ぬるまゆ焦熱地獄「ロナルドくん……? 一緒にお風呂入ろ……?」
「何何何何何何何⁉」
立て続けに出没するクソ吸血鬼たちを退治して退治して、やっと帰宅したのが朝三時。全身汗だくで気持ち悪い、今すぐ風呂に入りたいと思いながら事務所のドアを開けると、やけに血色の良い顔をしたドラ公がふわりと抱き着いてきた。
「ふあ、あ、お、」
「いっしょにお風呂はいろ?」
「え、いや、何、なんで……?」
「一緒におふろ入りたくないの……?」
小首をかしげながら甘えた声を出すドラ公。何何何何なにこれどういう状況? 最初からクライマックスで脳が情報を処理し切れない。すり寄ってくるドラ公の肌はいつもより温かく、違和感を覚える。あれ、もしかしてこいつ、
「……酔ってる?」
「酔ってないよぉ、私は酔わないんだよぉ、しらないの……?」
「いや、でもお前、」
「ね、いっしょにおふろ……」
そう言って上目遣いでねだってくるドラ公の姿に脳みそがぐらぐら揺れる。身体中の血液がぐつぐつ沸騰する。なんでなんでなんで一緒にお風呂? いや入りたくない訳じゃないけど一緒に入ったこととか今まで一度もないじゃん恥ずかしいとかって! 何何何何どういう風の吹き回しなの?
「キスして……?」
「アッ、バ、」
「ねえ、おふろ……」
いや脈略脈略脈略! が! ない! いや入りたい入りたいよ正直! でもさ風呂場のドラ公とか絶対えっちじゃん。降りた前髪、上気した頬、一糸まとわぬ青白い肌。いやいやいや無理無理無理そんなの絶対キャパオーバー。もう想像するだけでキャパオーバー。バチクソに抱き潰して翌日不機嫌になったドラ公にふいと無視されるのが目に見えている。不機嫌なドラ公はめんどくさい。そりゃあもうめんどくさい。話しかけても素っ気ないし、目も合わせてくれないし、そんなドラ公を見ていると自分の生まれてきた意味とか真剣に考えてしまって本当に心の底からしんどくなる。部屋の隅で体操座りをしてうじうじ泣きながら自分の存在意義とか考えてしまって心の底からしんどくなる。なので俺は誘惑に屈しない。泥酔しているドラ公と違って、素面の俺は冷静な判断ができる。一緒に、風呂に、入るべきでは、ない。これはもう自明の理だ。
「いっしょにお風呂、いや……?」
「入るわ」
入った。
***
「狭い、せまいね、ふふ」
本来一人用の浴槽は、二人で入るには狭すぎる。ドラ公はきゃっきゃと笑いながら、せまいせまいと肌を摺り寄せてくる。そりゃお前がすり寄ってくるから余計狭く感じるんだよ、と思ったが言わない。今は下手に口を開くべきではない。何故ならちょっとでも気を抜くと、下半身のアレがアレしそうになるからだ。湯の温度はさして高くない筈なのに、額からは汗がだらだらと流れる。思考を止めろ止めろ、心頭滅却すれば火もまた涼し、だ。
「ね、ロナルドくん、もっと狭くして?」
「は?」
「ぎゅーってして、ぎゅーって」
「う、お、」
「嫌なの……?」
「あ、いや……なあもう出ようぜ。のぼせちまうだろ」
「やだやだ、ぎゅーってして、ねえぎゅーってしてってばぁ……」
聞いたこともないような甘えた声でねだってくるドラ公。心頭滅却すれば火もまた涼し。心頭滅却すれば火もまた涼し。アレがアレしないように心の中で念仏を唱えながら、ドラ公の細い身体にそっと腕を回す。
「ふふ、ロナルドくんの腕、太ぉい……」
仏説摩訶般若波羅密多心経観自在菩薩行深般若波羅密多時照見五蘊皆空度一切苦厄舎利子色不異空空不異色色即是空空即是色受想行識亦復如是舎利子是諸法空相不生不滅不垢不浄不増不減是故空中――
「ロナルドくん?」
無色無受想行識無眼耳鼻舌身意無色声香味触法無眼界乃至無意識界無無明亦無無明尽乃至無老死亦無老死尽無苦集滅道無智亦無得以無所得故菩提薩垂依般若波羅蜜多故――
「ロナルドくんってば!」
「……え? あ、何?」
「なんでそんな怖い顔してるの?」
「あ……いや……」
「一緒におふろ、嫌だった……?」
「嫌じゃない、けど……でも何で」
「なんで?」
「いつもは嫌がるじゃんか。恥ずかしいとかって」
「うん? うん、そうだね……?」
「……」
「でもなんかね、恋人っぽくていいなーってずっと思ってたんだ」
「……」
「いつもは恥ずかしくて言えないけど、今日はなんかふわふわしてるから」
「……」
「ろなるどくん……?」
「……」
「ねえ、やっぱり嫌だった……?」
そう言って不安げに上目遣いで見つめてくるドラ公に、全身が茹る茹る。湯が熱いのか俺が熱いのかドラ公が熱いのか境界線が溶けてもう何が何だかわからない。汗がだらだら止まらない。なんだこれは地獄か? 淫行に溺れた人間が死後行く地獄か? 焦熱地獄か? いやでもまだ俺は溺れていない。今日はドラ公に手を出していない。あまりにも偉い。心頭滅却すれば火もまた涼し、心頭滅却すれば火もまた涼し……!
「わたしのこと、きらい……?」
火はな、熱いんだよ。
それから俺は、ドラ公をバチクソに抱き潰した。風呂でしたのは人生初だったので正直滅茶苦茶興奮した。プライドの高さ故、いつもは声を殺して事に及ぶドラ公が犬みたいにきゃんきゃん鳴いててそれもまた滅茶苦茶興奮した。最終的に、ドラ公はのぼせて死んだ。
***
翌日、ドラ公はいつまで経っても棺桶から出てこなかった。ジョンが心配してヌーヌーと鳴いている。蓋をごんごんとノックして声をかけると、中から蚊の鳴くような声が聞こえた。
「殺してくれ……」
「は?」
「殺してくれ……」
「いや、みだりに殺生すると死後地獄に落ちるから……」
「なんの話……?」
「これ以上罪を重ねたくないから……」
「だから何の話……?」
「お前のせいで、俺の人生滅茶苦茶だよ! 清廉潔白に生きてきたのに!」
「ねえだから何の話……?」
「責任取って、死ねない身体にしてくれ……」
「……? 吸血鬼化の話?」
「いや、うん、いや、違う、ちがくないけど、」
「何、何……?」
棺桶の蓋がするすると開いた。隙間から、ドラ公が怪訝そうな顔でこちらを見る。目が合った。途端、顔を真っ赤にしたドラ公。え、何? それどんな感情? かわ、かわいいな⁉
「殺してくれ……!」
「うんわかった殺すわ!」
殺した。どう考えても俺は、死後極楽に行けない。