恋と病熱 馬鹿は風邪をひかないと言うのは、やっぱり都市伝説でしかないんだなと改めて思った。
数時間前、急な依頼で飛び出していったロナルド君は、全身をびしょ濡れにさせて帰ってきた。突然豪雨に襲われ、長時間濡れたままでいたらしく、帰ってきた時には既に目が据わっていた。冷え切った両手で私の頬を包み込むと、
「どらこうあったけぇ」
なんて暖を取ろうとするから(当然冷たさに驚いて死んだ)無理やり服を脱がせて、ジョンに介助をお願いして風呂に追いやった。
濡れた服は洗濯機に入れ、その間に、食べるかはわからないが一応夜食を作る。すりおろしたリンゴと、卵がゆ。とりあえずはこれで良いだろう。
あとは冷えピタと解熱剤。冷えピタは買い置きがあるから良いが、解熱剤は買いに行かなければならない。できればスポーツドリンクも欲しい。時計を見ると、まだギリギリドラッグストアは開いている時間だった。しかし雨が酷い。最悪死ぬ。というか多分死ぬ。レインコートでなんとか凌げないかな、などと考えていると、5歳児が頭から水を滴らせながら、赤い顔で浴室から出てきた。
「……どこ行くんだよ」
「ドラッグストアに……っていうか君、ちゃんと乾かしなさいよ」
すぐ後ろから、タオルを持ったジョンが追いかけてくる。本当に育児みたいだ。
「いーんだよそんなのは。ていうか外大雨じゃん。見えないの? なんで外出るの?」
「いや、だから解熱剤とか、」
「お前死んじゃうだろ。行かなくていいよ。ここにいろ」
「……いつぞや無理やり買い物に行かせようとした男の発言とは思えないな」
「何億年前の話してんだよ。なあ、ここにいろよ」
「わかったわかった。とりあえず髪をなんとかしなさい。床がびしょびしょじゃないか。ほら、そこ座って」
5歳児をソファに座らせると、ジョンからタオルを受け取り、後ろから頭に被せる。そのまま擦らないように上から優しく押さえ、水分を取る。
「ジョン、悪いんだけどドライヤーとヘアオイルを取ってきてもらえる?」
「ヌー」
「……なんでわしわししないの?」
「髪ってのはね、デリケートなんだよ。無闇に擦っちゃ駄目」
「ふーん」
ジョンからヘアオイルを受け取ると、少量を手に取って、髪に馴染ませる。次にドライヤーを受け取り、髪から30センチほど離して温風を当て、タオルで水気を取る。完全に乾いたら仕上げに冷風を当て、電源を切る。ふわふわになった綺麗な銀髪。これは私の作品だな、となんとなく気分が良くなる。
「ほら、終わったぞ」
「んー……」
「……何か食べる? もう寝る?」
「んー……」
「人語を喋ってくれ人語を。……顔が赤いな。とりあえず横になったら?」
ソファの背を倒して、五歳児を横たえさせると、額に手を置いてみる。いつもより遥かに高い体温が、じわじわと掌に伝わってきた。上気した頬、涙で潤んだ瞳、やたらと長い白銀の睫毛。これ、写真に撮ってヌイッターとかにあげたらバズる気がするな。絶対殺されそうだけど。
「……酷い熱だな」
「どらこうの手、きもちい」
そう言われ、冷えピタの存在を思い出す。立ち上がろうとすると、五歳児に腕を掴まれ阻止された。
「どこいくんだよ」
「いや、冷えピタをだね」
「いい、ここにいろ」
「いや別に出かけないし」
「お前がいるからいい」
「は?」
言葉の意味を測りかねていると、5歳児は抱っこをねだるように両手を広げた。
「ん」
「は?」
「おまえが冷えピタ」
「ちょっと何言ってるのかわからないですね」
「いーいーかーらー」
子供のように駄々をこねるリアル5歳児の様子に、思わず言葉を失う。はー、ロナルド君って弱ってる時こうなるのか。お、面白……。そうだ、せっかくだし動画を撮っておこう。
隅で見守っていたジョンに耳打ちして、私のスマホを渡す。動画は大切に取っておいて、いざという時に上映会を行う事にする。楽しみだ。想像するだけで口元が緩む。
「なあ、なあ、どらこう」
「わかったわかった」
適当に相槌を打つと、超絶優しい私は、大きな5歳児の横に寝転んだ。5歳児はこちらを向くと、ガッチリと太い腕を伸ばして私を抱き締めた。じんわりと体温が伝わってくる。うわ、熱い。子供体温にしても熱い。本当に病気なんだな。人間って大変だなぁ。
「どらこー、つめたい、きもちいい」
そんな事を言いながら、5歳児は鼻を擦り寄せてくる。ゆたんぽ代わり、っていうのはよく聞くけど、冷えピタ代わりってのは斬新だな。まあ私は体温が低いから、ゆたんぽには中々なり得ないんだけど。
「どらこ、どらこう」
「なんだい5歳児くん」
「やさしいな」
「知らなかったのかね?」
「ん……知ってた」
す、素直ー! 思わず笑い死にしそうになるのをぐっと堪らえる。こんな面白い機会中々ないぞ。楽しまなくては。動画は長ければ長いほうが良い。
「おれ以外にはいっぱいやさしいもんな」
「……何?」
「お前、優しいじゃん、ヒナイチとか、サンズさんとか」
「女性に対して当然の礼儀だが……?」
「ほかにもさ、配信のファンとかにもさ、やさしいじゃんか。オフ会とかもしてるんだろ。ジョンにも優しいし」
「まあ、そりゃ」
「おれにもやさしくしろよ」
「してるじゃないか、今」
思わぬ展開に困惑しつつも、腕を伸ばして、銀色の髪をよしよしと撫でる。なんだ、この5歳児は、どういうアレなんだ……?
「ふだんから、もっと優しくしろよ」
「……じゃあ君も、私への普段の態度を見直したらどうだね?」
「……なんで?」
「なんでもかんでも暴力で解決しようとしてくる、素直じゃない男に、どうやって優しくしろと?」
「そ、れは、確かに……お前が正しい……」
素直素直ー! また吹き出しそうになるのをぐっと堪える。面白い。これはちょっと面白すぎる。後で動画を編集して映画っぽくしてやろう。色んな賞総ナメにできるぞ、これ。
「じゃあさ、素直になったらさ、俺にもやさしくしてくれる?」
「する、するとも。約束だ」
あー面白い面白い。油断するとすぐ笑い死にしそうだ。気合でこらえながら、5歳児の次の言葉を待つ。
「じゃあ、言う」
「はい。何を?」
「好き」
「ん?」
「好き、どらこう、すき」
え、なに、なんて……? 思わぬ展開パート2に言葉を失っていると、5歳児は私の額や頬に唇を寄せてきた。
「え、ちょ、」
私の言葉を遮って、5歳児は私の首筋に顔を埋めると、ぽつりぽつりと話しはじめた。密着した体越しに、どくんどくんと鼓動を感じる。
「……すき、好きだ、ドラ公。いつからかはわかんないけど、なんか、気がついたらお前のことばっか、考えるようになってて。お前が、おれだけ、おれだけにやさしくしてくれたらなーって、いや、優しくなくてもいいけど、おれだけ見てくれたらいいなって。いやだよな、重いよな、気持ち悪いよな、でもなんかもう自分じゃどうしようもなくって、なあ、好き。好きだ、ドラルク」
身体が熱い。自分の体温なのか、ロナルド君の体温なのか、境界線が溶けて、もう何がなんだか自分でもよくわからない。心臓が早鐘を打つ。なに、これ、こんなの知らない。私どうしたらいいの。
「変だよな。俺男だし、お前も男だし、俺は巨乳のおねえさんが好きなのに、お前はガリガリの砂だし」
「が、ガリガリで悪かったな!」
「いや、いい、ガリガリでも。どらこう、かわいい、かわいいよ」
そう言うと、ロナルドくんは私の頬に唇を落として、肋骨のくぼみを指でなぞってきた。か、かわ、なんて?! そりゃ確かに私はウルトラスーパーキュートなドラドラちゃんだけども、っていうかなんでそこを触る?! なに、どう言う感情なの?!
「ちょ、」
「なあ、見せて」
「な、何を?」
「お前の身体、見せてよ。かわいいとこ、いっぱい、」
ロナルド君の汗ばんだ手が、素肌に触れる。あー、だめ! だめ! もうだめ中止中止!
「ジョン! ジョン!」
大声で助けを求めると、愛しい使い魔は弾丸となってロナルド君を成敗した。途端、音もなく崩れ落ちる5歳児。助かった。ジョンがいなかったらどうなっていたことか。
そのまま気絶した5歳児に布団を被せると、さっきまでジョンに持たせていたスマホを拾い、録画を止めた。
「なんか、なんだろう……熱で頭がおかしくなったのかな……」
とりあえず、上映会は無期限延期にした。
END