【刀剣】お題を使った短い話まとめ その1【背中にキス】 ぐるり、戦場であった場所を見回し鬼丸は細く息を吐いた。
短刀の元へ大典太が向かっているのを視界の隅に収めてから、すぐ側に座り込んでいる槍へ顔を向ける。
「今回も派手にやられたな」
「今日は俺だけかぁ」
いてて……、と呻きながら額を押さえる左の手指の間から、未だ止まらず鮮血が流れ落ちていく。
「最後の方は良く見えなかったけど、まぁどうにかなったし。結果良ければ全て良しってな」
軽い調子で、ははは、と笑う御手杵をつま先でひとつ小突いてから、鬼丸は静かに膝を着いた。
見せてみろ、と低く告げ傷を検分していた鬼丸の眉が僅かに寄ったかと思えば、よくわからんな、と誰に聞かせるでもなく小さく漏らされた。
血だけではなく泥も混じり傷口がよく見えないのだろう。巨躯と腕力に物を言わせ振るわれた大太刀は、掠めた程度とは言え容赦なく肉を抉り、衝撃もかなりの物であっただろう。
受けたのがもし短刀であったのならば軽く吹き飛ばされ、最悪五体満足では居られなかっただろう。
じぃ、と御手杵を見つめ何事か考えていた鬼丸だが、両の手で相手の頭を左右からがっしと固定するや、べろり、と抉れた傷口を舐め上げた。
「……ッ! いっ……!?」
突き抜けた痛みに、びくんっ、と反射で跳ねた御手杵を力任せに押さえつけ、鬼丸は血と泥が混ざった物を、ぺっ、と吐き出す。
「うぇぇ~……せめて水で洗ってくれよぉ……」
「あるなら元からやってる」
我慢しろ、と一方的に言い放ち同じ動作を淡々と繰り返す鬼丸の背後に立った太刀に、御手杵は内心で、ひぇっ、と声を上げた。
「……あんたも背中に傷を受けてるぞ」
「掠り傷だ」
大典太の指摘に振り返ることもせず会話を終わらせた鬼丸からは、当然のことながら相手の表情など見えていない。
「おっ俺の事はもういいから! ほら、血も少し止まったし、な?」
「……そうか」
ごそ、とスラックスのポケットから取り出したハンカチを傷に押し当て、御手杵がそれを自分で押さえたことを確認してから鬼丸は立ち上がった。
「前田たちは大事なかったか?」
未だ背後から動かぬ太刀に向き直ろうとした鬼丸の肩を大典太が、やんわり、と掴み、宵闇色の頭髪が僅かに沈み込んだ。
刹那、背中に感じた湿った感触に鬼丸の背が僅かに強張った。
ねろり、と舌全体で傷を覆うように舐められたかと思えば、啄むように何度も場所を変えて唇を落とされる。
「おい、そこはなんとも……」
ないだろう、と続くはずであった言葉は、ぐっ、と喉奥へと押し込まれた。目の前で明らかに気まずそうにしている御手杵に気づいてしまったからだ。
すぅ、と小さく息を吸い鬼丸は表情を、感情を殺す。
本丸に帰ったら覚えていろ、と言わんばかりに、鬼丸は無表情のまま大典太の脛を後ろ足に蹴ったのだった。
2022.02.08
【全ては輝いていた】 この感情に名前を付けるなら、恐らく愛や恋といったものなのだろう。
鋼と鋼がぶつかり合う音に、敵の刀を受け止めながら考えることではないな、と鬼丸は自嘲の笑みで口元を歪める。
斬っても斬っても雪崩を打つように押し寄せてくる敵を押し止めるのは、一振りでは限界があった。
援軍を呼びに行かせた短刀たちは、無事に他隊と合流できたのだろうか。
他所の防衛はどうなっているのか。
そも、無事な隊など残っているのか。
文字通り本丸を攻め落とされるのも時間の問題であると、早々に撤退し残った者と合流するべきだと、審神者の首が取られさえしなければ立て直す術はあるのだと、理性は告げる。
だが、鬼丸には退けない理由があった。
襖一枚隔てたその向こうには、片足を失った太刀が居る。
捨て置け、と言い放った太刀の言葉を無視し、すぐに援軍が来ると嘯いて部屋へ押し込んだ。
自分に負けず劣らず無愛想な太刀だ。
人々から遠ざけられたような自分と酒を酌み交わすような、酔狂な太刀だ。
だが、兄弟刀にも短刀たちにも慕われる性根の優しい太刀だ。
失ってはならないのだと。
失いたくはないのだと。
ならば愛しいこの刀のために全てを擲つことになんの躊躇いがあるものかと。
この刀と共に過ごした日々。
共に見た景色。
何気ない日常。
泥にまみれた戦場。
全ては輝いていた。
2022.12.26
【わがまま】 なんの脈絡もなく大典太の口から、ぽつり、と漏らされた言葉に、鬼丸は唇に触れる寸前であった盃を持った手を、ぴたり、と止めた。
それこそ蚊の鳴くようなか細い声であったのだから、聞こえなかったふりをしてしまえば良かったと後悔するも後の祭りである。
僅かとは言え反応してしまった以上それに触れない訳にもいかず、諦めたように盃を卓へ戻し、つい、と視線を大典太へと向けた。
「もう酔ったのか?」
「そんな事はない」
即座に真顔で返され、うぅむ、と鬼丸は内心で唸る。この太刀は確かにこう言ったのだ。「一緒に暮らしたい」と。
「既に一緒に暮らしてるじゃないか」
大所帯ではあるが本丸の一つ屋根の下で生活しているのだ。訳がわからないと困惑を隠しもせず眉をひそめ、遠回しに言ったところで埒があかないと判断し、鬼丸が直球で言葉を投げれば大典太は、ゆうるり、と首を横に振った。
「そうじゃない」
そうじゃないんだ、と空の盃に目を落とし、もどかしげに眉を寄せる大典太を鬼丸は黙って見つめる。
「あんたと、ふたりだけで……暮らしたい」
言われた内容だけを受け取れば随分と熱烈な告白であるが、それを口にした当の本人の表情が頂けなかった。
刀としての役目はまず置いておいて、仮にもそういう仲である相手に言われれば、鬼丸とて悪い気はしない。だが、悲壮感を漂わせるほどに思い詰めた顔をされては、素直に喜べないというのが本音だ。
「ふたりだけで、ずっと、あんたがどこにも行かないように……」
すっ、と伸ばされた大典太の手が鬼丸の胸に触れ、そのまま腹へと降りていく。その仕草で鬼丸は一瞬にして渋面になった。
冗談交じりに言われたのならば「束縛系か」と鬼丸も冗談で返せたのだ。
手入れ部屋から出たのはほんの数時間前だ。
出陣先から戻るなり血相を変えた審神者に手入れ部屋へ押し込まれ、更には「札は使わん」と言われてしまい、大典太と顔を合わせたのは実に二日ぶりとなってしまったのだ。
心配と不安と少々の苛立ちが高じてか大典太も不可能なことは承知で、それでも言葉にせずには居られなかったのだろう。
常日頃から散々無茶はするなと苦言を呈されてきた身だ。一時期と比べれば腹に大穴を開ける事も、腕を飛ばす事も減ったが皆無ではない。
これは分が悪い……と鬼丸はおとなしく自分が折れることを選んだ。
「……さすがに本丸から離れることはできないが……」
心の臓の上で止まっている大典太の手に自分の手を重ね、鬼丸は僅かに言い淀むも腹を括ったか、ひた、と相手を見据える。
「しばらく離れの一室で過ごせないか、相談してみるか」
気恥ずかしさからか鬼丸は「ふたりで」とは言わずその点は濁されてしまったが、大典太は鬼丸の視線を受け止めたまま、するり、と白磁の頬を撫でた。
その手にも鬼丸は自分の手を重ね、静かに瞼を下ろす。
「要望が通ったら……もっと……」
触れて欲しい、と吐息混じりに漏らされた言葉は、空気に熔けるよりも早く大典太の口内へと消えた。
2022.12.27
【騙されてやりたかった】 雨が降っていたこの一週間、洗濯物が乾かなくて困るな、と部屋に吊されたタオルを摘まみながらぼやく大典太を鬼丸は胡乱に見上げてから、相手がこちらを見る前に畳に目を落とし、あぁそうだな、と相鎚を打った。
畑に水を撒く手間が省けるのは助かるが、と続ける大典太に、汚れなくて済むのはいいな、と鬼丸は言葉を返す。
今晩はどの酒を開ける? と問われ、お前に任せる、と顔を上げずに鬼丸が答えれば、ぬぅ、と頭上に影が差した。
俺と話すのは退屈か? と降ってきた声に、今更それを聞くのか、と笑み混じりに返せば、やや不服そうに鼻を鳴らした大典太が鬼丸の目の前に、すとん、と腰を落とす。
顔を覗き込んできた相手に鬼丸が、なんだ、と目だけで問えば、大典太は黙ったまま手を伸ばし、銀糸を留めているピンを、ひとつ、ふたつ、と外していく。
無造作に畳に落とされるピンが立てる乾いた音を聞きながら、鬼丸はそれ以外の音を拾おうと耳をそばだてるも、ここでは無駄な事であった。
馬の嘶きもなく、他者の気配も一切ない。雨がやんだ今、鼓膜を揺らすのは目の前の大典太の息遣いだけだ。
くしゃり、と髪を乱すように梳き入れられた大典太の指の感触を追いながら、鬼丸は、ゆうるり、と瞼を閉じる。
大典太とふたりきり。
誰に邪魔される事もなくただゆるゆると過ごす。
剣戟の響きとも、ひりつくような緊張感とも、肉を断たれる痛みとも無縁な日々。
まるでぬるま湯に浸かっているかのような平穏な日々。
これがこの刀の望みであるならば、出来る事ならば騙されてやりたかった。
ふとした拍子に心の弱い部分が剥き出しになる事もあるだろう。
だが、一時の感情に流され、取り返しの付かない状況になってからでは遅いのだ。
なによりもこのままでは大典太自身が後悔すると、鬼丸にはわかっているのだ。
啄むように瞼に触れる大典太の唇や、吐息混じりに呼ばれる己の名に後ろ髪をひかれるも、鬼丸はそれらを振り払い、とん、と相手の胸を軽く押した。
「そろそろ起きろ、大典太」
おれはもう行くぞ、と告げれば、大典太は目を見張り息を飲むも、ややあってからどこか憑き物が落ちたような穏やかな顔で、そうだな、と頷いた。
本丸では彼が目覚めるのを大勢の者が待っている。
この先戦いが続く限り心身共に疲弊し、再び心が折れそうになることも多々あるだろう。
だが、停滞した心地よい夢の世界に逃げ込もうとも、悲しい事に現実世界の時計の針は止まらないのだ。
2022.12.28
【手探りキス】 のそり、と身を起こした鬼丸は僅かに身を捩り、ゆっくりと慎重な手つきで枕を撫で敷布団を辿り、畳の感触を確かめるように指を這わせ、その先にある、こつん、と当たった盆の縁を越え、ようやっと目的の物を掴んだ。
鬼丸は閉ざされた視界の中、手にした湯飲みをこれまた慎重な手つきで口元へ運んでいる。
遠慮せず声を掛ければ良いのに、と大典太は僅かに眉を寄せるも、どの程度手を貸せば良いかの塩梅がわからず黙って様子を見守るしかない。
ほぼ壊滅状態で戻ってきた部隊を前に本丸内は騒然となったが、それ以上に皆をざわつかせたのは、今この本丸には手入れの時間を短縮させるための札が一枚もないことであった。
損傷の程度はどれもが酷く、手入れの順番を決めるにも難儀したが、かろうじてでも自分の足で歩ける者は自室での待機となり今に至る。
今回は鬼丸の腹に大穴も空いておらず、腕も足も飛んでいない。
唯一やられたのが目であった。
大太刀の一撃を受け止めたと同時に、懐へ飛び込んできた短刀に真一文字に切り裂かれたという。
他の者たちも同様に太刀の影から飛び出してきた短刀に不意を突かれるなど、これまでにない連携を見せてきた敵に対処が出来ぬまま、一振り、また一振りと重傷に追い込まれたのだった。
「もう少し飲むか?」
「いや、いい」
空になった湯飲みを両の手で包んだまま黙り込んでいる鬼丸に声を掛ければ、僅かに肩を揺らした後、ゆうるり、と頭が振られた。
顔の上半分は包帯で覆われており表情が判然としないため状態が掴みにくいが、もしかしたら熱が出ているのかも知れない。既に痛み止めは飲んでいるが、大典太はもしもの時のために薬研から解熱剤を預かっている。
鬼丸の手から湯飲みを抜き取り、触るぞ、と一声掛けてから、大典太は両の掌で頬を包んだ。
「少し熱いな」
念のため首の付け根に指を添わせれば、返ってくる脈動は常よりも早い。
これは良くない、と大典太が顔を顰めたのと、ゆっくりと持ち上がった鬼丸の手が大典太の手に触れたのは同時であった。
「どうした」
問いには答えぬまま鬼丸は両手で掴むように大典太の右腕を伝い、肩に辿り着いたところで右手が、そろり、と鎖骨に添って移動し、そのまま左手と共に首筋を撫で上げる。
くすぐったさに大典太が僅かに首を竦めるも、鬼丸の手は止まることなく大典太の頬を両側から包んだ。
探るように伸ばされた親指が、ふにり、と唇を押す。
身を乗り出し、じれったいほどの慎重さで顔を近づけてくる鬼丸を、大典太は止めることなく、じっ、と待った。
頬を包む手が微かに震えている事に気づき、あぁそうか、と大典太は内心でごちる。
これまでどれほどの大怪我をしようとも平気な顔をしていた鬼丸だが、視界を奪われるのがはじめてだからだろう。
一気に噴出した不安を抑える方法がわからず、ここに確かに居る大典太に縋りたくなったのだろう。
甘え下手は今に始まった事ではないが……、と苦笑したいのを、ぐっ、と堪え、大典太も鬼丸の頬を掌で包むや、軽く唇を触れ合わせた。
二度、三度、と触れては離れるを繰り返し、物足りなさげにうっすらと開かれた鬼丸の唇から垣間見える舌に気づいていながら、大典太は最後に柔く下唇を挟むように食んでから離れていった。
不満を言葉にすることが出来ず、きゅっ、と唇を引き結んだ鬼丸を宥めるように、大典太は頬を、ゆるゆる、と撫でる。
「直ったらいくらでもしてやるから」
今はダメだ、と柔い声音で囁けば、明らかに渋々ではあったが鬼丸は大典太から手を離した。
だが、一旦は膝上に落ち着いた鬼丸の手であったが、すっ、と小指を立てた状態で大典太の目の前に突き出された。無言の要求に苦笑することなく、大典太は自身の小指を絡めてやる。
約束を強固にすることは勿論、それ以上に僅かでも触れる理由が欲しいのだろう。
この太刀はこういうところがいじらしいと、大典太は自分しか知らないであろう姿に、ゆうるり、と眦を下げた。
2022.12.29