夢と現の映画寂れた街に、寂れた映画館がある。偶々近くを通り、劇場入り口に張ってあったポスターを見たが最後。気付けば、入り口でチケットを買ってシートに座っていた。
静かに始まる映画は、それは一組の男女の話だった。
「僕はどんな事があっても、君の側に居たい。離れ離れになっても、心は共に寄り添いたいと思ってる。・・・・・・誤解しないで欲しいのは、これは誰にでも言ってる訳じゃない」
そういって、目はスクリーンに据えたまま、隣に座る君の手を握り締める。目の前のスクリーンには、何も映らなくなって久しい。エンドロールが終わって、少ない観客がまばらに帰ってく姿を、僕達はただ見つめていた。その間、何も言葉も視線も交わさずに。
お互いがここに居ると分かっているから、何も交わすこともしなかった。それが、当たり前だったからだ。だが、それも今日で終わりなのだと感じていた。口に出した訳でもない、ただ予感はあった。だから、僕達はいつまでもこうやって座り続けている。
「詐欺な言い方をするんだね、君は。意外だった」
「君だけだ。君にだけ、そうしたいと思ったんだ」
「・・・・・・そう・・・・・・」
彼女はそう呟くと、僕の手を握った。驚いて隣を見ると、彼女は静かに涙を一筋流していた。その横顔は、言葉に言い表せない、言葉にするのも烏滸がましいくらいに美しかった。
その美しい横顔を見ていたら、彼女は此方を振り向いた。少し涙に濡れた瞳のまま、彼女は言う。
「ねえ、このまま海まで行かない?」
遠すぎず近過ぎずな所に、それは合った。寂れた映画館をノロノロと出て、二人で歩いて海に向かう。
その間、僕達は手をつないでいた。少しの間でも、離れないようにと。低い体温の彼女に、少しでも熱が渡るようにと願いながら、強めに握ってしまった。
「痛いよ」
少し笑いながら言う彼女は、先程映画館で見せた人物なのかと疑いたくなってしまった。
心地良い沈黙と共に、僕達は手をつないで歩き続け、少しずつ海のさざめきが聞こえてくる。
夕陽に照らされて輝く海を見て、彼女は息を呑んでいた。
「海に来るのは、初めて?」
「初めて・・・・・・凄い・・・・・・」
「そっか」
手をつないだまま浅瀬まで向かうと、彼女はそっと手を離す。靴と靴下を脱ぐと海に浸した。
「ふふ、冷たい」
「そりゃあ、まだ冬だからな」
「そうだね、まだ冬。でも、もうすぐ春だよ」
「・・・・・・」
「春になったら、私はここから居なくなる」
「戻ってくる?」
「分からない」
「いつか会える?」
「分からない」
「分からないだらけだな」
「何もかも不確かだから。私は一つの場所に留まれない、一つの場所に留まるのを許されない、誰かの心に寄り添うことも、寄り添われる事も許されない」
それだけ言うと、僕の方に振り向く。その瞳は凪のように穏やかな色だった。
「君が、心だけでも寄り添いたいと・・・・・・私も同じように、君と離れ離れになるなら、心だけでも寄り添いたいと思う」
「だったら」
「許されないと言ったはずだよ。どんなに、希っても。許されない」
「・・・・・・どうして? 何故、許されない?」
「・・・・・・どんなに償っても償いきれない罪を犯したから」
「・・・・・・」
「そんな顔しないで」
そう言うと、彼女は少し近付いて、僕の頬に手を添えた。少しだけ体温が低い彼女の手を暖めるように、僕も彼女に手を添える。
「ふふ、暖かいね。ほっとする暖かさで」
「・・・・・・なら、良かった・・・・・・」
言葉を交わさず、ただ互いの体温を交換し合っていた。
「春になれば、ここを去る。だけど、その前に。今日、私は君の前から居なくなる」
「心を預けたくなるから?」
「そうだね。逆に心を受け止めたくなってしまう・・・・・・また、私は罪を重ねてしまうことになるからね」
そっと重ね合わせてた手をはずされ、再び手をつなぐ形になる。
「“どんな事があっても、君の側に居たい。離れ離れになっても、心は共に寄り添いたいと思ってる” そう言って貰えただけで、わたしはこれからの長い旅を続けることが出来る。この言葉を支えに、私はまた歩み続けられる」
ギュッと少し力を込められて繋がれる手。凪のように穏やかな瞳の奥に何を思う?
「これ以上、私が何かを残したり、託されないように。私は、君から消えよう」
だが、眼は雄弁に語る。君がひた隠しにしている想いを。
「そして」
それは、僕と同じ想いであればと願う。
「君は、私の事を忘れる」
優しく君、唇を重ね-
「?!」
ハッとするように意識が覚醒した。
映画の途中で、眠ってしまったようだった。最悪だ・・・・・・。しかし、何か既視感を覚えるような夢だったが・・・・・・多分、映画の内容と夢が混同したのだろう。映画は、丁度ラストシーンだった。
一組の男女が浅瀬で立ち尽くしていて、口付けを交わしていた。その口付けが解ける前に、女の姿が段々と薄れていき、唇を完全に離すと、女の姿は完全に消えてしまった。男は少し呆然とした後に、不思議そうに辺りを見回して首を傾げた。何故、ここに居るのかも分からない様子だった。男は海に沈む夕日を、ただじっと見入った状態でエンドロールを迎えた。
そのラストシーンを見て、僕は何故だか分からないが涙を流していた。台詞もなく、盛り上げるための伴奏もなく、ただ海のさざ波と男の仕草だけで終わるだけなのに。
なのに。
「なんで、こんなに胸が苦しいんだろうな」
小さく呟いた言葉は、静かに流れるエンドロールの前では無意味だった。
「・・・・・・」
寂れた映画館を、一人の女が見つめていた。今、エンドロールが流れている頃なのだろうなと予測し、一刻も早くここから立ち去られなければと思うのに、足は根が張ったように動けないで居た。
「・・・・・・未練がましい・・・・・・」
そう呟くと、無理矢理に足を動かして映画館から背を向ける。少し歩くと、止めてあった車に乗り込む。エンジンを掛けて、静かに車を走り出す。少しアスファルトがデコボコしてるのか、メーターが浮き沈みする。
ラジオからは、静かに音楽が流れてくる。
「さようなら。私と寄り添うことを願った・・・・・・お人好しな君」
バックミラー越しに遠くなっていく映画館を見つめながら、女は呟いた。