俺なんかなんて言うんじゃない 突然だが私は重い男と付き合っている。色々あって一緒に住んでいる180歳年下の退治人。それが私の恋人だ。頭は悪いが顔は良い。性格もまぁ、悪くはない。少なくとも一緒にいて飽きない存在だ。彼といれば、私のこれからはより一層愉快になるだろう。そう思ったから、告白されたときは二つ返事でOKした。同居人から恋人に格上げとなり、これから彼自身はどう変化していくのだろう、さぞかし愉快なんだろうな、などとワクワクしていたのだが、彼は私の全く想像し得ない方向に変化していった。
「ドラ公、キスしていい?」
これを1日5回は聞かれる。いやもう恋人なんだから好きにすればいいだろと思うのだが、彼の高すぎる倫理観がそれを許さないらしい。正直、毎回このやり取りをするのが億劫で仕方ないし、本人にもそう伝えているのだが、一向に改善されない。
「だってさ、気分じゃない時もあるかもじゃん」
「いやまぁそうかもしれないけど、その辺は察しなさいよ」
「無理わかんない」
「あらー、童貞ルド君には難しかったでちゅかー」
「うるせー殺……さない……」
「ええ……」
そして、ロナルド君は私を殺さなくなった。ちょっと煽ったら反射的に拳を振り上げるのは変わらないのだが、強靭な意思でそれを抑えているらしい。抑えきれずに殺された事も何度かあったのだが、その度泣きながら謝罪された。
「ごめ、ごめん! 嫌いになった?」
「なってないなってない……」
正直調子が狂う。
彼の変化はまだまだある。例えば、私の交友関係を気にするようになったり、出かける先にやたらとついて来たがるようになったり。出先ではやたらとボディタッチが増えるし、私が話している相手に何故か鋭い視線を飛ばす。みんなが怖がるからやめてほしい、と言っているのだが、本人は何のことだかわかっていない。わかっていない癖に、時々「お前俺以外の人間と会話するなよ」とか不穏な事を言う。正直怖い。
そして、最大の変化。それは、彼が素直になった事だ。今までありがとうもごめんなさいもろくに言えなかった男が、急に言えるようになった。好意も毎日伝えられるし、壊れ物を扱うように、優しく触れられる。まだまだプラトニックな関係ではあったが、十分恋人らしい毎日を過ごしていた。
「なあ、ドラ公、俺の事好き?」
ある日の夜、ロナルド君はいつものように、私を膝に乗せていた。夜食を食べて、お風呂に入り終わったら二人の時間だ。ロナルド君は毎晩ソファの上で私を膝に乗せ、優しく抱きしめながら耳元で愛を囁く。正直滅茶苦茶恥ずかしいし、ジョンにも悪いから自重して欲しいのだが、拒否すると露骨に狼狽されるのでぐっと堪えている。ジョンも最近では慣れたようで、まったく気にせずテレビやゲームに興じている。今日は一人で遊びに行っているようだ。
「なあってば」
「好きだよ! 何回聞けば気が済むんだ!」
「何回でも聞きてえんだよ! なあ、キスしていい?」
「いちいち許可を取るなクソ童貞が! ……好きにしろ……」
諦めたようにそう言うと、ロナルド君は嬉しそうに頬に唇を落としてきた。まあ、正直、嫌じゃない。嫌じゃないんだけれども、やっぱり恥ずかしいものは恥ずかしい。
「ドラ公、好き……」
「あー私もだよ」
「俺が一番……?」
「ジョンがいるから二番かな」
「それでもいい。なあ、俺のどこが好き?」
「五億回ぐらい言ったよね?」
「何回でも聞きてえんだよぉ……」
「わかったわかった。また今度な。……あー、そうだ、言い忘れていたんだが、私明日いないから」
「は?」
ロナルド君の表情が急に硬くなった。いや、そりゃ出かけることもあるでしょ、生き物なんだから……。
「あー、ずっと前から仲良くしている、ヌイッタ―のフォロワーさんがいてね、」
「は?」
「久しぶりに二人でどこか行きたいねーって話になって、」
「は?」
「じゃあ明日一緒に映画でも観ようかってなって、」
「は?」
「話聞いてる?」
「聞いてるが?」
「あっそう。じゃあ私もう寝るから」
そう言って棺桶に向かおうとするも、がっちりとした腕がそれを許さなかった。
「ちょっと、放してよ」
「そいつお前の何なの?」
「だからフォロワーさんだって……」
そう言いながら振り向いて、ひッと息を飲んだ。ここ最近、私には惚けた顔しか見せていなかったロナルド君。そのロナルド君が、びっくりするぐらい怖い顔をしていた。あ、瞳孔開いてる……怖……。
「仲いいんだ?」
「まあ、そりゃ、君と出会う前からの友人だし……」
「ふーん……?」
ロナルド君はそう言うと、私をソファに押し倒した。巨体が私の上に覆いかぶさる。えっいやこっわ、何? 何なの? 驚きのあまり言葉を発せられずにいると、ネグリジェの中に大きな手が侵入してきた。そのまま肌をつ、となぞられ、思わず声が漏れ出る。
「あっ、えっ、ちょ、」
「ずーっと我慢してたんだよ」
「なに?」
ロナルド君が私の腹回りを指でなぞりながら言う。熱すぎる体温に、肌がぞわぞわと粟立つ。
「ほんとはもっと、ぎちぎちに抱きしめたいし、舌入れてキスしたいし、ぐちゃぐちゃになるまで抱き潰したいんだけど」
「ろ、ろなるどくん……?」
「でも大事にしたいし嫌われたくないから我慢してたんだよ。ずーっと。ずーっと我慢してたんだよ俺は!」
意外過ぎる展開に言葉を失う。童貞だから何もしてこないんだとばかり思っていたのだが、そうか、我慢していたのか……。
「でも、他の奴に盗られるくらいだったら、」
「は?」
「今ここでお前のことぐちゃぐちゃにするから」
「まっ――」
抗議の言葉は、ロナルド君の口に飲み込まれた。口内に熱い舌が侵入してくる。うわまってまってまって、なんで怒ってるの? 他の男って何? 盗られるって何? なんでそうなるの? っていうか何で私死なないの? こんな無茶苦茶されてるのに? あっ、気持ちいいいから? 気持ちいいと死なないパターンのアレかな?
「んっ、や、ろな、」
「ふ、あッ、どらこ、ドラルク……!」
ロナルド君の分厚い舌が、私の口内を犯していく。舌を絡められてちゅっちゅと吸われると、脳が溶けるくらい気持ちいい。気持ちいいのだけれど、これは良くない。とても良くない。
「や、やら、んッ、ろなるどく、やめ」
私の抗議を無視して、ロナルド君は口内を弄り続ける。ダメだ、もうこうなったら仕方ない。私は心の中でロナルド君に謝ると、その唇に思いきり牙を立てた。
「いッ――!」
ようやくロナルド君は顔を離した。その口元からは、だらだらと血が流れている。うわー、大惨事。でもこれは正当防衛だから。
「話を聞け! 馬鹿!」
「うッあ、」
思いきり怒鳴ると、ロナルド君は両目に涙を溜めて口をぱくぱくさせた。
「誰が誰に盗られるって?」
「……ど、ドラ公が、その男に……」
「なんで?」
「な、なんでって……」
「友達だって言ってるだろ。それが何で盗られるとかそういう話になるんだ? 私が誰とでも寝るような軽薄な男だと、ロナルド君はそう思っているのか!?」
「え、あ、いや、ちが……」
そう言うと、ロナルド君はぼろぼろと泣き始めた。うわ名実ともに5歳児だ。泣きたいのはこっちの方なのに。
「だ、だって……」
「だって何!?」
「だって、他の奴にどらこうを見せたくない……」
「は?」
予想外の発言に、思わず真顔になる。見せたくないって何?
「だ、だれにも! ほんとは誰にもドラ公を見せたくないんだよ! ここから一歩も出ないで欲しいし、俺とジョン以外を視界に入れないで欲しい……」
「うわごめんひくわ」
「エーンわかってたよ! そう言われるのはわかってたんだよ! でもさ、だってさ、好きになっちゃうかもしんないじゃん」
「何が?」
「お前の事見たら、みんなお前の事好きになっちゃうかもしんないじゃん。そしたらお前もそいつのこと、好きになっちゃうかもしんないじゃん」
「ハァー????????」
何を抜かしているんだこの大馬鹿は。みんなが私の事を好きになる? そりゃまぁ私はウルトラスーパーキュートなドラドラちゃんなのでその可能性は否めないが、私が他の誰かを好きになる……?
「いや、私が好きなのは君なんだが」
「うッ」
「何回も言ったよね? 私が好きなのは、ロナルド君」
「だって、だって、」
「だって何!?」
「だ、だって……俺なんかがお前の、お前の恋人でいられる訳がないじゃん……」
「……は?」
「だってさ! 俺なんかよりいい男なんてこの世にいくらでもいる訳で、お前がそれに気づいちゃったら、俺なんかあっという間に捨てられるんじゃないかって、でもお前の事を思ったらその方がいいのかもって思うし、でも俺も、俺もお前の事、好きだし、めちゃくちゃ好きだし、盗られるかもってなったら、もう閉じ込めるしかないから、抱き潰して、殺しちゃって、瓶とかに詰めて……」
そう言ってまたびしゃびしゃと泣き出した5歳児に、私はドン引きした。それと同時に、激しい怒りに襲われた。こいつ、今自分が無茶苦茶失礼なこと言ってるってわかってるのか?
「私さ、好きっていったよね、君の事」
静かな声でそう言うと、ロナルド君はちょっと怯えたような顔をして、小さく頷いた。
「信じてなかったんだ? 私の事」
「ち、ちが……!」
「違わないよね? 私は君に何度も好きと言った。それなのに何だ? 他の奴を好きになる? ロナルド君を捨てる? ふざけるなよ! 私は吸血鬼だぞ!」
「そ、れは、知ってるけど……」
「吸血鬼の執着を忘れたのか! お前はもう私の物だ。捨てるなどある訳がないだろう!」
そう言うと、ロナルド君はまたはらはらと泣き始めた。
「だ、だって、俺なんか、」
「その俺なんかっていうの、やめなさい」
「なんで……?」
不思議そうな顔でこちらを見るロナルド君。自己肯定感が低いのは知っていたが、まさかここまでとは。まさかここまで拗らせているとは。
「あのね、君なんか、じゃないんだ。君だからいいんだ」
「え、」
「私は君を愛している。君が自分の事を、『俺なんか』って言う度、私は自分の恋人を悪く言われているようで、とても不愉快だ」
あーあ、言ってしまった。あくまで付き合ってやってる感を出して、私に惚れているロナルド君で遊び尽くしたかったのに、私の方もいつの間にかすっかり彼に惚れてしまっていた。でもまあ、自己肯定感の低い彼のためだから、致し方ない。
「もう一度だけ言うよ。愛してる。私は、君を、君だから、愛してる。だからもう、私の男を悪く言うのはやめてくれ。わかった?」
強めの口調でそう言うと、ロナルド君は首をぶんぶん縦に振りながら、また泣いた。
「約束できる? もう言わない?」
「言わない」
「ごめんなさいは?」
「ごめんなさい」
「よろしい。じゃあさっさと泣き止みなさい」
「だって止まらねえんだもん……口も痛ぇし……」
「あ、それは、ごめん……」
ざっくり切った口元の血は、よく見るとまだ止まっていなかった。涙も染みるし、そりゃ痛いだろう。
「なあ、どらこう、舐めて」
「……染みるぞ?」
「涙より、たぶんマシ」
「あっそう。……目をつぶって。恥ずかしいから」
そう言うと、ロナルド君は素直に目を閉じた。あーもう、なんなんだこの五歳児は。手がかかるにも程があるだろう。しかしこれも、惚れた弱みと言うやつか。そんなことを思いながら、私はそっとロナルド君に口付けをした。
END