初めて見る氷ここのところ、猛暑が続いている。モトゥヌイでも猛暑の日はあったが、こんなに長い間、雨も降らないのは初めてのことだった。村の会合でも雨水の不足が今後の課題になっている。それに加え、近頃は様々な植物が不作だ。ココナッツさえ例外ではなかった。飲み水代わりになるココナッツの果汁が十分に採れないのは死活問題であった。
「どうしたものかしら……」
モアナは頭を悩ませた。今の所、交易している島のほとんどが水不足のようだ。ココナッツを別の島から取り寄せる案も考えたが、ココナッツと交換できそうな植物が十分になかった。他の島もココナッツが頼みの綱になっていることだろう。何か良い案はないだろうか。
モアナはしばらく考えて、彼に相談することにした。自然のことを全て答えられると自負していた彼に。
「モアナ!」
空の彼方からマウイが飛んできた。珍しく籠のようなものを足にさげている。
「こんにちは、マウイ。……それは?」
挨拶もそこそこにモアナは籠の中身を覗いた。籠の中には透明な塊と水、平たく尖った黒曜石、匙、そして塊の上にはココナッツの殻が被さっていた。透明な塊からは雫が垂れており太陽の光に照らされて光っている。
「暑いから氷を持ってきた」
籠を下ろすとマウイは変身を解いた。
「……こおり?」
モアナは思わず復唱した。『こおり』なんて初めて聞く言葉だ。
「水は寒い場所だと石みたいになるんだ。それが氷」
マウイは籠の中身を指差す。
「もっと大きかったんだけどな」
彼によると暑い場所だと氷は水に戻ると言う。籠の中の水も氷から出てきた雫が溜まったものらしい。初めて見る不思議な石の正体が水だということにモアナは驚かされた。
マウイは籠から氷と黒曜石を取り出した。彼はその氷を黒曜石で細かく削ぎ始めた。細かく削がれた氷はココナッツの殻の中に降り積もっていく。
「俺はそのままでも齧れるけど、ここの人間だと体を冷やすだろうな」
そう言ってマウイはモアナにココナッツの殻と匙を渡した。
「食べれるの?」
「まぁ水だしな」
水を食べるなんて考えてみると妙な話だ。モアナは匙に削いだ氷たちを乗せた。恐る恐る口に匙を運び、氷を口に含んだ。
「……!?」
モアナは肩を大きく竦ませて目を白黒させた。口の中に広がる初めての感覚に彼女は鳥肌が立った。一瞬、頭に鋭い感覚が走る。表情や体を忙しく動かす彼女の様子を見てマウイはニヤリと笑った。
「面白えよな、ほんと」
「……氷のこと?それとも私のこと?」
モアナは眉をひそめてマウイに視線を向けた。
「両方」
マウイは笑いを嚙み殺すように呟いた。
「氷のある場所って、どの方向にあるの?」
モアナは氷をゆっくりと口の中へ運ぶ。
「……行く気か?」
マウイはなぜか怪訝な表情を見せる。モアナは雨水の不足と植物の不作について彼に打ち明けた。
「それで、氷のある場所へ行って氷を取れたらいいなと思ったんだけど……」
表情を変える気配のないマウイを見てモアナの声が次第に小さくなる。マウイは表情を崩さず、彼女に向き直った。
「氷のできる場所は、人間だと動けなくなる。航海の風と比べ物にならない寒さだ」
「……残念ね」
水不足の解決になると思ったが、どうやら調達は難しいようだ。しかし、マウイの話には続きがあった。
「代わりに雪の降る島なら知ってるぞ。この近くにな」
「えっと、その『ゆき』も、氷みたいなものなの?」
モアナは質問した。今日二度目の生まれて初めて聞く言葉だ。
「そんなとこだ」
モアナは胸をなで下ろす。彼女は水不足の解決の糸口が見えた気がした。
「そこの山には雪を降らす神がいる」
マウイは手を空に振りかざすように動かした。
「そいつと話しないとわからないけどな。神の言葉が話せる奴はこの島にいないよな?」
マウイは片眉と口角を上げてモアナを見た。彼は遠回しに彼女が頼るように仕向けさせるつもりだろう。
「じゃあ……お願いできるかしら?」
彼の意図を汲み取ったように、モアナはマウイの表情を真似した。
「頼みとあれば仕方ないな」
マウイは表情を崩さぬまま、大げさに肩を竦ませた。