イラストを魅せる。護る。究極のイラストSNS。

GALLERIA[ギャレリア]は創作活動を支援する豊富な機能を揃えた創作SNSです。

  • 1 / 1
    しおり
    1 / 1
    しおり
    ゆきとしにがみ この町に雪が降り始めてから、どれだけの時間が経っただろう。「わたし」が生まれた時に降り出したのだから、十五年降り続いていることになる。
     ……この町から春を奪い、音を奪い、命を奪う、雪。
     雪の妖精達はくるくると舞い踊り降り積もるだけなのに、人間達はそれに翻弄され、町は徐々に凍り付いてゆく。
     ――この町の名は、「静寂の町(レイスベルグ)」。
     この町には、絶える事なく雪が降り続けている。




    1.

     百合の花弁が散るように、白い欠片が天より降る。ひらりひらりと舞い降りて、白の上へと降り積もってゆく。今夜のような雪が降る夜は、人々は早々に帰路につき家の中で身を寄せ合い、出歩いたりはしない。
     雪は、人を凍らせ死に至らせる。少しずつ、穏やかに、けれど確実に、死を運んでくる。だから、こんな雪の降る夜は、誰も外へ出ない。羊のように身を寄せ合い、囁き合い、雪が弱まるのをただ、待つ。
     けれどわたしは、空から舞い降りる雪六花を見るのがとても好きで、寒々とした家へ帰る気にはなれなかったものだから、冷え切った指先に息を吐きかけながら通りを歩いていた。時折、通りに面した家の窓から視線を感じ、でもそちらへ視線を流す頃にはもう誰も覗いてはいない。
     わたしは、ひとりで歩む。わたしは、異端者。
    はぁ、と再び指先に息を吐きかける。白く染まった生温い吐息は、指先を温める前に冷めてしまう。指先を擦り合わせながら空を見上げると、重苦しい灰色の雲。そこから舞い降りたひとひらの雪が、私の鼻先でとけて消えた。
    ……ふと気が付くと、わたしは町外れにまで来ていた。
    今夜でなくとも誰も居ない、打ち捨てられた小さな教会――神話を模した色硝子は割れ、扉は完全に風化し崩れ落ちて、そして、石壁はまるで一度燃されたかのように煤けている――ぐらいしかないその場所が、わたしは好きだった。
     この教会の周りは不思議と雪が浅く、昼間は雲越しの日差しもこころなしか温かく感じられる。気分の問題、だろうか。
     さくさくと雪を踏みながら教会へと近付いて行ったわたしは、見慣れないものを視界にとらえて足を止めた。
     それは、ひとりの男だった。
     荒れた教会の前で空を見上げて佇むその男は、唇をきつく引き結んで、何かに腹を立てているような、それでいてとても悲しげな表情をしていた。
    「……ん?」
     男はこちらに気が付いたらしく、ゆっくりと振り返った。この町では珍しい黄金色の髪が揺れて、わたしは、この町では雲の切れ目から覗き見るのが精々の太陽を思い出した。
     そして、こちらを見た男の瞳は青空を思わせる碧眼で、どうしてこうもこの町にそぐわない色彩ばかりを見せ付けてくるのかと、わたしは見当外れな不満を抱いていた。
    「今晩は。お散歩ですか?」
     微笑みながら首を傾げる男の胸元で聖印が揺れ、それからよく見るとその服も法衣であることに気が付いたわたしは、聖職者……恐らくは神父の類か、と男の正体にあたりをつけ、その瞬間頭の奥でなにかが警告を発したのに気付かないふりをした。
    「ええ、あなたは……?」
     この町は狭い。そして閉鎖的だ。周囲を雪に閉ざされてから、外部の人間といえば、たまに王都から派遣されてくる役人ぐらい。……不審がわたしの顔に出ていたのだろうか、男は困ったように笑うと、その黄金色の髪をついとかき上げた。
    「僕はアスル、アスル=ベルナディーテ。王都からこの町へ派遣されてきた神父、なのですが……」
     まさかここまでとは、と苦笑混じりに呟きながら傍らの教会を見上げた男を尻目に、わたしは身体の震えを懸命に抑えていた。寒いわけではない。なのに、気を抜くと膝が笑い出しそうだ。
     ――若い神父。王都から派遣されてきた。太陽のような黄金色の髪、晴れた空のような蒼い瞳。それから、笑顔……。
    「よろしければ、貴女のお名前を教えて頂けませんか?」
     耳を打った男の台詞に、ようやくわたしは我に返った。理由のわからない焦燥感も、なにかに対する恐れも、煙のように消え失せていた。
     ふるりと頭を振ってから、わたしは顔を上げて、口を開いた。
    「わたしは、……エレ」


    むかしむかし、その町にひとりの神父がやってきました。
    はじめは、町の人々は神父を拒んでいました。
    けれど、その温かい人柄に触れ、人々は神父を慕うようになりました。
    ある日、神父はひとりの娘が行き倒れているところを助けました。
    まるで雪のような白銀色の髪をした、とてもうつくしい娘でした。
    ……神父と娘が恋に落ちるまで、それほど時間はかかりませんでした。




    2.

     神父は、どうやらあの町外れの教会を修繕して住むつもりらしく、朝も夕も働きづめだった。
     その姿が町の人々の目に留まるまでさほど時間はかからなかった。……話題といえば止まない雪のことぐらいしかない人々にとっての、格好の噂の的になるまでも。
     町の人々は神父に妙によそよそしく――それは「よそ者」だからか――、いつも神父はひとりで教会に居た。一日経ち、二日経ち、修繕作業は遅々として進まないようだった。
    わたしは、何度も教会の近くまで行った。想像の中では、何度も「お手伝いしましょうか」と言っていた。けれど、ほんの一歩がどうしても踏み出せなかった。
     わたしはこの町では異端者で、わたしのことは誰も見ず、話さず、聞かない。だからもしわたしが神父に近付けば、ますます神父は町の人々から爪弾かれるだろう。それにわたしは力も無いし、器用でもない。わたしに出来ることなんて、何があるだろうか。
     ……言い訳ならいくらでも。ぐるぐると頭の奥で渦巻くものを感じながら、わたしは今日も教会へ向かう。今日も雪六花はひらひらと舞い降りて、視界は白い。
     遠目に教会を眺めると、どうやら神父は出かけているようで、金槌の音も聞こえなかった。安堵の溜め息をついたわたしは、雪の軋む音を聞きながら教会へと歩み寄り、幾分見映えの良くなったそれを眺めた。
    「……おや?」
     突然聞こえた声に、わたしは驚いて周囲を見回した。が、一面の白には異彩など無く、わたしはますます混乱した。そんなわたしの頭上から降る、くすくすという笑い声。
    「こちらですよ。上、上」
     一歩後ろに下がって見上げると、教会の屋根からこちらを見ている神父。片手に金槌を持って、穏やかな笑みを浮かべていた。わたしが咄嗟のことに声も出せずにいるのに、神父はひらりと屋根から跳び下りて雪の上に着地した。
    「こんにちは、何かご用ですか?」
    「え、あ、その……」
     喉に何かがつっかえて巧く喋れない。おろおろと視線を彷徨わせるわたしを、神父が不思議そうに見ているのがわかる。わたしはうつむいて、指先が痛くなるぐらいきつく服の裾を握り締めたまま、早口に用意しておいた台詞を言った。
    「『お手伝いしましょうか』……っ」
     神父が、息を呑むのがわかった。雪に音が殺され、沈黙が痛い。はやく、はやく何か言わなければ。きっと迷惑だったのだ、わたしのような何の役にも立たなさそうな娘、断るにしたって色々と言い回しを考えなければならないだろうし……。
    「ありがとうございます」
     時間に直せばきっとほんの一瞬。そのとても長く感じられた一瞬の後、わたしの耳に届いたのは思っていたよりも温かな、神父の声。顔を上げると、神父は柔らかい笑みを浮かべてわたしを見ていた。
    「ちょうど休憩しようと思っていたところなので、それから手伝って頂けますか?」
     わたしの中で、凝り固まっていた何かが融け始めるのがわかった。
     それから、わたしと神父は教会前の石段に腰掛け、しばらく他愛の無い話をしていた。王都での暮らしや季節について、この町の雰囲気や、それから……。町の外から来た人間である神父の話は、生まれてこの方この町から出たことの無いわたしにとってはとても興味深く、まるで子供のように神父を質問攻めにするわたしに、神父は嫌な顔ひとつせず答えてくれた。
    「……貴女は、僕のことを嫌っているのだと思っていました」
     そろそろ作業を再開するか、という段になって、神父はそんなことを言った。わたしが驚いて問い返すと、神父は苦笑しながらその頭をかいて、どこか照れたように視線をそらしながら石段から立ち上がった。
    「貴女、何度か教会の近くまで来ていたでしょう? けれど、僕が居るのに気が付くといつも帰ってしまうから」
     気のせいでよかった、と神父は笑った。
     わたしは、何故だかとても胸のあたりが苦しくて、神父から手渡された金槌をきつく握り締めていた。


    神父と娘はしあわせでした。
    不吉な黒い髪をした旅のまじない師が、その町を訪れるまでは。
    まじない師は、娘を見るなりこう言いました。
    「その女は呪われし雪の眷属……早々に追い出さねばこの町には災いが降るだろう」
    神父はまじない師の言葉など信じませんでした。
    ですが、何人かの町の人々は、まじない師の言葉を信じてしまったのです。




    3.

     神父がこの町にやってきてから一月が経とうとしていた。相変わらず町の人々の大半は神父に冷たかったけれど、教会の修繕はすこしずつ進んでいった。
     わたしはといえば、毎日のように教会へ向かい神父の手伝いをしていた。自分から他人に関わることなど滅多に無いわたしが、だ。その理由を考えて、考えて、わたしは神父に惹かれている自分に気付いた。……自覚してしまえばあとは転がり落ちるようなもの、わたしは、神父を好きになってしまっていたのだ。
     それでもわたしはいつもと同じように目覚めて、いつもと同じように教会に向かい、いつもと同じように通りを歩いていた。片手には籐の籠、その中には休憩の時にでも食べようと思った焼き菓子。
     教会が視界に入り、幾分建物としての体裁が整ってきたそこへ歩み寄ろうとしたその時、わたしの耳に誰かの話し声が届いた。
    「……いつまでのんびりしているつもりだ、《太陽(アスル)》」
     低く掠れた、真冬の風のように冷たい男の声。寒さには慣れているはずなのに寒気がして、わたしは外套を身体に引き寄せた。
    「焦りは禁物ですよ、《夜(ノール)》。相手は、……なのですから」
     風にさらわれて聞き取り難いが、続いて聞こえた声は、あの神父の声だった。それに気付いた瞬間、わたしの足はその場に縫い付けられたように動かなくなった。……立ち聞きなど誉められたことではない。けれど、わたしは何故かその会話がとても気になったのだ。
    「忘れるな《太陽》。お前は何の為にここへ来たのか……」
    「わかっています。……もう少しですよ」
     そして聞こえた神父の声は、今まで聞いたことのないぐらい冷え切って寒々としていて、けれど、どこか悲しそうだった。
     その言葉に相手がなにか返して、それから、足音がこちらへと近付いてきた。身を隠す暇もなく、わたしの目の前に現れたのは、黒髪の男だった。艶の無い、烏を思わせる黒髪が揺れるのが、どこか不吉に感じられた。
     男は爬虫類のようないやらしい黄色の瞳で、わたしをじろりと見た。わたしの頭のてっぺんから爪先までじろじろと眺めてから、口元を一瞬歪め、足早に去っていってしまった。
    「誰かそこに居るのですか」
     普段よりも鋭い、険のある神父の誰何に、わたしはおそるおそる教会の中を覗き込んだ。……神父が、壁にもたれかかって鋭い目でこちらを見ていた。
    「……ああ、貴女でしたか」
     わたしに気付くと、神父はどこか慌てた様子で壁から背を離し、いつもと同じ柔らかな笑みを浮かべた。けれどもそれは、どこか仮面じみて。わたしは、それには気付かないふりをした。
     ――さっきの男は何者で、神父とはどういう関係なのか。
     訪ねたいことは山ほどあったけれど、わたしは言い出すことが出来なかった。微妙な空気を振り払うように、持って来た籐籠を示しながら、つとめて明るい声で神父に話しかけた。
    「焼き菓子をもってきたの、休憩のときにでも食べましょう」
     神父はわたしに歩み寄ると籠の中を覗き込み、へぇ、と感心したような声をあげた。その調子はいつもと同じで、わたしはようやく安心した。
    「手作りですか、美味しそうですね。……風味が落ちては勿体無い、先に頂きましょう」
     そう言って、まるで子供のような笑みを浮かべる神父を見て、わたしはさきほどおさまった不安がまた頭をもたげるのを感じた。――どうしてだろう、彼はいつものように笑っているのに。
     籠の中から焼き菓子を取り出そうと神父に背を向けたわたしは、ひと瞬き後、視線を感じた。それはとても強い、身体を貫くような視線。今この場所に居るのはわたしと神父だけなのだから、視線の主は神父なのだろうが……わたしは、動くことが出来なくなった。
     わたしをとらえて離さない視線。背後で空気がゆっくりと動くのを感じたが、わたしは微動だに出来なかった。ゆっくりとした足音、息遣い、そして……。
     気が付いた時には、わたしは神父の腕の中に居た。教会の床に、籠が落ちた。
     背中に感じる熱、腰に回された腕。背後から、まるで包み込むかのように抱き締められて、わたしはあたまの中が真っ白になり、ぱくぱくと溺れる魚のように口を動かしたあと、喉の奥から言葉を搾り出した。
    「し、神父さま……?」
    「アスル、です」
     わたしを抱く神父の腕に、更に力がこめられて。わたしはますます動揺して、自分のつまさきをじっと見つめていた。耳元を擽る神父の声が、吐息が、わたしの頭から思考能力を削ぎ落としてゆく。
    「アスルです、名前で呼んで下さい……エレ」
     ――その時わたしの身体を貫いたものを。わたしを突き動かそうとする感情を。ごまかすことなんて、出来そうになかった。
    「……アスル」
     わたしがおそるおそる名前を呼ぶと、神父はちいさく息を吐いた。そして腕の力を抜くと、わたしの身体を回転させ、向かい合うように体勢を変えた。……青空の色をした瞳が、わたしを真っ直ぐ見つめていた。
    「好きです」
     紡がれた言葉は、まるで、懺悔でもするかのよう。――何故か、そう思った。
    「貴女の事が好きなんです……どうしようもない、ぐらい」
     神父の震える指先がわたしの頬に触れた。そっと、まるで壊れ物に触るように。それからゆっくりとその指先は滑り降りて、わたしの顎を捕える。
    「嫌なら、突き飛ばして逃げて下さい……」
     視界が黄金色と蒼色とで覆われてゆく。わたしは動けなかった。……いや、動かなかった。神父が泣き笑いのような表情を浮かべて、「拒まないんですね」と唇の動きだけで囁いた次の瞬間、わたしと神父の唇は重なっていた。
     触れるだけの、子供じみた口付け。けれど、触れたところからとけてゆきそうなほど、熱い。
     ――このまま時間が止まってしまえばいいのに。
     そんなことを思っているうちに、神父の唇はわたしのそれから離れてしまう。思わずわたしが神父の服の裾を掴むと、神父は驚いたようにわたしを見つめてから、再び唇を重ねてきた。今度はさっきよりも長く、わたしの腰に腕を回してしっかりと抱き寄せながら。


    まじない師の言葉を信じた町の人々が教会へと押し寄せました。
    「彼女はただの善良な女性です、私達とおなじ人間なのですよ!」
    神父の必死の叫びも、熱病に浮かされた町の人々には届きませんでした。
    人々の持った刃がひらめき、神父は切り捨てられました。
    その瞬間。町の人々を、一陣の吹雪が襲いました。




    幕間.

    「…………」
     神父はその本を眺めながら溜め息をついた。……「雪と死神」という題名の、作者の名が無い絵本。そこに綴られているのはとてもかなしい物語、救いの無い物語――
     この町に降り続く雪の理由を綴った創作は数限りなくある。曰く「雪の妖精の気紛れ」から、曰く「邪神が復活する兆候」まで、そのどれもが眉唾物であり、参考資料としての信憑性は皆無に近い。
     だが、王都としては藁をも掴むつもりらしい。交通・貿易の要であるこの町が雪に埋もれたままでは国の財政が破綻しかねない。よって、皺寄せは下部の人間に起こる――即ち、「たとえ荒唐無稽なおとぎばなしでも、些細な与太話でも、すべて収集・分析しろ」という無茶な命令が下るのだ。
     宿をとった部屋の床にはうず高く積もる本、本、本……。
    「雪……《死神》、か」
     神父は呟くと、作業用の眼鏡を外して片手で目を覆った。椅子の背凭れに体重を預けて、ぎしぎしと木を軋ませる。それから黒衣の前釦を外して一息。――目を覆っていた手をゆっくりと除けると、まるで冬の空のような冷たい碧眼がぼんやりと空中を見遣った。
     ――手札は揃い始めていた。
     止まない雪。幾つも流布しているおとぎばなしの類に共通する事柄は《死神》。新しい命の生まれる春が来る前に訪れて、余剰分の命を刈り取ってゆく冬。雪は《死神》が訪れる前触れとされている。
     止まない雪。恐らくはこの町に何らかの呪いがかけられているのだろう。だが、ひとつの町を閉ざすほどの雪を降らせることなど、たとえ王宮魔術師でも出来はしない。……それが《死神》によるものだとすれば?
     ……止まない、雪。それを、止めるには。
    「……エレ、貴女が《死神》なんですか?」
     脳裏に浮かぶのは彼女の姿。雪のように白い肌、白銀色の髪をした彼女。いつも困ったように笑う臆病な彼女が、真っ白い雪の上をおずおずと歩く様子。
     彼女の事を想うと、胸が苦しくなる。この残酷な巡り会わせを思う度に神を呪った。だが、
    「……主よ」
     神父は肌蹴た胸元から除く十字架を握り締めた。神父が助けを請う相手は、救いを求める相手は、ひとりしか居ないのだから。たとえその相手が、何もしてはくれない気紛れな子供だったとしても。
    「どうか……」
     縋るように十字架を掲げ、額に押し当てる。搾り出した声はひどく捻れ掠れて、部屋の空気に溶けて消えた。


    「……なぜ人間というものはこうもおろかなのだ」
    それは、怒りに震える声。
    吹雪を身に纏い白銀の髪を靡かせた娘が、町の人々を睨み付けていました。
    娘は、雪の眷属……死神だったのです。
    怒り狂った娘は町の人々を相手に暴れまわりましたが、多勢に無勢。
    教会に閉じ込められて火をつけられてしまいました。




    4.

     神父とわたしが口付けを交わしたあの日から、何日かの時が過ぎた。
     わたしは相変わらず教会――人の生活にたえられるほどに修繕され、神父は宿からこちらに移り住んでいた――に通い、神父も相変わらず教会を修繕していた。
     その日もわたしは教会へ向かっていたのだが、教会の方へ向かう町の人間を目撃し、それと鉢合わせしないように道端で時間を潰していた。ほろほろと舞い落ちる雪が、雪の上に刻まれたわたしの足跡を覆い隠してゆく。
     音は雪に食われて、辺りは静寂に包まれている。わたしはひとり、強くなってきた風にさらわれないように外套を身体に引き寄せていた。
    「お前が《死神》だな」
     突然聞こえた男の声。わたしの視界を支配する、黒。ふるりと頭を振ると、ほんの三歩ほど空けた目の前に、黒い髪の男が立っていた。いつだったか神父と話をしていた、あの、不吉な男。
     一歩、こちらへ歩みを進める男、その黄色い瞳は射抜くようにわたしを見つめていて、艶の無い長い髪は風に嬲られなびいていた。真っ白い世界に浮かび上がる男の姿はとても異質で、不安で、不吉だった。
    「奴は、甘い。先送りにすればするほど、自らの首を絞めているのに……」
     淡々と言葉を紡ぎながら、更にもう一歩。男の着ている夜闇のように黒い外套が揺れて、その下で、金属と金属が擦れ合うような音がした。
     ――逃げなければ。はやく、どこかへ。でなければ、「また」、奪われる。
     頭の中でなにかが警鐘を鳴らしてわたしを急かすのに、まるで根でも生えてしまったかのように動けない。男が最後の一歩を踏み出して、外套の下から手を伸ばそうとした、その時。
    「エレ!」
     耳慣れた声が響き、男は舌打ちをするとすぐさま腕を外套の中にしまい込んでわたしから離れた。雪を踏みしめ駆ける足音が近付いてきて、わたしの肩を誰かが掴んで引き寄せた。
    「…………」
     それは、険しい顔をした神父だった。わたしを庇うようにして、男を見つめていた。息が詰まるような時間が続き、何呼吸かの後、男はくるりと背を向け、外套を翻しながら去っていった。
    「忘れるな。お前は、《太陽》なんだ」
     最後に残された男の言葉。それは、わたしをひどく不安にさせた。……わたしの肩を掴む神父の手に、力が入った。


    激しい炎に身を焼かれながら、娘は呪いの言葉を吐きました。
    「ゆるさない……たとえこの身がここで炎に焼かれ朽ちても、
     私はけしてお前たち人間をゆるしはしない……!
     この町に雪の呪いを!
     幾年もかけて少しずつ凍り付き、死に絶えてゆく呪いを……!」




    5.

     ……始まりはいつもと同じ朝。
     わたしは冷たい水に凍えながら顔を洗い、寝間着から着替えるべく衣装棚に向かっていた。そして、ふとなにかの気配を感じて、手を止めて振り返った。……その瞬間、扉が激しく叩かれた。
    「……だれ?」
     誰何の声は打音に掻き消されて聞こえない。激しさを増すその音に、わたしはとても恐ろしくなった。そっと扉に近付いて、小窓の隙間からこっそりと外の様子を伺うと、そこには通りの肉屋の親父さんが居た。無表情にわたしの家の扉を叩き続けて、そして片手に、大きな肉切り包丁を持っていた。
     恐怖の叫びすら喉に引っ掛かって、うまく出てこない。わたしは小窓から後ずさり、おろおろと周囲を見回した。出入り口は、その扉ひとつきり。
    「おい、いるんだろう? 《死神》、お前さえいなくなれば……!」
     がちゃがちゃと激しく扉の取っ手が動かされる。鍵なんてそんなにしっかりした作りではない、遅かれ早かれ壊れてしまうだろう。わたしはよろけて後ろの壁に背中をぶつけ、ずるずるとしゃがみ込んでしまった。
     響き続ける扉を叩く音に急かされながら部屋の中を見回したわたしの目に飛び込んできたのは、屋根裏に続く梯子。わたしは咄嗟に、その梯子に縋り付いて上へと登っていた。……足元で、扉の砕けてゆく音が聞こえた。
     屋根裏に辿り着いたわたしは、何年も閉めたままだった小窓を開けて、そこから外に身を乗り出してみた。一面の雪景色、そこにぽつぽつと見える異彩は町の人々。なにかを探しているようだった。「なにか」が何かなんて、考えたくもなかった。
     ――飛び下りるにはすこし高い。屋根に上がるにしたって、今のわたしは裸足で、足を滑らせて落ちでもしたらお話にならない。
     けれど状況はわたしに逡巡する暇さえ与えてくれなくて、階下が急に騒がしくなった。どうやら扉が破られてしまったらしい。このままではじきに見付かってしまうだろう。わたしは、意を決して窓から身を躍らせた。
     ……そこから後はよく覚えていない。町の人々の怒声と、突き刺すような寒さと、胸を覆い尽くす不安と恐怖がわたしの記憶を曇らせていた。気が付くとわたしは教会の前に居て、何かを考えるより先にその扉を開いて中へと転がり込んでいた。
    「エレ、どうして……」
     わたしは息を荒げながら神父を見つめ、何か言おうとしたのだけれど、遠くから怒声が近付いて来るのに気が付いて、祭壇の後ろへと潜り込んだ。かたかたと震えて、自分の肩を抱いて、まるで、怯えた小動物のように。
    「こっちにあの娘が来なかったか?!」
     耳をつく声。わたしは耳を塞いで、身を縮めて、呼吸さえも止めていた。
    「……あの娘?」
    「《死神》だよ、あの白銀の髪をした! こっちに来たはずなんだが……」
     一瞬の間が、永遠にも感じられた。わたしは、視界を覆うわたしの白銀色の髪を、じっと見つめていた。恐怖に歯が鳴り出しそうなのを、懸命に堪えながら。
    「……《死神》など、来てはいませんよ。どこか別のところへ逃げてしまったのではありませんか?」
     いつもと少しも変わらない神父の声。相手はそうか、と短く答えると、教会を後にした。その気配が消えてしまってから、わたしは大きく息を吐き出して、それからおそるおそる祭壇の後ろから這い出した。
     神父が、わたしを見ていた。
     困ったような顔をして、わたしを見つめていた。
    「……どうしてここへ来てしまったんです」
    「あ、わ、わたし……」
     まだうまく喋れないわたしを見て、神父はゆっくりと祭壇へと歩み寄る。一歩、また一歩と踏み出しながら、独白じみた台詞を紡ぎ続けた。
    「《夜》が町の人間を焚き付けたのでしょうね、全く、趣味の悪い」
     神父は、しゃがみ込んでいるわたしの隣に立ち、わたしの方を見ようとせずに、祭壇の女神像に手を伸ばした。そして、像を横にずらしてゆく。
    「そうそう、まだお話していませんでしたね」
     何か、硬いもの同士が擦れる音。つい先日聞いたのと、よく似た音。そう、それは、あの不吉な黒い男がたてた音と、よく似た……。
    「僕は、……《死神》を殺すために、やってきたんですよ」
     ほんとうに何でもないことのように、天気の話でもするかのように淡々と紡がれる台詞に、わたしの頭がついてゆかない。わたしは堂々巡りを始めてしまいそうな思考の中、一生懸命神父の言葉の意味を考えていた。
     ――……死神。それは、たしか、わたしのことではなかっただろう、か?
     顔を上げたわたしの、その目の前で。銀色の刃が、煌めいていた。
    「ア、 スル……?」
     喉が渇いて、うまく言葉が紡げない。神父の名を呼ぶ声さえ、ひどく掠れてしまっていた。
    「……昔、この町には一人の神父が居ました」
     神父はわたしの言葉に答えてはくれなかった。ひどく冷たい目でわたしを見て、まるで舞台の上にでも居るかのように、脚本でも読まされているかのように、台詞を紡ぎ続けていた。
    「神父はひとりの女と恋に落ちたのですが……不運なことに、その女は人ならざるもの、雪の眷属、《死神》だったのです。神父は最後までその女を守ろうとしましたが、それは叶わず、神父も女も殺されてしまいました。そして……女は、この町に呪いをかけました。降り続ける雪が、神父を殺した町の人々を凍り付かせてしまうように」
     そこまで言うと、神父は乾いた唇を舐め、わたしに突きつけていた細身の長剣をゆっくりと振り上げた。……わたしはそれを、どこか他人事のように見つめていた。
    「呪いには楔が必要です。それが、《死神》の転生たる貴女。……貴女を殺せば、この町を凍らせる呪いは解ける」
     ――ああ、わたしは神父に殺されてしまうのだろうか。痛いのは嫌だけれど、何故だろう、動けない。
     わたしは、ゆっくりと、瞳を閉じた。
     風を切る音がして、――からん、と硬い物が落ちる音。
     わたしが再び瞳を開くと、神父はその手から長剣を離して、顔を覆ってしゃがみ込んでいた。
    「……吐き気がする」
     ゆっくりとその顔を覆う手を外すと、神父は今にも泣き出しそうな、何かに耐えているような表情をしていた。神父は太陽のような黄金色の髪を掻き毟り、喉の奥から搾り出すような声で呟いた。
    「貴女を殺してまで成さなければならない『使命』とは何ですか? 昔のひとが蒔いた種なのに、何故その後始末を僕がしなければならないんですか? 僕は、僕はただ……」
     わたしは、そっと神父に歩み寄ると、そのきつく握り締められ震える拳に手を重ねた。びく、と震えて身を引こうとするのに、出来るだけ優しい声をかける。
    「……アスル」
     おそるおそるわたしを見る、その青空のような瞳は濡れていて。
    「いっしょに、逃げましょう」
     わたしの台詞に、大きく見開かれた。


    神父と娘が死んだその日から、その町に降る雪は止まなくなりました。
    人々はその町から逃げ出そうとしました。
    けれど、逃げ出そうとする度吹雪が激しさを増し、道を塞いでしまいました。
    まずは老人、その次は子供。町の人々は少しずつ凍えて死んでゆきました。
    ……そして、今もその町には雪が降り続けています。




    6.

     ――駆ける駆ける、雪を踏み分け手に手を取って。
     わたしと神父は、森の小道を走っていた。町からすこしでも遠ざかるために、追って来る人々から身を隠すために。吐く息は白く、頬は冷たい風にさらされて冷え切って、けれど繋いだ手だけがとても熱かった。
     ――この手さえ離さなければ、きっと大丈夫。わたしは、今度こそ大切なものを奪われずにすむのだ。
     そんなことを考えていた、瞬間。何かが風を切るような音が聞こえて、わたしの身体に衝撃が走った。神父に突き飛ばされたのだ、ということに気が付くのに一瞬き、神父の胸に生えた異質な何か――それは不吉な銀色の刃――に気が付くのに一瞬き、そして、わたしの口から声が出るのにもう一瞬きかかった。
    「……アスル?」
     神父はゆっくりと自分の胸を見下ろし、そこから生えた短剣の柄を見遣り、それからわたしの方に振り返ると、困ったような笑みを浮かべ、そのままゆっくりと雪の上へ崩れ落ちていった。時間が、凍り付いたように感じた。
     雪が、真っ白い雪が、紅く、染まって……。
    「いやぁアぁァぁぁ!」
    「……庇ったか、馬鹿な男だ」
     絶叫し続けるわたしは、その男がいつ現れたのかさえ気付けなかった。不吉な黒、雪の上に浮かび上がる黒、わたしから、大切なものを奪う、黒……!
    「貴様ァぁあッ!」
     わたしは男に掴みかかろうとしたが、軽くあしらわれて雪の上に投げ飛ばされた。何度も、何度も繰り返し、わたしは男へと飛びかかり、その度に周囲の吹雪の勢いが増すのに気付いていなかった。
    「ちッ、鬱陶しい……!」
     男が外套の下から何本もの剣を取り出し、わたしに向けて投げつける。飛来した剣のことごとくがわたしの身体に突き刺さり、激痛を感じるよりも前にわたしは標本にされた蝶のように雪の上に縫いとめられていた。
    「ぐ、! ィ ……あ ァ!」
     うまく呼吸ができない。身をよじれば、右腕の付け根と左太股を貫いた刃が更に肉を抉る。痛い。否、痛いどころの騒ぎではない。それはまるで地獄の業火に焼かれるかのような……。
     ――わたしはこれを知っている。この痛みを、熱を、知っている。
    「《死神》に誑かされたのだな……哀れな《太陽》、雪と相容れよう筈も無いだろうに」
     視界の片隅で男が神父の傍に屈み込み、そっとその瞼に手を伸ばした。触れるな、あの人に触れるな、わたしの――
    「!」
     次の瞬間。叩きつけるような吹雪が、男の身体に横殴りに襲い掛かった。わたしはそれを自分がやったということに、何故だか疑問も抱かず、凄まじい快感に甲高い笑い声をあげていた。
     痛みは嘘のように消えていた。身体を起こすと右腕と左足が千切れたけれど、ちっとも痛くなかった。
    「あはははははッ! 殺す、殺シてやル、人間ナンテ……!」
     軽く片手を振るだけで、激しい吹雪が刃と化し男を切り裂いた。はじめは腕、つぎには足……もうすこし力をこめれば首だって飛ばせるだろう、わたしにはそれがわかっていた。
    そしてそれを実行へと移すため、腕を振り上げる。
     振り下ろす。
     舞う紅。紅。紅紅紅紅。黒。白白。金。
     ――吹雪が荒れ狂う度に、わたしの中でなにか大切なものが音をたてて凍り付いていく。不吉な黒は血の紅と雪の白に染まり、わたしを脅かすものはいなくなる。ああ、これでわたしはしあわせになる事ができるのだ。あの人と。
     ……あのひと と ?
     吹雪が少しずつ弱まってゆく。宙を舞っていた白と紅と黒と金は、ゆっくりと舞い落ち動かなくなった。
     わたしは、雪の上に散る「金」を見つめた。……これは何だろう?
     太陽のような黄金色。黒を纏い、青空の色を持つ、黄金色。とても愛しい、色。
     わたしは、もう、それが何なのか思い出せなかった。


    これは、かなしい物語。
    雪のような白銀色の髪をした死神の物語。
    何度も生まれては出会い、しあわせになる道を探す物語。
    願わくは、次の物語ではふたりがしあわせになりますように。
    願わくは、次の物語ではその町に春が訪れますように。


    ――作者不明「雪と死神」より
    新矢 晋 Link Message Mute
    2019/01/04 23:29:18

    ゆきとしにがみ

    #小説 #オリジナル #ファンタジー
    その街には、雪が降り続けていた。

    more...
    Love ステキと思ったらハートを送ろう!ログイン不要です。ログインするとハートをカスタマイズできます。
    200 reply
    転載
    NG
    クレジット非表示
    NG
    商用利用
    NG
    改変
    NG
    ライセンス改変
    NG
    保存閲覧
    OK
    URLの共有
    OK
    模写・トレース
    NG
  • CONNECT この作品とコネクトしている作品