誰が為のお茶 いよいよ大包平が来て、古備前部屋として用意されていた部屋に鶯丸以外の同居人が増えた。
鶯丸は、初太刀そして六振り目として顕現したので他の短刀や刀たちと同室で過ごした期間も長かったが、それも愛染国俊と蛍丸が明石国行の顕現を持って来派部屋に移ってからはずっと一振りだったこの部屋に、ようやく本来の同居人が来たということだ。
一振りになった時は、さすがにしばらく寂しくなるものかと予想もしたが、そんなこともなく毎日何かしら誰かに声をかけられ、誰かと共に過ごす日々が途切れることなく続いた。それでも夜や朝は廊下で誰かに出会うまで当然一振りだ。それも昨日で終わりだったかと思うと一人が恋しくなるくらいだ。もっと堪能しておけば良かった。
顕現したての大包平はうるさい。
とりあえず黙らせようと茶を淹れることにする。
「大包平、茶でもどうだ」
一瞬、キョトンとした顔が面白くて、ついさっきやはり一人が少し恋しいと思ったはずなのに、こんなクルクル変わる表情ならいくらでも眺めていられるとすぐに手のひらを返すことにした。
*
「お前はいつも夜中に誰に茶を用意しているんだ?」
そう大包平が突然聞いてきた。煎餅に手を伸ばしていた主が「夜中に?」と鶯丸を見る。この主から顕現したものだから当然なのかもしれないが、それでも特に大包平と主の言動の一致や表情の動かし方はかなり似ているほうで、同時に目線が向けられて思わず鶯丸は笑った。
「なにを笑っている!」
「大包平うるさい。鶯丸、お前、夜中なんて起きてないじゃん。夜になにやってんの?」
「前田、主に教えてないのか?」
二人からの問いかけを無視して前田に問いかけると、前田は平野と顔を見合わせた後、から笑いをした。
「そうですね……、お伝えしていなかったかもしれません」
「え? なに? 前田も平野も知ってるの?」
「そりゃそうだろう、当事者だからな」
「お前も共犯者か、切国!」
「な、一体なんだというんだ!」
また同じタイミングで騒ぎ出すので、今度は山姥切国広まで一緒に吹き出した。執務室の模様替えに本日初めて近侍だった大包平が駆り出され、初期刀の山姥切国広(通称「切国」)と、初鍛刀の前田藤四郎、そしてたまたま古備前部屋で茶を飲んでいた鶯丸と平野まで担ぎ出されてああでもないこうでもないと一悶着した末の、ようやくの休憩時間中だったのだが、まあ良い機会だと思い昔話をしてやることにする。あまり長く話すのはそれほど好みではないのだが。
「まだこの本丸が出来たばかりの頃、俺が六振り目として顕現した時の話だ」
「え? そんなに前の話?」
ああ、そう、昨日のことのように思い出せるほんの少し前の話。
「一体なんの騒ぎなんだ?」
寝室にあてがわれた部屋近くの廊下で刀が抜かれた音がしたから、さすがにのうのうと寝ているのも良くないかと思い、本体を引っ掴んで襖を開けたら、他の刀剣たちがみんな揃っていてなにか一つのものを囲んで中庭に立ち尽くしていた。こちらに気づいた前田藤四郎が真っ先に声を上げた。
「あ、鶯丸さん。起こしてしまってすみません」
「いや、あれで起きなければマズいだろう」
「それもそうだな」
「ああ、さすがにわかってる。遡行軍か?」
「いや、違うみたい。化け物斬りでもわかんないの?」
「俺は化け物は斬ってないし、山姥も斬ってない」
話しながら縁側にあった突っかけを履いて五振りが囲っている中身を覗き込むと、なにか焦げ付いたような黒い影がちょうど消えていくところだった。
「消えた」
「誰が斬ったんだ?」
「俺だ」
そういって全員同じ寝巻き姿のままだが特に着崩れている薬研藤四郎が答える。
「さすがに短刀は早いね」
そう言いながら大和守安定が消えた焦げ付きに指を伸ばしたが、切国に止められた。同じように手を伸ばしかけていた骨喰藤四郎の手も止まる。
「変に触らないほうがいいだろう。主には明日報告しよう」
「なあ、これ、報告いるか?」
「ん? え、言わないの?」
夜中だったのですぐに解散を促した切国の言葉をすぐにぶった斬ったのも薬研だった。
「こないだ、前田も斬ってる」
「そうなのか?」
「はい……。まあ、今日よりも更に小さいものでしたし、なにかまだ形を成す前のもののようでしたので……。すみません、切国さんにもご報告せず」
「俺も、斬った」
「骨喰兄もか」
「僕も踏みつけたことあるよ」
「は? 踏み……?」
「ちょうど水飲みに厨行った時でさ、手持ちに本体無かったんだよね。そしたら黒いものが足元から出てきたから虫かと思って踏んづけたら消えたから。さっきのとよく似てたから多分同じだと思う」
皆の視線が切国に集まる。いっぺんに視線を受けて少し布を目深にしてから想像通りの言葉を言った。
「まあ、俺も、あるんだが……」
「だろうな」
「遡行軍の気配とは違うのでそんなに心配されなくても大丈夫かとは思いますが……」
「一応本丸には敵が入ってこれないようになってるんでしょ?」
「ああ、大将の霊力を使って結界を張られてるということだが」
「結界は破られてない」
「じゃあ、内部から漏れてるんじゃないか?」
「「「「「え?」」」」」
そう発した鶯丸の言葉に全員が驚きの声を一斉に上げた。
「外から入って来れないなら、中から沸いてくるしかないだろう。ここはまだ出来立ての本丸なんだ。どこか歪みがあるのか、それとも」
「まさか、主君が?」
「その可能性は高いかもな」
「どういうことだ、薬研」
立ち話もなんなので、全員で厨に移動しながら話をつづける。今は全員同室で寝ている。順繰りに夜警を立て審神者の部屋の近くを見張っているが、別に審神者がなにかをしているというわけではない。
「大将、生まれてから初めてなんだろう? こういう仕事は」
「そうだな、以前は普通に現世で働いていたと聞いているが」
「本人が気付かない緊張とか、興奮とか、そういうものが、形になってるんじゃねえのかな」
「確かに、敵意はいつも感じない」
「異物感があるから僕たちはみんなすぐに気がつくけどってことか」
「勝手に前の主のものを顕現させてるんじゃないか?」
「残ってるのはこの建物だけだろ?」
「いや、先代の本を持ち込んでいるはずだ」
「本の付喪神かぁ。踏んづけちゃったけど」
はははは、と軽い笑いが流れて、前田が入れたお茶に全員がほうと息をついた。
「まあ、なんにせよ、放っておくことも出来ない。
一応、主の部屋の警護は継続することにして、それとは別に見回りを作るか」
「なら、短刀と脇差の俺たち兄弟に任せてくれ」
「え、僕と切国もやるよ。普通に一緒に出陣もしてるし、それ以外の内番だってあるんだし。三振りだけじゃさすがに。ねえ、切国?」
「ああ、まだ数が少ないからこそ、俺と大和守もやろう。いずれ人数が増えた時には任せたい」
「承知した」
「なあ」
「俺は、なにをすればいい?」
唯一の太刀である鶯丸は、ただ、茶を持って話を聞いていた。
今は灯りがあるから問題ないものの、夜警となれば役には立たない。日中の戦いでは最前線で一番頼りにされているが、夜の、室内などではとても役目は果たせないだろう。
それがわかっているからか、全員が一瞬口を噤んだが、すぐさまいいことを思いついた! というように明るい声を上げたのは大和守だった。
「ううん、じゃあ、お茶でも用意しといてよ」
「は?」
「あったら飲むか?」
「うん」
「え、大和守さん……?」
「え、みんな飲みたくないの? 鶯丸のお茶」
「飲みたくないわけではなくて……」
「だって、厨にわざわざ行くのも面倒だし、見回りから帰ってきてあの部屋にお茶が用意してあったら楽じゃん。さっきだって、わざわざ全員で移動してこなくてもさ、主の部屋からも遠くなるし」
「それは、それで、一理ある……ような?」
「俺は賛成だ」
「飲み食いが絡むと骨喰兄は決断が早いな」
「いいぞ。ではお前たちが飲む用の茶を用意しておこう」
そうして、夜警が強化されてから、鶯丸は部屋の入り口に茶を用意することを欠かしたことはない。
本数も増えて短刀と脇差だけで巡回するようになってからは茶と一緒に一口大の菓子も用意されるようになった。菓子は主が詳しいので、茶請けにいいものがないか聞くのが習慣になった。時折、短刀と脇差みんなで茶葉を贈ってくれる。それもありがたく自分でも飲みつつ、結局夜の任に着くもののために使われる。
最初は普通にマグカップに入った冷めた茶だったのが、いつからか魔法瓶になり、寒い時期にも暑い時期にも対応するようになり、お茶の種類が豊富になって、茶請けが増えて、最初の六振りが同じ部屋でなくなってからも、古備前部屋が主の部屋の近くでなくなってからも、見回りは鶯丸の部屋に通い続けたのだった。
*
「え、待って。色々待って。その黒いの結局なんだったの?」
「さあな」
「やっぱり、主君のなにか、こう、気持ちの澱みたいなものだったのではないか? と青江さんたちとも話していたんですが、二十振りにもなる前にはもうすっかり見かけることがなくなったので」
「あの見回りの度に鶯丸さまのお部屋に立ち寄るのはそんな理由だったんですね……」
「完全にお供物だと思っていた……」
「似たようなものだろう」
「いや、違いますからね!?」
「そうか? 包丁だって、くりすますという日には高齢者が来るからそれ専用に牛乳とくっきーを並べていると話していたぞ」
「高齢者って……。多分鶯丸様よりお若いと思いますよ……」
「まあ、でもそれは確かにちょっと近いかもしれませんね」
「そういう問題か?」
半分呆れたような、驚いた顔を隠さない審神者に、不快になることもなく、平野が足してくれた茶を飲む。
「自分に出来ないことをやってくれている者への労りは、いくらあっても困らないだろう」
本当は、できることなら。
「ふむ、良い心がけだ!
ならば俺もまた見習わないといかんな!」
「お前は別にいい。これは俺の仕事だ」
「なんだと!」
「あーもー、ほらほら、休憩終わり、再開するよ! 今日の近侍の人〜!」
「俺だ!」
「ほんっとにうるせえな、声がでかいんだよ大包平は。
さっきは手伝ってくれてありがとな、鶯丸、平野。あとは俺たちだけで大丈夫だから」
「え、よろしいんですか? あと少しならお手伝いもいたしますが」
「問題ないですよ、平野。鶯丸さんも、ありがとうございました」
「また、茶を入れてもらったな」
「いいんだ。自分が飲みたいからな」
また来る、そういって最後の切国が出ていくと、ずいぶん静かになってしまった部屋に、平野と二人ぽつんと残された気持ちになる。
「少し片付けますね」
そういって立ちあがろうとする平野をぐいと引っ張り、座らせた。
「後でいい。平野もゆっくりしていろ」
平野がふと、鶯丸の顔を見上げると、片方だけでも十分わかるほど満足そうな瞳と目があった。
順番的にはあまり早くに顕現していない平野だが、鶯丸の真夜中のお茶の変遷はほとんど知っている。
彼がどれほど、自分たちのことを考えてくれたのか。
見回りの最後にここに立ち寄ることが、どれほど嬉しいか。
寝ている彼に気付かれずに、どこまで近寄れるか確かめたり、忍び声で笑ったり、初めて飲んだ昆布茶に驚いたり、寝ている彼のすぐ隣でいつも騒がしい夜中。
一人きりの部屋だったから、出来たことだったのかもしれない。
「まだ、続けられるんですか?」
先程大包平はああいっていたが、神経質な刀は確かにいて、夜中に何度も起きる者もいるし、呑兵衛や夜通し遊ぶ刀たちもいる。鶯丸がこの茶の用意をいつ辞めるとなっても、自分たちにはそれを止める権利はない。思わず聞いてしまった平野を見て、キョトンとした顔をした。
「当たり前だろう? お前たちが、暗いところでクスクス笑っているだろうと思って眠りにつくのが、俺は好きなのだから」
短刀や脇差たちの楽しみを、楽しんでくれていたのなら、どちらにとっても、僥倖というものだろう。