ルビウスの邂逅、およびその燐光について◆
朝日奈。ふいに落ちた一瞬の空白、その呼吸にステップを添わせるような自然さで、彼は言った。
「俺は君について知りたい」
「……それは、どういう」
「ああ、いや。いわゆる食の好みや人間関係というようなプライベートに踏み込むつもりはないし、その必要もないと思っている」
響也と彼がこれまでに交わした言葉は決して多いとは言えないが、彼は端的な結論から話し出すことが多いように思う。それが長く海外を拠点としていたからなのか、生来の彼の気風に因るところが大きいのかさえ、まだ響也にはわからなかった。(あるいは、彼が立ち続けてきた場所が、その気風を確固たるものとさせたのかもしれない。)
「ただ、君が――朝日奈響也という人間が、いままでにどんな舞台や作品にふれ、なにを得て、どう向き合ってきたのか。こうして同じ舞台に立つにあたり、……いや、違うな。あの対決公演を終えてから、俺はそれを知りたいと思っていた。それだけだ」
そのことをプライベートだと言われてしまえば、それまでだが。
意図するところを求めれば、即座に淀みない口上が返ってくる。滔々と述べ終えたところで言葉をきってドリンクボトルに口をつける仕草、話す速度、響也のいらえを待って壁に凭れかかる動作。ともすれば尊大にも見える所作のひとつひとつが、彼の言葉に確かな質量を与えていた。
「俺が、いままでにふれてきたもの……ですか?」
「そうだ」
真新しくありながら、経験に裏打ちされた緊張の漂うレッスンルーム。磨き上げられたフロアと、鏡に映る自分と彼の立ち姿が、どこか第三者的に視界の端に溶けている。
「君が主宰として選んだ選択肢は、俺たちの選択肢には存在しなかったものだ。無論、脚本家の彼女の発想力あってこそとは言うに及ばないが、それを選び取った君の価値観にも、俺は興味がある」
「……、」
響也は彼を寡黙な男だと認識していたが、実際のところそうではないのかもしれない。彼にとっての必要を、無駄にならないかたちで伝えているだけで。
「質問を変えよう。朝日奈、君は、舞台の上から何を見ている?」
揺るぎない彼の双眸が、まっすぐに響也を射る。金剛石によく似たかたちの、紅玉のかがやき。スポットライトの下、同じ舞台の上で見るその赤はどれほどの存在感を持ってかがやくものであるのだろう。ぞわりと、心地好い高揚が胸裡を揺らした。
「お客さんの笑顔を。……俺はいつも、目の前にいるお客さんの笑顔が見たくて、舞台に上がります」
「……ほう?」
彼の瞳が、響也の答えを咀嚼するように一、二、まばたいた。それから、小さく頷いて呟く。「そうか。君は、」
「?」
「いや。なんでもない」
かすかに落ちた自身の声を誤魔化しの色もなくごく自然に拾い上げ、彼は凭れかかっていた壁から背を離す。うつくしくまっすぐに伸びた姿勢は、彼のしなやかに鍛え上げられた体をひとまわり大きく見せる。
「興味深い答えだった。覚えておこう」
「黒木さん」
「なんだ」
「俺も、あなたのことが知りたい」
知らず、口をついて出た言葉だった。好奇心と言い換えてもいい。彼が響也の見ているものを尋ねたように、響也は彼の見ようとしている景色に興味があった。
彼のあざやかな赤が、ふいをつかれたように一瞬丸まって、戻る。
「そう思うなら、稽古を再開するのが一番早い」
行くぞ、と、やはり端的な応えを返して彼は歩き出す。さきほどまでの言葉以上に雄弁なその足取りを追って、響也も足を踏み出した。
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20180210Sat.