宗三を可愛がる石切丸と可愛がられたくない宗三の話「宗三君は綺麗だよね」
「は?」
ぎらぎらと強過ぎる太陽光が照りつける中、ホースで畑に水を撒いている宗三の後ろ姿を見ていた石切丸は、思わずそう口にしていた。ぽつりと呟いたつもりだが、運悪く本人に聞こえてしまったようだ。
しまったと思っても後の祭りで、水を止めた宗三がずんずんと近づいて来る。その表情は不満げで険しい。目の前まで来た彼の威圧感に、石切丸の背は自然と後ろに傾く。
「嫌味ですか? 石切丸」
「あ、いや、違うんだよ。宗三君」
宗三は綺麗だと言われるのが嫌いだ。その一言を聞くと、彼の場合あまり良い意味に受け取ることができない。
宗三左文字はかつて天下人の手を渡り歩き、刀でありながら美術品のような扱いを受けて来たせいか、容姿のことで褒められるのはその半生を思えば至極当然のことであり、刀としてこんなにも悔しい思いを起こさせる言葉も無かった。
それまで上昇気流に乗っていた彼の機嫌は、石切丸の一言であっさりと崩れ去り、今はその秀麗な眉根を寄せて彼を睨みつけている。
「そういうことは思っても口に出してはいけないと言ったじゃないですか」
「ご、ごめんね。水飛沫を浴びた君があまりにも……」
「あまりにも?」
「……その…………す、素敵だったから」
口元に手をやり、うんうんと唸って「綺麗」以外の言葉を当てはめようとした石切丸に、宗三は溜め息を零した。そんな彼に石切丸は弁明をしようと慌てて口を開く。
「本当にごめんよ、宗三君。でも、さっき君が空を見上げていた時、髪についていた雫に光が当たって虹色に見えたんだ。それが…………君は私と違ってたくさんの色を持っているのだなぁと、改めて思ったんだよ」
「……もういいです」
また一つ溜め息を零すと、宗三は背を向けて畑の中へ戻って行った。
怒らせてしまったかな。少し不安になった石切丸は謝ろうと、突っかけを探しに玄関へ行こうと立ち上がった。
そこにちょうど良く宗三が戻って来る。その手にはヘタから切った真っ赤なトマトが一つあった。さきほどと同じようにずんずんと近寄って来た宗三は、持っているトマトを半ば押し付けるように差し出した。
「食べますか?」
「……え? い、いいのかい?」
「いいです。石切丸、好きでしょう」
洗って来ましたから。それだけ言って彼は石切丸にトマトを押し付けると、さきほどまで彼が座っていた場所の隣に腰掛ける。
一方、いきなりトマトを押し付けられた石切丸は少し困惑していた。これは座ってもいいのかな。両手を支えに寄りかかり、すっかり寛いでいる様子の宗三と手元のトマトを見比べる。正解は全く分からないが、ここでどこかへ行くことだけはしてはならないと思った石切丸は、おそるおそる両足をぶらぶらさせている彼の隣に座った。
宗三に変わった様子は無い。ただ、興味無げにどこか遠いところを見つめている。またもや正解は分からないが、取り敢えず石切丸は贈り物にかじりつくことにした。
ぴん、と引き締まった皮に歯を突き立てるとぷちりと弾け、中から果肉と共にじゅわりと甘さと酸味が溢れ出す。口の中でほろほろと解け、広がる味に石切丸の口元に笑みが浮かんだ。果物かと一瞬、錯覚させるような温かい甘味に涼やかな酸味はよく育った良い味だ。土の栄養と太陽光を一心に浴びた大振りな紅玉に石切丸は幸福に包まれた。今年もよく育っている。今年は夏野菜かれえなる物を食べてみたいな。
舌から全身へ広がる幸せを噛み締めていると、不意に宗三が口を開いた。
「美味しいですか?」
「うん。宗三君は嫌いなんだっけ?」
「ええ。その青臭いのがどうも駄目なんですよね。……石切丸」
「ん? 何だい?」
「……さきほどは、すみませんでした。子供みたいなことを言って」
「ふふ。いいんだよ。もとはと言えば、私が君との約束を守れていなかったのだからね」
「……嬉しくない、訳じゃないんですよ」
「え?」
予想外の一言に思わず彼の方を見ると、いつの間にか猫背になり、左右で違う色の瞳を伏せて視線に耐えるように俯いていた。その顔は心なしか、ほんのり赤い。普段と明らかに違う彼の様子に石切丸は、固まっていた。トマトを落とさなかった自分に誉を送りたいと密かに思うくらいには驚いていた。
「他の刀や、人に言われたり、そういった目で見られるのは好きじゃありません。けど、あなたに言われると、かゆいんですよ。心臓の辺りがかゆくなって、嫌だと思う反面、嬉しいと、感じている僕がいます。……割と、複雑なんですよ。困るんですよ。だから」
肩を掴まれたと思うと引き寄せられ、唇が柔らかいものに触れた。二度目の驚愕に瞠目している石切丸に向かって、離れた宗三は勝ち誇った笑みを浮かべた。
「どうせ言われるのなら、男前の方がいいです」
次からは気を付けて下さいね。優雅に笑った宗三にやっと思考が再開し始めた石切丸は、みるみるうちに顔が火照るのが分かった。
「内番終わったので着替えて来ますね」と言って立ち去りかけた宗三だったが、何か思い出したらしく、足を止めて振り返った。
「僕にとって、あなたほど目の覚める緑色もいないですよ」
それじゃと言い残して今度こそ去って行ってしまった宗三の後を追うことは、石切丸にはできなかった。目の覚める緑色。それは宗三なりの愛情表現だと分かっているからだ。どんな場所にいても、状況にあっても、あなただけは見つけられるという自信の表れ。
「でも、宗三君。緑色って……! というか、今の二回目!」
赤面した顔を両手で覆い隠した石切丸の鼓動は早くなるばかりで、落ち着く気配は微塵も無い。溢れる想いを鎮めることに夢中で、落ちたトマトのことなんて頭の片隅にすら無かった。