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    【BSR】苦くて渋くて甘いもの知らぬは主ばかりなり苦くて渋くて甘いもの知らぬは主ばかりなり ドタドタ、と廊下を疾走する子供の背を追いかけつつ、政宗は胸中で、なんて悪童だ、と悪態を吐く。歩幅的には政宗に利があるにも関わらず、一向に追いつけないのは子供の身体能力の高さを示しているようだ。
    「ちょっ、待てって! いい加減にしろよ小十郎ッッ!!」


     事の起こりは三日前。馴染みの行商人が「なかなかに良い物が手に入った」と政宗のみに、そっ、と告げてきたのだ。常に傍に控えている小十郎は襖を開け放った隣室で、持ち込まれた種や苗を真剣な表情で検分しており、こちらの会話には一切気づいていない。
     種類も多い上、小十郎には政宗に気兼ねすることなく選んで欲しいから、と進言され隣室に品物を並べることを許可したが、本命はこっちか、と政宗は目の前に置かれた両の掌に乗る程度の木箱を胡乱な目で見下ろす。
     これまでにも、小十郎に兎耳が着いたらCuteじゃね? といった政宗の寝言を受け、本当に兎耳が生える南蛮渡来の怪しげな香を持ってきた事がある男である。ただし、見た目は政宗の希望通りにはなったがその兎の種類が問題で、所謂『首刎ね兎』と称される危険極まりないVorpal Bunnyであった為、その身体に指一本触れることも叶わぬままに香の効力は切れてしまったのだが。
     この前みたいな一歩間違えば人生終了ってのは御免だぜ? と片眉を上げれば、大丈夫ですよ、と商人の鏡のような大変良い笑みを返された。日頃溜まった鬱憤を晴らすのに最適な物だとの説明に政宗は、ちら、と隣室の堅物を思わず見てしまった。
     そういえばコイツが息抜きしてるところなんざ見たことがない、と思ったときには既に政宗の心は決まっていた。畑仕事が小十郎の息抜きであると思われがちだが、戦は戦、政は政、畑は畑と、全てにおいて真剣に全力で取り組んでいることも知っている。
     全く持って隙のない男である。ならば無理矢理にでも外から隙を作ってやれば良いのだ。


     それがなんでこんなことに、と奥歯を、ギリギリ、鳴らし小さな背中を追いかける政宗を知ってか知らずか、走りながら子供が不意に振り向いた。なんだ? と思う間もなく、ひょい、と放られた物を反射的に受け止めれば、べしょり、と湿った嫌な音を立てそれは無惨にも潰れてしまった。
     甘い芳香と共に手指を伝い腕まで垂れる果肉に着物も汚れ、政宗は憚ることなく、Shit! と声に出す。
     厨に置いてあった柿を器ごと持ち出した相手を追いかけていたのだと、今更のように思い出し政宗の形相が更に鬼のそれに近くなった。熟し切った物を選んで投げて寄越すとはなんて質の悪い、と廊下が汚れることも一切気にせず果肉まみれの手を遠慮無く打ち振るい、ケタケタ、と笑い声を上げる子供を追いかけ続ける。
     鬱憤を晴らすには普段抑え込んでいるものを開放するのが一番である、との説明に、なるほどな、と納得し「具体的にはどういうものであるのか?」と問うも、結果を先に知ってしまったらつまらないでしょう、と政宗の気性をよく理解した応えが返され、軽く肩を竦めるしかなかったのだ。
     さていつ使うか、と考えていれば見計らったかのように成実に呼ばれ、これ幸いと前回同様、香であったそれを焚き、政宗は席を外したのだ。当然のことながら同じ部屋で政務に精を出していた小十郎には怪訝な顔をされたが、「気分転換にゃいいだろ」と尤もらしいことを口にし、返答を聞く前に障子を閉ざしたのだった。
     その後、四半刻もしないうちに部屋へと戻ってきた政宗を待っていたのは、見慣れた姿勢の良い背中ではなく、丈の合わない着物相手に、もたくた、と帯を締め直している子供であった。
     ぽかん、と呆気に取られている政宗を尻目に、子供は尻はしょりを済ませどうにか身動きが取れるようになったかと思えば、きょろり、と室内を見回しおもむろに隣の襖を、すたん、と開けるやそのまま何食わぬ顔で政宗の視界から消えたのだった。
     突然のことに思考が停止していた政宗だが、はっ、と我に返るや即座に畳を蹴り、頬の疵からして小十郎と思しき子供の後を追った。だが、それをどう勘違いしたか子供は鬼事だと思ったようで、笑い声を上げながら政宗の手を、するりするり、と擦り抜け、裸足のまま玉砂利の敷かれた中庭に飛び降り、けたたましく砂利を鳴らして逃げていく有様だ。
    「待てコラ! なんで逃げんだこの野郎!!」
     身のこなしにはそれなりに自信のあった政宗だが、伸ばす手をことごとく避けられ、ぐぎぎ、と焦りとも苛立ちともつかぬ歯痒さを味わう。
     誰かに見られでもしたら厄介だ、と一刻も早く捕獲したいのだが、背は低いが飛び越えるには難儀な生け垣を突っ切ったり、するする、とまるで猿のように松の木に登ったかと思えば、枝から枝へと飛び移り思わぬ方向へ移動する。
     そんなこんなで途中、一度見失ってしまったのだが、野性的な勘と言おうか右目センサーが反応したとでも言おうか、絶対こっちだ! と根拠のない自信のままに突き進めば大当たりで、柿の盛られた器を抱えた小十郎と、ばったり、鉢合わせたのだった。
     そして、再び追いかけっこが始まり、柿爆弾の攻撃を受けたというわけである。
     回想の最中も小十郎との差は縮まらず、むしろ引き離されているようで政宗は更に、ぐぎぎ、と歯噛みする。最近、内務ばかりで身体が鈍っていたことは素直に認めるにしても、推定年齢十~十三の子供ひとり捕まえられぬとはなんたることであるか。
     そう考えると昔の小十郎は凄かったと思わざるを得ないわけで。足を使っただけの逃走は易々と確保され、梵天丸がどれだけ策を弄し時宗丸の手を借り入念に逃走経路を確保したとしても、先回りをされたり策を逆手に取られ結局は彼を出し抜くことなど出来なかったのだ。
     一時期は読心術でも使えるのではないか、千里眼を持っているのではないかと本気で疑った物だが、「そのような便利な物を持っていたら、小十郎はここまで苦労はしませぬ」と渋面で返されたのだった。
    「Ah……もうほんとカンベンしろよ」
     ぜーはー、と乱れた息を整えるべく一旦足を止め、膝に手をついて僅かに前屈みになれば、前方の足音が、ぴたり、と止まった。あ? と顔だけを上げれば曲がり角の手前で子供は足を止めており、心なしか不安そうにこちらを見ている。
     やっと飽きたか、と政宗は安堵の息を吐き額の汗を拭いながら、ゆっくり、と一歩踏み出せば、子供は、じっ、と政宗の顔を見つめたまま廊下に、そっ、と器を下ろし、政宗がもう一歩踏み出したのと同時に、ぱっ、と身を翻すや曲がり角の向こうに姿を消したのだった。
    「あああああ! そんなこったろうと思ったよちくしょうめぃッ!!」
     まるで猫の子を相手にしていると、錯覚せんばかりである。再び駈け出した政宗であったが廊下には既に子供の姿はなく、最早お手上げであると、がっくり、項垂れる。
    「とりあえずこれだけでも戻しておくか」
     ついでに着替え、と肩を落としたまま置き去りにされた器を拾い上げ、とぼとぼ、と戻っていく背中を、廊下の下から這い出した子供が見つめていたが、政宗には知る由もなかった。


     また追いかけっこをする可能性もあると、白小袖に紺の馬乗り袴という簡素な出で立ちで臨戦態勢を整えた政宗は、さてどこから探すか、と思案しつつ廊下に出た。城内に不審者ありとの報告がないところをみると、小十郎は未だ誰の目にも触れていないようだ。
     あれだけ派手に走り回ったというのに誰も不審に思わなかったのか、と警備に問題ありと思うも、政宗を追いかけ小十郎が走り回ることがたまにあり、今回もそれだと思われたのかもしれない。
     喜ぶべきか嘆くべきか非常に微妙な面持ちのまま二、三歩進んだ政宗は、耳を掠めた微かな音色にその足を止めた。
    「笛?」
     ゆるり、と頭を巡らせ方向を探るも判然とせず、暫しその場に留まり耳を澄ます。遠いようで近く、政宗の目の届く範囲に奏者がいることは間違いない。
     もしや、と不意に閃くや足袋のまま庭へと飛び降り、屋根の上を見上げれば案の定。瓦の上に、ひょろり、とした痩せぎすな両の足で立ち、ぴん、と背筋を伸ばした美しい立ち姿で一心に笛を奏でている子供の姿がそこにはあった。
    「おい、なにやってんだ! 危ねぇぞ!?」
     改めて見れば大きさの合っていない着物も相まって子供は余りにも頼りない体躯をしており、今にも風に煽られ飛ばされてしまうのではないかとの錯覚を覚えた政宗は、反射的に口を突いて出た己の言葉に、しまった、と即座に後悔する。
     いきなりの大声に肩を揺らした子供はその動きが駄目押しとなったか、走り回ったせいで絡げた裾が運悪く落ち、それを踏んづけてよろめいたのだ。
     ただでさえもでこぼこと足場の悪い瓦の上だ。持ち直そうにも段差に爪先を打ちつけ更に均衡が崩れるや、言葉を失った政宗の目の前で軽い身体は空へと投げ出された。
     時間にすれば一瞬のことであったにも関わらず、無音の世界で政宗の目には靡く子供の髪の毛一本一本がはっきりと見て取れるほどにゆっくりとしたものに思えた。咄嗟に地を蹴り落下地点へ向かい腕を伸ばすも、その腕に衝撃はなかった。
     じゃりじゃり、と玉砂利が鳴る激しい音に、はっ、と目を見開けば、空で見事にとんぼを切った小十郎が落下の衝撃を殺すべく、勢いのままに玉砂利の上を転がったのだ。
    「小十郎!」
     大丈夫か!? と走り寄れば抱え込むように頭を庇っていた腕を下ろし、きょとん、と小十郎が政宗を見上げてくる。
    「どっか痛いとこねぇか!?」
     乱れた着物の裾を遠慮無く捲り、検分すべく政宗が小さな足を掬い上げた刹那、ひぐっ、と呻いた小十郎に一瞬、政宗の動きが止まった。
    「Sorry、痛かったか」
     じわ、と滲んだ涙に慌てて詫びれば小十郎は強気にも、ごしごし、と目元を乱暴に擦り、ふるふる、と首を横に振る。
    「無理すんなって。手当てしないとな」
     そう言うが早いか小さな身体を抱き上げ、よいせ、と政宗が腰を上げれば、子供は暴れることなくおとなしくその腕におさまり、尚かつ政宗の胸の顔を埋め、縋るように、ぎゅっ、と着物の袷を掴んできたのだった。思いも寄らぬ反応に、きゅん、とするもここで盛大に頬擦りするわけにもいかず、そそくさ、と室内へと戻る。
     水を張った桶やら手拭いやらを政宗が用意している間も小十郎はおとなしく畳に腰を下ろしており、散々城内を駆け回り政宗を振り回した子供とは到底思えない。一体なにがどうなってんだ、と目を白黒させつつも湿布薬をあてがい手当てを終えた。
    「他にも痛いとこねぇか?」
     ちゃんと見せてみろ、とやや強引に帯を解き前を肌蹴るも小十郎はなにも言わず、確かめるように肌の上を滑る政宗の手を、じっ、と見つめている。
     小さな身体にいくつも走る刀傷は余りにも不釣り合いで、政宗は痛ましげに眉を寄せる。姿形は変わろうとも確かにこれは小十郎なのだと、脇腹に走る傷を指先で辿れば、ひくり、と子供の肩が僅かに跳ねた。
     くすぐったかっただろうか、と顔を上げた政宗の目に飛び込んできたのは、伏し目がちに僅かに頬を染めている悩ましげな表情で。刹那、ぱーん! となにかが脳内で弾けた気がしたが政宗はどうにか気合いで平静を装い、「だ、大丈夫そうだな!」と無駄に声を張るや小十郎の着物の前を手荒く掻き合わせた。
    「……政宗様」
    「お、おう!?」
     小十郎が笑い声以外に初めて発したのが己の名で、政宗は柄にもなく狼狽え上擦った声を上げてしまった。じっ、と真っ直ぐに見つめてくる眼差しも平素の小十郎とはどこか違い、強いて言うなれば睦言を囁いた直後の艶を含んだそれに近い。
    「お慕いしておりまする」
     子供にあるまじき吐息混じりの告白に加え、ゆうるり、と伏せられた瞼に、知らず政宗の喉が大きく上下する。
     これはあれかKissのお強請りってことでいいんだよなぁぁぁぁぁ!? と内心激しく動揺している政宗を知ってか知らずか、小十郎は目を閉じたまま僅かに顔を上げた。これで違っても思わせぶりな態度を取った小十郎が悪い、と誰にともなく言い訳をし、政宗は頤に手を掛けると一旦相手の下唇を食み、そのまま唇を擦り合わせた。
     湿った音の合間に漏れる鼻から抜ける甘ったるい声に、政宗は、そろり、と薄目を開け小十郎の表情を窺う。
    『随分と良さそうな顔しやがって』
     染まった目尻から零れ落ちそうな雫を親指の腹で拭い、更に咥内を擽ってやれば政宗の着物を掴む小さな手に力が籠もる。
    『こんな素直な反応見たことねぇよ! ひょっとして夢なんじゃねぇのか!?』
     このままやることやっちまうか、と邪なことを考えた罰が当たったか、小十郎を味わうことに夢中になっていた政宗は近づいてくる足音に気づいていなかった。
    「たびたび悪いけど、ちょっと……」
     すたん、と開け放たれた襖に固まる政宗と、従兄弟の破廉恥極まりない場面を目の当たりにした成実の間に、非常に微妙な空気が流れる。
    「あ、いや……これは……」
     ギギ、とぎこちなく首を巡らせた政宗の下では年端もいかぬ子供が着物を乱しており、どう考えても政宗は言い訳の出来る状況ではない。
    「……邪魔したな」
     ふっ、と真顔で顔を背けた成実の手で襖はきちりと閉められ、遠離る足音にようやっと政宗が身を起こす。
    「待て待て待てッ! そうじゃねぇ!! 誤解だッ!」
     襖を蹴破らん勢いで部屋を飛び出し成実を追いかける政宗の背中を見送った小十郎の、へくちっ、と小さなくしゃみが室内に響いた。


    「本当にあれは小十郎だったんだって」
    「はいはい」
     文机に突っ伏しやる気なく筆をでたらめに動かしている政宗に適当な相槌を打ち、成実は庭で木刀を振るう小十郎の姿を眺める。
     従兄弟が真っ昼間から不埒なことをしている現場に踏み込んでしまった日のことを、政宗は未だに弁明するのだ。
     政宗の言い分は俄には信じ難かったが、すぐにバレる嘘を吐く理由もないと腕を引かれるままに子供の待つ部屋へと戻ったのだが、そこに居たのは眉間にしわを寄せた見慣れた男であった。
     戻ったのか小十郎! と目を丸くする政宗に対し、小十郎は怪訝な顔のまま「ずっとおりましたが?」と言ってのけたのだ。僅かにズレた会話に顔を見合わせた政宗と成実は狐に摘まれた心地でどちらからともなく目を逸らし、政宗は小十郎の雷が落ちる前に文机の前に腰を下ろした。
     その日の晩に酒を酌み交わしつつ政宗は事の子細を成実に告げ、怪しい香の効果を聞いた成実が導き出した答えは、
    「鬱憤を晴らすってのは、溜め込んでる物をパーッとぶちまけるってことでもあるだろ」
     であった。
    「もしあの子供が本当に小十郎だったとしたら、追いかけっこはお前の気を惹きたい、構って欲しいってことだったんじゃねぇの? あとのことは言うまでもねぇわなぁ」
     あーヤダヤダこいつらホント面倒くせぇ、とわざと呆れたように口に出し、くい、と杯を傾けた成実の隣では、言葉の意味を飲み込んだ政宗が酔いとは違う意味で、かっ、と頬を赤らめていた。
     勿論、政宗の言い分を全てを信じたわけではないが、信じざるを得ない物を成実は目にしていたのだ。
    「いつまでも怠けてると木刀が飛んでくるぞ」
     険しい表情でこちらを見ている小十郎に気づいた成実が、回想を振り切るように政宗に声を掛ければ、面白いように竜の背が、ピン、と伸びた。
    「さってと、俺は久しぶりに小十郎と手合わせすっかな」
     恨みがましい目を物ともせず成実は庭へと降り立ち、木刀片手に汗を拭っている小十郎に近づいていく。
    「政宗に雷を落とす前にひとつお手合わせ願いたい」
     成実の戯けた物言いに小十郎は、ふっ、と眉間のしわを緩め、僭越ながらお相手仕る、と軽く頭を垂れた。若干低くなったその耳元に成実が口を寄せ、「足はもういいのか」と問えば、僅かに目を見張った後、小十郎は「政宗様には内緒ですよ」と低く喉を鳴らしたのだった。

    ::::::::::

    2011.08.25
    苦くて渋くて甘いもの 思えばこの男が笑ったところを見たことがない、と梵天丸は己の前で生真面目に頭を垂れた男の頭頂部を見やり、一つしかない眼を僅かに細める。
     大の大人が締まり無く、へらへら、としているのも問題だが、片倉小十郎の堅物振りは度が過ぎている。日によって深さは違えど常に眉間にはしわが刻まれており、口を開けば丁寧でありながらも、梵天丸にとっては面白くない言葉が寄越される。
     渋い顔に苦言を呈する口。
     仮にこの男を食べたとしたら、どこもかしこも渋くて苦くて、きっと不味いに決まっている。
    「聞いておられますか、梵天丸様」
    「聞いてる聞いてる」
    「重ねて仰らなくとも結構です」
     あぁ、更に渋い顔になった、と今日の予定を淡々と述べていた小十郎の表情の変化を目の当たりにし、梵天丸は暗鬱とした気分になる。
     悪い男ではないことはわかっている。むしろ良くもここまで尽くしてくれると感心する。だが、嫌われてはいないが、好かれているとも到底思えないというのが正直なところだ。
     必要最小限のことしか口にせず、表情も滅多に動かぬ小十郎の感情を読み取るのは、人の顔色を窺うことに慣れてしまった梵天丸にも大変難儀なことであった。
     それでも梵天丸はこの男を信頼し、信用に足るとの確信があったからこそ、災厄の塊である己の右目を小十郎に抉り取らせたのだ。
     無謀とも言えるその行動は当然のことながら大騒ぎになり、家中が揺れた。いくら命令とはいえ、伊達の嫡男に刃を向けた小十郎を罰するべきだとの声も多々上がったが、冷静な目と先見の明を持った現当主である輝宗は、梵天丸と小十郎の英断を咎めはしなかった。
     夜半に、ひそり、と梵天丸の寝所を訪れた輝宗に、何故に小十郎であったのか、と問われ、厄を払うには神の手が適任であろうからと、神職の出である小十郎以外に適任者は居なかったと、そう告げたが、結局の所それは後付の理由でしかないことは梵天丸自身もわかっていた。


     ぱらり、ぱらり、と書を繰る梵天丸の手の進みが若干遅くなったことに気づき、小十郎は、ふと、顔を上げた。向かいに座る梵天丸はしかつめらしい顔で書に挑んでいるが、一つ目は、ぱちぱち、としきりに瞬きを繰り返しており、眉間のしわも深い。
    「梵天丸様」
    「なんだ」
     静かに名を呼べば素直に手を止め、ゆうるり、と面を上げる。それを確認してから、小十郎は音も立てずに腰を上げた。
    「一息入れるには良い頃合いかと」
     傍らに詰まれた書物に目をやってからそう告げれば、そうだな、と小さな頭が縦に揺れる。暫し席を外しまする、と小十郎が断りを入れれば、先と同様、頭が縦に揺れた。
     大方、厠にでも行くと思われたのだろう。それでも構わぬと小十郎は退室し、微かに廊下を軋ませる。自分からは決して休みたいと口にしない梵天丸だが、片目で物を見るということは相当の負担が掛かっているのだと、小十郎にはわかっている。
     その点を指摘すれば意固地になることも、彼の気性を鑑み理解しているつもりだ。
     伊達家の次期当主という立場上、梵天丸はおいそれと弱味を見せず、また見せることを厭う為、彼の矜持を傷付けぬよう小十郎は立ち回る必要がある。
     ただただ彼が心配なのだと、そう思っていても気取られてはならぬのだ。
     目的の物を手に部屋へと戻れば、梵天丸は畳に身を横たえ瞼を下ろしていた。みしり、と畳を踏めば薄目を開け、小十郎の姿を確認しただけで口は開かず、再び視界を閉ざした。
     目を酷使すると起こる頭痛が出たか、と小十郎は静かに彼の傍らに膝を着くと手にしていた桶を下ろし、浸してあった手拭いを軽く絞る。水音に再度、梵天丸の瞼が持ち上がったが、そのまま、と小十郎が低く制止の声を発すれば、細い息と共に瞳は隠された。
     額と目元を覆うように手拭いを乗せれば、若干ではあるが梵天丸の口許が緩み、小十郎の眦も知らず柔く下がる。常に厳しい顔をしている小十郎の珍しいその表情を、残念ながら梵天丸は拝むことが出来なかった。
     しばし互いに無言であったが、おもむろに口を開いた梵天丸から飛び出した言葉に小十郎は即座に反応できず、一呼吸置いてから「膝、ですか?」と訝りつつ問い返した。
    「そうだ。膝を貸せ。それから笛だ」
     ただ横になっているだけというのも飽いてくる、と続け、決して早くはない動作で梵天丸は身を起こし、小十郎の返事を聞く前にその頭を相手の腿に乗せた。
    「早くしろ」
     手拭いを乗せ直し、さっさと体勢を整えた梵天丸に、ぺちり、と膝頭を叩かれ、小十郎は緩く息を吐くと「では少しだけ」と了承の意を示しつつ、懐に忍ばせている竜笛を手に取った。
     そっ、と唇を寄せ息を吹き込めば、澄んだ音が流れ出る。それは音でありながら一瞬にして空気に融け込み、まるでそこにあるのが自然であるかのように梵天丸の身を包みこんだ。
     彼の笛の音を聞くのは、当然のことながら初めてではない。だが、これまで耳にした音色はどこかもの悲しく胸の奥をざわつかせ、たまに趣向を変えて気を奮い立たせるかのような力強いものもあったが、今、室内を満たしている音はそのどちらでもなかった。
     とても柔らかく穏やかで、とても清らかな音色は目を見張るほどに甘美な物で、これを奏でているのがあの、渋い顔に苦言を呈する口を持つ小十郎である事実に、梵天丸は正直驚きを隠せない。
     一体どのような顔でこの音を出しているのかと、僅かに手拭いをずらし相手を盗み見るも、角度が悪く全くわからない。こんなことなら膝枕を強請るのではなかった、と珍しく頭を擡げた甘え心に歯噛みする。
     慣れないことはするものではないのだな、とどこか諦めの息を吐き、梵天丸は手拭いで再び視界を閉ざした。
     どれほどの時間が経ったのか心地好い音色に気づけば眠りの淵に立っており、どこか、ふわふわ、とした感覚にそのまま身を委ねてしまおうと、完全に意識を手放そうとした梵天丸だが、いつの間にか笛の音はやんでおり、ではこの心地好い温かな感覚はなんであろうかと、夢と現の狭間で考える。
     ゆるゆる、と髪を梳くように頭をなにか温かな物が撫でている。何度も何度も繰り返されるそれが、気難しい傅役の手による物であると、ぼんやり、とではあったが思い至り、梵天丸は、ころり、と寝返りを打つと小十郎の腹に顔を埋めた。
     父はその立場故の多忙さからなかなか顔を合わせることは叶わず、母とは目のことから疎遠となってしまった。寂しくないと言えば嘘になる。だが、その寂しさが頻繁に顔を出さないのは、この男が常に傍に居てくれるからであると、改めて思った。
     この男は外側は苦くて渋いくせに、内側はきっとまろやかで蕩けるような甘さを秘めているに違いない。
     相手が眠っているからと油断し、甘い芳香を漏らした男がいけないのだ。その甘さを、ほんの欠片でいいから食べてみたいと、胸に湧いた思いは至極当然なものだ。
     もう少ししたら小十郎はいつもの苦くて渋い男に戻り、何食わぬ顔で梵天丸を起こすだろう。それまではじっくりとこの甘さを味わおうと、梵天丸は寝たふりを続けるのであった。


     小十郎が居なければ何も出来ない、と不名誉なことを成実に言われ、勢いのままに政宗が強引に小十郎を湯治に行かせたのは三日前。
     先の合戦でも鬼神の如き働きを見せた小十郎だが、いくら手練れとはいえ戦で無傷とはいかず、深くはないが浅くもない傷を負った。当の本人は、かすり傷だ、と周りの者に言っていたが、なんやかやと理由を付けて日課である朝晩の鍛錬を合戦以降行っていない時点で、これは相当だな、と政宗自身も気づいていた。
     それでもすぐに休ませてやれなかったのは、戦の後始末と消費した兵糧の手配、近隣諸国への牽制の意を込めた書状のやり取りなど、仕事が山積みであったからだ。殊、竜の右目は目端が利き、主の命が下る前に下準備を終えており、事が滞りなく進むよう常に先回りをする。
     そのような手回しの良さにいつの間にやら慣れてしまい、他の者に任せようという考えすら毛頭無かったというのが現状であった。
     無論、政宗とて全てがお膳立てされるのを、ぼんやりと待っているわけではない。それでも、小十郎に任せておけば間違いはない、と心のどこかで甘えていたのは事実だ。
     たまには羽を伸ばしてこい、と告げたときの小十郎は、なにを言われたのか理解できなかったか一瞬、ぽかん、とするも、直ぐさま平素と変わらぬ生真面目な表情を見せ「ご配慮痛み入ります」と頭を下げたのだった。
     だが、その声音は僅かに苦い物を含んでいるように思え、政宗は片眉を上げるも頭を垂れている小十郎には伝わらず、問い質すことも出来ぬままに右目は退室し、ひとり残された政宗はすっきりしないものを抱え込み、苛立たしげに脇息を横薙ぎに払った。
     大方、主に気を遣わせたことを気に病んでいるのだろうが、いつまで経っても己を殺すことをやめない男に、怒りよりも哀しみが先に立つ。
     伊達家に仕える『片倉小十郎』は完璧だ。だが、政宗はひとりの『人』として小十郎と向き合い、彼の本音を聞きたいのだ。
     この三日間、怠けることなく仕事を片付け、城下を視察し、寝る前には時間の許す限り兵法書にも目を通している。名軍師と謳われる小十郎と議論を交わす為には、まだまだ知識も経験も不足している自覚があるからだ。
     幼い頃は小十郎の感情を読み取る目を持っていなかったが為に、とてつもない朴念仁だと思っていた。実際は思慮深く、なによりも主のことを一番に考えている、むしろ政宗のことしか考えていないのではないかと疑ってしまうほどに、一途な男であった。好いている好いていないといった次元の問題ではなかったのだ。
     裡に秘めた柔らかで穏やかな部分に初めて触れたとき、胸に湧いた思いは今思えば初恋という物だったのだろう。
     穏やかに髪を梳く手。
     梵天丸を甘やかしたその手を思い出し、政宗は手中の盃を緩慢に揺らす。ふと、見上げた空には右目が背負っている物と同じ月が浮かび、雲までもがそっくり同じ形に掛かっている。
     板張りの廊下は、ひんやり、と心地好く、手酌で注ぐ酒も、するする、と進む。常ならばこの辺りで制止の声が掛かるのだが、生憎と記憶の中の小十郎は黙りを決め込んでいる。
     見上げる場所は違えども、彼もこの月を見ているだろうか、と詮無いことを考える。
     職務に没頭していても、ふとした拍子に小十郎の姿を探している自分に気づき、政宗は何度も何度も内心で悪態を吐いた。
     たった三日、たったの三日だ。
     己の胸にわだかまる感情から目を逸らし、盃と徳利はそのままに閨へと引き上げる。俯せになって捲っていた兵法書もさっぱり頭に入らず、溜め息と共に遠くへ押しやるとおもむろに布団を抱え込んで、ごろんごろん、と無駄に寝返りを打った。


     ひたり、と額に乗せられた手拭いに政宗が低く唸れば、それを上回る溜め息が成実の口から漏れた。
    「二日酔いだけじゃなくて風邪もひいたとか。ほんと、おまえ小十郎が居ないと駄目だな」
    「うるせぇ、小十郎は関係ねぇだろ」
     あつつ……、と手拭いの上から額を押さえ呻く政宗を半眼で見下ろし、成実は再度溜め息を漏らす。
    「今、粥煮させてるから、それ喰って今日はおとなしく寝てろよ」
     いいな、と突きつけられた指を払う気力もなく、政宗は面倒臭そうに、応、と答えるや目元まで手拭いをずり下ろし、ゆるゆる、と手を振った。
     その横柄な、退室しろ、との合図にも成実は不満を見せることなく、ゆるり、と眉尻を下げる。
    「傍に居てやろーか?」
    「ふざけんな」
     にしし、と笑う成実の声音はふざけた物だが、その眼差しはただただ従兄弟を心配する優しい物だ。政宗に一蹴されるとわかっていたからか、それ以上はなにも言わず衣擦れの音だけを残し、静かに退室したのだった。
     廊下を行く足音が遠離り、しん、とした室内に深く重い息が吐かれる。
     幼名で呼ばれていた頃は、閉じこもっていた期間が長かった故か身体は丈夫ではなく、季節の変わり目やちょっとした気温の変化で、必ずと言っていいほど体調を崩していた。
     熱で霞む視界は見慣れた室内ですら異なった物に見せ、子供心に不安を煽った物だ。それでも情けなくも泣き出しはしなかったのは、変わることのない大きな手が常に触れていたからだ。
     暑いと言えば汗を拭い、髪の間に指を透き入れ風を通し、寒いと言えば両の掌で頬を包んだ。それでも足りなければ「ご無礼をお許し下さい」と莫迦丁寧に断りの言葉を紡いでから、小さな身体を布団ごと抱き締めた。
     一体いつ休んでいるのかと不思議になるくらい、目を覚ます度に傍には小十郎の姿があった。どうして居るのかと問えば「独りきりはお寂しいでしょう」とまるであやすように言葉を返され、それが図星であったが為に意地を張り「うるさい黙れ! そんなことはない!!」と小さな手を握っていた小十郎の手を些か乱暴に払えば、「申し訳ございません」と頭を下げられた。
     共に吐かれた穏やかな声に胸の奥が痛み、違う違う悪いのはお前じゃない、と歯を食いしばり、素直に詫びることの出来ぬ己に泣きそうになった。
    「……なんで居ねぇんだよ」
     鼻の奥が、つん、と痛み、手拭いで隠された眉間に深いしわが寄る。
    「成がヘンなこと言うから思い出しちまったじゃねぇか」
     ちくしょう、と悪態を一つ吐くも、昨夜目を逸らした感情を自覚せざるを得ない。
     ──独りきりはお寂しいでしょう。
     あぁ、そうだよくそったれ! と胸元をきつく掴み、政宗は唇を歪めた。


     いつの間に意識を闇に落としたのか、ゆうるり、と浮上する感覚に、政宗は一種の心地好さを感じる。開け放たれた障子から流れ込む風は夕方の空気を伴っており、あぁ昼餉を食い損ねたな、と呑気なことが脳裏を過ぎった。
     既に酒は抜けたが節々は未だに鈍く痛み、Shit……と知らず低い呻きが漏れる。途端、ふわり、と髪を撫ぜられ、政宗は軽く息を飲んだ。いくら意識を落とし込んでいようとも、他者が室内に踏み居れば嫌でもその気配に意識は覚醒する。例えそれが自軍の者であろうとも、それは戦乱の世に生きる者の性だ。
     だが、それがなかったということは──
     そろり、と手拭いを持ち上げ隙間から窺えば、そこには思い描いていた人物がおり、政宗は再度息を飲んだ。
    「お、まえ……なんで」
     優秀な軍師殿に与えた休暇は一週間だ。にも関わらず目の前の男は当然の顔で、政宗の寝室にいる。
     起き上がろうとする政宗を、やんわり、と制し、小十郎は主の額から取り上げた手拭いを傍らの桶に浸した。
    「さぁ、何故でしょうなぁ」
     ひたり、と政宗の額に手拭いを乗せ直し、小十郎は柔らかに眦を下げる。
    「昨夜、湯の中で月を見ておりましたらば、不意に政宗様のお顔が浮かびまして」
     さらり、と取りようによっては熱烈な告白を口にする小十郎を呆然と見上げていた政宗だが、徐々に顔が緩み「すげぇ殺し文句だな」と揶揄混じりに右目に告げれば、当の本人はそれの意味するところを掴みかねたか、はて? と軽く首を傾げた。
     その反応に政宗は内心で、がっくり、と肩を落とすしかない。大方、目が届かぬ間に厄介なことを引き起こしてはいないかと、その点が心配だったに違いない。
    「それで、おまえはそれだけの理由で戻ってきたってのか?」
     折角の休みだってのによ、と呆れたように続ければ「湯も三日浸かれば充分にございますれば。それ以上はふやけてしまいます」と涼しい顔で返された。
    「それに身体を休めるだけなら、政宗様が悪ふざけをなさらぬ限り、ここで充分にございます」
     ちくり、と小言を織り交ぜてくる軍師殿に苦笑を漏らし、政宗は「この三日間の俺の仕事ぶりを見せてやりたかったぜ」と冗談交じりに返してから、ゆうるり、と瞼を下ろした。
    「もう少し寝る」
     いくらか回復したとはいえやはり辛いのか、細く長い息を吐きつつ手拭いを目元まで下げた政宗に、御意、と返し、相手が見ていないことを承知で小十郎は頭を下げる。
     するり、と頬を撫でた風に、秋の風は心地好いが夜風は身体に良くないと、薄闇に包まれた庭に目をやり小十郎は障子を閉めるべく腰を上げた。
     障子に手を掛け見上げた空には、昨夜見たものとさほど変わらぬ月が顔を出しており、ふ、と緩く息を吐く。
    「独りは、寂しゅうございました」
     するり、と着物の上から脇腹を撫で、一瞬顔を歪めるも、他者に聞かせる気など毛ほどもないその言葉は虫の声よりもささやかで、ただ心情を吐露したかっただけの小十郎は音にしただけで充分であった。


     あちぃ……、と夢現に漏らした言葉を拾い上げたか、大きな手が髪に梳き入れられる。次いで首筋を滑った冷たさに安堵の息を漏らせば、頭上から微かにではあったが溜め息のような音が聞こえた。
     そろり、と瞼を持ち上げれば予想に違わぬ姿がそこにはあり、政宗は、にぃ、と口角を吊り上げた笑みを浮かべて見せる。
    「Good morning」
     darling、とどこか戯けた声音に小十郎の片眉が、ぴくり、と上がったが、先とは違う呆れを含んだ深い深い息を吐いてから「まだ夜中にございます」と大真面目に返してきた。
     目を覚ましたのならば遠慮はいらぬと言わんばかりに、小十郎は容赦なく政宗の顔を覆うように、わしゃわしゃ、と手拭いで汗を拭う。
    「ちょ、おま、もうちょっと優しく……ッ」
     布きれから解放され、ぷはっ、と些か大袈裟に訴えれば、如何なる時も忠実な従者は「小十郎に今更なにを期待されますか」と当然の顔で言い切ったのだった。
     確かに陶器を扱うかのような繊細さなど期待していないが、もう少しやりようがあるだろうが、と政宗は僅かに唇を尖らせる。それを目に留めた小十郎は控え目でありながらも、くつり、と小さく喉を鳴らし、政宗は更に唇を尖らせる。
    「どうせガキくせぇとか思ってんだろ」
     少しでも傷を浅くしたいのか、わかってんだよ、と強がる姿すら愛らしいと告げたら、この気位の高い主は一体どのような顔をするのかと小十郎は思うも想像だけに留め、ふるり、と首を横に振った。
    「自制が利かぬのは熱のせいでございましょう。このようなときくらい良いではありませぬか」
     小十郎は昔を思い出しておりました、と柔らかに眦を下げれば、政宗は一瞬瞠目するも静かに瞼を伏せ、そうだな、と穏やかな音を紡いだ。
    「こんな俺を知っているのはおまえだけだしな」
    「恐悦至極に存じます」
     ゆるゆる、と汗を拭う手は止めずに大真面目に答える小十郎を見上げ、政宗は「俺も昔を思い出した」と緩慢に口を開く。
    「いつも仏頂面してっから、おまえを食べたらどこもかしこも渋くて苦くて、きっと不味いに決まってるって思ってた」
    「おや、これは手厳しい」
     怒りもせず目を細め小十郎は昔の己を思い出したか、そうかもしれませんなぁ、と相槌を打つ。
    「でもな、そうじゃねぇって気づいた。外側は確かに苦くて渋いが、中身は蕩けるほどに甘いってな。しかも俺限定で、だ」
     そうだろう? と目を細め口端を吊り上げた政宗からなにを感じたか、小十郎は咄嗟に身を退くもそれは一呼吸遅かった。
     逃げ遅れた手首を捕らえられ、ぐい、と強く引かれる。主の上に倒れ伏すような無礼はかろうじて回避したが、己の身体を支えるために勢いよく畳に腕をついた瞬間、ぐぅ、と低い呻きが小十郎の喉奥から漏れ出た。
    「あぁ、傷に障ったか」
     Sorry……、と間近で動く形の良い唇に小十郎はたまらず目を逸らす。
    「手を、お放しください。政宗様」
    「聞こえねぇな」
    「政宗様!」
     戯れが過ぎる、と厳しい声を発した小十郎に臆した様子もなく、政宗は先程目の前の男にされたように髪に指を梳き入れる。
    「互いに寂しい思いをしたんだ。今夜くらいは共寝したっていいだろ?」
     なぁ? と口調は尊大でありながらもどこか縋るような眼差しに、小十郎は、ゆるゆる、と頭を振った。
    「聞いて、おられたのですか」
     なんと耳の良い、と照れ隠しか苦々しく漏らす元傅役に、政宗は口角を吊り上げたまま肩を浮かせ、相手の唇を軽く啄んだ。
    「おまえの声を俺が聞き漏らすわけないだろう」
     当たり前のように言い切られては小十郎に返す言葉はなく、観念したか突っ張っていた腕から力を抜き、ごろり、と政宗の隣に身を横たえた。
     一度観念すれば潔い男だ。もはや逃げることもあるまいと捕らえていた左手を自由にすれば案の定、彼は困った顔のまま身動ぎ一つしない。
     本当にこの男は甘い、と硬い外皮の剥がれ落ちた男の首に腕を回し、政宗は頬の疵を、べろり、と舐め上げた。


     キシ、と廊下を微かに軋ませて向かいから歩いてくる小十郎の姿を目に留め、成実は呆れとも感心ともつかぬ緩い息を鼻から吐いた。彼が手にしているのは恐らく、中身が綺麗に平らげられた土鍋だ。
     小十郎、と軽く声を掛ければ軽く目を見張るも歩調を変えることなく近づき、成実の眼前まで足を進めると律儀に朝の挨拶を寄越してきた。
    「まだ本調子じゃないんだから、なにもわざわざおまえがそんなことしなくとも」
     かぱり、と土鍋の蓋を開ければ案の定、その中はすっかり空で米粒一つ残っていない。残り香から、粥ではなく雑炊だったのだな、と成実は判断し、今度は紛うことなく呆れの溜め息を吐いた。
     どうせこの男は、朝一に自分の畑から野菜を穫ってきたに違いない。ある程度、傷は塞がったであろうが、昨日の早朝から馬を飛ばし夕刻に戻ってきたことを考えると、楽観視はできないのだ。
    「おまえがあれを一番に思ってるのは百も承知だし、それをどうこう言うつもりはないけどな、軍師が倒れちゃ俺達はあれを守りきれないってこと、忘れんなよ」
    「わかっている。そこいらはきちんと見極めてるから安心しろ」
     無茶を押し通すのは戦場だけで充分だ、と本気とも冗談ともつかぬ事を真顔で言われ、思わず成実の口が止まる。本当にこれは良くできた家臣だ、と一回り近く年嵩の男を、まじまじ、と見やった。良くできた家臣であると同時に、良き兄であり、良き指導者であり、あれの良き理解者でもある。
     竜が右目を常に傍らに置きたがるのは、それ以外にも理由があると薄々感づいてはいるのだが。
    「あれを甘やかすなとは言わないけどな、やるなら巧く隠せよ。図に乗るぞ」
     ぽん、と軽く小十郎の肩を叩き、わかっている、との応えに小さく頷き、彼が今し方出てきた部屋へと向かおうとした成実だが、ふと、横目に見た軍師の首筋に刻まれた緋色に「既に手遅れか」と内心で肩を落としたのだった。

    ::::::::::

    2011.08.16
    茶田智吉 Link Message Mute
    2018/07/28 5:45:52

    【BSR】苦くて渋くて甘いもの

    #戦国BASARA #伊達政宗 #片倉小十郎 #政小 #腐向け ##BASARA ##同人誌再録
    同人誌再録。
    短編二本。
    (約1万5千字)

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