興味があります 放課後、サミュエルはいつものように部活動に勤しんでいた。彼の所属している部活はサイエンス部。化学の範囲であれば、自由に活動して良いという、割と自由度の高い部活だ。その中でも彼は植物園の一画を借りて小さな庭を造っている。今日はその一環として、育てている苔の成長記録を取っていた。無表情で苔をじっと見つめる姿を、背後から何者かが観察している。その気配が近付いて来ると、サミュエルは振り向かずに口を開いた。
「何の用、ですか。ルーク……先輩。トレイ……先輩」
「オーララ! まさか見つかってしまうとはね。ムシュー・無口。流石だ」
「いや、驚かせるつもりは無かったんだが……」
素直に感心したのは一学年上のポムフィオーレ寮生ルーク・ハント、その隣に立っていたのはルークと同学年でハーツラビュル寮生のトレイ・クローバーだった。ルークは部活の合間にサミュエルの観察に、トレイは近くの林檎の木の具合を見に来たらしい。ルークの理由はよく分からないが、いつものことなので放っておくとしてトレイの目的が分からず、振り向いたサミュエルは些か警戒する。
「そう警戒するなよ。別に何か目的があって来た訳じゃない。お前の活動内容も把握しておこうと思っただけだ。それで、サミュエルは何のために苔なんて育ててるんだ?」
トレイの問いにサミュエルは暫し何事か考えているようだったが、やがてその重い口を開く。
「庭……」
「ん?」
「庭に……植えようと、思ってます」
「……え? 庭?」
サミュエルの答えに二人は少々面食らったようで、お互いに顔を見合わせる。そんな二人を放っておいて、話は終わったとばかりに、サミュエルはまた苔に向き直り、観察し始める。
「いや、そのまま終わろうとするなよ。サミュエル、庭ってどういうことだ?」
「サミュエル君、まさかキミは個人の庭を持っているということかい?」
何故庭くらいで興味を持つのか心底分からない。サミュエルはそう思ったが、表情に出さないようにしてまた二人の方へ振り返る。しかし、意外と彼は自分で思っているより顔に出やすいらしい。何も言わずともトレイ達には分かってしまったらしい。
「そんな面倒そうな顔をしなくてもいいじゃないか」
「してません。……あっちに、あるんです」
サミュエルの指し示す方を一瞥した二人だが、彼の庭はもっと奥まったところにあるらしく、それらしい場所は見つからない。
「小さい、ですけど……。奥に造ってある、ので」
「それはそれは。是非とも見てみたいね。知っていたかい? 薔薇の騎士」
「いや、オレも今初めて知ったよ。サミュエル、お前が良ければでいいんだが、見せてもらってもいいか?」
「……その前にやることがある、ので」
それだけ言うと、サミュエルは徐に近くに埋まっていた石を予め用意していた大きなシャベルで掘り始めた。二人が話しかけても反応せず、黙々と作業を続けている。
「こうなると、聞こえないんだよなぁ」
「相変わらず、素晴らしい集中力だ」
二人が和やかにそんな会話をしている間もサミュエルは掘り続ける。地面から徐々に現れてくる石は、思ったより大きな物のようだ。彼が掘っている穴もどんどん広がっていく。石の外径に沿って土を抉り、漸く石の直径が分かる頃には、人一人が埋まりそうな広さの浅い穴ができていた。最早石ではなく、小さな岩と言った方が良い程だ。
そこで一旦穴掘りを止めたサミュエルは、穴全体を眺めるように少し離れる。ここから掘り出す気に満ち満ちているその背に、トレイが声を掛けた。
「いや、サミュエル。それは止めた方が良いんじゃないか? もっと他の石でも……」
「いえ、これが良い、です」
「これが良いかぁ」
「分かるよ、サミュエルくん。一度決めた獲物は逃したくないものさ」
珍しく譲らない後輩に、トレイはそう返すしかない。サミュエルには悪いが、その口振りと態度から小さな弟の姿を思い出していた。
いつの間にか、隣にいたルークが大きなシャベルを二本持っていた。そのうちの一本をトレイに差し出す。
「トレイくん、私達も加勢しようか」
「いや、なんでオレまで……」
「一人より三人で掘った方が早く終わるからさ。ここまで来たら、発掘された真実の姿を見てみたくならないかい?」
「う~ん……正直、よく分からないが、まぁ、ここまで見て今更協力しないのも薄情か」
「え? いや、僕は別に――」
手伝いは不要だと言いたげなサミュエルにルークは構わず、シャベルを入れていく。トレイもその後に続こうとしたが、サミュエルに止められた。
「どうした? サミュエル」
「僕が……やります。もう出せる、ので。先輩達は、手を出さないでください」
「遠慮しなくていいんだよ? キミが興味を持つものには私も好奇心を擽られてしまうからね」
「そうじゃなくて……もう出せる、ので。危ない、ので、少し離れてて……ください」
ルークに少し離れるように言うと、サミュエルは岩の傍にシャベルを深く入れたかと思うと、柄から手を放して足を乗せた。トレイが訝しげに見つめる中、彼はぐっと足に力を込める。すると、めきめきと今にも折れそうな音を響かせながらも、シャベルは徐々に岩を押し上げていく。いくらてこの原理で持ち上げ易くなっているとはいえ、それを差し引いても常人離れした怪力に、トレイは冷や汗をかいた。
一気に現れた岩は、やはり岩と呼ぶに相応しい大きさであり、サミュエルはその岩を浮遊魔法で浮き上がらせ、そこでぴたりと止まった。どうしたのかと思って見ていると、彼は岩の下に目を向けてじっと何かを見ているようだった。
「今度はなんだ? サミュエル」
「……あれ、なんでしょう」
サミュエルが見つめている方を見ると、そこにはうぞうぞと無数の足を動かして地面から抜け出そうとしている一匹の七色百足の姿があった。なかなかに大きい個体だ。色鮮やかな足が波打つように藻掻く様は綺麗だと評する人もいるにはいるが、毒虫であるためトレイは驚き、一歩下がった。虫は苦手ではないが、あの悍ましい姿には本能的に警戒してしまう。サミュエルの隣に立ったルークが暢気に教える。
「ああ、あれは七色百足だね。見るのは初めてかい? きっと岩の陰にいたのだろう」
「……はい。とても綺麗、ですね」
「ウィ。でも、サミュエルくん。手を触れてはいけないよ。あの虫に一度噛み付かれると、酷い毒に侵されてしまうからね。このまま何もしない方が――」
「毒……」
それだけ呟いたかと思うとふらり、とサミュエルは百足に近寄り、あろうことかそのまま手で掴んだ。いくらゴム手袋をしているとはいえ、手で掴んだという事実に本能的な嫌悪感を持っているトレイはびくりと震え、距離を取る。そのままこちらに来て押し付けてくるようなタイプではないが、嫌な予感はするので、一応の対応策だ。
「お、おい、サミュエル? 何をする気だ?」
陸に上がって来た人魚達は皆一様に好奇心が強い。何故、今そんなことを思い出してしまうのか自身の記憶を呪いながら、トレイは距離を取ったまま、恐る恐る尋ねる。頼む、駆除するだけだと言ってくれ、と。
しかし、サミュエルは徐に百足を持っている手とは反対の手に嵌めている手袋を外した。白く、長い指が綺麗に並んだ大きな手が現れる。普段なら何も思わないその行動に、トレイの予感は強くなっていく。ルークも同じことを考えている筈なのに、特にサミュエルを止めようとはしない。そして、そのままサミュエルは百足の口に指を近づけ、噛ませた。
「いっ!? ~~~~~~~~っ!!!!」
噛まれた時の痛みは想定外だったらしく、ゴム手袋をしている手を放し、そのままぶんっと噛まれている方の手を思い切り振る。遠心力に負けて百足は少し遠くに落ち、逃げて行った。
「大丈夫かい? サミュエルくん」
「~~~~~~っ…………痛い、です……」
「いや、そりゃそうだろ! なんであんなことをしたんだ!? サミュエル!」
未だ後を引く痛みに耐えながら、サミュエルはトレイを振り向き、口を開く。
「陸の毒、と僕の毒、どっちが強いかと、思って、やりました……」
「でも、その痛みは想定外だったと。取り敢えず、岩は一旦下ろして保健室に行った方がいいぞ」
「大丈夫……です。むしろ、行きたくない、です」
「え、でも、サミュエルくん。患部を冷やさないと、明日大変に腫れ上がってしまうよ」
「そう、なんですか? ……楽しみ、です」
そう言って薄く微笑むサミュエルに、トレイとルークはまた顔を見合わせ、仕方のない後輩だと苦笑した。彼ら人魚の好奇心は留まることを知らないのだろう。言っても聞かないなら、仕方がないと割り切ってしまえるのが、トレイ・クローバーとルーク・ハントという人物だった。
一方で、サミュエルは純粋に自身の体を巡る生来の毒と陸に上がって初めて見た毒虫の毒。どちらがより強いのか、彼の興味は大半をその一点が占めていた。噛み痕は少し赤みがあるが、特に気にせず、また手袋を嵌めて浮かせたままにしていた岩を穴の傍に下ろした。
今度は足元に転がっていたシャベルに魔法を掛け、掘り返した跡にどんどん土を掛けて埋めていく。目的を達成したら、後のことは全て魔法で解決してしまう辺り、サミュエルの性格が表れている。穴が全て埋まってしまうと、彼はまた岩を浮かせて今度こそ庭に向かうようだ。
無言で立ち去ろうとするその背をルークとトレイは追う。サミュエルの後に付いて行くと、どんどん奥に進んで行き、やがて植物園の端の方、少し開けた場所に出た。
彼の庭は敷石で丸く囲われていた。その中には大粒の砂利が敷き詰められ、背の低い木が数本、目を惹くように植えられている。その木の下には小さな人工池があり、石畳で囲われていた。小さい庭だが、トレイ達の知っているものとは違う趣にルークは目を輝かせた。
「トレビアン! 素敵な庭じゃないか、サミュエルくん。私達の知っている庭とは随分、趣が違うようだけれど」
「……極東の庭を参考にした、ので」
「ああ、だからか。それで、その岩はどうするんだ?」
トレイにそう問われると、サミュエルはどこかわくわくした様子で、説明を始める。
「これは池の真ん中に置く、予定です」
そう言ってサミュエルは岩に洗浄魔法を掛ける。土を洗い流すと、岩は一回り小さくなり、青みがかってすべすべした岩肌が晒された。これなら池に飾っても丁度良さそうだ。
「その方が良いだろうね。そのくらいの大きなものだと、また一層映えるだろう」
「……はい」
一度だけ頷くと、サミュエルは薄く笑った。またも見せた珍しい表情にトレイは目を少し見開き、ルークは興味深そうに目を細めた。魔法で岩を池の真ん中に置くと、外観の具合を確かめるようにサミュエルは少し離れる。位置が気に入らなかったらしく、首を傾げ、また魔法で位置と角度を変える。何度かその一連の動作を繰り返して、漸く気に入った位置と角度に置けたらしい。どこか満足そうに頷いた。
「今日はもうこれで終わりかい?」
「……はい。後は、岩に苔を移すだけ、です」
「しかし、まさかお前が庭を造ってるなんて、意外だったな」
困ったように眉を下げて笑うトレイに、サミュエルは不思議そうに首を傾げた。
「意外、ですか……? 貝の人魚は、飾るのが好きなので……」
「なるほど。飾るといっても、サミュエルくんは自分ではなく、自分だけの庭を飾ることが好きなんだね。ふむ……人魚も種類によって趣味嗜好や性格がこうも違うとは……ああ、いや。気を悪くしたなら謝るよ」
「大丈夫、です……。後は片付ける、ので」
「そうか。じゃあ、オレもそろそろ自分のスペースに戻るか」
「私も戻るとしよう。それではア・ドゥマン、ムシュー・無口」
もうサミュエルが片付け以外何もしないと分かると、二人の先輩はさっさとその場から離れる。後に残されたサミュエルは一人ぽつりと呟いた。
「手伝ってはくれないんだな……」
翌日、昼休みにサミュエルの観察をしていたルークは、偶然を装って彼に近付いた。その後、彼の傷を確かめるためだ。
「ボンジュール、ムシュー。昨日の傷の具合は如何かな?」
「……ルーク、先輩。いえ、特には……」
そう言って昨日、噛まれた箇所を見せたサミュエル。彼の言う通り、確かに噛まれたばかりの時は赤みが差していたが、今は全く以前と変わりない。むしろ、噛まれた箇所がどこか、常人の視力では分からない程だ。
「これは驚いた。七色百足の毒はキミには効かないようだね」
「ふふん。陸の毒虫も、大したことはない、ですね……」
常から無口で無関心な彼にしては微かに得意気な顔をして、サミュエルは自身の毒が勝利したことを喜び、ルークはまた一つ判明した人魚の性質に、今後も目が離せない存在だと頭の中のメモ帳へ書き込んだ。そんな二人の会話を聞いてしまった生徒達は、二人が醸し出す静かな剣呑さに薄氷を踏む思いだった。