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    【刀剣】鬼丸さん身請け話 鬱蒼と茂る木々の中にその庵は、ぽつん、とあった。
     そこに棲むのは主なしの太刀が一振り。もう何ヶ月もここに居るという。
     一歩、二歩と近づけば人の手の入った地面へと変わり、小さな庭にはそれにふさわしい大きさの池と、ささやかではあるが良く手入れのされた花壇が目に入った。
     さてどうなることやら、と手土産の酒瓶に、ちら、と目を落とし、大典太は重い溜息を吐いた。

       ◇   ◇   ◇

     話は審神者が政府からの通達を受け取った所から始まる。
     数ヶ月前に調査と称していくつかの設問が寄越された事があったのだが、その時は各本丸へのアンケート的な物であろうと審神者は深く考えずに回答を送り返し、そこから音沙汰がなかったため、今の今まですっかり忘れていたのだった。
    「ほら、ウチは正直そこまで資源に余裕のある本丸じゃないし、来てくれるかどうかわからない刀よりも、今ここに居るみんなの練度を上げる事を優先して、鬼丸の鍛刀申請しなかったじゃない?」
    「……そう言えばそうだったな」
     桃の節句の時期に鬼斬りの刀とようやく交渉が上手くいったとの話が漏れ聞こえてきたが、ここの審神者は天下五剣のうちの一振りをあっさりと諦めたのだ。次に応じてくれるのがいつになるか不明だというのに、随分と思い切った事をする、と大典太は当時思ったのだった。
    「ここからが本題なんだけど、暫くここに通って欲しい」
     そう言って審神者が見せてきたタブレットの画面には、小さな庵がひとつ映されている。
    「ここはなんだ……?」
    「政府預かりの鬼丸国綱が居るそうだ」
     ここに来てやっと先日のアンケート的な物に繋がるのだと、審神者は合点がいったのだ。
    「気分のいい話じゃないことは先に断っておく。かなりの数の本丸が鬼丸を呼ぼうと躍起になってたのは知ってると思う。大半は良好な関係を築けたようだけど、一部でちょっと問題になった本丸があったそうでね」
     苦り切った顔で説明を続ける審神者に相鎚を打ちながら、大典太の表情も次第に苦々しい物へと変じていく。
    「そこの審神者は自分をちやほやしてくれる男士が欲しかったみたいでね、膨大な資源を費やしてやっと来たと思ったら、鬼丸はそういう部類ではなかったと。ただ、所謂トロフィー扱いって言うのかな、稀少な男士を持ってますよって自慢はしたかったみたいで……」
     演練に出して自慢するには練度を上げなければならないため、疲労度度外視の連続出陣であったという。演練相手が異常に気づき政府へ連絡を入れ、男士の理不尽な扱いが明るみに出たと言う流れであった。
     鬼丸は保護という名の実質没収となり、その本丸も解体とまではいかなかったが、しばらくは厳しい監視が付くという話だ。
    「政府もずっと保護しておくわけにもいかないってんで、鬼丸が居ない本丸に受け入れ先になってくれないかと打診してるというわけだ」
    「鬼丸なら引く手数多だろうに……なんでここが選ばれたのか、俺には理解出来んな」
     先述通りここは清々しいほどに鬼丸を諦めた本丸だ。切望している本丸はそれこそ星の数ほどあるだろう。
    「今回に限ってはその執着のなさが買われたってことなんだろうよ」
     喉から手が出るほどに欲しがってるとなれば虚栄心を満たすことを優先し、下手をすれば先の本丸の二の舞になりかねないと、政府は危惧したのだ。
    「とはいえ、既にいくつかの本丸に話が行って、そっちが駄目だったからここにお鉢が回ってきたとも言う」
     要請通知と共に送られてきたこれまでの報告書に、ざっ、と目を通し、審神者は、うーん、と天井を仰ぐ。
    「期限は最長で一ヶ月……なんだけど、早いところは三日で無理ですって辞退してるから、相当だぞこれ」
    「……それを俺に説得してこいと?」
     無謀すぎるだろうあんた、と顔にありありと出ている大典太に向かって、審神者はヒラヒラと手を緩く翻した。
    「気負わなくていい。というか、無理に連れてこなくていいから」
    「……それじゃあなんの為に行かせるんだ」
     予想外の言葉に大典太が問いを発すれば、審神者は再度、うーん、と天を仰いだ。
    「話し相手? いやふたり共そこまで喋らないのはわかってる。酒飲みに行くって感じでいいから頼むよ」
     大吟醸用意するから、との言葉に、ついつい大典太は頷いてしまったのだった。

       ◇   ◇   ◇

     訪問日時はあらかじめ伝えてあるという話であったため、大典太は出入り口へと続く飛び石を辿り、そこから途中で分かれている左の石へと足を乗せた。先ほど庭を窺い見た際、縁側に濃紺の着物を纏った人影があったからだ。
     邪魔するぞ、と声を掛ければ、ゆうるり、と巡らされた柘榴の瞳が、ひた、と大典太を捉えた。だが、それ以上の動きはなく、互いに無言で数秒見つめ合った後、まるで興味は無いと言わんばかりに、ふい、と顔を逸らしたのは鬼丸の方であった。
     彼の視線の先には水の中を滑るように泳ぐ鯉の姿があり、もしかしたらこれは彼の日課なのかも知れない、と思った大典太は邪魔をするのも無粋だとそれ以上声を掛けることはなく、ただただ眼帯に覆われた鬼丸の横顔を見つめるだけだ。
     時計を身につけていない大典太には正確な時間はわかりかねるが、十分ほど経った頃であろうか、再び柘榴の瞳が大典太を捉え、表情こそ動きはしなかったが隻眼が先とは僅かに違う色を見せた。
    「……なんだ、まだ居たのか」
    「邪魔をしては悪いと思ってな」
     鬼丸の失礼な物言いにも眉一つ動かさず、そちらへ行っても? と大典太が身振りで伝えれば、鬼丸は「好きにしろ」とまったく関心のない様子を隠しもせず応じた。その言葉に従い大典太が鬼丸の隣へ腰掛ければ、鬼丸は隣の太刀自身ではなく、彼の手にしている物に気を引かれたようだ。
    「……ウチの審神者からの土産だ。一緒に飲んでこい、との事だ」
     訳がわからん、と大典太が隠すことなくぼやけば、ここに来て初めて鬼丸の眦が、ふっ、と下がった。これまでの近寄りがたい雰囲気が僅かに和らぎ、地に向かっていた口角も若干ではあるが天を向いている。
    「それはそれは、ご苦労なことだ」
     くつり、と喉奥で小さく笑い、鬼丸は「なにもないが上がっていけ」と大典太に声を掛け先立って室内へと戻ったのだった。彼の言葉通り室内には必要最低限の物しかなく、遠慮なく、ぐるり、見回した大典太は呆れと苛立ちが混ざった息を吐いた。
     政府が鬼丸を保護した事に異論はない。だが、彼らは物に宿った心を軽視してはいないだろうか。
     悠久の時を過ごす刀にとって、今この時間はそれこそ瞬き一つの間かも知れない。それでも今確かに此処に存在し、日の光や風のざわめき、優しい雨音や叩き付けねじ伏せるかのような雷雨を、仲間と交わす何気ない会話や共に過ごす時間の大切さを、余すことなくこの身で感じているのだ。
     他者との接触を断たれ、このような場所に独りきりなど、余りにも寂しいではないか。
    「それで、お前はここに泊まるのか?」
     唐突な鬼丸の問いに大典太の意識が引き戻される。だが、その問いの意味が瞬時には理解出来ず、ぽかん、と間の抜けた顔を披露することとなってしまった。
    「……なんだって?」
    「その様子じゃ何も聞いていないんだな。本当にお前は何をしに来たんだか」
     呆れたように大典太を見る鬼丸は態度とは裏腹に、纏う空気が更に柔らかくなっている。
    「これまでも何振りかはここで寝食を共にしたんだが、お前は通いか」
     そう言えば審神者は最初に「しばらく通って欲しい」と言っていたな、と思い出し、大典太が肯定の頷きを返せば、鬼丸はあっさりと、そうか、とだけ返してきた。
    「……他の本丸の見ず知らずの刀といきなり生活を共にするなど、俺には想像も付かん」
    「陰気な刀らしい言葉だ」
     ふは、と思わず出た笑いを隠すことなく鬼丸は部屋の隅に積まれた座布団をひとつ手に取るや、大典太に向かって無造作に投げてきた。不意のことにも動じず、危なげなく受け取った大典太が小さな卓の前に腰を下ろしたのを見届けてから、鬼丸も自分の座布団に腰を下ろす。
     初対面で陰気と言われてはさすがに大典太も、むっ、と眉をひそめるも、大典太光世という刀のことを知らなければ出てこない言葉であることに気づき、はっ、となった。
     いらぬ先入観を持たぬようにと、審神者は資料の一切を大典太に見せなかったが、この鬼丸が居た本丸にも大典太光世は居たのだろう。
    「そちらの審神者がどういった方針かは知らないが、お前の負担にならない程度にうまくやってくれ」
     どこか他人事な物言いをする鬼丸に先とは違う意味で眉を寄せ、大典太は審神者が「相当だぞ」と言った意味を身をもって理解した。
     そもそもこの鬼丸からは、どこかの本丸に行くという意思がまるで感じられないのだ。
    「もし……」
     このようなことを政府がいつまでも続けるとは到底思えず、不意に思い至ってしまった事柄に、大典太の喉が、ひくり、と引き攣る。
    「このままどこの本丸にも所属しない、となったら……あんたはどうなるんだ」
    「さぁ、それはおれが決めることではないな」
     言葉とは裏腹に、曇りなきその眼はすべてを見通しているかのように、ただただまっすぐに大典太を見据えるだけであった。

       ◇   ◇   ◇

     陽のあるうちから酒を飲み、これといった話題もないまま、酒瓶の中身だけが着々と減っていく。双方共に無理をしてまで会話をしようという考えはなく、それがわかっているからこそ気まずい思いをすることなく黙々と酒を口に含んでいる。
     大典太が鬼丸の元へ通うようになってから、一週間が経過している。その間、毎日足を運んでいたわけではないが、最初に鬼丸自身が「負担にならない程度に」と言っていたため、大典太もさして気にせず本丸での用事を優先していただけの話だ。
    「……あんたに渡す物があった」
     盃が空になった大典太は酒瓶へと伸ばしていた手を途中で懐へと移動させ、ごそ、と内ポケットを探ったかと思えば握った物を静かに卓へと置いた。
    「今更か」
     くい、と盃の中身を飲み干してから鬼丸が呆れたように片眉を上げる。懐中時計のように見えるそれは、文字盤に当たる部分にいくつかの数字とアルファベットが二行に分かれて表示されている。
    「すっかり失念していた」
     悪びれた様子もなく言い放った大典太に苦笑をひとつ返し、鬼丸は卓上のそれを黙って手にするや立ち上がり、無造作に茶箪笥の上へと置いた。
    「期日が来たら勝手に持って帰ってくれ」
     暗に使う気はないと告げてきた鬼丸に大典太は特に驚いた様子もなく、わかった、とだけ返す。
     この庵と大典太の所属する本丸の座標が登録された簡易転送機は三つしかない。転送機ひとつにつき一体しか運べない仕様となっており、残りは大典太と審神者が所持している。
     最初は複数人に対応している通常の転送機が用いられていたのだが、人数に物を言わせ無理矢理に連れ出そうとした本丸があったことから、簡易転送機へと変わったのだった。
     更にはこの庵の座標は機密事項となっており、転移記録は当然のことながら政府は把握している。仮に他の本丸から通常の転送機で訪れた場合、座標を漏らした本丸共々厳罰に処される。
    「……渡す物も渡したし、帰ることにする」
     ほぼほぼ大典太が消費した酒の残りは、鬼丸の晩酌で消えるだろう。盃も酒瓶もそのままに立ち上がった大典太の背に、鬼丸からの問いが投げられた。
    「次はいつ来る?」
     まさかそのようなことを聞かれると思っていなかった大典太は、なにか聞き間違えたかと驚きもあらわに振り返る。次、と言うことは、鬼丸は大典太がまた来ると信じて疑っておらず、更にはこれまでは仕方なしに迎えていた大典太に対して、鬼丸自身が気を許し始めているということだ。
    「お前は酒しか持ってこないからな。肴くらいはこっちで用意しておく」
    「……あ、あぁ、では明後日……」
     自分の発言の意味をそこまで深く考えていないのか、鬼丸は、わかった、と素っ気なく返し、大典太を見送ることなくふたつの盃と酒瓶を手に奥へと消えたのだった。

       ◇   ◇   ◇

     軽く刀を一振りしてから大典太は、ゆうるり、と頭を巡らせる。想定以上に引き離されてしまったが、共に出陣した者たちの姿は全員視認出来る範囲内におり、ほっ、と安堵の息をついた。
     手早く仲間を呼び集め、本丸へと戻るや大典太は他の者に手入れ部屋へ行くよう指示を出し、自身は手当てもそこそこに審神者の元へと向かう。
    「今戻った」
    「お疲れ様。ほんと急な話で申し訳なかった」
     政府からの急な出陣要請に応じるために遠征部隊を出陣させ、更に非番であった大典太に無理を言って部隊長を任せたのだ。
     ちょいちょい、と審神者に手招きされ、大典太は怪訝に眉を寄せながらも卓を、ぐるり、と回り、審神者の隣へ腰を下ろす。
    「……なんだ?」
    「予定より遅れたから鬼丸にその事を伝えてた」
     ほれ、と普段は政府との連絡に使っているため、審神者以外見ることを禁じられているノートパソコンを見るよう促される。大典太は一瞬躊躇うも、そろり、と画面に目をやればそこには確かに鬼丸の姿があり、軽く目を見張った。だが、僅かに違和感を覚え、こんな顔だったか……? と記憶と照らし合わせながら口を開く。
    「時間通りに行けなくてすまない」
    「いや、事情は聞いた。こちらのことは気にしないでいい」
     淡々と応じる鬼丸の表情は動くことはなく、その声も抑揚がない。画面越しということもあるのか、人形のように整った面は感情といった物が微塵も感じられなかった。
    「今から行くから少し待っててくれ。さすがにこのままではな」
     装具を外しているとはいえ、現在の大典太は汚れた戦装束のままだ。
    「着替えたらすぐに……」
    「来なくていい」
     ぴしゃり、と大典太の言葉を遮った鬼丸は相も変わらず無表情で、眉一つ動かす様子もない。
    「手入れを受けて今日は休め。それともなにか? そちらの本丸も重傷以外は手入れをしない主義か?」
    「そんなことはない。この程度ならば急ぐ必要はないと……」
     鬼丸から見える唯一の怪我の痕跡である頬に張られたガーゼに触れ、大典太が否定の言葉を伝えれば、画面の向こうの隻眼が僅かに眇められた。
    「今日は来るな」
     先よりも強い口調で言い切った鬼丸に大典太がなにか言いかけるも、それを制したのは隣で二人の会話を黙って聞いていた審神者であった。
    「わかった。手入れ部屋が空いたらちゃんと行かせる。それから今日の代わりに明日を非番にするから、明日。明日そちらへ伺っても良いかな?」
    「……わかった」
     きゅっ、と一旦唇を引き結んだ鬼丸からの返答に、審神者は内心で胸を撫で下ろす。
    「では時間は今日と同じで。今回はこちらの都合で予定を狂わせてしまって、本当に申し訳なかった」
     審神者の頭が沈み込んだ瞬間、鬼丸の目が見開かれる。今日初めて鬼丸の表情が大きく動いたことに、違和感の正体はこれであったかと大典太はようやっと気がついた。
    「あんたがおれに詫びる必要などないだろう。もし……明日来られなくなったとしても連絡は不要だ」
     そう言うや審神者が顔を上げる前に、鬼丸は一方的に通信を切ってしまった。
    「うぅーん、やっぱり顔がいい」
    「……おい」
     不意に飛び出したおちゃらけた発言に思わず大典太がツッコミを入れれば、審神者は困ったように眉尻を下げ、緩く息を吐いた。
    「いや、何度か話してるけど緊張するね。絶対に目を逸らさないし、こっちの挙動をよく見てる。嘘ついたら一発でバレるなあれは」
     そもそも嘘をつく気はないけれども、と軽く笑って審神者は、よっこいしょ、と立ち上がった。
    「うまくやれてるようで良かった。優しいなあの太刀は。言い方はアレだけど」
     手入れ部屋行くぞー、とさっさと歩き出した審神者に続いて大典太も腰を上げる。うまくやれているかと聞かれれば、それなりに、とは答えられるが、鬼丸が優しいかどうかは大典太にはわからなかった。
     翌日、約束通り庵を訪れた大典太はどのような顔で鬼丸に会えば良いのか正直戸惑っていたのだが、出迎えた太刀はこれまでと変わらず僅かに口角を上げ、柔く目を細めたのだった。
    「……ちゃんと直ってるな」
     不意に鬼丸の唇から零れ落ちた言葉に、大典太は己の頬に反射的に触れる。昨日は一体なにが鬼丸の逆鱗に触れたのか皆目見当が付かなかったが、こうして顔を合わせて理解したのだ。
     彼は怒っていたのではなく、心配してくれていたのだと。
     大典太自身、他者の事をとやかく言える性格ではないが、目の前のこの太刀は性根とは裏腹に誤解されやすいだろう事は容易に想像が付いた。
     そして鬼丸自身、積極的にその誤解を解こうとしないであろう事も。
     それが鬼丸国綱という刀特有の物であるのか、元いた本丸の影響であるのか、大典太にはわからない。
     ただひとつ確実に言える事は、この太刀に心配されて悪い気はしなかったという事だ。

       ◇   ◇   ◇

     転移が済んだ瞬間、顔を打った水滴に大典太は反射的に空を仰いだ。上空にはどんよりと重苦しい雨雲が垂れ込めており、見る間に服の色が変わっていく。
     以前、どこまで行けるのか試しに庵を取り囲む木々の間を歩いてみたが、その先が見えているにも関わらず、いくらも進まぬうちに目には見えない空気の層のような物に阻まれたのだった。
     本丸のように現実と虚構の狭間に存在しているのではなく、ここはどこかに実在する土地には違いないが、この一帯だけが切り取られ階層が微妙にずれているのだろう。
     無駄に濡れるのも御免だ、と大典太は大股に飛び石を踏み縁側へと回った。常ならば挨拶のように「玄関から来い」との言葉が飛んでくるのだが、今日はいつもの位置に鬼丸の姿はなく、室内も物音ひとつせずしんと静まりかえっている。
     所謂『軟禁状態』である鬼丸に他の場所へ行く術はなく、この庵内に居るのは間違いない。さほど広くないここで大典太が足を踏み入れたことがないのは、浴室と寝室だ。
     もし眠っているのならばわざわざ起こすこともあるまいと、大典太は土産の酒を卓へと置きそのまま戻ろうとするもどうにも釈然とせず、その場に立ち尽くす。
     鬼丸とは今も会話が弾むといった状態ではないが、近頃はポツポツとではあるが大典太は本丸でのことや出陣先でのこと、鬼丸は池の鯉のことや庭先に訪れる鳥のことなどを口にするようになっていた。
     しかも今回は四日ぶりの訪問だ。鬼丸もそれなりに楽しみにしていたのではないかと、大典太は心のどこかで思っていたのだ。
     それが自惚れであったのならば、自嘲すればいいだけの事だ。
     だが、もし鬼丸の身になにかあったのだとしたら……
     しばし迷った末に大典太は寝室の襖を細く開けた。
     そっ、と極力足音を立てぬよう寝室内へ入り、枕元に膝を着く。白磁の肌はうっすらと紅潮し、触れるまでもなく発熱していると知れた。当たって欲しくなかった状況に大典太は、狼狽えまいと必死に己を律する。だが、これまで病人の看病などしたことがなく、正直どうすればいいのかわからないのだ。
    「……前田、いや……この場合は薬研か」
     こういう時に人の側にあった短刀たちの存在は心強い。わからなければ知っている者に助力を請えば良いのだ。端末を取り出し、ぽちぽち、と覚束ない手つきでメッセージを送れば、さほど間を置かず返信があり大典太は、ほっ、と安堵の息を吐いた。
    「まずは熱の有無、それから汗をかいていたら身体を拭いてから着替えさせて……」
     薬研の指示通りに水を張った桶や手拭い、替えの寝間着を用意する。
    「鬼丸」
     名を呼びながら濡れ手拭いで顔を拭ってやれば、気怠げに瞼が持ち上がっていく。ぼんやりとした眼差しは見ている物を認識するまで時間がかかったが、ややあって「……大典太?」と鬼丸の口から掠れた声が漏れ出た。
    「いつからこうだったんだ? 食事は? あ、あと薬は飲んだのか?」
     それから、えーと……、と矢継ぎ早に問いを投げかけてくる大典太を見上げ、鬼丸は、ふふ、とこの場にそぐわぬ笑みを浮かべる。
    「……少し落ち着け」
    「……そうだな……すまない」
     項垂れてしまった大典太の膝を鬼丸が軽く叩けば、それに促されるように止まっていた手が汗を拭っていく。
    「……雨続きで気温が下がったからな。油断した。あぁ、熱は昨晩からだ」
     先の大典太の問いを思い返しながら、鬼丸はゆっくりと言葉を紡ぐ。
    「薬は……そもそもここにあるのかすらわからん」
     大典太よりもよほど落ち着いた様子の鬼丸に、看病する側は更にしょげかえる。それを見た鬼丸はやはり笑みを浮かべるも、そこに揶揄や嘲りの色はなく、むしろどこか安堵したような穏やかな表情をしている。
    「……なんだ」
     そんなに俺の失態がおもしろいのか、と大典太が持ち前の後ろ向きさを見せても、鬼丸は気分を害した様子もなく、ゆうるり、と首を横に振った。
    「いや、あんたのいるところは随分と……いいところなんだな、と……思ってな」
     僅かに瞼を伏せた鬼丸は何を思い出しているのか、一瞬ではあったが声に翳りが落ちる。
    「おれの知っている『大典太光世』は、そんな顔はしなかった……」
     鬼丸の記憶にある『大典太光世』は常に淀んだ昏い瞳をしており、能面のように作り物じみた表情が変わることもなかった。
    「……あれは、生きながらにして……死んでいるようなものだった」
     だが、あそこではそれが普通のことであったのだ。
     審神者に贔屓される刀。
     ぞんざいに扱われる刀。
     無下にされる刀。
     躊躇いなく刀解される刀。
     人の世とはそういうものなのだろうと、思っていたのだ。
     肉の器を得ようとも刀は刀であると。
     ただの道具でしかないのだと。
     人の都合ひとつでいかようにもなる存在なのだと。
     ぽつぽつ、と雨だれのように鬼丸の口から語られる内容に、大典太は、くしゃり、と顔を歪める。
     鬼丸本人に自覚はないだろう。
     だが、彼は絶望していたのだ。
     それ故になにも望まずなにも求めず、ただただその身の終焉を待っていたのだ。
    「……俺は、審神者からここに来るように言われた時、なんでそんな事を、と思った。審神者自身、あんたを無理に連れてこなくてもいいと言っていたからだ。ただ一緒に酒を飲んで来いと、要望はそれだけだった」
    「おかしな奴だな」
    「俺もそう思う」
     くくっ、と共に低く笑い、大典太は労るように掌で鬼丸の額と瞼を覆った。
    「俺は、あんたと共に酒を飲むのも悪くないと……今は思っている」
     あんたはどうだ? と囁くように問われ、鬼丸は大典太の掌の下で反射的に、ぱちぱち、と瞬きをする。互いに表情が見えないからこそ、言えることもあるのだろう。
     これまでに鬼丸の元を訪れた男士たちは、決して悪意のある者ではなかった。ただ審神者の願いを叶えようと、鬼丸を本丸へ連れ帰ることのみに意識が行っていただけなのだ。鬼丸の意思を尊重しているようでその実、強制していることに気づいていないだけであったのだ。
     性急に答えを求めず、ここまで無駄とも思える時間を共に過ごしてくれた男士は、大典太以外いなかったのだ。
    「……そうだな。悪くはない」
     同じ言葉を返し鬼丸が口角を上げれば、大典太の手が僅かに震えた。微かに逡巡の気配が伝わってくるが、鬼丸は敢えてなにも言わず相手の言葉を待った。
    「一緒に、来るか……?」
     意を決しての問いは短い物であったが、飾らぬその言葉に大典太の本気が見て取れる。審神者が望んだからではなく、大典太自身が鬼丸と共にあることを選び、望んでいるのだ。
     ふわり、と胸を満たしたどこかむず痒いような、心が浮き立つようなこの感情の名を、鬼丸は知らない。
     それでもこの太刀とならばもう一度己の刃を振るっても良いと、そう思ったのだ。
     答えは考えるまでもなかった。
    「……もう少し、考えさせてくれ」
     だが、鬼丸の口から出た言葉は、決意とは裏腹に了承のそれではなかった。
     大典太からすれば気力を振り絞っての精一杯の誘いであったのだ。色好い返事が貰えるものと期待していた分、落胆は激しく見る間に大典太の肩が落ちていく。
    「そ、うか……なら仕方が……」
     ない、と続くはずであった言葉は、大典太の手を握る鬼丸に阻まれた。目元を覆う手をずらし、じぃ、と見上げてくる柘榴の瞳は真っ直ぐに大典太を捉えている。
    「期日まではまだ日がある。共に飲みながら、ゆっくり考えさせてくれ」
     ふふ、とどこか人の悪い笑みを漏らした鬼丸を、ぽかん、と見下ろし、彼の言わんとする真意を読み取った大典太は、ふは、と耐えきれずに吹き出した。
    「そうだな、審神者にはもっといい酒を用意するよう、俺から言っておこう」
     楽しみだな、と瞬く間に大典太は共犯者の顔になる。
     誰に憚ることなく大手を振って美味い酒を飲む事が出来る、ふたりだけのこの時間を終わらせるのは惜しいのだとのお誘いを、大典太が断る理由などなかった。
     話が一段落したところで緩く息を吐き瞼を伏せた鬼丸に大典太は、無理をさせた、と短く詫びてから再度手拭いで相手の顔を拭い、次いで身体も拭くと申し出たがそれは苦笑と共に断られた。
    「薬は、薬研に届けてもらうか」
     ぽちぽち、と端末を操作しながら大典太は、そうだ、となにか思いついたか鬼丸に顔を向けた。
    「今日は泊まるからな」
     有無を言わせぬその口調に、鬼丸は思わず了承の頷きを返してしまったのだった。

       ◇   ◇   ◇

     翌日になっても雨はやまず、軒先から滴る雫を見るともなしに見上げていた大典太の端末が着信を告げる。
     ちら、と視線を横に滑らせた先には穏やかな寝息を立てている鬼丸がおり、大典太は静かに立ち上がると寝室を後にした。
    「どうした」
     池面に広がるいくつもの波紋を見ながら応じれば、端末の向こうから聞こえてきた薬研の声は僅かに緊張を滲ませており、大典太の視線が若干険しくなる。
    「よくない報せだ。そこの座標を審神者フォーラムに書き込んだ莫迦が出た」
     非公式ではあるが情報交換場所として有名であり、活用している審神者が多い事は大典太も知っている。所謂『釣り』というガセネタも書き込まれる事があるが、政府職員からのリークらしき情報もたまにあるなかなかに侮れない場所だ。
    「座標だけで『どこの』とは書かれていなかったんだが、その後に『そこに鬼丸が居る』とバラした莫迦審神者が出て来て、政府の依頼でどうたらって自分とこの失敗談を語り出してな」
     はー……、と深々と溜息をつく薬研の様子が手に取るようにわかり、大典太も同様に額に手を当て、はー……、と溜息を漏らす。
    「まぁ垢BAN食らったかすぐに書き込みは消えたし、政府が絡んでるならヤバいってんで大半の審神者は見なかった事にしたみたいだけどな、面白半分にそっち行く奴が居ないとも限らないんで、ちょいと警戒しといてくれや」
    「あぁ、わかった」
    「一番いいのは今すぐに鬼丸を連れて、ふたりで戻って貰う事なんだが……無理強いは良くないからな」
     薬研の気遣いに一言、すまんな、と返し、大典太は最後に礼を伝えてから通話を終わらせたのだった。
     さて、と大典太は緩く息を吐き、雨に煙る外に改めて顔を向ける。
     聡い短刀の忠告が無駄にならなかった事を喜ぶべきか、危惧が現実になった事を嘆くべきか。
     濡れそぼった身体を不安定にゆらゆらと揺らしながら、庵に向かってくる人影を睥睨する。手には既に抜き身の刀が握られており、穏やかに話が出来るとは到底思えなかった。
     しかもその身がかつては刀剣男士であっただろうことは窺えたが、纏う空気はもはや穢れに満ちており、それに伴い現世での仮初めの姿は揺らぎ元がどの刀であるかの判別すらつかない状態であった。
     近づいてくるにつれ、キシキシ、と不快な音が大典太の耳朶を打つ。
     それが目の前までやって来た刀剣の発する言語であると気づき、冷たい汗が一筋、背中を伝い落ちた。
     繰り返されるのは一言一句違わぬ言葉。
     ――主の為
     ――主のため
     ――あるじのため
     呪いにも等しい強い思いに自我まで塗り潰された刀を前に、大典太は無言で腰を低く落とす。
     手中に己の本体はない。
     だが、ここを通すわけにはいかなかった。
     この刀は鬼丸が居た本丸から来たのだろうと、なんの確証もないがそう思ったのだ。
     息を詰め互いに動かず睨み合うこと数秒。
    「……大典太、どけ」
     ピリリ、と張り詰めた空気の中、不意に響いた静かな一言であった。
     音もなく大典太の左側から進み出た鬼丸の手には、清廉な輝きを放つ刃が一振り。
    「鬼丸、こいつは……」
    「わかっている」
     すぅ、と流れるように持ち上げられた白刃の先端が、ぴたり、と名もわからぬほどに変わり果てた刀に据えられる。
    「理由はどうあれ……」
     自分が知らない主の愛を一身に受けた刀。
     主の嘆きを一身に受けてしまった刀。
     怨嗟と歪んだ望みを一身に受け存在意義が変貌してしまった刀。
    「おれが始末を付けなければならない事だ」
     ――鬼丸国綱という刀が招いた事なれば、己の手で決着をつけるのが筋というものだ。
     力強い踏み込みと共に躊躇いなく振るわれた一閃。
     降り頻る雨すら両断したそれは、鋼に断末魔を上げさせる事もなかった。
     鞘へと刀が納められると同時に鬼丸の身体はゆっくりと頽れそうになるも、間一髪その身は大典太に支えられた。
    「……お前とゆっくり飲み交わす計画が台無しだな」
     じきに騒がしくなる、とぼやく鬼丸のそれが冗談か本心か判断がつかず、大典太は曖昧に相鎚を打ちながら、瞼を伏せたままの鬼丸の顔を見下ろす。
     大典太には鬼丸の胸中はわからない。だが、先の一太刀は鬼丸が追い縋る過去を、絡みつく因果を断ち切ったように見えたのだった。

       ◇   ◇   ◇

     歓迎会と称した酒宴から、そっ、と抜け出し、鬼丸は庭の池の前で足を止めた。
     引っ越し先でも変わらぬ優雅に泳ぐ色鮮やかな姿に目を細め、綻ぶ口元を隠す様子もない。だが、背後に他者の気配を感じるや、その面は近づきがたい硬質な物に取って代わった。
    「……主役が抜け出してどうする」
    「ああいうのは性に合わん」
     おまえならわかるだろう? と鬼丸が振り向きざまに言葉を投げれば、宴席から酒瓶を一本失敬してきた大典太は軽く肩を竦める事で答えとした。
    「ふたりで飲むのなら構わないだろう?」
    「……そうだな」
     あの庵のようにとはいかないまでも、大典太がひとりで良く本を読んでいる蔵ならば、滅多に人は来ないはずだ。
     こっちだ、と明かりの届かぬ庭の向こうを先導し、続く鬼丸の足音がつかず離れずである事に大典太は眦を下げる。
     酒宴が始まる前に大典太は審神者と薬研に呼ばれ、鬼丸が居た本丸が取り潰された事を知った。
     薬研曰く「鬼丸は取り潰しの為の口実にされたのだろう」との事だった。
     あの本丸は監視は着いたが閉鎖とまではいかなかったのは建前で、本来ならば閉鎖対象であったのだろう。ただし本丸を閉鎖させるにはそれ相応の理由が必要となる。これまでそれなりに功績を挙げていた本丸であれば尚更だ。
     審神者フォーラムに書き込まれた座標は謂わば餌で、それに対象がまんまと食いついたわけである。連れ戻すつもりであったのか、あるいは他の本丸に渡すくらいなら折るつもりであったのか、それを知る術は外部の者にはないのだが。
    「この事を鬼丸に伝えるかは大典太に任せる」と審神者に言われたが、当然のことながら大典太は首を横に振った。鬼丸には過去の本丸ではなく、この本丸でのこれからだけを見て欲しいと思ったのだ。
    「ここは、随分と賑やかだな……」
     ぽつり、零れ落ちた鬼丸の言葉に、そうだな、と低く応じる。
     宴席では鬼丸の元には知己や縁者が次々と足を運び、語り、酒を奨め、料理上手な者達はまるで競い合うかのように皿を奨めていた。
     その様子を思い出し、ふたりきりで飲んだ事が明るみに出れば粟田口の短刀たちから「鬼丸さんを独り占めしてずるい!」と、あとであれこれ言われそうだなと考えるも、その時はその時だと大典太は楽観視する事にしたのだった。


    2021.05.23
    2021.05.27一部加筆
    2021.11.15加筆修正・改稿
    茶田智吉 Link Message Mute
    2022/11/23 6:35:40

    【刀剣】鬼丸さん身請け話

    #刀剣乱舞 #腐向け #典鬼 #大典太光世 #鬼丸国綱 ##刀剣
    他の本丸からわけあって政府預かりになった鬼丸さんを光世が説得(?)する話。

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