飽きたなら、さようなら「お前はいつも俺のことを考えてろ。俺がお前の最優先だ、リック。」
そんな傲慢な言葉を俺に向かって吐いたのはニーガンだ。
何度目かの訪問の時にあの男は俺の顔を指差しながらそう言った。
それが服従した者の務めだ、と。統治者である自分に貢献するためには常に自分のことを考えているべき。自分勝手とも言えるようなことをニーガンは平然と言ってのける。
それを跳ね除けることができない俺は奴の望むように「わかった」と頷いた。
そうすると従順さを褒めるように顎の下を撫でられる。その手の感触に鳥肌が立つが、叩き落としたい衝動をどうにか堪えた。
あの時のことを今でも覚えている。言われた言葉はハッキリと耳に残っている。
だが、今のニーガンは俺に向かって全く別のことを言うんだ。
「リック、お前は来なくていい。好きなようにしたらいいさ。」
アレクサンドリアに気まぐれで遊びに来たニーガンは俺の顔を見るなりこう言い放った。
そして視線を俺から外すとゲイブリエルに向かって手招きをする。
「今日は神父様の話でも聞こうか。来いよ、お散歩だ。」
困惑を隠し切れないゲイブリエルが俺に顔を向けた。その縋るような眼差しを受け止めた俺は黙って頷くことしかできない。
大丈夫、従順に振る舞えば問題ない。
そう言い聞かせるように彼の目を見つめれば小さく頷き返される。
俺たちのやり取りを見つめていたニーガンは親しい友人のようにゲイブリエルの肩に腕を回して歩き始めた。慌てたように歩き出すゲイブリエルの足が少しもつれたのを見て思わず足を踏み出しかけた。
だが、「来なくていい」と言われたことを思い出して踏み止まる。視線を自分のブーツの爪先に落とすとニーガンの楽しげな笑い声が遠くに聞こえた。
ニーガンが俺以外の人間を散歩の供に選ぶのは五回目だ。
最初はカール、次はダリル、その次はロジータで、そのまた次はミショーンだった。出迎えるために門まで出向いた俺に、あの男は「お前は必要ない」と追い払うような仕草をして他の人間を呼びつけるのだ。
他の人間を選ぶのが三回目の時に「俺は飽きられたんだな」と思った。
あいつが興味を持つような面白い話などできない。あんな奴をおだてたり取り入るなんて無理だ。特技も何もなく、どこにでもいる平凡な男。それが俺という人間だ。
最初のうちは新たに出会った人間ということで物珍しさがあったんだろうが、俺がつまらない人間だと理解したんだろう。
「あいつに付き合わされなくて清々する」と思えたのは少しの間だけで、どこで何をしているのかがひどく気になった。誰かにひどいことをするんじゃないかと不安になり、自分の知らないところでとんでもない事態に陥るのではないかと心配になった。ニーガンの動向が気になって、放っておくことなんてできなかった。
だから毎回毎回、懲りもせず居場所を探して様子を見に行った。そうすると俺に気づいたニーガンは呆れたように笑って肩を竦める。
「おいおい、リック。お前は必要ないって言っただろ?ガキが親の後ろを付いて回るわけじゃあるまいし、自由に遊んでこい。」
ニーガンがそう言って供に選んだ人間の肩を抱く度に心が軋むのを自覚した。
「お前は必要ない」とストレートに言われたことが予想以上に俺の心を抉る。
リーダーに向いていない。特別な知識も技能もない。強い精神を持つわけでもない。何も持たない俺を誰が必要とする?
そんな風に揺らぐ自分を「我が子たちがいるだろう」と叱咤したこともある。それでもニーガンに対して怯むことなく向き合うカールを見て、あの男と楽しそうに過ごすジュディスを見て、その思いさえ揺らぐことがあった。
揺らいで、揺らいで、宿敵であるはずの男から与えられた「お前は特別だ」という言葉に自分が随分と支えられていたのだと思い知った。
情けないにも程がある。俺が仲間のために行動するのは誰かに必要とされたいからじゃない。守りたいという気持ちがあるからだ。
それなのに「自分は誰からも必要とされていない」という思いに駆られ、足下が揺らぐような心地がした。
俺は視界から追い出すようにニーガンたちに背を向け、どこを目指すわけでもなく歩き出す。これ以上揺らぐのは嫌だった。
あんな奴、二度と来なければいいのに。
*****
次の徴収を明日に控えた朝、俺は一人で調達に出かけようとしていた。
車を町の門のところまで移動させるとロジータとタラが近づいてきた。二人とも少し心配そうな顔をしている。
閉まったままの門の前に車を停めて窓を開けると二人に顔を覗き込まれた。
「リック、明日用の物資は足りてるでしょ。無理しなくていいんじゃない?」
ロジータは引き止めるように車のボンネットに手を置いた。気遣わしげな眼差しを向けられると申し訳ないと思うが、予定を変えるつもりはない。
俺は苦笑を浮かべながら首を横に振った。
「足りてると言ってもギリギリだ。不安を潰しておきたいから行ってくる。もちろん泊りがけじゃなくて日帰りだ。」
「そうは言ってもさー……リックは毎日調達に出てるんだし、一応は足りてるんだから別にいいじゃん。何でニーガンなんかのためにリックが無理しなきゃならないわけ?」
タラは納得できないのか口を尖らせている。
小さな子どもが拗ねているような姿が微笑ましくて、つい手を伸ばして頭を撫でてしまった。
タラは子ども扱いを嫌がることなく俺の手を受け入れてくれる。そのことと心配してくれる気持ちが嬉しかった。
「俺が心配性なだけだよ。夜遅くなるかもしれないが心配しないでくれ。」
そう言って小さく笑ってやればタラはそれ以上反対せずに頷いた。
その隣にいるロジータは相変わらずボンネットに手を置いたままでいる。
「カールには話した?」
「もちろんだ。『父さんは頑固だから反対するだけ無駄』と言われた。」
「……カールがそう言うなら私たちが何を言っても意味ないね。気をつけて行ってきて。」
ロジータは呆れたように笑いながら車から手を離し、門を開けてくれた。
タラの方に顔を向けるとむくれた顔をしながらも拳を差し出してくる。見送りの挨拶のようなものだろう。
俺は彼女の拳に自分の拳を軽くぶつけてから窓を閉じ、ゆっくりと車を発進させる。
ロジータの横を通る時に彼女を見てみれば微笑みながら頷いてくれた。それに頷き返して正面に顔を戻す。
ニーガンに支配されるようになってから調達は気の重くなる仕事だが、二人のおかげで俺はいつもより明るい気持ちで出発した。
調達に向かったのは道路が整備されていなくて足を運ぶ回数が少ない地域だ。まだ探索していない場所があるので何か残っている可能性は十分にある。
ただ、道路の状態は本当に悪い。デコボコしていたり、雨が大量に降れば泥道と化してしまいそうな部分が多かった。だからこそ避けてしまいがちだが、今はそんな場合じゃない。少しでも多くの物資を集めなければ。
ひたすら車を走らせているとガレージ付きの家が一軒建っているのを見つけた。その家の前に車を停め、中の様子を探ってから中に入る。
家の中には人間もウォーカーもいなかった。荒らされた様子があるので既に誰かが手を付けた後だろうが、取り零しがあることを期待して探索してみようと思う。
ここに来るまでに昼になってしまったので持ってきたクッキーとドライフルーツで食事を済ませ、家の中を細かく見て回る。
冷蔵庫や棚を見ても食料は残っていない。衣類もほとんどなかった。
だがシーツや毛布は残っていたので車に積み、クッションや枕もその上に積んでおく。これで少しは寝床改善に繋がるだろう。……もしかしたら救世主たちに持っていかれてしまうかもしれないが。
家の中の探索を終えてガレージに行こうかと思ったが、包丁やナイフは武器代わりとして使えるかもしれないと思い直しキッチンに取りに戻る。
再びキッチンに入って数歩歩くと、あることに気づく。マットが敷いてある床は他の床と踏んだ時の音が違う気がした。
「もしかして……」
膨れ上がった期待に顔がほころぶのを自覚しながらマットをずらしてみた。
現れたのは床下収納庫。急いで蓋を外してみれば、全く手の付けられていない缶詰めや保存食が詰め込まれていた。先にここを探索した人間はこれに気づかなかったんだろう。
俺は幸運に感謝しながら中身を次々と取り出していく。食料以外にも何本か酒の瓶も入っていて、そのうちの一本を手に取って眺める。
「これはニーガンへの貢ぎ物だな。」
そう呟くと苦笑いが漏れた。
いつも頑張っている仲間たちに飲ませてやりたい。たまには酒を飲むことぐらい許されてもいいはずだ。
だが、そうはいかない。負担を減らしてもらえる可能性が少しでもあるならニーガンに献上すべきだ。
そう思った途端に手に持った酒が輝きを失ったように見えた。
気を取り直して全ての物資を収納庫から出し、その辺にあった箱に入れ直して車へ運ぶ。それなりの重さはあるし、何往復もするのは疲れる。それでも予想外の収穫に心は軽かった。
次はガレージに足を運んで残されていた工具や部品を車に入れた。これだけあれば今日は十分だろう。
額の汗を手の甲で拭い、その流れで腕時計を見ると三時を過ぎていた。
「思ったより早く帰れそうだな。」
そのことにホッと息を吐き、荷物が車の揺れで崩れないように積み直してから運転席に座って車を動かす。
明るい気分で車を走らせていると遥か前方に蠢く固まりが見えた。まだ遠くてそれが何かがわからず、目を細めてみたがだめだった。
ウォーカーである可能性を考えてスピードを落としながら近づいてみる。
早歩き程度の速度で進み、蠢く固まりの正体がわかる位置まで辿り着くと苦い気持ちで車を停車させた。
「──ウォーカーの群れか。」
視界に広がる死者の海を見て俺は顔をしかめた。
数えるのが嫌になるほどのウォーカーの大群が横切っていくのを眺めているだけで溜め息が漏れる。長い行列は終わりが見えず、完全に通過するまでには時間がかかるだろう。
このまま通り過ぎるのを待っても構わないが、何かのきっかけで俺の存在に気づかれた時が怖い。一人きりで大した武器もない状態で群れに襲われたら間違いなく死ぬ。
地図を取り出して現在地の周辺を見てみると、遠回りにはなるが他の道からアレクサンドリアに戻ることができるとわかった。ウォーカーの群れが向かう方向とは反対側に位置するので危険を避けることもできる。帰る時間が遅くなるとしてもこちらに行くべきだろう。
決めたなら即行動だ。バックしながらウォーカーの群れから遠ざかり、見えなくなる位置まで離れてから方向転換して走り出す。
途中までは順調だった。探索した家の近くを通り過ぎて、しばらくは何も問題なく走ることができた。
ところが俺の視界にまた蠢く固まりが現れた。嫌な予感がして車のスピードを落とす。
肉眼で詳細を確認できる距離に来た時、俺はさっきと同じように車を停めた。
「冗談だろ?また群れなのか。」
うんざりと溜め息混じりに吐き出した言葉の通り、俺の視線の先にはウォーカーの群れがいた。
俺の進路を塞ぐように歩くウォーカーの数はさっき見た群れよりも少ないが、それでも一人で対処するには多すぎる。群れが通り過ぎるまで待機していようか迷ったが、やはり気づかれた時が怖い。群れに気づかれて追われ、逃げた先にさっきの群れがいたらお終いだ。
散々悩んで出した結論は探索した家の辺りまで戻って待機すること。どちらの群れも向かう方向は家のある地域ではなかったので、あの家の辺りで待機するのが一番安全だ。
同じような展開に疲労感が増したが、とにかく戻るしかない。ハンドルを握り直して再び車を後退させた。
探索済みの家に戻る途中で空が暗くなってきた。太陽が沈み始めただけじゃなく雨雲が広がっていたからだ。
そのうちにフロントガラスに雨粒が落ちてくるようになり、その勢いはみるみる増していく。
これから暗くなるというのに雨まで降れば視界は最悪だ。ウォーカーの群れがいることを考えると下手に移動しない方が良いかもしれない。普通に考えれば帰るのは朝になってからが良いだろう。
だが、徴収日は明日。明日の朝に出発して帰るとなるとニーガンたちが来る時間に間に合わないかもしれない。
危険を覚悟で今日中に町へ戻るか、無理せず朝になってからにするか。
そのことを迷う俺の頭にニーガンの声が響く。
『おいおい、リック。お前は必要ないって言っただろ?ガキが親の後ろを付いて回るわけじゃあるまいし、自由に遊んでこい。』
ニーガンの言葉を思い出した途端に「無理してでも帰るべきだ」という気持ちが萎んでいった。
きっと徴収の時に俺は必要ない。差し出す物資はぎりぎりで足りる量だが用意してあるし、ニーガンの遊び相手は俺以外の誰かだ。無理して戻っても「お前は来なくていい」と追い払われるだけだろう。
みんなが上手くやってくれるから今回は俺がいなくても問題ない。ごく自然にそう思った。
フロントガラスに叩きつけられる雨粒を見つめながら「今夜はあの家に泊まって明日帰る」と決めた。みんなが心配するとわかっていても、もう一つの選択肢を選ぶ気になれなかった。
何かの塊が喉に詰まっているように感じながら車を走らせ、家の前まで戻ると玄関の近くに車を停めた。そして物資の中から缶詰めを一つ選んで持ってきたリュックに放り込み、毛布も持って車から降りる。夕食にはパンを持ってきているので缶詰めは朝食用だ。
リュックと毛布を胸に抱えて荷物が少しでも濡れないように走り、家に駆け込むと懐中電灯を取り出して既に暗くなっている室内を照らす。念の為に部屋を一つずつ見回ってから玄関ドアに鍵をかけて他の出入り口も封鎖した。
安全を確保すると二階の寝室へ向かい、シーツを剥がしたベッドに腰を下ろして深く息を吐く。そうすることで疲れが一気に押し寄せた。一人での調達はいつも以上に疲れる。
しばらくぼんやりしていると腹が減っていることに気づき、腕時計を見てみれば七時を過ぎていた。
「……食べて、早く寝よう。」
そう呟く自分の声には眠気が滲んでいる。
リュックからパンと水を取り出して質素な夕食を済ませ、ベッドに横になって毛布を体に引っ張り上げた。
目を閉じると雨音が際立って聞こえてくる。強く打ちつける音から察するに大雨だ。道路の状態が心配になるが、眠気のせいで深く考えることが難しい。
眠くてボーッとする頭に浮かんだことが口から滑り落ちる。
「ニーガンは、明日も来るのか?来なきゃいい……のに。」
「お前は必要ない」と追い払われる度に自分が傷ついていることには気づいていた。
「お前は必要ない」という言葉は存在そのものの否定だ。その言葉を投げつけてきた相手が誰であろうと心に傷を残す。それがこの世で一番憎い人間であってもだ。
それだけならマシだったのかもしれないが、「ニーガンに興味を持たれている」という事実が仲間を守りきれずに自信を失っていた俺の心の拠り所になっていたことが傷を深くさせた。
憎しみを抜きにして完全な第三者視点で見ればニーガンという男は完璧に近い。ルックスは男女両方から見ても「良い男」だと評されるだろうし、立派な体格に相応しく腕力も強い。肉体派に見えて賢く知恵も回り、巧みな話術で人を惹きつけることもできる。唯一にして最大の欠点は尊大で傲慢な部分だろうが、それさえも奴の魅力の一つになっているような気がする。
そんな男から興味を持たれ、特別だと言われることに少しだけ自信を持った自分がいたことは確かだ。リーダーとしての自分に失望して打ちひしがれていた中での救いだったのかもしれない。
ニーガンこそが自分から仲間と自信を奪った張本人であっても、俺はそう思ってしまった。
それがあるから見捨てられたように感じてしまう。ニーガンの言葉に必要以上に傷つき、俺に飽きたことを恨んでしまうのが嫌で仕方なかった。だから二度と来ないでほしかった。
ぐるぐると思いを巡らせながらも睡魔に飲み込まれそうになる。そんな状態で小さく呟く。
「ニーガンなんか、来なければいいんだ。」
そうすれば傷つくことはない。
そう思う反面、あの男の来訪がなくなればそのことにも傷つきそうな気がする。
どこまでも自分勝手で情けない奴だ、と自分に呆れながら一気に眠りの世界に沈んでいった。
*****
目を覚まして見慣れない天井を見て「ここはどこだ?」と一瞬考え、昨日は日帰りできなかったことを思い出す。寝ぼけていないでしっかりしないと。
体を起こすと毛布を畳み、昨日の調達で見つけた缶詰めを開けて中身を口に運ぶ。時計を見れば六時を過ぎていた。七時前に出発すれば遅くとも昼頃には町に着く……と思いたい。
手早く朝食を終えて片づけると荷物を持って外に出た。空は快晴で、今日は雨の心配はないだろう。
毛布とリュックを車に放り込んでからガレージに向かい、持ち運びできそうな鉄板とボロ布を持って車に戻る。泥に嵌った時に使うためだ。
助手席にボロ布を敷き、その上に鉄板を置いて車を走らせ始めた。
ところが、走り始めて三十分も経たないうちに車が進まなくなる。泥に嵌った。
車を降りて確認するために足を地面に着けるとぬかるんで滑りそうになる。昨日の雨の激しさを物語っているようだ。
タイヤは泥にすっかり嵌っていた。これでは滑ってしまって前に進めないのも当然だ。俺は車から鉄板を降ろしてタイヤに接するように置き、運転席に戻るとゆっくりとアクセルペダルを踏み込む。ガクン、という振動と共に車が前進した。
「よし、とりあえずは進んだ。」
ホッと息が漏れたが、問題はこれからだ。
泥で上手く進めない場所はこの先山ほどあるだろう。その度に鉄板を敷いて、前に進んだら鉄板を回収して先へ進むというのを繰り返さなければならない。かなり骨の折れる作業だ。
まだまだ長い道のりを思うと重い溜め息が出た。
予想通り、道路の状態は最悪だった。「これを道路と呼んでもいいのだろうか?」と疑問に思うほどに泥でぬかるんだ道を見て苛立ちと疲労が募る。
鉄板は持ち運びできるものを選んだがそれなりの重さがある。重い鉄板を運んで敷くという作業の繰り返しで腕も腰も痛い。
鉄板の持ち運びだけじゃなく、天気が良いせいで余計に汗をかくのも体力を削る原因になった。汗をかくので喉が渇くが、持ってきた飲み水は残り少ない。少しずつしか飲めないせいで絶えない渇きが俺を苦しめる。
泥道に嫌というほど悩まされたせいで、ウォーカーの群れが通った辺りを過ぎる頃には昼になっていた。
俺は積み荷の中から缶詰めを一つ貰うと運転席に横向きに座り、開けたままのドアから両脚を投げ出す。見下ろす先にあるブーツもジーンズも泥だらけだ。鉄板を敷くためにしゃがんだり、疲れて脚に力が入らず滑って転んだせいだった。
口の中のものを噛みながら腕時計で時間を確かめると一時を回っていた。どう考えても町にはニーガンたちが来ているだろう。
ニーガンたちはいつも夕方までには立ち去るので奴らが帰るまでには帰れそうもない。
「結局間に合わないな。まあ、俺がいなくても問題ないか。」
自分の呟いた言葉に虚しさを覚える。
俺が出迎えなくてもニーガンは何とも思わないだろう。もしかしたら「リックはどうした?」くらいは聞くかもしれないが、調達から戻らないことを聞いても「そうか」と言って終わりにする姿が簡単に想像できる。
そして今までと同じように誰かを指名して散歩を楽しみ、いつも通りに帰っていく。
俺なんていてもいなくても奴にとっては同じだ。
「バカだな。くだらないことばかり考えて。」
自分への嘲笑を浮かべて缶詰めの中身を全て口の中に詰め込み、片づけてから脚を車内に引っ込める。
そしてドアを閉め、ハンドルを握って深呼吸する。
ニーガンのことを考えている場合じゃない。大事なのは調達してきた物資を無事に持ち帰ること。それ以外のことなんて今は考えなくていい。
気を取り直してエンジンをかけると再び走り出す。
昼休憩後は意外にも順調に進むことができた。午前中に道路が乾いたおかげで泥に嵌まることが少なかったからだ。道路を彷徨くウォーカーはいたが、数は少なかったので倒すのに手間取ることもない。
ただ、午前中の疲れが押し寄せて小まめに休憩しないと集中力が保たなかった。睡魔にも襲われるので車を停めて軽く睡眠を取る必要があり、帰るのに時間がかかるのは変わらなかった。
結局、アレクサンドリアの壁が見える距離まで来られたのは夕方になってからだった。太陽がほとんど沈んだ中で町が見えると心の底からホッとする。
帰ったらみんなに謝らないといけない。日帰りだと言っておきながらこんなにも遅くなってしまった。
そんなことを考えながら門に近づく俺は見えてきた光景に眉をひそめる。
門の周りには町のものではない車が何台もあった。救世主の車だ。いつもはとっくに町から去っているはずの奴らの車があることに心臓が騒ぎ出す。
何かトラブルがあったのか?だから奴らは未だに町に留まっているのか?誰かが犠牲になったなんてことは?
不安を抱えながら車を町の中へ進ませるとアーロンが駆け寄ってくるのが見えたので停車して外へ出る。
「アーロン、戻りが遅くなって悪かった。何があったんだ?」
「ニーガンがリックを待ってる。車は俺が移動させておくから早く家に戻った方がいい。」
緊張を漂わせるアーロンの言葉に一瞬言葉を失った。
ニーガンが俺の帰りを家で待っている?
それが頭に染み込んだ時に真っ先に浮かんだのはカールとジュディスの顔だ。
「カールとジュディスは?まさかあいつと一緒にいるのか?」
思わず前のめりになる俺を落ちつかせるようにアーロンの手が俺の肩に置かれる。
「大丈夫、二人とも俺の家にいるよ。エリックが一緒にいるから心配しなくていい。」
それを聞いて思わず安堵の息が漏れた。二人がニーガンの傍にいないということだけでも救いだ。
俺もアーロンの肩に手を置いて礼を述べると彼は小さく頷いた。
「アーロン、悪いが車と荷物を頼む。調達は成功だったんだが、泥に嵌って車がひどいことになってる。」
「だろうね。リックも泥だらけだ。」
アーロンは苦笑しながら「後は任せて」と言って俺から離れて車の方へ向かった。
俺はアーロンと車に背を向けて我が家に向けて歩き出す。その途中で何人もの救世主と擦れ違い、奴らがまだ町にいることに唇を噛む。
もう暗くなっているのでニーガンたちが帰るのは明日になるだろう。この緊張が明日まで続くのかと思うと気が重くなった。疲れているのにゆっくり休むことができないのは堪える。
何度も溜め息を吐くうちに家の前に到着した。ポーチにはアラットと呼ばれる救世主が立っていて、俺の顔を見ると顎で玄関ドアを示した。「ニーガンが待っているから早く中に入れ」と言いたいんだろう。
足取り重くポーチの階段を上り、彼女の横を通ってドアノブを握る。
そして一拍置いてからドアを開けて中に入ると、こちらに背を向けてダイニングの椅子に座るニーガンの姿が目に飛び込んできた。ニーガンは革ジャケットを隣の椅子にかけているので上は白いTシャツだけだった。それが随分とラフな印象を抱かせる。
ドアの開く音に気づいたニーガンが振り返った。その手にはクラフトビールの瓶が握られている。テーブルの上には空になったビール瓶が三本転がり、未開封のビール瓶も二本あった。
ニーガンは探るように目を細めて俺の頭から爪先までをじっくりと眺めた。その視線に居たたまれなくなって顔を逸らすと、それを咎めるように名前を呼ばれる。
「リック。……シャワーを浴びてこい。そんな格好で彷徨かれたら家中が泥だらけになる。」
そう言われたものの、俺は何の感情も浮かばないニーガンの顔を見つめたまま動けない。
そうするとニーガンが顔をしかめて「早くしろ」と急かしてくる。
「着替えは適当なのを持ってきてやる。寝室にあるんだろう?」
「ああ、ある。……頼む。」
何とかそれだけを告げてバスルームへ向かう。
シャワーを浴びるように言われるなんて思ってもいなかった。確かに泥だらけでひどい状態なのは認めるが、俺の状態をニーガンが気にするなんて考えもしなかった。
(そんなにひどいのか?……まあ、泥と汗に塗れてるからひどいと言えばひどいか)
自分の汚さについて考えながらバスルームに入り、ブーツを脱いでから服を脱ぎ始める。
脱いでみると改めて泥汚れのひどさを感じた。服を着たままシャワーを浴びた方が良いかもしれないと思いながらも裸になり、シャワーブースに入る。
温かい湯を浴びると疲れも一緒に溶けて流れていくような気がする。心地良さに身を委ねてしまいたくなるが、ニーガンを待たせるわけにはいかないので急いで全身を洗う。
少しするとドアがノックされてニーガンが入ってきた。
「着替えを置いておくぞ。きれいに洗ってから出てこい。少しでも汚れが残ってたら俺が洗い直してやる。」
「……ありがとう、ニーガン。」
忘れずに礼を言うと「どういたしまして」と微かに笑いを含んだ声が返ってきた。
ニーガンが出ていってドアが完全に閉まると思わず溜め息が漏れた。奴が入ってきただけで緊張していたらしい。
気を取り直してさっきよりも丁寧に、それでも手早く体を洗う。待たせない方がいいんだろうが、「きれいに洗え」と言われたのに汚れが残っていたら怒らせてしまいそうな気がする。
この後、一体何が起きるんだろう?
後のことが憂鬱で俯いてしまう。落とした視線の先では泥が湯に紛れて排水口に流れていった。
*****
Tシャツとスウェットパンツを身に着けてバスルームから出ると、ニーガンはまだビールを飲んでいた。テーブルの上に転がる空き瓶が四本に増えている。
俺に気づいたニーガンはビールをテーブルに置き、椅子ごと体をこちらに向けた。
「さて……どうして俺がこの時間になっても帰らないのか聞きたそうだな、リック。」
いきなり本題を切り出されて心臓が跳ねた。
それを顔に出さないように努めながら頷く。
「何か問題があったのか?徴収量は足りているはずだが。」
「ああ、それは問題ない。住民の奴らも従順で良い子にしてた。トラブルは何一つ起きなかった。」
「それなら、どうして──」
「お前だよ、リック。」
ニーガンは俺の言葉を遮るようにそう言った。
俺を見つめるニーガンの瞳の奥に怒りが燻っているのに気づき、心臓がバクバクと音を立て始める。
徴収量に問題はなかった。仲間たちも上手くやってくれた。それなのに俺が原因でニーガンは町に留まっている。そのことに目眩がしそうになった。
指先が冷たくなるのを感じながら「すまなかった」という言葉が口を突いて出た。
「それは何に対しての謝罪だ?」
ニーガンの鋭い眼差しが俺に注がれる。
その問いに俺は「わからない」と首を横に振るしかなかった。
「すまない、わからない。……ただ、俺が何か悪いことをしたからあんたが怒っていると思ったら、謝らずにいられなかった。」
ニーガンは眉を下げると大げさに溜め息を吐いた。その溜め息一つに怯えて体が勝手に跳ねる。
「まるで子どもじゃないか、リック。……わかった、今から俺が父親でお前は俺の子どもだ。何が悪かったのかを子どもに理解させるのは親の役目だからな。いいな?」
俺は何度も首を縦に振った。これ以上怒らせて誰かが痛めつけられたり犠牲になることが怖かった。
ニーガンに手招きされたので近づくと、奴は自分の膝を叩いて「向かい合わせで座れ」と命令してきた。
躊躇いながらも膝の上に乗ると腰に両腕が回されて緩く拘束される。そのことに対する恐怖が背筋をそろりと上がっていくのを感じながらニーガンと目を合わせた。
「さあ、リック。Daddyに本当のことを話してくれ。どうして今日はお家にいなかったんだ?」
ニーガンの声は優しくて笑みも浮かべているのに目が笑っていなかった。それが却って恐怖心を煽る。
俺は恐怖と緊張のせいで頭が上手く回っていないのを自覚しながら必死に言葉を紡ぐ。
「昨日、から、調達に出ていた。嘘じゃない。」
「調達に?徴収用の物資は足りてたじゃないか。それなのに徴収に行ったのはなぜ?」
「ぎりぎりだったから不安で……日帰りの予定だった。」
「だが、お前はさっき帰ってきた。朝帰りどころじゃない。俺が来るのを忘れてたのか?」
俺は首を横に振って「忘れてない」と必死に訴えた。
「じゃあ、どうして帰ってくるのがこんなにも遅くなった?Daddyはお前がいなくてとても悲しかったよ。」
「ウォーカーの群れを避けて帰ろうと遠回りをして……そのうちに暗くなって、雨も降ってきて、帰ることができなくなったんだ。今日は道路が泥でぬかるんでいたから帰るのに時間がかかった。本当だ。信じてくれ、ニーガン。」
ニーガンがすっと目を細める。そしてゆっくりと首を横に振りながら「違うぞ」と言った。
「ニーガンじゃない。Daddyだ、リック。」
「……はい、daddy。」
「よし。……泥だらけの姿を見れば嘘じゃないのはわかる。信じよう、リック。だが、問題はそこじゃない。」
そう言ってニーガンは顎を掴んできた。目を逸らすのは絶対に許さないと主張するように手の力は痛いくらいに強い。
合わされた視線から怒りがジリジリと伝わってきて自分の目が潤み始めたのを感じる。
目の前の男のことが心底恐ろしい。
「俺はお前に、いつも俺のことを考えろと言ったよな。俺がお前の最優先だと。お前は今回それができてない。そのことに俺は怒ってるんだ、リック。」
意味がわからず何も言えずにいると「よく聞け」と顔を近づけられた。
「俺が来ることがわかっているなら確実に俺を出迎えられるようにしなきゃならない。日帰りの予定でも前日に遠出するのはだめだ。アクシデントがあれば今回みたいに間に合わなくなる。それぐらいのことは俺を最優先に考えていればわかるはずだぞ。」
「あんたを──daddy、のことを最優先に考えたから調達に行ったんだ。もし物資の量が足りなかったら腹が立つだろう?」
「いいや、違う。お前は自分がいなくても問題ないと思ったから出かけたんだ。日帰りできないとわかった時、俺を出迎えることができなくても構わないと考えただろ?」
ニーガンの言い方が俺を責めているように感じられて腹が立った。
ムカムカと腹の底で怒りが膨れ上がって、吐き出さなければ破裂してしまいそうだ。
だから怒りに任せて溜まっていたものを吐き出す。
「──俺を必要ないと言ったのはあんたじゃないか!」
「来なくていいと言って追い払ったのは誰だ?あんただろう、ニーガン!」
「毎回出迎えに行っても『お前は必要ない』と言うだけで、俺以外の人間を指名していたじゃないか。つまらない人間なんか必要ないんだろう⁉」
「何が特別だ?新しく出会った人間が物珍しかっただけで、飽きたからどうでもよくなって追い払った。あんたはそういう男だ。」
「必要ないと言われたから間に合わなくても問題ないと思っただけなのに、それが悪いのか?そう考えることがいけないのか?」
「いいじゃないか、俺がいなくても。今まで通り、あんたを楽しませてくれる人間とお散歩でもすればいい。それで十分だろう?」
「あんたに振り回されるのはうんざりだ!」
溜まりに溜まったものを撒き散らし、俺は肩で呼吸をする。
驚いたように目を瞠るニーガンを見て少しずつ冷静さを取り戻すと、自分がとんでもないことをしてしまったと気づいて冷や汗が噴き出した。
失言中の失言。大失態。取り返しのつかない過ち。
ニーガンを責め立てて喚き散らすなんて有り得ない。従順でいなければならないと理解しているのに真逆のことをしてしまった。
俺が罰せられるだけならいい。他の誰かが代わりに罰を与えられることが恐ろしくて手が震えてくる。
謝らなければならないと思うのに声を絞り出すことができない。
固まったままニーガンを見つめていると、ニーガンは気の抜けたように笑って俺の顎を掴んでいた手を頬に移動させた。その手が優しく自分の頬を撫でるのを戸惑ったまま受け入れる。
「拗ねてたのか、リック。そいつは気づかなかった。悪いことをしたな。」
ニーガンの声は妙に弾んでいる。なぜ急に機嫌が良くなったのかがさっぱりわからない。
「お前を追い払って他の奴を呼んだのはお前を試してたからだよ。どんな時でも俺のことを考えてるか試してたんだが、いつも俺の様子を気にしてたお前は合格だった。追い払われても何回も様子を見に来て偉かったぞ。」
ニーガンは笑顔で「よしよし」と俺の頭を撫でた。
「今日はそれを褒めてやろうと思ってビールを持ってきた。一緒に飲むのを楽しみにしてたのに──リック、肝心のお前がいない。昨日出かけたっきり帰ってこないと聞かされて、リックが不良息子になっちまった!……なんて腹が立ったのさ。」
ニーガンは「おかげでビールが残り一本しかない」と言ってテーブルにチラリと視線を向けた。
俺も同じようにテーブルの上のビールに視線を送ってから再び正面に戻す。
目が合うとニーガンは嬉しそうに笑みを浮かべた。
「邪険にされて気を悪くしてるとは思ってたが拗ねるとは考えてもなかった。本当に悪かった。」
「……違う、拗ねていたわけじゃない。」
「どう考えても拗ねてるぞ。まあ、いいさ。リック、お前が必要ないだなんて思ってない。お前がいないとつまらない。ここに来る意味もない。だから安心していい。」
甘く囁かれて背筋がゾクッとした。
それが堪らなく嫌で、ニーガンの顔を見ていられずに顔を背ければ今度は耳に直接声を吹き込まれる。
「お前は特別だ。」
囁かれた瞬間、頭の奥が痺れる。
この甘い言葉は依存性のある薬物のようだ。度々揺らぐ俺の心に染み込んで、この男の言葉なしではいられなくする。
俺の心を揺さぶるニーガンが嫌いだ。
その言動一つで俺を振り回すニーガンが嫌いだ。
何よりも一番、ニーガンの存在を無視できなくなっている自分が大嫌いだ。
「こっちを向け。」
命令に従って顔をニーガンの方に戻す。
目の前の瞳に俺への執着を見つけ、苦味を含んだ歓喜が胸に満ちる。
「改めて言うが、お前はいつも俺のことを考えろ。俺のことを考えて俺を最優先にすること。来るのがわかっていれば出迎えは絶対にしろ。できるな?」
「はい、daddy。」
「だが、試すためとはいえ冷たくし過ぎたのは良くなかった。すまなかった。お前は俺にとって特別だよ、リック。」
素直に頷くと、また頭を撫でられた。
ニーガンは俺の頭を撫でた手をそのまま頬に触れさせて親指で擦ってきた。
「俺は謝ったぞ。さあ、お前はどうするんだ?」
期待に満ちたニーガンの目。
この状況で俺が言うべきことは一つだけだ。
「──ごめんなさい、daddy。」
声が震えた。
屈辱と、恥ずかしさと、安堵で。
俺が絞り出すように告げた言葉にニーガンは感激した様子で「My boy」と呟いて強く抱きしめてきた。
抱きしめ返すべきか迷う俺には構わずニーガンは話し出す。
「なんて可愛い奴だ!これからはお前に冷たくなんてしない。こんなに可愛い子を拗ねさせるなんてだめだ。……なあ、リック。仲直りしてくれるならdaddyにキスしてくれないか。」
その言葉に寒気がした。
引き剥がすように身を引き、少しでも距離を取ろうとニーガンの胸に手を当てて腕を突っ張る。
ニーガンの言うキスが頬や額ではないことは雰囲気でわかった。唇へのキス。それには強い抵抗感がある。
拒むように口を引き結んでニーガンを見つめても効果はなく、腰に回された腕に力が入って抱き寄せられてしまう。
「リック、仲直りしよう。そうしてくれないと寂しくて……そうだな、他の誰かに慰めてもらわなきゃいけないかもしれない。」
「……わかった、わかったから。……どこにも行かないでほしい。」
俺は覚悟を決めてニーガンの頬に触れた。
楽しそうに笑う男に抱く怒りを堪え、唇同士を触れ合わせると同時に目を閉じる。
触れるだけのキスで済ませたかった。だが、それだけで済まないことは予想していた。
予想通り、ニーガンの手に後頭部を押さえられるとキスが深いものへと変わる。
息苦しくなるようなキス。きっとニーガンは最初からこうするつもりだったんだろう。
体を支えることが難しくなってニーガンの肩に置いた両手に力が入ったが、それを咎められることはなかった。
キスは濃密で長かった。
父と息子という役のはずなのに触れ合い方は親子のそれではない。
ようやく唇が解放されても俺自身が解放されることはなく、ニーガンの手が背中から尻を這い回る。その性的な手付きに吐き気がした。
「これで、仲直りか?」
少し掠れた声で尋ねるとニーガンは満足げに頷いた。
「仲直りできたが、お前に寂しい思いをさせたままじゃ良くない。上に行くぞ、リック。今夜はずっと一緒にいよう。」
ニーガンの目が欲望でギラつく。
女を抱くことを好む男が俺に欲情しているという事実に嫌悪と優越感が同時に湧いた。自分がそういう目で見られることを嫌だと思うのに、あのニーガンに影響を与えていることを喜ぶ自分がいる。
これも奴の思い描いた通りになっているんだろうか?
俺は深く考えることを放棄して、もう一度ニーガンに唇を寄せる。そして今度は自分から舌を絡めた。これが返事の代わりだ。
キスを終えるとニーガンが視線を上に向けた。上に行く合図だと察したので立ち上がるとニーガンも立ち上がった。
「付いてこい。」
そう言ってニーガンに手を握られ、歩き出した奴の後に付いて階段を上る。
俺はこの手を振り払いたいと望むべきだ。そうすることが敵わないとわかっていても心はそうあるべきなのだと理解している。
それでもニーガンに選ばれたことにホッとしている自分を否定できない。
自分勝手な自分を嘆く暇もなく寝室のドアはニーガンによって開かれた。
End