白菜始末記その日、比較的早い夕方の時間に帰宅できた菅波が見たものは、台所のワークトップの上に転がるふたつの白菜だった。色つやもよく、大きな白菜がふたつ並んでいる様子はなかなかのインパクトである。なぜ白菜がふたつ…と思いながらも、日常のルーティンの手洗いうがいを済ませてリビングに入ると、何やら自身の書斎スペースでパソコンに向かっていた百音が顔をあげた。
「おかりなさい!」
「ただいま。あの、台所にあるあの二つの白菜は…?」
「今日、道の駅に仕事で行ってきて、そしたらきれいな白菜があったから買おうとしたら、おまけ!ってもう一個つけてくれちゃって。終わりがけの時間だったからかもしれないけど。で、断り切れなくって、ふたつ」
「ナルホド。着替えてくるので、どう対処するか相談しましょ」
「ぜひ」
着替え終わった菅波が台所に入ると、先んじて百音が白菜の前で腕組みをして立っていた。菅波もその隣に並ぶ。
「さて、この白菜たち、どうしましょうか」
「どうしようかねぇ」
言いながら、二人でリビングにかけてあるカレンダーを振り返る。そこには、それぞれの仕事の予定が書いてあり、短期・長期を含めた外出・出張予定が俯瞰できる。来週は前半に百音が3日ほど家を空ける予定があるようだ。
「来週、私がいないから、なにか作り置きと冷凍に回せるメニューも考えたいですねぇ」
「食べすすむ配分でいうと、調理法にもよるけど、一食につきひとり四分の一食べられるとして、最大4食分?」
「あ!餃子!みじん切りに塩したら嵩も減るし、餃子なら冷凍しやすいし」
「いいアイデアです。じゃあ、思い切って丸ごと一個、餃子にする?」
「先生、おうち餃子好きですもんね。晩ご飯のあとにまとめて作りましょっか。じゃあ、残りは…今日、白菜ステーキにして、明日はクリームグラタンかうま煮、かな。明日はどっちがいい?」
「じゃあ、グラタン」
「そうしましょう!」
あれやこれやと話しながら、冷蔵庫の中身とも相談して白菜消費の作戦が決まる。じゃあまずは軽く買い物に行きますか、と連れ立って近所のスーパーで必要な品々を買いだして戻れば夕食の準備にちょうどいい時間になった。
「じゃあ、私が今日の晩ご飯作ってる間に、先生に白菜みじん切りにしてもらってもいい?そしたら、晩ご飯食べてる間に塩しとけるし」
「了解。みじん切りは僕の方が得意だしね」
「先生のみじん切りは細かいし大きさがそろうし、あれはほんとに不思議!」
「百音さんのみじん切りはおおらかですからねぇ」
明らかに言葉を選んだ菅波の言葉に、百音はチベスナ顔をして見せる。
「どうせ、私のみじん切りは光太朗さんほど細かくないですー」
「僕はあれ、いろんな食感が楽しめていいなって思うけど」
「前向き」
百音の指示通り、今日食べる白菜を大きく四分の一ずつにカットして渡せば、あとは菅波が粛々とみじん切りに取り掛かる。百音は四分の一の白菜をふたつ、豪快にゴマ油で焼き付ける。蓋をして蒸し焼きの体勢に入れば、あとは簡単に、しらす入り卵炒めと蕪の塩昆布あえを作り、油揚げとわかめの味噌汁を合わせる。
その間も、ずっと菅波の白菜のみじん切りの手は休まず、サクサクと一定のリズムが台所に流れるのが、百音にとって心地よい。数枚の葉を剥いでは、丁寧に重ねて並べて等間隔に切っていく菅波の手許を見るのは、百音のひそかな楽しみでもあったりする。
複数の調理を段取りよく取りまわす百音は、ガスレンジの前からシンク、冷蔵庫へとあちこちリズムよく動きながら、菅波からすると魔法のように料理を作っていく。菅波にとって、一緒に台所仕事をするとき、くるくると動く百音の気配が心地よく、目の前のみじん切りに没頭しているようで、ちらりと百音の様子を見ては、口許を緩めるのであった。
百音が仕上げに味噌を溶く頃合いには、白菜のみじん切りが一番大きいボウルに山盛りになった。菅波が適宜みじん切りに塩をしながら積んでいったので、最後に上からさらに塩をかければ、後は放置するだけである。
大きな白菜を横たえたプレートにしらす入り卵炒めと蕪の塩昆布あえも添えれば、手っ取り早くワンプレートの晩ご飯である。
「この四分の一の白菜をどーんと焼くの、初めて見たときはびっくりしたなぁ」
「菜津さんに教わった時は、私もびっくりして。でも、食べ応えもあるし、簡単だしいいですよね」
「好きな大きさに切って食べれるのも楽しいしね」
「明日はグラタンで味も目も変わるから、明日も楽しみですね。昨日、実家から牡蠣が届いてるから、今年初の牡蠣のグラタンにもなります」
「それは楽しみだ」
食後、二人で台所に食器を下げていけば、いい具合にみじん切りの山がしんなりと嵩を減らしている。洗い物は後でまとめてやりましょう、と片隅にまとめれば、改めて手を洗った菅波がおもむろに白菜をひとつかみ取ってぎゅっと絞ると面白いように水が出る。百音はその様子をにこにこと見ながら、絞った白菜を入れるボウルを取り出す。
「野菜絞るの、光太朗さんにかかったらあっという間なの、ほんとすごい!」
百音の嬉しそうな声に、菅波もまんざらではなく、まぁ力仕事はやっぱり引き受けたいところですね、とせっせと白菜を絞っていく。次々と絞った白菜が投入されていくボウルに、百音が挽肉やチューブショウガ、冷凍の小口ネギを入れて、肉餡を作る準備を着々と進める。すべての白菜がボウルを移ったところで、せっせと百音が中身をこねる。
「いい感じに白菜たっぷりな餃子になりそう」
「あぁ、ほんとだ。でも、これはこれで軽く食べられていいかも」
「先生、最近あぶらっこいものちょっと控えてますもんねぇ~」
「なにか語尾に思惑があるような…」
「いえいえー!」
軽口を交わしながら、完成した白菜たっぷりの肉餡のボウルと餃子の皮たくさんをダイニングテーブルに移動させて、後は二人でせっせと包むのみである。包む間は手を動かせばよいだけなので、会話が弾む。
「そういえば、道の駅の仕事、どうでした?」
「んー、単発のいくつかのイベント関連の予報を依頼はしてもらえてるんですけど、なかなか面に拡がらなくて。道の駅って設置者は市町村が原則だけど、運営は行政が直接だったり指定管理者だったりするから、なかなか横断的なっていうアプローチが難しくて」
「そっか。まぁ、やっぱり、どこか一つの道の駅で実績作って横展開するのが固いのかな」
「朝岡さんもそうおっしゃってて。なので、今回の依頼は受けつつ、そこの他の困りごとの粒を見つけていく感じかなって」
「うん。先生は?」
「あぁ、一つ案件が増えました。ほら、百音さんも営業してたゼネコンあるでしょ。あそこの、東北エリアでの土木作業者の健康診断。健康診断手配する会社が請け負ってたんだけど、山間部に医師を派遣するのが難しいことがあるって言うので、ウチと協業して必要な時には穴埋めをするってことに」
「あ、この間打診があったってやつですね。そっか、話決まったのよかった」
「うん、で、その会社に百音さんが構想してるピンポイント予報とリモート気象サポートの話したら、健康管理ネタで興味ありそうなところあるって」
「本当に?」
「後で名刺渡すから、連絡してみて」
「ぜひに」
なんだかんだ、盛り上がるのは仕事の話で、その間にも白菜の餃子はどんどんと並んでいく。自由な形と大きさの百音の餃子と、はかったように同じ形と大きさの菅波の餃子と。そのまま冷凍しておけば、フライパンで焼いて一人の時も簡単晩ごはんにありつける。その時、百音は菅波が、菅波は百音が包んだものを焼くことが多く、その時にはこうして話した時間を一緒に改めて楽しめるようなのが、二人のお気に入りである。
「それにしても」
と包み終わった餃子の山と、台所にごろんと転がる白菜の半身を眺めながら菅波が言う。
「夏にもピーマン祭りとナス祭りがありましたが、野菜が大量に転がり込んでくる問題、どうしたものでしょうね」
「みんな持て余してるから、お裾分けの先もないですしね」
「こんなこと、東京で暮らしてたころは全然知らなった」
登米に通い始めてから10年以上。それでも、自分で『生活を構えて暮らす』という実感を本当に持てたのは結婚した百音と一緒に暮らすようになってからかもしれない、と不思議な感慨が菅波を襲う。
「毎シーズンこんなものなので、大量消費レシピをふやしてくしかないですね」
くすくす笑う百音に、菅波の目じりにも皺が寄る。
「ですね」
二人で食べるものを一緒に工夫して。
そこに色濃い生活の気配を、二人とも何よりも大切に思っているのだった。