舟職人からの質疑応答「あちゃー欠けちゃった」
ある日の朝、ロトは刃こぼれした貝斧の刃先を見つめた。そろそろこれにガタが来るとは思っていた。彼女は船小屋の至る所から材料の貝がないか探した。
「うーん、ないかな。またモアナに貝を持ってきてもらえるか聞こうかな」
すると船小屋の浜辺の見える吹き抜けから声が聞こえてきた。
「あー、忙しいところすまない」
「ん?」
ロトは少し目を細め、声の主を視界に捉えた。普段、船小屋に来るような相手じゃない。
「どうしてここに?いまみんな出払っちゃってるよ。用件があれば、あたし伝えとくけど……」
他の船職人は声の主がここに来るなど特に何も話していなかった。おそらく事前に彼が来ることを知っていたらロトよりベテランの船職人が数人ここに待機しているはずだ。
「いや大丈夫だ。急な思いつきというか。君に用があって」
「えっ?」
「実は娘の件で──」
そう切り出すと、声の主はロトにとある頼みを持ちかけた。
「私、宴のあとに誘っちゃおうかなって!!あの人、どんな反応するかな!?」
「いいねー!がんばれ!!」
ある日の昼、モアナは同年代の友人二人の恋の話について相槌を打っていた。
「「で、モアナは?」」
「わ、わたしはー……」
モアナは友人たちから目を逸らす。この話題になるといつもはぐらかしてきたが、最近ははぐらかすのも難しくなってきている。十九歳にもなると結婚を前提に付き合う友人も出てきている。
「あの三人なんてさ」
友人のひとりはモアナから三人の青年へと視線を移した。
「どう考えたってモアナに脈ありじゃない?モアナがモトゥフェトゥの器を持って帰ってきたときも競争してたし。モテるねーこのー!」
「え、えーっと……」
モアナは目線を逸らす。聞き役だけなら楽しいのに聞かれる側になるとこんなにも苦しいものなのか。
「それともー、案外年下派?」
もうひとりの友人はモアナが以前ダンスを教えてた少年のほうを顎で指し示した。少年はこの前の宴でアプローチを断られたにも関わらずダンスの研鑽に余念がない。
「い、いや!待って!違うの!なんというか……まだ……」
「モアナ、好きな人いるかいないかだけでも教えてくんない?」
モアナは言葉に詰まった。
「はぁ、わかった!わかるよ?言いたくない気持ち。モアナの好きな人が誰かわかったら噂なんてすぐ広がるだろうし。せめて好きな人いるかいないかだけでも……」
「う、うーん……あっ!ごめーん!ロトから頼まれごとがあって!」
モアナは釣り針とハートが描かれた愛用のオールを持って、船小屋へと走り去った。モアナが去ったあと、残された二人は顔を見合わせた。
「嘘つくの下手だね」
「この前もロトに会うって言っていなくなっちゃったし」
ああ、バレてるかな。きっとバレてる。モアナは走りながら顔をしかめた。本当はみんなと同じように相手について話したいし教えたい。どんな反応するのか。納得してもらえるのか不思議に思われるのかどちらでも構わない。
一方でロトに会うことへの安堵もあった。あの船職人のロトなら大丈夫。船について聞けば、モアナにとって避けたい先程の話題を積極的に取り上げることはないだろう。
しかしモアナがそう思えたのも今日までだった。
「ロト!」
モアナは船小屋の外にいたロトを呼ぶ。ロトは他の海の民から借りた大きな石斧で資材を切っているところだった。モアナの声に気づくと、ロトは大きな石斧を船小屋の隅に立てかけた。
「あれ、モアナ?今日は宴の準備じゃなかった?
「今日は大丈夫!大変なのは明日かな?」
「そう。わざわざ、あたしのとこに来たってことはまた試作品のお披露目会に来てくれたってことでいい?」
「うん、よろしく!」
ロトはモアナを船小屋へと歓迎した。小屋に入ってすぐのところに精巧につくられた大きめの模型が置かれている。
「この模型、大きいね?」
モアナは大きめの模型を観察した。帆も丈夫そうだし縄もいくつか括り付けられている。浮材も滑らかに削られており海に浮かべても進みそうだ。
「あ、それは明後日あたりにカカモラたちに頼んで動かしてもらおうと思ってる!模型というか小さな試作品ってとこかな。お頭親子も来るらしいし気に入ってくれたらそのまま使ってもらおうかなって」
「へぇ!すごい!」
モアナは歓声を上げた。
「えっと、モアナ?」
ロトが少し声を上ずらせる。
「あっここにオール置いてもい……」
「好きな人っている?」
「いっ!?」
ロトの予想外の質問にモアナは柱に立てかけようとしたオールを倒しそうになった。
「えっ、えっとどういうこと?」
モアナはオールを立てかけ直した。
「いや!実は……あ、これ言っちゃまずいか」
「えー!言ってよ!」
「うーんどうしよっかな……」
ロトは周囲に人がいないか確認する。そしてモアナに小声で耳打ちした。
「実は村長から頼まれたんだ」
「お父さんが!?」
「声大きいって。でね、なんでもいいから新しい情報を聞き出せたら斧や模型用の材料の割り当て増やすって言われてさ」
「あーもう……」
モアナはめまいがしそうになった。まさか自分の父親が同年代の友人に根回ししてまで娘の恋愛事情について聞こうとすると思わなかった。しかも恋愛話に関心の薄そうなロトにまで模型の材料の提供すると持ちかけるなんて。もしかすると今日話してた友人たちにも似たように根回ししてたのだろうか……。さらにロトが耳を疑うようなことを言ってきた。
「まぁ、あたしも興味があって引き受けたワケ」
「えっ!?」
「モアナって他の友達とそういう話してるの聞いたことないなぁって。あたしも、最初は村長に『他の人は?』って話したんだ。割り当てについてもその時は言ってなかったし。そしたらほぼ全員ダメだったらしくって」
モアナは溜息を深くついた。
「お父さんってば……」
「弟子をとるにしても、血の繋がりで引き継ぐにしても跡継ぎについてどう考えてるか家族に伝えたほうがいいかもね」
「うん、そうする」
モアナは肩をすくめてロトの意見について肯定した。
「じゃあ、さっそく本題に入っていい?」
ロトの言葉でモアナは身構えた。
「そんな緊張しなくていいよ、全部伝えるわけじゃないし!」
「緊張してないって」
ロトの軽口にモアナが口を尖らせた。
「オッケー。まず、好きな人の有無について」
「……いる。片思いだと思うけど」
「へぇ!んーと、体鍛えてる人?」
「う、うん。そうだね」
ロトが腰帯に下げてる石斧でモアナを指してきてモアナは目を丸くした。彼女は細心の注意を払いロトの斧の柄をつまむと、その刃先を自分から逸らすように動かした。
「あ、でも一緒に船に乗るときに力持ちだと船の操作のとき助かるなぁって感じ」
ロトはモアナに小声で言った。
「あの三人組に気遣ってるね。ここにいないから安心しなよ」
モアナは三人組が髪を振り下ろす様子を思い出して苦笑いした。
「背丈は?」
「高いほうかな」
「同い年?」
「ううん」
「じゃあモニは違うか……」
ロトが険しそうな顔で顎に手を当てた。モアナが数回頷く。
「モニとは気が合うけど、友達かなぁ」
「年上?年下?」
次のロトの質問に対してモアナは一瞬うつむいた。
「……年上」
「偏屈なお年寄り?ココナッツもこよなく愛してるような」
ロトの言葉にモアナが吹き出した。
「否定は、しないかな」
「もしかして意外とむさ苦しいのが好……うわっ!?」
モアナは手を滑らせて持っていた模型を落とした。
「ご、ごめん!」
モアナが慌てて謝る。
「大丈夫、大丈夫。すぐ直せるから!」
ロトが先に模型を拾い上げた。取れてしまった帆柱を元の位置にねじって固定すると、モアナの手元に返した。
「で、さっきの質問なんだけど」
ロトが話を再開すると、モアナはうろたえながらも船の模型を定位置に戻した。
「あ、あのね、ま、マウイとはそういうわけじゃ……!」
「マウイなんて一言も言ってないよ」
「あ……」
モアナは手を口で覆う。口を滑らせてしまった。
「ロト。マウイのこと、お父さんに秘密にしてもらえる?」
ロトが無言でモアナに至近距離で近づく。
「だ、だめ?」
モアナは体を少しのけぞらせた。
「ん?んー……わかった」
ロトが手元の台に置いてあった貝斧に視線を向けた。モアナは数日前、彼女が貝斧の刃が欠けてしまったと話していたことを思い出した。普段から使っている石斧より使用頻度が低いと言っていたが、やはり欠けてしまうと不便らしい。きっとまだ誰も知らなかったモアナの好きな人の情報を得たので秘密にするか迷ったのだろう。
「ここからはあたし個人の疑問なんだけど……」
ロトがそう言いかけるとニワトリのヘイヘイが横切ってきた。ヘイヘイは船の模型をつつき出す。モアナはとっさにヘイヘイと船の模型を離した。
「いつから好き?三年前?それともモトゥフェトゥ?」
「う……うーん……。それが自分でもわからないの。会ったときは仲良くなれそうになかったし」
マウイと出会った当初はまずまともに話し合いできるかもわからなかった。確か、ラロタイから抜け出したあと彼の生い立ちを聞いてから彼に対する見方が変わった。何千年尽くしても思うような愛を得られず、よかれと思ってテ・フィティの心を手に入れたら閉じ込められた。久々にやってきた人間(つまりモアナのことだが)はテ・フィティの心を返しに行けと言ってくる。どんな人間でも海に投げ捨てるのは良くないと思うけれど、尽くしてきた人間に恩を仇で返されて嫌になるのは仕方ないだろう。
「でも打ち解けてからの航海術の修行、ほんとに楽しかった」
しかしテ・カァの攻撃によりマウイの釣り針が半壊し、魔物と戦う頼みの綱が切れかかりマウイは離脱してしまった。その後は一人(と一羽)で『テ・カァを倒す』から『テ・カァの攻撃を避ける』という方法に切り替えたものの、いつ攻撃が当たってもおかしくなかった。船が転覆した時、彼が戻ってきてくれて安堵したのは本当だ。モアナは自分一人では起こせなかった船をマウイが軽々と釣り針で引っ掛けて起こしたことを思い出す。テ・フィティが釣り針や船を修復してくれたことやそしてマウイの胸にモアナの姿のタトゥーが刻まれたことも。別れ際に思わず跳び込むようにマウイを抱きしめたこと。
「三年会えないのは寂しかったけど再会できて嬉しかったな」
再会の話と同時にミニマウイとハイタッチしてマウイの左胸を触ってしまったことを思い出してモアナは全身に火がついたように熱くなった。彼女は慌てて首をブンブンふる。
「急にどうしたの?」
ロトが面食らったようにモアナを見た。
「な、なんでもない!……三年前はマウイがここに来てくれるなんて思わなかったな」
モアナの微笑む表情を見てロトが頷いた。
「ただ、マウイはわたしよりずっと年上だし恋人になるのは難しいと思う」
「ん?そうでもないんじゃない?」
ロトはモアナの左腕のタトゥーをちらりと見た。
「少なくとも今のモアナはマウイと同じ半分神様だし一緒にいられる時間は増えたわけだよね。あと、たとえばマウイに大切な人とか本命の恋人がいたらさ、たぶんタトゥーの中にいると思うんだ。それがいないってことは期待してもいいんじゃないかな」
「そうかな?」
「うん。モニから聞いたかもしれないけど、大きな貝の中でマウイと初めて会ったとき、マウイはすぐ別のとこ行こうとしてたんだよ。でも」
ロトがヘイヘイを小脇に抱えて手で示した。
「このニワトリちゃんを見た途端、あたしたちがモアナと知り合いだって気づいてモアナの居場所を聞いてきたもん」
「初めて聞いた……」
「ナロの呪いが解けたあとも、すぐモアナを探しに行ったんだ。すぐ潜っちゃって、あたしたちが声かける暇もなかったよ」
モアナは何か言おうとして口を少し開けた。が、言葉が出ず再び口を閉じる。自分がナロの雷撃を受けてから目を覚ました時のことを思い出す。あのときのマウイはタトゥーがなくなった体を少し寂しそうに見せてから、海から釣り針を受け取っていた。もちろん釣り針は三年前、テ・カァの攻撃で一度壊れたあと気にしない様子を見せていた。ただマウイのタトゥーとなると、また話が違ってくる。長い間を過ごした小さな相棒もいた。相棒とは反発することもあったろうが、そんな長年の付き合いのある友達を失うような状況でも、なおモアナを優先したのかと思うと……。
「あたしも専門家じゃないからなんともいえないけど、マウイの大親友の半分神様はモアナだけだと思うよ」
「……ありがとね。ロト」
モアナはロトに礼を言う。まさかマウイのことについてロトとこんなに詳しく話すとは思わなかった。ふと見るとだいぶ空の色もだいぶ暗くなっている。外の様子がよくわかる小屋なのに、日が暮れていることにさえ気づかずに話し込んでいたのかと実感した。
「日もだいぶ暮れてきちゃったね。いままでここまで話したことなかったから、話せてすっきりしたかも」
「あたしのほうこそ!面白かった!村長には『年上が好み』とだけ言っとくよ。いきなり三千歳にもなる人のこと好きなんて言ったら倒れちゃうかもしれないし」
ロトがイタズラっぽく笑うのにつられてモアナも笑った。
「じゃあ、また明日!」
「うん!また……ん?」
モアナと別れてロトは小屋の外の地面を凝視した。さっきまでなかったはずのたくさんの木の実が散らばっていてヘイヘイがそれをつついている。そしてその隣には大きな貝が置かれており地面に釣り針のサインが書いてあった。
「さっすが半分神様!気前がいいね!ラッキー!」
ロトは満面の笑みを浮かべた。彼女は上機嫌で勢いよく貝を持ち上げると船小屋へと戻っていった。