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GALLERIA[ギャレリア]は創作活動を支援する豊富な機能を揃えた創作SNSです。

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    【00】サンタハムとトナカイアリー ガッガッガッ、と荒々しい靴音を響かせ廊下を行く男の背を、擦れ違う者達は一様に苦笑で見送る。「荒れてんなぁ」と洩らした栗毛に傍らにいた容姿端麗な眼鏡の男が「仕方ないだろう。急な話だったのだから」と感情の乗っていない言葉を返す。
     男の良すぎる耳はその会話を捉えてはいたがそちらに意識を裂くことはなく、ただひたすらに真っ直ぐ前を見据え足を動かしていくだけだ。
    「アリー・アル・サーシェスは居るかッ!?」
     バンッ、と豪快に開け放った扉の先に凜とした声を響かせ、返事を聞く前に自ら、ぐるり、と室内を見回す。トレーニングルームに響いていた機械音が、ぴたり、とやみ、室内にいた者全員の視線が揺れる蜂蜜色の髪に注がれ、そのうちの幾人かは即座に興味はないと言わんばかりに自分のメニューをこなすことに意識を戻し、幾人かは口を開くことはないが成り行きを気にしてか、ちらちら、と様子を窺っている。
    「隊長、どうかしたんですかい?」
     ランニングマシンに乗っていたハワードが少々、早足に騒ぎの元凶へ寄れば、秀麗な眉を、ぎりり、と吊り上げたグラハムは「あの赤毛だ、見かけなかったか!?」とまるで親の敵を捜しているような口調で言い放ち、イライラ、と髪を掻き毟った。
    「仕分け作業を放棄して逃亡したのだ」
     見ればグラハムはファイルを数冊、小脇に抱えている。大方、倉庫内のチェックをするためにそれを取りに行っている間に、まんまとトンズラされたのだろう。
    「目を離した私が愚かだったのは認めよう。あの腐れトナカイ、ターキーの代わりに焼いて喰ってしまおうかと、今、本気で思っているところだ」
    「いや、さすがにそれはちょっと……」
     ただの悪態だとはわかっているが、得も言われぬ威圧感を放つ瞳と声音にハワードは背中に冷や汗を流しつつ、グラハムを軽く窘める。
    「落ち着いてください、隊長。ここには来てませんぜ」
    「そうか。邪魔をしてすまなかったな。メニューをこなしたら、作業の方を頼むぞ」
    「了解しました」
     ピッ、と切れの良い敬礼をした後、ハワードはランニングマシンへと戻り、グラハムは静かに扉を閉めると難しい顔のまま再び、ガッガッ、と廊下を進んでいく。
     思えば三日前。何の前触れもなく突然に、チーム再編成をユニオン総括本部から通達されたのが始まりであった。
     優秀な人材に恵まれ最高のチームだと自負していただけに、メンバーが散り散りになっただけでも堪えたというのに、あろうことか残ったメンバーのパートナーであったトナカイも根刮ぎ持って行かれたのだ。
    「キミ達ならどのトナカイでも乗りこなせるだろう?」と、やや含みのある言い方をされてしまったら、YES、としか返しようがなく内心では、ぎりぎり、と歯噛みしたが、そこで転んでもただでは起きないのがグラハム・エーカーだ。
     自分以外ハワードとダリルしか残らず補充人員もないのではチームとして成り立たない。それでこれまで通りの件数をこなせと言うのはどうかしている。そもそもこの再編成に意味はあるのか正直、理解しかねる! 理解しかねると言った!! と捲し立て勢いで押し切った結果、明かな人員不足を補うためにフリーランスのサンタとトナカイを雇い、その費用を経費で落とすことを承諾させたのだった。
     そして、ただ頭数を揃えればいいという話ではないため、グラハムが提示した条件を満たしたのが、ソレスタルビーイング所属のニール・ディランディとティエリア・アーデを初めとする数人で、彼らはトナカイと共に来てもらったので問題はない。
     問題はグラハムと組むトナカイであった。
     並々ならぬ行動力と気力、体力、時の運を備えたグラハムについてこられるタフさを持った者は早々居らず、次々と篩(ふるい)に掛けた結果、残ったのがアリー・アル・サーシェスただ一人であったのだ。
     素行に難アリだが背に腹は替えられぬと雇ったはいいが、一日目からこれでは先が思いやられる、とグラハムはひくつくこめかみを宥めるように、そっ、と撫でさする。
     能力面においては不満はなく、むしろ手放しで褒め称えたいところだが、如何せん怠け癖と手癖の悪さをほんの数時間で実感してしまったのだ。
    「いかんいかん、落ち着かなければ……」
     冷静さを欠いては巧くいくものも失敗してしまう、と二度三度、深呼吸をし、グラハムは併設されているカフェへと足を向ける。
    「コーヒーでも飲んで気を……」
     自分に言い聞かせるように独り言を洩らしつつ、カフェへ踏み込んだグラハムの足と口が、ぴたり、と止まった。その視線の先には探していた赤毛の姿。
    「お嬢ちゃん、可愛いねぇ。どうよ? 仕事ひけたらメシ行かねぇ?」
     しかもウェイトレスにちょっかいを掛けているときた。
     ゆらり、とサーシェスの背後に立ったグラハムに気づいたウェイトレスが、ひっ、と喉を震わせ、すすっ、と素早く距離を開ける。なんだぁ? と怪訝な顔で振り返ったサーシェスが相手を認識するよりも早くその肩が掴まれ、
    「グラハム・スペシャルゥゥゥッ!」
     良く通る力強い声がカフェを震わせたのだった。


     詰め所兼作業所で、ぐったり、と机に突っ伏したサーシェスは恨めしそうに、一つ離れた机に座るグラハムを半眼で見やる。
    「殺す気かっつーの……」
    「自業自得だ」
     サーシェスのぼやきに隣のダリルが冷めた言葉を投げれば、正面に座るハワードも、こくり、と頷く。
    「グラハムなんちゃらとか言いながらあの野郎、キン肉バスター仕掛けてくるたぁ、どういうことだ」
    「さすが隊長。格闘技にも精通されているとは!」
    「感心するのそこかよ!」
     間髪入れずにグラハムを賞賛するハワードにツッコミを入れ、サーシェスは、あーもーやってらんねぇ、と再度、机に沈んだ。
     しっかしあのちっこい身体でよくもまぁ、と口にはしないがサーシェス自身、グラハムの強靭な腰の力と肩、腕力に感心したのも事実である。ちなみにグラハムの公式データは身長一八〇センチとなっているが、正直信用していない。
    「黙ってればお綺麗な顔で目の保養なんだがなぁ」
     惜しい、実に惜しい、とサーシェスが深々と溜め息をついたのと、軽いノックの後に扉が開かれたのはほぼ同時であった。
    「よぉ、若造。調子はどうだ?」
     顔を覗かせたのは厳つい初老の男で、その者からすればこの部屋にいる者全てが『若造』に当たるが、一際大きく反応したのはグラハムだ。
    「すっスレーチャー隊長ッ!?」
     ガタンッ、と大きな音を鳴らして立ち上がったグラハムにも驚いたが、それ以上にサーシェスの目を見開かせたのは、彼の頭部から、みょっ、と勢い良く突き出た角の存在であった。
    「へ? あれ? なんで隊長さんに角……?」
    「隊長は元トナカイだからな」
     惚けた呟きを洩らせば、短くはあったが親切にもダリルが説明してくれた。種族の特性上サンタからトナカイにはなれないが、トナカイからサンタへのクラスチェンジは可能なのだ。
    「おいおい角出てんぞ。それに俺はもう隊長じゃねぇよ。今じゃしがない非常勤だ」
    「はっ、すみません。しかし私にとって貴方はいつまでも隊長です」
     ピッ、と背筋を伸ばしやや紅潮した頬でハキハキと告げるグラハムの瞳は、キラキラ、と、まるで子供のように輝いており、サーシェスは、なんじゃありゃ、と呆気に取られるばかりだ。
     陣中見舞いだ、と差し出された袋を恭しく受け取り、グラハムは少々首を傾げ相手の様子を窺いつつ「お時間はありますか?」と尋ねている。それを半眼で見やりつつサーシェスは、つい、と顎で指し示す。
    「あれって、これからサボりますよー、って言ってるようなモンじゃねぇの?」
    「仕方ないだろう。久し振りにお会いしたのだ。それに隊長も多少の息抜きは必要だろう」
    「つか、あのおっさん、誰?」
     寛大に頷くハワードに今更な問いを投げれば、「スレッグ・スレーチャー殿だ。隊長が駆け出しの頃に大変お世話になった方だ」と、これまた親切に答えてくれたのだった。


     倉庫の棚に並んだ品物と手中のファイルに視線を交互に向け、何事か書き付けていたグラハムだが、ふとその手を止め緩く息を吐いた。
    「何か用かね?」
     就業時間は終わっているぞ、と振り返りもせず続ければ、「そう言う隊長さんこそ帰らねーの?」とどこかからかうような声音で返される。
    「もう上がるところだ」
     やはり振り返らず答えたグラハムの背に触れるか触れないかの位置に、ぴたり、と立ち、サーシェスは僅かに身を屈めると金糸の掛かった形の良い耳に唇を寄せた。
    「昼間にあのおっさんとしっぽりしけ込んだ分、今頑張っちゃってるとか?」
     耳の中に息を吹き込むように囁かれ反射的に首を竦めたグラハムだが、その口から怒声が発せられることはなく、むしろ呆れたように溜め息を吐かれ、予想外の反応にサーシェスは拍子抜けしてしまった。
    「なにか勘違いをしているようだが、ハッキリ言わせて貰おう。スレーチャー隊長と私はそのような関係ではない。彼は私の恩人だ」
     過去のことは知らないがこの切り返しから察するに、これまでにも同じようなことを複数人に言われたことがあるのだろう。しかし、そうは言われてもグラハムのあの懐きっぷりを目の当たりにしてしまっては、一概に納得できるモノではないのも事実である。
    「おカタイ隊長さんのあんな、フニャフニャ、したとこ見せられて、はいそーですか、なんて言えるかっつーの」
    「フニャフニャ、とは失敬な」
    「そうだろうがよ」
     弛みきってたぜ? と頬を指先で突けば即座に払われ、サーシェスは大仰に手を振ってみせる。
    「アンタ見習いン時だけじゃなく正式採用後もあのおっさんと組んでたんだって? それじゃあ『専用機』って言われても仕方ねぇんじゃねぇの?」
     実際どうであったかなど知る由もないがサーシェスがカマをかけてやれば、グラハムは手中のファイルを、パタン、と閉じ、再度溜め息を漏らした。
    「言ったであろう、恩人であると。私を救ってくださりその後の面倒まで見てくださった方に対して、そのような劣情を催すわけがない」
     いや、アンタはそうかもしんねーけど、と出かかった言葉を無理矢理に飲み下し、サーシェスは代わりに「恩人ねぇ……」とわざと気のない口調でグラハムの次の言葉を誘った。
    「私はここの生まれではないのだよ」
    「あー、たまに居るな。人間界からこっちに来るヤツ」
     最近はあまり聞かないが昔はプレゼントを配り終えた後、なにを思ってかこちらに戻らずそのまま駆け落ちするサンタとトナカイが年に数組は居たのだ。当時のトナカイの労働条件の過酷さが原因とも言われ、事態を深刻に受け止めた上層部がその辺りを改善するも、件数は減ったが皆無とはいかないのが現状である。
    「私の両親は普通の人間であったが、どうやらトナカイの因子を持っていたらしくてな。なかなか育たない私を気味悪がって手放した、と。そういうことだ」
     人間界とこちらの世界は根本的に時間経過速度が違い、成長速度にも著しい違いが現れる。人間界の一年はこちらの世界では僅か四ヶ月でしかないのだ。成長に三倍の時間が掛かるとなれば、奇異に思われるのが普通だ。
     引き取られては施設へ渡されを繰り返し、様々な施設を転々としていたグラハムをこちらへ連れてきたのがスレーチャーなのだという。
    「正式な手続きを踏まずに人一人拉致してきたのだからな、当時は大騒ぎであったよ」
     過去を懐かしむグラハムの柔らかな声音にサーシェスは心底面倒臭そうな顔をするも、幸いなことに蜂蜜色の頭が振り返る気配はない。
    「彼が親代わりとなり私を育ててくださったのだ。感謝してもしたりないとはこのことを言うのだな」
     右も左もわからず、その上それまで人間として生きてきたため、トナカイの能力を使いこなせるようになるのは容易なことではなかった。
     わかりやすく言えばサンタは職業でトナカイは種族である。トナカイはサンタとは違って生まれながらにして物質通過能力を備えている。サンタになるにはこの能力を先天的に持っていなければならないため、種族がトナカイではない人のサンタは少数なのだ。
    「基本的な壁抜けも、出来たと思ったら服を置き去りにしてしまったりな」
     くつくつ、と喉奥で笑うグラハムに合わせて、ふわふわ、と揺れる金糸に眼を細め、サーシェスは「そいつぁ傑作だな」とこちらも喉奥で低く笑う。
    「直ぐに角を出す癖は直したつもりだったんだが、キミには恥ずかしいところを見られてしまった」
     昼間のことを思い出したか、今更恥じらってみせるグラハムの僅かに染まった耳裏に唇を押し当て、サーシェスは、にたり、と口端を吊り上げた。
    「それくらいいいんじゃねぇの? これからもっと恥ずかしいトコ見せるコトになるんだしよ」
    「それは、先程から私の尻に押し当てられているキミの股間と、無遠慮に身体をまさぐっているこの手に関係があると、そういう解釈でよろしいのかな?」
    「まー、この状況でそれ以外ないわな」
    「呆れるほど節操がないな」
    「誰かさんのおかげで今晩の獲物を逃しちまったんだから、ちぃとばかし付き合ってくれよ」
     これ見よがしに一際大きく腰を擦り付けてやれば、グラハムは「そうか」と小さく呟き、手中のファイルを無造作に脇へと放り投げた。ばさり、とそれが床に広がった音にサーシェスが一瞬、気を取られた刹那。くるり、と身体の向きを変えたグラハムの新緑の瞳とかち合ったと思う間もなく……
    「グラハム・スペシャルッ!」
     本日二度目の殺人技が炸裂したのだった。


     昨日はひでぇ目にあった、と首をさすりつつ詰め所へと現れたサーシェスは、挨拶もそこそこにグラハムの口から飛び出した言葉に開いた口が塞がらない。
    「……良く聞こえなかったんだが」
    「では、もう一度言わせてもらおう。アリー・アル・サーシェス。今すぐ荷物をまとめて私の部屋へ来たまえ」
     さも当たり前の顔で一字一句違わず復唱され、サーシェスは首に当てていた手を額へと移動させ、えーと、と横を向いた。
    「意味がよくわかんねぇんだが、それはなんのジョークだ?」
    「ジョークなどではない。キミを野放しにしては、各方面に多大な被害が出ると見た。よって、ここにいる間は私がキミの行動を監視させてもらうことにした。なにも難しいことはないではないか。ちなみに異論は認めない。認めないと言った」
     ここで否と首を振ったところでこの男が諦めるわけがなくサーシェスは、勝手に荷物を運び出されてはたまったモンじゃねぇ、と渋々ではあったが首を縦に振るしかなかった。
     荷物と言ってもサーシェスは短期就労の身だ。服以外これと言った物はなく運び出しと移動は三十分とかからず終了したのだが、グラハムの部屋に着いてからが問題であった。
     隊長ともなればそれなりの待遇であるが、寝室とリビングダイニングといった間取りでずば抜けて広いわけではない。
     即断即決即実行と言った行動力は素晴らしいが、何度目を擦ろうとも今居る寝室にはベッドが一つしかない。せめて下準備くらいしておけ、というのがサーシェスの言い分である。
    「俺はどこで寝ればいいんだよ」
     クローゼットの空き部分に服を詰め込みつつサーシェスが背後のグラハムに問えば、「ベッドがあるではないか」となにを問われているかわからないと言わんばかりの極々当たり前の言葉を返され、思わず手が止まる。
    「本気で言ってんのか、アンタ?」
    「無論だ。私は寝相がいい。夜中にキミを蹴り出すことはしないから安心したまえ。それともキミは壊滅的に寝相が悪いというのかな? それならば考え直さなければならないが」
     軽く腕を組み、どうなのだ? と言った表情で返答を待つグラハムに肩越しに振り返り、サーシェスは「普通だよ」と半眼で答えた。それを受け「ならばなにも問題はないな」と一人納得顔のグラハムに、はー、と呆れたように溜め息を吐けば、サーシェスがなぜそのような態度を取るのか理解できないのかグラハムは軽く眉を寄せる。
    「ベッドは充分に広く、寝るのに不都合はないと思うが。一体なにが不満だと言うのだキミは」
    「不満はねぇよ。ただ呆れてんだよ」
    「なんと!? 一体なにに呆れたというのだ!? 私は格別おかしなことを言った覚えはないのだが」
     ううむ、と本気で考えているグラハムに胸中で、めんどくせぇなぁ、とぼやき、サーシェスは、ひらひら、とやる気なさげに手を振った。
    「いい、いい。なんでもねぇよ」
     仮にも昨日、不埒なことをかまそうとした相手に同衾を申し出るなどコイツ大丈夫か? と今は呆れるしかない。だが、据え膳はおいしく頂く主義であり、それを指摘してやるほどサーシェスは親切ではないのだ。
    『迂闊さに泣いて後悔したって知らねぇぞ』
     くつくつ、と喉を小さく震わせ密かに嗤うサーシェスに気づかず、グラハムは納得のいかない顔ではあったがこれ以上引っ張る話ではないと判断したか、うん、と一つ頷くとクローゼットの扉を閉めたサーシェスを促し部屋を出た。
     そのまま詰め所へ戻るのかと思いきやグラハムの足は違う方向へと向けられ、サーシェスが怪訝に片眉を上げればそれを気配で察したか、グラハムは、ちら、とサーシェスを仰ぎ見てから「格納庫へ行く」と端的に告げる。
    「自分の牽く機体を見ておいて損はなかろう」
    「普通にソリっていえばいいじゃねぇか」
     なまじ顔がいいだけに彼が繰り出す頓狂な言動に、サーシェスは、惜しい、本っっっ当に惜しい、と拳を固めるだけでは事足りず頭を抱えて嘆きたい気分だ。
    「それにしてもアンタがトナカイ上がりとは意外だったな」
     フリーランスのトナカイであるサーシェスは、条件さえ合えば他陣営でも仕事をする。現在、勢力は三つに分かれており、先日まで雇われていたAEUでもユニオンのグラハム・エーカーの噂は耳にしていたのだ。人革連にもその名は届いていると、サーシェスは知っている。
    「数少ないエリート様だとばかり思ってたが……」
    「噂などアテにならんということだ」
     先回りして、ぴしゃり、と釘を刺してくるグラハムに軽く口笛を吹き、サーシェスは低い位置にあるグラハムの肩に、するり、と腕を回す。
    「アンタ、知らないところでたくさん敵作ってそうだよなぁ」
     くい、と顎に添えた手で顔の向きを変えさせ、息も掛からん距離でそう囁いてやれば、グラハムはあからさまに眉を寄せ、ぎり、と険しい眼差しでサーシェスを射抜いた。
    「近すぎる」
     だが、グラハムは言われた内容よりもサーシェスとの距離に不快感を示し、ぺいっ、と顎に添えられたままの手を無造作に払い除ける。
    「はいはい、悪かったよ」
     元からちょっとからかってやるだけのつもりだったため食い下がることはせず、サーシェスはおとなしく肩に回した腕も解くと軽く肩を竦めて見せた。
     だが、口にしたことは冗談でも何でもなく本気の言葉だ。
     人間界生まれの半端者が着々と頭角を現し今に至ったとなれば、面白くない連中も居るだろう。しかもあのスレーチャーという男、聞けば伝説級の凄腕というではないか。その男に見い出され、手取り足取りイロハを叩き込まれたというのだから、やっかまれるには充分過ぎるほどの条件が揃っていることとなる。
     そうこうしている間に目的地へと辿り着き、グラハムは中に居る者に「調子はどうだ、カタギリ」と声を掛けた。
     更にやっかまれる要因の一つを目の当たりにし、サーシェスは軽く目を眇める。ユニオン上層部の要を担う男の甥がグラハムの親友であり、彼の専属技術屋と言っても過言ではないのだ。
    「やぁグラハム。うん、悪くはないよ」
     傍らのソリを、ぺちり、と軽く叩き柔らかな微笑を浮かべるビリーに「それは結構」と返し、グラハムは次いでサーシェスを振り返りながら言葉に合わせて手で指し示す。
    「彼はビリー・カタギリ。そして今回、私のパートナーとなる、アリー・アル・サーシェスだ」
    「あぁ、話は聞いてるよ。キミすごいねぇ。グラハムの提示した条件をクリアできるなんて、驚きを通り越して賞賛に値するよ」
     にこにこ、と人畜無害な笑顔を向けられサーシェスは居心地悪そうに口端を上げると、そりゃどうも、と曖昧に返し内部を、ぐるり、見回す。やけに、がらん、として見えるのは単純にソリの台数が少ないからであろう。前は十人以上の隊だったんだっけか、と記憶を掘り返しているサーシェスなど気にも留めていないのか、グラハムは早々にビリーとの話に入っている。
    「これが彼の心体データだ。早速チューンしてほしい」
    「キミへの負担は?」
    「無視していただいて結構」
    「そうだね、これならもう少し出力上げられるかな」
    「おいおい、なんか物騒な話してねぇか?」
     着々と進んでいく会話内容にサーシェスが少々ひきつりながら割り込めば、モニタを覗き込んでいたグラハムとビリーが同時に顔を上げた。
    「うーん、いつもなら止めるけど、さすがに今回は人手が足りないからねぇ。大変だと思うけどキミもちょっと頑張ってよ」
     ソリを動かす際、トナカイはエンジン兼予備燃料、サンタは主力燃料といった役割分担となる。サンタとトナカイの気力、体力を無駄なく変換出来るかどうかは、ソリの性能にかかっているのだ。
    「酷いときは先にトナカイがバテちゃって、グラハムがソリ引っ張って帰ってきたこともあったよねぇ」
    「うむ、あの時は残り数件であったのが不幸中の幸いであった」
     再びモニタへ顔を戻したグラハムは、さらり、となんでもない顔で返したが、エンジンオーバーヒートさせるなんてどんな配達してんだよ! とサーシェスは胸中で盛大にツッコミを入れたのだった。

       ◇   ◇   ◇

     卓上に広げた地図を前にグラハムは、ぐるり、と卓を囲んでいる全員の顔を順番に見回す。
    「集まってもらったのは他でもない。待ち望んでいた担当区域の確定リストがようやく届いた」
    「随分とかかりましたね」
     元来ならばもっと早くに通達されるのだが、クリスマス当日まであと一週間というところまでズレこんだのは、土壇場で行われたチーム再編成が少なからず影響していると、口には出さぬが皆そう思っている。それがわかっているからか、グラハムはハワードの言葉に僅かに苦い笑みを見せた。
    「隣の区域の境目辺りの調整に少々、手こずってな」
     配達件数を多くこなせばそれだけチームの評価は上がる。だが、引き受けるだけ引き受け、結果、時間内に配達が終わらず、他チームの手を借りるようなことになっては本末転倒である。
     多くは語らないが、無理な押しつけ合戦を辛くも切り抜けてきたのだろう。人間界の子供達に夢や希望を与えるという元来の目的を、相手の足を引っ張る手段に用いようとする者が居ることに、ハワードは憤りを通り越し悲しみすら覚えるのだった。
    「幸いにも担当区域は前回と変わらないので、ハワードとダリルはソレスタルビーイングの面々のフォローに当たって欲しい」
     そう言ってグラハムは卓に広げた地図に視線を落とし、トンッ、と軽く指先で地図の端を叩いた。
    「おおまかにだが担当区域を三分割した。各々、実際に下見に行ってもらい、難があるようなら報告して欲しい」
     そこで一旦、言葉を切り、グラハムはニールに顔を向ける。
    「CB内で二チームに分かれてもらい、それぞれハワードとダリルをつけるというやり方でいきたいのだが、異論はあるかな?」
    「いや、特にねぇよ。ただ、実際に飛んでみてからチーム分けってことでいいか?」
    「無論、それで構わない」
    「ちょっと待った」
     それまで興味なさそうにグラハムの隣で煙草を吹かしていたサーシェスが、気怠そうに半眼で待ったを掛ける。
    「なにかな?」
    「今、二チームって言ったよな?」
    「それがどうかしたか」
    「どうもこうもねぇだろ。俺たちに助っ人はねぇのかよ」
     トントン、とほぼ均等に三分割された地図を指先で叩きつつ、サーシェスが、イライラ、とグラハムを睨め付ければ、当の本人は至極当たり前の顔で大きく頷き、
    「なんのために機体出力を三倍にしたと思っているのだ」
     と、アリーからしてみれば死刑宣告に近いことを言ってのけた。
     余りのことに言葉を失っているサーシェスを、反論がないということは納得したのだな、と判断したかグラハムはニールとの会話に戻る。
    「地図やリストのデータだ。ナビに入れておいてくれたまえ。できればプリントアウトした物も持っていてもらいたい」
    「そりゃ構わないが、なんでまた」
    「なに、念のため、だよ。配達中はなにが起こるかわからんからな」
     声の調子そのものは軽いが一瞬、眇められた目にニールは相手の言わんとすることを察し、「了解」とこちらも軽く返したのだった。
     よし解散、とグラハムが手を打ち鳴らし部屋から人が居なくなったところで、サーシェスは短くなった煙草を灰皿へ擦り付けると、よろり、と立ち上がった。
    「正気の沙汰じゃねぇ……」
     どこか覚束ない足取りでカフェを目指し廊下を行く。グラハムの部屋で寝起きするようになって一週間が過ぎたが、据え膳を頂くどころの話ではなかった。
     毎朝五時に起床させられ、朝食前にグラハムが言うところの『軽い』ランニング。それが済んだらトレーニングルームでバーベルを上げたりともう一汗かき、シャワーの後にやっと朝食となる。五時起きの時点で、ぐったり、だというのに、朝からテンションの高いグラハムと話すだけで更に、ぐったり感が増す。
     毎日最低でも二時間はグラハムを乗せてソリを牽き、データ修正を施せば更に飛行時間が延びる。
     やっと腰を落ち着けたかと思えば地味なプレゼント包装作業が待っており、なんだかんだで器用な手先はそつなく作業をこなし、日に日にノルマが増えていると気づいたときには後の祭りであった。
     その間にも昼食だ、トレーニングだ、とグラハムに引き回されるように彼と同じ生活サイクルを送っていれば、いくらサーシェスとはいえ夜はベッドに入った瞬間、撃沈である。
     天賦の才に恵まれた身であり特に努力もせず、自由奔放に生きてきたサーシェスには規則正しい生活の時点でアウトだ。
     案内される前に勝手に空いている席に、どっかり、と腰を下ろし、あー……、と低く呻く。注文を取りに来たウェイトレスのミニスカが去っていくのを見送ることもなく、再度、あー……、と喉奥で呻けば、勝手に目の前に座った男に「覇気がないな」と笑われた。
    「誰のせいだと思ってんだ、ちくしょう」
    「なんと、私のせいだとでも言いたげではないか」
    「そう言ってんだよ」
     背もたれにふんぞり返るようにもたれたかと思いきや、ずるり、とだらしなく尻を滑らせたサーシェスにグラハムが片眉を上げる。
    「色々と割に合わねぇ。特別ボーナスでも貰わなきゃやってられねぇっつーの」
    「ボーナスか」
     さすがにこれは経費では落とせないと踏んだか、グラハムは、ふむ、と顎に手をやり即座に預金残高を脳裏に描く。相場がどれほどか詳しくは知らないが、まぁなんとかポケットマネーで払えるだろう、と結論づけ、うん、と首を縦に振る。
    「ここでキミに降りられては困る。私に出来る範囲でだが、なんとかしよう」
    「マジで?」
    「武士に二言はない」
     大真面目に答えるグラハムに「いや、アンタ武士じゃねぇし」と突っ込みたいところだが、サーシェスはそれを、ぐっ、と我慢し、にたり、とほくそ笑む。
     彼は確かにこう言った。「私の出来る範囲で」と。だが、要求する特別ボーナスはなにも現金とは限らないのだ。サーシェスの要求を詳しく聞かず、先入観のみで頷いたグラハムをやはり迂闊だと内心で嗤う。
    「まぁ、ボーナスについては本番当日の働き次第だがな」
    「わかってるって」
     本番当日を無事に乗り切れば、翌日足腰が立たなくとも問題はないわけだ、と声には出さず、目の前で良く動く形の良い唇を眺め、口端を上げた。あぁ、でもその前に味見くらいはしておきてぇなぁ、とサーシェスは無意識のうちに舌なめずりをする。
    「一息入れたら我々も下見に行くぞ」
     サーシェスの注文品を持ってきたウェイトレスに、コーヒーを頼んだグラハムがそう言えば、
    「了解しましたよ、隊長殿」
     卓に置かれたカップを取り上げ、サーシェスは嗤いを抑えきれない唇をそれで隠した。
     宣言通りコーヒーを一杯飲み干して直ぐに立ち上がったグラハムに促され、サーシェスが渋々と言った体で腰を上げようとしたその時、スタスタ、と迷いのない足取りでグラハムの背後からこちらの席に近付いてくる男に、隠すことなく怪訝に眉を寄せる。それに気づいたグラハムが問うように口を開きかけるも、第三者の声がそれを遮った。
    「こんなところでご休憩とは、さすが隊長様は余裕ですねぇ」
    「おや、ジョシュアではないか。新しい隊はどうかな?」
     開口一番の皮肉を、さらり、と流され、あからさまに眉を吊り上げたジョシュアだが、ぐっ、と何かを堪えるように唇を一瞬引き結び、即座に、はっ、と鼻で嗤って見せる。
    「すこぶる調子がいいぜ。アンタの顔を見なくて済むかと思うとせいせいする」
    「そうか、それはなによりだ。キミほどの優秀な男なら、どこであろうと遺憾なくその実力を発揮できると踏んでいる」
     嫌味をことごとく受け流すグラハムをサーシェスは愉快そうに、ニヤニヤ、と眺めていたが、不意にジョシュアの顔がこちらに向けられ、とばっちりは御免だぜ、と言わんばかりに途端に目を眇める。
    「アンタが今回のパートナーか。せいぜい潰されないように気を付けるこった」
    「いや、もう潰され掛けてるし……」
    「どうせ莫迦みたいな範囲をアンタ達だけで回るんだろ。どうしても無理だ、間に合わねぇってんなら『助けてくださいジョシュア様』と泣きついてきたら助けてやらないこともないぜ?」
     話を振っておきながらその返答を聞かず、ベラベラ、とひとり捲し立てるジョシュアをサーシェスは呆れた目で見るも、グラハムはジョシュアの肩に掌を置き大真面目な顔で相手の目を見据えた。
    「心配してくれているのか?」
    「ばっ莫迦言うな! んなワケねぇだろ!? べっ別にアンタのためじゃねぇよ! アンタの評価が落ちるとアンタの隊にいた俺の評価も落ちるんだよ!!」
    「その時はよろしく頼むぞ」
     ジョシュアの狼狽振りを歯牙にも掛けず、期待している、と続けて告げ、ぽん、と軽く肩を叩き「では失礼する」とグラハムは彼の横をすり抜ける。言葉が返せず、しかも、笑みとも怒りともつかぬ珍妙な表情で固まっているジョシュアを尻目に、サーシェスも席を立つとグラハムの背を追ってカフェを出たのだった。
     ほんの数歩で肩を並べたサーシェスが肩越しに、ちら、と背後を指し示しながら「なんだアレ?」と問えば、「私の隊に居た者だ」との簡潔な言葉が返される。
    「口は悪いが心根は真っ直ぐで優秀な男だ。実に頼りになる」
     格納庫へと続く廊下を進みつつ、グラハムは小さく、いや、と洩らした。
    「頼りになった、と言うべきか。もう私の部下ではないのだからな」
     ふ、と伏せられた淡い色の睫に一瞬、目を奪われるもサーシェスは面倒臭そうに、ガシガシ、と後ろ頭を掻き、気怠い調子で口を開く。
    「件数についてはナニ言ったってアンタ聞きゃしないだろうからもうナニも言わねぇが、ソリの積載量には限界があることはわかってるよなぁ?」
    「あぁ、それなら問題ない。プレゼントを持ったCBのサポート要員に、各ポイントで待機してもらうことになっている」
     手は打ってある、と不敵に笑うグラハムに感心よりも呆れの勝った眼差しを向け、サーシェスは緩く息を吐いた。
    「なんつーか、こう。アンタ、見てると無性にへこましてやりたくなるな」
    「良く言われる。迷惑千万だ」
    「言われんのかよ」
     わかっててこの態度かよ、とサーシェスの胸中でのボヤきが聞こえたか、グラハムは困ったように肩を竦めると彼独特の間をもって静かに息を吐いた。
    「生憎とこういう性分なのでね。己に恥ずべきところはないので改める気はない」
     こりゃ評価がパッキリふたつにわかれる人種だな、と無駄に潔いグラハムにサーシェスも肩を竦める。どれだけ窮地に追い込もうとも弱ったところなど微塵も見せず、むしろそれがどうしたと言わんばかりに突破してしまうのだから、彼を良く思っていない者は更に苦々しく思い、好意的な者は更に心酔するのだろう。
    「つまらない話はここまでにしようではないか。今日は下見だが、本番だと思って相応の覚悟で臨んで欲しい」
     格納庫の入り口を開け放ちながらのグラハムの言葉に、サーシェスは僅かに口元をひきつらせつつ「死なない程度に、な」と余り気の利いていない返ししかできなかった。


     実際に飛んだデータを元にCBメンバーの割り振りが完了し、綿密にルートを打ち合わせている面々が囲む卓とは離れたところで、サーシェスは椅子に身を預けだらしなく四肢を投げ出している。尤も効率の良いルートを割り出すために何度も何度も、それこそ死なない程度に酷使された結果だ。
     帰還してすぐの「もう少し出力を上げたい」とのグラハムの要望は幸いにもビリーにダメ出しをされ、サーシェスはこの時ばかりはこのポニテ眼鏡に感謝を捧げてもいいと思った程だ。
     ちなみにグラハムはと言えば、そのまま格納庫でビリーとルート検討中である。
     あのタフさはなんだ規格外過ぎんだろ、とサーシェスは、ぶつぶつ、悪態をつきつつ、ふらり、と立ち上がると出入り口へ足を向ける。そんな彼に気づいたかハワードが声を掛ければ、サーシェスは面倒臭そうに手を、ひらひら、させ「隊長さんトコ行くだけだよ。ンなコワイ顔しなさんな」と本気半分冗談半分に返し、詰め所を後にした。
     それにしても、と飛んでいる最中のことを思い出し、密かに眉根を寄せる。今回は実際に降りたわけではなく、目的の建物上空でそこでかかるであろう時間を計っていたのだが、大きさの割りにはやたらと時間のかかる建物が多かったのだ。集合住宅だとしてもこのご時世、一世帯に必ず子供がいるとは限らない。
     めんどくせぇなちくしょう、と声に出してボヤき格納庫へと踏み込んだサーシェスは、ソリの横に一人しか居ないことに首を傾げた。
     折りたたみ式の簡易テーブルで、小型PCのキーボードを長い指で叩いているのはビリーだ。響く足音を抑える気はないのかサーシェスが大股に彼に寄りつつ「隊長さんは?」と問えば、顔を上げると共にその手を止め、ビリーは唇の前に指を一本立てて見せる。
     怪訝に片眉を上げたサーシェスを促すように立ち上がったビリーは、ソリに眼をやり再度、指を立てた。その動作でなんとなく予想はついていたが、サーシェスは足音を殺しソリに近付くと荷台部分を覗き込んだ。
    「……呑気なモンだ」
     毛布を身体に巻き付け芋虫のように丸まっているグラハムを見下ろし、サーシェスが呆れたように洩らせばビリーが、まぁまぁ、と穏やかな声を出す。
    「一時間だけ、大目に見てあげてよ。さすがに皆の前ではヘバったところ、見せられないからねぇ」
     コーヒー飲むかい? とさりげなくソリから離れるビリーに倣い、サーシェスもその背に続く。片隅に設えられた簡易キッチンに置いてあるコーヒーメーカーから注がれたコーヒーは少々、煮詰まっていたが、ビリーは気にした様子はない。
    「彼は決して見栄っ張りというワケじゃないよ」
     はい、と差し出されたコーヒーを黙って受け取り、サーシェスはその酷い味に隠すことなく眉を寄せる。
    「空気は読めないけど、自分の役割というのは本能で理解してるみたいでね」
     おっと、我ながら酷いかこれは、と自分の発言にビリーは喉奥で笑い、手にしたカップをゆっくり傾ける。
    「とにかく、グラハムがグラハムらしく居ること、今はそれが重要なんだよ。正直、彼が弱音を吐いたら皆それに引き摺られて、出来ることも出来なくなってしまうと、僕は踏んでいる」
    「なんでンな話、俺にするんだアンタ」
    「あんなに生き生きとしているグラハムを見るのは久し振りでね。『思った通りのスピードで飛べるぞ、カタギリ!』って、すごい喜んでるんだ。だから、キミが彼に力を貸してくれて僕も嬉しいなって」
     初めて顔を合わせたときに見せた人畜無害な笑みを浮かべ、ビリーは言葉を続ける。
    「で、断り切れなくて出力上げちゃった。ごめんね」
    「このクソポニテ。眼鏡かち割んぞ、こら」
     淀みなくなんの躊躇いもなく、するり、と薄い唇から滑りだした衝撃告白に、サーシェスは先ほど捧げた感謝を速攻で取り下げたのだった。
     有言実行と言わんばかりに右手を手刀の形にしたサーシェスだが、ふ、と視線をビリーから外し彼の背後を見据える。
    「隊長さんがなんか言ってるぞ」
    「え?」
     そう言われてビリーが振り返るのと同時に、蜂蜜色の頭髪が、のそり、とソリの縁から覗いた。しかも不明瞭になにか、モゴモゴ、と口中で言葉を転がしている。
    「……カタギリ?」
     一向に言葉が返らぬことにやっと気づいたか、こし、と目を擦りながらグラハムは、ビリーが居るであろう場所に顔を向けるも目的の人物はおらず、怪訝そうに格納庫内に首部を巡らせた。
     その様子を一部始終見ていたビリーはサーシェスに向き直り「よく聞こえたねぇ」と感心したように軽く目を見張る。
    「カタギリ、今何時だ」
     簡易キッチン前に居るビリーを認識したか、少々、掠れてはいるがしっかりとした口調で問うてきたグラハムに、ビリーは腕の時計に眼をやってから再度振り返る。
    「まだ三十分しか経ってないよ。ごめんよ、うるさかったかい?」
    「いや、そんなことはない。気にしないでくれ」
     くるくる、と毛布を腕に巻き付けるように滑らかな動作で畳み、それを小脇に抱えてグラハムはソリから降りた。そこでやっとサーシェスの存在に気づいたか、僅かに片眉を上げるも歩みを止めることはない。
     グラハムが二人の元に到達すると同時にビリーはカップを差し出し、グラハムはそれを受け取りつつ毛布をビリーに渡す。声を掛け合うこともなく自然に行われたそれに、グラハムがここで休息を取ることは最早、習慣と化しているのだとサーシェスは知った。
     酷い味のコーヒーを眉間に皺を寄せて飲み干したグラハムに「ンな顔して飲むくらいならいれ直しゃいいだろ」とサーシェスが呆れたように洩らせば、「わざとだよ」とビリーが横から苦笑混じりに告げる。
    「この方が目が覚める」
     なんとも荒療治ではあるが、確かにグラハムは先よりシャッキリとした顔をしている。
    「あぁ、そうだ。キミに言うべきことがあったのだ」
     カップをビリーに手渡しつつ逆の手の甲で口元を拭ったグラハムが、サーシェスに身体ごと向き直った。
    「トナカイは本来ならば前日は休息日なのだが、正直、それは不可能に近い状況だ」
     とにかく手が足りない、と続けられたグラハムの言葉にサーシェスは、ゆうるり、と目を細める。
    「だが、キミには休息を要求する権利がある」
    「そうだな。休んでも文句を言われる筋合いはねぇんだよなぁ」
     カシカシ、と後ろ頭を掻きながら瞼を伏せ、間延びした声を発したサーシェスだが、再び現れた鶸色(ひわいろ)の瞳は鋭い光を携えグラハムを見据えた。
    「ただな、準備が間に合いませんでした。だから依頼をこなせませんでした、じゃフリーランスの俺の信用ガタ落ちなワケよ。今後の仕事にも影響するなんて、冗談じゃねぇっつーの」
    「では……」
    「休みはいらねぇ。その代わり特別ボーナスは確実に頂くぜ?」
    「無論、構わない。むしろ当然の要求だ」
     険しさを滲ませていたグラハムの目元が微かに和らぎ、ゆるり、と眉尻も下がる。安堵からか声音も柔らかくなった相手に、サーシェスは腹を叩いて大笑いしたい衝動を辛うじて抑え込む。
    「仕分けだけではなく、積み込み作業も手伝って貰うことになると思うが、よろしく頼む」
     そう言って生真面目に下げられた金色の頭を見下ろし、おうよ、と軽く答えたサーシェスの唇だけが、彼の本心を現すかのように酷薄な笑みを貼り付けていた。
    「では我々は戻るとしよう。チューンを頼んだぞ、カタギリ」
    「合点承知」
     軽やかに交わされる会話にサーシェスは己の「眼鏡かち割る」発言を思い出したか、大股に歩き出したグラハムの背が遠ざかるのを横目に確認しつつ、「あれ? どうしたんだい?」と呑気に笑っているビリーの正面から、眼鏡のブリッジめがけて容赦なく腕を振り下ろした。
     直後に響いた絶叫に格納庫から足を一歩、外へ踏み出していたグラハムが驚いたように振り返ったが、サーシェスは既に何食わぬ顔でビリーから離れており、「どうした、カタギリ!?」と駆け戻ろうとしたグラハムの腕を捉えると「データが飛んだんじゃねぇの?」と空々しいことを口にし、続けて「さー、仕事だ仕事。ちゃっちゃと終わらせようぜ」とそのまま強引にグラハムを引っ張って格納庫を後にしたのだった。

       ◇   ◇   ◇

     担当区域が確定してからグラハムは気づけばプリントアウトしたリストと地図を見ており、サーシェスはこれ見よがしに、はー、と深い溜め息を吐いて見せた。
    「どうかしたのかね?」
    「部屋にまで仕事持ち込むなよ」
     メシが不味くなる、とフォークにパスタを絡める手を止めないままサーシェスがボヤけば、グラハムは「それは失礼した」と言いつつ、目はリストと地図から離れない。
    「ナビにぶっ込んであるのに、なにをそんな熱心に見てんだか理解できねぇ」
     一口分というには多量のパスタが絡んだフォークを口に運び、正面で手元を見ずとも器用にパスタを巻いているグラハムの目線を追ってサーシェスも地図に目を落とす。
    「備えあれば憂い無しというではないか」
     自分たちが担当する区域を更に分割する線が地図上に走っており、赤丸がいくつか付けられていた。これが恐らくサポートメンバーを待機させる地点だな、とサーシェスは実際に上空から見た街の風景と地図を脳内で照らし合わせる。
     クリスマスが目前に迫ったところで漸くソリの最終調整が終わり、あとはサポートメンバーへのプレゼント引き渡しと、ソリへの積み込みというところまでなんとか漕ぎ着けたのだ。
    「思ったよりも作業を早く進めることが出来ている。あとは私がやるのでキミは身体を休めてくれたまえ」
     唇についたソースを舌先で舐め取り、再びフォークを口に運ぶグラハムを上目にみやり、サーシェスは面倒臭そうに息を吐く。
    「ここまできたら最後まで手伝ってやんよ。その方が早いに決まってんだろうが」
    「そうか。すまないな」
     ここでやっと顔を上げたグラハムはサーシェスを真っ直ぐに見つめ、ゆるり、と眦を下げた。それだけで凛々しい表情から一変し、柔らかな印象となる。つくづくこの男の目には他を圧倒する力がある、と実感する瞬間だ。
    「では、食べ終えたら行くとしよう」
     当然の顔で、さらり、と言われ思わず頷いてしまったサーシェスだが、一呼吸の後「今から?」と問い返した。
    「そうだ。今晩中に済ませてしまえば、キミはその後ゆっくり休むことが出来る」
     どうやらグラハムの中では、サーシェスをキチンと休ませることは既に決定事項であるようだ。グラハムはこうと決めたが最後、梃子でも動かないことをイヤと言うほど思い知らされたサーシェスは、ここで反論するのは時間の無駄である、と疲れた顔ではあったがおとなしく頷いて見せたのだった。
     そうと決まればグラハムの行動は早かった。地図とリストを脇へ押しやり、残っていたパスタを掻き込むとコーヒーで流し込むように強引に嚥下し、食べ終えていたサーシェスの皿を取り上げ、自分の皿と合わせてシンクへ運んでから出入り口へと向かう。
     妙なところでマメなグラハムに続いて部屋を後にし、サーシェスはそのままの距離を保ち彼に並ぶことなく格納庫までやって来た。
     先に足を踏み入れたグラハムが脇目もふらずソリに向かうのを眺めていたサーシェスだが、微かに聞こえた物音に、ふ、となにかを探るように室内に素早く眇めた目を走らせる。
    「どうした?」
     いきなりサーシェスの足音が止まったのを不審に思ったか、グラハムが肩越しに振り返る。その表情を確認し、サーシェスは軽く肩を竦めて見せると「やっぱ気が変わった」と言い放った。
    「なに?」
    「よくよく考えたらアンタが言い出した無茶でも、あのグラサンとドレッドに責められるのはどういうワケか俺なんだよ。納得いかねぇ」
     大股にグラハムへ寄りサーシェスは「戻んぞ」と強引に相手の腕を引き来た道を戻ろうとするが、グラハムが素直に言うことを聞くわけがない。
    「彼らには私がキチンと説明をする」
    「その場は納得した顔しておいて、あとで俺ンとこ来るんだよ。意味ねぇ」
     間髪入れずに、バッサリ、と斬り捨て、サーシェスは一際、強くグラハムの腕を引き、突然のことに相手がバランスを崩したのをこれ幸いと、見事な体捌きで立ち位置を変えグラハムを小脇に抱えた。
    「なっ!?」
     まるで荷物のような扱いに言葉を失ったグラハムがおとなしいウチに、とサーシェスはそれでも歩調を変えることなく出入り口へと向かい、最後に格納庫内に一瞥くれてから扉を閉じたのだった。
     足音を高らかに響かせ大股に廊下を戻るサーシェスに抱えられたまま、グラハムは抵抗する気も失せたか「全く、一体なんだというのだ」と疲れたように息を吐く。そのボヤきで確信したかサーシェスは揺れる金髪を半眼で見下ろし、やれやれ、と内心で溜め息を吐いた。
     格納庫には先客が居た。それもこんな時間に、こそこそ、と姿を隠して居たとなれば、明らかに招かれざる客だ。だが、そのことにグラハムは気づいていない。
     大方、グラハムを敵視している者が彼の失敗を誘うべく、なにかしら細工をしにやってきたといったところであろう。
    『飛べねぇってことはないだろうが、なにか仕掛けられた可能性は捨てられねぇなぁ』
     単純に考えればソリになにか細工を施すのが定石だが、ここで重要なのが整備をしているのがビリー・カタギリということだ。グラハムの親友である以前に、彼はこの組織で力ある者の甥なのである。そんな彼に責任が及ぶようなことをしでかす者はまず居ない、とサーシェスは踏んでいる。
     次に考えられるのは、積み込んだ物に手を加えられる可能性だ。たったひとつでも届けられなかったり、違う物であったりしただけで、それは任務失敗を意味する。
     プレゼントの積み込み作業は基本的にサンタが行い、これならばグラハムひとりが責任を負うこととなる。
     わざわざ餌食になることもない、とサーシェスは実力行使でグラハムを止めたが、彼の行動パターンが読まれていることには苦笑を禁じ得ない。
    「……気に食わねぇな」
    「なにがだね?」
     知らず漏れ出た低い呟きにグラハムが問い返せば、サーシェスはあからさまに眉を寄せ、ご丁寧に、ちっ、と舌打ちまでしてみせた。
     正直、グラハムがどうなろうとサーシェスの知ったことではないのだが、それに巻き込まれて依頼を完遂出来ないやもしれぬ、というこの状況がなにを置いても腹立たしいことこの上ないのだ。
     だが、それを言えば無駄に熱いこの男のことだ。直ぐにでも格納庫に取って返し、姑息な輩は許さんと正面からやり合うことも辞さないであろう。それで憂いを絶てるというのならばサーシェスも笑顔で送り出すが、そう簡単には行かないのが世の常だ。
    「いい加減、てめぇの足で歩けってんだよ」
     心中の苦い思いはおくびにも出さず、どこまで運ばせる気だ、と言葉と同時に乱暴に腕を放せば、グラハムはさすがに転びはしなかったが二歩、三歩と踏鞴を踏んだ。
    「勝手に抱えておいてなんたる言い草であるか」
     裾を引き服の乱れを整えつつグラハムが不満たっぷりに言い放つも、サーシェスはそれを右から左へ受け流し、がしがし、と後ろ頭を掻き乱す。
    「人のことよりアンタ自身が休んだ方がいいんじゃねぇの? 注意力散漫になってんだろ」
     気に食わないことのもう一つの理由がこれである。普段のグラハムならば、格納庫の侵入者に気づかぬとは到底思えない。
    「おや、心配してくれるのかね?」
     心底、意外だ、と言わんばかりにただでさえも大きめな目を更に大きくするグラハムに、サーシェスはこちらも心底、げんなり、と言った体で「ちげぇよ」と洩らした。
    「アンタ自身はどうでもいいんだよ。当日、ぶっ倒れられたら迷惑だって言ってんだ。俺の足引っ張るんじゃねぇぞ」
    「仕事に対しては真面目なのだな」
    「フリーランスは腕と名前売ってナンボなんだよ」
     でなきゃ、おまんまの食い上げだ、と口端を吊り上げるサーシェスに「キミのプロ意識に期待しよう」とグラハムの口端にも不敵な笑みが滲む。
    「では、キミの忠告通り今日は休むとしよう」
     仕方がない、とわざと大仰に肩を竦めて見せ、グラハムはサーシェスを促し自室へと戻ったのだった。


     毎日、ヘトヘト、になるまで身体を酷使するせいでベッドに入れば三秒で撃沈であったが、ソリの最終調整が済んだことで僅かだがサーシェスにも余裕ができた。
     柔らかな寝床で、ウトウト、と微睡みつつ、念のためポニテ眼鏡にソリの点検させるか、と考え、何気なく瞼を持ち上げると隣で既に寝息を立てている男の背中を見やる。
     あまり寝返りを打たず、起きているときとはエライ違いだ、とその静かな寝姿に気づいたのはつい最近だ。
     のそり、と起き上がると相手の顔を覗き込むように首を伸ばし、薄く開いた唇が緩く息を吐く様を眺め、誘われるように、すい、と輪郭を指の背でなぞる。う、とも、む、ともつかぬ不明瞭な呻きを洩らしたグラハムが、触れた手を厭うように、ごろり、と寝返りを打った。
     額に掛かった前髪を一房、くるり、と指に巻き、サーシェスは、まじまじ、とこちらを向いた相手の寝顔を観察する。
    「ホント、顔だけはいいよなぁ」
     ちょっと味見、といやらしい笑みを浮かべ、ふにふに、と親指の腹でグラハムの下唇を弄び、布団の中に忍ばせた反対の手で薄い尻を柔く揉むように掌を滑らせる。
    「……う、ん……」
     触れられているのが不快であるのか僅かに眉根を寄せたグラハムにはお構いなしに、サーシェスは一旦、相手の下唇を柔く食んでから、ぴたり、と隙間なく唇を合わせた。
    「ふっ、う……」
     息苦しさからか鼻にかかった声を漏らすグラハムを細めた瞳で見据え、薄く開いた唇のその奥に隠れている舌を強引に絡め取る。
    「ん……」
     ぼんやり、と揺れる新緑の瞳が瞼の下から現れ、サーシェスは舌を擦り合わせたまま、にたり、と口角を上げ、緩慢な動作で唇を離した。
     未だ半分夢の世界の住人であるのか、グラハムは焦点の定まらない瞳のまま、ぽそり、と言葉を洩らす。
    「……まずい」
     ただそれだけを口にすると、ごし、と口元を手の甲で拭い、呆気ないほどに、すとん、と瞼を下ろしてしまった。
    「言うに事欠いてそれかよ、おい」
     確かに普段から煙草をふかしているサーシェスにはそれが染みつき、馴染みのないグラハムには不快であろうが、まさかその一言で済ませられるとは思ってもおらず、見事なまでに気勢を削がれたサーシェスは疲れ切った溜め息を漏らし、ぼすり、と枕に頭を投げ出した。
     翌日、起床したグラハムはいつもと変わらず、幸か不幸か昨夜のことは微塵も覚えていないと見受けられ、サーシェスは喜ぶべきか落胆するべきか、非常に微妙な気持ちになったのだった。

       ◇   ◇   ◇

     満天の星空の元、白い息を吐きグラハムは「では行こうではないか!」と高らかに告げた。それを受け、四つ足の獣の姿になったサーシェスが力強く宙を蹴る。シャンシャン、と軽やかな鈴の音を響かせソリは滑るように天を進んでいく。
     出発前にソリの点検をしたが不審な点はなかった。だが、サーシェスの本能はなにかが起こると告げている。それはグラハムも感じているようで、精悍なその面はまるで戦いに赴くかのようだ。
     起動したナビが半透明の地図を表示させ、最短ルートを光の帯で示す。その画面に、チッ、と一瞬ノイズが走り、グラハムは僅かに眉を寄せる。
    「各自、常に通信可能な状態にしておけ。なにかあれば迷うことなく待機しているカタギリに連絡をいれるように。彼にはビーコンで全員の位置がわかっているから、近場の者を応援に寄越してくれる手筈になっている。以上、健闘を祈る!」
     インカムに添えていた手を離し、ふー、と息を吐くやグラハムは表情を引き締め、眼下に広がる街の明かりを鋭い眼差しで見据えた。
     時刻は日付変更線を越えたばかりだが、世界が闇に包まれる気配はない。街の者全てが朝まで眠りに着くなど最早あり得ないのだと、人間の文明の進歩をグラハムは素直に喜ぶことが出来ない。
     練りに練ったルートのおかげか、はたまたソリの性能をギリギリまで引き上げたおかげか、数件の配達を終えた時点で、このペースならば日が昇る前に任務は遂行できる、とグラハムもサーシェスも確信した。ただし、なにも問題が起こらなければの話だが。
    「昼間のようにとはいかねぇが、こんだけ明かりがありゃ迷うこともねぇな」
     元から夜目は利くが明るいに越したことはない、とサーシェスは鼻歌交じりに空を駆ける。それに敢えて言葉を返さず、グラハムはナビが地図上に示す現在地点と街を交互に見やった。
    「カタギリ」
    『おや、どうしたんだい?』
     片手で手綱を軽く引き、サーシェスに速度を緩めるよう指示しつつ、グラハムはインカム越しのビリーに見えないことを幸いに僅かに眉を寄せる。
    「我々の現在地点を至急教えてほしい。『どうした』はナシだ」
     一言二言のやり取りをする時間すら惜しいと言外に告げるグラハムの思惑を酌み取ったか、ビリーは『ちょっと待って』と言い置き、二呼吸後にビーコンの位置を口にした。
    「わかった。少々、ナビがイカれたようなのでな、また位置確認をするかもしれないが、その時は頼む」
    『了解。なにかあったらすぐに知らせてよね』
     今ここで問い質すのは時間の無駄であると割り切ったか、ビリーはそのまま素直に通信を切る。無駄なことは一切しない相手に感謝しつつ、グラハムはサーシェスに進路修正を告げる。
    「早速、問題発生ってか。ホント、期待を裏切らねぇなぁ」
     はっはー、とどこかこの状況を楽しんでいるかのようなサーシェスの言葉に、大方の予想は付いていたからかグラハムは声を荒げることなく、むしろ同調するように声を上げて笑い出した。
    「いや、全くだ。ここまであからさまにやられては、最早、笑うしかあるまい」
    「で? 具体的にはナニされたワケよ?」
     轟々、と耳を掠める大気のうねりに負けることなく届くサーシェスの言葉に、グラハムも負けじと声を張る。
    「データを改竄されたようだ。最初の数件は元のデータ通りだが、恐らく徐々に現在地点と表示される地図がズレて表示されるようになっている。セキュリティなどないようなものだが、それでもカタギリのデータを書き換えたのだからな、その点だけは褒めてやってもよかろう」
     ナビをオフにし、懐からこれまでに何度も見てきた地図とリストを取り出す。
    「よし、位置修正はできた。正しい現在地点さえ判明すればなんら問題はない」
     自信満々にそう言い放ち、それが虚勢でもホラでもないことを示すように、グラハムは迷うことなく次々と目的の家へと降り立ち任務をこなしていく。
    「伊達に地図とリストを毎日見てたワケじゃねぇなぁ」
    「そう言うキミも頭に入っているのだろう?」
     飛び方に迷いがない、と指摘され、サーシェスは鼻で笑う。
    「おうよ。なんといってもプロだからな」
    「今回はキミと組めた僥倖に感謝せねばならんな」
     他の者ではこうはいかなかった、と素直に告げるグラハムに「その代わり、貰うモンはキッチリ貰うぜ」と返し、サーシェスは更に速度を上げた。


     CBの待機メンバーにプレゼントの積み込みを手伝ってもらい、即座に駆け出したサーシェスの背にグラハムの笑い声がぶつかる。
    「なに笑ってんだ」
    「いや、なに。我ながら無茶なことをしているなと思ったら、笑いが込み上げてきたのだよ。一分一秒を争うなど、まるでF1のピットインのようではないか」
    「アンタほんと並の神経じゃねぇよなぁ。まぁ、それに付き合ってる俺も大概だがよ」
     先ほどのピットインが最終であったからか、グラハムにも余裕が出来たのだろう。多少とはいえ減っていた彼の口数が戻りつつあり、サーシェスは内心で肩を竦める。
    「さて、これが無事に済んだらいらぬ苦労をさせてくれた奴らに、きっちり、礼をしないとな」
     トナカイの姿でありながらサーシェスから滲み出る獰猛さに、グラハムは僅かに眉根を寄せ「前から聞こうと思っていたのだが」と口を開いた。
    「キミはどうもトナカイにしては血の気が多すぎるのではないか?」
    「あ? あー、そりゃアレだ。ナリはトナカイだが、半分は狼だからな」
     この世界には人、獣人、獣が存在しており、人と獣が交わることはないが、どちらにも属する獣人の異種族間婚姻は珍しいことではない。だが、純粋種を重要視する傾向があることを否めないのも事実だ。
    「だから、鼻もよく利くぜ」
     あの日、格納庫にいた者の臭いは覚えている、と口には出さず喉奥で嗤うに留めたサーシェスの背に緩く息を吐き、グラハムは一瞬、瞼を伏せた。
    「半端者同士か。ある意味、我々は似ているのかもしれないな」
     彼の呟きを拾った良すぎる耳に舌打ちを一つ洩らし、サーシェスは聞こえなかったフリを貫き、よせやぃ、と胸中でごちる。
    「もう一息で任務完了だ。ちゃっちゃと終わらせようぜ、隊長さんよぉ」
     この先はやたらと件数が密集している地域だな、と脳裏に地図とリストを思い描いたサーシェスの背後で、すっく、とグラハムが立ち上がる。
    「そうだな。では私は一足先に行くとする」
     そう言うが早いか、とっ、と軽やかに足場を蹴り、グラハムは眼下に広がる街に向かってその身を躍らせた。
    「なっ!?」
     目的の建物が視認できる位置まで確かに来ていた。だが、まさかそのような暴挙に出るとは思わず、サーシェスは不覚にも焦った声を上げてしまい、そんな自分に一つ舌を打ちつつ闇夜に舞う赤い服の背を追う。
     風にたなびく帽子の下では、金色の髪が柔らかな光を放ちながら降下していく。天を駆けるのはトナカイのみに与えられた能力だが、それはあくまで獣の姿においてのみ有効な能力だ。数度、宙を蹴り方向を調整する様に「規格外だろ」とサーシェスは呆れ顔だ。
     赤い姿が屋根に吸い込まれるように消えたのを確認し、サーシェスはその建物の上空で一旦留まるも、なにを思ったか更に高度を下げ等間隔に配置された窓と並行して飛び、中の様子を窺う。
     するり、と壁抜けをするグラハムの姿を見つけ、これといった理由はないままに彼の行動を見続ける。
     小さなベッド脇に吊された靴下に眦を下げ、担いだ袋から包みを一つ取り出すと眠っている子供の枕元に静かに置き、僅かに身を屈めると額に小さくキスをした。
     胸の前で十字を切りその唇が紡いだ言葉に、サーシェスは隠すことなく顔を歪める。
    「虫唾が走るぜ」
     祝福などクソ食らえだ、と吐き捨てるや即座にソリを上昇させ眼下を一瞥する。隣の屋根にそびえ立つ十字架に再度顔を歪め、ここが教会付属の孤児院であることに気づく。
     施設を転々としたと言っていたグラハムは、ひょっとしてここに居たことがあるのではないか、とサーシェスは、ふと、そう思ったのだった。
     何食わぬ顔でソリに戻ってきたグラハムに何を問うこともなく、サーシェスは任務を遂行すべく空を駆ける。間にいくつか挟んだが、次に訪れた件数の多い建物も予想通り孤児院で、先と同様、子供達一人一人の前で祈りを捧げるグラハムの姿が容易に想像でき、サーシェスは不快感も露わに鼻を鳴らした。
    「こんなことするために急いでたのかよ」
     彼の自己満足に付き合わされたと知れば、不満が口を突いても仕方がないというものだ。ひーふー、と残りの件数を脳内で指折り数え、これで時間ギリギリであれば文句の一つも言ってやれるのだが、それでも余裕でこなせる数であるのだから質が悪い。
     音もなく駆け上ってくるサンタに眇めた目を向け、彼がソリに腰を下ろしたと同時に思い切り宙を蹴った。
    「おっと。そんなに急がなくとも時間はまだあるではないか」
     僅かにバランスを崩すもそれすら笑い飛ばし、涼やかな声を向けてくるグラハムにサーシェスは苛立ちと不満を混ぜた溜め息を吐く。
    「アンタが無駄なことしなきゃ、もっと早く済むんだよ」
     くそったれ、と吐き捨てたサーシェスにグラハムは一瞬、目を見開くも、そうか、と呟き緩く息を吐きながら瞼を伏せた後、すっ、と真摯な面持ちでパートナーの背を見据えた。
    「付き合わせてすまないと思っている。だが、パートナーがキミだからこそ、可能なのだと言わせてもらおう。キミでなければ私のこの、ささやかな願いを叶えることは出来なかった」
     真っ直ぐな声音に応えることなく、サーシェスはただ黙々と前へ進む。
    「自己満足であることは熟知している。それでも私は彼らのために祈ることしか出来ないのだ」
     かつての自分がスレーチャーによって救われたように、彼らにも救いの手が差し伸べられ、祝福されるように、と。
    「自己満足だってわかってんなら、いい。だが、ついでに言わせてもらうが、祈ったって神なんか居ねぇ」
    「かも、しれんな」
     斬り捨てるような言葉にグラハムは苦しげに顔を歪めるも、その言葉を否定することはなく、肯定することもなかった。
    「付き合わせてしまった詫びだ。帰ったら好きにするといい」
    「は?」
     突然の提案の意味が掴めず、サーシェスは間の抜けた声と共に背後に首を巡らせる。
    「好きに、ってなんだよ」
     どうせ酒をたらふく飲んだり女とイイコトするのを咎めないとかそんなところだろう、と思っていたサーシェスだが、次のグラハムの言葉で盛大に噴出することとなる。
    「この間の続きをしていいと言っている。だが、キスは御免被る」
     私は煙草が好きではない、と付け加え、ふんぞり返るように胸の前で腕を組むグラハムに、サーシェスは「なんだこの敗北感」と目頭が熱くなるのを抑えることが出来なかった。
    「アンタほんと、どんな神経してんだよ」
    「その言葉そっくり返させてもらおう。私に欲情するなど、理解に苦しむ」
    「それ以上なにも言うな。なんか自分が惨めに思えてくるだろうが」
     さすがに涙を流すまでは行かないが、余りにもあっさりと言い放たれ返す言葉もないとはこのことだ。
    「求められるということ自体、理解できないのだがな」
     ぽつり、と洩らされた言葉は返答を期待した物ではなく、恐らくグラハムの偽らざる本音だ。実の親に捨てられ、その後、何度も他人の手に委ねられては捨てられた過去を持つ彼は、自分は常にいらない者であり他人に必要とされるという選択肢を、どこかに置き去りにしてきてしまったのだろう。
     周りの者が求めているのは『グラハム・エーカー個人』ではなく、『グラハム・エーカーが出す結果』であるのだ、と。
    「だが、期待にはお応えしよう」
     一点の曇りもない瞳が遙か遠くを見通すかのように力強く輝き、サーシェスは「こいつぁいい具合にイカれてるねぇ」と喉奥で低く嗤った。


     一際高いビルの屋上に降り立ちサーシェスは明けの明星を見上げ、ふるり、と首を振った。
    「終わったな」
     人型となりグラハムの隣へ、どっか、と腰を下ろせば、入れ替わりにグラハムが立ち上がり、おもむろにサンタ帽を、ぽい、と放ってきた。
    「おっと」
     それを危なげなくキャッチしたサーシェスだが、間髪入れずに放られた上着は掴むことが出来ず、ばさり、と頭で受け止める羽目と相成った。
    「アンタなにして……」
     頭から乱暴に上着を毟り取り声を上げれば、グラハムはブーツを脱ぎ捨てながら輝かんばかりの笑顔を浮かべてみせる。
    「久し振りに自分で飛びたくなった」
    「は?」
     着々と脱衣するグラハムを呆然と見つめ、サーシェスは次々と放られる衣服を片っ端から受け止め、呆れたように口端だけで笑う。
    「ま、ラクできるから止める理由はねぇか」
     サーシェスは袖を通すことなく素肌に上着だけを羽織り、姿を変えたグラハムに手綱をつける。
    「まったく、なんのためにサンタになったんだか」
     莫迦か、とからかうようにグラハムの尻を叩き、サーシェスはソリに腰掛けると「じゃ、ひとつ安全運転で頼むぜ」と戯けたように手綱を緩く引いた。それに大真面目に「心得た」と応えるや否や、グラハムは一足で空へと駆け上がる。
     仄かに金色に輝く体毛は、地上から見れば光の帯を引いたさぞや美しいものであろう。
    「飛ばしすぎてヘバっても容赦しねぇからな」
     覚悟しとけよ、とサーシェスが声を張れば、問題ない、と言わんばかりにグラハムは踊るような足取りで一段と速度を上げ、明け始めた空に光の粒を撒き散らしたのだった。


     獣の姿でありながら傍目からもわかるほどに上機嫌で帰投したグラハムを出迎えたのは、心配そうに眉尻を下げたビリーだけではなく、その隣に立つ姿を目にした途端、グラハムは瞬時に人型へと変じると裸足のままコンクリートの上を駆け出した。
    「スレーチャー隊長! 一体どうされたんですか!?」
    「先に服着ろ、服」
     恥じらいの欠片もなく全裸で目の前に立ったグラハムに苦笑しつつ、スレーチャーは自分の上着をその肩に掛けてやる。
    「相変わらず好き勝手やってやがるな。だが、程々にしておけよ」
     問いには答えず、ぽん、と肩を軽く叩いただけで、くるり、と背を向けたスレーチャーを呼び止めようとグラハムは口を開きかけるも、名残惜しそうに僅かに手を伸ばしただけで、結局、その唇から恩人の名が紡がれることはなかった。
    「カタギリ」
     代わりのように親友の名を呼び説明を求めれば、ビリーは簡易キッチンへ二人を促しながら口を開く。
    「そんな素振りはなかったけど、やっぱりキミが心配だったみたいだよ。チームの再編成は本当に急な話だったしね。あ、叔父さんが言ってたけど、本部に抗議もしてたそうだよ。まぁ、結果は芳しくなかったけどね」
    「そうか」
     僅かに瞼を伏せ、柔らかな微笑を口元に滲ませたグラハムに「大事にされてるねぇ」とビリーも微笑を浮かべる。
     はいどうぞ、と差し出されたカップをグラハムは礼と共に笑顔で受け取り、サーシェスはあからさまに顔を歪めて見せた。そんな彼に「大丈夫だよ」とビリーは笑い自分のカップに口を付け、一息入れてから表情を引き締める。
    「さて、なにがあったのか説明してくれないかい?」
     勝手に引っ張り出した毛布にくるまっているサーシェスに目を向けるも、彼は軽く肩を竦めるだけで口を開かず、グラハムに至っては「まぁ、待ちたまえ」と悠長にカップの中身を啜っている始末だ。
     何事もなく無事に任務完了したとはいえ、彼らが戻るのを待っている間の時間の進みの遅さを思うと、ビリーはなにか一言言ってやらなければという気にもなる。だが、その気持ちを、ぐっ、と飲み下し殊勝な面持ちでグラハムを見据える。
    「ナビの不調だっていうなら、ソリの整備をしていた僕に責任がある」
    「あぁ、キミのせいではない。外部からの干渉があったのだよ」
     ただし証拠はないがね、と戯けたように肩を竦めるグラハムにビリーは目を剥き、「それって妨害工作じゃないか!」と声を荒げた。
    「すぐに本部に掛け合って……」
    「落ち着きたまえ。言っただろう? 証拠はない、と。それに我々が抗議したところで結果は見えている」
    「だけど」
     更に言い募るビリーを片手で制し、グラハムは、すい、と横に視線を流す。
    「我々ではダメだが、彼ならどうかな?」
    「あ?」
     カップに口を付けようと言うところで不意に話を振られ、サーシェスは怪訝と不機嫌を混ぜた声を上げグラハムを見やる。
    「今はユニオンに雇われているが、契約が切れた後に彼が誰にナニを言おうとも、我々はその口を塞ぐ権利はないのだよ」
    「ユニオンはフリーランスを雇ってから成果を上げられないように妨害をするひでぇトコロだ、って愚痴の一つも零せば、フリーの連中にはあっという間に広がるわなぁ」
     横の繋がり舐めんなよ、と薄く笑い、グラハムの意図を察したかサーシェスは片頬を上げた皮肉たっぷりの笑みを浮かべ、更にその先を言い当てる。
    「『ビジネスの話』は大好きだぜ。お偉いさんは体面を気にする生き物だしなぁ」
    「やり方はキミに任せる」
     話が早くて結構、と頷くグラハムをビリーは止めるべきか否か悩み、結局、深く息を一つ吐くに留め「程々にね」と軽く窘めることを選択したのだった。


     自室へと戻ったグラハムは「報告書作成があるから」とサーシェスに先に入浴をするよう促し、リビングでノートパソコンと格闘していたグラハムにサーシェスが「上がったぜ」と声を掛けたのが一時間半前。
     声を掛けた後すぐにグラハムは浴室へと姿を消したのだが、随分と長風呂だな、とサーシェスはベッドに横になったまま壁の時計を見上げる。
    「まさか寝てんじゃねぇだろうな」
     疲れた素振りは見せなかったが最後の戯れを思い返し、苦々しく舌打ちをしたその時、静かに寝室の扉が開かれた。
    「遅かったなぁ。てっきり浴槽に沈んでるのかと思ったぜ」
     軽くからかいの言葉を投げれば、グラハムは「そんなワケなかろう」と大真面目に返しサーシェスを見下ろしつつ隣で胡座をかく。ごろり、と横向きになり頬杖を着くように頭を支え、サーシェスは反対の手でバスローブから覗く膝頭を撫でつつ薄く嗤う。
    「なんで今日はバスローブ一枚なワケ? いつもはきっちりパジャマじゃねぇの」
    「わかっていて問うとは人が悪いな」
     約束は守る、と淡々と告げるグラハムを、つい、と上目に見やり、サーシェスはゆっくりと身を起こした。
    「そういう律儀なところは嫌いじゃないぜ」
     頤に手を掛け、ぐっ、と顔を寄せればグラハムは即座に腕を上げ、遮るようにサーシェスの口を掌で塞ぐ。
    「キスはなしだと言った」
     どこのソープ嬢だよ、と胸中で悪態を吐きつつ、サーシェスは了解という代わりにグラハムの頬を一撫でし、そのまま、すっ、とローブの袷に指をかけた。
    「自分で脱ぐか?」
    「それがお好みとあれば」
     グラハムの手が外されると同時に、にたり、とわざといやらしい笑みと共に問えば、それも戯れであるとわかっているのかグラハムも、ゆうるり、と唇に弧を描きつつ応える。
    「どっちかってぇと、着たままの方が好みだな」
     本気か冗談か耳元で囁き、僅かに首を竦めたグラハムの背に腕を回し、その身を引き寄せるように強く引いた。抗うことなく膝を着き、サーシェスの肩口に顔を埋めたグラハムの腰を、ゆるり、と撫ぜてからローブの下に掌を這わせる。
     薄い尻を軽く撫で上げその感触を楽しんでから、更に奥へと指を忍ばせる。割れ目を這いずる指にグラハムの肩が緊張したように微かに震えるも、サーシェスは気にも留めず奥で息づく窄まりに中指の腹を押し当てた。
     途端、サーシェスの口端が吊り上がり、愉快そうに喉を鳴らす。
    「へぇ、ちゃんと腹ン中、キレイにしてきたのか」
     固く閉ざされていると思ったそこは柔らかく解れており、くっ、と軽く押してやれば吸い付くようにひくついた。長風呂の理由はこれか、と彼が風呂でなにをしてきたのかを考えただけで、サーシェスは楽しくてたまらないのだ。
    「いい心がけだ」
     無言でサーシェスのシャツをきつく握り締めるグラハムのローブをずらし、露わになった肩口に軽く歯を立てる。
     ふと、格納庫での一幕が脳裏を過ぎり、あのおっさんにバレたら殺されるんじゃねぇの? と思いはしたが、サーシェスは即座にその考えを掻き消し、まだ僅かに湿っている蜂蜜色の髪に指を梳き入れた。


     すん、と小さく鼻を鳴らしたグラハムに気づき、サーシェスは煙草を燻らせたまま「起きたか?」となおざりに声を掛ける。それに気を悪くしたわけではないであろうが、グラハムは再度、鼻を鳴らし細く息を吐いた。
    「……ここで煙草を吸うなと、前にも言ったと思うのだが?」
    「かてぇこと言うなよ」
     一服させろっての、と汗で湿った髪を気怠げに掻き上げつつ身を乗り出すと、サイドテーブルに置かれていた携帯灰皿を掴み、半分も減っていない煙草を、ぽい、と落とし込む。
     それを見ることなくグラハムは指先一つ動かすのも億劫であるのか、腕を投げ出したまま声にならない呻きを喉奥で発している。大の字とまではいかないが、かろうじて下腹部を上掛けで覆っただけの余りにも情緒のない格好に、サーシェスの唇が苦笑で歪んだ。
    「まだナニか入ってる気がしてならん」
     続けて洩らされたぼやきに内心で噴出しつつ、サーシェスは天井を仰いだままのグラハムに顔を寄せ、「でもヨかっただろ?」と欲を含んだ声音で耳朶に吹き込むように囁けば、顔だけを巡らせたグラハムに、ギッ、と睨まれた。
    「そんなことは頼んでいない!」
    「なんだよ。一応、雇い主様だから気を遣ったってのによ」
    「そのような気遣い、迷惑千万だ!」
     照れ隠しにしてはずいぶんと激しい拒絶だな、と口には出さないがサーシェスは片眉を上げ、それでも相手の反応が愉快であるのか更に煽るようなことを吐き出す。
    「まぁ、いやだいやだ、と言いながら何度も腹にブチまける姿は、なかなかのモンだったがな」
     にやにや、とあからさまにいやらしい笑みを浮かべ揶揄するサーシェスに言葉も出ないか、グラハムは一瞬目を見開き唇を震わせるも、ふい、と顔を逸らし「なんと悪趣味な」と零すだけだ。もっと噛みついてくるかと思っていただけにこれは肩透かしであったか、サーシェスは眇めた目でグラハムを見下ろし、耳にかかっている蜂蜜色の髪を一房、くるり、と指に巻く。
    「反応薄いな」
     ツマンネーの、と隠すことなく吐き出せば、グラハムは困ったように眉を寄せ、ゆるり、とサーシェスの手を払った。
    「私のことはいいのだよ」
     感情の乗っていないその言葉にサーシェスは合点がいったか、あー、と低く洩らし、払われたその手でグラハムの頬を指の背で、ゆっくり、となぞる。グラハムは献身的というわけではなく、自身を道具と同等にしか思っていないだけなのだ。それならそれで楽しみ方はある、とサーシェスは、ゆうるり、と口端を持ち上げる。
     自尊心の高い者が相手ならば人間らしい扱いなどせず、一方的に貶め辱めた果てに屈服させるのだが、自らを放棄している者は真綿で包み込むように優しく優しく扱い、羞恥と戸惑いに揺れる様を堪能し、緩やかに懐柔するのも一興だ。
    「ホント、いいイカレ具合だ」
     くつくつ、と喉を鳴らすサーシェスに怪訝な顔を向け、僅かに身動いだグラハムの動きが不自然に止まる。ひゅっ、と息を飲んだその様子から察しがついたか、サーシェスは戯けたように、ちゅっ、とわざと音を立てて相手の頬にキスをし、引き締まった白い腹を無遠慮に撫で回したかと思いきや、おもむろに、くっ、と力を込めて掌全体で押した。
    「な……ッ!」
     ぶるっ、と身体を震わせたグラハムを細めた目で見やり、サーシェスは尚も、くっ、と腹を押す。
    「やめ、ないか……ッ、アリー・アル・サーシェスッ!」
    「どうしたよ、そんなに慌てて」
     わかっていて嘯く相手を、ぎっ、と睨み据え、グラハムは力の入らない腕で上体を支え起こそうとするも、タイミング良くまたもや腹を押され呆気なくベッドに沈み込む。目元を染め下唇を噛み締める相手に、サーシェスは宥めるような穏やかな声で「たらふく喰らった感想はどうよ?」と耳元で囁いた。
    「ほん、とうに悪趣味な、男だな」
     腹を撫でていた手が上掛けの奥に伸ばされ、グラハムは喉を詰まらせながらも悪態は忘れない。だが、どろり、と垂れ出た欲の証を指で掬われ体内に押し戻された瞬間、産毛が逆立った。
     ぐちゃり、と音を立てそこは抵抗なくサーシェスの指を飲み込み、擦られ過ぎて痺れてはいたがそれでもまだ快感を拾うことはできるのだと、一気に跳ね上がったグラハムの体温が告げていた。
     柔らかな内壁を、ぐるり、と撫で、絡むモノを掻き集めるように指を曲げられ、グラハムの喉奥から引き攣れた声が漏れ出る。
    「も、やめ……」
     ふるり、と力なく振られた頭を軽く押さえ、サーシェスは薄く開かれた唇を、ねろり、と舐め上げた。
    「責任持って後始末してやろうってんだ。遠慮すんなよ」
     鼻先で喉を鳴らすサーシェスの口元をなんとか持ち上げた掌で覆い、ぐっ、と押し戻すと、グラハムはきつく眉根を寄せた険しい表情で「断固辞退する」と言い切ったのだった。


     丸一日ベッドの住人と化したグラハムだが、それでもなんとか他のメンバーが提出してきた報告書にもキチンと目を通した後、本部への送信を完了させ一息ついた。どうせならこのまま一週間ほどまとめて休みを取ろうかとも考えたが、すぐさま思い直す。
     今回は辛くも乗り切ったが次回に向けてチームの人員補充を、早急に申し立てなければならないのだ。
     上を動かすのは容易なことではないが、こちらには切り札がある。グラハムはベッドに持ち込んでいたノートパソコンを睨みつつ、飽きもせず隣で金糸をいじくっている男の名を呼んだ。
    「アリー・アル・サーシェス」
    「あ?」
    「『ビジネスの話』をしてきて欲しいのだが」
     つい、と顔を巡らせ鶸色の瞳を真っ直ぐに捉えれば、あからさまに面倒くさそうな眼差しを返され、グラハムは軽く片眉を上げる。
    「この件が片付かなければ、おちおち休暇も取っていられないのだよ」
    「ま、確かに早いに越したことはねぇが……」
     不意に言葉を切ったサーシェスに首を傾げれば、くい、と顎を掬われ下唇を舐られた。
    「アンタを堪能する方が先だな」
     その代わりやるこたぁやるから安心しな、と不遜に嗤うサーシェスにグラハムは顔を顰め、「煙草は好きではない」と場違いなことを呟いた。
     しつこく触れてくるサーシェスを咎めるのも面倒になったか、なにが楽しいのか金の髪を指先で弄ぶ相手はそのままに、グラハムはベッドに俯せたまま、ぺちり、とパソコンのキーを一叩きする。
    「振込口座を教えてくれたまえ」
    「あ?」
     調子に乗って耳に伸ばしかけた指の動きを止め、サーシェスは怪訝な声を上げる。その反応にグラハムは呆れたように、ちらり、と横目で相手を見やり、「約束の特別ボーナスだ。いらないのかね?」と緩やかに首を傾げた。
     そういえば勘違いさせたままだったな、と思い至るも本来の要求は棚ぼた的に叶えられたこともあり、サーシェスは思案するように口をむっつりと閉ざす。
     貰えるものは貰っておくかとも思うが、大して稼ぎがいいとも思えない相手から毟り取るのは、僅かに残った良心が痛むというものだ。
    「どうかしたかね?」
    「あー、いや、安月給のアンタから……って、オイ! なんだその残高!?」
     何気なく覗き込んだモニタに表示されているグラハムの口座内容に、思わず声を上げてしまったサーシェスを新緑の瞳が不思議そうに見上げる。
    「なんだ、と言われても、私の労働の結果だとしか言いようがないのだが」
    「アンタ手取りでいくら貰ってんだよ」
     確かに真面目な性格からして多少の蓄えはあると踏んでいたが、それにしたって多すぎやしないか、と予想外の額面にサーシェスはモニタを、むむ、と睨む。
    「給与以外にも賞与があるのだよ」
    「いや、ボーナス差し引いたって、こりゃ……」
    「優秀なチームと個人に特別賞与も出るからな。なんら不思議なことではない」
     さらり、と告げられた内容にサーシェスはなにか引っかかりを覚えたか、ん? と片眉を上げ、つい、とグラハムに視線を流す。
    「ひょっとしてアンタ、ここ数年ずっと特別賞与貰ってたりする?」
    「チームでも個人でも貰っているが、それがどうかしたか?」
     やっかまれる要因がまたひとつ見え、サーシェスは内心で溜め息をつく。そして、突然のチーム再編成もこれに絡んでのことであろうと予想がついた。
     簡単に言えば経費削減だ。グラハムの言うことを真に受けるのならば、先日カフェで会ったあのジョシュアという男も特別賞与を受け取るに値するのだろう。他の者は多少、劣っていたとしてもグラハムの采配で好成績を上げていたに違いない。
     突然の賞与カットとなれば全体の指揮が下がり、下手をすればその隙を突いて勢力図が塗り替えられてしまう可能性もある。AEUも人革連もシェア拡大を虎視眈々と狙っているのだ。
     手始めにチームへの賞与を削るためにチームを解体し、それによりグラハムの手腕によって成績を底上げされていた者へは今後、特別賞与を渡す必要がなくなる。まさしく一石二鳥だ。
    『フリーランスには賞与なんて関係ねぇもんなぁ』
     そして賞与とフリーランス雇用費を天秤に掛けた結果がこれだ。どれだけ優秀な働きをしようとも、外部の者は賞与対象外だ。契約時に提示した額以上を支払う必要がユニオンにはないのである。
    『となると、ちょいと面倒だな』
     このままではサーシェスがどう話を持って行こうとも、どれだけグラハムが熱弁を奮おうとも正規の人員補充は望み薄である。
    「アリー・アル・サーシェス」
     余所へ向いていた意識を引き寄せる力強い声音で名を呼ばれ、サーシェスは、はっ、と隣の男に顔を向ける。
    「振り込まなくて良いのかね?」
     今にもウィンドゥを閉じそうなグラハムに片頬を吊り上げた歪な笑みを見せつつ、腕を伸ばし手早くキーを叩いた。
    「イロ付けてくれたらたっぷりサービスしてやるよ」
     たん、と最後のキーを叩いた指でグラハムの顎を、すい、と撫で、サーシェスは冗談と淫猥さの入り交じった表情で己の下唇を舐める。
    「それは御免被ると言わせてもらおう」
     打ち込まれた金額に軽く口笛を吹くサーシェスなど意に介さず、グラハムは淡々と作業を終えるとパソコンを脇へ押しやり、ぼすり、と突っ伏した。
    「少し寝る。邪魔はしないでもらいたい」
     そう言うが早いか即座に瞼を下ろしたグラハムを見下ろし、サーシェスは軽く肩を竦めると瞼にかかった蜂蜜色の前髪を緩く払う。
    「なぁ、人員補充が通らなかったらどうすんだ」
    「そうだな、その時はまた……キミ達に頼むとしよう」
     既に眠りに落ちかかっているグラハムの少々不明瞭な言葉に、小さく、そうかよ、と答えたサーシェスの口元は、なにを考えているのか獰猛な笑みに彩られていたのだった。

       ◇   ◇   ◇

     ソリに腰掛けコーヒーを啜っているグラハムにドーナツの入った箱を差し出しつつ、ビリーは宥めるように「契約更新の許可は出たんだから、今回はそれでよしとしようよ」と穏やかに笑んで見せる。それを少々、不満顔で受け止めるもグラハムは諦めたように、ふー、と息を吐いた。
    「そうだな。何人か辞めてしまって他も調整しなければならないと言われたら、それ以上食い下がるわけにはいかんからな」
    「ほんと、急な話だったみたいだねぇ」
     なにがあったんだか、と首を傾げるビリーは気がつかなかったが、ソリの荷台に寝そべっていたサーシェスが僅かに目を泳がせた。三日前にいらぬ苦労をさせてくれた礼だと、少々可愛がってから交渉の材料に引っ張って行ったのだが、どうやらやりすぎてしまったようだ。
    「でも前とは違って今回はちゃんと準備期間があるから、ソレスタルビーイングのメンバーのソリもここで調整が出来るから僕も助かるよ」
     受け入れ態勢は万全だよ、と胸を張るビリーに「それは頼もしいな」とグラハムも笑う。
    「ところで……」
     グラハムの眉間のしわが消えたところでビリーは僅かに声のトーンを落とし、くい、と眼鏡のブリッジを中指で押し上げた。
    「なんでそんなにクッション持ち込んでるのかな?」
     ぎゅうぎゅう、と敷き詰め重ねられたクッションに埋もれていると言っても過言ではないグラハムにもっともな質問を投げかければ、カップを傾けながらグラハムは涼しい顔で「尻が痛いのだ」と、さらり、と言い放った。
     包み隠さぬその物言いに思わず噴出したサーシェスを、ビリーは眇めた目で見やる。
    「キミ、なにしたの」
    「あー、まー、ナニだ。うん」
     柄にもなくサーシェスの声が上擦ったのは、目の前の温厚そうな男の視線が一瞬にして氷点下まで急降下したからだ。縦にひょろ長いだけのこの技術屋など軽くあしらえると言いたいところだが、今は己の命運を握られていると言っていいだけに生きた心地がしないのだ。
    「グラハム。チーム賞与が入ったから、もっとチューンできるよ」
    「なんと! それは本当かカタギリ!?」
     無駄にいい笑顔でサーシェスにとっては死刑宣告に近いことを口にしたビリーに、グラハムは間髪入れずに食らいつく。
    「ちょっと待ておまえら! 殺す気か!?」
     たまらず跳ね起きたサーシェスを振り返ったグラハムは心底意外そうな顔をしており、いやな予感に駆られたサーシェスが相手の口を塞ぐよりも早く、形の良いその唇は、ざっくり、とトドメを刺してくれた。
    「毎晩あれだけ盛れるのだから、まだまだいけるであろう?」
     期待しているぞ、と見惚れるほどの柔らかな笑みを浮かべられ、即座に切り返せなかった時点でサーシェスの負けは確定であった。
    『ホント顔だけはいいんだこの野郎……ッ!』
     早速あれこれとビリーに注文を出しているグラハムの声を聞きつつ、サーシェスは、ギリ、と奥歯を鳴らしその場に突っ伏したのだった。

    ::::::::::

    2009.12.02~2010.02.16
    茶田智吉 Link Message Mute
    2019/12/24 5:00:25

    【00】サンタハムとトナカイアリー

    #グラハム・エーカー #アリー・アル・サーシェス #アリハム #腐向け ##OO
    グラハムがサンタ、サーシェスがトナカイのパラレル。
    (約3万5千字)

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