満ち満ちる沈黙とアペリティーボ 一万年と二千年ぶりに休みだと言うのに、ドラ公は俺そっちのけで料理に勤しんでいる。
暖かくなってきたからか知らないが、ここ最近やたらと依頼が舞い込んでくる。毎晩毎晩街を荒らすアホ吸血鬼共を叩いて殴って投げて撃って蹴飛ばして退治して退治して退治しているのに減らない。一向に減らない。最後に休んだのはいつだったか、わからないがきっと五億年ほど前だろう。流石に限界だった。もう、俺、五億年も、
「ドラ公に触ってない……」
そう、ドラ公とほぼ触れ合えていないのだ。別に忙しいのは良い。睡眠時間が足りないのも良い。自分の時間なんか無くて良い。ただ、ドラ公、ドラ公が足りないのは、いけない。寝なくても俺は最強なので死なないが、ドラ公が足りないのは死活問題だ。
基本、ドラ公は夜が明ける前には寝てしまう。俺とドラ公、人間と吸血鬼、昼と夜。ただでさえ一緒に過ごせる時間は短いのに、クソ害悪吸血鬼どものせいで朝帰りが続いていて、かれこれもう五億年はドラ公と触れ合えていない。こんな事があっていいのか。良いわけがない。このままでは精神が死、死、死、死んでしまう。そう思って、この日は休業日と決めて、絶対にドラ公とイチャイチャすると決めて、この日の為に仕事を無茶苦茶に詰め込んできたのに、なのにドラ公は俺そっちのけで料理に勤しんでいる。
「はいプリモピアット! こっちアラビアータ。こっち水牛モッツァレラのポモドーロ。辛いのダメな人はこっちね」
そう言いながら次々皿を出すドラ公。アルミのフライパンを煽る煽る。部屋にトマトの香りが充満する。一つ扉を隔てた事務所にはたくさんの客が来ていて、ドラ公が作ったアンティパストとやらを食べながら談笑している。なんでこうなった。どうしてこうなった。
そもそもは昨日の夜、ドラ公に「明日休みなんだけどさ、」と声をかけた所から始まる。明日休みなんだけどさ、最近ずっと忙しくて一緒にいられなかったけど、明日休みだから――しかしドラ公は何を思ったのか、顔をパッと輝かせて「じゃあパーティーをしよう!」と言い出した。
「……なんで?」
「だってさ、ロナルド君最近忙しかったでしょ?」
「うん、だから、」
「パーティーをしよう!」
「なんで?」
という訳でホームパーティーが始まった。事務所からはざわざわと楽し気な声、声、声。出来立てを食べてもらいたいだとかで、ドラ公はキッチンにこもり切りでフライパンを煽っている。
「ほら、冷めちゃう前に持って行って」
「なあ、お前は?」
「私はいいから。ロナルド君も楽しんできなよ」
ほらほらと促され、料理を手に取り事務所に運ぶ。ついさっきまで机の上に並べられていたアンティなんたらは、既にほとんど無くなっていた。
「おっパスタっすか? 何?」
匂いを嗅ぎつけた武々夫が、嬉々として駆け寄ってくる。
「えー、プリ、プリキュアみたいな奴で……こっちが辛くて……こっちは辛くない……」
「なんすかそれ? いただきまーす!」
武々夫に続いて、トングを手に取りパスタを二種類皿に盛る。片方はあっさりトマト味で、乗っている緑の葉っぱがなんかいい匂いがして美味い。もう一つもトマト味で、こっちはちょっと辛くて濃くて美味い。
「あ、なんだそれ次の料理か!?」
「さっさと食わせるある!」
パスタの存在に気づいた面々が、わらわらと集まってくる。わかるわかる美味いもんなドラ公の料理は。わかるわかる。わかるけどさ、お前らが食ってるのそれ、ドラ公の料理だからな。俺のドラ公の料理だからな。俺の、俺のドラ公なのに。なんだか異様にむしゃくしゃして、俺は空いている皿をいくつか集めると、キッチンに戻った。
「……ドラ公、皿下げてきたけど」
「あ、ありがとう置いといて! いまアクアパッツァ作ってるから」
フライパンに目を落としたまま、ドラ公が言う。アクア何? プリキュアの話?
「洗い物ぐらいするけど」
「いいって! 楽しんできなよ」
「……お前は楽しくないじゃん」
「なんで? 楽しいよ。料理好きだし」
「……洗い物、する」
「そう? ありがと」
言いながら、ドラ公のすぐ横に立って、シンクに汚れた皿を入れる。蛇口をひねって、じゃぶじゃぶと皿を洗う。隣からは魚の焼ける良い匂いと、じうじうと焼ける音。沈黙がキッチンに満ちる。
「……なあ、なんでパーティーなの」
洗い上がりを水切りラックに置きながら、たまらずそう聞くと、ドラ公は手元に視線を落としたまま答えた。
「んー? だって君、ここの所ずっとつまらなそうだっただろ」
「……え?」
「なにか楽しい事でもあればって思ったんだけど」
なん、だそれ。俺のため? 俺のために、ドラ公はわざわざ人を集めて、わざわざ料理を作って、わざわざパーティーを開いた? なんだそれなんなんだそれ。心の奥がざわざわと沸き立つ。そんなのお前、好きになっちゃうじゃんか。
「……ドラ、」
「ドラルク! 空いた皿を持ってきたぞ!」
ドラ公に手を伸ばそうとしたその瞬間、事務所に繋がる扉が開いた。反射的に振り返ると、そこには大量の皿を抱えたヒナイチの姿が。いやタイミング、タイミングの悪さ……!
「ありがとう。そこに置いておいてくれる?」
「美味かったぞ! 何か手伝うことはあるか?」
「大丈夫だよ。もうすぐ次のが出るから、楽しみにしてて」
「ああ! デザートも期待してるぞ!」
そう言うと、ヒナイチは事務所に戻って行った。またまた沈黙がキッチンに満ちる満ちる。
「……ロナルド君、ちょっと」
ドラ公は一旦火を止めると、こちらを見て手招きした。何かと思って近づくと、そっと、唇にキスされた。
「うお、あ! 何だよ!」
「あれ、違った?」
「ち、違わない……!」
「あっ、ちょ、」
たまらずドラ公の腰を引き寄せ、主導権を奪う。薄い唇を舌で割り開き、歯列をなぞる。丹念に口内を弄ってから、舌を絡めてじるじると吸うと、ドラ公は簡単に蕩けた。
「ふふ、トマト味」
そう言ってへにゃりと笑うドラ公に、脳みそをガンガン揺すられた。うわ無理だめだ無理好きになっちゃう。そんなの好きになっちゃうだろ! たまらずもう一度深く口づけする。五億年ぶりに感じる、ドラ公の体温。ドラ公の味。ドラ公の匂い。五感がドラ公で満たされる。良かった、俺、生まれてきて!
「ん、やら、ろな、」
「どらこう、好き、すき」
「私も、だけど、――やめろ!」
強く拒絶され、思わず顔を離す。あ、あ、あ、拒否された、拒絶された! 連日のドラ公不足のせいで精神不安定になっていた俺は、ちょっとしたことですぐショックを受ける。
「ごめ、」
「馬鹿、隣に人がいるんだぞ」
「だって、だってさ」
「だって何?」
「……もっとドラ公に触りたい」
そう言ってぐっと口を噤むと、ドラ公は短くため息を吐いた。ため息、やめてくれよため息。マイナス思考が過ぎる今日の俺には、怖いんだよため息……! その細い息に乗せてどんな言葉が紡がれるのか、迫りくる痛みに備えて目を閉じると、ドラ公は想像よりずっと柔らかい声を出した。
「セコンドピアットが魚と肉。あとはコントルノとドルチェで終わり」
何を言っているのかまったくわからない。日本語で喋ってほしい。
「片付け手伝ってくれる?」
「……それは、手伝うけど、」
いまいち言葉の意味を飲み込めずにいると、ドラ公は俺の頬を優しく撫でて言った。
「終わったら、二人きりだから」
「あ、う、」
「だからほら、今は皆と楽しんで来なよ。そろそろ次の料理も出るし」
「あ、うん」
なんだよクソ、ドラ公のくせに、ドラ公のくせになんでそんな優しいんだよ。俺今弱ってるから、そんなんされたら、好きになっちゃうじゃんか。いやまあ既に好きなんだけども、もっともっと好きになっちゃうじゃんか。
「……お前、こんなに俺のこと惚れさせて、どうする気なんだよ」
「ふふ、とって食べる気かもしれないね」
「血はやらねえぞ……」
「いつまでそう言っていられるかな?」
そう言っていたずらっぽく笑うドラ公は、困ったことにこの世界で一番可愛い。
「なあ、もう一回だけしていい?」
縋るようにそう言うと、ドラ公は「もう一回だけだぞ」と言って目を閉じた。あ、ちょっと赤くなってる。世界どころじゃない、俺のドラ公は宇宙一可愛い。あークソ困ったな。
薄い唇にそっと唇を重ねると、細い手が俺の背中に回された。ああもう、今世界一幸福だ。ありがとう世界。存在してくれてありがとう。ドラ公を生み出してくれてありがとう。――なんて世界に感謝していると、急に事務所に繋がる扉が開いた。
「ドラルクさん! 次の料理まだっすか!?」
「空いた皿持ってきたぞ!」
「なあサテツがおかわりって、」
武々夫を先頭に次々なだれ込んでくる招待客たち。いやだからタイミング! タイミングの悪さ……!
「……」
俺たちに一斉に視線が集まる。またまた沈黙が部屋に満ちる満ちる満ちる。と、それを切り裂いたのはヒナイチだった。
「す、すまないお邪魔したな! ……ほら、皆大人しく向こうで待っていよう」
「え、ドラルクさんとロナルドさんってそうだったんですか!?」
「いや見てたらわかるだろ……バレバレだし……」
バレバレ!? 何が!? 俺とドラ公が付き合ってるのが!? 今まで誰にも言ったことないのに!?
「お、お前ら……」
「ほら皆戻ろう! 邪魔しちゃ悪い!」
言いながら、ヒナイチが皆を事務所に押しやった。またまたまたまた沈黙が満ちる満ちる満ちる。
「なあ、ドラ公、」
向き直ると、ドラ公は塵と化していた。エーン! 死にたいのはこっちの方なのに!