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    はじめてのおとまり「おじゃましまーす」
    ちいさく呟きながら、そうっと百音がドアを開けるのを、荷物を両手に提げた菅波が口許を緩めながら見守る。

    菅波が登米に専従するようになって6週間とすこし。5月半ばに少しずれた連休が取れた百音が、初めて菅波に会いに登米に来た。とはいえ、昨年のクリスマス以来の百音の来登とあって、登米夢想に顔を出さないわけにはいかず、金曜の昼前に到着した百音は、菅波の退勤までカフェ椎の実で懐かしい顔の歓待をうけて過ごした。

    退勤の支度を整えた菅波が椎の実に百音を迎えに来た時には、結婚式もかくやという盛り上がりぶりで、菅波はチベスナ成分を含みつつも久しぶりに会えた百音に相好が崩れるのも同時という形容しがたい表情で、百音がそれに、あぁ、先生だなぁ、と嬉しそうなものだから、その場にいた誰しもが幸せのお裾分けをもらったような気分なのだった。

    百音は全く気が付いていない複数名からの意味深な視線を完全スルーした菅波が百音の荷物を手に取り、二人でそれでは、と挨拶して椎の実を辞する。登米夢想を出たところで菅波がついっと百音の手をつなぐと、窓越しに二人を隠れて見送っていた面々が冥途の土産に音もなく沸いており、それも菅波は完全スルーで百音は気づかぬまま。手を繋いだまま長い階段を降り、階段下に駐車されていた菅波の車で、新しい菅波の家まで。

    「ここです」
    と菅波が車を停めたのは、まだ新しさの残る2階建てのこじんまりとした集合住宅の前だった。百音がリュックのポケットから、木のサメのキーホルダーを取り出すと、菅波が笑って頷く。そして、初めて使うその合鍵で、百音は初めて見るドアをゆっくりと解錠したのだった。

    東京の家に比べると広々とした1LDKで、リビングダイニングに足を踏み入れた百音は、リビングの一画に設えられた書斎スペースと組手什の棚を見つけてなんだかホッとした気持ちを抱く。初めての場所なのに、東京で見知ったデスクと椅子、それにサメたちが並ぶ棚を見ると、まさしくここが菅波の家なのだ、と実感する。ふと、そのデスクの上の一番手に取りやすい場所に気象予報士のテキストが2冊並んでいるのを見つけて、百音は口許をむにむにと緩ませるのだった。

    百音に続いてリビングダイニングに荷物を提げて入ってきた菅波が、百音がデスクの上の本に気づいたことに気づいて、照れたように笑う。椎の実でどっさりと持たされた食べ物をこじんまりとしたダイニングテーブルの上に、百音のボストンバッグを床に置いた菅波が、百音の横に立つと、百音が笑顔で菅波を見上げた。

    「先生、予報士試験のテキスト、またここに置いてくれたんですね!」
    とてもうれしそうな百音に、菅波も照れながら笑顔を返す。
    「東京で、約束しましたから」

    過日の春の日の約束が律儀に守られていたことに、百音があまりににこにこしてかわいらしく、気づけば菅波は百音を深く懐中にハグしてしまっていた。一瞬驚いたような百音も、すぐにその背に両腕を回してその抱擁に応える。

    「会いたかったです」
    「私もです」

    ぎゅうぎゅうくすくすとしばらくハグをしていると、熱の伝導を感じる。二人の温度がぴったり一緒になったようなタイミングで、菅波が抱擁を緩め、百音の頬に手を添えて顔を覗き込めば、百音はほほ笑んでその意図に応える。形を変えた熱伝導もしばし。

    二人で改めて顔を見合わせると、どちらともなく笑顔がこぼれる。
    「改めて、いらっしゃい、永浦さん」
    「はい、お邪魔します、先生」
    菅波がゆったりと抱擁を解くと、百音が照れくさそうに体を離し、あ、そうでした!と声をあげてダイニングテーブルの上の荷物に駆け寄った。

    「椎の実で皆さんが、先生と食べて、ってたくさんお料理を持たせてくれたんです。お腹空いてますよね」
    空気を変えるようにはしゃいで袋を覗き込む百音に、菅波は、はい、とはにかんで頷きながら、百音の空気に合わせるように、何をくれたんでしょう、と楽し気に一緒に袋を覗き込む。袋から漂う芳香に、空腹を自覚した菅波は、腹ペコだって自覚しました、と白状し、百音はそれに張り切って、ご馳走いただきましょう、と腕まくりをするのだった。

    あれもこれもと持たされた大きさも多種多様な保存容器を台所に運び込み、調理や温めかえしが必要なものに二人で着手するが、台所にはフライパンと片手鍋がひとつに、ザルとボウルが1セットのみ、食器も飯椀と汁椀がひとセットに、大小の平皿と深皿がひとつに、丼がひとうという有様。保存容器が電子レンジ対応なことを最大限活用して、はっと汁や豆ごはん、豚の生姜焼き、茄子の焼きびたしなどなど、登米の心づくしをダイニングテーブルに並べることができた。

    百音の発案で、豆ごはんはおにぎりにして深皿に。飯椀と汁椀にはっと汁を装って、平皿におかずをワンプレートのように盛る。箸も一膳しかなく、菅波が台所の引き出しを漁って見つけた割りばしが百音の前に置かれている。装われた料理はどれも手がかかったものなのに、食器の取り揃えで間に合わせ感が著しい食卓に、ダイニングテーブルの椅子に座った菅波は、すみません、と上半身をちぢこめて、向かいに座った百音が、荷造り手伝った時に知ってましたし、それに気にしません、となんでもない顔をして見せた。

    「いただきます」
    「いただきます」

    揃って手を合わせて、ひとたび箸を取れば、6週間ぶりに一緒に摂る食事に話題が弾む。百音が桜の季節に毎日違う中継場所に行って見聞きしたものを話せば、百音の仕事の充実がうれしい菅波が笑い、菅波がこの家に越してきてから、数日とあかずに椎の実の常連の御婦人方などから『ごんぎつね』よろしく玄関先に総菜が届くようになり、サヤカから『ごんぎつね禁止令』が出たことを聞けば、菅波が土地の人々にすっかり懐かれていることがうれしい百音が笑い転げる。

    「結局、お裾分けがあるときは何かしら登米夢想で渡すこと、という約束が浸透しました」
    菅波が話を続けると、どなたもお料理上手が多いですから、先生がおいしいものいただけてるのうれしいです、と百音が口許をほころばせた。

    「もともと東京と往復していた時も登米ではおいしいものを食べさせてもらっていましたが、4月からこっちはお裾分けでほぼ食事が賄われているような」
    「みんな、先生が来てくれてうれしいんですよ」
    「まぁ、もう少ししたら物珍しくなくなると思います」
    「うれしさは変わらないですよ」

    百音の素直な言葉に、菅波は温かいものを感じて、顔をくしゃりと緩ませ、その、あまりに幸せそうな表情に百音が首をかしげると、菅波がそれに気づいた。

    「永浦さんが、ここにいるなぁ、ってうれしくなりました」

    ストレートなその言葉に、百音が頬を染めながら、それでもその言葉がとてもうれしく、こくりと頷く。

    「あ、そうだ。明日、一緒に買い物に行きたいなと思ってて。どうでしょう」
    「お買い物?」
    「ええ。ご覧の通り、あなたに来てもらっても、ろくな食器も無い。僕は僕の食器選びのセンスを信用していないので、永浦さんに一緒に選んでもらえたらな、と思って」

    どうかな?と少し不安げにこちらを伺う菅波に、百音はくすりと笑って、はい、ぜひ、と楽しそうに頷く。お台所道具ももうちょっと欲しい気がしますねぇ、と百音が言うと、すみません、それも選んでいただけると…と菅波が身を縮め、百音がまかせてください、と胸を叩く。

    食後は、二人で台所のシンクに並んで食器や空いた保存容器を洗う。そうして二人で過ごしているのもめいめいこそばゆく、前の家よりは広いものの、ふと肩が触れ合いそうになっては、はにかんで、そのくすぐったい空気もまたうれしく。

    大した量もない台所仕事が終わった頃合いで、菅波がセットしていた風呂が沸いたことを知らせる電子音が鳴った。永浦さん、先にフロどうぞ、と菅波が勧め、頬に朱を刷いた百音が、はい、と頷いて、リビングの隅に置いたボストンバッグからあれやこれやと着替えやコスメポーチなどを取り出す。

    ここに、タオルと、ドライヤーと…と菅波が脱衣所に案内すると、そこには縦型の洗濯機とガス式の乾燥機が。洗濯機、買ったんですね、と百音が笑うと、近隣にコインランドリーないですしね、と菅波が頷く。ガス式の乾燥機は、これが一番早く乾くから!冬はこれが一番だから!と力説した佐々木課長が無理やり設置していきました、という話に、百音がころころと笑う様子がかわいらしい。

    ごゆっくり、と百音に言い置いて、脱衣所を出て後ろ手に戸を閉めた菅波は、台所に戻る。シンクに両手をついて、大きく息を吐いた菅波は、両手でごしごしと顔をこする。1か月半ぶりに会った百音は何をしても何を言ってもかわいく、電話越しで聞いていた声よりも直接聞く声は涼やかで耳に心地よく、腕に納めた身体は目が眩むほどにあたたかくやわらかい。そんな存在が、自分の家にいて、笑ってご飯を食べて、風呂に入っている。

    過日に桜の下で話したこともまごうことなき本心だが、やはり相応以上の理性の働きは必要で、雑念を振り払うように首を一つふった菅波は、明日の朝に百音が炊き立てを食べられるように、とシンクの下からこれも引っ越し祝いだと木の米櫃付きでみよ子から押し付けられた米を取り出し、きっちり2合をはかって炊飯のセットに取り掛かるのだった。

    持参のシャンプーとトリートメントで髪を洗い、浴室にあったボディーソープで汗を流した百音は、ちゃぷんと湯船につかって、改めて今の状況に自分がどきどきしていることにどきどきしていた。1か月半ぶりに会った菅波は、何をしても何を言ってもなんだかかっこよく、電話越しで聞いていた声よりも直接聞く声はやさしくて耳に心地よく、自分を抱擁する腕はあたたかくて力強い。そんな菅波の家にいて、一緒にご飯を食べて、今、自分は風呂に入っている。

    菅波の出立前に桜の下で話をしたことはもちろんよく覚えているし、そのことについても菅波のことは120%信頼している。それでも、風呂上がりの自分のふるまいがぎこちなくなることは避けられないように思う。いやいや、先生とは楽しくすごしたいもん、うん、と一人うなずいた百音は、ぱしゃりと両手で顔に湯をかけるのだった。

    風呂から出た百音は、たっぷりと時間を取って出力の弱いドライヤーで髪を乾かし、スキンケアをして、そういえば菅波にすっぴんを見せるのも久しぶりだ、と思いながら、それでもさすがにすることがなくなって、脱衣所の戸を開けた。一続きになっているリビングダイニングを入ると、菅波はダイニングテーブルでなにやら英語の論文を無心な様子で読んでいた。百音が出てきた気配に顔をあげた菅波は、お風呂ありがとうございました、と言うほかほかの百音を見て目じりに皺を寄せる。どういたしまして、と言いながら立ち上がり、支度しておいたと見える着替えを手に取った菅波は、すれ違いざまに百音の額にキスを落とし、今度は自分が脱衣所に姿を消した。

    キスが落ちた額をさすさすと撫でながら、百音はボストンバッグの傍らに腰を下ろして自分の荷物を片付ける。大して時間のかからないそれを終えて、持ってきた本でも読もうかな、とバッグから本を取り出したところで、もう菅波が脱衣所から出てきた。髪は半乾きで、首からさげたタオルで残った水気を飛ばそうとしている。洗い立ての髪が、あちこちに跳ねていてまるで水浴びの後の大型犬のようだ、と百音はなんだかおもしろくなる。

    「え、先生、もうお風呂でたんですか?」
    「湯船には浸かったんだけど…」
    「それにしても早い」
    「そうかなぁ…そうか…」

    普段はシャワーで済ませることがほとんどだから、と杢グレーのスウェットに白Tシャツの菅波が後頭部をタオルでがしがしと拭く様子が、なんだかとてもプライベートな様子で、それを目の当たりにしていることが百音にはひそかに楽しい。

    洗面所で二人並んで歯磨きをすれば、鏡越しに目が合うのがくすぐったく。一つしかないアクリルのコップを頑なに百音に譲り、自分は手に受けた水で口をゆすいだ菅波が、手の甲で口もとを拭う仕草に百音がどきどきし、そのコップに、明日も使うからそのままで、と自分の歯ブラシに加えて百音の歯ブラシも並んだ様子に、菅波がどきどきする。

    歯磨きを終えたところで、あふ、と百音から小さなあくびがこぼれる。時間はすでに21時も半分を過ぎていて、百音の普段の就寝時間と登米までの長距離移動を考えれば、夜更かしに片足を突っ込んだ状況。

    「疲れているでしょう。先に寝ててください。火の元周り確認したら僕も行きます」

    百音の頭をぽんぽんと叩いた菅波が、リビングダイニングの奥が寝室です、と言い残して台所に足を向けた。こくりと頷いた百音は、言われた通りにリビングダイニングの奥に向かう。引き戸をカラリと開けると、本棚とセミダブルのベッドだけの部屋が目前にあった。そういえば、東京で使ってたベッドはお下がりでちょっと小さいから処分して買い替えると言っていたな、と思い出し、そっか、縦の大きさじゃなくて幅もなのか、と、うっすらと頬を赤らめた百音は、菅波が来る前に、ともぞもぞとベッドにもぐりこんだ。

    ピンと張られたシーツの肌触りが心地よいものの、極度に緊張もして、まったく落ち着かないまま百音が体を丸めて横たわっていると、引き戸に影が差したと思ったら、リビングダイニングの照明が落ちて、常夜灯だけの寝室に影が消える。引き戸を閉める音がして、すぐに、菅波がギシッと小さく木がきしむ音と共にベッドに入ってきた。丸くなって背がむいた百音の後ろから抱擁するようにもぐりこみ、右腕は腕枕をして、左手は小さな肩をそっと添えられる。

    百音は心臓の音が菅波に聞こえるんじゃないかと思うぐらいどきどきしていて、その緊張は菅波も感じ取っているし、なんなら菅波も同じぐらい緊張もしている。それを紛らわすように、左手でぽんぽんと百音の肩をやさしく撫でながら、菅波が、あくびまじりに口を開く。

    「なんだか、現実じゃないようだとも思います。あなたが、こうして、ここにいること」
    百音は、何を言うでもないが、こくりと頷いて、菅波の目前の黒髪が揺れる。自分の使い慣れたボディソープと、自分の知らないシャンプーの香りが揺れた髪から混ざってふわりと漂い、菅波の二次嗅覚野がその新しい香りに快さを結びつけるのに嗅覚刺激の受容からわずか500ミリ秒。

    「これでも緊張しているんですよ、僕も」
    と、肩をとんとんとし続けながら菅波がいうと、また百音もこくりと頷く。差し入れた二の腕を腕枕にしたまま、右の前腕で百音の頭を抱くと、一瞬百音の体がこわばった後、密着度が上がって伝わるぬくもりに、それが緩む。

    「ゆっくり、慣れていきましょう。二人とも」
    また、百音がコクリとうなずいて、菅波は肩をとんとんとし続ける。少しずつとんとんとするペースをゆったりにしていくと、少しして、すうすうと静かな寝息が聞こえてきた。

    やはり、久しぶりの登米で、移動の疲労もあるし、椎の実での歓待を受けた興奮と疲労もあったのだろう。無理はさせたくない、と、百音が寝られたことをうれしくおもいつつ、こうして自分のベッドで腕の中に百音がいるという強すぎる刺激に、菅波本人は、俺、今晩寝れるかな…、と小さな赤い灯がともる天井を見上げつつ、とんとんとする手はまだしばし休めないのであった。
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    2023/10/07 14:46:09

    はじめてのおとまり

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