ワット・アバウト・マイ・スター◆
最近彼女とどうだとか、バイト先のあの子がかわいいだとか。そんな話題で盛り上がる『学校のトモダチ』の輪のなかに、どう混ざっていったらいいのかわからなかったから。それはたぶん、ボクと似た状況に身を置いているひとにはよくある話のひとつでしかなくて、――でも、そのときのボクの気持ちをほんの少しかき乱すには十分なことだった。
「陽向?どした?」
明日はオフ。ボクの家のベッドに寝そべって、いつものサッカー漫画の新刊を読んでたすばるんの肩をぐいと押す。仰向けにした腰のあたりに乗り上げて、鍛えられたお腹に手をついた。シャツ越しに感じる、お風呂上がりの肌はまだ熱い。
「ねえ、すばるん」
なにげなく明け渡された大きな体の上で、すばるんを呼ぶ。カラメル色のまるい両目が、ボクの様子をうかがうみたいにゆっくりまばたくのが見える。
「しよっか」
「……なにを?」
「セックス」
好きなひとに投げかけるにはあんまりにも直球で品のない言葉だって、そのくらいボクにだってわかっている。わかってるけど、……こうでもしないと、きっとこのまま、ボクはこのどうしようもない気持ちから逃げようとするだろうから。逃げようとして、大人みたいにうまく逃げられなくて苦しくなって、いまボクの目の前にいるとくべつなひとを、必要以上に傷つけるかもしれないから。ごめんねって頭のなかで謝りながら、せめて必要なだけの傷で済むように、ボクはボクらの逃げ道を塞ぐ。
「……そ、れは、陽向がハタチになるまでしないって、約束だっただろ」
「……、うん」
そう。すばるんの言うとおり、付き合いはじめたばっかりのころ、ボクらはふたりで相談してそう決めた。最後までするのは、ボクらがふたりとも、大人になってから。忘れたわけじゃない。忘れられるわけもない。忘れるつもりだって、ないのに。
「でもさ、学校で同い年のトモダチと喋ってても、……フツーに、いるんだよ。恋人と、したってヒトが。相手が年下とか年上とか知らないけど、普通に、言っちゃうんだ」
ふたりで一緒に大事にしてきた約束に、いまさら傷をつけたくなんてない。だけどいまはその気持ちと同じくらい、その約束に爪を立てたくて仕方がなかった。
ぎしりと軋む心臓には気付かなかったふりをして、それらしい表情と声を必死に取り繕いながら、空々しい言葉を沈黙に被せていく。
プロの役者が聞いて呆れる。妙に冷静な自分が、思考回路の端っこでそう溜息を吐いた。
「陽向」
黙ってボクの言葉を聞いてたすばるんが、ようやくぽつりとボクを呼ぶ。いつもまっすぐな中低音は、低い獣の唸り声みたいだった。
「お前は、友達がしてるから、早く大人みたいになりたいから、オレとそういうことがしたいの?」
「――ッ違う、」
「じゃあ、なんでお前の友達の話なんてするんだよ。……オレは、オレと、陽向の、……オレたちの話をしてるのに」
「っ……」
「……どうしたんだよ、陽向。学校の友達と、なんか、あった?」
ひなた。
ボクの名前をもう一度短く呼んで、すばるんの、――昴の大きな手のひらがボクの左手をつかまえる。ボクが塞ぎきれなかった逃げ道を、まっすぐに昴が塞ぐ。
「教えてよ。……オレ、お前みたいにオトナじゃないから、話してくれないと、わかんないよ」
「……大人じゃないって、さっき言ったくせに」
「陽向は大人じゃないけど、オレよりずっといろんなこと知ってるし、いろんな考えかたができるだろ。……大人じゃないけど、オトナだよ、お前は」
「……なに、それ」
結局のところ、たぶんボクは突拍子もないことを言って「どうしたんだ」って聞かれたかったはずで、昴はちゃんとそう聞いてくれたのに、くちから出るのは文句みたいな言葉ばっかりで嫌になる。困らせて試すような子どもっぽいやりかたはもう卒業したって思ってたのに、染みついたクセはまだなかなか抜けていないらしかった。
「……なんだろーな。オレにも、よくわかんないや」
けど、それでも、ボクのクセを知ってる昴はそうやってすこしカッコつけて笑ってみせようとするから。いろんな気持ちで散らかってた心のなかがもっとぐちゃぐちゃになって、きゅっと唇を噛み締める。
「すばるんのばか」
「ひでー」
「すき」
「……う、ん。おれも」
ああ、もう、どうしてこんなに。
無軌道に跳ねていくボクの気持ちと言葉を、一生懸命拾って、つかまえて、まっすぐにこたえようとする。昴は、いつだってそうだ。
ちょっと照れたのか、ボクの手を掴んでいる手がじわっと熱くなって少しだけゆるむ。それがものすごく惜しく思えて、今度はボクがその手を追ってつかまえた。あったかい。知らずのうちに、ぽつっと言葉が漏れていた。「……友達が、」
「彼女の話とか、好きな人の話とか、しててさ。……それで、そのときに、そういう話も出たんだけど」
「……うん」
「ボクはどこまで話していいのか、とか、たとえばこうやって聞かれたら、どんなふうに答えればいいんだろ、とか。そんなこと考えだしたら正解がわかんなくなって、結局適当に笑ってやり過ごして。そういう自分が、……くやしかった。いやだった」
「うん」
仕事柄とか、同性どうしとか。友達との、なんてことないプライベートな話をするときにだってボクらが考えなくちゃいけないことはいろいろある。それがいまのボクらにとっての当たり前で最善だってわかってる自分と、どうして?って駄々をこねるみたいに思ってしまう自分の、折り合いがうまくつけられない。こういうとき、ボクは自分のことを、ああ、コドモだって、すごく思う。
「なあ、陽向」
ぎゅうっと手を握られたまま何度か短い相槌を打った昴が、ふっとなんだか少し軽くした調子でボクを呼んだ。
「しよっか」
「……、なにを」
「すきなひとのはなし」
「へ、」
少し前のやり取りをちょうどそっくりそのままひっくり返されてどきりとする。そのスキをつくみたいによくわからないことを言って、昴はパッと起き上がった。膝の上に座るボクの顔を覗き込んでまっすぐ目を合わせて、ぎう、とボクを抱きしめてくる。
「っすば、」
「――オレのすきなひとはさ、体はあんまり大きくなくて。……身長とか、年齢とか、けっこー気にしてるみたいなんだけど」
「……、」
「でも、そんなの全然関係ないくらい、仕事してるときはかっこいいんだ。プロの仕事っていうのを、ちゃんと知ってて、本気でやってる」
それから、動物は猫が特に好きで、食べものは、からいのが好き。マジですっげーからいんだけど、嬉しそーに食べてる顔はかわいいなって思う。あと、ゲームが上手くて、……負けるとオレはちょっとくやしい。
よりによっていきなりその話?って思ったのははじめのほんの一瞬で、もうあっという間になにを言えばいいのかわからなくなった。
大真面目なやさしい中低音の響きを、耳と肌で感じるしかできない。
ボクよりだいぶ大きい体をしてる昴にしっかり抱きしめられたら、正直なところボクにはなすすべがないわけで。ちょっと、ねえ、絶対わかってやってるでしょ。
「イタズラして笑ってるのも、オレのこと『昴』って呼ぶときのマジメな声も、ぜんぶ、すき」
ずるい。ずるい。いまどんな顔してそんなこと言ってるの。ボクの首筋にさわってるほっぺと耳たぶが、ヤケドしそうなくらい熱いことしかわかんない!
「…………陽向が思ってるおれのすきなとこはさ、オレだけに教えてよ。……ほかの誰かになんてあげないで。オレだけに、ぜんぶ、ちょうだい」
おれが思ってる陽向のすきなとこは、陽向だけにあげるから。
その言葉が頭のなかに届いたのがわかったときには、もがくみたいに体をよじって唇を寄せていた。
「っン、」
膝立ちの体勢でよかった。こうでもなかったら、こんなふうに勢い任せのキスもできない。そう思うとやっぱりこの体格差はちょっと悔しくて、でも、もうどうでもいい。さっきからいきなり一方的に注がれてあふれかえった「すき」にどうやって応えればいいのか考えることのほうが、いまのボクには大事だった。
「……っ、……なんで、泣いてんの、ひなた」
「ッ、泣いて、ないっ!」
「……泣いてないの?」
「泣いてないのっ」
「そっか、」
「そう」
「なら、……いいや」
確かにぼろぼろ涙がこぼれて止まらなくなってるんだけど、悲しくて泣いてるんじゃない。だから泣いてないって強引で言葉足らずな理屈を聞いて、昴が赤い顔のままちいさい子みたいに笑う。いつもはちょっとびっくりするくらい鈍感だし天然なのに、昴はときどき、ボクがもっとびっくりするくらいいろんなことをわかってるときがある。……うん、もう、大丈夫。
「ねえ、昴」
「なに?」
「……いつもより、いっぱいさわっても、いい?」
だって、あふれた気持ちを伝えるには、たぶん言葉だけじゃ足りない。
カラメル色の両目が、まばたきをひとつ。
「うん」
陽向にさわられるのも、さわるのも、おれ、だいすきだよ。
ボクの頬をすべった涙を不器用に手のひらで拭いながら返されたそれが、あんまりにもやさしくてまっすぐでめまいがした。
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20180707Sat.