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    【00】鳥の王(後編)1011 月のない夜であった。
     石造りの通路を足音を殺して進み、突き当たりの扉をゆっくりと押し開く。
     微かな軋みを上げ開かれたその先には鈍く輝く陣があり、その中央に囚われている者こそが目的である。
     父は自分を裏切った。
     いや、あの男を父と思ったことなど一度としてない。
     あの男は美しい母を手に入れるためには手段を選ばず、愛する夫を失い悲しみに暮れる母につけ込み、まんまと手中に収めた。
     そして今、その母すらも自分から奪ったのだ。
     これ以上、あの男の好きにさせてなるものか。
     陣の中央で身動きひとつしない小鳥を、そっ、と胸に抱く。
     母は私のものだ。
     母は私のものだ。
     母は私のものだ。
     誰にも渡さない。

     ――例えそれが神であろうとも。


     土砂に半分埋もれた神殿が発見されたとの報告がビリーの耳に入ったのは、昼食の時間からやや外れた頃合いであった。
     遅い昼食代わりに囓っていたドーナツを放り出し、詳しい話を聞こうと研究室を飛び出した矢先、ぼすん、と扉の前にいた人物にぶつかり、思わず踏鞴を踏む。勢いよくぶつかったにも関わらず、扉向こうの人物は微動だにしなかった。
     そして長身であるビリー以上に上背のある者は、この学院には数えるほどしか居ない。
    「す、すみません、叔父さん」
     咄嗟に詫びたはいいが、学院長ではなく叔父さんと言ってしまい、ビリーは更に詫びの言葉を重ねる。それを軽く流し、ホーマーは「着いてきなさい」と踵を返した。
    「神殿が発見されたというのは聞いたな?」
    「はい」
     先に行く叔父の背を大股に追いながらビリーが返事をすれば、ホーマーは振り返ることなく言葉を継ぐ。
    「今、簡単な内部調査をさせているが、本格的な調査をお前に任せたいと思っている」
    「え、あ、そんな。僕でいいんですか」
     確かにビリーは優秀だが研究者としては年若く、先達を差し置いてのこの抜擢は、血縁故の贔屓であると周りからは取られかねない。だが、ビリーのそのような危惧など先刻承知であったか、ホーマーは呵々と笑うと、ゆうるり、と頭を巡らせた。
    「小規模な物で他の者は軽く見ているのでな、気兼ねすることなく自由にやると良い」
    「はぁ、そういうことでしたら」
     どこか、ほっ、とした息を吐くビリーにホーマーは一瞬、鋭い眼差しを向け、それを隠すかのように目を細める。
    「お前が今、調べている物に関係があると良いな」
     その一言でビリーの顔から、さっ、と血の気が引いた。具体的な指摘はないが、ホーマーの言葉は明らかに『鳥の王』を指している。叔父は一体、なにをどこまで知っているのか。内密に内密に事を進めているビリーにとって、それは青天の霹靂であった。
     言葉を返せないビリーを余所に、ホーマーは学院長室の扉を開く。調査に必要な書類作成と予算について話し合ったが、正直、内容の半分もビリーの頭には残らなかった。


    「ぶっ放せ、ティエリア!」
    「言われなくとも……ッ!」
     手にした複数枚のカードをほぼ同時に解放し、通路にひしめいていたスライムを一掃する。業火に焼かれ欠片も残さず消え失せたそれを目の当たりにし、ニールは改めてティエリアの尋常ではない能力の高さに恐れ入るのだった。
    「大方、片付いたぜ」
     後ろに控える雇い主を肩越しに見やりニールが声を掛ければ、眼鏡のブリッジを押し上げつつビリーがグラハムと共に二人に寄ってくる。
    「いやはや、話には聞いていたけれど凄いね」
     スライムと共に焼かれた石造りの通路は竃の如く熱を発し、正直、進める状態ではない。
    「次はもうちょっと控えめに頼むよ」
     はは、と笑ってビリーは横手の扉を押すも、長いこと使われていなかったそれは不愉快な軋みを上げるだけで開く気配はない。
    「開かないのかね?」
    「うーん、蝶番が錆びてるのか、扉自体が歪んでるのか」
     まいったね、と軽く肩を竦めるビリーの代わりにグラハムが扉の前に進み、二、三回なにかを確かめるように軽く手で押した後、おもむろに強烈な蹴りを放った。
     べきん、と派手な破壊音が響いたと思う間もなく、扉は無惨にも引きちぎられた蝶番と共に部屋の内側へ倒れ込むや、床に積もっていた埃を、もうもう、と舞い上げた。
    「これで良かろう」
    「結果的には良くても、手段が良くないねぇ、グラハム」
     しれっ、と涼しい顔で言い放つグラハムに、ビリーは笑いながら、ビシリ、と裏拳でツッコミを入れる。
    「私がやらずともそこの彼が同じコトをしたと思うのだが」
    「同じとは失敬な」
     グラハムの言葉に心底心外だと言わんばかりに、ティエリアが柳眉を吊り上げる。だが、その手にはなにやらカードが握られており、当たらずとも遠からずなのは明白であった。
    「さて、と。じゃあとりあえず、この部屋を活動拠点にしようか」
     神殿の出入り口から一番近い部屋であるため、有事の際には殿は冒険者に任せ、ビリーは死ぬ気で走って屋外へ脱出ということになる。
    「奥の方にはゴブリン辺りが居るかもしれねーけど、ま、そん時はそん時だな」
    「報告書を見る限りじゃ、居た痕跡はあるけど既に移動済み、ってコトになってたから、大丈夫だとは思うけどね」
     ニールの言葉にビリーは軽く返しつつ鎧戸の閉じられた窓に寄るも、こちらも扉同様、立て付けが悪くなっており、結局、グラハムが力任せにぶち破るという結果と相成ったのだった。
    「地上階の広さは大したことはないけど、地下があるからね。むしろ本命は地下の書庫だから、魔法の扱いにはくれぐれも気を付けてほしい」
     吹っ飛ばさないように、と真顔で全員に念を押すビリーの目は研究者の物とは思えぬ迫力を有しており、三人はただただ頷くしかなかった。


     サリサリ、とノート代わりに持ち込んだ平たい箱に薄く敷かれた砂に鉄筆で文字を刻みつつ、ビリーは口中でなにやら、ブツブツ、と呟いている。
     神殿到着初日に遭遇したスライムの大群以外はこれといった障害もなく地下書庫に到達し、現在はそこに保管されていた粘土板の解読に精を出している真っ最中である。
     ただし、解読作業は活動拠点にと決めた最初の部屋で行われており、ビリー以外は粘土板の運び出しに四苦八苦と言った状況でもある。
    「ち、地下でやりゃいいだろ……」
     ちょっと休憩、と汗だくでへたりこんだニールがぼやけば、同様に膝を着いたティエリアが、ゆるゆる、と首を横に振った。
    「気持ちはわかるが、安全面を考慮するとそういうわけにも行かないだろう」
     ただでさえも空気の淀みやすい地下である。しかも今は神殿自体、半分が土砂に埋もれている状態であり、通風口が塞がっている可能性もある。
    「何かあったときに地下では逃げ道がないではないか」
     二人に水筒を差し出しつつグラハムが空恐ろしいことを、さらり、と口にすれば、「確かにそうだけどよ」とニールが苦く笑う。
    「あ、アーデさんは解読の方を手伝ってくれるかな?」
     作業に没頭していたかニールのぼやきは耳に届いていなかったらしく、ビリーは顔を上げると、ちょいちょい、とティエリアを手招いた。
    「あぁ、了解した」
     悪いな、とニールの肩を、ぽん、と軽く叩きティエリアはビリー同様、鉄筆を手にする。元から彼には解読の方を任せるつもりであったのか、ビリーがスメラギの紹介所で提示した条件に『多岐に渡る言語に精通している者』というのがあったのだ。
     そりゃねぇだろ、と脱力しきった声を洩らすニールにグラハムは「もう一踏ん張りしようではないか」と、無駄にイイ笑顔を向けたのだった。
    「こうなるとわかってたら『縮小』のカード用意してきたのによ」
     通路を進みながら嘆くのをやめないニールは、相当この作業に嫌気が差しているようだ。普段、余り不平不満を表に出さない彼にしては珍しい、とグラハムは文字通り目を丸くする。
    「果てがないというわけではないのだ。いずれ終わりは来る」
     慰めになっているのかいないのかよくわからないことを口にしたグラハムを暫し、じと、と恨めしげに見ていたニールだが、そうしていてもなんの解決にならないと悟ったかひとつ大きく息を吐くと、ゆるり、と眦を下げた。
    「そうだな。大した広さじゃなかったし、気長にやるとするか」
     粘土板を運ぶスピードと解読のスピードは、明らかに後者の方が遅いのだ。
    「ある程度、内容が判明すれば、残りは学院での作業になるだろうしな」
     全てを此処で読み解くわけではないのだ、と言外に含ませ、グラハムは率先して通路を進む。だが、なにか気に掛かるのか、ふと、足を止め、じっ、と書庫より更に先の行き止まりの壁を見つめる。
    「どうした?」
    「いや……なんでもない」
     ふるり、と頭を振りグラハムは書庫の扉をくぐる。怪訝な顔でその背を見、続いてニールも行き止まりの壁を凝視したが、当然のことながらそこにはなにもなかった。


     幸いにも井戸は埋もれておらず水の確保は問題なかったが、保存食続きの食事に平然としている冒険者たちにビリーは正直、脱帽である。糖分はかろうじて氷砂糖で補給できているが、ドーナツが恋しくて恋しくて堪らないのだ。
     物資の補充も兼ねて一旦、街へ戻ろうか、というビリーの提案にあからさまな反対意見はなかったが、何事か考え込むかのようにニールとティエリアが顔を見合わせた。
    「全員で、ってわけにはいかないよなぁ」
     ここには金目の物など全くないのだが、発掘された遺跡にはお宝があると思い込む困った輩が存在するのも事実で。冒険者とは名ばかりの盗掘屋が現れないとも限らないのだ。
     誰が残る? と皆の顔を見回すニールに、真っ先に名乗りを上げたのはグラハムだった。
    「見張りならば私が適任だろう」
     さらり、となんでもない顔で言い放つものだから、彼が百の目と千の耳を持っていると知っているビリーとニールは、うっかり、納得してしまったのだが、ティエリアは理由がわからず怪訝に眉を寄せる。
    「総合的な能力を鑑みるに、彼よりも俺の方が適任だと思うのだが?」
     そして包み隠さずティエリアがそう口にすれば、ニールは一瞬、やらかした、と口元を引きつらせるも直ぐさま表情を改め、ぽん、と彼の両肩に手を乗せた。
    「それよりもおまえには買い出しを任せたい。コイツに任せたらとんでもないことになるに決まってる」
     引き合いに出され、ムッ、と眉を寄せるグラハムは敢えて無視し、ニールは畳み掛けるかのように言葉を継ぐ。
    「カードチャージとか、あ、あと補助系も増強してくれると助かる。粘土板運びがラクになるようなヤツな!」
    「わ……わかった」
     あまりにも必死に言い募るニールの剣幕に押されたか、ティエリアは反論することなく、こくり、と首を縦に振ったのだった。
     結局、街へ戻るのはビリーとティエリアということで落ち着き、二人の背を見送ったニールは深々と息を吐いた後、グラハムに半眼を向ける。
    「おまえなぁ、隠したいのかそうでないのかハッキリしろよ」
    「これは失礼した。私にとっては当たり前のことなので、失念していた」
    「いやいや、当たり前なんかじゃねぇから。いくらなんでも順応性高すぎんだろ」
     全く悪びれた様子のない相手にニールが呆れた声を返せば、グラハムは、コツコツ、と己のこめかみを指先で軽く叩いた。
    「幼少の頃は人ならざる者の声が聞こえていたからな。まぁ、いつしか聞こえなくなっていたが、今はそれと同じような状況なのだよ」
     俄には信じがたいことを、さらり、と告白してきたグラハムに、ニールは思わず額を押さえる。変わっている、変わっている、とは思っていたが、これはさすがに予想外であった。
    「妖精の血でも混じってんのか」
    「さぁ? 言ったであろう? 私は孤児なのだと。親のことはこれっぽっちも知らないし、知る術もない」
     冗談交じりのニールの言葉にグラハムも軽い調子で、ひょい、と肩を竦めて見せる。そして、この話はここで終いだと言わんばかりに笑むと窓辺に寄り、地面を突いていた雀に、人が近づいてきたら知らせるように、と声を掛けたのだった。


     己の腕を枕に寝入っていたニールの意識が、ゆったり、と浮上していく。窓からは月光が薄く差し込んでおり、夜明けまでにはまだ遠いのだと知る。これまで夜は交代で見張りをしていたこともあり、身体はそれにすっかり慣れてしまっているらしい。
     湧き上がる欠伸を噛み殺し、隣で同じように横になっているグラハムに眼をやるも、そこにあるのは、くしゃり、とたわんだ毛布のみで。
    「グラハム?」
     そっ、と身を起こし室内に居ないことは承知で、それでも心持ち抑えた声音で彼の名を呼ぶ。案の定、返らぬ応えに眉を寄せつつニールは改めて室内を見回した後、静かに立ち上がった。
     彼も目が覚めてしまって散歩をしているだけならいいのだが、どうにも胸騒ぎを覚えニールは足早に部屋を出る。確証はないままに地下へと続く階段を駆けるように降りゆけば、壁に埋め込まれた発光石の放つ青白く淡い光の下、浮き上がるようにグラハムの背中が視界に飛び込んできた。
    「グラハム、おい」
     通路を蹴りつけるように駆け、呼びかけに振り返りもしない肩を少々、乱暴に掴む。
    「こんなところでなにしてんだよ」
     彼の肩を支点に正面に回り込むもニールは一瞬、喉を詰まらせ、まじまじ、と相手の顔を覗き込みつつ、ゆっくり、と唾を嚥下した。
    「グラハム……?」
     両肩に手を乗せたまま確認するように彼の名を静かに唇に乗せれば、余所へと向かっていた意識がやっと目の前の相手を認識したか、グラハムは伏せていた目を上げ困ったように笑んで見せた。
    「すまない、起こしてしまったかね?」
    「そんなこと言ってんじゃねぇよ。なにしてんだ、アンタ」
     先程までの唇を引き結んだ険しい表情から一転、普段の彼に戻った安堵からかニールの口調も少々、荒い物になる。その問いにどう答えたものか、とグラハムは口元を手で覆い低く唸る。
    「自分でもおかしな事を言っているのは承知している。だが、私は知っているのだ」
     そう言ってニールの手から抜け出すと、迷いのない足取りで通路の突き当たりまで進む。そこは以前、昼間にグラハムが気にしていた場所であったと気づき、ニールは片眉を上げた。
    「此処には扉がある」
     ペタペタ、と探るように石壁に触れるもそれは無機質な硬さを返すばかりで、彼の求める物は姿を現さない。
    「確かにある。あるハズなのだ」
     ぎり、と奥歯を噛み締め急くように壁を探り続けるグラハムの姿に、ニールは静かに息を吐くと足を一歩踏み出した。
    「こういうのは俺の役目だろ」
     そっ、と穏やかな手付きでグラハムの肩を押し、代わりにニール自身が壁の前に立つ。床と壁の継ぎ目を丹念に探り、次いで側面の壁に指を這わせる。黙って見ているしかできないグラハムは、歯痒そうにその場に立ち尽くすしかない。
    「なぁ、この先にはなにがあるんだ?」
     明かりの足りない手元にもどかしさを覚えつつニールが問えば、グラハムは言葉を返せず、ゆるり、と頭を振った。だが、こちらを向いていないニールにその動作が伝わるわけもなく、緩く息を吐く。
    「わからない。だが、どうしても私は……」
     彼自身、何故そこまで固執しているのかわからないのだろう。不安と焦燥を隠しきれていない声音からそれを感じ取り、ニールは僅かに眉根を寄せる。
    「ま、開けてみればわかるか」
     ここでグラハムを問い詰めてもどうにもならないと察し、極力、軽く返した言葉に背後から伝わってきたのは、安堵のそれであった。


     扉は果たしてあった。
     隠されていただけではなく幾重にもかけられた封印も、心許ない手持ちのカードでなんとか全て解き、物理的な鍵もそのままニールが解除した。ここまで厳重に守られていたとなると、その中のものは普通に考えれば相当重要なものである。
     膝を着いたまま、そっ、と慎重に扉を押し開き、期待と不安を胸にニールは室内を覗き込む。
     だが。
    「なにもないな……」
     部屋を一瞥したニールの言葉にグラハムも彼の頭越しに部屋を覗き込み、絶句する。
     そこは僅か三メートル四方の石造りの部屋。装飾らしい装飾は一切なく、書き物机のひとつもないのだ。
    「物置だったらなにかしら残ってるよな」
    「あんな厳重な封印を物置に施す酔狂な者が居たら、お目にかかりたいところだな」
     ぼそり、と呟いたニールに、グラハムはどこか呆然としたまま言葉を紡ぐ。
     何故、なにもないこの部屋にグラハムはあそこまで拘ったのか。グラハムを仰ぎ見ようと首を捻ったニールの視線をすり抜けるように、グラハムは更に扉を押すと室内に一歩踏み込んだ。
     なにかが、なにかがあるハズなのだ、と腹の奥から湧き上がる衝動に突き動かされるまま、グラハムは天井を見上げるも、そこにもなにもない。
     固唾を呑んで見守るニールの視線を背中に感じながら、グラハムは探るような足取りで尚も進む。
     目に見える物はなにもない。
     だが、なにかがおかしい。
     目に見えるものではなく、心をざわつかせるなにかが、此処には存在している。
     更に辺りを窺うようなゆっくりとした足取りで、グラハムは部屋の中央へと進んだ。刹那、全身をなにかに絡め取られたかのような感覚に陥り、総毛立つ。
     重い、とても重い空気がのしかかり、ぐらり、と視界が歪む。
     突然のことに声を出そうにもその喉は音を発する術を忘れてしまったかのように、意味もなく唇を戦慄かせるしかない。
     そして、なにもなかったはずの部屋に変化が起こった。
     壁や天井、床に到るまで余すところ無く、鈍く輝く上位古代文字がびっしりと浮かび上がり、それらが部屋の中央へと、グラハムを取り巻くように収束していく。
    「……ッ!」
     無秩序に現れた文字は、今や立派な魔法陣を描いていた。これほどまでに幾重にも絡み合った複雑な陣を、グラハムは今まで見たことがない。
     いきなりの事態に目を見開き、押し寄せる力がなにかわからないまま、本能のままに抗う。
     その最中、荒波に翻弄されるかの如く乱れ、歪んだ視界の中に複数人の姿を認め、反射的に叫びが喉奥から迸り出た。

    『私は誰の物にもならない……ッ!』

    「グラハムッ!」
     乱暴に肩を揺すられ、グラハムは、はっ、と目の前の男を凝視する。
    「どうした!? なにがあった!」
     焦りも露わに声を上げるニールの姿に、ゆるり、と目だけで辺りを見回すも、先程目にした魔法陣は跡形もなく、当然のことながら今現在此処にいるのは自分とニールだけである。グラハムは、とにかく助かったのだな、と訳もわからないまま深く息を吐いた。
    「私は……どうしたのだ?」
    「ったく、聞いてるのはこっちだっての。部屋の真ん中で立ち尽くしたと思ったら、急に倒れそうになったんだよ」
     肝が冷えたぜ、と額に、うっすら、と汗を滲ませているニールに短く詫び、グラハムは一旦、瞼を伏せる。
     ニールはなにも見ていない。
     だが、あれを幻と言うには生々しく、むしろ誰かの追体験のように思えた。
     そして、此処で言う誰かとはわかりきったことで。
    『あんなモノを見せてくれるとは、余程のことであったのだな』
     そっ、と己の胸に掌を宛がい、グラハムは小さく頭を振った。


     活動拠点にしている部屋へ戻ってくれば、当然のことながら待ち受けていたのはニールからの問いであった。無理を言って扉を探してもらった上に、封印解呪や解錠まですべて任せてしまったのだ。ここはキチンと説明するのが道理であろうが、グラハムは暫し黙り込んだ後、「すまないが、なにも覚えていないのだ」と深々と頭を垂れた。
     その言葉は嘘であるがグラハム自身、未だ混乱している自覚はあり、この状態でまともに説明できるとは到底思えず、不確かな情報を伝えるのは得策ではないと考えたのも事実である。
     彼の言葉を丸々信じたわけではないであろうが、ここで深く追求してもいらぬ波風を立てるだけだと判断したか、ニールは難しい顔をしつつも、そうか、とおとなしく身を引いた。
     慎重に場の空気を読み取ってくれるニールに感謝し、グラハムは謝罪の意味を込めて再度、頭を下げる。
    「朝まではまだ時間がある。ゆっくり休むといい」
     そう言い置くと、グラハムはくぐったばかりの出入り口へ足を向けた。その背にニールがどこへ行くのかと問いを投げれば、グラハムは肩越しに振り返り微笑を浮かべてみせる。
    「どうにも眠れそうにないのでね、見張りを任せている梟たちと歓談でもしてこようと思っている」
     遠くへは行かんよ、と付け加え、グラハムは、ゆるり、と手を振ると振り返ることなく部屋を後にした。
     梟との歓談は冗談だが、眠れないのは本当だ。
     神殿の外階段に腰を下ろし、先の光景を出来るだけ詳細に脳裏に思い描く。
     現れた文字。
     徐々に形を成す魔法陣。
     部屋の四隅と、入り口を背に立つ人影。
     激流に飲まれたかのようにめまぐるしく変わる視点は、『鳥の王』の乱れた心そのものであろう。
     四隅に立っていた者達は皆一様に闇色のフード付きローブを目深に被り、年齢どころか性別すらもはっきりしない。
     入り口付近に立っていたのは男が三人。背の低い初老の男と、二十歳前後と思しき青年。この二人の服装は豪奢で昔の貴族が好んでいたものに思える。
     問題は、もう一人の男だ。
     もう一度、もう一度だ、とグラハムは記憶を何度も巻き戻す。一瞬にして過ぎ去ってしまう映像を、意識を研ぎ澄ましコマ送りのように進めていく。
     ブレた映像が徐々に鮮明さを増していく。それに伴い、じくり、と胸の奥が疼き、知らず呼吸も乱れていく。
     ――赤。
     まず認識したのは色であった。瞬間、一際大きく心臓が跳ねた。
    「……何故だ」
     大きく脈打つことを止めない心臓を抑え込むようにグラハムは前のめりになり、ぎりり、と奥歯を噛み締める。
    「何故あの男が、あの場に居た……ッ」
     髭こそたくわえてはいないが、あの燃えるような赤い髪に、常に獲物を狙う肉食獣の輝きを秘めた瞳は、見間違いようもない。
     同時に、胸を腹を身体の奥深くを曝こうとするかのようにまさぐる手の感触を思い出し、ぐぅ、と低く呻く。
    『アンタ、腹ン中に一体、ナニを隠してんだ? なぁ?』
     今なら獣じみた行為の最中に、男の発した言葉の意味がわかる。あの男はグラハムの裡にある存在に気づいていたのだ。それがなにであるかまでは曝かれていないと思うが、薄く笑いながら男は「またな」と確かに言った。
    「どういうことだ」
     あの時、あの赤毛に恐怖したのは己ではなく『王』であったというのか。『王』の感じた恐怖に己は飲まれ、流されたというのか。
     くしゃり、と髪が乱れるのも頓着せず乱暴に頭を抱え、グラハムは混乱をきたしかけている己の心を抑え込む。今は自分のことではなく、王の記憶の検証が先だ。
     瞼を下ろし一旦、思考を全て闇に沈める。静かに息を吐き呼吸を整え、ゆっくり、と面を上げたグラハムの表情が瞬時に凍り付いた。
    「よぉ、また会ったな」
     月を背に、にぃ、と口端を吊り上げた男は、目の前に居るというのに全く気配がない。梟たちの眼にも映らないのか、警告の声が発せられることはなかった。
     瞬時に声の出なかったグラハムだが、こくり、と一度小さく喉を上下させた後、ゆうるり、と唇を開いた。
    「なんの用かな」
     鋭利な表情に加え、動揺を一切感じさせない静かな声音だ。その態度が気に入ったか赤毛は、くつり、と笑うと芝居がかった仕草で、一本立てた指を己の唇の前に宛がった。
    「盗掘屋は夜にこっそりが定石だろう?」
    「生憎とここには金になりそうなモノはないので、お引き取り願おう」
    「そうつれないこと言うなって」
     コツ、とわざと足音を立てグラハムの隣に立つと赤毛は身を屈め、無遠慮に相手の頤に手を掛ける。
    「なぁ、アンタ。もしかして扉、開けたんじゃねぇか?」
     言葉自体は問いであるが、絡み付くようなその口調と声音は確信を得たもので、確認の響きに近い。
    「開けたら、なんだというのだ」
     無骨な手を振り払うこともせず射抜くような強い眼差しを寄越す相手に、赤毛は愉快そうに唇を歪めると親指の腹で、するり、とグラハムの下唇を撫ぜた。
    「なに、ちょっと驚いてるだけだ。まさかあの扉を見つけられるヤツが居たとはねぇ」
     ホント、アンタおもしろいねぇ、と眼を細める男の手をここでやっと払い、グラハムは静かに立ち上がる。そしておもむろに腰の剣を抜くと、躊躇なく赤毛に斬りかかった。
    「っおわ! いきなりなんだぁ!?」
     紙一重で避けたつもりであったが、赤毛が数本、宙に舞う。
    「竜の卵の恨みだ。忘れたとは言わせんぞ!」
     想像以上の鋭い踏み込みを見せたグラハムに、シャレになんねぇなぁ、とぼやき、赤毛は軽く空を仰ぐ。遙か昔に施した封印が解かれた気配を察し、今日はただ確認に来ただけでグラハムとの再会は全くの偶然であったのだ。
     だが、おもしろいことになりそうだ、との予感に、剣の切っ先を避けつつ赤毛の口元が自然と笑みを形作る。本人は気づいていないようだが着実にその身は変化を遂げており、初対面時の疑念は確信へと変わった。
    「随分とご機嫌斜めなようなんで、今日のところは退散するとしようかね」
     わざと戯けた口調で肩を竦め、男はグラハムから大きく距離をとった。
    「次にあったら存分に可愛がってやるよ」
    「次などない!」
     素早い身のこなしで一気に間合いを詰めてきたグラハムに感嘆の口笛をひとつ吹き、赤毛は振り下ろされた剣の腹を素手で横に払う。
    「なんと……ッ!?」
     驚愕に目を見開くグラハムの耳元に唇を寄せ、赤毛は低く囁いた。
    「アリー・アル・サーシェスだ。よぉーく覚えておけ、小鳥ちゃん」
     おまけだと言わんばかりに耳朶を緩く食み、サーシェスは高笑いひとつを残しその場から忽然と姿を消したのだった。
     呆然と立ち尽くすグラハムの耳に、梟たちの声が戻ってくる。剣を一振りしてから鞘に収めつつ、ふるり、と頭を振った。
     一体どういうことだ、と更に混乱した頭でもわかったことがある。
     あの赤毛は人ではない、ということだ。
     そして、身の裡の王は酷くあの男を恐れ、尚且つ、憎悪している。
    「意思の疎通が図れないというのは、なんとも歯痒いものだな」
     言葉や意志ではなく、不意に伝わってくる感情の波を拾っているような状態だ。いつ洩らされるとも知れぬ寝言を聞いているような気分だと言ったら、王は気を悪くするだろうか、とグラハムは己の考えに、ふ、と苦笑を浮かべる。だが、それも一瞬のことで、直ぐさま険しい表情にすり変わった。
    「それにしても忌々しい……」
     柔く食まれた右耳を押さえ、柳眉を、ギリリ、と吊り上げる。相手が人外であろうとなかろうと、この際どうでもいい。一度ならず二度までもコケにされ、グラハムの自尊心はいたく傷つけられたのだ。
     出来うることならば今すぐにでも行方を探り、一刀両断にしてやりたいところだが、残念ながらその術はない。人相書きを手に当てもなく彷徨うなど愚の骨頂であるとわかっているからこそ、グラハムは相手の言葉を信じ、待つことにする。
    「不幸中の幸いであると、言わざるを得んな」
     不快ではあるが相手に興味を持たれたのだ。こちらからわざわざ仕掛けずとも、向こうから来てくれるのならば好都合だ。聞きたいことは山とある。
     更に眠気はどこかに行ってしまったが、これ以上、外にいる気にもならず、グラハムは神殿内へ戻るべく足を向けた。だが、数歩もいかぬうちに歩みは止まり、忌々しげに手近な柱に拳を叩き付ける。
     頭ではわかっていても、やはりただ待つというのは性に合わない。地下で見たモノがなんであったのかだけでもハッキリさせないことには、このモヤモヤは決して晴れないのだと唇を引き結ぶ。
    「ここに残されている粘土板で、なにかわかれば良いのだが」
     そこに一縷の望みを掛け、グラハムは深く息を吐くと眉間の皺を消した。鏡を見ずとも今の自分が酷い顔をしていることは、重々理解している。そのまま戻ってはニールにいらぬ心配をさせてしまうことも、理解している。
     眠らずに自分を待っているであろう彼の顔を脳裏に思い描き最後に大きく息を吸うと、グラハムは平素となんら変わらぬ自信に溢れた表情を取り戻し、迷いのない足取りで部屋へと戻って行ったのだった。

     遠くに聞こえた馬の嘶きにニールは怪訝な表情で窓から顔を出し、木立の向こうをすかすように眼を細める。かろうじて道らしきモノはあるが、木々の生い茂ったこんな場所にやってくる者など酔狂以外の何者でもない。
     やや警戒した面持ちで首を引っ込め、クロスボウ片手に神殿入り口へ急ぐ。ちらちら、と見え隠れするのはそれほど大きくはないが馬車のようで、大人数で来られたらちと厄介だな、と更に表情が険しさを増す。
     だが、共に部屋を飛び出したグラハムはそんなニールとは対照的に、どこか楽しそうに眼を細め、くつり、と喉を鳴らした。
    「近づいてきてるヤツのこと、鳥はなんも言ってないのかよ」
    「あぁ、言っているとも。よく知った顔だ、とね」
    「は?」
     よくわからない返答に短く問いの声を上げるも、グラハムはそれ以上なにも言わず黙って、くい、と前方を顎でしゃくって見せた。
     どういうことだ、と徐々に近づいてくる馬車を見据えるニールの眼が、信じられない者を見たかのように大きく見開かれる。視界に飛び込んできたのは、御者台に座る己と同じ顔であった。
    「ライル!?」
     まだ距離はあるが見間違えるはずのない弟に向かって素っ頓狂な声を上げれば、それに応えるようにライルが片手を上げて見せる。
    「どうやらカタギリ達も乗っているようだ」
     幌の中はこちらからは見えないが、小さな眷属がグラハムに告げたのだろう。眼を細めて笑うグラハムの横顔と近づいてくる弟を交互に見やり、ニールは「一体どういうことだ」と洩らしつつ後ろ頭を掻いた。
    「よぉ、兄さん。久し振り」
     神殿前に馬車を横付けし、ライルが軽く挨拶をすれば、それに続くようにビリーが幌の中から顔を出す。
    「お待たせ、グラハム」
    「あぁ、早かったな」
     荷下ろしを手伝おうと言葉を交わしながら近づいたグラハムは、当たり前の顔で中に居るもう一人に声を掛けた。
    「遠路遙々、このようなところまでおいでになるとは、一体どうされたのかな。ミス・アニュー?」
    「お久し振りです。お元気そうでなによりです」
     にこり、とグラハムの言葉を軽く受け流し、アニューは馬車から降りるとニールにも軽く頭を下げる。
    「おいおい、二人揃ってどうしたんだよ」
     なにかあったのか、と心配そうに眉を寄せる兄にライルは、「心配性だなぁ、兄さんは」と微苦笑を浮かべる。
    「この間はゆっくり話出来なかったからさ。旅行も兼ねて会いに行ったら兄さん、仕事で居ないってミス・スメラギに言われてよ」
    「それでわざわざ?」
    「んー、それもあるんだけど、僕がお願いしたんだよ」
     力仕事はグラハムに任せたか、ビリーが軽い荷物を手に兄弟の元にやってくる。
    「アーデさんご指名の依頼が入っちゃってね、こっちの仕事がキャンセルになっちゃったんだよ。そこにたまたまこの二人がキミを訪ねて来た、と。聞けばリターナーさんは古い言語に詳しいって言うしね」
    「専門的なことは全然ですが、お力になれるなら喜んで」
     状況を把握したかニールは頷き、柔らかな笑みを浮かべるとライルの腕を、ぽん、と軽く叩いた。
    「そうか。それを聞いて安心した。じゃあ早速、手伝ってもらうとするか。向こうでグラハムが恐い顔をしてるしな」
     はは、と戯けたように笑い、一人荷物を担いで神殿内へ入っていくグラハムの背に続こうと、一歩踏み出したニールに並んだライルは兄に僅かに顔を寄せ、低く囁いた。
    「アニューがアイツをやたらと気にしてる。だから……」
     来た、と本来の目的を告げる弟の顔を弾かれたように見やり、ニールは、どういうことだ、と唇に乗せかけた言葉を瞬時に飲み込む。自分以上にライルの瞳が、どういうことだ、と問うていたからだ。
    「アイツ、なんなんだよ」
     改めて口に出された問いにニールは肩を竦めることで答えとするも、ライルがそれで納得するわけもなく。まいったな、と苦笑と共に不満顔の弟の肩を叩くと「俺の口からは言えない」とだけ告げたのだった。


     荷物を粗方運び終えたところでグラハムはビリーの傍へ寄り「見せたいものがある」と、そっ、と耳打ちした。
     扉を開いてしまった以上、地下の隠し部屋は遅かれ早かれ彼の目に留まる。ならば早い方が良いだろう、とグラハムは腹を括ったのだ。
     だが、全てを明かすべきか、決めかねているのも事実だ。
     博識な彼に助力を請いたいのは山々であるが、サーシェスと名乗った得体の知れない男の事を考えると、これ以上この件に関わらせるのは危険なのではないかとの危惧が頭を擡げる。
     茫洋としているようでその実、鋭い観察眼を持っているビリーを欺くのは容易ではない。長年の付き合いがあれば尚更である。微細な表情の変化すら読み取ってしまうだろう。
     情報は欲しいが手の内を全て明かせないとなると、少々、骨が折れそうだ、と内心で苦く笑みつつ、グラハムはビリーの一歩前を行く。
    「どこに行くんだい?」
    「地下だ。隠し部屋が見つかった」
    「なんだって!?」
     できるだけ淡々と言葉を返せば、その内容にビリーは勢い良く食いついてくる。「研究者の性だな」とグラハムが肩越しに軽く笑ってみせれば「否定はしないよ」と、それでも少しばかり困ったように片眉を上げビリーは笑った。
    「ただ、ご期待に添えるモノではないと思うがね」
     目を輝かせているビリーには悪いがやはり全てを語るべきではない、とグラハムは歩みを進めつつ思考を巡らせる。
     口にすべきこと。
     隠すべきこと。
     それらを目的の場所に着く前に吟味し、独り小さく頷いた。
    「ここだ」
     通路の突き当たりでその姿を露わにしている扉を前にビリーは小さく息を飲み、グラハムに促されるまま扉を押し開ける。
    「ここは……一体なんだい」
     あからさまに肩を落とし中の光景に些か落胆した声音であったが、それも仕方ない、とグラハムは一旦、瞼を伏せてからビリーの背に続いて室内に足を踏み入れる。
    「言ったであろう? ご期待に添えるモノではない、と」
     大仰に肩を竦めるグラハムに「キミも人が悪い」とぼやき、ビリーは改めて室内を、ぐるり、見回した。
    「見事なまでになにもないねぇ。でも、わざわざ僕をここに連れてきたってことは、ナニかある……いや、あったんだろう?」
     くい、と眼鏡のブリッジを右中指で押し上げ、すぅ、と眇めた目を向けてくるビリーに、グラハムは表情を引き締め軽く顎を引いた。
    「さすがだな、カタギリ。いかにもその通りだ」
     察しの良い友人を喜ぶべきか悲しむべきか、正直、複雑な心境でグラハムは言葉を続ける。
    「とても胸の悪くなるものを見せられたよ」
     そう言って、とん、と親指で己の胸を軽く指せば、ビリーは、はっ、と目を見開き、直ぐ様「なにを見せられたんだい」と先を促してくる。
    「恐らく、なんらかの儀式だな」
     寸分違わずとは行かないが魔法陣の形状と部屋の四隅にいたローブの人物、それから親子と思しき二人の人物のことを説明し、グラハムはそこで唇を閉ざした。
    「この神殿は『鳥の王』になんらかの縁があるのか?」
    「読み解けた粘土板にそれらしい記述は今のところないから、なんとも言えないねぇ。なにがいくつ奉納された、とかそんなのばかりだよ」
     友人の返答に、そうか、と零しグラハムは続けて何か言いかけたビリーを制するかのように、すっ、と片手を上げ、出入り口に顔を向けた。
    「立ち聞きとは感心しないな。出てきたまえ」
     静かだが力ある言葉に従うかのように、おずおず、と姿を現したのは、上で食事の用意をしているはずのアニューであった。
    「あぁ、呼びに来てくれたのかい?」
     食事が出来たのだろう、と見当をつけたビリーが笑みと共に口にするも、グラハムは険しい表情を崩さず、じっ、とアニューを見据える。
    「アニュー・リターナー。キミの目的はなんだ」
    「ちょっと、グラハム」
     詰問調に驚いたビリーが嗜めるようにグラハムの名を呼ぶもそれは全く功を奏さず、グラハムは室内に踏み込んできたアニューから目を離さない。
     だが、その抉るような眼差しに怯んだ様子もなく、アニューはグラハムの正面に立つと静かに頭を下げた。
    「立ち聞きしたことは謝ります。ですが、そこまで警戒される理由をお聞きしてもよろしいですか?」
    「断る、と言ったら?」
     にべもない言葉など想定内であったか、アニューはグラハムの瞳を見据え、流れるように言葉を紡いだ。
    「身の裡に匿っているモノのこと、ですか?」
     刹那、空気が、ピリリ、と張り詰め、知らずビリーの喉が鳴る。
    「……感づかれているとは思っていたが、面と向かって言われるとなかなかに衝撃的だと言わせて貰おう」
    「あの時はなにか異なるモノを内包しているとしか感じ取れず、あくまで憶測でしかなかったのですが、今は確実にその存在がわかります」
     先日の一件が原因か、或いは王の眠りが浅くなっているということかは定かではないが、その存在が大きくなっていると告げられたことには変わりなく、グラハムは難しい顔で、コツコツ、と指先で顎を叩く。
    「なにが目的かお聞かせ願えるかな」
    「ただの情報提供です」
     慎重に言葉を押し出したグラハムであったが、にこり、と浮かべられた笑みと共に寄越された返答は予想外であったか、ぱちぱち、と数度、瞬きを繰り返した後、まじまじ、とアニューを見つめ、「それだけ、かね?」と半ば呆然とした声を上げた。
    「貴方の裡に居るのが『鳥の王』であるという確証もなかったので、あの時は当たり障りのないことしかお話ししませんでした」
    「賢明な判断だね」
     グラハムから事の次第を聞いていたビリーが、うんうん、と頷けば、グラハムも小さく頷き話の先を促す。
    「私たちの居た森には、王が羽を休めると言われている止まり木があります。ご存じの通り私たちの仲間は散り散りとなってしまい、詳しいことを知っている者と連絡が取れない為、不確かな話になりますので話半分に聞いてください」
     そう言い置いてアニューはまず、彼女たちの部族のことから説明を始めた。
     彼女たちの部族は『鳥の王』に限らず『獣の王』等、全ての神に感謝と祈りを捧げており、その誠実さから特に『鳥の王』は魂ではなく、黄金の翼を持つ鳥の姿で頻繁に降臨していたという。
     ある日、身重の娘が命を落としかけた際、それを憐れと思ったかその身を『鳥の王』が預かることで一命を取り留め、赤子も無事であったという。
    「薬の製法や呪法はその時、王によってもたらされたと言われています。そして王が産み落とした赤子は、人とは異なった力を持っていたとも言われています」
     その血が細々とではあるが絶えることなく今に繋がっており、彼女たちの部族は常人に比べ魔力が強いのだという。
    「貴方を見たとき、確かに私の中で何かが疼きました」
    「私の方はサッパリであったがね」
     そう言われてもピンとこなかったかグラハムは、決して茶化している訳ではないのだが、軽い調子で相槌を打つ。それに気を悪くした様子もなくアニューは、ふっ、と微笑を浮かべ、「それは仕方ないと思います」と口にした。
    「貴方は『王自身』ではないのですから。ですが……」
     やや沈み込んだ声音にグラハムが怪訝に眉を寄せるもアニューは、ゆるり、と頭を振ると、なんでもなかったかのように明るい声を出した。
    「王が身体を預かった娘は王が還った後、天寿を全うしたそうです。それが王の力か、娘の生命力によるものかはわかりませんが」
     故意に話を逸らされた感は否めなかったが、もたらされた話にグラハムは元よりビリーも無意識のうちに安堵の息を吐いた。必ずしも死ぬわけではないのだと、それがわかっただけでも気の持ちようが違う。
    「王の止まり木、か」
     王の身体を探す手がかりがない今、どんなに些細な事柄でも王に関することであるのならば調べてみるべきであると、小さく頷く。
     だが、大きな問題がひとつ、目の前に横たわっている。
    「森に入れなければ意味がない」
     彼女たちの森は奪われたままなのだ。
    「こっそり入るくらい出来そうだけどねぇ」
     森全体に監視の目が光っているわけでもないだろう? とビリーが首を傾げれば、アニューが、ゆるり、と首を振る。
    「相手方に高位の術者がいるようで、結界が張られています。入れても奥には辿り着けず、入り口に戻されてしまいます」
    「一筋縄ではいかんようだな。尤も、そう簡単に事が済めば今頃、森の奪還は成功しているだろうがね」
     年単位で事を進めているライル達のことを思い、グラハムは苦い笑みを浮かべたのだった。
    「まずはどうすれば森を取り返せるかを考えねばならんようだ」
    「ちょっと、グラハム……」
     親友の言葉にビリーは秀麗な眉を僅かに寄せ、一度は関わらないと言った厄介ごとに自ら首を突っ込もうとしている彼の名を苦く呼んだ。だが、熟知していると言わんばかりにグラハムは、ちらり、とビリーに視線を寄越し緩く首を傾ける。
    「状況が変わったのだよ、カタギリ」
     その愛嬌のある仕草に伴わない発言に、わかってるさ、とビリーは諦めの溜め息で応えるしかない。こうと決めたら決して意見を曲げない性格だということは、これまでの経験上、いやと言うほど味わってきたからだ。
    「我々がわかっていることは、正直、なにもない。だが、森を奪った目的なら、おおよその見当は付いている」
     状況だけを見るならばかなり絶望的なのだが、グラハムの発する言葉も眼差しも強いままだ。
    「麻薬目的だというのなら、薬草の生育、精製にはそれなりの時間がかかる。ミス・アニュー、その薬草から精製される麻薬のレベルは如何ほどのモノかな?」
    「そうですね、最低でも特Aランクにはなると思います」
    「つまり、出回る数が少なければ希少性からも高値が付き、大量に出回ったとしたら市場に大きな変動がある」
     グラハムの指摘に、そうか、と手を打ち、ビリーは彼の言わんとすることを即座に理解する。
    「売買のバランスが崩れれば現在、市場を取り仕切っている者は、さぞや苦い顔をしているだろうねぇ」
     どの世界にも勢力図があり、新参者が派手に動けばそれを取り込み傘下に収めるか、最悪潰そうとの動きが出ることは珍しくない。
    「付け入るとすればまさにそこなのだが……」
     ここにきてグラハムの口の回りが悪くなる。その理由がわかるだけに、ビリーもアニューも溜め息を吐くしかない。
    「そんなヤバそうなところにツテなんか、誰も持っていないってオチなんだよね」
     黙りこくっていても仕方がない、と諦めの吐息と共にビリーが口にしたその時、思いも掛けぬ第三者の声が出入り口から流れ込んできた。
    「面白そうな話してるじゃねーの?」
     絡み付くような緩い声に室内にいる全員が、はっ、と顔を巡らせれば、気怠げに出入り口に寄りかかり、皮肉げに口角を吊り上げている燃えるような赤毛がそこには居た。
    「貴様……ッ!」
     またもや気配すら感じさせなかった相手にグラハムがいち早く反応し、寸分の躊躇もなく腰の剣に手を伸ばすも、「あれ? なんでこんなところに」とのビリーの少々、緩い声に勢いを削がれ幸か不幸か数歩、足を進めただけで抜刀には至らなかった。
     見ず知らずの者に対するのとは異なった声音が気になったか、グラハムが問うようにビリーを振り返れば、彼は室内に足を踏み入れたサーシェスに目を向けたまま口を開く。
    「叔父さんのところに竜の卵を売り込みに来たことがあるんだよ」
    「なんとッ!?」
    「その節はドーモ」
    「あの黒竜も引き取るって話だったけど、結局どうなったんだい?」
     戯けたようにお辞儀をし、にやり、と口角を吊り上げたサーシェスをグラハムは険しい眼で見ていたが、続けて発せられたビリーの言葉に弾かれたように親友に顔を向ける。
    「なんだとカタギリ!? そのような話、私は聞いていないぞ!?」
    「ちょっ落ち着いてよ、グラハム」
     今にも掴み掛かってきそうなグラハムに、焦った声を上げるビリーを助けようというわけではないであろうが、サーシェスは一際大きな笑い声を上げグラハムがこちらを向くよう仕向けた。
    「卵は良い値で買ってくれたんだが、あの黒竜はダメだとよ。ま、俺なんか乗せたくねぇ、と竜自体にもフラれちまったがな。ったく、なんだあの気位の高さは」
     本気か冗談か判断しがたいところだが、結果がそれならば良い、とグラハムは安堵の息を吐き、改めてサーシェスに向き直った。
    「それで、貴様はなにをしに来た」
    「なに、面白そうな話をしてたから、一枚噛んでみたくなっただけのことよ」
     紳士的とは言い難い笑みを浮かべる相手に隠すことなく眉を寄せ、グラハムは伸ばされたサーシェスの手をにべもなく叩き落とす。それを大仰に振って見せ、サーシェスは皮肉げな笑みと共に軽く肩を竦めた。
    「商売柄、あちこちにツテがあってね。利用しないテはないと思うぜ?」
    「信用ならんな」
     正直、藁にも縋りたいところだが、二度もコケにされたことを差し引いても、この男は危険であるとグラハムの本能が告げるのだ。
    「使えるモノは使っておけよ。信用なんざ、二の次だ」
     まるで胸中を見透かしたかのような誘い文句に、ぎり、とグラハムの奥歯が鳴る。
    「タダより高いものはないというではないか」
    「あー、それなら」
     不意に身を屈め、サーシェスはグラハムの耳元で吐息を吹き込むように囁いた。
    「竜の卵の件でチャラってことにしようや」
    「な……ッ!」
     予想だにしていなかったことを言われ、グラハムの思考が一瞬、停止する。
    「どうするよ?」
     尚も低く囁かれ背筋が粟立つ。身の裡からも、ざわざわ、と不安とも怒りとも恐れともつかぬ波が押し寄せ、それを抑え込むかのようにグラハムは胸の前で、ぐっ、と拳を握った。その仕草にサーシェスが眼を細めたことには気づいていない。
    「良かろう。善良な一般市民が踏み込んで良い世界ではないからな」
    「自分で善良とか言うなよ」
     一度決めてしまえば切り替えが早いのか、グラハムはサーシェスの腕を引き部屋を出て行こうとする。成り行きを黙って見守っていたビリーが慌てて彼の名を呼べば、「後のことはこちらに任せて貰おう」とだけ言い残し、その背は振り返ることはなかった。
     当事者であるはずのアニューも蚊帳の外扱いとは、とビリーが困ったように彼女を見やれば、サーシェスが現れてから一言も発していなかったアニューは顔色を失い、その身は微かにだが震えていたのだった。
     強引にサーシェスを連れ出したグラハムだが、どこに行くといった目的もなく、とにかくあの場から去ることしか考えていなかった。
    「ひとつ約束してほしいことがある」
     おとなしくされるがままのサーシェスを振り返ることなく、グラハムの唇から硬い声が洩れ出る。
    「他の者に危険が及ぶようなことはしないで頂きたい」
    「わぁーってるって。他の奴らになんか元から興味ねぇし」
     心底どうでもいいと言いたげな声音に軽く眉根を寄せ、グラハムは軽く頭を振ると神殿を出たところでようやくその足を止めた。
    「それで、具体的になにをするつもりだ」
    「ん? あぁ、さっきの話か」
     真っ直ぐに向き合い凛々しい顔を向けてくるグラハムに、サーシェスは緩く口角を吊り上げる。
    「アンタの読み通り、今、市場は乱れててな。市場を牛耳ってたお方は大層ご立腹ってワケよ。麻薬が湧いて出るわけねぇのに、生産ルートが掴めなくて手を出しあぐねていたんでね。その場所をリークしてやるだけだ。簡単だろう?」
    「それでは森の所有者が変わるだけではないか。彼女たちに返せなければ意味がない」
    「わかってるって。その点もぬかりなくやってやるから、安心しろっての」
     グラハムの心配を一蹴しサーシェスは、つい、と相手の頬に指を走らせる。
    「巧くいったら俺にも拝ませてくれよな。『王の止まり木』ってヤツをよ」
     余所者は歓迎されねぇんだろ? と嘯く赤毛を睥睨し、相手の底意を探ろうと鶸色の瞳を真っ直ぐに見据える。相手の言葉を額面通りに受け取るほど、グラハムはお人好しではないのだ。
    「……目的はそれか。なにを企んでいる」
    「さぁね。そいつは巧くいってからのお楽しみってことにしとこうぜ」
     刹那、垣間見えた凶暴な瞳の色にグラハムは背に緊張を走らせるも、それを覆い隠し勝ち気な笑みを湛えて見せた。
    「巧くいかなければ困る。期待して待たせてもらおうではないか」
     ゆるゆる、と頬を撫でる手を払い、事も無げに言い放ったグラハムにサーシェスは、はっ、と鼻で笑ってから「仰せのままに」と戯けた一礼を返したのだった。
     それじゃ早いトコ済ませちまおうか、と踵を返したサーシェスの背にグラハムの鋭い声が突き刺さる。
    「本当なら貴様を踏ん縛ってでも聞きたいことが山とある。だが、今は問わん」
    「おっと、コイツは随分と情熱的だな。けどよ、スリーサイズと歳は秘密だぜ?」
     背を向けたまま、はっはー、と馬鹿笑いを上げたかと思いきや、サーシェスの姿が瞬く間に掻き消えた。またか、とグラハムは今まで赤毛が立っていた場所を、ぎりり、と睨め付けつつ、これからすべきことに思考を巡らせる。
     こう言っては難だが、赤毛の行動をライルの仲間達に邪魔されては困るのだ。敵ではないが味方でもないサーシェスのやることを、彼らが傍観してくれるとは限らない。
     仮に今からライルに伝令に走って貰ったとして間に合うかどうか疑わしいが、やらないよりはマシであろう。
     神殿内に戻ろうとグラハムが振り返れば、いつから居たのか出入り口横の柱にもたれ、こちらに、じっ、と視線を注いでいる双子の姿があった。
    「おや、お揃いでどうしたのかな?」
    「どうしたじゃねぇよ。知らねぇヤツ引っ張って凄い形相で出て行ったから、何事かと思ってな」
     拠点にしている部屋は初日にグラハムが扉を蹴倒してから、ずっとそのままである。アニューが戻ってこないと訝しんでいたところに、グラハムのこの行動だ。気にならない方がおかしい状況といえた。
     階段を昇りきったグラハムにニールがそう言葉を投げれば、ライルが逃げ道を塞ぐように言葉を続ける。
    「あの赤毛、何者だ。あんたら以外、地下には行ってねぇんだけど?」
    「その質問は尤もであると言わせて貰おう。だが、生憎と私も何者かはわからないのだよ」
     嘘は言っていないのだが、他者にはそのようなことわかるはずもなく。ニールは僅かに眉根を寄せるに留めたが、ライルに至ってはあからさまに顔を顰め苛立たしげに、ちっ、と舌打ちをひとつ洩らした。
    「一体なんなんだよ。アンタが絡むとハッキリしねぇことばかりだ! アニューはなにも言わねぇし、兄さんも答えてくれねぇ!! あーくそ、胸糞悪ぃ」
    「あの赤毛に関しては本当になにも知らないのだよ。だが、彼が森を取り戻す算段をつけてくれるということになった」
     ライルの不満を正面から受け止めるも顔色ひとつ変えず、グラハムは淡々と言葉を紡いでいく。
    「ひいては彼の邪魔をしないよう、キミの仲間に伝えて欲しいのだが頼まれてはくれないか?」
     先のライルの言葉を聞いていたのか疑わしい一方的なまでの話の進め方に、ニールすら目を眇める。当のライルはなにを言われたのか理解できなかったか、一瞬の間の後、きりきり、と柳眉を吊り上げた。
    「っざけんな! てめぇ、俺の話聞いてたのかよ!? 赤毛もそうだがてめぇ自身も得体が知れねぇんだ。そこら辺ハッキリさせてから頼むのが筋ってモンだろうが!! あぁ!?」
     勢いのままにグラハムの胸座を掴み上げ、ぐい、と乱暴に引いた弟の手を、横手から割り込んだニールが押さえ、やめろ、と嗜める。グラハムは僅かに踵を浮かせたまま難しい顔で、じっ、とライルを見据えていたが、その瞳を、ちら、とニールに走らせたかと思った瞬間、神妙な面持ちになった。
    「できれば言いたくないのだが」
    「ふざけんな」
     とっ、と突き飛ばすようにグラハムから手を放し、ライルが、ぴしゃり、と言い放つ。
    「俺は兄さんとは違って『言いたくないなら言わなくていい』なんて温いことは言わないからな」
    「おいおい、本人目の前にしてそういうこと言うかぁ」
     苦笑混じりのニールを無視し、ライルはグラハムから視線を外さない。暫し無言で視線だけの応酬が続いたが、先に折れたのは意外にもグラハムであった。
    「では、キミにだけ話す、ということでどうだろう」
    「そりゃねぇだろ。俺だって知りたくないと言ったら嘘になる」
     往生際の悪いグラハムにニールが真摯な眼差しを向ければ、常に自信に満ちた新緑の瞳は僅かに伏せられ、きゅっ、と引き結ばれた唇が僅かに震えた。
     ややあって顔を上げたグラハムは「よかろう」と小さく頷き、こつこつ、とこめかみを指先で軽く叩く。
    「信じる、信じないはキミ達に委ねるとしよう。私の裡には今『鳥の王』が居る」
     経緯からではなく結果のみを告げたのは、あの時その場に居たニールを気遣ってのことであるが、祭壇と小鳥の亡骸を眼にしていた聡い彼には無駄なことであったようだ。
     瞬時に顔色の変わったニールに穏やかな笑みを向け、グラハムは、ゆるり、と首を振った。
    「キミが気に病む理由などひとつもないのだよ、ニール。誰のせいでもない。たまたま私だった、というだけのことだ」
    「そうだとしても、でも、どうして言ってくれなかったんだ。一番近くに居たってのに俺は、気づきもしなかった。俺はいつも肝心なことは知らないままじゃないか」
     沼地の魔女討伐のことも脳裏を過ぎったか後悔の念に駆られ、ぎゅっ、と寄せられた眉と震える拳を前に、ライルは「だからだろ」と、ぽつり、洩らす。
    「兄さんは優しすぎるんだよ。なんでもかんでも背負い込もうとするから、コイツも心配させないように黙ってたんじゃねぇの?」
     ま、そっちの詳しい状況はわかんねぇけど、と肩を竦めるライルにグラハムは片眉を上げつつ「経緯もお聞かせするべきかね?」と首を傾げて見せた。
    「手短に頼むぜ。アンタ、話長そうだからな」
     これから聞く話の内容が軽くないことは、薄々ではあるが気づいている。しかしライルは意図的に軽く返した。
     途中途中でニールの補足が入りつつ遺跡でのことが語られ、ゴーレムとの戦闘、『混沌』のカードのこと、そして『鳥の王』との邂逅へと至った。
    「本来ならば『混沌』のカードを使った時点で、生き長らえる見込みはなかったのだ。だが、私は今こうして此処にいる。『王』に救われたこの命、ならば『王』の身体を探し出し、彼に返すのが恩に報いることになると思っている」
    「アニューは気づいていたのか」
     ようやく合点がいったか、ライルが確認するように口にすればグラハムは小さく頷き、「確信はなかったそうだがね。そして先ほど新たな情報を提供して貰ったところだ」と薄く笑んだ。
    「それで彼女たちの森に用が出来たのだが、キミも知っての通り未だ森は取り戻せていない。そこにあの赤毛が来て手を貸してくれるというのでな、打開策のない私は彼の策に乗ったのだよ」
    「信用できんのかよ、その話」
    「ヤツ自身は信用ならんが、やることはやってくれるだろう」
     不信感を隠そうともしないライルに、グラハムは軽く肩を竦めてみせる。あの男の底意は不明だが、彼も『王の止まり木』に用があるというのなら結果を出してくれるだろうとグラハムは思っているが、そのことは他者に告げるべきではないと、赤毛に関することは頑なに口を閉ざす。
    「先も言った通り、私には策がないのだ。ならば少しでも可能性があるのなら、それに賭けたい」
     ゆうるり、と双子の顔を順番に見やり、グラハムは表情を引き締めた。
    「そして勝手なことを言っていると、重々承知の上でお願いする。このことはキミ達の胸に秘めておいて欲しい。私の事情に巻き込む気はさらさらないのでね」
    「オーライ。俺も面倒事に首突っ込む気はさらさらないんでね。でも、ま、伝令係くらいはやってやるよ。アニュー達の為にな」
     一瞬の迷いもなく了解の意を示し、ライルは、アンタの為じゃねぇぞ、と釘を刺すとそのまま階段を下りていく。その背に「感謝する」とグラハムが言葉を投げれば、ライルは振り返ることなく片手を上げて見せた。
    「さて、ニール。キミも首を縦に振ってはくれまいか?」
     途中から一度も口を開いていないニールを促せば、栗色の髪が、ふるり、と小さく揺れた。
    「ニール……」
     困ったように、だが優しく名を呼ぶグラハムにニールは、ふるり、と再度首を横に振った。
    「なんだよ、俺はアンタに助けられてばかりで、こっちからは手助けもしちゃいけねぇのかよ」
     喉奥から絞り出された言葉にグラハムは、しまった、と内心で舌打ちを洩らす。彼の身を案じての事であったのだが、歯痒さもあるだろうがグラハムの言葉足らずも手伝って、どうやらニールの矜恃をいたく傷つけてしまったらしい。
    「キミの能力を低く見ているわけではない。ただ、これは私個人の問題であって……」
    「うるせぇ」
     じとり、と睨め付けられ思わずグラハムの口が止まる。今まで聞いたことのない地を這うような声音に、背筋が震えたのも事実だ。
    「そんな気の使い方されても嬉しくねぇよ。頼むから仲間の力になりたいって気持ちまで、否定しないでくれよ」
     一度は引き下がったが事情を知った今となっては引く気はないのだと、強く見返してくる翡翠の瞳が言葉以上に告げていた。
     リリ……、と透き通った音色を奏でていた虫たちが、不意に黙り込んだ。
     人の作った結界など紗を裂くより容易い、と男は無造作に腕を横薙ぎに払う。
     この森に足を踏み入れるのはいつ以来か、と眷属達の息づかいを遠くに近くに聞きながら口端を吊り上げる。
     いつの世も人間は愚かだ、とこの地を追われた者、この地を奪った者、双方のことを思い喉奥で低く嗤う。
     下生えを踏みしめ奥へ奥へと進むその背に従い、木立の向こうに爛々と輝く獰猛な光が増えていく。
     前方に多数蠢く人の気配を捉えた刹那、一陣の赤い風が駆け抜け、闇夜に血飛沫が舞った。断末魔すら上がらぬまま、一方的な殺戮の幕が切って下ろされたのだ。
     猛り咆吼を上げる眷属の間を縫い、男は先程まるで紙を破るかのように易々と他者の喉を貫いた右腕を振るい、逆の手で頬を濡らす返り血を無造作に拭う。
     瞬く間に血臭に満たされた場を軽く見渡し、はっ、と嗤いを洩らす。簡単すぎて欠伸が出るぜ、と独りごち、ゆうるり、と眼を細める。
     あとは適当に生かした人間に「お前達は王の怒りに触れたのだ」と囁いてやればいい。
     恐怖に駆られた人間はそれを誇張して伝えるだろう。
     翌朝、ここに攻め入らんとする者達は獣に引き裂かれた無数の亡骸を前に、その言葉を信じ、恐れ、今後、この地に近づこうとする者は王の鉄槌が下ると、まことしやかに囁き交わすのだ。
     背後の喧噪を余所に燃えるような赤い髪を靡かせ、男は前方に聳え立つ巨木を目指す。あぁ、そういや、あの時も今日みたいな満月だったか、と張り出した枝枝の隙間を縫って届く月光の強さに、にたり、と口元が歪む。
     輝く黄金の羽が闇夜に散る様が、瞼の裏に鮮明に蘇る。
     喉を潤した雫の甘美さを、忘れることなどできようものか。
     ざわり、と全身の毛が逆立つ程に心を浮き立たせ、赤毛は空を仰いだ。
     戯れに下界へ投げ捨てた欠片は永い刻を経て人知れず形を成し、空の色ではなく下界の緑を写し取った瞳を持って目の前に現れた。
     あの小鳥が事実を知ったとき、果たしてどのような表情を見せるのか、楽しみで楽しみでたまらない、と獰猛な牙を剥き出しに赤毛は咆吼を上げた。


     四方を簡単に布で囲ったその中心で、グラハムは頭上で瞬く星々に眼をやり、はー……、と深く息を吐いた。これまでも水で身体を拭く程度のことはしていたが女性がメンバーに加わることを考慮してか、こちらに戻る際ビリーが馬車に小さなバスタブを積んできたのだ。
     赤毛からの連絡を待ちつつ粘土板の解読作業を進め、今日で五日が経った。その間に得られた情報と言えばほんの僅かで、不運なことに『ご神体』が盗難に遭い、この神殿が使われていたのは実質三年にも満たなかったということくらいであった。
     地下の隠し部屋に関してはサッパリで、やはりあの赤毛を問い質すしかないか、とグラハムは胸中で渋面を作る。
     ちゃぷり、と湯の中で手を遊ばせつつ静かに瞼を下ろせば、思い出されるのはニールの真摯な眼差しだ。お互い、間違ったことを言っているわけではないことがわかっているだけに、妥協点が見つからないままで少々、気まずいことになっている。
    「とんだ失態だ……」
     今にして思えば真意はともかくとして、あの場でたった一言「その時は頼む」と返せば全ては丸く収まったのだ。今更そう告げたところで、ニールが額面通り受け取ってくれるとは到底思えない。冷静でいたつもりであったが実際はそうではなかったと、どこか浮き足立っていたのだと、認めざるを得ない。
    「待つだけというのは、やはり性に合わんな」
    「我慢弱いねぇ」
     自嘲気味に呟いた独り言に返答を寄越され、はっ、と眼を開ければ、いつから居たのかそこにはバスタブの縁に腰を下ろした赤毛の姿があった。彼が神出鬼没であることは既に分かっている為、大して驚いた素振りも見せずグラハムは表情を引き締める。
    「首尾はどうなっている?」
    「上々よ。明日には全て片が付く」
     くっ、と口端を吊り上げ顔を寄せるサーシェスから流れてくる鉄錆びた臭気に、グラハムは隠すことなく眉根を寄せる。
    「……貴様、なにをしてきた」
    「さぁね。それよりも一足先に『王の止まり木』に行く気はねぇか? オマケが着いてきちゃ、アンタも色々と面倒だろ? ん?」
     指の背で、すっ、とグラハムの輪郭をなぞりつつ、サーシェスはまるで睦言を囁くかのような声音で誘いをかけてくる。平素ならば「ふざけるな」と一蹴するところだが、ニールとの一件もありグラハムの心はその囁きに僅かに揺れた。
     即答をしないグラハムに焦れた様子もなく、サーシェスは薄笑いを浮かべたまま新緑の瞳を覗き込む。
    「その気があるなら巧く抜け出してくるんだな」
     日の出まで待っててやる、と言い置き、あっさり、と離れたサーシェスの腕をグラハムは咄嗟に掴んだ。
    「なんだよ」
    「聞きたいことは山とあると言った」
    「めんどくせぇから、また今度な」
     アンタ話長そうだし、とどこかで聞いたことをここでも言われ、グラハムは、ぐぅ、と喉奥で呻く。だが、ここで退くような男ではないのだ。
    「私はしつこくて諦めも悪い。俗に言う人に嫌われるタイプだ」
    「自分のことをよくわかってるのは結構だが、ソレ、言ってて悲しくならねぇか?」
    「なんの。これくらいどうということはない。それよりも、私の質問に答えてもらうぞ」
     ぐっ、と更に捕まえた手に力を込めれば、サーシェスはあからさまに眉を寄せる。ホントしつけぇなぁ、と簡単に振り解けそうにないそれを見下ろし、深々と溜め息を吐いた。
    「アンタの質問に答えるメリットが俺にはねぇんだけど? 貸し借りナシ、ギブアンドテイクでいこうや」
     とりあえずここまでは折れてやる、と言わんばかりに提案してくるサーシェスを、じっ、と見上げ、グラハムは唐突に、ひょい、と器用に片眉を上げてみせる。
    「生憎と貴様が所望する物の見当が付かない」
    「そうか、そいつぁ残念だったな。なら諦めな」
     宥めるように冗談めかした手付きでサーシェスが己の腕を掴むグラハムの手を、ぽんぽん、と叩くもその手すら捕らえられ、さすがに、うんざり、と言った面持ちになる。
    「いい加減……」
     放せ、と言いかけたサーシェスだが、ざばり、と勢い良く立ち上がったグラハムに、思わず口を噤んでしまった。
    「以前、貴様は『興味がある』と言った。興味があるのは私にか? それとも、私の裡のモノにか?」
     ぐっ、と相手を引き寄せるように腕を引き、自らも身を寄せ、グラハムは吐息もかからん距離で囁くと、どこか挑むような強い眼差しを投げてきた。
    「そうだな、とりあえず両方だと言っておくか」
    「では、好きなだけ探るといい。その代わり質問には全て答えてもらおうではないか」
     先日、有無を言わさず斬りかかられた身としては、俄には信じがたい提案である。サーシェスが探るように眼を細めればグラハムは目を逸らすことなく、むしろ堂々と胸を張って見せた。
    「不意打ちでなければ早々取り乱したりはしない」
    「そういう問題なのかよ……」
     ある種の開き直りか、と感心と呆れの綯い交ぜになった呟きを洩らしつつ、サーシェスは目の前の引き結ばれた形の良い唇に軽く歯を立てる。僅かに伏せられたグラハムの睫が、ふるり、と震えたのを視界の端に捉えるも、完全に閉じられていないそれが油断なく様子を窺っていることに苦笑するしかなかった。
     それでもこのままコトに及ぶつもりが、良すぎる耳がこちらに向かってくる足音を遠くに捉えてしまっては、そういうわけにもいかない。
     ちっ、と舌打ちをひとつ洩らしサーシェスは弛んでいた縛めを解くと、「後でゆっくり相手してやるよ」と言い置き、するり、と囲いから抜け出した。
     向かいからやってくるのがアニューであることに気づき、面倒臭そうに目を眇めるもその足を止めることはせず、彼女との距離を詰めていく。
    「邪魔すんなよ、お嬢さん」
     互いに後一歩のところで歩みを止め、間髪入れずに口を開いたのはサーシェスだ。
    「アンタ、俺がナニかわかってるんだろ?」
     決して脅すような声音ではなく、ただ淡々と発せられた言葉であるにも関わらず、アニューは紙のように白い顔で、きゅっ、と震える掌を握り込む。
    「どうして……」
    「あん?」
    「どうして貴方がここまで深く関わるんですか」
     こうして言葉を交わすことすら恐れ多いと言わんばかりの態度でありながら、それでも震える声で問うてくる彼女に、サーシェスは、ゆうるり、と口角を吊り上げる。
    「おもしろそうだからに決まってんだろ。俺が人に関わる理由は、おもしろいから、だ。それ以上でもそれ以下でもねぇよ」
     要は退屈凌ぎよ、と捉え違えようのない言葉と共に向けられた肉食獣の笑みに、アニューは喉奥で悲鳴を押し殺した。傍にいるだけで魂を噛み千切られるような錯覚に、知らず身体が、かたかた、と震え出す。
    「ですが、彼は既に人と言うには……」
    「勘がいいのも考え物だなぁ、お嬢さん」
     それまでの揶揄混じりの声音とは打って変わった低い響きに、アニューは、はっ、と目を見開き、畏れからか無意識のうちにサーシェスから距離をとろうと一歩後ずさる。
    「余計なことさえその可愛いお口から洩らさなきゃ、捕って喰いやしねぇからそんなビビんなって」
     ぽん、と目の前の肩を軽く叩きそのまま歩み去るサーシェスを振り返ることが出来ず、アニューはその場に立ち尽くすしかなかった。


     火の着いた煙草を無造作に落とし、ざり、と靴底で踏み潰す。白みかけた空を見上げつつ懐に手を入れ、シガレットケースを開いたサーシェスの眉が不満を露わにする。だが、足元に散らばる残骸の数を鑑みれば当然の結果だ。
     それでも最後の一本に火を着けたサーシェスの口端が、にたり、と上がる。まだ距離はあるが、背後から忍んだ足音が近づいて来たからだ。
    「よぉ、遅かったじゃねぇか」
     待ちくたびれたぜ、と片眉を上げ戯けたようにそう口にすれば、留め具が鳴らぬよう下げた剣に手を添えたままのグラハムが不快そうに眉を寄せた。
    「煙草は好きではない」
     まずはソレかよ、とあくまで自分のペースを崩さないグラハムに感心と呆れが半々の眼差しを向けながらもサーシェスは敢えて口には出さず、わざと挑発するかのように深く肺の奥まで煙を送り込み、ゆうるり、と吐き出す。
    「俺は大好きだぜ。人が作ったモンにしては気が利いてる。あぁ、酒はまた格別だな」
     今度は軽く吸ってから、ふぅー、とわざとグラハムの顔に紫煙を吹きかけ、サーシェスは、くつくつ、と喉を鳴らした。噎せることはなかったが煙が目に沁みたか、グラハムは瞬時に瞼を下ろしそれを拡散させるように顔の前で数度、手を打ち振るう。
    「では行こうではないか」
    「まぁ待てって。最後の一本なんだよ」
     ゆっくり楽しませろ、と目を眇めるサーシェスに「知ったことか」とグラハムは吐き捨てるも、無理矢理止める気はないようだ。「夜明けまで待つ」と言ったのはサーシェスの勝手だが、それでもギリギリまで待たせたことを多少なりとも申し訳なく思っているらしい。
     殊勝なその態度に気をよくしたか、サーシェスは唇から煙草を離すと、トンッ、と灰を弾き落とした。
    「聞き分けのいい小鳥ちゃんにはご褒美をやらねぇとなぁ」
     口調は軽いものだが、瞳は射るような鋭さでグラハムを捉える。
    「コイツを吸い終わるまでなら、質問に答えてやるよ」
     指に挟んだ煙草を示すように軽く掲げて見せれば、グラハムは、はっ、と息を飲み瞬時に表情を引き締めた。
    「なんでも、か?」
    「おうよ」
    「誤魔化しは一切なしだと、誓え」
     じりじり、とその身を焦がす煙草を凝視し、時間が限られていることを承知でグラハムは念を押してくる。必死さを懸命に押し隠すその姿すら、サーシェスの眼には愉快に映る。
    「はいはい。わかったよ。あんましつこいとモテないぜ?」
     軽口に、むっ、と口をへの字に歪めるもここで噛みつけば相手の思うつぼだと察したか、グラハムは一旦、深く息を吐いた後、静かな面持ちでサーシェスの眼を真っ直ぐに捉えた。
    「あの地下室で、過去に貴様はなにをした」
    「直球だねぇ」
     紫煙と共に、くくっ、と笑みを洩らし、サーシェスは気怠げに髪を掻き上げる。
    「自分を産み落とした者と離れたくないと、願った一途な息子に手を貸してやっただけだぜ」
     にやにや、と人を小馬鹿にしたような笑みを浮かべる男に、グラハムは隠すことなく苦々しく舌打ちをする。嘘は言ってないであろうが、知りたいことは闇の中だ。
    「具体的に説明して貰おう。それでは全く要領を得ない」
    「なに、簡単なことよ。母親だと思ってたのが実は『鳥の王』で、ソイツが空に還ると言い出したから、籠の中に閉じこめた。『王』が出て行きゃ残るのはただの死骸だからな。息子は単純に母親恋しさだったんだろうがな、親父の方はそうじゃなかった」
     あぁ、あの二人か、とグラハムは王の記憶にあった者達を思い出す。あの男の母親は王に身体を託し、パライソへと一足先に旅立ったのだとサーシェスの言葉から知る。
    「人ってのはホント、強欲で愚かな生き物だと思わないか? ん?」
    「人ならざる者の力を意のままに、と考えたその父親は確かに愚かだな」
    「頭の回転が速いヤツは好きだぜ」
     皆まで説明する手間が省けた、と嗤うサーシェスに、グラハムは険しい表情で問いかける。
    「では何故、貴様はその愚かな人に手を貸したのだ」
    「決まってんだろ」
     ピッ、と煙草を弾き飛ばし、すぅ、と眼を細めたサーシェスの纏う空気が瞬時に変わり、ぞくり、と背筋を駆け上がった震えにグラハムは知らず、一歩後ずさった。
    「おもしろいからだよ」
     吊り上がった口端から覗く獰猛な牙が、ぬらり、とした光沢を放つ。磨き上げられた抜き身の刃を思わせるそれから、だが、グラハムの眼が逸らされることはない。
    「貴様は……何者だ」
    「まずはソレを聞かれると思ってたんだぜ?」
     真剣な問いを軽く受け流し、サーシェスはグラハムの手を取った。
    「行くか」
    「まだ答えを聞いていないではないか」
     軽く腕を引かれるも断固として動こうとしないグラハムに、サーシェスは必要以上に優しい声音で「困った小鳥ちゃんだ」と囁く。
     臆することなく睨め付けてくる新緑の瞳を見返した後、すっ、と視線を横へ流した。
    「時間切れだ」
     先ほど投げ捨てられた煙草は最後に、ジッ、と微かな音を立て、真っ直ぐに立ち上っていた煙も瞬く間に空気に融け、消えていった。
    「だが……ッ」
    「ホント、しつこいなアンタ」
     更に何か言い募ろうと口を開きかけたグラハムに面倒臭そうな目を向け、サーシェスはおもむろに相手の後頭部を捉えると半開きの唇を塞ぎ、舌を捻り込んだ。
    「……ッ!」
     無理矢理に擦り合わされた舌に、ピリリ、と感じる苦みにグラハムは不快感も露わに眉を寄せ、近すぎてぼやけてはいたが愉快そうに細められている相手の瞳を、ギリリ、と睨み返す。
     嚥下することを拒んだ唾液が口端から溢れ、顎を伝い喉元まで濡らす感触にグラハムの表情は更に険しさを増した。
     刹那、その瞳に殺気が籠もったのを見逃さずサーシェスが身を退いたのと、グラハムの腕が空を切ったのは同時であった。
    「ちっ」
    「……っぶねぇなぁ」
     抉るように突き出された手刀を紙一重で避け、サーシェスは狙われた喉を掌で庇うように撫でさする。
     ぺっ、と口内に溜まった唾液を地面に吐き捨てるグラハムの粗野な姿に「とんだじゃじゃ馬だ」と洩らせば、「煙草は好きではない。好きではないと言った」と、ピントのずれた不満の言葉が返ってきた。
    「非常に気分が悪い」
     ぐい、と袖口で顎を拭い、再度唾を吐いたグラハムに「へーへー、そりゃ悪うござんした」と投げ遣りに答え、サーシェスは改めて相手の腕を取った。
    「文句ならあっちで聞いてやるよ」
     夜が明ける、と思いのほか真剣な声音で囁かれ、グラハムは一瞬、神殿を振り返るもそのままなにも言わず、こくり、と小さく頷いたのだった。
     手を引かれるまま素直に足を踏み出したグラハムを「いい子だ」とサーシェスがからかうように笑えば、当然のことながらそう言われていい気分ではないグラハムの眉根が寄った。文句のひとつでも言ってやろうと口を開きかけるも、不意に肌を撫でる空気が変わったことに気づき、その口を閉ざす。
    「ここは……」
     ほんの数歩歩みを進めただけで、周りの景色はこれまでいた場所と全く異なっていた。
     鬱蒼と茂る森の中、目の前には見たこともない巨木。
     大半の人の目には見えぬがこの世界には、精霊界に繋がる道がいくつも存在している。そこには時間や距離の概念はないと知識としてはもっていたが、実際に体験することになろうとは、とグラハムは未だ信じられぬといった面持ちで背後を振り返った。その時。
     風に乗って微かに流れてくる鉄錆びた臭気に弾かれたように隣の男を振り仰げば、感情を奥深くに沈めた無機質な眼差しを返され、グラハムは問いの言葉を喉奥に押し戻す。
    「これがお望みの『王の止まり木』だ」
     促すような声音に、ぐっ、と喉を鳴らし、そろり、と視線を巨木へと移動させたグラハムの横顔に、「そういや」とサーシェスの声がぶつかった。
    「アンタの目的、聞いてなかったなぁ」
    「貴様には関係のないことだ」
    「つれないねぇ」
     にべもない返答に肩を竦め、サーシェスは掴んだままのグラハムの腕を、くい、と引く。
    「なんだ」
    「ただ眺めてたってどうにもなんねぇだろ。上、行くぜ」
     そう言うが早いか再び足を踏み出すもサーシェスが真っ直ぐに向かうは目の前の幹で、速度を緩める様子も迂回する様子もなく、さすがにグラハムも慌てざるを得ない。
    「上へ行くのではないのか!?」
    「そうだよ。ここはもう『鳥の王』のテリトリーだからな、近道も抜け道もねぇんだよ」
     あー、めんどくせぇ、と洩らすと同時にサーシェスの身体は幹にぶつかることなく、するり、と擦り抜け、続いてグラハムも幹を素通りする。
    「要するにこの樹は、上と下を繋ぐ『道』みたいなモンだ。他にもいくつかあるんだがその『道』を通らないことには、お目当ての場所には辿り着けねぇ」
     樹の中に入り込んだと思ったグラハムは、目の前の光景にただただ呆然と目を見開くしかない。
     見渡す限りの、空、空、空。
     しかも己が立っているのは雲の回廊とでもいうべきもので、その終着点には雲を割り天をつき聳える巨木の姿があった。先にくぐり抜けてきた『王の止まり木』すらも霞むその大きさに、知らずグラハムの口から感嘆の息が洩れ出た。
     その巨木には遠目からもわかる洞があり、あれは、と問いかけたグラハムだが、不意に身体の裡から湧き上がったものに阻まれ、一瞬、動きを止める。
     膨れあがるこれは歓喜か、はたまた懐古か。感情の波に突き動かされるように、ふらり、と巨木に向かって歩き出したグラハムの背にサーシェスが続く。
    「あれは王の寝所、ってとこだな。王は身体をあそこに置いて、しょっちゅう魂だけ下界におりてたからな」
    「なんと……」
     いきなり大本命ではないか、とサーシェスの言葉に軽く目を見張り、己の目的がもうすぐ達成されるのだと、グラハムは満足そうに、ゆうるり、と口端を緩めた。
     この身から王が離れることによって迎える結末が死であったとしても、誰を恨むことなどあろうはずもなく。
     唯一の心残りと言えば、友や仲間に別れの挨拶ができないことであった。
    「貴様は、随分と詳しいのだな。そろそろ正体を明かしてもよいのではないか?」
    「そうだな。場所も丁度いい」
     意味深な言葉にグラハムが怪訝な顔で振り返れば、サーシェスはグラハムを見てはおらず、真っ直ぐに洞を見据えている。
    「籠に閉じこめられた王が、それからどうなったか知りたくねぇか?」
    「それは、聞かせてもらえるならば、是非に聞きたいところだが……」
     これまでの相手の言動が言動なだけに探るような声音になったグラハムを、誰が責めることが出来ようか。サーシェスは、くい、と片頬を皮肉げに上げ、グラハムの胸を服の上から、つい、と指先で辿った。
    「王の意識をねじ伏せることが出来る『器』を探して、窮屈な容れ物に押し込まれては引き剥がされ、押し込まれては引き剥がされを繰り返した挙げ句、諍いの火種になり、最後は小さく無力な鳥に押し込められた」
     封印と思しき札をその身に幾重にも纏った小鳥の姿を思い出し、グラハムは、はっ、と息を飲む。
    「あの神殿は神殿とは名ばかりの実験場だ。結果的に母親を奪われる形となった息子が『ご神体』となった王を持ち出して行方を眩ませちまったんだがな」
    「貴様なら行方を捜すなど造作もないことと思うが?」
     尤もな指摘にサーシェスは、ひょい、と片眉を上げ、戯けたようにグラハムの唇を親指の腹でなぞった。
    「そんなことしたらつまらないだろ?」
     なぁ? と遙か高みにいる者の顔で笑いかけられ、グラハムは嫌悪からか唇を引き結ぶ。
    「ギブアンドテイクだと言っていた割りに、随分と口が軽いではないか」
     ややあって飛び出した皮肉にサーシェスは愉快そうに口端を歪め、「俺は気分屋なんでなぁ」と開き直ったかのように胸を張ったかと思いきや、ふ、と表情を無くした。
    「アンタの目的、当ててやろうか」
     僅かに身を屈めグラハムと目の高さを合わせたサーシェスの双眸が、すぅ、と細められる。
    「王の身体、探してんだろ?」
    「……ッ」
     言い当てられ言葉に窮するグラハムを、くくっ、と喉奥で笑いサーシェスは、「当たったご褒美だ」と、ねろり、と相手の唇を舐った。
    「だがな、王は既に身体を見つけてたんだよ」
     唇を食む合間に吹き込まれた囁きにグラハムの眼は見開かれ、反射的に、どんっ、とサーシェスの身体を乱暴に突き放した。
    「どういうことだ!?」
    「どうもこうも、言葉通りだぜ?」
     のらりくらり、と核心に触れようとしないサーシェスに、ギリ、とグラハムの柳眉が吊り上がる。ここにきて焦らすなど、この赤毛はこの状況を楽しんでいるとしか思えない。
    「私は我慢弱く落ち着きのない男だと言った!」
    「いや、我慢弱いのは知ってるが、落ち着きがないまでは知らねぇよ」
     呆れてはいるがきっちりツッコミを返し、サーシェスは乱れてしまった場の空気に肩を落とす。
    「まずはその洞ン中、見てみな」
     残り五十メートルと言った距離を顎で示され、グラハムは警戒心を隠しもせずサーシェスの方を向いたまま二、三歩移動し、ぱっ、と踵を返すと一目散に洞へと向かった。あそこに辿り着けば全てが終わるのだと、そう信じて。
     耳を掠める風を切る音も、自身の激しい呼吸音も聞こえない。一歩一歩、距離の縮まっていく深淵に上がる息を整える隙すら惜しみ、一気に身を乗り出した。
    「な、に……?」
     だが、そこにはただひたすらに広がる闇しか存在せず、虚ろに零れた声も吸い込まれ深く沈んでいく。
    「王の唯一の誤算、それがアンタだよ。グラハム・エーカー」
     音もなく背後に立ったサーシェスの言葉にグラハムはぎこちない動作で首を巡らせ、驚愕に強張った表情のまま戦慄く唇を無理矢理に動かす。
    「貴様の言うことは本当に、要領を得ない」
     洞の淵から手を離し身体ごと向き直ったグラハムにサーシェスは目を眇め、くつり、と歪に曲がった口元を隠すように掌で覆う。動揺を隠しきれていないにも関わらず、それでも気丈に振る舞う姿に腹の奥底から湧き上がるのは、愉悦以外の何者でもない。
    「王の身体はここにあるのではないのか!? 既に見つけていたとは、一体どういうことだ!?答えろ! アリー・アル・サーシェス!!」
    「俺が喰らったんだよ」
     口端を歪に吊り上げ牙を剥き出しにしたサーシェスにか、はたまたその口が告げたことにかは定かではないが、グラハムは一瞬、目を見開き、ひゅっ、と喉を鳴らした。
    「魂ごといただけなかったのは惜しかったが、さすが王だ。ただの抜け殻でも充分すぎるほど美味かったぜ」
     その時のことを思い出したか恍惚とした色を浮かべていたサーシェスの瞳が、目の前のグラハムを捉え、にたり、と細められる。最早、隠す気はないのか、滑らかに回る口は止まらない。
    「残念だったなぁ。王もアンタも、目的は達成されず、だ」
     わなわな、と身を震わせているグラハムとの距離を詰め、サーシェスはそのままもろとも洞の中へと身を投げ出す。深淵に吸い込まれるような錯覚にグラハムが身を固くしたのを感じ取ったか、サーシェスはわざと相手の耳元で、くつり、と笑みを洩らした。
     どこまでも落ちていくかと思われたが、予想に反して身体は直ぐに受け止められる。まるで厚い空気の層に押し上げられているような不安定感に、グラハムは身体を強張らせたままだ。
    「俺が下界に投げ捨てた食い残し、それがアンタだよ」
     組み敷いたグラハムを見下ろし、べろり、とひとつ舌なめずりをすれば、見開かれた新緑の瞳が更に驚愕の色を浮かべる。
    「なんで鳥の姿ではなく人の姿を模ったかは知らねぇが、こんなことになるとはおもしろいねぇ、まったく」
     ゆるゆる、と滑らかな頬を無骨な手で撫でさすり、反対の手指をこめかみの辺りから金糸に梳き入れる。
    「人では、ない……と」
     呆然と、されるがままのグラハムの唇から、か細い声が零れ落ちた。
     一番古い記憶は緑の木々の隙間から見えた遠い空であった。
     還りたいと思った。だが、還れないとも思った。
     次に古い記憶は馬車に揺られ、流れゆく景色を眺めたことだ。
     木々や草花を彩る緑が眼に焼き付いたのをよく覚えている。
     そっ、と瞼を下ろし深く息を吐く。
     孤児であることを不幸だと思ったことは、一度としてなかった。
     親の顔を知らずとも不幸だと思ったことは、一度としてなかった。
     だが、親など元から居なかったのだ。
    「我ながら逞しい生い立ちではないか」
     事実に打ちのめされたとばかり思っていたグラハムの口調の変化に、サーシェスは愉快そうに口角を吊り上げる。
     ぱちり、と開かれた新緑の瞳は光を失ってはおらず、むしろ力強く輝いている。
    「さあ、話を続けたまえ」
    「いいねぇ。これくらいで意気消沈されちゃ、つまんねぇからな」
     首筋に軽く歯を立て低く嗤うサーシェスの赤毛を軽く引き、グラハムは「話が先だ」と釘を刺す。
    「貴様がピロートークをするとは、到底、思えんからな」
     否定はしねぇよ、と言わんばかりに片眉を上げ、サーシェスはそれでも、ゆるゆる、と耳元や指先への緩慢な愛撫を止めようとはしない。それを咎めるのも面倒になったか、グラハムは軽く眉を顰めるに留めた。
    「王の目的とやらを聞かせてもらおうか」
    「そりゃ当然、身体を取り戻すことだよ。つまりはアンタの身体、だ」
    「なら、なにも問題はない。私は既に一度死んでいる身だ。覚悟は出来ている」
     至極当然に言い切るグラハムに苦笑を隠しもせず、サーシェスは、ゆうるり、と頭を振った。
    「ところがぎっちょん。ソイツは叶わねぇ話だ」
     耳朶をいじっていた指を胸元に移動させ、くっ、と僅かに力を込める。じわり、とした痛みが広がりグラハムは微かに顔を歪めるも声を出すことはなく、サーシェスの指と己の胸に目を落としたままだ。
    「アンタを守人にして疲弊しきった魂の回復を待つ算段だったんだろうがな、器の意識の方が強くて満足に表に出てこられねぇ状態なんだよ」
    「なんと……」
     元は王の一部であったとはいえ、既に『グラハム・エーカー』という個として存在している者に、消えかかっていた魂では太刀打ちできなかったということなのだろう。
     そして、王と意思の疎通が図れず感情の波を拾うしかできなかったのは、王が眠っていたからではなくグラハムの個としての意識が、本人も無意識のうちに相手の存在を抑え付けていたからに他ならない。
    「では、『王』はどうなるのだ」
    「いずれはアンタとひとつになる。そうなったら記憶も力も全て、アンタのものだ」
     兆候は確かにあった。ニールの呪いを解いた際、彼は王の力を己の物として使っている。
    「翼を持たない『鳥の王』とは、なんとも愉快な話じゃねぇか」
     人としての形を選び、世俗の垢にまみれすぎた身体が輝く翼を取り戻すことは、もう叶わないのだ。それをわかっているからかサーシェスは喉奥で低く嗤いながらグラハムを抱き起こし、その背を、翼の名残だと言われている肩胛骨の形をなぞるように、ゆうるり、と指先を、掌を這わせる。
     言葉とは裏腹に背中で柔らかに動く熱を感じつつ、グラハムは、くい、と口端を持ち上げた。
    「なにを言っているのだ。私には百の眼と千の耳があり、万の翼があるのだよ」
     侮らないでいただきたい、と力強く言い切ったグラハムに、サーシェスは一瞬、動きを止めたが、直ぐ様、くつくつ、と小さく喉を鳴らすもそれでは収まらなかったか、徐々に肩を震わせ終いにはグラハムの背を、ばんばん、と叩きながら声を上げて笑い出した。
    「いやー、やっぱアンタおもしろいわ! 早く『王』になってくれよ。そうしたら……」
     鼻先を蜂蜜色の髪に埋めるように耳元に唇を寄せ、サーシェスは熱っぽく囁いた。

     ――今度はその魂ごと喰らってやるよ。
    10
     カタン、と扉脇に木で出来た看板を掛け、ライルは小さく息を吐いた。アニュー達の森を取り戻してから、既に一年半が経過している。役目は終えた、とライルが少々名残惜しくもアニューに別れを切り出すも、当のアニューに森に戻る意思はなく、それどころか住居を変え新たにやっていきたいのだと相談を持ちかけられたのだ。
     まさかと思い詳しく話を聞けば案の定。現在の『王の止まり木』であるプトレマイオスのある街に移り住みたいとのことであった。
     どこまで引っ掻き回してくれるんだあの野郎、とライルは内心で頭を抱えるも、彼が居なければこうもすんなりと森を取り戻すことが出来なかったのも事実であり、信仰心の深いアニューが王と関わりのある場所に居たいというのならば、反対する理由はなかった。
     それからすぐに転居という訳にはいかず季節は巡ってしまったが、こうして前にいた街同様、薬屋として運良くプトレマイオスの隣に居を構えることが出来た。
     隣にはカードの魔力チャージを専門に請け負っている者が居るが、彼女の都合がつかない場合に手伝いが出来るようにと、アニューもソレスタルビーイングの一員となった。同様にライルもクラウスの元を離れ、ソレスタルビーングへと所属を移したのだった。
    「これまでの蓄え、殆ど使っちまったからなぁ。気合い入れて稼がねぇと」
     薬草栽培のための畑と温室が必要で、プトレマイオスの裏手の土地まで買ったのだ。建物よりも庭の方が広く、スメラギには驚かれたものだ。それでも、知り合いのよしみで、と格安で土地を提供してくれた彼女には感謝してもし足りない。ソレスタルビーイングへの登録は、そんな彼女への恩返しの意もあった。
     移し替えた薬草の様子を見つつ、準備に半年を費やしたのだ。昨晩は前祝いにとメンバー全員が手に手に祝いの品を持って訪れたのだが、生憎とニールは依頼を受けてどこぞの廃墟探索に行っており、兄の間の悪さにライルは苦笑を洩らすしかなかった。
     そういえば出発前に深刻な表情でなにやらアニューと話していたな、とニールの様子を思い返すも、即座に、ゆるゆる、と頭を振る。あのような時は大半がグラハム絡みのことだ。首を突っ込んだところでロクなことにはならない。まさしく触らぬ神に祟りなしである。
    「ほぉ、なかなか立派ではないか」
     回想に耽っていたライルの背後から凛々しくも柔らかな声が投げられ、現実に引き戻されると同時に振り返れば、そこには掛けられた看板を目を細めて見やる王の姿があった。
    「そいつはどうも。なに? アンタもお祝いに来てくれたワケ?」
    「うむ。その通りだ」
     半ば冗談で言ったのだが大真面目に頷かれ、ライルは即座に言葉が返せない。そして、ここでも間の悪い兄の顔を思い浮かべる。
     森を取り戻した後、グラハムは一所に留まらず、プトレマイオスに顔を出すのも極稀になったとライルは聞き及んでいる。理由は定かではないが、周りの者にいらぬ危険が及ばぬようにとの彼なりの気遣いなのだろう、とニールが洩らしたことがあった。風の向くまま気の向くままいつ戻ってくるかわからないグラハムだが、特にニールはよほど運がないのかあれ以来、一度も会えていないという。
    「祝いの品だ」
     そう言ってグラハムが差し出したのは、鉢に植えられた植物であった。見たことのないそれにライルが片眉を上げれば、グラハムは、ゆうるり、と眦を下げ「ミス・アニューならなにかわかるだろうから、そんな警戒しないでくれたまえ」と喉奥で、くつり、と笑った。
    「あー、薬草か」
    「ご名答。増やすのは少々、骨が折れるやもしれぬが、決して損はしないものであると言わせてもらおう」
     西の山岳地帯にしか生息していないと記憶している、と笑うグラハムにライルは漏れ掛けた問いの言葉を、ぐっ、と飲み込んだ。大体の事情はアニューから聞いており、グラハムが内包している『王』と同化しつつあるということも承知している。その記憶とやらが果たしてどちらのものであるのかなど、愚かな問いであることはわかっている。
     グラハムはグラハムだ、と。ことあるごとに兄はそう口にするのだ。
     スメラギも「ウチの大切なメンバーよ」と穏やかに笑う。
     彼自身、ソレスタルビーイングのメンバーであり続けることを望み、難易度の高い依頼がくれば、ふらり、と現れ涼しい顔でこなすのだ。
    「立ち話もアレだし、中入れよ」
     このまま帰したら後でアニューになにを言われるか、と戯けたようにライルが肩を竦めれば、グラハムもそれに合わせて悪戯っぽく目を細めた。
    「温かいスープか何かでもてなして貰えると大変ありがたい」

    11
     コツコツ、と扉を叩かれ、その聞き慣れた力加減にビリーは、ゆるり、と眼鏡の奥の眦を下げた。
    「どうぞ」
     静かに応えれば、ひょこり、と覗いたのは予想に違わずキラキラと輝く蜂蜜色の髪で、ビリーは手元の書類を卓上へ戻すと自ら立ち上がり友人を出迎える。
    「お帰り。今回はどこまで行ってきたんだい?」
    「南の方にな。海を越えようとしたらさすがに止められたよ」
     室内に設えられた応接セットに着くよう促し、ビリーはグラハムのためにコーヒーをいれる。黒檀の執務机や古びた重厚な本棚の並ぶこの部屋にはそぐわぬ香りが漂い、二種類並んだ缶を前にビリーが「キミ、相変わらずこっちが好きだよねぇ」と笑えば「これを飲まねば帰ってきたという実感が湧かぬのだよ」と返された。
     はいどうぞ、と差し出されたカップを受け取り、グラハムは友人の少々張りの失われたその手を、じっ、と見る。
    「老けたな、カタギリ」
    「そりゃそうさ。もう十年も経ったんだよ」
    「まだ十年だ」
     苦笑と共にカップを傾ける友人にグラハムは澄ました顔で、さらり、と訂正を入れ、こちらもゆっくりとカップを傾ける。
    「ホーマー氏に会ってきた」
    「そう。喜んだでしょ。叔父さん、キミのこと好きだからねぇ」
    「うむ。療養中とお聞きしていたが、お元気そうでなによりであった」
     ゆうるり、と室内を見回しグラハムは、くく、と喉を鳴らす。彼の言わんとすることを察したかビリーは困ったように眉尻を下げ、静かにカップを卓へ戻した。
    「キミにこの部屋はまだ似合わんな」
    「僕に叔父さんのような貫禄を求めても、それは無理な話だよ」
    「仕事ぶりはなかなかだと聞いたが」
     ジョシュアが褒めていたぞ、とグラハムが笑えばビリーはどちらについてかは判然としないが、確かに気の毒そうな顔をしたのだった。
    「あー、会ったんだ」
    「あぁ、『歳を取らないなんてアンタ化け物か』と言われたよ」
     いつもの悪態と変わらぬ調子で言われたことは想像に難くない。だがグラハムは毛ほども気にした様子はなく、ビリーは内心で胸を撫で下ろす。これはジョシュアだからこそ笑って済ませられる一言だ。
    「それで、叔父さんはなにか言っていたかい?」
     話を戻そうと、軽く咳払いをした後にビリーがそう切り出せば、グラハムは僅かに眼を細め、あぁ、と小さく頷いた。
    「多くは話してくださらなかったが、私のことは初めて会ったときから薄々感づいていたそうだよ。君にも話していないと仰っていたが、口止めをされたわけではないのでいいだろう」
     そこで一旦、言葉を止め、グラハムは残りのコーヒーで唇を潤すと、真っ直ぐに友人の瞳を見据える。
    「ホーマー氏は『王』と共に姿を消した彼の子孫に当たるそうだ。それなら『彼女』を扱えたのにも納得がいくという物だ」
    『彼女』とは学院で持て余していたあの黒竜であり、現在はグラハムの愛騎となっている。ホーマーはこのような日が来ることを予見していたか、周りからなにを言われようとも頑なに彼女を手元に置き続けたのだ。すべては翼を持たぬ王の為にである。
     これが彼の先祖が犯した罪へ対する償いであるとグラハムは薄々気づいていたが、それを敢えて口にすることはなかった。ただ一言「赦す」と言葉にすれば、それは即ち『王』の言葉であり、その時点で人としてのホーマーとグラハムの関係が変わってしまうのだ。
     親のない自分に家族の暖かさを教えてくれたホーマーとビリーとの関係を崩すようなことは、たとえそれがエゴであろうともグラハムは決してしたくはなかったのだ。
    「系図で言えばキミもそのはずなんだが」
    「生憎と僕には全く素養がなかったようだね」
     軽く肩を竦めて見せるビリーに柔らかな笑みを返し、グラハムは、ゆるり、と頭を振った。
    「そんなものなくとも、私の親友であることには変わりない」
    「そう言ってもらえると僕も嬉しいよ」
     いつでも還っておいで、と目尻の皺を深くしてビリーは笑った。


     がやがや、と賑わっている食堂を外から覗き込み、グラハムは、うーむ、と考えるように緩く握った拳を顎に当てる。昼時に来たのは失敗だったか、と傍らのおすすめメニューの書かれた黒板を、ちら、と見やる。
    「肉、魚、どちらも捨てがたいが、果たして席が空いているかどうか……」
    「なんなら特等席を用意してやるけど?」
     のしっ、と不意に背後からのしかかられ、肩に顎が乗せられる。視界の隅を掠めた栗色にグラハムは眦を下げ、くるり、と振り返ると「ではお願いしようではないか」と鷹揚に応えた。
     正面から対峙した相手に向かって「相変わらずいい男だなぁ、ニール」とグラハムが笑って見せれば、「アンタはちっとも変わんねぇな」と笑んではいるがどこか寂しげに返される。その様に少々、困ったように眉を下げ、グラハムは問うように緩く首を傾げた。
    「まだ、怒っているのかね?」
    「怒ってねぇよ」
     ほら入んな、とグラハムの背中を押し、ニールは店の扉を共にくぐるとそのままグラハムを伴って厨房に入る。
    「ちょっと待ちたまえ、ニール!? 一体どこに」
    「言っただろ、特等席だって」
     俺はこれから仕事なんだよ、とエプロンを着けながら当たり前の顔で言い放ったニールに、グラハムは、ぽかん、とするしかない。
    「中なら話、出来るだろ。アンタ次にいつ還ってくるかわかんねぇから」
     たくさん話したいんだよ、と重ねられた言葉にグラハムは、あぁ、と頷き、そっ、と瞼を伏せた。
    「では、大盛りで肉と魚、両方を所望する」
    「了解、っと」
     いっぱい喰えよ、と笑うニールの眼は変わらず優しい物だった。
     フライパンを振るうニールの精悍な横顔を眺めつつ、この男が激昂した様を見たのはあの時が最初で最後であったな、とグラハムはまるでつい先日のことのように過去を振り返る。
    『王の止まり木』から精霊の道を通り神殿へと戻ったグラハムを待っていたのは、心配顔のビリーとニールの硬い拳であった。
     心配しすぎたが故の衝動的な行動であったか、グラハムの左頬を殴り飛ばした直後には尻餅をついた相手の正面に膝を着き、両肩に震える手を乗せると俯いたまま小さく「莫迦野郎が……」と洩らし、鼻を啜った。
     殴られた頬よりも痛んだのは胸だ。これから告げることは彼をどれだけ苦しめ、哀しませるのであろうかと、グラハムは目の前の栗色の髪に目を落とし、くしゃり、と顔を歪めた。
    「あぁ、そうだ。キミに土産があるのだった」
     回想を断ち切りグラハムは、ごそ、と懐を探る。
    「南に魔具を作るのに長けた者が居ると聞いて、行ってきた」
     そう言って取り出したのは右にしかレンズの入っていない眼鏡で、それを横目で確認したニールは怪訝に片眉を上げた。それを問いと受け取ったかグラハムは僅かに眉尻を下げ、申し訳なさそうな表情を見せる。
    「ミス・アニューに洩らしていたそうではないか。『見えすぎて困る』と」
    「あ、あー、そうだったか。つか何年前の話だよ」
     すっかり忘れてたぜ、と苦笑を浮かべるニールにグラハムは更に眉尻を下げる。
    「まさかこのような影響が出るとは思ってもいなかったのだ。すまない」
     ニールが右目に違和感を覚え始めたのは、グラハムが彼の呪いを解いてから一年が経った頃であった。遙か彼方にあるにも関わらずまるで手が届く範囲にあるように見えたり、遠近感が狂ったような感覚に加え、本来ならば目に映らぬモノが見えるようになった。人や獣問わず、そのモノの弱点が見分けられるようになったのである。更に年月を重ねるごとにその力は増し、気づけば人の中に紛れている人ならざる者の正体すら見破れるようになっていた。
     アニューに相談したところ「恐らく『鳥の王』の力に触れたことが原因だろう」との見解を聞き戸惑いはしたものの、これはグラハムとの繋がり、絆であるように思え恐怖は湧かなかった。
     今では己の意志でその力を制御できるところまできたが、常に余計なモノは見ないようにと意識しているという状態は、多少なりとも負担になっているのも事実だ。
    「遠くまで見えるのは便利だが、やっぱ片眼だけはちょっとしんどいしな」
     ありがたくいただくよ、と差し出された眼鏡を受け取り、早速、装着したニールをグラハムは固唾を呑んで見守る。だが、二度、三度と瞬きをしてから辺りを見回しているニールは難しい顔をしており、良いとも悪いとも言わず黙ったままの相手に不安になったか、蜂蜜色の頭が微かに揺れた。
    「どうかな……?」
    「なんて声出してんだよ」
     まるで叱られた子供のような力ない声にニールは、ぷっ、と噴き出し、にかっ、と笑って見せる。
    「うん、普通に見える。凄くいいぜ。ありがとうな」
     笑顔と共に告げられた言葉にグラハムは安堵の息を吐くと、もうひとつなにか思い出したか再び懐を探り出した。
    「これも貰って欲しいのだよ」
     すっ、と掲げられたのは一枚のカードであった。古びたそれがなにであるかわかった途端、ニールの秀麗な眉が隠されることなく寄る。
    「できればそんな顔はしないでいただきたいのだが」
    「無理だな」
     キッパリ、と言い切ったニールに困ったように笑い、グラハムは軽く首を傾げ掲げた手を更に伸ばした。
    「なにも使えと言っているわけではない。お守り代わりに持っていてほしいのだよ」
     これを使ったことから全てが始まったのだと、グラハムは改めて感慨深げに手中のカードに視線を注ぐ。使ったことによって結果的に輪廻の輪から外れてしまったが、そのことを嘆く気はグラハムには全くない。
     互いに暫し無言でカードを見つめていたが、諦めたように大きな息を吐きニールが指先でカードを摘む。
    「わかったよ。でもな、貰うワケじゃねぇぞ。預かるだけだ。俺が死ぬ前に取りに来いよ」
     ピッ、と顔の前にカードを立て、戯けたようにウィンクして見せるニールに「了解した」とグラハムは満足そうに笑った。


     ごろり、と寝返りを打ったグラハムの頭上から「なんで野宿なんだよ」と呆れた声が降ってきたが、目を開けることなく「なんとなくだ」と応えれば、溜め息と共に草を下敷きにする音がすぐ傍で聞こえた。
    「アンタには正直、驚かされてばかりだぜ。まだアイツらとお付き合いあったのか」
     くるくる、と金の髪を一房指に巻き付けながら、心底感心したように洩らすサーシェスの手を無碍に払い、グラハムは片眼だけで相手を見やる。
    「あン時もまさか馬鹿正直に全部バラしちまうとはなぁ。フツーはこう、ワンクッションおいたりするもんじゃねぇの?」
    「隠したところでいずれは白日の下に晒される。ならば早い方が良いではないか。その方がお互い、ダメージも少ないというものだ」
     十年前の出来事は、まるで昨日のことのように鮮明に思い出せる。
     そして、事実を告げても尚、変わらず接してくれる者達をありがたく、愛しく思うのだ。
    「早いウチに手を切った方が、アンタのためだと思うがねぇ」
     流れゆく刻は止められない。常に残される側となったグラハムだが、どちらがより哀しいかなど比べる物ではないのだと理解しているつもりだ。
    「別れを恐れて今を無駄にはしたくないのだよ」
    「そんなにご執心なら眷属にしちまえばいいのによ」
     右目に伸ばされた指に反射的に瞼を閉ざせば、親指の腹で、ゆるり、と眼球の形を確かめるかのように撫でられる。その仕草でサーシェスの言わんとすることを察したか、グラハムは左の瞼も閉ざし緩く息を吐いた。
    「彼が望めば、と言いたいところだが、それは私が望まないので却下だ」
     そもそも告げるつもりはない、と続ければ、サーシェスは、くつり、と喉奥でひとつ嗤い、グラハムの喉仏に軽く歯を立てた。瞬時に強張った身体を逃さぬように強く抱き、食らいついたまま、ねっとり、と何度も舐め上げる。
    「アンタ酷いねぇ」
    「なに、がだ」
     喉元に顔を埋めたまま低く押し出された声に、グラハムは赤毛に指を絡め軽く引きつつ問うた。
    「いや、なに。またのけモンにしたって、あの兄ちゃんに後で恨まれても知らねぇぞ」
    「いくらでも恨んでくれて結構だ。だが私は己の意思を曲げる気はない」
    「勝手だねぇ。片眼だけとはいえ『鷹の目』を持っちまったってぇのによ」
     あーぁ可哀想に、と言葉では同情しつつ、これっぽっちもそうは思っていないサーシェスの考えなどお見通しであるか、グラハムは溜め息をひとつ零し頭上に広がる満天の星空に目を向け、「私は彼には人として生きて欲しいのだよ」と、ぽつり、洩らした。
    「それが勝手だって言うんだ。ほんとアンタ、なにもわかっちゃいねぇな」
    「なんと。貴様にはわかるというのか」
     人の機微になど無縁であるとばかり思っていたサーシェスの言葉に、グラハムが隠すことなく驚きの声を上げれば、赤毛は軽く鼻を鳴らし再度グラハムの喉仏に歯を立てる。
    「いろんなヤツを見てきたからな。大抵の反応は予想がつく」
     人の感情の根底を理解しているわけではないのだ、と言外に告げ、緩やかに上下する喉仏を追うように舌を這わせる。微かに緊張はしているが食い千切られることはないと確信しているのか、グラハムの呼吸も心音も穏やかなままだ。
    「付き合いが長くなる程、死に際に恨み言聞かされるのは、結構、堪えるんじゃねぇの?」
     ゆるゆる、と柔らかな手つきで髪を撫ぜてくるグラハムに、ちっ、とひとつ舌打ちを洩らし、サーシェスは興醒めだと言わんばかりに身体を離した。
     だが、離れゆく肩を引き留めるように掴み、グラハムは、くい、と口角を吊り上げる。
    「心配してくれるとは、なかなか優しいところもあるではないか。アリー・アル・サーシェス」
    「ばーか、そんなんじゃねぇよ。傷心のアンタを喰らったって美味くネェだろうが」
     自らの手で与えた絶望以外は意味がない、と獰猛に嗤うサーシェスにグラハムはこれ以上はない笑みを見せると、ゆっくり、と身を起こした。
    「私は決して絶望などしない。何故なら、世界は希望に満ち溢れているからだ」
     人生、なにが起こるかわからないからな、と自らを揶揄するようなことを唇に乗せ、緩く握った拳でサーシェスの胸を、こつん、とひとつ叩く。
    「それに貴様が常にまとわりついていては、感傷に浸る隙もありはしない。『獣の王』も存外ヒマなのだな」
    「言うねぇ」
     なら、お言葉通りに、と再度グラハムの身体を草の上に縫い止め、噛みつくように唇を合わせてくるサーシェスの肩越しに、新緑の瞳は空を見上げる。
     幾千、幾万のあの輝きの下、この世界は回り続け、新たな出会いと別れを繰り返していくのだ。優しい者、愛しい者、かけがえのない者。彼らと共に過ごした時間すべてを胸に抱き、いつか空に還るその時を思いグラハムは、うっそり、と笑んだ。

     約束通り来たぞ、と告げる青年の前には、樹に凭れ項垂れる男の姿があった。
     腹部を押さえる手は朱に染まり、荒い呼吸を繰り返しつつも男はその唇を笑みの形に引き上げる。
     目を細めて輝く金の髪を見上げ、そして、最期の頼みを聞いてくれ、とその口は告げた。
     震える手でレンズが片方にしか存在しない眼鏡を外し、遮る物の無くなった翡翠の瞳が真っ直ぐに新緑の瞳を捉える。
     男の言葉をひとつも取り零さぬようにと、青年は彼の傍らに膝をつき小刻みに震える唇に耳を寄せ、さぁ、と促した。ゆるり、と口を開いた男の言葉を聞いた刹那、新緑の瞳は驚愕に見開かれ弾かれたように男の顔を見やる。
     光を失いかけた翡翠の瞳はそれでも、してやったり、といった面持ちで笑みを浮かべ、どうしてそれを、と唇を戦慄かせている青年の頬を、ぺちり、と軽く叩いた。
     あの赤毛に聞いた、黙ってるなんて酷いぜ、と咎める言葉を吐きつつも、その面にあるのはひたすらに柔らかな笑みである。
     己の頬を叩いた優しい手を両の手で握り締め、青年は、ゆるゆる、と頭を振る。
     望んでしまうのか、キミはそれを望んでしまうのか、と苦しげに問いかける青年に、最期くらい俺の意思を尊重してくれてもいいんじゃねぇの、と男は穏やかに言葉を紡ぐ。
     それでも頭を振り続ける青年の名を柔らかに一度呼び、男は静かに瞼を閉ざした。
     間近で息を飲み、そっ、と躊躇いがちに優しく頬を包む掌の感触に希望を託す。

     ――次に目を開けた時、彼と共に歩む世界がまた始まることを信じて。

    ::::::::::

    2010.02
    茶田智吉 Link Message Mute
    2018/09/16 7:44:22

    【00】鳥の王(後編)

    #グラハム・エーカー #ニール・ディランディ #アリー・アル・サーシェス #ライル・ディランディ #ビリー・カタギリ #アリハム #腐向け ##OO ##同人誌再録
    ファンタジー風パラレル。
    同人誌再録。
    (約4万5千字)

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