君との幾星霜「なあ、ごほうび」
疲れ果てて帰って来た退治人が、年齢に見合わぬ酷く情けない声で言った。
急な退治依頼で駆り出されたのが数時間前。下等吸血鬼数匹の退治だから、多分すぐ終わると思う。そう言って出かけたロナルドだったが、実際に帰って来られたのは明け方近くになってからだった。
「忙しかったんだ?」
おかえりのキスをしながらそう聞くと、ロナルドは甘えるようにドラルクに抱き着いた。
「ちょっと、汚れる」
「……」
汗と硝煙の匂いに思わず顔をしかめる。充電中のロナルドは、ドラルクをぎゅうぎゅうと抱きしめ続け離れない。さっきお風呂に入ったばかりなのに、また汚れてしまうじゃないか。そう思うドラルクだったが、こうなってしまったロナルドには何を言っても意味がない。それは、この三十年で学んだことの一つだった。
「……おつかれさま」
広い背中に手を回し、労わるように撫でさする。ロナルドはドラルクの肩口に顔を埋めると、甘えるように、ごほうび、と言った。
「なに、するの?」
「……その元気はない」
「ふふ。じゃあどうしたい?」
「触らせて。いろんなとこ」
「えー、でも君汚れてるしなぁ。せっかくお風呂入ったのに」
「後で一緒に入りゃいいじゃん」
「んー? 五歳児君はお風呂も一人で入れないのかなー?」
「そーだよ。赤ちゃんだから一人で風呂入ったら死ぬんだよ」
「赤ちゃんとまでは言ってないんだけど」
「疲れてるんだよー。労わってくれよー」
ぐりぐりと顔を押し付けてくる大きな五歳児に、思わず苦笑する。まったくもう、君いくつになったんだっけ。ため息交じりに仕方ないなぁと漏らすと、ロナルドは満足そうに微笑んで、ドラルクをひょいと横抱きにした。
「ちょっ」
「ソファまで連れてってやるからなー」
そう言って、ロナルドはドラルクの頬に唇を落とした。疲れてるんじゃなかったのか。全然元気じゃないか。そう口から出かかったが、きっとそれとこれとは別なんだろうと思いなおして、ドラルクは素直に身体を預けた。これもまた、この三十年で学んだことの一つだ。
***
ロナルドはドラルクを横抱きにしたままソファに腰掛けると、首筋に顔を埋めてすんすんと匂いを嗅ぐ。
「ちょっと、やだ、何」
「どらこう、いい匂いがする」
「そりゃお風呂入ったからね。君もそうしたら?」
「後でな。なあ、キスして」
言われるがまま、ロナルドの唇に唇を落とす。するともっと、とねだられたので、角度を変えて何度も口付けをする。感触を確かめるようにふにふにと唇を食んでいると、ロナルドの大きな手がドラルクの頭をそっと撫でた。そのまま髪紐がするりと抜かれ、髪が下ろされる。
「……お前の髪、好きなんだよ」
「知ってる」
指先でさらさらと髪を弄びながら、ロナルドが言う。神経が通っている訳でもないのに、ロナルドに触られると心地よい。若干気恥ずかしさを覚えたドラルクだったが、今日はもう甘やかしてやると決めたので、黙ってされるがままになる。
「綺麗だな」
「……知ってる」
「なあ、俺以外に触らせるなよ」
「……束縛する男は嫌われるぞ」
「させろよ、そのくらい。俺のこと好きだろ?」
「……ご想像にお任せしますが」
「ふふ」
ロナルドは小さく笑うと、手に取った髪に唇を落とした。
「……俺のだ」
「……」
この三十年で、ロナルドは変わった。自分なんかが誰かの一番になどなれる訳がない、愛される訳がないとよく泣いていた自己肯定感の低い男。それが今では、この調子だ。
――俺のこと好きだろ? なんて、昔の君だったら絶対言えなかったろうになぁ……。
熱くなった顔を隠したくて、ドラルクはロナルドの首筋に顔を埋めた。
「ドラ公?」
「……育成大成功って感じ」
「何が?」
「なんでもない……」
黙り込んでしまったドラルクのつむじに、ロナルドが唇を落とす。するすると髪を撫でながら、こめかみに、額に、頬にと唇を落としていく。と、ロナルドの動きが止まった。
「……ない」
「え?」
「キスマーク。出かける前につけたのに」
ああ、そう言えばそんなこともあったな、と思い出す。数時間前、今日は依頼もないからとソファの上でじゃれ合っていた時につけられたキスマーク。その後死んでリセットしてしまったので、当然そこには残っていない。
「いや、そりゃ死んだら消えるだろ」
「なんで死んだんだよ」
「なんでだっけ……あー、確かガチャで爆死して……」
「ふっざけんなよお前! 命を大事にしろよ!」
「いやいつもボコスカ殺してくる奴にそう言われましても……」
「俺はいいんだよ、俺は! なあ、もっかい付けさせて」
そう言うと、ロナルドは返事を待たずにドラルクの首筋に唇を落とした。
「ちょっと、やだ、」
「んー……」
熱を持った舌がぬるりと首筋を這う。ちゅ、ちゅ、と音を立てて、ロナルドが跡を付けていく。強く吸われるとちくりと痛みが走ったが、死ぬほどではない。むしろどちらかと言うと、
――気持ちいい、んだけど、
「あっ、やだ、ねぇ」
「……」
聞いているのかいないのか、ロナルドは一心に跡を付け続ける。首筋から肩にかけてを、温かな唇に愛される。気持ち良い、良いのだけれど――
「や、ロナルドくんってば!」
強く呼びかけると、ロナルドはようやく顔を上げた。
「何?」
「何? じゃないわ馬鹿! なんでそこばっかり、」
「なんで? 綺麗になったぜ」
そう言うと、ロナルドは満足げにドラルクの首筋を撫でた。ドラルクからは見えないが、きっと鬱血して酷いことになっているのだろう。
「……いろんなとこ触ってくれるんじゃなかったの」
焦れったいんだよ、馬鹿。ドラルクが小さな声でそう言うと、ロナルドは嬉し気に笑ってドラルクを抱え上げた。
「ちょっと!」
「一緒に入るか、風呂」
「……入る。入るから、」
「わかってるって」
元気ないんじゃなかったのか。疲れてるんじゃなかったのか。なんだか手のひらで転がされてる気がする。そう思うドラルクだったが、思いを言葉にするのは止めた。
――どうせ言っても無駄だ。
こうなった退治人には、どうやったって勝てない。それもまた、この三十年で学んだことの一つだった。しかし負けっぱなしは癪なので――
「お風呂でいっぱいする?」
そう耳元で囁くと、退治人はぎゃっと声を上げて顔を赤面させた。ドラルクもまた、楽し気に声を上げて笑った。