすりながら山姥切は顔を伏せ、馬鹿力め、と小声で悪態をついた。
    「戻ってきたら主殿に休息を願い出るつもりであるから心配するな兄弟」
     先の力強い口調から一転、染み入るような柔らかな声音に、はっ、と顔を上げれば、山伏はその声音に相応しい表情で山姥切を見ており、それにつられるように山姥切の頬も若干緩む。
     兄弟の欲目はあれど兄刀は万人が認める美しさを持っているのだと、山姥切は本気で思っている。普段は豪放な性格に掻き消されてはいるが、物言わず座す姿は凛としており、容易に触れてはならぬと思わせる気高さがある。
     ただし、そのような姿は本丸では一切お目にかかれないのだが。とにかくこの男は他者が居るところでは、常に大口を開けて笑っているのだから。
    「そう遠くないところだが、日暮れが近い。道中気をつけろ兄弟」
     山道はなにが出るかわからないからな、と口にしてから、なにかにつけ山で修行をしているこの兄刀には釈迦に説法だったか、と山姥切は僅かに眉を寄せた。
    「うむ、慢心は禁物であるな」
     だが、山伏は山姥切の後ろ向きな考えを吹き飛ばすかのように大きく頷き返し、にかり、と笑んだ口元から特徴的な犬歯を覗かせる。自分を見上げ笑う兄の姿など滅多に拝める物ではなく、山姥切は目の前の光景に見取れそうになるも、寸でのところで、はっ、と我に返った。
    「他のやつらもすぐ行かせるから門のところで待っていてくれ」
    「あいわかった。では行ってくる」
     無理矢理に視線を引き剥がし門の方角へと顔を向ければ、山伏は一瞬、首を傾げるも直ぐさま大きく頷き、軽く片手を上げてから山姥切に背を向けたのだった。


     退屈しのぎか厚が、こつん、と蹴った小石の行き先を目で追ってから、山伏は朱から紫へと変わりつつある空を見上げた。小石はそう遠くまでは飛んでいないにも関わらず、木々の影が濃く落ちている山道ではすでに行方が掴めない。
     少し急いだ方が良いか、と隣を行く厚を見下ろせば、山伏が見ていることに気づいた厚が、にか、と笑みを浮かべた。
    「ついでに茸でも採って帰るか?」
     本来ならば薬研が遠征に組み込まれていたのだが、薬の管理をしている薬研が歌仙の看病をすることになり、休息日であった厚が急遽駆り出されることになったのだ。それでも文句のひとつも言わず「任せとけ!」と胸を叩いた厚は、実戦経験も相まって短刀の中でも特に頼もしい。
    「山鳥なんかも捕れるとご飯が豪勢になりますね」
     手を合わせ、うきうき、と楽しそうに声を弾ませる五虎退に「肉かー。それいいな。投石兵使えっかな? 弓兵の方がいいかな?」と厚が真面目に返す。
     審神者の立場や刀剣男士を呼び出すに至った経緯など難しいことはわからずとも、余り豊かとは言えない台所事情は皆承知している。故に畑を耕し、人当たりの良い者が買い出しの際に交渉し、僅かでも節約に励んでいる。
    「なんか実績を出さないと援助もままならないとか大将この間ぼやいてたけど、出陣しなきゃ戦果も上げられないっての」
    「主殿もそれはわかっておろう。だが、急いては事をし損じる。戦力が心許ない今は耐える時ぞ」
     幸いにも敵方に大きな動きはなく、出陣したとしても小競り合い程度だ。互いに様子見の段階で、これが嵐の前の静けさでなければ良いのだが、と山伏は密かに眉をひそめる。
    「わかっちゃいるけど、どうにも落ち着かないよなー」
     戦う道具の性か、いつ起こるとも知れぬ戦に心の奥が常にざわめきたっているのだろう。
    「痛いのはいやです」
     うぅ、と五虎退が情けない声を上げたのを微笑ましく思う間もなく、彼の足下でじゃれ合いながら進んでいた子虎たちが揃って一方向に顔を上げ、耳を、ピン、と立てた。それに遅れること一拍、山伏も木々の向こうを賺し見るように目を眇め、耳をそばだてる。
     なにが聞こえたわけではない。だが、明らかに山の空気が変わったのだ。
     子虎と山伏の様子に短刀ふたりは声も立てず、身動ぎひとつしない。
     山菜採りに来た里の者ならばなんら問題はない。そうあって欲しいと願う反面、迫り来る圧力の正体が山伏には既にわかっている。
    「あ、あの……」
     張りつめた空気に耐えきれなくなったか、五虎退がか細い声を上げれば山伏は、しっ、と己の口の前に人差し指を立て、そのまま立てた指で近くの茂みを指し示した。そこは身体の小さな短刀ならば十分に隠れられる高さがある。意図を汲み取った五虎退がまず子虎たちを従えて茂みへと身を隠し、次いで厚が足を踏み入れた。
    「山伏も早く」
    「拙僧のことは案ずるなかれ。ふたりはなにがあっても出てきてはならぬぞ」
     声を潜めて名を呼んでくる厚に山伏は、ゆうるり、と首を振り、深い影の落ちた道の向こうを見据える。
     息を殺し身を潜めるように進んでいる気配はふたつ。一瞬ではあったが捉えることの出来た木々の間を進むその背格好から察するに、相手は脇差と槍だ。こちらのことも既に相手には捕捉されているのだろう。警戒してか大回りをしているが、確実にこちらとの距離を詰めてきている。
     念のためと遠征時も刀装は身につけているが、槍の貫通能力の前では刀装など意味をなさない。ただでさえも防御の面で不安のある短刀たちを、相性最悪な槍の前に立たせるわけにはいかなかった。
     身を隠すことに長けた短刀の気配に気づくのは容易ではないだろう。敵がひとりだと油断してくれれば勝機はある、と山伏は静かに息を吐きながら腰の刀を流れるような動作で抜き放ち、構えた。
     そこからは一瞬であった。
     暗闇から突如現れた脇差を一太刀で斬り伏せた山伏の右肩を、狙い澄ましたかのように槍の穂先が貫いたのだ。
     最初から脇差を囮にし、槍の一撃で山伏を仕留めるつもりだったとしか思えぬ動きであった。
     低い呻きが耳に届くよりも早く厚は茂みを飛び出し、態勢を立て直す間を与えず敵槍に刃を叩き込んだ。致命傷には至らぬも膝を突いた槍から飛び退いて一旦距離を取り、厚は勢いをつけて槍の懐に再度飛び込むや相手の足を狙って複数回斬りつける。
     肩を貫いた穂先はそのままに槍の柄を山伏が力任せに掴み押さえ込んでいるおかげで反撃はなく、厚が全体重を載せた一撃を決めると同時に山伏は自ら後方へ飛び、肩から槍を抜いた。
    「厚殿ッ!」
    「五虎退! 走れッ!!」
     名を呼ぶと同時に山伏は地を蹴り厚の身体をかっさらうように担ぎ上げ、厚は茂みに向かって声を張り上げた。
     あとはただただひたすらに山道を駆けた。
     先導する子虎二匹に続いて五虎退が、その背を守るように三匹の子虎が山伏たちの先を行く。山伏の左腕に抱えられたままの厚は、山伏の肩から乗り出すように背後に目を凝らしている。
    「どうであるか?」
    「ん、大丈夫だ。追っては来てねぇ」
     厚の返答に、重畳重畳、と山伏はいつものように笑うも、厚は鼻先にまとわりつく鉄錆びた臭いに「笑い事じゃねぇよ」と顔を歪める。
    「一旦止まって手当を……ぉおうあ!?」
     山伏の顔を覗き込もうと厚が身じろいだ瞬間、がくん、と山伏の身体が沈み込んだと思う間もなく、ぐるん、と視界が回り、突然のことに厚の口から珍妙な叫びが上がった。
     一体なにが巻き起こったのかと目を見開いたまま厚が身を起こせば、山伏は進行方向に頭を向けた状態で仰向けに倒れていた。
    「ちょっ、おい大丈夫かよ!?」
    「む、大事ない。厚殿こそ怪我はないか?」
     前方につんのめるように倒れそうになったところを厚を庇って無理矢理に身体を捻り、山伏自身は受け身を取ることなく背中から思い切り山道に倒れ込んだのだ。いくら丈夫な太刀とはいえ、負傷している身ではなにが致命傷になるかわからない。
    「俺のことはいいんだよ! 肩以外もやられたのか!?」
     焦る厚に山伏は「いやなに」と困ったように眉尻を下げるばかりだ。
    「大丈夫ですかぁ~」
     慌てて駆け寄ってきた五虎退がなにに気づいたか、きょろり、と辺りを見回せば、主よりも先にそれを見つけた子虎が口にくわえて戻ってきた。
    「あぁ、鼻緒が切れちゃったんですね」
     高下駄を受け取った五虎退が、直せるかなぁ、と矯めつ眇めつしている横では、山伏の宝冠を無理矢理剥いだ厚が問答無用でそれを山伏の肩に巻き付けている。
    「踏んだり蹴ったりであるな」
     カカカ、と山伏は呑気に笑い「だから笑い事じゃねーっての!」と怒鳴った厚に、ひっ、と五虎退が肩を竦めたのだった。


     門をくぐった先に佇む人物を目にした瞬間、山伏は珍しくもばつの悪い表情を浮かべた。遠征部隊の帰りが遅いことを心配してか、山姥切と薬研が並んでそこに居たのだ。
     とっぷりと日が暮れた庭先には篝火が焚かれ、見せたくないものは隠す間もなくすっかりと暴かれてしまった。
    「あいすまぬ。拙僧の未熟さ故に失敗である」
     出迎えの言葉を用意していたであろうふたりは目を見張ったまま固まっており、近侍がなにか言う前に山伏が頭を下げれば、呪縛から解き放たれたか「そんなことはどうでもいい!」と山姥切の常にない厳しい声が庭に響き渡った。
     本丸に無事ついた安心感と滅多に聞かぬ山姥切の大声に驚いたか、じんわり、と五虎退の目に滲んだ涙は止める手立てもないまま、ぼろぼろ、と零れ落ちていく。
    「やまっやまぶしさんを、お、おこっちゃだめですぅ」
     ひっくひっく、としゃくり上げながらも懸命に訴えてくる五虎退の頭を撫でてやりながら、厚も「今回は不可抗力だ。話くらい聞いてくれよ」と山姥切をまっすぐに見据える。
    「なんだなんだ、随分と騒がしいじゃないか」
     ピリピリと張りつめた空気の中、不意に割り込んできた緊張感とは縁遠い呑気な声に、一同の目がそちらへ向けられた。
     ふらり、と現れたのは鶯丸で、同じ本丸にいるにも関わらず滅多なことでは庵から出てこない彼のことを、遠征中心で外に出ることの多い短刀たちはよく知らないでいる。
    「おや、そんなに大泣きしてどこか痛いのか?」
    「ちがっちがいます! 僕は大丈夫です。でも山伏さんが……」
     僕たちを庇って、と震える声で五虎退が告げれば、状況を把握しているのかすら怪しい鶯丸は、ふむ、と一声漏らすや山伏に寄り、乱雑に巻かれた肩口の布を無造作に掻き分けるや「あぁ、たいしたことはないな」と世間話の延長のような気楽さで言い放った。
     実際に傷口を見た厚からすれば反論したいところだが、鶯丸がなにを考えているかわからない以上、ここは口を挟むべきではないとぐっと我慢をする。
    「大泣きして心配するほどのことじゃあない。うまい団子があるから来るといい。茶をいれてやろう」
     まだべそをかいている五虎退の手を掬い上げ庵へと誘う鶯丸と、それにおとなしく着いていく弟刀を見送ってから、薬研は厚に向き直った。
    「本当は大したことあるんだろ?」
    「あぁ。でも嘘も方便ってやつだな」
     当人がいくら大丈夫だと言ったところで実際に傷を見てしまえば、それが相手に心配をかけないための言葉だとすぐにわかってしまう。そこで第三者である鶯丸が「大したことはない」と断言することによって、五虎退の不安を拭い去ったのだ。
    「鶯丸のことはよくわかんねーけど、一応アレ、気を遣ってくれたんだよな?」
     飯の前に団子はどうかと思うけど、と厚が苦笑いを見せれば、薬研は全くだと言わんばかりに軽く肩を竦めて見せた。
    「さてと、そっちはそっちで任せていいかい? 俺っちは自分の兄弟のことで手一杯なんでね」
     互いにばつの悪い顔で言葉もなく立ち尽くす太刀と打刀に薬研が声を掛ければ、はっ、と弾かれたように山伏が顔を上げた。
    「厚殿!」
    「おう、なんだ?」
    「助けていただいた礼も満足に告げておらなんだ。本当に助かり申した」
     深々と下げられた頭に厚は、よせやい、と眉を寄せる。
    「俺も五虎退も戦刀だぜ。一方的に守られるのは性に合わないんだよ」
     今度はちゃんと一緒に戦わせろよな、と不敵に笑う厚に山伏は軽く目を見張ったのち、あいわかった! と力強く頷いた。
    「大将への報告を済ませたらまっすぐ手入れ部屋に来いよ」
     準備しておくから、と言い置き、薬研は厚を伴ってその場を後にする。山伏たちの前では元気に振る舞っていた厚だが、薬研以外の目がなくなった途端、はぁぁぁ、と地にめり込みそうなほどの憂鬱な溜息を吐き出した。
    「どうした?」
    「ん、んー? いや、もっと索敵能力上げないとなって思ってよ。先手を取れるかはそれにかかってるわけだし、それが短刀の役割だろ? なのに全然役に立てなかった」
     すげー悔しいし申し訳なかった、と項垂れる厚の肩を、ぽんぽん、と叩き、薬研は「目標が出来て良かったじゃないか」と兄弟刀を励ました。
     一方、残された山伏と山姥切はどちらからともなく顔を見合わせ、ここにきて山姥切は違和感に気づく。
    「兄弟、履き物はどうした」
     常とは違う位置にある兄の顔に向かってぶっきらぼうに問えば、山伏は一旦、己の足下に目をやってから「鼻緒が切れた」と笑顔で答えた。
    「それで、裸足で歩いてきたのか」
    「仕方なかろう」
     苦い声音で、ぎりぎり、と眉根を寄せる弟に、あっさり、と言葉を返せば、更にきつく眉根が寄る。
    「怪我はするわ、下駄は壊すわ、泣きっ面に蜂だな」
     そう独り言のように漏らすや山姥切は、くるり、と山伏に背を向けた。そのまま立ち去るのかと思いきや、すっ、と腰を落とし、控えめではあるが後方に腕を伸ばしている。
    「いかがした兄弟?」
    「運んでやるから乗れ」
     ん? と首を傾げる山伏を肩越しに見上げ、山姥切はやはりぶっきらぼうに言い放つ。
    「なに、大したことはない。気遣いは無用ぞ」
     カカカ、といつもの笑いを見せる山伏に、常ならば呆れたように身を引く山姥切だが、今回ばかりは様子が違った。
    「やせ我慢も修行か? 兄弟」
     咎めるような、それでいてどこか寂しそうな目を向けられ、山伏は先のように即座に言葉を返せず口籠もる。
    「足首も痛めてるだろ」
     確かに、下駄の鼻緒が切れ倒れ込む寸前に無理矢理に体勢を変えた際、足首に痛みが走ったことは認める。だが、帰りの道中、五虎退にも厚にも気づかれなかったそれを、弟刀は何故気づいたのか。
     この期に及んで言い逃れようというのか、思案し口を開かぬ山伏に山姥切は不満たっぷりな眼差しと共に口を開いた。
    「巧く誤魔化しているが体重のかけ方がおかしい」
     そう指摘されてしまえば最早いい訳の余地はなく、山伏は白旗を揚げて降参するしかなかった。
    「拙僧は重いぞ?」
    「構わない。乗れ」
    「いや、しかし、えーと、そうさな……」
    「いいから乗れ」
     それでもなんだかんだと理由をつけて断ろうとする山伏に、ぴしゃり、と言い放てば、ようやく観念したか大きな手が遠慮がちに山姥切の肩に触れた。背中にしっかりと体重がかかったことを確認してから、山姥切は山伏の腿を抱えるように支えゆっくりと立ち上がる。
     一歩一歩踏み出す足は揺らぐことなく、なにか言いかけた山伏はそれを飲み込むと別のことを口にした。
    「山中で敵と遭遇した。あれは恐らく斥候であろう」
     囁くように耳に吹き込まれた声に山姥切の背が一瞬、強張る。どうかしたか? と悪気の一切ない山伏の問いに、なんでもない、と返せば、そうか、と短い言葉が寄越された。
     ぽつりぽつり、と遠征で遭遇した敵のこと、それらとの戦闘のことを語る山伏に山姥切は短く相槌を打つ。
    「守るつもりが逆に守られ、あまつさえは拙僧の判断が厚殿の矜持をいたく傷つけることになるとは思いもよらず、まっこと己の未熟さを痛感したのである」
     なかなかに本心を吐露せぬ兄刀がここまで弱音を吐くと言うことは、今回のことは相当こたえたのだな、と山姥切は胸中で漏らす。
    「だが、厚は兄弟のことを責めたわけではないのだろう? 兄弟が厚のことをないがしろにしたわけではないと、それはちゃんと伝わってると、俺は思う」
     言葉を選び選び山姥切がそう告げれば、ふっ、と柔らかな微笑を浮かべた山伏は、兄弟の肩に顔を埋めるように身を屈めた。
    「そうであれば良いな……」
     答えた声音はどこか、とろり、と柔く、じわじわ、と背中にかかる重みが増していく。
    「兄弟?」
     呼べど返るは穏やかな寝息のみで。
     張りつめていたものが切れた上に疲労していた兄刀は、抗う間もなく睡魔に負けたのだと気づいた山姥切は池の畔で足を止め、健やかな寝息と背に感じる温もりを暫し堪能したのだった。


     障子を通して届く朝日に山伏が真っ先に思ったことは「寝過ごした」であった。常ならば既に道場で軽く汗を流した後、皆と朝餉を済ませ経のひとつでも読んでいる時分である。
     だが、自身の状態を思い出し、浮かせかけた頭をおとなしく枕へと戻した。
     そっと触れた右肩は硬く包帯が巻かれているが、その上からでもわかるほどに熱を持ち疼いている。
     昨晩、手入れ自体はされたがそれで即座に直るものではなく、あとは時間が経つのを待てと言われたのだった。審神者から人であれば完治に何日もかかる怪我が数時間で済むのだから脅威の回復力であると言われたが、人ではない山伏には正直ピンとこない。
    「兄弟、起きているか?」
     うーん、と人との相違点を真面目に考えていた山伏の思考を遮ったのは、障子向こうからかけられた山姥切の声であった。
    「うむ、今起きたところである」
     寝起きであるせいか若干掠れた声ではあったが山姥切の耳には無事に届いたようで、音もなく障子が横に滑った。
    「朝餉だ」
     両手に捧げ持ってきた盆を山伏の枕元に置き、山姥切も畳に腰を下ろす。
    「気分はどうだ?」
    「よく寝たので爽快である」
     ちと寝過ぎたかもしれぬな、と笑ってみせれば、どこか、ほっ、とした顔で山姥切は山伏が身体を起こすのに手を貸した。
     手入れが終わってから自室に戻った兄刀にしばらく着いていた山姥切は、夜半過ぎに訪れた薬研から「熱が出るかもしれないから」と熱冷ましの薬を預かっていたのだ。幸いにもそれは使われることなく薬箱へと戻ったのだが、日が昇ってもなかなか目を覚まさぬ山伏を心配していたのだった。
    「今日一日はおとなしくしていろ」
     茶碗を取り上げ、手にした箸で白米を一口分取り、山伏の口元へと運んでくる山姥切は真顔以外の何者でもない。当たり前のように差し出された食事に、さすがの山伏も目が点になった。
    「兄弟? これは一体どういうことであるか?」
    「見ての通りだが?」
     それがどうしたと言わんばかりに、ほら、と更に箸を寄せてきた山姥切はやはり真顔だ。
    「食事ならばひとりでできるから、兄弟がそこまでせずとも」
     よい、と言うと同時に、ずい、となにも掴んでいない箸が差し出され、山伏は反射的にそれを受け取るも巧く掴めず、ぽろり、と取り零してしまった。
    「ひとりで、なんだって?」
    「あいすまぬ……」
     箸を拾い上げた山姥切の言葉に、山伏は消え入りそうな声で詫びる。思った以上に自由の利かない己の右手を左手で掴み、修行が足りぬ、と肩を落とした。
    「こんな時くらい誰かを頼ってもいいだろう? それにこれは俺が好きでやってることで、兄弟が気にすることじゃない」
     冷めないうちに、と促され、山伏はおとなしく口を開いた。
     一度口にしてしまえば恥ずかしさも消えたか、白米も煮物も実にうまそうに平らげていく。箸を運べばなんの疑いも持たず素直に開かれる唇に、時折、ちらり、と覗く赤い舌に、気がつけば山姥切の目は釘付けだ。
     しまったこれは目の毒だ、と慌てて視線を引き剥がすも、それに気づかぬ山伏に催促されれば見ないわけにもいかず、山姥切は思わぬところで苦行を強いられたのだった。


     昼餉は握り飯を作ってもらうよう頼んだから、絶対に絶対におとなしくしててくれ! と山伏に念押しして、後ろ髪を引かれつつも山姥切は遠征に出かけていった。心情的には今日一日は山伏についていたいところだが、私情を挟めるほどこの本丸は色々な意味で豊かではないのだと、真面目な近侍はわかっているのだ。
     しかも、今回の一件で人員不足を早急にどうにかするべきである、と無駄にやる気を出した審神者が立て続けに太刀を呼び出したせいで、これまで以上に資源確保に奔走する羽目となったのだった。
     歌仙の負担を少しでも減らせればと、狙い澄ましたかのように燭台切光忠を呼び出した審神者に、兄弟の時は外したくせに、と一瞬だが殺意が芽生えたのは山姥切の胸に秘めておく。
     どこか殺気立っていた山姥切を見送り、途端にやることのなくなった山伏は、うーん、と天井を仰いだ。出かける間際まであれこれと世話を焼き、身体まで拭いてくれた弟のおかげで心身共にサッパリしている。
     このまま寝てしまうのはあまりにももったいないと、山伏は静かに布団を抜け出した。


     近侍殿は遠征に行ってるから、と新入りの案内役を買って出た薬研は、黙って後ろを着いてくる同田貫正国を振り返り「ここが資源置き場な」と一声掛けてから中に踏み行った。
     資源は種類ごとに分けられ、一定量に達した箱は封をされ壁際に寄せられている。
    「在庫管理は蜂須賀の旦那が受け持ってる。几帳面な御仁だからな、遠征やらで持ち帰った分と使った分はちゃんとそこの黒板に記入しておかないと、かなり絞られる」
     あらかじめいくつかの項目が記入された黒板を眺めていた同田貫は、ん? と怪訝な顔をした。
    「遠征、拾得、支給はわかるが、この『山伏』ってのはなんだ?」
    「太刀の山伏国広のことだ。大将から山籠もりの許可が下りると修行ついでに炭を焼いて持ち帰ってくる。そのおかげで木炭だけは不自由してなかったんだが、最近はずっと本丸にいるからさすがに減ってきたな」
     木炭の入った箱を数える薬研を見下ろし、同田貫は「ヘンなヤツが居るな」と片眉を上げたのだった。
    「刀装を作るのは隣の部屋な」
     試しに作ってみるか? と問われるも同田貫は首を横に振り、薬研も無理強いする気はないのか、あっさりと引き下がった。
    「じゃあ見るだけな」
     資源置き場も刀装部屋も扉はなく、廊下から中の様子がすぐに伺える造りだ。階段の上に設えられた祭壇の上には巨大な鏡が設置されており、それが一体どのような役割を果たしているのかは不明であるが、異様な存在感に同田貫は隠すことなく顔を顰める。
     だが、同田貫の目を何よりも引いたのは鏡ではなく、その前に座する白い背中であった。
    「おっと先客か」
     薬研の小さな呟きが耳に入ったか、ゆうるり、と振り返った男は紅玉の瞳で薬研を見、次いで同田貫を見た。その凛とした佇まいと纏う空気に同田貫はつまらなそうに鼻を鳴らす。
    「おぉ、薬研殿。そちらの御仁はどなたであるか?」
     すっ、と音もなく立ち上がり、ゆっくりと階段を下りて来た山伏に、薬研は困ったような呆れたような顔を向ける。
    「なんて格好してんだ。いつものジャージはどうした?」
    「うむ、兄弟にこの姿ならばいくらかおとなしくしていられるだろうと言われてな」
     行衣姿の山伏は穏やかにそう応じると、薬研の後ろで佇む同田貫に目をやった。
    「同田貫だ」
     簡潔な自己紹介に気分を害した様子もなく、山伏は「同田貫殿……」と名を復唱してから「実戦刀とは心強い限りであるな」と柔く笑んだ。
    「で、お綺麗なツラしたアンタはなんだ? 飾りモンか?」
     悪気はないのであろうがなかなかに辛辣な言葉を投げかけられ、山伏は一瞬目を丸くするも、先までの柔らかな物腰とは一転、豪快な笑い声を上げた。
    「カカカカカ! 如何にも、拙僧は美術品よ。山伏国広と申す。よろしく頼みますぞ同田貫殿!」
    「は!? 山伏!? は!? こいつがか!?」
     最初に目にしてしまった姿と想像していた姿との違いに面食らい、更には美術品とは思えぬ豪放さを見せられ、同田貫は軽く混乱し薬研と山伏を交互に見やる。
    「近侍殿には内緒にしておくから旦那は戻って休みな」
     あとでもう一人紹介する、と山伏に告げ、薬研は未だ混乱から抜け出せぬ同田貫の背を押して退室したのだった。


    「で、どうして疲労状態が回復していないんだ? 兄弟」
     遠征から大急ぎで戻ってきた山姥切の冷ややかな問いに、山伏は「不思議なこともあるものだな」と空惚けるしかない。
     あのあと、薬研の忠告通りまっすぐに部屋へと向かったのだが、途中で子虎を探す五虎退の姿を見かけ、放っておくのも忍びなくその手伝いで本丸内から庭の隅々まで渡り歩き、布団に戻ったのがつい先ほどであったのだ。
    「俺との約束などどうでもいいのだな」
     所詮写しの戯れ言だ、と項垂れる山姥切に山伏は即座に頭を下げた。
    「すまぬ」
     言い訳のひとつもせず頭を垂れる山伏の隣に腰を下ろし、山姥切は身を起こしていた山伏を布団へと横たえさせる。
    「俺が兄弟のことを心配しているのはわかってくれているんだな」
    「無論。それは痛いほどに感じておる」
     有り難くも申し訳ないほどに、と言葉を重ねる山伏に、そうか、と返すや山姥切は山伏の隣に、ごろり、とねそべり、掛け布団の上から兄刀の身体に腕を回した。
    「兄弟?」
    「なら、少しは安心させてくれ」
    「うむ? 拙僧はどうすればいい?」
    「そのままいてくれればそれでいい」
     少し寝る、と山姥切は欠伸混じりに告げ、静かに瞼を降ろした。山伏はこの状況がよくわからないまでも、これで兄弟の気が済むのならば良いか、と弟刀の額に、こつり、と己の額を合わせたのだった。


    「うわぁ、すごい仲良しなんですねぇ」
    「仲良し、ねぇ……」
     細く開かれた障子の隙間から中を窺う五虎退と厚の声は、眠る二人には届いていない。
    「あとでちゃんとお礼言わないとですね」
    「そうだな。これは返しておかないと困るだろうし、置いてくか」
     ぽそぽそ、と小声で相談し、静かに障子を閉める。
     二人が去った後の廊下には、丁寧に直された高下駄が残されたのだった。

    ::::::::::

    2015.05.11
     審神者に命じられた偵察を終え、馬を厩へと戻した山姥切は太陽の位置を確かめてから、怪訝に眉を寄せた。普段ならばこの時間は馬の世話をしている者が居るはずであり、現に畑では同田貫が黙々と鍬を振るっている。
     サボりか、と感情を乗せず呟き、報告のために審神者の元へと向かう。
     畑の傍を通った際、同田貫が、ちら、と視線を寄越したが山姥切に声をかけるでもなく、その足取りを目で追うだけだ。山姥切も特に頓着することなく無言で通り過ぎて行く。
     物干し竿に掛けられた洗濯物が風にたなびき、一際目立つシーツのその白さに目を細める。
     肉の器を得てからすっかり馴染んでしまった日常風景だ。だが、山姥切は再度怪訝に眉を寄せ、ぐるり、と辺りを見回した。なにもおかしなところは見あたらないが、敢えて言うならば空気が妙であった。不穏な物は感じないが、どこかざわめき立ち落ち着かない、そう肌で感じるくらいには常と異なっていた。
     気持ち早足になり審神者の部屋を訪れた山姥切を待っていたのは、
    「山伏が、その……困った? というか大変? なことになった」
     との、歯切れの悪い審神者の一言であった。
     それを聞くや否や、くるり、と踵を返し、どたどた、とけたたましい音を立てて廊下を疾走する。目指すは言わずもがな兄刀の部屋だ。
     今度はなんだ? また怪我でもしたのか? 食あたりでも起こしたか? それとも刀装作りに失敗していじけて閉じこもりでもしたか? いやそれは俺か! などと忙しなく思考を巡らせつつ、スパーン! と勢いよく障子を開け放った。
    「兄弟! 一体なにがあった!?」
     開け放つと同時に声を張った山姥切であったが、目の前の光景に障子を開けた格好のまま動きを止める。
     一言で言えば人口密度が高い。
     てっきり山伏しかおらぬと思っていたが、予想に反して部屋の中には複数の頭があったのだ。それもほぼ中央に敷かれた布団を囲むように、だ。
    「おぉ兄弟。無事に戻ったか」
     こちらに背を向けた燭台切の影から、ひょこり、と覗いた浅黄色に安堵の息をつきかけるも、その位置と大きさに、そしてなによりもその声に再度山姥切の動きが止まった。
    「弟くんとお話ししたいのはわかるけど、先に食事を済ませてしまおうか」
    「うむ、そうであるな」
     すまぬ、と燭台切に詫びる山伏の口調はいつものそれだが、聞こえてくる声は子供のそれで、山姥切はぎこちない動作で室内に踏みいると、恐る恐るといった体で布団に居るであろう兄を見た。
    「な、なん……」
     最早声も出ないか、ぱくぱく、と金魚のように口を開け閉めするしか出来ない山姥切を見上げ、まぁ座んな、と枕元に腰を下ろしている薬研が、ぽんぽん、と隣を叩く。わけがわからない、と全身で訴えてくる山姥切に薬研が軽く肩を竦めて見せれば、彼は諦めたようにおとなしく畳に尻をついた。
     混乱でめまいを起こしそうな山姥切の目の前では、恐らく兄であろう少年が燭台切の差し出す木匙を口に含んでいる。
    「なんで餌付けされてるんだ……」
    「そこかよ」
     呆然と漏らされた声に薬研が小さく突っ込む。
     ふーふー、と息を吹きかけ粥を冷ます燭台切と、あー、と口を開ける山伏を暫く眺めていたが、徐々に落ち着きを取り戻した山姥切は改めて室内にいる顔ぶれを見回し、あぁ、とどこか合点のいった声をあげた。
     燭台切、薬研、厚、太郎太刀、そして山伏。
    「今日、出陣した面子か」
    「そういうことだ。皆この事態に度肝抜かれちまってな。ここに居たってなにができるわけじゃないが、心配半分、興味半分ってとこだな」
     一体なにがあったのかと山姥切が改めて問えば、薬研は一瞬、端麗な顔を歪ませてから「折れた、らしい」と苦い声音で押し出した。
    「俺たちは寄り代が折れると現世との繋がりが断たれて概念に戻るだろ? 今回はお守りの効果でぎりぎり踏みとどまって完全に繋がりは断たれなかったんだが……」
    「霊力不足で太刀本来の姿が維持できなくてあぁなったんだろう、って大将が言ってたぜ」
     布団の反対側から四つんばいで近寄ってきた厚が薬研の言葉を引き継ぎ、びっくりだよなー、と自分と同じくらいの背丈になった山伏を見やる。
     仮の器を寄り代とし現世と刀剣男士をより深く繋いだのは審神者だが、顕現した身体を維持しているのは刀自身の霊力だ。戦い、傷つき、流れる血は、本来ならば目に見えない霊力を視認できるように変換した物であると、以前、手入れの最中に審神者が話していたことがある。
     前例のない今回の件に関しては普段は言動の緩い審神者も血相を変え、方々に手を尽くし情報を掻き集めた結果、きちんと手入れをした後、本丸内での自然回復を待つしかないと結論づけたのだった。
    「もっと手っ取り早く回復する方法ねぇのかなぁ?」
    「さぁな。飯食って寝るくらいしかないから大将もお手上げなんだろうさ」
     頭の中まで見た目に沿ったことにはなっていないが、どうにもうまく身体が動かぬと、山伏は隠すことなく皆に告げたのだ。隠したところで誰も得はせず、返って周りに迷惑を掛けると判断したのだろう。
     おっとごめんよ、と山伏の小さな口から垂れた粥を拭う燭台切を眺めつつ、心配そうに二人を無言で見つめる太郎太刀を、ちら、と上目に見やり薬研は、まいったねぇ、と低く漏らした。
     本人が案外、けろり、としているおかげで、思ったより深刻な空気にはなっていないのは不幸中の幸いである。もっと取り乱すかと思っていた山姥切が、こうしておとなしくしているのは正直予想外であったが。
    「あの寝間着は厚のか?」
    「ん? あぁ、俺が一番背格好が近かったからな」
     ぱじゃまと言ったか、と慣れない言葉を唇に載せ、山姥切は紺一色に包まれた山伏を、じっ、と見つめる。
    「ネグリジェを持ってきた乱を部屋に入れなかった俺っちを褒めてくれていいんだぜ?」
     はは、と冗談めかして笑っているが、薬研の目が一切笑っていないことに即座に気づいた山姥切は「世話を掛けた」と真顔で頭を下げた。
    「そういえば馬当番は乱と五虎退だったな」
    「そうなんだが山伏の旦那の話を聞いたら、五虎退はべそかいちまってなにも手に付かないわ、逆に山伏の旦那に心配されるわで、どうにもならなかったから鶯の旦那がまた団子で気を引いてくれた」
     あわあわ、と本人よりも狼狽え、大丈夫ですか痛いとこないですか、と必死になっている五虎退の姿が目に浮かび、山姥切は緩く首を振る。
    「乱も気丈に振る舞ってたが、少なからずショックを受けたんだろうな。心ここにあらずってヤツだ」
    「そりゃそうだろ。明日は我が身ってヤツだし。そしたら同田貫が代わりに馬当番もやってやるって言ってきたんだよ。あいつ見かけによらず優しいとこあるよな」
     噂をすればなんとやら、厚が同田貫の名を出すのを待っていたかのようなタイミングで、どすどす、と乱暴な足音が近づき、すたん、と障子が開かれた。
    「おう、おまえらいい加減にしねぇと歌仙がお冠だぞ」
     同田貫は洗い終わった洗濯物を抱えた歌仙とたまたま廊下ですれ違っただけだが、その据わりきった目に自称文系の忍耐の緒が切れかかっていると悟ったのだった。
    「うへぇ、歌仙は怒るとおっかねぇんだよなぁ」
     反射的に首を竦めた厚だが、そうだ、と同田貫を見上げる。
    「なぁ、手っ取り早い霊力の回復方法、なんかねーかな?」
    「あ? んなモン俺が知るか。よくわかんねーけど霊力高いヤツと一緒に居ればいいんじゃねぇの?」
     考えるのも面倒くさいと同田貫は思いつきで言っただけなのだが、厚も薬研も、燭台切までもが「なるほど、それはありかもしれない」と、ぽん、と手を打ったのだった。
    「は? おまえらマジか?」
    「一番霊力高そうなのは、太郎太刀だな!」
    「おや? 私ですか」
     厚のご指名に静かな驚きの声を上げた太郎太刀だが、山伏と共にいることについては吝かではないようだ。
    「どうでもいいから早くしろよ。山伏もう寝かけてんぞ」
     どうにも静かだと思えば腹がくちくなった山伏は、うとうと、と舟を漕ぎ始めている。途端に全員が音を立てぬようゆっくりとした動きになり、潜めた声で太郎太刀に「あとは頼んだ」と告げ、そろそろ、と退室していく。
     その際、山姥切の「本科ならともかく写しの俺に霊力など無縁の話だ……兄弟の力になれない写しの俺など……」との薄暗いぼやきを運悪く耳にしてしまった同田貫は「クソめんどうくせぇなコイツ」と喉元まで出かかったそれをどうにか飲み下したのだった。


     一晩で元に戻るなどと楽観視はしていなかったが、ここ二日ばかりの出来事を思い返し、「どうせ写しの俺じゃ役に立たないしな」と山姥切の口から自虐的で虚ろな笑いが漏れた。
     太郎太刀はあれから律儀に山伏と共におり、昼間は日当たりの良い縁側で並んで座って審神者から借りたタブレットでなにやら見ていた。それだけならばなにも問題はなかったのだが、少し目を離した隙に太郎太刀の膝に山伏が座っているという状況に、山姥切は素で噴き出した。
     彼ら曰く「身長差がありすぎて並んでタブレットを見るのはしんどいから」とのことだが、見た目は短刀でも中身は太刀のままの山伏だ。それでいいのか!? と山姥切が突っ込むも、ふたり揃って、きょとん、とされてはそれ以上なにも言えなかった。
     その後、改めて様子を見に行けば、山伏は太郎太刀の膝で、すよすよ、と眠りこけており、寝顔のあどけなさに声も出なかったのはここだけの話である。
     燭台切もなんだかんだで山伏の世話を焼き、どうしてここまで? と山姥切が不思議に思っていれば、「こうしてると貞ちゃんを思い出すね」との発言で、あぁなるほど、と納得しかけるも、いやだから中身は太刀だぞ!? と内心で突っ込みを入れた。
     やはり本調子ではないからか、山伏はうたた寝をする回数が多い。「それでも一日中パジャマでいるのはだらしがない」との蜂須賀の苦言で、日中は厚の内番服を借りている。厚と背格好や髪の長さも似ているからか、粟田口の者たちに混ざった山伏を見て歌仙が「おや、兄弟みたいだね」と笑ったのが、胸に、ざくり、と突き刺さった気がした。
     今も遠くから様子を見ている山姥切に気づいていない山伏は、自室で粟田口の者達と一緒に歌仙が作ったおやつを食べているところだ。
    「いつもキミ、他の子に自分の分をあげてしまうだろう? こんな時じゃないと僕の自信作を味わってもらえないからね」
     審神者にもらった洋菓子のレシピの中で、特に短刀からの反応が良かったというプリンを前に、山伏は歌仙のちょっとした嫌味を頂戴するも「では遠慮なくいただくとしよう」とまったく悪びれた様子もなく笑みと共にスプーンを手に取った。
    「おいしいですねぇ」
    「うむ、美味であるな」
     五虎退のとろけるような笑顔に山伏も笑顔で応じる。
    「俺、明日はシュークリームがいいな」
    「あっあれも甘くて柔らかくておいしいんですよねぇ」
     厚が、なーなーいいだろー? と歌仙にねだれば、五虎退も控えめに、僕も食べたいです、と上目遣いにねだってきた。だが、歌仙は「ダメだよ」とにべもない。
    「遠征に出てる子にも聞かないと不公平だろう? 贔屓はよくな……」
     諭すようにふたりに説明していた歌仙だが、ふと視線を転ずれば山伏が緩く首を傾げたまま歌仙を見上げ「しゅーくりーむ……?」と耳に馴染みのない言葉を復唱している。
     目尻にいつもの朱は引かれていないが、さすが美術品というべきか。一瞬ではあったが目を奪われ歌仙は、僕としたことが、と内心で苦い顔をする。
    「ふたりがそこまで言うのだ。さぞや心奪われるうまさなのであろうな」
    「……わかったよ。明日はシュークリームにしよう」
     キラキラ、とどこか期待に満ちている山伏の瞳を見てしまった歌仙は、仕方がない、と言わんばかりにわざとらしく肩を竦めて見せたのだった。
    「やったー! 山伏よくやった!!」
    「ありがとうございます歌仙さん。明日も一緒に食べましょうね。ほんとにすっごくすっごくおいしいんですよぉ」
     諸手を挙げて喜ぶ厚と、歌仙にお礼を言ってから山伏の手を握って喜ぶ五虎退の姿に、山伏も「楽しみであるな」と弾んだ声を上げる。
    「ふたりはこの後、馬当番だろう? そろそろ時間じゃないのかい?」
     歌仙が壁に掛かった時計を見上げれば、そうだった、と短刀ふたりは食器を手に立ち上がった。早足で出て行ったふたりを見送った山伏は、歌仙殿、と傍らの男の名を呼んだ。
    「拙僧も何か……」
     本丸でただただおとなしくしているしかない身であるが、それでもなにかできることはないかとダメで元々だと伺ってみれば、歌仙は意外にもすぐに口を開いた。
    「そうかい? じゃあ洗濯物をたたんでもらおうかな」
     働かざる者食うべからずだよ、と冗談めかしてはいるが、出陣もできず遠征にも行けぬ山伏が肩身の狭い思いをしないようにとの、彼なりの気遣いなのだろう。
    「それを食べ終わる頃に持ってくるからよろしく頼むよ」
     半分しか減っていないプリンを目で示してから、歌仙は盆を片手に山伏の部屋を出て行った。それに合わせるかのように山姥切も踵を返す。
     厚と五虎退に挟まれ、笑顔を見せていた山伏の姿を思い出し、その仲睦まじい様子にぎゅっ、と拳を強く握る。
    「俺の兄弟なのに……」
     ぽつり、と無意識に漏れ出た声は誰の耳にも届かず、山姥切の頭の中で、ぐるぐる、と巡り続けるだけだ。
     厠に行くと言って畑仕事を抜けてきたが、長いこと戻らなかったにも関わらず、共に当番にあてられていた太郎太刀はそのことを責めるでもなく、「もう少しゆっくりでも良かったのですよ」と、すべて承知していると言外に告げたのだった。
     太郎太刀の寛容な言葉にいたたまれなくなった山姥切は、小さく「すまない」と詫びてから、鍬を握る手に力を込めた。
    「本当にこちらは私ひとりでいいのですよ? 彼があの姿になってから満足に話もしていないのでしょう?」
    「兄弟のことは皆が気に掛けてくれているし、そもそも写しの俺が行ったところでどうにもならないだろう?」
     気遣いは無用だ、とのぶっきらぼうな返答であったが、太郎太刀は眉ひとつ動かさず「そういうことではないのですが」と何か言いかけるも、山姥切は顔を向けることもなくこの話は終いだと言わんばかりに黙々と鍬を振るい続ける。 
     頑ななその態度になにを言っても無駄だと諦めたか、太郎太刀も作業を再開したのだった。


     静まりかえった廊下を、ひたひた、と進み、薄明かりの灯る刀装部屋に足を踏み入れた山伏は、思わぬ先客の姿に僅かだが声を漏らした。
    「あ?」
     物音ひとつしない部屋にそれは存外大きく響き、鏡の前に座していた同田貫は怪訝な声と共に肩越しに振り返る。
    「なんだ、山伏かよ」
     気怠げに立ち上がった同田貫は片手に刀装をひとつ無造作に乗せたまま、段数の少ない階段をゆっくりと下りると、出入り口付近に立ったままの山伏に近づいた。
     夕餉も済み、各々思い思いの時間を過ごしているため、誰がどこにいようと咎める者はいない。だが、今の山伏がひとりでフラフラと出歩いているのはよくないだろう、と同田貫は随分と低い位置にある浅黄色を見下ろす。
    「まさか、刀装作りに来たんじゃねぇよな?」
    「カカカ、心配めさるな。さすがにそのような愚は犯さぬ。拙僧はただ兄弟の姿が見えぬから探しに……」
     いつもと変わらず大口を開けて笑うも、僅かに揺らいだ瞳に気づかぬ同田貫ではない。
    「あー、アンタのめんどくせぇ弟なら遠征だ。戻ってくるのは明け方なんじゃねぇの」
     その日の出陣や遠征、当番の割り振りは廊下に下げられた黒板に記されるのだが、急遽変更があった場合は当人に口頭で伝えられるため、黒板への反映はされないことの方が多い。
    「そうであったか。いや、かたじけない」
     邪魔をしてすまなかった、と一言詫びてから踵を返した山伏だが、数歩も進まぬうちにその足が空を蹴った。
    「同田貫殿?」
     自分を片手で抱え上げた同田貫を不思議そうに見上げれば、心底面倒くさそうな視線が返ってくる。
    「部屋まで連れて行かねぇと文句言われそうだからな」
     厚とか燭台切とかそこら辺に、と疲れ切った顔でぼやく同田貫に「それはなかろう」と山伏は、カラカラ、と笑い飛ばした。
    「アンタ、投石兵ばっか作ってんのな」
     普段よりも心持ち遅い歩みで廊下を行く同田貫の唐突な言葉に、山伏は「そうさな」と小さく頷く。
    「拙僧にできるのはそれくらいであるからなぁ」
     脳裏には誰のことを思い描いているのか、零された声音は柔らかく慈しみに満ちている。
    「なに、ただの自己満足である」
     カカカ、と軽快に笑うことでこの話を終わらせた山伏を見下ろし、コイツら違う意味でめんどうくさい兄弟だ、と同田貫は僅かに目を眇めた。
     自分は居てもなんの役にも立てないから、と山伏の分まで遠征に行く弟然り。
     兄であるが故に自身の感情を押し殺し、いかなる時も兄としてあり続けようとする山伏然り。
     兄弟どころか同派の者がいない同田貫にはその絆がどのようなものかは理解出来ぬが、今の山伏はただただ寂しがっている子供にしか見えないのだった。


     空が白み始めた頃、遠征から戻ってきた山姥切は、ふらふら、と身体を揺らしながら厨房へと足を踏み入れた。
     遠征から戻ってきたら食べるようにと、燭台切が食事を冷蔵庫に入れておいてくれたのだ。冷蔵庫といい電子レンジといい、審神者が持ち込んだ未来の道具は恐ろしく便利である、と半分眠った目で電子レンジに皿を放り込みピッピピッピとボタンを押す。
     低い唸りを上げる機械を虚ろな目で見つめつつ、そういえば洗濯機も重宝していると歌仙が言っていたな、と思い出し、それに連動するかのように昨日の山伏の様子までもが脳裏をよぎり、山姥切は電子レンジ同様、低い唸りを発した。
     皿を卓に運ぶのも面倒で、流し台で立ったまま十分に温まった食事を、もそもそ、と口に運ぶ。茶が欲しいな、とぼんやり思えば、背後から「茶でもいれるか兄弟?」と声を掛けられ、不意のことに山姥切は盛大に噎せ返った。
    「大丈夫か?」
     伸ばされた手が何度も何度も背中を往復するその感触に、山姥切は、ひくり、と喉を引きつらせる。
    「なっ!? なん、で……」
    「うむ、明け方に戻ると聞いていたのでな」
    「アンタは休んでないとダメだろ!」
     勢いよく振り返るや小さいままの手を掴み、ぎゅう、と強く握り締める。山姥切の掌に、すっぽり、隠れてしまうそれに顔を歪め、くそ、と悪態をつく。
    「主殿から話は聞いている。少々、根を詰めすぎなのではないか?」
     手を振り払うこともせず、じっ、とまっすぐに見上げてくる紅玉から逃げるように、山姥切は、ふい、と顔をそらすと、後ろ髪を引かれる思いでゆっくりと小さな手を解放した。
    「休む間もなく出陣や遠征に出て、今度は兄弟が折れてしまうのではないかと、皆心配しておる。無論、拙僧も……」
    「アンタは自分の心配だけしてればいい。もし、ずっとそのままだったら、どうするつもりだ」
     自身の不甲斐なさに対する嫌悪感と積もり積もった小さな苛立ちが隠しきれず、山姥切の口からは酷く棘のある音が吐き出された。
     静かに激昂する山姥切に瞠目するも、山伏はゆるゆると息をひとつ吐くと、そうさな、と瞼を伏せる。
    「その時は一足先に美術品に戻るとするか」
     すっ、と上げられた面はなんの気負いもない穏やかなもので、予想外の反応に山姥切は軽く息を飲んだ。
    「では拙僧は戻るとする。兄弟も早めに休むのだぞ」
     カカカ、といつもの笑い声を上げるも最後は欠伸混じりになってしまい、それを誤魔化すように山伏は弟刀に背を向ける。
    「待て、兄弟!」
     はっ、と我に返った山姥切は大きく踏み込み、数歩先の兄刀の腕を掴んだ。
    「どういう意味だ! さっきのは、どういう意味だ!?」
     掴むと同時に強く引き寄せれば、軽い身体は蹈鞴を踏み山姥切の胸に倒れ込む。それをすかさず腕で囲えば、山伏は驚いたように弟を見上げた。
    「どういうもなにも、言葉の通りである。拙僧が主殿の呼び掛けに応じたのは衆生済度のためぞ。振るえる刃もなくそれも成せぬとなれば、この身がここにある意味はなかろう」
    「いやだ!」
     諭すように言葉を紡ぐ山伏の声を遮るように、山姥切は声を張った。
    「いやだいやだ、兄弟がいなくなるなんて、そんなのダメに決まってる!」
     だだをこねる子供のように首を振り、いやだいやだ、と繰り返す山姥切を宥めるように、山伏は精一杯伸ばした手で弟の背中を、ぽんぽん、と優しく叩く。
    「兄弟の分まで俺が戦うから、いなくなるなんて言わないでくれ」
     頽れるように膝をつき、ぎゅう、と小さな身体を抱いた山姥切は、山伏の肩口に額を押し当て下唇を噛み締める。
    「アンタはここにいてくれるだけでいいから、だから……っ」
    「兄弟は拙僧に……ここでも飾り棚にいろと、そう言うのか?」
     ひくん、と一瞬、身体が引きつった後、微かに震える強張った声が山姥切の耳朶を打った。ばっ、と身を起こせば目の前の兄刀は小刻みに震える唇を無理矢理に笑みの形に歪ませ、薄く膜の張った目を懸命に開いている。
    「ちがっ、そうじゃない! 俺は、俺はただ、違うんだ兄弟……俺は……」
     己がなにを望んだのかようやっと理解したか、山姥切は見ている方が哀れになるほどに狼狽え、ただひたすらに、違う、そうじゃない、と否定の言葉を繰り返す。
    「すまぬ、意地の悪いことを言ったな」
     にかり、と笑って見せた山伏は半べそをかいている弟刀の目元を小さな手で拭い、黄金色の頭を優しく抱き込んだ。
    「わかっている。おぬしがそのようなことを本気で思うような者ではないと、拙僧がよくわかっている。許せ」
     声音自体は穏やかだが触れた胸は早鐘のように鳴っており、山伏の心の乱れを如実に語っている。自身の感情を抑え込み、弟が傷つかぬようそちらを優先する。どこまでも兄である姿を崩さぬ山伏に、山姥切は再度己の不甲斐なさに唇を噛んだ。
    「不謹慎ではあるが……」
     ぽつり、と漏らされた山伏の言葉に、山姥切は耳をそばだてる。
    「兄弟に見限られたとばかり思っていたので、先の言葉は正直、嬉しかった」
    「なにを言っている? 俺が兄弟を見限るわけないだろう?」
     顔を上げ、寝耳に水だと目を丸くすれば、山伏は「拙僧のことをずっと避けていたではないか」と、こちらも目を丸くする。
    「そ、れは……写しの俺なんかが傍にいたって、なんの役にも立たないのはわかってるし、だったらアンタの分まで働いた方がいいだろ」
     これくらいしか兄弟のためにしてやれない、と俯いてしまった山姥切の頭を再度胸に抱き、山伏は、カカカ、と声を上げた。
    「優しい弟を持って拙僧は幸せ者であるなぁ」
    「俺は、優しくなんか……」
     ぼそぼそ、と小声で反論するも、ゆるゆる、と金糸を撫でる山伏に聞こえているのかどうか。心地よさに目を閉じかけた山姥切だが、くぁ……、と小さく聞こえた欠伸に、そろり、と顔を上げる。
    「眠そうだな、兄弟」
    「うむ……」
     ごし、と緩く握った拳で目元を擦る山伏の瞼はすでに落ちかかっていた。


     そのまま山伏を抱え上げ自室へと運んだ山姥切は共寝を所望され、考えるまでもなく首を縦に振るも、それは浅はかであったと早々に後悔した。
     いつ戻っても大丈夫なようにと、さっさとパジャマを脱ぐ山伏を止められず、そのままなし崩しに同じ布団へと横になった。
     だが、すぅすぅ、と寝息を立てる全裸の山伏の隣で眠れるわけもなく。
     なんだこの苦行、と山姥切は冴えきった目で天井を睨み付けるしかなかった。

    ::::::::::

    2015.05.28

    ご飯を途中でほっぽりなげたので、このあと燭台切にめちゃくちゃ怒られた。
     濡れ縁に胡座をかき、ぷちぷち、とさやえんどうの筋を取っている同田貫の隣で同様に手を動かしていた薬研が、くく、と不意に喉奥で低く笑った。
    「んだよ」
    「いや、なに。また見てると思ってな」
     顔を上げずに目だけで同田貫を促せば、先刻承知であったか面倒くさそうな声が返ってきた。
    「昨日からあんな調子だ。言いたいことがあるなら言やぁいいのによ」
     同田貫は血の気は多いが喧嘩っ早いわけではない。敵意剥き出しの相手ならば容赦はしないが、ただ見ているだけで危害を加えてくるわけでもない者が相手では、せいぜい不満を口にする程度だ。
     対象に気づかれているとは微塵も思っていないのか、池を挟んだ向こう側でうずくまるような格好で草むしりをしている山姥切は黙々と手を動かしてはいるが、布の影から覗く瞳はまっすぐ同田貫に向けられている。
    「近侍殿の熱い視線を貰うようになったのは、昨日大将に山伏の旦那の山籠もりに付き合えって言われてからだろう?」
     薬研の指摘に同田貫は、どうだったかな? と記憶を辿る。
     昨日は燭台切を隊長に、薬研、歌仙、山伏、山姥切と共に出陣し、先日の山伏短刀化事件のような不測の事態もなく敵本陣を落とし、滞りなく任務は終えた。
     常との相違を敢えて挙げるならば戦闘後の山伏がどこか思い詰めたような顔をしており、それに気づいた山姥切が声を掛けようとするも、横手から上がった燭台切と歌仙の声でタイミングを逃し、不満そうに口を引き結んだのは覚えている。
     そう言えばこのふたりの場にそぐわぬ話が発端で、こうしてさやえんどうの筋を取ることになったのだった、と手中の野菜に目を落とし、同田貫は軽く溜息をついた。

     刀を軽く振り、鞘に収めた燭台切の「さて、今晩の献立はどうしようか」とのたった今、戦闘を終えたとは思えぬ言葉に即座に反応したのが歌仙であった。
    「今までなし崩しに僕ときみが食事を作ってきたけれど、そろそろ当番制にするべきじゃないかな。確かに他の仕事は多少免除されているとはいえ、この先もっと人数が増えたらとてもじゃないがやっていけないよ」
    「うーん、僕としてはこのままでも構わないんだけど、いつも無傷で帰れるという保証はないしね」
     おさんどんをするために顕現したのではない、と言外に滲ませる歌仙に燭台切も遠回しにではあるが同意を示す。
    「だが、当番制にすると言っても、料理なんかサッパリだってのが大半だと思うぜ?」
     薬研の指摘に、ぐ……、と低く呻くも、歌仙はめげることなくこの場にいる者を順繰りに見回した。
    「拙僧は多少ならば……」
    「見事な精進料理だったけど、短刀の子と主が死んだ魚の目になっていたから却下だよ」
     しょんぼり、と眉尻を下げる山伏には申し訳ないと思いつつも、歌仙は、ばっさり、と斬り捨てた。山伏は燭台切が来る前にその腕を振るったことがあり、太郎太刀と鶯丸には好評であったが、それ以外の者は夜中に審神者秘蔵のカップラーメンをこっそり食したという悲しい裏話があるからだ。
    「山伏くんはこれからいろいろな料理を覚えてもらえると助かるよ」
     フォローは燭台切に任せ歌仙は、次、と言わんばかりに顔を巡らせる。
    「俺はできねーぞ」
     同田貫の包み隠さぬ潔い言葉に歌仙は、うんそうだね、と力なく返し、薬研は「薬の調合と同じ要領でいいならどうにかなると思うぜ」と当番制になるならば前向きに取り組むらしい。
    「山姥切、きみはどうだ? 僕が来る前はきみが主の食事を作っていたのだろう?」
    「俺は手引き書があれば多少は……だが、俺もあいつも食事にそこまでこだわりはなかったから……」
     もご、と語尾を口中に消した山姥切の様子から、腕前は察しろということなのだろう。確かに審神者は「うまいにこしたことはないが、腹に入ればみな同じ」といったタイプだ。更に言うならば質より量の傾向も見受けられる。
    「どんな物を作ったか参考までに聞かせてもらえるかい?」
     他意はないであろう燭台切の問いに山姥切は暫し考え込んだ後、重い口を開いた。
    「水炊きと雑炊とすいとんとカレー? というやつだ」
     あとうどん、と付け加えた山姥切に悟られぬよう、燭台切と歌仙は、そっ、と目を合わせ、物言いたげなその瞳に互いが同じことを思ったという確信を得る。
     彼は基本的に煮込むしかできないのだな、と。
    「とにかく、やらなければいつまでたっても出来るようにはならないからね。僕は帰ったら主に直訴するよ」
     馬に跨り毅然と言い放った歌仙の背中を、めんどくせーな、と眺めながら同田貫は本丸に帰投したのだった。
     本丸に到着し、さぁ主の元へ! と意気込む歌仙の出鼻を挫いたのは、わらわら、と出迎えに現れた短刀たちであった。お帰りなさいみなさん、とどこかはしゃいだ様子で秋田が歌仙の、五虎退が燭台切の腕を取り、さぁさぁこちらへ、と前田と平野が先導する。
    「おやおや、みんなどうしたんだい?」
     常にない強引さに驚きつつも、みなの楽しげな様子に歌仙の眦が下がる。
    「いつもおいしいおやつを作ってくれる歌仙さんと燭台切さんに、今日は僕たちがおやつを作りました」
    「主様からレシピをいただいて、えっと、がんばりました」
     えへへ、と燭台切を見上げてはにかむ五虎退に、それは楽しみだね、と燭台切も笑みを返す。
     ふわふわのホットケーキです! と胸を張る秋田の姿に、最高の労いだねぇ、とますます歌仙の眦が下がった。
    「なんつーか、おまえンとこの弟すげぇな……」
     審神者に殴り込みでも掛けそうな勢いであった歌仙がすっかり懐柔され、とろけるような笑みを浮かべている様に、同田貫の口から感心とも呆れともつかぬ声が漏れ出た。
    「下心のない労いに敵うモンはないねぇ」
     はは、と笑いながらその背に続く薬研と同田貫に倣い、山伏と山姥切も歩みを進めたその時、廊下の角から、ひょこり、と顔を出した審神者が軽い調子で「山伏、明日から山籠もり行っといで」と許可を出したのだった。
    「誠であるか、主殿」
     いつもならば満面の笑みで応じる山伏が、今回はどこか、ほっ、としたような安堵の笑みを浮かべ、たまたまそれを目にした同田貫はそちらに気を取られ、「あ、同田貫も一緒な」との審神者の言葉に対する反応が著しく遅れてしまった。
     はっ、と我に返り勢いよく審神者に向き直るも相手の姿はすでになく、思わぬ展開に呆然とする同田貫の横顔に、ちくちく、と山姥切の視線が刺さったのだった。

    「──あー……そうだな、うん。確かにあの時からだ」
     ちなみに歌仙の直訴は「いきなり当番制にしたら雅じゃないシロモノが食卓に上がるから、まずは皆に手伝って貰うところから始めよう」との審神者の提案でひとまず手打ちとなった。
    「よほど羨ましいのか、それとも警戒してるのか」
     わざと軽く言い放った薬研に、ワケがわからねぇ、と同田貫が眉を寄せれば、眼鏡のブリッジを押し上げながら薬研が同田貫を見上げた。
    「近侍殿の兄刀への執着は筋金入りだからな。大将が『太刀が欲しいがどれがいいかわからん』と言ったときに、近侍殿は迷わず山伏の旦那を選んだんだよ」
    「そりゃ、見ず知らずのヤツよりは兄弟刀を選ぶモンなんじゃねーの?」
    「まぁ、そう言われたら身も蓋もないんだが。物事をすべて斜に構えてみてるあの近侍殿が素直に欲しいものを口にしたことに、俺っちは驚いたわけよ。すぐに『どうせ写しの戯れ言だ』くらいは言うかと思ったんだがなぁ」
     とん、と白い指先が山伏の名をさし、まっすぐに審神者を見据えたあの光景は、実際にその場に立ち会った者にしか伝わらないなにかが確実にあった。
    「近侍殿はいろいろと拗らせてるが、山伏の旦那に対しては割と素直だし、口数も増えてきていい傾向だとは思うんだが、最近はちょっと雲行きがあやしくてな」
     薬の管理をしているからか、はたまた性分か、薬研は常に他の者の疲労度にも気を配っており、個々人の行動そのものもよく見ている。そんな彼が「雲行きがあやしい」と口にしたのだ。他者のことには割と無頓着な同田貫でも、気にならない方がどうかしている、と興味をかき立てられた。
    「近侍殿が山伏の旦那に抱いてるのは基本的には情愛で、そこに思慕とか憧憬とか、単純に子供じみた独占欲とかが混ざって、更に刀匠の姿を色濃く継いでるってのもあって無意識に甘えてるんだと思ってたんだが、そこに別の情が加わったみたいでなぁ」
     言葉を選んでいるのか、あー……、と低く漏らしながら薬研は後ろ手をつき天を仰いだ。
    「小難しいことはいいから、はっきり言えよ」
    「そうかい? じゃあ遠慮無く。同田貫の旦那も戦に出て気持ちが昂ぶったときにおっ勃てることがあるだろう?」
    「あー、何度かあるな」
     ただの生理現象としか思っていないのか、それがどうした、と同田貫が平然と問い返せば、薬研は極力軽い口調で言葉を続けた。
    「近侍殿は山伏の旦那相手に同じことが起こりえるってことだ」
    「は? 山伏相手に? は? なに言ってんだ?」
     確かに腕の立つ相手だが、戦ってみたところでそこまで気分が高揚するだろうか? と同田貫が隠すことなく告げれば、薬研は一瞬、きょとん、としてから、くつくつ、と喉を鳴らした。
    「あぁ、すまねぇ。言い方が悪かったな。戦云々は関係なく、近侍殿は山伏の旦那そのものに欲情するってことだ」
     加わった情は情でも色情だ、と。ただこれは恐らく山姥切自身もまだ自覚していないであろう、とも付け加え、薬研は励ますように同田貫の背中を、ぱん、とひとつ叩いた。
    「そういう対象になりつつある相手が他の刀とふたりっきりで山の中だ。そりゃヤキモキするわなぁ」
    「おいおい、冗談じゃねぇぞ。とんだとばっちりじゃねぇか!」
     まぁがんばれ、と無駄にいい笑顔を向けてくる薬研に、マジくそめんどくせぇなあの野郎! と同田貫は頭を抱えたのだった。


     人為的に地均しをされた場所で円を描くように石を並べたその中心で火を起こし、炎に触れない高さに渡らせた棒に下げた鉄鍋で湯が煮立つ様を、ぼんやり、と眺める。同田貫が薬研と共にさやえんどうの筋を取っていた頃、山伏は一足先に山へと入り、炭焼きの準備を整えてから改めて同田貫を伴い山へと入った。
     審神者が同田貫を同行させたのは、単純に焼き上がった炭を運ぶ労働力としてだろう。本丸には荷車がひとつしかなく、買い出しにも使うそれを一週間以上、持ち出すわけにはいかないとのもっともらしい説明を受けたが、なにもバカ正直に一緒に山に籠もる必要はねぇだろ、との同田貫の意見は右から左へと流された。
     山自体も本丸の広間から遠くに見えるあれで、要は敷地内だ。どういった仕組みかは不明だが門の中には審神者と刀剣男士以外入れない以上、危険などありはしない。仮に獰猛な熊などがいたとしても、今現在戦っている歴史修正主義者と比べれば赤子の手を捻るような物だ。
     思い返せば不満しか出てこないが、山に入ってからすでに三日。目と鼻の先で、轟々、ととどろく滝の音にもすっかり慣れてしまった。
    「毎日飽きもせずよくもまぁ……」
     行衣姿で滝に打たれる山伏を、ちらり、と上目に見てから、同田貫は手中で遊ばせていた小枝を、ぽい、と無造作に炎へと放る。
     共に寝起きしている炭焼き小屋は雨風が凌げればいいと言わんばかりの質素な建物で、固い板間にごろ寝をし、派手に寝返りを打てば確実にぶつかるであろう狭さだ。だが、同田貫は眠りを妨げられた記憶はない。
     同田貫よりも早く起き、同田貫よりも遅く寝る山伏の寝姿を見たのは、たまたま夜が明けるよりも前に目が覚めた一度だけだ。普段の言動のせいか寝ているときも豪快に四肢を投げ出している印象のあった山伏だが、実際は壁際に横たわり両の手を軽く腹の上に載せ足を揃えて微動だにせず、その上寝息もほとんど聞こえてこず、思わず四つん這いで近づき、顔の前に手をかざして呼気が当たるのを確かめてしまった程だ。
     日の出と共に目を覚まし、山中を歩き回り、滝に打たれる。そしてまた山中を歩き、決まった場所で瞑想をし、再度滝に打たれ、炭焼き小屋へと戻る。これが山伏の一日の過ごし方である。同田貫自身は特にやることもないため、ふらり、ときままに山中に分け入っては食べられそうな物をとってきたり、素振りをしたり、頼まれれば炭焼き窯の様子を見たりしている。
     一度目の滝行が終わったか、びしゃびしゃ、と河原の石を濡らしつつ近づいてきた山伏に、ん、と湯の入った湯飲みを差し出せば、かたじけない、と笑みと共に手が伸ばされた。
     隣に腰を下ろした山伏がゆっくりと湯飲みを傾けるのを横目に同田貫が、もう少し飲むか? と問えば、山伏は、いや十分である、と穏やかに首を横に振る。
    「そうか」
     それに短く応じてから同田貫は傍らに置いてあったザルを取り上げ、その中身を鉄鍋に投げ入れた。ほぼ手ぶらで出立しようとした同田貫に、大根や人参といった日持ちのする根菜を持たせてくれたのは歌仙で、味噌を持たせてくれたのは燭台切だ。その際、ふたり分にしては少なくないか? と問えば、山伏は食べないからいいんだよ、といつものことであるのか歌仙は事も無げに言い放ったのだった。
    「なー、食わないのも修行なのかよ」
    「修行、というか、そうさな。今回は禊ぎが目的故、修行とは少々趣が異なるが、やっていることは大して変わらぬな」
     話には聞いていたが実際に行動を共にしてさすがに心配になったか、同田貫が問うてみるも、カカカ、と軽快に笑う山伏は普段と全く変わった様子はない。
    「修行であれば一ヶ月は山籠もりをしたいところである」
     残念残念、と大きく首を上下させる山伏を、物好きめ、と半眼で眺めるも、同田貫はうっかり聞き流してしまった単語に首を傾げる。
    「ん? 禊ぎ?」
    「うむ。拙僧は太郎殿のように神格が高いわけでもなくまだまだ未熟者故、山の力を借りて身の内に溜まった澱を浄化しているのである。放置しては切れ味が鈍り、なまくらと化してしまうのでな」
    「まぁ、切れない刀に意味はねぇしな」
     ぐるぐる、と木杓子で鍋をかき回す同田貫はなにを思い出したのか、眉間に深いしわを刻んだ。
    「逆に言や、刀なんて切れりゃいんだよ。見てくれなんぞ知ったことか。てめぇの弟に言っとけ。布被って視界狭めるとかバカじゃねーのってな」
     出立前のこともあり半ば八つ当たりではあったが同田貫が乱暴に言い放てば、山伏は一瞬目を丸くするもやや俯いて、くつくつ、と小さく喉を鳴らす。常にないその笑い方に同田貫が、なんだよ、と口をへの字に曲げれば、山伏は、あいすまぬ、と口元を手で覆いながら顔を上げた。
    「よもや同田貫殿の口から拙僧の兄弟を案じる言葉が出るとは思いもしなかった故。いや気に障ったのならば申し訳ない」
    「別に案じてねーし。戦場で足引っ張られたら困るってだけだ」
    「あれの全てを許せとは言わぬが、どうかしばらくは大目に見てやってはくれぬだろうか?」
     無論、兄弟に非があれば遠慮無くガツンとやってくれて構わぬ! と拳を握る山伏に、弟刀に甘いのは確かだがこれは完璧に保護者目線だな、と同田貫はほんの僅かではあるが山姥切に同情したのだった。


     おぅ戻ったぜ、と身綺麗にしてから同田貫が審神者の元へ報告に行けば、お疲れさん、と軽く労いの言葉が返ってきた。
     まぁ座れ座れ、と手招かれ、かったるそうに座布団に腰を下ろせば、審神者は部屋に置かれた小さな冷蔵庫からプリンを取り出し、もう一度、お疲れさん、と口にする。それを素直に受け取り、同田貫は遠慮無く蓋を剥がしながら、で? と審神者を促した。
    「なんか聞きたいことあるか?」
    「いや、木炭の量はあとで蜂須賀に聞くし。同田貫こそなにかあるか?」
     むしろあるんだろう? と同田貫同様、プリンの蓋を剥がしながら審神者は、ちら、と目の前の刀を見やる。
    「山伏のやつが禊ぎとか澱とか言ってたが、他のヤツもそれやらねーとなまくらになんのか?」
    「あー、それはないない。太郎太刀がいるから心配ない。さすが神様の持ち物は神格ハンパないと言うしかないね。一緒にいれば穢れとか厄とかさっくり浄化だし。まだ居ないけど石切丸も御神刀だから彼が来てくれればもっと安心できるんだけどなぁ」
     俺の練度がなぁ……、と自分の発言にダメージを受けている審神者などどうでもいいと言わんばかりに、同田貫は「じゃあなんで山伏はダメなんだよ」と畳み掛ける。
    「山伏もなぁ、迦楼羅の焔で皆よりは耐性があるんだが、顕現前は戦場を知らなかったせいであてられやすいのか性分なのかなんなのか、他よりそういうのを寄せやすいみたいでなぁ。気がついたら溜め込んでてびっくりする」
     むしろわざと内に招き入れて外に出さないようにしてるんじゃないかと疑いたくなるくらいだ、と頭を抱えた審神者の手から半分しか減っていないプリンを抜き取り、へぇ、と同田貫は低く相槌を打つ。
    「今回は気づくのが遅くなって、山伏には悪いことをしてしまったなぁ……」
     ぽつり、と漏らされたその一言で、自分に同行を命じたのは山伏を案じてのことだったのだな、と同田貫は審神者のプリンを掻き込みながら思ったのだった。


     そっ、と差し出された茶碗を山伏が礼と共に受け取れば、山姥切は「足りなければまだあるからな」と布の下から様子を窺ってくる。山から戻ったばかりの山伏の胃が空っぽであることを知っている弟刀は、極力胃に負担をかけぬようにと粥をこさえてきたのだ。
    「ほう、かぼちゃ粥であるか」
    「白粥では味気ないだろうと歌仙が……」
     この一週間、山姥切は食事作りを手伝う傍ら、歌仙と燭台切の料理指南を受けていたのだ。理由はどうあれ自ら進んで包丁を持つ気になったのはいいことだ、と歌仙が思ったことは山姥切は知らないのだが。
    「美味であるな」
     ほんのり甘い粥に眦を下げ、山伏が噛み締めるように言葉を漏らした。
    「兄弟ならばすぐに料理も物にしてしまいそうであるなぁ」
    「俺が作った物を、また食べてくれるか?」
     世辞は抜きでだ、と真剣に問うてくる山姥切に山伏は、なにを当たり前のことを、と目を丸くする。
    「兄弟が作ってくれるのならば、拙僧は喜んで食すに決まっておろう」
     楽しみであるなぁ、と目を細めて笑う山伏に、そうか、とぶっきらぼうに返すも、山姥切の目元は微かに色づき、引き結んだ唇は不自然に震えている。
     兄刀が同田貫と山に行ってしまってから気もそぞろであった山姥切に、薬研が入れ知恵……もとい、助言をひとつしてきたのだ。
    「胃袋を掴むといいらしいぜ」と。
     薬研からしてみれば山姥切の思い込みによる第二の同田貫を出さないための苦肉の策であったが、そのようなことには微塵も気づいていない山姥切は上々の結果に、同田貫への嫉妬は、あっさり、と消え失せたのだった。
     それどころか「兄弟は肉類はあまり口にしないから野菜中心の料理を覚えなければな」と静かにやる気を漲らせている。
    「そう言えば同田貫殿が兄弟の布が戦いの妨げにならぬか心配しておったぞ」
    「……そうか」
    「戦のことは同田貫殿に尋ねるのがよかろう」
     さすが実戦刀であるな! と手放しで同田貫を持ち上げる山伏に、兄弟をたぶらかすとは許すまじ、と山姥切の中で消えたばかりの同田貫への一方的な思い込みが復活したのだった。

    ::::::::::

    2015.07.19
    【黄金の卵を産むガチョウ】

     夏だし、背筋が冷えるような話はないか? となんとはなしに夕餉の席で問われた青江は、そうだねぇ、と一旦箸を止め、ないこともないよ、とにっかり笑った。

     これはとある本丸での話だよ。
     練度の高いとある太刀が朝目覚めると、右手に何かを握っていた。寝ている間に何か無意識に掴んだのだろうかと掌を開けば、そこにあったのは指先で摘める程度の半透明な、例えるならば氷砂糖のような粒がひとつ。
     ただ不思議なことに握り締めていたにも関わらず、それは溶けることも熱を帯びることもなく形を保っていた。仮にそれが飴だとしたら、起きた時点でドロドロのベタベタだろうからね。
     ビードロかとも思ったがやはり違う。奇妙ではあるが捨てるのも躊躇われ、空の茶筒に入れてそのまま誰に言うこともなく、いつも通り出陣し一日が終わった。
     そして翌日、目が覚めるとやはり何かを握っている。そう、お察しの通り昨日と同じ物だよ。
     誰かの悪戯かとも思ったが、そのようなことをする者にも、理由にも思い当たる節はない。下手に騒ぎ立てるよりはと審神者に相談に行くも、審神者にもそれの正体がわからない。
     もう一日様子を見よう、もし誰かの悪戯だとすれば現場を押さえるしかない。
     審神者にこう言われては引き下がるしかなく、太刀は部屋に戻り当番であった畑仕事を終わらせ一日が終わった。
     いっそのこと眠らないでいるかと太刀が考えているところに審神者からお呼びがかかり、さすがに自分の部屋ならば誰も忍び込みはしないだろう、との審神者の提案により今晩は審神者の部屋で眠ることになった太刀だが、翌朝、目が覚めればやはり拳は握られていた。
     当然、誰かが忍び込んだ形跡もない。そもそも審神者の部屋は許可を出した者しか入れないからね。
     三つになったそれを前に、審神者が思い切って口に含むも味は全くなく、溶ける気配もないそれは、まるで碁石を舐めているような感じだったという。
     恐る恐る太刀も口に含んでみるも結果は審神者と同じで、ふたり揃って首を傾げているところに、近侍が襖向こうから声をかけてきた。いつもより起床の遅い審神者を呼びに来たわけだけど、入室許可を貰った近侍は目の前の光景に言葉を失った。
     寝間着姿の審神者と太刀が布団の上で膝を突き合わせていたのだから、そりゃあらぬ事を想像するよね。慌てて出て行こうとする近侍をなんとか引き留め、そうじゃない、誤解だと説得するんだけど、そのくだりは特に重要じゃないし省くとしようか。
     布団に座らせた近侍に茶筒の底にひとつ残った物を見せれば、朝っぱらからお菓子? と首を傾げつつも掌を差し出してきたので、ころん、と出してやれば、近侍はそのままなんの疑いもなく口へと運んだ。
     審神者も太刀も怒られることを覚悟してたんだけど、近侍は軽く目を見張ると、なにこれすっげうまっ!? と歓喜の声を上げたわけだ。
     自分たちと近侍の差はなんだ? と政府の専門機関で詳しく調べた結果、人である審神者とそれを出したであろう太刀以外の者には甘露であり、更には疲労回復効果アリという優れもの。
     正体は霊力の結晶ということで落ち着いたけど、それがどうして特定の男士から生成されるのかはわからないままだね。
     特に害はないのならと太刀は一日にひとつ、形になる結晶を茶筒にためていき、審神者も便利だなくらいにしか思っていなかった。
     でもね、世の中そんなに甘くはなかったんだよね。
     その本丸は刀の数が少ない中、政府から次々送られてくる指令に従って時間遡行軍と戦い、常にギリギリの状態だったわけだ。気がつけば結晶の効果に頼りきりになっていたんだね。
     よく効く薬は毒にもなるっていうだろう? 日々の戦いで肉体的にも精神的にも追いつめられ、それに依存しきっていた彼らは既に正気ではなく。一日ひとつしかできない小さな結晶じゃ足りないと、もっともっと欲しいと、より純度の高い霊力を求めて直接、太刀からありったけ搾り取ってしまい……あとは言わなくてもわかるよね。
     その後、諸刃の剣でもあるこの結晶の効果に目をつけた政府は、特殊な製法を用いてある食品に加工することに成功したんだ。カンのいい何人かはもう気づいているみたいだね。
     そう。仙人団子だよ。そのために政府の元では何人もの男士が囲われているって話だよ。

     そう話を締めくくって涼しい顔で食事を再開した青江とは裏腹に、場の空気は非常に気まずいものが流れている。
     まるで黄金の卵を産むガチョウの話みたいだね、肝は冷えたけど胸が悪くなる話だった、などなど、それぞれが感想を口にする中、ひょこり、と顔を出したのは遠征部隊の面々であった。
     ただいま戻りました、と室内の者に生真面目に報告する平野の後ろには五虎退と秋田、厚の姿はあるも、彼らを率いていた山伏は審神者の元へ報告に行ったのかその姿はなかった。
     おうお疲れさん、と薬研が兄弟を労い、疲れてないか? と問えば、山伏さんが飴ちゃんをくれたのでがんばれました、すっごくおいしかったですよ、なんか疲れが吹っ飛んだよな! と弾んだ声を上げる弟たちのその様子から、本当に疲労はしていないのだな、と薬研は軽く眦を下げる。
     食事の用意をしておくから先に汗を流してくるといいよ、と燭台切が促せば、はーい、と元気よく答え短刀たちは、ぱたぱた、と廊下を駆けていった。

     明かりの灯っていない室内を障子越しの月光を頼りに畳を踏み、山姥切は小さな物入れの引き出しを、そっ、と開ける。その中から茶筒を引き抜き、ゆっくりと蓋を外した。
     薄闇の中、仄かに発光して見えるそれに目を細め、ひとつを口に含む。
     とろり、と柔く舌の上で広がる甘露に、ふるり、と身体が震える。
     ゆっくり、ゆっくりと全身へと余すところなく染み渡り、馴染み、ひとつとなる感覚に、知らず熱い息が唇から零れ落ちた。
     不意に、すっ、と差し込んだ月光に、山姥切は緩慢に振り返る。
     兄弟? 障子に手を掛けたまま、なぜ自分の部屋に、とでも言いたげな山伏の声音に山姥切は、うっすら、と笑みを浮かべた。
     真っ先に労ってやろうと思ったんだが審神者に先を越されたな、と彼にしては珍しい戯けた口調に、山伏の口角が、くっ、と上がる。
     それを受けて、ヘソを曲げておるかと思えば随分と機嫌が良いのだな、と山伏も戯けたように返せば、すっ、と音もなく近づいてきた山姥切は山伏の正面に立ったまま腕を伸ばし、兄を閉じこめるような格好で背後の障子を、すたん、と閉じた。

    「黄金の卵はいくらでもくれてやるが、ガチョウは俺のモノだからな」

    ::::::::::

    2015.08.26
    茶田智吉 Link Message Mute
    2018/07/29 3:21:24

    【刀剣】兄弟刀は心配症

    #刀剣乱舞 #山伏国広 #山姥切国広 #同田貫正国 #ばぶし #腐向け ##刀剣
    刀種変更前に打った物なので同田貫は太刀だし刀装部屋の描写も違います。
    (約3万5千字)

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