刹那の想いよ、永遠なれ(リメイク版) ダリルは自分以外の誰かの後ろ姿というものが好きではなかった。だらしのない父親は暴力を振るう時以外はこちらに向き合うことはなかった。我が子に興味のない母親は顔よりも背中の方が印象に残っている。幼い頃の唯一の拠り所であった兄が家を出た日に見た後ろ姿は苦い記憶だ。
誰も彼もが自分に目を向けずに背中ばかりを晒す。そのことが自身を捻くれさせたのだというのは自覚している。捻くれて、拗ねて、「クソ喰らえ」と世界に唾を吐いて生きてきた。
しかし、今は違う。ダリルが共に今を生きる人々はこちらに向き合ってくれる。背中に向かって呼びかければ振り向いて笑顔を向けてくれるのだ。
そして今日もダリルは大切な人の後ろ姿を見つけた。その人の名はリック・グライムズ。数々の困難を共に乗り越えた仲間の一人であり、恋仲でもある相手だ。
そのリックは建物の中と外を繋ぐ扉を潜ろうとしていた。姿を見れば共に過ごしたいという思いが芽生え、ダリルは自然とそちらへ足を向ける。
リックの後を追って外に出ると朝の穏やかな日差しがダリルを照らした。眩さに一瞬だけ足を止めたが、歩みはすぐに再開される。
前を歩くリックの足は迷うことなく刑務所のグラウンドへと向けられていた。恐らく畑の様子を見に行くのだろう。
ダリルは足を速めながらリックを呼び止めるために口を開く。
「リック!」
名前を呼べばリックは立ち止まって顔をこちらに向けてくれて、ダリルが惹かれて止まない柔らかな笑みを浮かべた。
ダリルは通りすがりの住人たちが投げかけてくる朝の挨拶に応えながらリックの前に立つ。
「相変わらず朝が早いな、リック。」
「おはよう、ダリル。……うん、寝癖は問題ないみたいだな。」
そう言ってリックはいたずらっぽく笑う。身なりに無頓着なところがあるダリルは寝癖が立っていることがあり、仲間たちから指摘されることも珍しくない。
ダリルは思わず己の髪を撫でつけながら唇を尖らせた。
「余計なお世話だ。そんなことより、今から畑に行くのか?」
「ああ、そうだ。散歩がてら様子を見ようと思って。」
「俺も行く。リックは見張ってないと草むしりでも始めそうだ。」
畑や家畜の世話に熱心なリックは「少し様子を見てくるだけだ」と言っておきながら、気になることがあると一時間でも二時間でも作業してしまう癖があった。そんな彼をダリルが呼び戻しに行った回数は片手で足りるものではない。リックが働きすぎていることを案じるダリルは定刻までリックを働かせるつもりはなかった。
ダリルの思いを察したのか、リックは微笑ましげに目を細めて「構わない」と申し出を快諾した。そして、二人並んで畑の方へ歩き始めたのだった。
*****
ダリルとリックは他愛ない話をしながらグラウンドへ続く出入り口を通り抜けて畑に近づいていく。
その時、「そういえば」とリックが思い付いたように話し出す。
「いろんな人から声をかけられるようになったな、ダリル。」
その言葉にダリルは首を傾げる。何のことなのか思い当たらなかったのだ。
「何の話だ?」
ダリルが素直に尋ねると「思い出してみろ」と返ってきた。
「刑務所でウッドベリーの住人たちを受け入れたばかりの頃はダリルと話そうとする人が少なかったろ?遠巻きに見ているというか、気軽に声をかけていいのかわからないような感じだった。」
「ああ、そういうことか。目つきが良いとは言えねぇし、前に捕まった時、闘技場みたいな場所で兄貴と戦ったのを見られてるしな。怖がられてたんだろ。」
「だが、今はそんなことが全くない。みんながダリルを慕っていて、さっきみたいに気軽に声をかける。」
それを聞いてダリルはニヤリと笑う。
もしかしたらリックは嫉妬してくれているのかもしれない。恋人の可愛い嫉妬なら大歓迎だ。
「気になるのか?妬いてもいいぜ。」
ダリルは僅かな期待を抱きながら得意気な笑みを浮かべてみせた。それに対してリックは穏やかに笑って首を横に振る。
「そんなことで嫉妬はしないさ。それよりもむしろ、昔は他人を寄せ付けようとしなかったお前がみんなと打ち解けてくれたのが嬉しい。」
リックの答えを聞き、ダリルは少し複雑な気分になる。
ダリルの交友関係の広がりを喜んでくれるのは嬉しいが、嫉妬を期待した自分が残念がっているのも事実。なんとも複雑な気分だ。
ダリルは拗ねたように唇を尖らせて小さくボヤく。
「……可愛くねえ奴。」
「恨むなら自分の趣味の悪さを恨めよ。可愛げのない男を恋人に選んだのはダリルだ。」
リックは笑いながらダリルの頬を軽く叩いた。
「どうする?そのうちラブレターが届くかもしれないな。」
「はぁ?冗談だろ。」
ダリルは呆れの言葉を吐いてから足下に転がる石を蹴った。コロコロと転がる石を追いかけて足を速めるうちに、いつの間にかリックの気配が遠ざかっていたことに気づく。
リックの姿を求めて振り返れば彼は少し離れた場所で立ち止まり、こちらに真っ直ぐな眼差しを注いでいた。
「なあ、ダリル。」
リックの形の良い唇がダリルの名を紡いだ。その瞬間がダリルは好きだった。
ダリルが視線を返す先に立つリックの表情は凪いでいる。
「もし他の誰かを好きになったら必ず教えてくれ。俺はお前を縛りたくない。」
そのように告げたリックの瞳には少しの揺らぎもない。
普通ならば「この気持ちは永遠だ」と甘く囁いてやるのだろう。だが、人の気持ちは不変ではない。変わらずにいられるなどと保証はできない。「永遠の愛」を無邪気に信じ続けられるほど二人は若くなかった。
ダリルはリックに対して誠実でありたいと願い、己の気持ちをありのままに差し出すと決めた。
「わかった。約束する。……だけどな。」
口先だけのことは言いたくない。先の約束などできない世界で不確かなことを誓うこともできない。それでも今の己の心に存在する気持ちは確かなものだ。
「先のことはわからなくても今の俺にはリックだけだ。俺が好きだと思うのはリックだ。あんた以外、何もいらない。」
現在のダリルの心が向かう先にいるのはリック。それは動かしようのない事実であり、現在が過去になっても変わらない。それだけはリックに知っていてもらいたかった。
ダリルの答えを聞いたリックは何も言わずに目を閉じた。そして噛みしめるように何度か頷き、再び目を開けてこちらを見る。
「──ありがとう。」
リックは感謝の言葉を告げながらフワリと笑んだ。幸せそうな、しかし儚げで、切ないほどに美しい笑みをダリルは一生忘れないだろう。
リックは雰囲気を変えるように「変なことを言って悪かった」と詫びてダリルの隣に並ぶ。それにより二人の歩みが再開された。
ダリルは畑を目指して歩きながら隣のリックに話しかける。
「あんたも人のこと言えないだろ。」
「ん?何が?」
不思議そうに首を傾けるリックに対してダリルは溜め息を零したくなった。
「他に好きな奴ができるかもしれないって話。リックだって他の奴を好きになる可能性はゼロじゃない。」
「確かに、そうだな。」
リックが頷くのを見てダリルは胸の奥がチリッと痛むのを自覚した。彼が自分以外に想いを寄せる姿は見たくない。ずっと自分だけを見ていてほしいと望んでしまう。
己の中にある独占欲を自覚したダリルは「自分はリックほど大人にはなれない」と密かに溜め息を吐いた。
その後、二人の間に沈黙が生まれる。沈黙が続く間も二人は歩き続けたので遂に畑に到着した。
畑を興味深げに眺めるダリルの横でリックは野菜の葉や茎に触れている。その手の優しさを見て野菜にさえ嫉妬していると、リックが穏やかな表情で「願いが叶うなら」と言葉を紡いだ。
「この恋が俺にとって最後の恋であってほしいと思うよ。」
穏やかな声に潜む熱にダリルの胸が高鳴る。
ダリルが隣へ顔を向ければリックから愛しさを込めた眼差しが返ってきた。リックの言葉と眼差しを受けて、ダリルはこれ以上の幸せはない気がしていた。
リックが望むように、ダリルにとってもリックとの恋が最後の恋であってほしい。こんなにも愛しさを感じる相手は彼が最初で最後の人であってほしい。それほどにダリルにとってリックへの想いはかけがえのないものだった。
ダリルは愛しさを眼差しに乗せてリックに微笑む。
「俺もこの先、好きになるのはあんただけがいい。……リック一人がいい。」
永遠を誓うことはできない。それでもこの一瞬の気持ちは永遠に等しい。その一瞬の繰り返しが永遠になればいい。ダリルは心から願った。
「──なあ、今の俺たち、良い雰囲気だとは思うが、やっぱり……」
ダリルはそこで言葉を切るとフェンスの方に顔を向ける。フェンスには相変わらずウォーカーが群がっており、ダリルとリックを見て唸り声を上げていた。
「ウォーカーに囲まれて愛の告白なんてムードも糞もないよな。」
ダリルがそのように言うとリックは「それはそうなんだが」と答える。
「俺たちらしくていいんじゃないのか?」
リックの答えにダリルは目を瞠り、彼の方へ顔を戻す。リックは澄ました顔をしているものの、その目は愉快そうに笑っている。その様子にダリルは口の端を軽く持ち上げた。
「まあ、それもそうかもな。」
ダリルが返事をするのと同時に二人は目を合わせ、その次に声を上げて笑った。
END