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    あなたと僕には時間がないけど【あなたと僕には時間がないけど】

    まだ二人の関係に名前がなかった頃に行ったハンバーグ屋で夕食を済ませた二人は、すっかり陽の落ちた道に出た。
    「ごちそうさまでした」
    と改めて頭を下げる百音に、菅波もお粗末さまです、と頭を下げる。百音は個別に会計するつもりだったのに、菅波がさらりと二人分支払ってしまい、手土産のお遣いのお礼です、と言い張ったのである。

    「前にここに来た時は別々にしましたよね?」
    「まぁ、そうですね。なんでもない時にふらっと来ましたし、なにより関係性も違いましたし」
    ごちそうさまをいいつつ、まだ不服気な空気が残る百音に、菅波はさらりと言葉を返して、汐見湯に百音を送ろうと足を向けかけた。
    「ほら、やっぱり」
    菅波の足を止めたのは、百音の言葉である。
    「こうなってから、隙あらば先生が私の分払っちゃう。いろんな理由は言うけど」

    関係性が変わっても、こうして自立心旺盛なところが本当にこの人らしい、と菅波の口許が緩む。とはいえ、自分がこの人を甘やかしたいと思ってしまうのも事実で。長躯をかがめて上目遣いに覗き込んだ菅波は、百音と目を合わせて言う。
    「おいしいものはごちそうしたい、と言う気持ちになってしまって。でも、それがあなたの負担になるのは本意ではないので、どうやっていったらいいか、僕たちなりの形をこれから一緒に考えてくれますか?」

    その言葉に、百音がこくりと頷く。百音も、菅波が自分を想ってくれてのことだとは分かっていて、でも、自分の中でまだ折り合いがつかないことを持て余している自覚はあり。自分の気持ちを伝えつつ、百音の気持ちも理解しようとしている菅波の言葉に、百音の中で、少し溶けた氷が揺らぐ音がカラリと聞こえたような気がする。

    手を繋げるような距離で、でも手を繋ぎそびれて二人と紙袋のサメぬい一匹が、改めて歩みを汐見湯に向けると、夜の道は、下町故か、早々と寝じまいを始めているような雰囲気である。歩きながら明日の予定を話をすると、明日の約束の話をしているということが二人にとってなんとも面映ゆい。

    「永浦さんは、明日は定時退勤ですか?」
    「その予定です。終わったら先生のおうちに行きます」
    「それなんですが、もし定時だったら僕が迎えに行ってもいいですか?」
    「会社まで?」
    「はい。時分どきですし、だとしたら昼飯どこかに食べに行かないかなと。ウチに来てもらっても、なにもないので…」
    「ナルホド、はい」
    「予定が変わりそうだったらメッセージ送ってください。僕は休みで合わせられますから」
    「はい」

    話ながらとつとつと歩くと、菅波が勤務する病院の裏手の公園に出た。何度か二人で歩いた場所を懐かしみながら足を踏み入れる。桜も散りばなで特に人影もない。子供の遊具エリアを抜けると、風で揺れる大きなモニュメント群が並ぶ広場に出る。広場の端のベンチに目をとめた百音が菅波を誘った。

    「まだ就寝まで大丈夫なんです。ちょこっとだけ、お花見、していきませんか?」
    公園を抜ければ汐見湯はすぐそこで、別れがたいという百音と自分の気持ちと、そもそも花見の約束すらできていなかった自身を省みて、菅波は百音の言葉に頷く。サメのぬいぐるみが入った紙袋を傍らに置いて二人で並んでベンチに座れば、盛りを過ぎた桜花がそれでも夜の春の色を湛えて二人の頭上に広がった。

    「あぁ、きれいですね」
    「ですね。この時期、中継ではあれこれと桜の開花のことを話すんですが、自分が落ち着いて見られているかと言うとそうでもなくて」
    「そういうものですか」
    「なので、今先生と見れてよかった、って思います」
    ふわりと笑う百音に、菅波は耳まで赤くなって口許を覆う。衒いなくこうして一緒に過ごすことを大切だといわれ、忙しさにかまけた自分に心中で猛省を促しつつ、菅波は「僕も、一緒に見れてよかったと思います」と言葉をひねり出すのだった。

    「登米は来週ごろから開花が本格的に始まるので、先生が行く時に合わせたみたいになりますね」
    さも中継で述べる客観的事実のように言いつつ、百音の声色に淋しさがにじむのを菅波は感じ取り、何を言ったものか、と鼻を擦る。
    「一緒に見られたらいいんですが」
    と百音が言うが、新年度の切り替え時期は勤務もイレギュラーになりがちで休みの見込みが立ちづらい。また、菅波も新生活の立ち上げと新しい勤務体系に忙殺されることは目に見えていて、4月中に百音が登米を訪問できそうに無いことはすでに二人の共通認識である。

    「無理して登米に一日だけ行っても、それで体調や仕事に影響が出てはいけないから」
    菅波が言うと、百音がこくりと頷く。時間のやりくりはしても無理はしない、というのも二人が部屋を片付けしながらたどり着いた約束で、特に菅波はそれを百音に重々と述べている。自分が無理しがちなのに、と思いつつも、菅波の言わんとすることは分かる百音は、その約束を心のメモにきちんと書きつけていた。

    「5月の連休明けには行けると思うんです」
    「うん」
    百音の言葉に、菅波はうれしく頷く。その菅波の表情に、百音が頬を染めつつ言葉を続ける。
    「その時は、先生のおうちに…泊めてもらえますか?」

    昨年のクリスマスに訪登の際には、菅波はまだ中村や他の代理医師とシェアになっていた一軒家の宿舎に寝泊まりしていて、百音はサヤカ邸に泊っている。今回の専従にあたって近隣のアパートに居を構えることになった菅波宅はもちろん独居前提で、菅波不在時の助っ人医師にはみよ子邸の離れが用意されることになっている。

    「あ、あの、それは、もちろん。はい。泊まりに、来てください」
    菅波がつっかえながら言うと、百音もこくこくと無言で頷く。その少し思い詰めたような表情に、思わず菅波の口許が緩んだ。

    「えっと、これから話すことは多分に推測を含んでの物言いだという前提で聞いて欲しいのですが」
    座っていた腰を少しずらして上体を自分に向けた菅波の言葉に、百音がきょとんとしつつ、こくりと首を縦に振る。
    「あなたと僕が、こうして過ごすようになったことで、神野さんや、すーちゃんさん…野村さんに、何か言われていませんか。その、どうなんだ、とか、まだなのか、とか」

    その言葉に先ほどより濃く百音の頬に朱が刷かれ、菅波は自分の推測が正しかったことを悟る。もうそうなってから何ヶ月経った、であったり、もうすぐ遠距離になるのに、などの話が、神野さんや野村さんから全く出ていないと考える方が難しい。こうして東京で会っていれば、仕事も忙しく時間が合いにくい者同士の時間を縫っての逢瀬がほとんどで、とりたててその話をすることはなかったが、登米で生活する菅波の許に、休暇の百音が会いに行くとなると話は変わる。朱が刷かれた百音の可憐さにすってんころりんしないように密かに呼吸を整えつつ、菅波は、今がその話をする時か、と心を定めた。

    「永浦さんの考えもきちんと聞かせてもらいたいのですが、まず僕が考えていることを話していいですか?」
    いつもの猫背でまっすぐに自分を見る菅波に、百音はまたこくりと頷く。菅波が自分のことを考えてくれているのはよく知っているし、その考えは聞きたいし、自分の考えを菅波が聞いてくれることも、百音は知っている。百音の頷きに自身も頷きを返し、菅波が言葉を続けた。

    「こうしてあなたと過ごすようになって、決してあなたの手を離したくないと僕は思っているし、いつかは関係を進めたい、とも思っています」
    真摯な、だがそこにわずかににじむ菅波の情火に、百音は合鍵を差し出された時のことをふと思い出す。その時必要だと思ったものを、自分の言葉と心を隠さずに届けてくれたあの時を。

    「だけどそれは世間一般でどうとかは全く関係なく、あなたと僕のこととして考えたい」
    きっぱり言い切る言葉が、百音にすとんと腹落ちする。莉子と明日美から、え、もう四か月以上でしょ?など言われつつ、時間のながさと話題の相関が腑に落ちなかった百音にとって、菅波の言葉は覚えていた違和感を説明するものだった。

    「もちろん、いつかは、とは。でも、期間と時間がちぐはぐなあなたと僕は、焦ってはいけないんだろうと。そう、思ってました」
    こめかみに手をやり、とつとつと話す菅波を、百音もまっすぐに見る。
    「だから、その、登米の僕の家に泊ることと、それは直結させないでよい、と思っています。泊ることを含め、一緒にいろんな時間を過ごすことに慣れながら、あなたと僕とでそれがいつなのか、探していければいいな、と」

    どうかな、と菅波が器用に百音を見上げる。百音は、女子会のわいわいとしたおしゃべりは楽しいが、ことこういうトピックでは『ジョーシキ』と『フツー』がはびこりがちになることに覚えていた引っかかりが、菅波の言葉で解消されたように思えて口許を緩めた。

    「あの、私もいつかは、なのかなって思っても、それがいつなのかは全然見当もつかなくて」
    百音の言葉を、菅波は黙って聞いている。
    「先生なら知ってるのかなって思ったりもしたけど、全然そんなそぶりも話もしなくって」
    菅波に対して全幅の信頼を置いたその百音の言葉に、菅波は自分の理性の働きを心中で称える。

    「うん、だから、先生と私で、一緒に探していけたらいいな、って私も思います」
    百音が胸の前で両手を握ってうん、と頷く様子に、菅波も笑みを浮かべる。
    「はい、ぜひ」

    うんうん、と百音が頷きつつ、「それにしても」と首をかしげるので、菅波も何を問うのか、と一緒に首をかしげる。
    「いつだ、って分かるのって、どうやって分かるんでしょうね」
    かつての勉強会の時から変わらない素朴だがストレートな百音の疑問に、菅波はうーん、と口を開く。
    「これ、と定義をすることはできないと思いますが、目安はあるのかな、と思ってました」
    「めやす?」

    さらに首をかしげて見せる百音がかわいらしく、菅波の口許は緩みっぱなしである。
    「あなたが、僕に緊張せず何気なく触れられるようになったら、かなぁ、とは」
    その言葉に、百音がクエスチョンの顔のまま質問を返す。
    「私、先生に触ってますよ?ハグもたくさんしてるし」
    それを聞いた菅波が、すっと左手を伸ばして百音の頬に触れ、親指でそっと撫でる。その体温の気持ちよさに目を細める百音の表情に、菅波の目じりに皺が寄る。しばしその柔肌を慈しんだ後、手を離した菅波が、自分の頬を指さした。

    「同じに、やってくれますか?」
    そういわれて、百音はおずおずと手を伸ばし、失礼します、とでもいうように間をとりながら、そっと右手の手のひらを菅波の頬にあてる。わずかな緊張をにじませつつもそっと頬を撫でるそのたなごごろに、菅波はそっと自分からも頬を寄せてそのすべらかさに身をゆだねる。百音がどきどきした顔をしているのを見て、ほほ笑んだ菅波はそっと百音の左手を自分の両手でおろし、自分の膝の上に置いた。

    ね?と自分の顔を覗き込む菅波に、その言わんとするところを理解した百音が、耳を赤くしながら首を縦に振る。菅波に触れられるのも、ふとキスを交わすのも、腕の中に飛び込むのも、すっかり自分に馴染んだと思っていたが、それはまだほんの手始めだったのだ、と一つの動作で気づかせる菅波に、百音はほんとかなわない、と心中で『先生のすごいとこリスト』を一行更新するのだった。

    「まぁ、焦らずに、いきましょう。あなたと僕には時間はあまりないけど、きっとずっと未来がある」
    その言葉と共に、どうかな?と自分を覗き込む菅波に、百音は「はいっ」と笑顔で頷く。
    「何があるか分からないから今、という考え方もあるかもしれないけど、何かに焦って判断を誤るより、その時々にベストだと思える判断をしましょう」
    きっぱりとした百音の言葉に、菅波は一瞬あっけにとられたような顔になったあと、くしゃりと破顔する。そうやって最後に二人の背中を押すのはいつだって百音なのだ、と、温かいものが胸中に満ちる。

    「ああ、そうだ」
    という声と共に菅波が百音の手を離した。
    「ウチの合鍵のサメのキーホルダー、今持ってますか?」
    「はい、持ってます」
    百音がごそごそとバッグから木のサメのキーホルダーを取り出す間に、菅波も自分のチノパンのポケットをひっくり返して、真新しい鍵を取り出した。

    「これ、登米の僕の家の合鍵です。今の家のは返却しないといけないので、今取り替えて渡してもいいですか?」
    百音が頷いて菅波にキーホルダーを渡す。器用に手早く鍵を付け替えた菅波は、古い鍵を飛び出たポケットの裏地と共にチノパンに押し込み、新しい鍵をつけたキーホルダーを百音に差し出した。
    「登米の家で、待ってます。永浦さんが来るの」
    その言葉に、百音が唇をむにむにとさせ、手のひらを差し出すと、菅波がそっと新しい約束になったそれをのせる。ぎゅっと登米と菅波を象徴するような木のサメと鍵を握りしめた百音は「はい。行きます。先生のとこに」と頷くのだった。

    さて、なんだかんだ長居しました。もう帰らないと、と菅波が立ち上がると、キーホルダーをバッグに大切に仕舞った百音もぴょんとそれに続いた。菅波がサメのぬいぐるみの紙袋を手に取って提げ、行きますか、と歩き出したところで、百音が反対側の手をすっと繋いだ。菅波が驚いて百音を見下ろすと、いたずらっこのような笑みと目が合う。こうやって、慣れてったらいいんですよね、という百音に、そうですねと菅波も笑う。

    手を繋いでゆるりと歩いても、公園から汐見湯は大した距離もなく。方角的にコインランドリー側に着いた二人は、入口の傍らで向き合った。
    「じゃあ、また明日。迎えに行きます」
    「はい。連絡します」

    短い言葉を交わして、別れねば、と思いつつ、別れがたく、と一瞬の沈黙が二人の間におりる。
    それを振り払ったのは菅波で、うん、とひとつおもむろに頷くと、百音の頤に右手の人差し指をかけて上を向かせたかと思うと、ほんの触れるだけのキスを落とした。百音の顔が耳まで赤く染まるのを、そっと親指で撫でた菅波は「おやすみなさい」と言い残して、一度振り返りながら角を曲がっていく。

    コインランドリーからバックヤードに入った百音は、ドアを閉めたそこで顔を両手で包んでその場にうずくまる。もー、ほんと、先生そーゆーとこ!と思いながら、先ほどの初めての仕草で落とされたキスと、公園で交わした会話を思い出して、頬の紅潮はしばらく取れる気配がない。早く寝なさいっていうわりに、これじゃ先生のせいで寝れないじゃない、と百音はしばらくバックヤードの傍らでむぅっと頬を膨らますのだった。
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    2023/04/20 2:03:35

    あなたと僕には時間がないけど

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