息子と弟子 人々を守るヒーローたちと、そのヒーローたちをサポートする者たちが集うアベンジャーズの基地。サノスの野望によって宇宙全体の人口が半分になって以降、常駐する人間が極端に少なくなった基地は寒々しく見える。その基地の開発室にトニーはいた。
トニーは「タイム泥棒作戦」に使用するスーツの参考にするためにスコットから借りたアントマンスーツと、スーツを調べて得たデータを睨みながら眉間にしわを深く刻む。
アントマンスーツを開発したのはハンク・ピムという天才であり、彼が開発したスーツは奇跡と呼ぶに相応しい代物だった。驚くべきアイディアと技術が凝縮されたスーツを調べながらハンク・ピムに拍手をしたくなったものだ。
しかし、スーツの性能を調べ終えた今、トニーはあることについて思い悩んでいる。
「……防御に関しては不安が大きいな。」
トニーは溜め息混じりに呟き、目の前にあるスーツに触れた。
体の大きさを変化させるのが大きな特徴であるアントマンスーツには攻撃や防御に関する機能が搭載されていなかった。体の大きさを自在に変化させることで相手を翻弄したり密かに近づいて奇襲攻撃をすることが可能なので、そういった機能がなくても問題ないと言えばそうなのだろう。
だが、戦いというのは想定通りにいくものではない。予期せぬことが起きて苦戦を強いられることも皆無ではなく、そうなるとスコットの体がダメージを受ける可能性は大きくなる。スーツの素材が丈夫なものであってもダメージをゼロにできるわけではないため、場合によっては命に関わるかもしれない。
そのことを心配したトニーはドイツでのスコットの戦い方を分析し、その結果を受けて更に不安を募らせた。
アントマンスーツを着用しての戦闘は肉弾戦がメインだ。ドイツでは飛び道具も使っていたが、それは相手に直接ダメージを与えるものではない。基本的にアントマンスーツの着用者は敵に接近しなければならず、攻撃を受けるリスクは高かった。
そしてスコットは必要だと判断すれば自身を盾にする男だ。ドイツでの戦いの時にスコットが巨大化したのは自分を囮にしてスティーブとバッキーを逃がすためであり、あの状況に置いてその判断は的確だったと言える。事実、トニーたちは巨大化したアントマン──ジャイアントマンに対して複数人での戦いを強いられたのだから。
それらのことを考慮するとアントマンスーツは防御面での不安が大きく、何か機能を加えるべきだとトニーは考えている。今回の「タイム泥棒作戦」は何が起きるか全く予測ができないのだから尚更だ。
しかし、アントマンスーツに追加機能を搭載するには大きな障害がある。それはスーツの開発者であるハンク・ピムだ。どうやら彼はトニーのことを嫌っているらしく、スコットから軽く聞いた話によると「ハワード・スタークとの間に起きたトラブルが影響している」とのことだった。そのような状況で彼の生み出したスーツに手を加えるのは躊躇われる。
トニーは溜め息を落としてからスーツを腕に抱えた。
とりあえずはスコットにもっと詳しく話を聞いてみる必要がある。話を聞いた上でアントマンスーツの機能追加の提案をするべきだ。
そう判断し、トニーは部屋を後にした。
スコットはトニーがいた開発室から少し離れた部屋で作戦の際に着用するスーツの微調整を行っていた。十人分のスーツを用意するのは大変だが、トニーとブルースだけでなくスコット、ロケット、ネビュラも機械を弄るのに慣れているため人手が多くて助かっている。
トニーは開け放たれたままのドアをノックした。椅子に座って作業をしているスコットは手を止めて振り向き、「お疲れ」と笑みを浮かべる。
トニーは部屋に入るとスコットにアントマンスーツを差し出した。
「長い間借りてしまって悪かったな。参考になったよ。」
「そいつはよかった。スーツのことだけど、また変更はある?」
「あるかもしれない。危険な作戦だから完璧にしておかないと。」
「わかった。いつでも言ってくれ。」
スコットはスーツを受け取りながら頷き、作業に戻ろうとする。
トニーは近くにあった椅子を引き寄せてスコットの隣に座った。顔をこちらに向けたスコットが驚いたように瞬きを繰り返す。
「スコット、聞きたいことがある。僕の父とハンク・ピムの関係についてだ。」
「詳しく知ってるわけじゃないけど、それでも良ければ。」
「二人の間にトラブルがあったと言っていたが、具体的には何があった?」
スコットは「そのことか」と呟いて苦笑いを浮かべる。
「あんたのお父さん──ハワード・スタークがピム粒子をハンクの許可を貰わずに内緒で研究していたんだって。ハンクはピム粒子の悪用を心配して活用は限定的にしていたんだけど、ハワードは幅広く活用するべきだと考えてたみたいだ。」
「意見が対立してるのに勝手にやったってことか?……父さん。」
トニーは額に掌を押し当てて呻いた。
ハワードの科学技術への情熱は理解しているが無断で研究するのはやり過ぎだ。ハンク・ピムは非常に気難しい人物としても有名なので、よりによって彼相手にそれをやるのは最悪としか言いようがない。息子としてもフォローができない。
「ハワードがやってることを知ったハンクは怒ってシールドを抜けて、ピム粒子を守るためにピムテックを立ち上げたってわけさ。それからはハワードと縁を切ってたみたいだ。」
「当然だな。僕がハンク・ピムの立場なら同じようにする。」
トニーは呟きながら項垂れる。
ピム粒子を無断で研究した男の息子がアントマンスーツに手を加えたとなればハンク・ピムの怒りはどれほどのものになるだろうか?
その怒りはトニーにだけでなくスコットにも向けられるかもしれない。最悪の展開になればスコットがハンク・ピムから絶縁される可能性がある。
(諦めよう。状況が悪過ぎる)
トニーは立ち上がり、戸惑いを浮かべるスコットの顔を見下ろした。
「変なことを聞いて悪かった。今のは忘れてくれ。」
「あ、ああ、うん。」
トニーはスコットに背を向け、ドアに向かって歩いていく。その背中にスコットの視線が注がれているのがわかったが、振り返ろうとは思わなかった。
スコットの身を守るためにアントマンスーツを改良したい気持ちは強いが、自分の父親とハンク・ピムとの間に起きた出来事を考えると思いきった行動に出ることはできない。
トニーは歯がゆさを引きずりながら自分の開発室に戻るしかなかった。
その日の夕食後、トニーは外の空気を吸いたくなって建物から出た。
空を見上げてみれば多くの星が美しく輝いている。世界の人口が半分になり、街の明かりも以前より減った。そのためどこにいても星が見えやすくなった。それがサノスの行いの結果なのだと思うと夜空の美しさを素直に楽しめなくなる。
気分を変えるために散歩でもしよう、とトニーはゆったりとした足取りで建物の周囲を歩き始めた。
しばらく歩いていると、明るい話し声と共に電話中のスコットの姿が見えてくる。
「……うん、大丈夫。キャシーは心配し過ぎ。……ん?……そうだな、キャシーは俺のもう一人の相棒だったな。」
会話内容からスコットが話しているのは彼の一人娘であるキャシーだとわかった。キャシーは五年もの間、行方不明になった父親の無事を信じて帰りをずっと待っていたそうだ。
愛娘と電話越しに言葉を交わすスコットの表情は穏やかなものだった。仲間といる時とは違う表情に新鮮さを感じる。
トニーの存在に気づいたスコットがこちらに向かって小さく笑みを浮かべ、電話の向こうの娘に「そろそろ切るよ」と終了を告げた。
「また連絡する。……ああ、俺も愛してるよ、キャシー。」
我が子に愛情を伝えるスコットは幸せそうに微笑んでいる。愛しさを隠そうとしない横顔を見つめながら、トニーは「この男を死なせたくない」と強く思った。
必要であればスコットは危険を顧みずに行動するだろう。それが仲間のため、そして愛する娘のためになると信じて。スコットがそんな人間だからこそアントマンスーツの守りの薄さに不安を抱かずにいられない。彼の身を守るための機能を追加したいと強く望むのはスコットを無事に彼の娘のところへ帰したいからだ。
スコットは通話を終了させるとトニーの方に歩いてきた。
「キャシーと話してるところを見られるのはちょっと恥ずかしいな。多分、デレデレだから。」
「ああ、デレデレだったぞ。……邪魔してすまないな。散歩していただけなんだ。」
「そろそろ終わろうと思ってたから気にするなよ。俺は中に戻るけど、あんたはまだ散歩を続けるのか?」
そう問われてトニーはすぐには答えられなかった。
散歩よりもスコットと話をしたいが、話す内容は「アントマンスーツに防御機能を追加すること」になってしまう。その話をすべきではないと自身に言い聞かせたはずなのに、トニーの心はスコットとその話をしたがっている。
トニーが黙り込んでいるとスコットが近くのベンチを指差して「あそこに座ろう」と提案してきた。先にベンチに腰を下ろしたスコットに続いてトニーも隣に座る。
トニーがスコットに顔を向ければ「昼間の話なんだけど」と彼の方から話を切り出してきた。
「ハンクとトニーのお父さんの話。二人についてハンクの奥さんのジャネットに話を聞いたことがあるんだ。」
ジャネットとはハンク・ピムの妻であり、優秀な研究者でもある。彼女はシールドに所属していたのでハワードとも知り合いだった。
そのジャネットは任務中に死亡したとされていたが、量子世界に閉じ込められていただけで死んではいなかった。スコットたちが量子世界からジャネットを救出した時の詳細はしっかりと聞いている。
「彼女が言うにはハンクとハワードの考え方はどっちも間違ってない、物の見方が違うだけだって。」
「物の見方が違う?」
「そう。二人ともピム粒子のすごさを理解していて、その上でハンクは危険性に目を向けた。ハワードは無限の可能性に目を向けた。だから意見が対立したけど、ピム粒子を扱う責任の重さは二人とも同じように持っていたって話してたよ。」
トニーはスコットの話に聞き入る。父が軽い気持ちでピム粒子を扱っていたとは思っていなかったが、父のことを知る人物がそのように語っていると聞いて嬉しかった。
「二人が縁を切ったのはジャネットが量子世界に閉じ込められた後らしいから、ハンクは話し合いをする余裕がなかったのかもしれないな。しっかりと話し合っていれば何かが違ってたのかも。」
「ハンクは頑固者だけど」と付け加えてスコットは小さく笑う。
「それにさ、あんたとお父さんを同じにしなくていい……というより別々に考えなきゃいけないよな。とにかく、あんたがお父さんのことで責任を感じなくてもいいんじゃないか?お父さんはお父さん、トニーはトニー。会って話せばハンクもわかってくれると思う。」
「君みたいにか?」
「うん、まあ……そういうこと。」
スコットは申し訳なさそうに肩を竦める。ラフト刑務所でトニーに向けて放った己の言葉を思い出したのだろう。トニーはその様子を見て「冗談だ」と苦笑する。
それから妙にすっきりした気分で夜空に視線を向けた。
「スコット、教えてくれて感謝するよ。父のしたことは褒められたものじゃないが……なんだか気が楽になった。」
「よかった。……俺さ、今回のことでトニーときちんと話をして、すごく真剣に研究や開発をしてるんだって知ったよ。そんなあんたのお父さんなんだから、ハワード・スタークはみんなのためにピム粒子を研究したかったんだろうなって思う。」
スコットの優しい声がトニーの心を温かく包む。
トニーが視線をスコットに戻すと彼は夜空を眺めていた。その横顔に向かって告げることは一つだけ。
「──ありがとう、スコット。」
トニーはその一言だけを告げて再び夜空を見上げた。
父とハンク・ピムは対立の末に別々の道を歩むことになったが、自分たちは違う。一度は対立して拳を交えながらも今は並んで星を眺めている。スコットと「仲間」と呼び合う関係になれたことが誇らしい。
不意に、トニーの脳裏に「縁の切れた男の弟子と自分の息子が仲間になったことを父はどう思うのだろうか?」という疑問が過ぎった。
(──きっと笑って頷いてくれる。そうだろう、父さん)
トニーは心の中で父に呼びかけながら輝く星を見上げ続ける。
今夜の星はいつも以上に美しかった。
******
翌朝、トニーはある決意を胸に秘めてスコットの部屋のドアをノックした。
「はいはい、お待たせ……トニー?」
ドアを開けたスコットはトニーの顔を見て目を丸くした。
「おはよう、スコット。どうしてそんなに驚く?」
「おはよう。ロケットが押しかけてきたのかと思ったんだ。こんな早くからどうした?」
首を傾げるスコットを前に、トニーは一つ深呼吸をした。柄にもなく緊張している。
「スコット、アントマンスーツに防御機能を追加したい。その許可をくれないか?」
「えっ⁉」
トニーの申し出に驚いたスコットは目を丸くすると同時に口を大きく開けた。間抜けとも言える表情を笑うだけの余裕は今のトニーにはない。
スコットは驚いた衝撃から立ち直ると次は狼狽え始め、困ったように眉尻を下げた。
「ありがたい話だけど、何でまた急に?」
「アントマンスーツのことを調べれば調べるほど防御機能がないことに不安になってきたんだ。縮小すれば攻撃を受ける確率は低くなるし、巨大化すれば敵を蹴散らせる。身を守るための機能がなくても問題ないのかもしれない。でも、僕は不安だ。」
アントマンスーツの能力は強力である。それでもドイツでの戦いでは最終的にトニーたちはアントマンを倒した。戦う相手によっては危機に陥るという前例が既にあるのだ。
アントマンスーツは強力だが無敵ではない。そう考えると機能を追加する必要性は高まってくる。
「いいか、どのヒーローも無敵じゃない。苦戦することだってあるし、勝っても命に関わるほどのダメージを喰らうかもしれない。それを装備の性能を良くすることで避けられるなら僕はそうしたい。だから君のスーツを改良したいんだ。」
トニーは訴えに熱が入るのを自覚した。
「ハワード・スタークの息子がアントマンスーツに手を加えたらハンク・ピムは怒るだろう。それは避けられないことだから彼の怒りは僕が全部引き受けよう。……頼むからアントマンスーツに防御機能を付けさせてくれ。君は娘さんのところへ無事に帰らなきゃならない。そうだろう、スコット。」
トニーは伝えたいことを全て言い終わり、スコットの目を真っ直ぐに見た。トニーの熱量に圧倒されたスコットは驚愕を目に宿したまま立ち尽くしている。
二人はしばらく無言で互いを見つめていたが、やがてスコットが目を細めて笑った。
「トニーって意外と熱い奴なんだなぁ。初めて知った。」
スコットから微笑ましげに見つめられ、トニーは無性に恥ずかしくなった。思い返せば恥ずかしいことを言ってしまったような気がする。
トニーは頬に熱が集まるのを感じながらスコットを睨む。そうするとスコットが「ごめん、バカにしたわけじゃない」と苦笑した。
「アベンジャーズのみんなの装備ってトニーが開発したんだろ?キャプテンが教えてくれた。すごいよな、あんたの装備がみんなを守ってるんだな。」
「……ああ、そうだ。だから一人分が増えたって大したことないぞ。」
照れ隠しにぶっきらぼうに返してもスコットはニコニコと笑ったままだ。
「トニーが天才なのは知ってたけど、それだけじゃないってわかった。トニーは優しい天才だ。」
純粋さの塊のような目で見つめられながらの言葉に、トニーはスコットから思いきり顔を逸らしたくなった。
とても嬉しい言葉だ。そのように言ってもらえて嬉しくないわけがない。それでも照れてしまうのは仕方のないことだ。
トニーは顔を背けたい気持ちを堪えて腕組みをし、平静を装って尋ねる。
「ところで、返事は?」
トニーの問いに対してスコットは人懐っこい笑顔を浮かべた。
「よろしく頼むよ。もちろん、ハンクに怒られるのは俺が引き受けるからさ。」
笑顔で頷いたスコットにトニーはホッと頬を緩ませる。
スコットは緊張を解いたトニーを置いて部屋の中に戻るとアントマンスーツを腕に抱えて現れた。
「なあ、邪魔じゃなかったら手伝ってもいい?あんたに任せきりなんて悪いよ。」
「邪魔じゃないさ。しっかり働いてくれ。」
「任せて!」
「頼むぞ。さて、まずは腹ごしらえからだ。」
トニーは笑顔を見せるスコットの肩を軽く叩いて歩き出す。後ろからスコットが付いてくるのが気配でわかった。
「今日はワッフルの気分かなぁ。最近食べてないし、久しぶりに焼こう。」
「じゃあ、僕の分も頼む。シンプルなワッフルにカリカリに焼けたベーコンと野菜たっぷりのサラダ、そして淹れたてのコーヒー。ありふれたメニューだけど、それがいいんだ。」
「けっこう注文が細かいな。いいよ、用意する。その代わりにコーヒーはトニーが淹れてくれる?」
「構わないぞ。とびっきり美味しいコーヒーを淹れてあげよう。」
そんなやり取りを交わしながら二人は廊下を進む。
美味しい朝食を食べた後はアントマンスーツの改良を行う。スーツの改良は大きな責任が伴うので気を引き締めなければならないが、一人でやるのではなく二人でやるというのは楽しみだ。
道が分かれたまま戻ることのなかったハワードとハンク。その息子と弟子が一緒にアントマンスーツを改良する。まるでトニーとスコットがハワードとハンクの縁を再び繋ぐようだ。
素晴らしいことだな、とトニーの口元には自然と笑みが浮かんでいた。
End